【OP夢】泡沫人【シャンクス】
あの歴史学の授業の騒動から暫し時が経ち、ダイアナの周囲の環境も少しずつ変化していった。商業科の者たちはダイアナを疑うようなことは殆どなくなり、寧ろ友好的に接する者が増えた。意見交換を繰り返し、互いの現状について話したり、たまには商売の話さえするようになった。入学当初よりも穏やかに過ごすことができるようになったダイアナだが、少しだけ頭を痛める要因が増えた。
「やあダイアナ嬢、お帰り。倫理法制の授業はどうだったかな?」
「……何故殿下が商業科の教室に頻繁にいらっしゃるのですか?」
ハロルドがよく商業科の教室に訪れるようになったのである。来るだけならまだいいものの、何かと理由をつけてダイアナと共に行動することが増えたのだ。現グロスター家当主とランカスター家の者が仲睦まじい様子を見せつけているようなものである。一大スキャンダルにもなり得る事態にダイアナは頭を痛めていた。
「いいじゃないか。僕はもう必修授業は全て取り終えているし、どう時間を使おうが僕の自由だろう」
「よくないのです。ここは学校ですが、グロスター家当主の自覚をもう少しだけお持ちください。しかも殿下はまだ正式な婚約者も発表していないのでしょう、よくない噂を引き立てる者たちがいらっしゃるかもしれません」
「おや、つまり君はその気があるってことかい?」
「ございませんわ」
ハロルドの冗談か分からない発言をばっさり切り捨てるダイアナ。だがハロルドは楽しそうに笑うだけだ。
「失礼します、またここにハロルド様が……やっぱり、いた」
ガラガラと音を立ててこめかみに皺を寄せながらゾラが教室へ入ってきた。やあゾラと手を振るハロルドにパチンとデコピンを食らわせる。
「いっっっっっっっっったぁ!!!何するんだゾラ!」
「何するんだはこっちの台詞です、ハロルド様。いい加減ダイアナ嬢の元に入り浸るのはやめてください。生徒会の業務も残っているのですから」
「え――……楽しくないから嫌だ」
不満を隠すことなく漏らすハロルドにゾラはもう一度デコピンを食らわせると、ハロルドの首根っこを持った。
「全く、学校ではグロスター家の威厳もなくなる……毎度申し訳ございません、ダイアナ嬢」
「いいえこちらこそ。お疲れ様ですわ、ゾラ様」
二人は互いに労うように頭を下げる。ゾラはそのままハロルドを引っ張っていってしまった。
「ハロルド様にゾラ様も振り回されているな……」
「大変そうだな、ゾラ様も。けど、ダイアナ嬢に対しては穏便なんだな。エインズワース家って熱心なグロスター家の支持家なのに」
「私にその気がないと分かっていらっしゃるのですよ。もし何か隠し持っていようものなら、恐ろしいですわ」
ダイアナの発言に激しく同意するように、ウォルトやカーラは首を縦に振った。そろそろ雑談の話題もなくなってきて、さあ寄宿舎へ帰ろうと席を立とうと思った時だった。
「し、失礼しますわ!あの、ランカスター・ダイアナ公爵嬢は、い、いらっしゃいますか?」
「……」
「……」
「……」
再び商業科の教室に訪れた珍しい人物に皆固まってしまった。ダイアナでさえ、数度瞬きしゆっくりと息を整えた。
ダンマルタン・ユリアが商業科の教室に、大勢の学生を引き連れてやってきたのである。
「――ええ、私ですわ。はじめまして、ダンマルタン・ユリア侯爵嬢。私はランカスター・ギルバートを祖父に持ちます、ランカスター・ダイアナと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
ダイアナは柔和な笑顔で挨拶した後、完璧に思えるほど奇麗なカーテシーを披露した。ゆっくり顔をあげるとまだ緊張しているであろうユリアに目を細める。ユリアとの間に暫く沈黙が訪れたが、今度はユリアが挨拶を返した。
「こちらこそお初にお目にかかります、ランカスター・ダイアナ公爵嬢。私は、ダンマルタン・ルルトロを父に持ちます、ダンマルタン・ユリアと申します。以後お見知りおきを、ランカスター様」
普通挨拶は即座に返すものだろ、とウォルトは内心毒づいた。だがダイアナは笑顔を崩すことなく、ユリアに椅子を進める。軍団を引き連れているユリアによくもまあ出来るものだと舌を巻いた。
「挨拶が遅れてしまったこと、申し訳ございません。入学してから慌ただしくて、中々お伺いすることができませんでしたの」
「まあ、そうでしたの。新しい生活には慣れないことも多いですものね。それで、今日はご友人と挨拶にいらしたのですか?」
ユリアの挨拶が遅れた言い訳を適度に流した後、ダイアナは彼女の後ろに控える軍団にさらりと目をやった。稲妻のような厳しい視線がダイアナに注がれる中、決して表情を崩すことなく優雅な笑みを浮かべている。肝が据わりすぎて逆にこちらが焦ってしまうような気さえしてきたウォルトやカーラだった。
「いいえ、今日はランカスター様にご相談があって参りましたの」
「私にご相談?学校のことならご友人に申してみればいかかでしょうか?私とは学科も違いますし、持つ悩みも違うと思いますわ」
「いいえ、学校のことではございません。ランカスター家の、ことについて、ですわ」
ランカスター、の名が出た瞬間、一瞬だけダイアナの瞳が細くなった。姿勢をさらにピンと正し、圧をかけるようにゆっくりと手を組みなおす。
「私に、ランカスターの相談、ですか……どうぞ、お話ください」
普通家の話はプライベートなもので、学校のような開けたところでおこなうものではない。それを何故今ここでしようとしているのだろう。ダイアナに対しての宣戦布告は見え透いているが、それ以上に何かあるのかもしれない。ダイアナは警戒心をさらに高めた。
「はい。失礼ですが、ランカスター様。ご自身の悪いお噂が最近広まっていると、ご存知ですか?」
とんでもないセンシティブな話題が飛んできて、カーラは思わず仰け反りそうになる。こんな公然とした場所で決して話題にするようなものではない。しかもその話題の渦中にいる人物に直接問いかけるようなことなぞ、言語道断。この短時間で連発するユリアの非常識な言動にカーラは眩暈がしてきた。
「まあ、存じてはおりますわ。私が貴女の婚約を気に食わないから阻止したいだの、貴女をランカスター家から追い出すために奔走しているだの……そういったくだらないものでございまして?」
噂をくだらない、とばっさり切り捨てたダイアナは真正面からユリアを鋭く見つめる。この噂を流しているのは大方ユリアだと勘づいてはいたが、ここまで直接的に来るとは思ってもみなかった。
「く、くだらなくなどございません!これはランカスター家にも関わる、重要なことだと思いますわ!だ、だって、どなたかは存じませんが、ランカスター様にこんな似つかない卑劣なことを……ひっく、私は、許せませんわ!」
「……」
いきなり会話の途中で泣き出してしまったユリアにダイアナは思わず黙ってしまった。何をしているんだ、という呆れも強いが、ユリアの涙につられて泣いている後ろのご友人たちにも驚いている。淑女科の者たちが歴史学の発表で演劇を演じるのが多い理由だな、とどこか他人事のような考えが浮かんだ。
「貴女がランカスター家に相応しくない方などと言われ、私は、悔しいのです!学校に入学されたからもずっとトップの成績を維持し続けている貴女が、ランカスター家に相応しくないはずはありません!」
「……一度流れてしまった噂を撤廃するのは難しいと思いますわ。それならば熱が冷めるまで静観する方が、懸命だと思いませんこと?」
「いいえ、今この時こそ撤廃するチャンスだと思いますの!私に、一つ策がございますわ」
「策?一体それはどういうものですの?」
「――私と、ランカスター様の、勝負をするのですわ」
は???????と声が出掛かったダイアナだが、喉の奥で引っ込めた。一体勝負して何になる、何も生むことはないし、結果次第では悪い方向に展開してしまう。冷静を装いながらも内心では軽く動揺しているダイアナに、ユリアは意気揚々と話を続けた。
「貴女がランカスター家に相応しいと言われてしまうのであれば、そうでないと証明するのが一番の解決策だと思いますの。私も、オスカー様に嫁ぐために、日々研鑽しております。私との勝負で互いによい結果を残すことができれば、噂の撤廃に繋がると思いますわ!」
「……」
表向きにはユリアはダイアナの現状を憂いて改善しようとするいい兄嫁に見える。だが、ダイアナの目にはこの勝負でダイアナの尊厳を地に落とそうと企てているように写った。潤ませて見つめてくる瞳の奥には、ギラギラと燃える自尊心が見え隠れしている。真に受けなくともダイアナには何の影響もないのだが、ユリアの後ろに控えているご友人が心底面倒くさい。断ったらどうなるか分かっているでしょうね?という重圧がひしひしと伝わってくる。もしここで断れば、最悪な方向に事が傾くかもしれない。ダイアナはユリアや周囲のご友人を眺めた後、ゆっくりと伏せていた目を開いた。
「――――いいご提案ですわね。私も名誉のためには動かないといけませんもの。そのご提案、お受けいたしますわ」
「!ありがとうございます!ランカスター様!勇気を出してきた甲斐がありましたわ!」
私が受け入れなければどうする気だったのだろうか、と思いながらユリアの握手に答えるダイアナ。後ろからどうするんだ、という困惑の視線を感じながらもダイアナは話を続けた。
「ただ勝負、と言われましても、何か策はあるおつもりですの?」
「ええ!簡単なものですが、ジュエリーの査定眼で勝負いたしませんこと?」
今度はピシリとダイアナの周囲が固まった。皆顔を見合わせて、正気か?と疑う目でユリアを見つめる。その視線にユリアは満足そうだったが、恐らく思い描いているものとは真反対とは思いもしないだろう。
「ジュエリー、ですか……それは一体どのようにおこなうのですか?」
「至極簡単です、私から二つ、ランカスター様から二つ、一品のジュエリーを持ち寄り、その場で市場価格を鑑定するのです。最後に生徒会の何方からかも一品持ち寄っていただいて、勝敗という勝負を決めましょう」
ダイアナは何とも言えない複雑な心境だった。ランカスター家の優位性を示すのであれば、結果が引き分けでも何ら問題ない。しかし最終的に第三者が持ち込んだもので勝敗を決めようとするとは――やはりこの勝負はユリアがダイアナを落とそうとしているのがひしひしと伝わってきた。
「大方それでよいとは思いますが、生徒会がこのような私事に関わると思えませんわ」
「生徒会長のグロスター・ハロルド様はとてもユーモアがあるお方ですわ。きっと余興の一つとして許してくださいます!」
「……それならよろしいですわ。日時はいかほどにいたしましょう?」
その後、ダイアナは特に牽制や皮肉を言うことなく、事務的な質問を進めた。勝負の日は一週間後に決まり、ユリアは楽しみしておりますわ!と軍団を引き連れて帰っていった。大勢の客人が帰った後、皆合わせたようにため息をついた。
「なあ、侯爵令嬢ってあんな常識知らずなのか?」
「はじめて会ったのに婚約の挨拶もしないとか、どんだけダイアナ嬢を下に見てるんだよ」
「しかもダイアナ嬢が公言していないとはいえ、ジュエリーの鑑定勝負を挑んでくるとは……」
「あのご様子だとダイアナ嬢がまるでジュエリーに見聞がないと決めつけているようでしたわ」
「で、そんな方の勝負に答えていいのか、ダイアナ嬢」
皆好き勝手感想を述べた後、一斉にダイアナの方へ顔を向ける。
ダイアナは額を暫く押さえていたが、特大のため息をついた後、仕方がないと被りを振った。
「お受けしますと答えたからには逃げるわけにはいきませんわ。この勝負の内容を聞いたハロルド公爵殿下は確実に乗るでしょうし、きっとギャラリーも多くなりますわね……」
「心配することはそれなんだな、てっきり相手方の不正を疑うものかと思ったぜ」
「どんな不正をされても、私が審美眼で劣ることはありませんわ」
きっぱりと言い切ったダイアナの目には、ランセンダルのトップとしての意地とプライドがこもっていた。
「ただ、もしも不正をされるのであれば、正直いい気分にはなりませんわね。相手方が実力勝負、と称しているのですから気にはなりますわ」
そこで、とダイアナは皆の顔を順繰りに見つめた。もうダイアナに対して疑心を持つ者はいない、それなりに信頼に値する面々だ。
「少し、手を貸していただけませんか?」
ユリアとダイアナがジュエリーの査定眼で勝負することは、瞬く間に学校中に広まった。最後の勝負の出題人になってほしい、とユリアから申請されたハロルドはこれを快諾。確実に面白いものが見れるという口コミで、勝負までの一週間はどこか皆ざわついていた。
ユリアから勝負の提案があってから一週間後。食堂には放課後とは思えないほどの人数が詰めかけていた。その中心にいるのは、ユリアとダイアナ、そしてハロルドだった。公爵家、侯爵家の面々が学校でここまで揃うことは中々ない。その物珍しさからも、ギャラリーはどんどん増えていった。
「見ろ、あれがランカスター様だ……」
「はじめて見た……」
「あのお姿、確かにオスカー様と少し似ている気がするな」
ギャラリーから聞こえるひそひそ話にダイアナは全く動じていない。姿勢よく座るダイアナにハロルドはニコニコで話しかけた。
「君の姿をはじめて見る者が多いようだ、商業科に引きこもりっぱなしの君らしい」
「公平である審判の生徒会長が私と話すのは、お控えになった方がよろしいかと」
「全く、つれないね」
ハロルドは別に不機嫌になる様子もなく、長テーブルの間に立った。両端にはダイアナとユリアが座り、辺りをギャラリーが覆いつくしている。勿論、淑女科や商業科の者たちも、前の方に集まって固唾を飲んで見守っていた。
「――両者、揃ったようだね。それでは、はじめようか」
「はい」
「はい!」
ダイアナとユリアはハロルドの方をむいて返事をした。ついにランカスター家の直接対決が始まった。
「それでは、改めてルール説明を。二人は互いにジュエリーを出し合い、その市場価値を言い当てる。そして最後に僕が持ってきたジュエリーで勝敗を決める。これで間違いないかな?」
間違いない、とダイアナは頷く。同様にユリアも大きく首を縦に振った。
「では勝負の見届け人は、グロスター・ハロルドが責任を持っておこなおう。それでは、まずどちらからいくかい?」
私から、とユリアは手をあげた。出してくれ、とハロルドの促しに答え、絹で包まれた箱をハロルドに渡した。ハロルドはダイアナの目の前に置いた。
「お開けしても、よろしくて?」
「ええ、勿論ですわ」
ユリアの許可を得て、ダイアナは木箱を開ける。中には中心にサファイアをあしらえた豪華な胸飾りが姿を現した。ダイアナは暫し無言でジュエリーを見つめた後、上蓋の裏を確認し、絹生地のタグを確認した。ジュエリーを見ずに一体何をしているのか、と周囲が騒めく。分からないから付属品で目星をつけているのだろう、という声もどこかでした。
「――――とてもお美しいビブネックレスですわね。丁寧に加工がされたサファイアカットも手入れが行き届いています。ブルメンター工房の《シチュワート・ビブ》の第三期品、今の相場では百二十万ベリー、当時の購入金額は工房直売の品ですので百万ベリー前後でしょうか。流石、素晴らしいものをお持ちですわ」
穏やかな笑顔でスラスラと解説するダイアナに、周囲がざわついた。この短時間で工房だけでなく、何期品さえも触れずに言い当てた。高レベルなダイアナの審美眼を誰も予想できていなかったのだろう。どうでしょうか?と問いかけるダイアナに、ユリアはぎゅっと拳を握った。
「正解、ですわ。よくお勉強しておりますのね、ランカスター様」
「当然、勝負ですもの。無勉強で挑むなんて失礼なことはできませんわ」
二人とも互いに人当たりのよい笑顔を浮かべているが、背後には猛獣が控えているような空気だ。次は私ですわね、とダイアナは小さな小箱をハロルドに渡した。
「どうぞ、開けてくださいまし」
ダイアナに促されて、ユリアは目の前に置かれた小箱を開ける。中には、小さなピアスが入っていた。金の金具に小振りな真珠があしらえられている。
「質問はご自由にどうぞ、何でもお答えしますわ」
優雅に微笑むダイアナはジュエリーについて何も知見がない田舎の辺境伯嬢ではない。虎を従えた圧倒的強者であることが、周囲にもひしひしと伝わってきた。
「――――真珠の、ピアス……《ルーダル・ピント》でしょうか。今の相場でしたら、二十五万ベリーほどだったと記憶しております」
「ええ、正解ですわ。真珠ジュエリーの最大手工房、ヘリアス・ピント工房の《ルーダル・ピント》の第三十二期作です。他の工房も《ルーダル・ピント》という名を使っておりますが、本家本元はこちらのものになります」
「……勝負に水を差すようで悪いが、何故他の工房も《ルーダル・ピント》の名を使っているんだい?」
「はじめて《ルーダル・ピント》が世に出たとき、その素晴らしさから粗悪品が大量に溢れたのです。ならばもう『真珠のついたピアス』を《ルーダル・ピント》と呼ぶことにしよう、と当時ヘリアス・ピント工房のオーナーであったピュルー・マイクが考案し、《ルーダル・ピント》の名を手放したのです」
まるで水のように流れてくる解説にこの場にいた者は思わず耳を傾けてしまう。下手をすれば、この中の誰よりも造詣が深いとまで思わせる。ハロルドはダイアナに礼を言い、次のジュエリーを出すようユリアに伺いを立てた。
その後、滞りなくそれぞれジュエリーの市場価格を言い当てていった。だがどちらが見聞に優れているかは一目瞭然、ユリアは顔を伏せ、ダイアナは堂々と姿勢を正して座っていた。
「それじゃあこれで最後だね。最後は僕からの出題だ。だが、最後まで市場価値を言い当てるのは面白くない。僕がグロスター家当主であることでしかできない、ちょっとした査定をしてほしい」
そういうとハロルドは後ろに控えていたゾラに目配せした。ゾラはハロルドの合図に頷くと、二つの木箱を長机の上に置いた。開けてくれたまえ、とハロルドがいうと、ゾラはそっと二つの箱を開けた。
「……これは」
「まあ……!」
箱の中身を見た二人は思わず感嘆を漏らす。周囲のギャラリーたちにも今日一番大きな戦慄が走った。
二つの箱の中に鎮座していたのは、眩いくらいに光り輝く大きなエメラルドがはめ込まれた勲章だった。貴族であれば誰でも知っている、グロスター家の家紋が彫り込まれたエメラルドの勲章――グロスター家の当主勲章が二つ並んでいた。
「これは僕の先代、グロスター・シュバルトの当主勲章と僕の当主勲章だ。僕が普段愛用している方はどちらか、その査定眼で判断してほしい」
ハロルドはまるでサーカスを見にきている子供のような笑顔で言った。
ダイアナはゆっくりと立ち上がって、二つの勲章の元へ近づく。絢爛豪華な勲章に息を飲まれそうになりながらも、目を大きく見開いて勲章を見入った。
「もしよかったら、触ってもいいよ。質問もいくらでもしていい」
ハロルドの話にぎこちなく首を縦に振って、鞄から白手袋とルーペを取り出した。髪を一括りに纏めた後、ブレザーを脱ぎシャツの袖を捲る。手持ちの消毒液を振ってから白手袋をし、ルーペが外れないようにチェーンをかけ、ゆっくりとした手つきで勲章を手に取った。まるで時間を忘れたようにじっくりと観察し、優しく台座に戻してからもう一つを観察する。一人見入ってしまったダイアナとは違い、ユリアは何度か交互に見た後、考えるように腕を組んだ。暫くして何かに気付いた顔をして大きく頷くと、棒立ちするダイアナの横を通って席に戻った。
「おや、もう分かったのかい?」
「ええ、決定的な証拠に気がつきましたわ」
「ほう、それは楽しみだ」
ハロルドはニヤリと笑って返すと、深く集中しているダイアナの方を向いた。勲章を丁寧に台座に置いた後、少しテーブルと距離を取って顎に手を置いて一人小声でブツブツと言っている。暫くそれが続いた後、燃料が切れた機械のように固まってしまった。
「…………質問を、よろしいでしょうか。ハロルド公爵殿下」
「勿論、どうぞ」
「ハロルド公爵殿下が公爵家当主勲章をお作りになったのは、いつでしょうか?」
「今から半年前かな。冬の時期だったよ」
「それでは、先代が勲章をお作りになった年はお分かりになりますか?」
「今から二十八年前の六月だ。ユリアース・ギブ工房に特注依頼をしたと聞いている」
「……不躾ながらもう一度お聞きしますわ。私が当てるのは、ハロルド公爵殿下が普段愛用している公爵家当主勲章ですわよね?」
「ああ、そうだよ」
ハロルドに質問を終えたダイアナは、再び黙り込んでしまった。だが目だけは爛々と輝き、別の生き物かのようにギョロギョロ動き回っている。瞬きを数度して深く息を吸いこんだ後、ぎゅっと瞳孔が細くなった。ずっと俯いていたダイアナは、ようやくニコリと笑い、軽やかな足取りで席に戻る。まるで難解事件を解き終わった後のような足取りで。
「――それでは、互いに結論が出たようだね。僕が普段愛用しているのはどちらなのか、僕の右手の方にあるものか、左手の方にあるものか、せーので答えてもらおう。せーの」
「「右手/左手」」
「!」
「答えが、」
「別れた……」
「だと……!?」
また周囲が騒めきに包まれる。ハロルドはほう、とワクワクするように零し、ユリアの方を向いた。
「さてそれではユリア嬢。何故右手の物だと分かった決定的な証拠を教えてもらおう」
「はい。まず、エメラルドのカット手法が左手のものよりも真新しいのです。つまり、ハロルド公爵殿下が新しく作られたものになります。そして決定的な証拠は、布地に勲章金具の跡があることですわ。直近にご使用された形跡があることから、普段ハロルド公爵殿下が愛用されているものです」
ユリアの筋の通った回答に、周囲はどよめく。だが反対に、真逆の答えを導いたダイアナに注目が集まっていた。
「なるほどなるほど……ああ、よく分かった。それでは、次にダイアナ嬢。左手の物だと判断した理由を、お聞かせ願おうか」
「――まず気になったのは手入れのされ方ですわ。ハロルド公爵殿下の右手の方にある新しい勲章よりも、左手の方にある古い勲章の方がより新しく手入れをされているのです」
ダイアナはまるで謎解きを始めた探偵のように話し始めた。
「愛用品というのは古い、新しいだけで判断できるものではございません。一番使用度が分かるのは、手入れのされ方ですわ。ただここで不思議なのは、古い方の勲章はこれまた古い方法で手入れをされている、しかも専門職人の手でされているものでもございません」
ここまで淀みなくスラスラ答えていたダイアナだが、ふっと顔を上げハロルドの方を見た。
「そこで私はハロルド公爵殿下にお聞きしました。ご自分の公爵勲章と、先代の公爵勲章をお作りされた時期を。すると、ご自分のものは曖昧だったのに対して、先代の方はスラスラとお答えになりました。しかも、もう存在しない工房の名前まで」
ダイアナの答えにハロルドの目がどんどん見開かれていく。それに答えるようにダイアナも微笑んで話を続けた。
「随分と熱心にお調べになったのでしょう。もうされていない古い工房の手入れの仕方まで――殿下の熱意は素晴らしいものですわ。ここからは私の憶測になりますが、先代が急逝されたことに何か思い入れがあるのでしょう。ご自身の勲章より、先代――御父上の勲章を当時の方法でご自身の手で手入れするまでに」
「…………」
「普段から息子殿に愛用され、大切にされているのならば、御父上も喜ばしいことでしょう。因みに新しい方の公爵勲章に跡があるのは、閉まっている箱のものですわ」
さらりとユリアの間違いを訂正して、ダイアナは締めくくった。ダイアナの話を聞き入ってしーんと静まり返った食堂。暫く静寂がこの場を包んだ後、パチパチパチパチと拍手の音が聞こえた。
「――――素晴らしい!!!大正解だ、ダイアナ嬢!!!君の審美眼は本物だ!!!」
ハロルドが満面の笑みで拍手をし、ダイアナを正面からべた褒めしている。それに続いてギャラリーも拍手を始め、いつの間にか食堂は大喝采に包まれた。
「お褒めいただいて、光栄ですわ。私も喜ばしい限りです」
ダイアナは大喝采に浮かれることなく、ハロルドに向かってカーテシーを披露した。その気取らない所作にまた喝采が起こる。ダイアナはハロルドと握手を交わした後、ガックリと項垂れているユリアの元へ向かった。
「このような名誉挽回の場を設けてくださり、ありがとうございますわユリア嬢。ユリア嬢のお出しされた品々も素晴らしいものでしたわ」
「…………なんで、どう、して?ずっと田舎で暮らしていたランカスターの除け者に、私が、負けるの?」
ダイアナにしか聞こえない声でユリアはブツブツと呟く。やっぱりそういう魂胆だったか、とダイアナは残念そうにため息をついた。
「……ランカスターの除け者、ですか。随分なことをおっしゃいますのね。こんな目に合うのは、ユリア嬢が私に鑑定勝負をしかけるからですわよ」
「…………一週間で身につく知識と眼じゃない。一体、どんな手を」
「私は《オード・ジュエリー・ランセンダル》の総合運営役を勤めています。まさかランカスター家に嫁ぐのに、ご存知なかったのですか?」
何故こんな者に言わなければならないのか、と言いたげな冷たい視線がユリアを突き刺す。項垂れたままのユリアは、譫言のようにオード・ジュエリー・ランセンダル、と復唱した。
「そんなの、勝てるわけないじゃない……!」
「……それは貴女の実力次第ですわ。実力が届かないからと、私の噂を流したり、不正を訴えたり……小賢しく鬱陶しいことをしてくださいましたね」
聞いたことのないダイアナの低い声がユリアの耳に木霊する。怒っているのは間違いない、不機嫌を全面に押し出したような声だ。
「しかも、今日まで不正をしようとは、とんでもない魂胆ですわね。対策をしてよかったですわ」
「!それまで分かってて……!」
「一度疑われたのなら信用はしませんわ。まあ、最初からないものでしたけれど」
ダイアナはゆっくりユリアの後ろに回り、肩に手を置いた。それだけなのに、この場にある空気圧全てに圧迫されている気分になる。ダイアナの醸し出している空気が、とうとう牙を剥いたのだ。
「これ以上ご自身の信頼を失いたくなければ、下らない真似はお控えくださいまし。《オード・ジュエリー・ランセンダル》はいつでも、ダンマルタン家をリストから外してもよいのですよ?」
「っ!」
ダイアナは釘を刺すと、それでは、とユリアの元を離れた。ユリアは楽しそうに話すハロルドの元に向かっていくダイアナを生気のない目で見つめていた。
「ああ、そういえば……我が兄、オスカーとの婚約、おめでとうございます。テトリーの辺境伯を継ぐ私には何の関係もございませんが、どうかお幸せに」
最後の最後にユリアに爆弾を落とすと、ダイアナはハロルドたちの円へ吸い込まれていった。
「ああ、ダイアナ嬢。ユリア嬢と一体何を話していたんだい?」
「互いの健闘をたたえていましたの。ユリア嬢もいい品々をお持ちいただきましたから」
「君が言うと皮肉にしか聞こえないな。本当に君の審美眼には惚れ惚れしたよ。近々、《オード・ジュエリー・ランセンダル》に依頼を申し込んでもいいかな?」
「ええ、勿論です。最高のおもてなしを、お約束いたしますわ」
多くの人間から信頼を得たダイアナは、今日一番の笑顔で微笑んだ。
ユリア嬢とダイアナの勝負からまた暫くの時が経った。相変わらずダイアナは、商業科の教室棟に籠りっぱなしの学校生活を送っていた。だが悪い噂は流れることはなくなり、ユリアはすっかり身を潜めてしまった。ダイアナが《オード・ジュエリー・ランセンダル》のトップと知れ渡ったのが一番の理由だろう。心身ともに安定した学校生活を過ごすことができ、ダイアナは満足だった。いつものように授業を終え、カーラと寄宿舎に向かっている時に事は起きた。
目の前から記憶の彼方に見覚えのある男性が、ユリアと一緒に歩いてくる。ダイアナは思わず足を止め、目の前を凝視した。
「ダイアナ嬢?」
急に固まってしまったダイアナにカーラは不思議そうに問いかける。ダイアナの顔は信じられないくらい青ざめていた。まるでトラウマでも蘇ったかのように。
「…………テトリーに追いやって以来だな」
「…………お久しぶりです、オスカーお兄様」
ダイアナの実兄であり、ユリアの婚約者、ランカスター・オスカーがダイアナの元へわざわざ訪れてきたのだ。今の今まで全くと言っていいほど接点がなかったオスカーが一体何の用で自らわざわざ学校に来たのだろう。オスカーの腕をぎゅっと掴んで目を潤ませているユリアを見れば、一発なのだが。
「何か言うことはないのか」
「ございません。明日の準備がございますので、では」
「先日我が婚約者を大勢の前で辱めたと聞いているのだが」
兄妹とは思えない冷たい会話が続く。ダイアナはずっとオスカーの方を見ずに、地面のタイルを見つめていた。
「……先日、宝石鑑定の勝負をユリア嬢から挑まれました。それに全力で応じたまでのことです」
「あろうことか、ダンマルタン家に《オード・ジュエリー・ランセンダル》の出禁を叩きつけたとも」
「そんなことは申しておりません!」
ダイアナは思わず声を荒げた。が、直後ハッとし、怯えるように顔を青くしていく。オスカーはギロリとダイアナを睨むと、一歩ダイアナに近づいた。
「……兄にいつそんな口を利いていいと教えた?」
「申し訳ございません。ですが、」
「お前の言った言っていないはどうでもいい。我が婚約者が泣きながらおれのところへ来たのだ。その責任はお前だと言う」
地面に伏して詫びろ、とオスカーは何の躊躇もなく言い放った。ダイアナの言い分を聞く耳もないオスカーは冷たい視線をダイアナに送り続けた。オスカーの横に立つユリアは怯えてオスカーの腕に身を寄せているが、口元はニタニタと笑っている。そう、ダイアナがランカスター家でどのような扱いをしているのか、この女は知っているのだ。
「早くしないか、時間がないんだ」
「…………」
「大声で言わないと分からないのか!」
「――――失礼、オスカー公爵殿」
オスカーが声をいっとう荒げた瞬間だった。ハロルドがオスカーとダイアナの間に割って入った。チラリとハロルドが来た方向を見ると、カーラが息を切らしている。彼女がハロルドを呼んできてくれたのだ。
「一体貴方がこの王都学校に何の用ですか。用件があるなら、職員会を通してお越しください」
「これは、グロスター公爵殿。少しだけ家族の用件で来たのだ。悪いが席を外してくれるか」
「いえ、できません。先日の鑑定勝負なら責任者は私です。説明がご所望ならば、私が対等な立場からいたしましょう」
ダイアナが怯えていたオスカー相手にハロルドは言い切った。冷たい視線がオスカーとハロルドの間で交差する。暫し睨み合いが続いた後、オスカーは目線を逸らせてユリアに問いかけた。
「彼が本当に見届け人か?」
「はい、間違いございません」
「……そうか。ならば日を改めるとしよう。失礼したな」
行くぞユリア、とオスカーはユリアを引き連れてその場を去ってしまった。二人の後ろ姿が見えなくなると、ハロルドは特大の息を吐いた。
「あれだからランカスター家の者は苦手なんだ。君もかなり苦労しているんだな」
「……ええ。カーラ嬢、ハロルド公爵殿下をお呼びしていただき、ありがとうございましたわ」
「いいえ!それよりも、大丈夫ですかダイアナ嬢」
カーラが心配そうに顔を覗き込んでくる。いつもなら大丈夫ですわ、と気丈に振る舞うのだが、今のダイアナにそんな余裕はなかった。
「申し訳ございませんが、今は……少し休んでから寄宿舎に戻ります。カーラ嬢は先に戻っててくださいまし」
「ですが……!」
「それなら心配いらないよ、カーラ嬢。僕がダイアナ嬢を寄宿舎の門まで送り届けるさ」
それならば、とカーラは頷いて、寄宿舎に戻っていった。カーラが去った後、ハロルドはダイアナの手を引き、近くのベンチに座らせてくれた。
「…………君はずっと、ランカスター家ではああいう扱いなのかい?」
暫し沈黙があった後、ハロルドはダイアナに聞いた。ダイアナは下を向いてばかりで、答えようとはしない。鑑定勝負の時とはまるで別人のようだ。
「ずっと、というかテトリーに行くまではそうでしたわ。あの頃と、何も変わっておりません」
ダイアナの言い分を聞き入れてくれる気は一切ない、彼女が悪いと誰かが言えばダイアナが悪役になる、どれだけ努力しても認められることはない。幼い頃のトラウマがそのまま現れ、ダイアナは少し震えていた。折角テトリーで人の温かさを取り戻せたのに、なかったかのように引き戻される。ぎゅっとスカートを握る手にハロルドの手が添えられた。
「あまり握ると、自分の手を痛めてしまうよ」
「申し訳ござ」
「謝らなくていい、怖かったんだろう?よく耐えたね」
こういうときに限ってハロルドの声色は優しい。それが何だか切なくて、胸が締め付けられそうだ。
「ありがとうございます、ハロルド公爵殿下。少し落ち着きましたわ」
「そうか。なら、よかった」
ハロルドはヘラリと笑うと、ダイアナの手から手を引いてくれた。その優しさにも、ダイアナは救われているのだ。
「――――ところで、これは一公爵家としてだが。ランカスター家の君への対応は度が過ぎておかしい。普通他家の婚約者より、自分の家の令嬢を大事にするだろう」
「普通、はですね」
「まあ普通はそうだな。これは君の将来の話になるが、そんな君がテトリーの辺境伯になろうなら、険しい道が待っているだろう」
「それは、承知の上ですわ。テトリーには私を育ててもらった恩があります。それを無碍にするなど、私にはできません。ランカスター家と戦うことも、覚悟しております」
「でもそれは、ランカスター家だったら、だろう?」
今度は真剣な顔になってハロルドが聞いてくる。思わずダイアナは顔を上げ、マジマジとハロルドを見つめた。見たことないほどハロルドは真剣で、いつもの柔和な雰囲気は消えている。
「ランカスター家でなければ、もっといい道があるはずだ。君ほどの実力があればすぐ認められるだろうし、上手く立ち回れる。少なくとも僕はその方がいいと思える」
「何を、おっしゃいたいのですの?」
「――――グロスター家に来ないか、僕の婚約者として」
「!!!」
ハロルドの直球な提案に、ダイアナは固まってしまった。確かに心のどこかで考えたことはあった。テトリー辺境伯になれば、他の四公爵の元へ付いた方が遥かに楽かもしれないと。あのランカスターから離れた方がいいかもしれないと。でも、だが――
「それは、お受けできないご提案ですわ」
「!何故」
「それは私も《ランカスター》だからでしてよ。尊敬するお爺様もランカスター、そのテトリーもランカスターの辺境地。どうしようもないと自分でもわかっているのですけれど、どんな苦しい道だとしても、私は、ランカスター家の繁栄を望んでいるのですわ……!」
ほぼ泣きそうになりながら、ダイアナは答えた。ダイアナの奥底にある《ランカスター家》というラディアナ四公爵の大きく深い根っこ。ここだけはなにがあっても変えられない、変えることができないのだ。ハロルドは暫し黙っていたが、そうか、とポツリと零した。四公爵であるハロルドにも通ずるところがあったのだろう。ハハハハハ、と淑やかに笑った後、スッキリとした顔でダイアナの方へ向き合った。
「君の想いは本物だと分かったよ。今日の話は、互いになかったことにしよう」
ね?とダイアナに笑いかけるハロルドは誰よりも優しい顔をしていた。
カーラの約束通り、ダイアナを寄宿舎の門まで送っていくと、ハロルドは一人校舎に引き返す。暫く歩いていると、後ろからふと声をかけられた。
「見事に振られてしまいましたね、ハロルド様」
「……なんだ、見てたのかゾラ」
柱にもたれかかっていたゾラはハロルドの隣を歩き始める。長年兄弟のように付き添った者に、あの告白を見られていたと思うと中々気まずい。
「ありゃあ、生まれ持ってのランカスター家の者だ。僕には変えられないさ」
「それにしては随分と惚れ込んでいましたね」
「五月蠅いぞ。あーあ、少しでも涙を見せてくれればまだあったのか……」
「それでも、彼女は断ると思いますよ」
グロスター家の主従、ハロルドとゾラは夕焼けに照らされた道を歩く。その影法師が、いつもよりも少し伸びていた。
「やあダイアナ嬢、お帰り。倫理法制の授業はどうだったかな?」
「……何故殿下が商業科の教室に頻繁にいらっしゃるのですか?」
ハロルドがよく商業科の教室に訪れるようになったのである。来るだけならまだいいものの、何かと理由をつけてダイアナと共に行動することが増えたのだ。現グロスター家当主とランカスター家の者が仲睦まじい様子を見せつけているようなものである。一大スキャンダルにもなり得る事態にダイアナは頭を痛めていた。
「いいじゃないか。僕はもう必修授業は全て取り終えているし、どう時間を使おうが僕の自由だろう」
「よくないのです。ここは学校ですが、グロスター家当主の自覚をもう少しだけお持ちください。しかも殿下はまだ正式な婚約者も発表していないのでしょう、よくない噂を引き立てる者たちがいらっしゃるかもしれません」
「おや、つまり君はその気があるってことかい?」
「ございませんわ」
ハロルドの冗談か分からない発言をばっさり切り捨てるダイアナ。だがハロルドは楽しそうに笑うだけだ。
「失礼します、またここにハロルド様が……やっぱり、いた」
ガラガラと音を立ててこめかみに皺を寄せながらゾラが教室へ入ってきた。やあゾラと手を振るハロルドにパチンとデコピンを食らわせる。
「いっっっっっっっっったぁ!!!何するんだゾラ!」
「何するんだはこっちの台詞です、ハロルド様。いい加減ダイアナ嬢の元に入り浸るのはやめてください。生徒会の業務も残っているのですから」
「え――……楽しくないから嫌だ」
不満を隠すことなく漏らすハロルドにゾラはもう一度デコピンを食らわせると、ハロルドの首根っこを持った。
「全く、学校ではグロスター家の威厳もなくなる……毎度申し訳ございません、ダイアナ嬢」
「いいえこちらこそ。お疲れ様ですわ、ゾラ様」
二人は互いに労うように頭を下げる。ゾラはそのままハロルドを引っ張っていってしまった。
「ハロルド様にゾラ様も振り回されているな……」
「大変そうだな、ゾラ様も。けど、ダイアナ嬢に対しては穏便なんだな。エインズワース家って熱心なグロスター家の支持家なのに」
「私にその気がないと分かっていらっしゃるのですよ。もし何か隠し持っていようものなら、恐ろしいですわ」
ダイアナの発言に激しく同意するように、ウォルトやカーラは首を縦に振った。そろそろ雑談の話題もなくなってきて、さあ寄宿舎へ帰ろうと席を立とうと思った時だった。
「し、失礼しますわ!あの、ランカスター・ダイアナ公爵嬢は、い、いらっしゃいますか?」
「……」
「……」
「……」
再び商業科の教室に訪れた珍しい人物に皆固まってしまった。ダイアナでさえ、数度瞬きしゆっくりと息を整えた。
ダンマルタン・ユリアが商業科の教室に、大勢の学生を引き連れてやってきたのである。
「――ええ、私ですわ。はじめまして、ダンマルタン・ユリア侯爵嬢。私はランカスター・ギルバートを祖父に持ちます、ランカスター・ダイアナと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
ダイアナは柔和な笑顔で挨拶した後、完璧に思えるほど奇麗なカーテシーを披露した。ゆっくり顔をあげるとまだ緊張しているであろうユリアに目を細める。ユリアとの間に暫く沈黙が訪れたが、今度はユリアが挨拶を返した。
「こちらこそお初にお目にかかります、ランカスター・ダイアナ公爵嬢。私は、ダンマルタン・ルルトロを父に持ちます、ダンマルタン・ユリアと申します。以後お見知りおきを、ランカスター様」
普通挨拶は即座に返すものだろ、とウォルトは内心毒づいた。だがダイアナは笑顔を崩すことなく、ユリアに椅子を進める。軍団を引き連れているユリアによくもまあ出来るものだと舌を巻いた。
「挨拶が遅れてしまったこと、申し訳ございません。入学してから慌ただしくて、中々お伺いすることができませんでしたの」
「まあ、そうでしたの。新しい生活には慣れないことも多いですものね。それで、今日はご友人と挨拶にいらしたのですか?」
ユリアの挨拶が遅れた言い訳を適度に流した後、ダイアナは彼女の後ろに控える軍団にさらりと目をやった。稲妻のような厳しい視線がダイアナに注がれる中、決して表情を崩すことなく優雅な笑みを浮かべている。肝が据わりすぎて逆にこちらが焦ってしまうような気さえしてきたウォルトやカーラだった。
「いいえ、今日はランカスター様にご相談があって参りましたの」
「私にご相談?学校のことならご友人に申してみればいかかでしょうか?私とは学科も違いますし、持つ悩みも違うと思いますわ」
「いいえ、学校のことではございません。ランカスター家の、ことについて、ですわ」
ランカスター、の名が出た瞬間、一瞬だけダイアナの瞳が細くなった。姿勢をさらにピンと正し、圧をかけるようにゆっくりと手を組みなおす。
「私に、ランカスターの相談、ですか……どうぞ、お話ください」
普通家の話はプライベートなもので、学校のような開けたところでおこなうものではない。それを何故今ここでしようとしているのだろう。ダイアナに対しての宣戦布告は見え透いているが、それ以上に何かあるのかもしれない。ダイアナは警戒心をさらに高めた。
「はい。失礼ですが、ランカスター様。ご自身の悪いお噂が最近広まっていると、ご存知ですか?」
とんでもないセンシティブな話題が飛んできて、カーラは思わず仰け反りそうになる。こんな公然とした場所で決して話題にするようなものではない。しかもその話題の渦中にいる人物に直接問いかけるようなことなぞ、言語道断。この短時間で連発するユリアの非常識な言動にカーラは眩暈がしてきた。
「まあ、存じてはおりますわ。私が貴女の婚約を気に食わないから阻止したいだの、貴女をランカスター家から追い出すために奔走しているだの……そういったくだらないものでございまして?」
噂をくだらない、とばっさり切り捨てたダイアナは真正面からユリアを鋭く見つめる。この噂を流しているのは大方ユリアだと勘づいてはいたが、ここまで直接的に来るとは思ってもみなかった。
「く、くだらなくなどございません!これはランカスター家にも関わる、重要なことだと思いますわ!だ、だって、どなたかは存じませんが、ランカスター様にこんな似つかない卑劣なことを……ひっく、私は、許せませんわ!」
「……」
いきなり会話の途中で泣き出してしまったユリアにダイアナは思わず黙ってしまった。何をしているんだ、という呆れも強いが、ユリアの涙につられて泣いている後ろのご友人たちにも驚いている。淑女科の者たちが歴史学の発表で演劇を演じるのが多い理由だな、とどこか他人事のような考えが浮かんだ。
「貴女がランカスター家に相応しくない方などと言われ、私は、悔しいのです!学校に入学されたからもずっとトップの成績を維持し続けている貴女が、ランカスター家に相応しくないはずはありません!」
「……一度流れてしまった噂を撤廃するのは難しいと思いますわ。それならば熱が冷めるまで静観する方が、懸命だと思いませんこと?」
「いいえ、今この時こそ撤廃するチャンスだと思いますの!私に、一つ策がございますわ」
「策?一体それはどういうものですの?」
「――私と、ランカスター様の、勝負をするのですわ」
は???????と声が出掛かったダイアナだが、喉の奥で引っ込めた。一体勝負して何になる、何も生むことはないし、結果次第では悪い方向に展開してしまう。冷静を装いながらも内心では軽く動揺しているダイアナに、ユリアは意気揚々と話を続けた。
「貴女がランカスター家に相応しいと言われてしまうのであれば、そうでないと証明するのが一番の解決策だと思いますの。私も、オスカー様に嫁ぐために、日々研鑽しております。私との勝負で互いによい結果を残すことができれば、噂の撤廃に繋がると思いますわ!」
「……」
表向きにはユリアはダイアナの現状を憂いて改善しようとするいい兄嫁に見える。だが、ダイアナの目にはこの勝負でダイアナの尊厳を地に落とそうと企てているように写った。潤ませて見つめてくる瞳の奥には、ギラギラと燃える自尊心が見え隠れしている。真に受けなくともダイアナには何の影響もないのだが、ユリアの後ろに控えているご友人が心底面倒くさい。断ったらどうなるか分かっているでしょうね?という重圧がひしひしと伝わってくる。もしここで断れば、最悪な方向に事が傾くかもしれない。ダイアナはユリアや周囲のご友人を眺めた後、ゆっくりと伏せていた目を開いた。
「――――いいご提案ですわね。私も名誉のためには動かないといけませんもの。そのご提案、お受けいたしますわ」
「!ありがとうございます!ランカスター様!勇気を出してきた甲斐がありましたわ!」
私が受け入れなければどうする気だったのだろうか、と思いながらユリアの握手に答えるダイアナ。後ろからどうするんだ、という困惑の視線を感じながらもダイアナは話を続けた。
「ただ勝負、と言われましても、何か策はあるおつもりですの?」
「ええ!簡単なものですが、ジュエリーの査定眼で勝負いたしませんこと?」
今度はピシリとダイアナの周囲が固まった。皆顔を見合わせて、正気か?と疑う目でユリアを見つめる。その視線にユリアは満足そうだったが、恐らく思い描いているものとは真反対とは思いもしないだろう。
「ジュエリー、ですか……それは一体どのようにおこなうのですか?」
「至極簡単です、私から二つ、ランカスター様から二つ、一品のジュエリーを持ち寄り、その場で市場価格を鑑定するのです。最後に生徒会の何方からかも一品持ち寄っていただいて、勝敗という勝負を決めましょう」
ダイアナは何とも言えない複雑な心境だった。ランカスター家の優位性を示すのであれば、結果が引き分けでも何ら問題ない。しかし最終的に第三者が持ち込んだもので勝敗を決めようとするとは――やはりこの勝負はユリアがダイアナを落とそうとしているのがひしひしと伝わってきた。
「大方それでよいとは思いますが、生徒会がこのような私事に関わると思えませんわ」
「生徒会長のグロスター・ハロルド様はとてもユーモアがあるお方ですわ。きっと余興の一つとして許してくださいます!」
「……それならよろしいですわ。日時はいかほどにいたしましょう?」
その後、ダイアナは特に牽制や皮肉を言うことなく、事務的な質問を進めた。勝負の日は一週間後に決まり、ユリアは楽しみしておりますわ!と軍団を引き連れて帰っていった。大勢の客人が帰った後、皆合わせたようにため息をついた。
「なあ、侯爵令嬢ってあんな常識知らずなのか?」
「はじめて会ったのに婚約の挨拶もしないとか、どんだけダイアナ嬢を下に見てるんだよ」
「しかもダイアナ嬢が公言していないとはいえ、ジュエリーの鑑定勝負を挑んでくるとは……」
「あのご様子だとダイアナ嬢がまるでジュエリーに見聞がないと決めつけているようでしたわ」
「で、そんな方の勝負に答えていいのか、ダイアナ嬢」
皆好き勝手感想を述べた後、一斉にダイアナの方へ顔を向ける。
ダイアナは額を暫く押さえていたが、特大のため息をついた後、仕方がないと被りを振った。
「お受けしますと答えたからには逃げるわけにはいきませんわ。この勝負の内容を聞いたハロルド公爵殿下は確実に乗るでしょうし、きっとギャラリーも多くなりますわね……」
「心配することはそれなんだな、てっきり相手方の不正を疑うものかと思ったぜ」
「どんな不正をされても、私が審美眼で劣ることはありませんわ」
きっぱりと言い切ったダイアナの目には、ランセンダルのトップとしての意地とプライドがこもっていた。
「ただ、もしも不正をされるのであれば、正直いい気分にはなりませんわね。相手方が実力勝負、と称しているのですから気にはなりますわ」
そこで、とダイアナは皆の顔を順繰りに見つめた。もうダイアナに対して疑心を持つ者はいない、それなりに信頼に値する面々だ。
「少し、手を貸していただけませんか?」
ユリアとダイアナがジュエリーの査定眼で勝負することは、瞬く間に学校中に広まった。最後の勝負の出題人になってほしい、とユリアから申請されたハロルドはこれを快諾。確実に面白いものが見れるという口コミで、勝負までの一週間はどこか皆ざわついていた。
ユリアから勝負の提案があってから一週間後。食堂には放課後とは思えないほどの人数が詰めかけていた。その中心にいるのは、ユリアとダイアナ、そしてハロルドだった。公爵家、侯爵家の面々が学校でここまで揃うことは中々ない。その物珍しさからも、ギャラリーはどんどん増えていった。
「見ろ、あれがランカスター様だ……」
「はじめて見た……」
「あのお姿、確かにオスカー様と少し似ている気がするな」
ギャラリーから聞こえるひそひそ話にダイアナは全く動じていない。姿勢よく座るダイアナにハロルドはニコニコで話しかけた。
「君の姿をはじめて見る者が多いようだ、商業科に引きこもりっぱなしの君らしい」
「公平である審判の生徒会長が私と話すのは、お控えになった方がよろしいかと」
「全く、つれないね」
ハロルドは別に不機嫌になる様子もなく、長テーブルの間に立った。両端にはダイアナとユリアが座り、辺りをギャラリーが覆いつくしている。勿論、淑女科や商業科の者たちも、前の方に集まって固唾を飲んで見守っていた。
「――両者、揃ったようだね。それでは、はじめようか」
「はい」
「はい!」
ダイアナとユリアはハロルドの方をむいて返事をした。ついにランカスター家の直接対決が始まった。
「それでは、改めてルール説明を。二人は互いにジュエリーを出し合い、その市場価値を言い当てる。そして最後に僕が持ってきたジュエリーで勝敗を決める。これで間違いないかな?」
間違いない、とダイアナは頷く。同様にユリアも大きく首を縦に振った。
「では勝負の見届け人は、グロスター・ハロルドが責任を持っておこなおう。それでは、まずどちらからいくかい?」
私から、とユリアは手をあげた。出してくれ、とハロルドの促しに答え、絹で包まれた箱をハロルドに渡した。ハロルドはダイアナの目の前に置いた。
「お開けしても、よろしくて?」
「ええ、勿論ですわ」
ユリアの許可を得て、ダイアナは木箱を開ける。中には中心にサファイアをあしらえた豪華な胸飾りが姿を現した。ダイアナは暫し無言でジュエリーを見つめた後、上蓋の裏を確認し、絹生地のタグを確認した。ジュエリーを見ずに一体何をしているのか、と周囲が騒めく。分からないから付属品で目星をつけているのだろう、という声もどこかでした。
「――――とてもお美しいビブネックレスですわね。丁寧に加工がされたサファイアカットも手入れが行き届いています。ブルメンター工房の《シチュワート・ビブ》の第三期品、今の相場では百二十万ベリー、当時の購入金額は工房直売の品ですので百万ベリー前後でしょうか。流石、素晴らしいものをお持ちですわ」
穏やかな笑顔でスラスラと解説するダイアナに、周囲がざわついた。この短時間で工房だけでなく、何期品さえも触れずに言い当てた。高レベルなダイアナの審美眼を誰も予想できていなかったのだろう。どうでしょうか?と問いかけるダイアナに、ユリアはぎゅっと拳を握った。
「正解、ですわ。よくお勉強しておりますのね、ランカスター様」
「当然、勝負ですもの。無勉強で挑むなんて失礼なことはできませんわ」
二人とも互いに人当たりのよい笑顔を浮かべているが、背後には猛獣が控えているような空気だ。次は私ですわね、とダイアナは小さな小箱をハロルドに渡した。
「どうぞ、開けてくださいまし」
ダイアナに促されて、ユリアは目の前に置かれた小箱を開ける。中には、小さなピアスが入っていた。金の金具に小振りな真珠があしらえられている。
「質問はご自由にどうぞ、何でもお答えしますわ」
優雅に微笑むダイアナはジュエリーについて何も知見がない田舎の辺境伯嬢ではない。虎を従えた圧倒的強者であることが、周囲にもひしひしと伝わってきた。
「――――真珠の、ピアス……《ルーダル・ピント》でしょうか。今の相場でしたら、二十五万ベリーほどだったと記憶しております」
「ええ、正解ですわ。真珠ジュエリーの最大手工房、ヘリアス・ピント工房の《ルーダル・ピント》の第三十二期作です。他の工房も《ルーダル・ピント》という名を使っておりますが、本家本元はこちらのものになります」
「……勝負に水を差すようで悪いが、何故他の工房も《ルーダル・ピント》の名を使っているんだい?」
「はじめて《ルーダル・ピント》が世に出たとき、その素晴らしさから粗悪品が大量に溢れたのです。ならばもう『真珠のついたピアス』を《ルーダル・ピント》と呼ぶことにしよう、と当時ヘリアス・ピント工房のオーナーであったピュルー・マイクが考案し、《ルーダル・ピント》の名を手放したのです」
まるで水のように流れてくる解説にこの場にいた者は思わず耳を傾けてしまう。下手をすれば、この中の誰よりも造詣が深いとまで思わせる。ハロルドはダイアナに礼を言い、次のジュエリーを出すようユリアに伺いを立てた。
その後、滞りなくそれぞれジュエリーの市場価格を言い当てていった。だがどちらが見聞に優れているかは一目瞭然、ユリアは顔を伏せ、ダイアナは堂々と姿勢を正して座っていた。
「それじゃあこれで最後だね。最後は僕からの出題だ。だが、最後まで市場価値を言い当てるのは面白くない。僕がグロスター家当主であることでしかできない、ちょっとした査定をしてほしい」
そういうとハロルドは後ろに控えていたゾラに目配せした。ゾラはハロルドの合図に頷くと、二つの木箱を長机の上に置いた。開けてくれたまえ、とハロルドがいうと、ゾラはそっと二つの箱を開けた。
「……これは」
「まあ……!」
箱の中身を見た二人は思わず感嘆を漏らす。周囲のギャラリーたちにも今日一番大きな戦慄が走った。
二つの箱の中に鎮座していたのは、眩いくらいに光り輝く大きなエメラルドがはめ込まれた勲章だった。貴族であれば誰でも知っている、グロスター家の家紋が彫り込まれたエメラルドの勲章――グロスター家の当主勲章が二つ並んでいた。
「これは僕の先代、グロスター・シュバルトの当主勲章と僕の当主勲章だ。僕が普段愛用している方はどちらか、その査定眼で判断してほしい」
ハロルドはまるでサーカスを見にきている子供のような笑顔で言った。
ダイアナはゆっくりと立ち上がって、二つの勲章の元へ近づく。絢爛豪華な勲章に息を飲まれそうになりながらも、目を大きく見開いて勲章を見入った。
「もしよかったら、触ってもいいよ。質問もいくらでもしていい」
ハロルドの話にぎこちなく首を縦に振って、鞄から白手袋とルーペを取り出した。髪を一括りに纏めた後、ブレザーを脱ぎシャツの袖を捲る。手持ちの消毒液を振ってから白手袋をし、ルーペが外れないようにチェーンをかけ、ゆっくりとした手つきで勲章を手に取った。まるで時間を忘れたようにじっくりと観察し、優しく台座に戻してからもう一つを観察する。一人見入ってしまったダイアナとは違い、ユリアは何度か交互に見た後、考えるように腕を組んだ。暫くして何かに気付いた顔をして大きく頷くと、棒立ちするダイアナの横を通って席に戻った。
「おや、もう分かったのかい?」
「ええ、決定的な証拠に気がつきましたわ」
「ほう、それは楽しみだ」
ハロルドはニヤリと笑って返すと、深く集中しているダイアナの方を向いた。勲章を丁寧に台座に置いた後、少しテーブルと距離を取って顎に手を置いて一人小声でブツブツと言っている。暫くそれが続いた後、燃料が切れた機械のように固まってしまった。
「…………質問を、よろしいでしょうか。ハロルド公爵殿下」
「勿論、どうぞ」
「ハロルド公爵殿下が公爵家当主勲章をお作りになったのは、いつでしょうか?」
「今から半年前かな。冬の時期だったよ」
「それでは、先代が勲章をお作りになった年はお分かりになりますか?」
「今から二十八年前の六月だ。ユリアース・ギブ工房に特注依頼をしたと聞いている」
「……不躾ながらもう一度お聞きしますわ。私が当てるのは、ハロルド公爵殿下が普段愛用している公爵家当主勲章ですわよね?」
「ああ、そうだよ」
ハロルドに質問を終えたダイアナは、再び黙り込んでしまった。だが目だけは爛々と輝き、別の生き物かのようにギョロギョロ動き回っている。瞬きを数度して深く息を吸いこんだ後、ぎゅっと瞳孔が細くなった。ずっと俯いていたダイアナは、ようやくニコリと笑い、軽やかな足取りで席に戻る。まるで難解事件を解き終わった後のような足取りで。
「――それでは、互いに結論が出たようだね。僕が普段愛用しているのはどちらなのか、僕の右手の方にあるものか、左手の方にあるものか、せーので答えてもらおう。せーの」
「「右手/左手」」
「!」
「答えが、」
「別れた……」
「だと……!?」
また周囲が騒めきに包まれる。ハロルドはほう、とワクワクするように零し、ユリアの方を向いた。
「さてそれではユリア嬢。何故右手の物だと分かった決定的な証拠を教えてもらおう」
「はい。まず、エメラルドのカット手法が左手のものよりも真新しいのです。つまり、ハロルド公爵殿下が新しく作られたものになります。そして決定的な証拠は、布地に勲章金具の跡があることですわ。直近にご使用された形跡があることから、普段ハロルド公爵殿下が愛用されているものです」
ユリアの筋の通った回答に、周囲はどよめく。だが反対に、真逆の答えを導いたダイアナに注目が集まっていた。
「なるほどなるほど……ああ、よく分かった。それでは、次にダイアナ嬢。左手の物だと判断した理由を、お聞かせ願おうか」
「――まず気になったのは手入れのされ方ですわ。ハロルド公爵殿下の右手の方にある新しい勲章よりも、左手の方にある古い勲章の方がより新しく手入れをされているのです」
ダイアナはまるで謎解きを始めた探偵のように話し始めた。
「愛用品というのは古い、新しいだけで判断できるものではございません。一番使用度が分かるのは、手入れのされ方ですわ。ただここで不思議なのは、古い方の勲章はこれまた古い方法で手入れをされている、しかも専門職人の手でされているものでもございません」
ここまで淀みなくスラスラ答えていたダイアナだが、ふっと顔を上げハロルドの方を見た。
「そこで私はハロルド公爵殿下にお聞きしました。ご自分の公爵勲章と、先代の公爵勲章をお作りされた時期を。すると、ご自分のものは曖昧だったのに対して、先代の方はスラスラとお答えになりました。しかも、もう存在しない工房の名前まで」
ダイアナの答えにハロルドの目がどんどん見開かれていく。それに答えるようにダイアナも微笑んで話を続けた。
「随分と熱心にお調べになったのでしょう。もうされていない古い工房の手入れの仕方まで――殿下の熱意は素晴らしいものですわ。ここからは私の憶測になりますが、先代が急逝されたことに何か思い入れがあるのでしょう。ご自身の勲章より、先代――御父上の勲章を当時の方法でご自身の手で手入れするまでに」
「…………」
「普段から息子殿に愛用され、大切にされているのならば、御父上も喜ばしいことでしょう。因みに新しい方の公爵勲章に跡があるのは、閉まっている箱のものですわ」
さらりとユリアの間違いを訂正して、ダイアナは締めくくった。ダイアナの話を聞き入ってしーんと静まり返った食堂。暫く静寂がこの場を包んだ後、パチパチパチパチと拍手の音が聞こえた。
「――――素晴らしい!!!大正解だ、ダイアナ嬢!!!君の審美眼は本物だ!!!」
ハロルドが満面の笑みで拍手をし、ダイアナを正面からべた褒めしている。それに続いてギャラリーも拍手を始め、いつの間にか食堂は大喝采に包まれた。
「お褒めいただいて、光栄ですわ。私も喜ばしい限りです」
ダイアナは大喝采に浮かれることなく、ハロルドに向かってカーテシーを披露した。その気取らない所作にまた喝采が起こる。ダイアナはハロルドと握手を交わした後、ガックリと項垂れているユリアの元へ向かった。
「このような名誉挽回の場を設けてくださり、ありがとうございますわユリア嬢。ユリア嬢のお出しされた品々も素晴らしいものでしたわ」
「…………なんで、どう、して?ずっと田舎で暮らしていたランカスターの除け者に、私が、負けるの?」
ダイアナにしか聞こえない声でユリアはブツブツと呟く。やっぱりそういう魂胆だったか、とダイアナは残念そうにため息をついた。
「……ランカスターの除け者、ですか。随分なことをおっしゃいますのね。こんな目に合うのは、ユリア嬢が私に鑑定勝負をしかけるからですわよ」
「…………一週間で身につく知識と眼じゃない。一体、どんな手を」
「私は《オード・ジュエリー・ランセンダル》の総合運営役を勤めています。まさかランカスター家に嫁ぐのに、ご存知なかったのですか?」
何故こんな者に言わなければならないのか、と言いたげな冷たい視線がユリアを突き刺す。項垂れたままのユリアは、譫言のようにオード・ジュエリー・ランセンダル、と復唱した。
「そんなの、勝てるわけないじゃない……!」
「……それは貴女の実力次第ですわ。実力が届かないからと、私の噂を流したり、不正を訴えたり……小賢しく鬱陶しいことをしてくださいましたね」
聞いたことのないダイアナの低い声がユリアの耳に木霊する。怒っているのは間違いない、不機嫌を全面に押し出したような声だ。
「しかも、今日まで不正をしようとは、とんでもない魂胆ですわね。対策をしてよかったですわ」
「!それまで分かってて……!」
「一度疑われたのなら信用はしませんわ。まあ、最初からないものでしたけれど」
ダイアナはゆっくりユリアの後ろに回り、肩に手を置いた。それだけなのに、この場にある空気圧全てに圧迫されている気分になる。ダイアナの醸し出している空気が、とうとう牙を剥いたのだ。
「これ以上ご自身の信頼を失いたくなければ、下らない真似はお控えくださいまし。《オード・ジュエリー・ランセンダル》はいつでも、ダンマルタン家をリストから外してもよいのですよ?」
「っ!」
ダイアナは釘を刺すと、それでは、とユリアの元を離れた。ユリアは楽しそうに話すハロルドの元に向かっていくダイアナを生気のない目で見つめていた。
「ああ、そういえば……我が兄、オスカーとの婚約、おめでとうございます。テトリーの辺境伯を継ぐ私には何の関係もございませんが、どうかお幸せに」
最後の最後にユリアに爆弾を落とすと、ダイアナはハロルドたちの円へ吸い込まれていった。
「ああ、ダイアナ嬢。ユリア嬢と一体何を話していたんだい?」
「互いの健闘をたたえていましたの。ユリア嬢もいい品々をお持ちいただきましたから」
「君が言うと皮肉にしか聞こえないな。本当に君の審美眼には惚れ惚れしたよ。近々、《オード・ジュエリー・ランセンダル》に依頼を申し込んでもいいかな?」
「ええ、勿論です。最高のおもてなしを、お約束いたしますわ」
多くの人間から信頼を得たダイアナは、今日一番の笑顔で微笑んだ。
ユリア嬢とダイアナの勝負からまた暫くの時が経った。相変わらずダイアナは、商業科の教室棟に籠りっぱなしの学校生活を送っていた。だが悪い噂は流れることはなくなり、ユリアはすっかり身を潜めてしまった。ダイアナが《オード・ジュエリー・ランセンダル》のトップと知れ渡ったのが一番の理由だろう。心身ともに安定した学校生活を過ごすことができ、ダイアナは満足だった。いつものように授業を終え、カーラと寄宿舎に向かっている時に事は起きた。
目の前から記憶の彼方に見覚えのある男性が、ユリアと一緒に歩いてくる。ダイアナは思わず足を止め、目の前を凝視した。
「ダイアナ嬢?」
急に固まってしまったダイアナにカーラは不思議そうに問いかける。ダイアナの顔は信じられないくらい青ざめていた。まるでトラウマでも蘇ったかのように。
「…………テトリーに追いやって以来だな」
「…………お久しぶりです、オスカーお兄様」
ダイアナの実兄であり、ユリアの婚約者、ランカスター・オスカーがダイアナの元へわざわざ訪れてきたのだ。今の今まで全くと言っていいほど接点がなかったオスカーが一体何の用で自らわざわざ学校に来たのだろう。オスカーの腕をぎゅっと掴んで目を潤ませているユリアを見れば、一発なのだが。
「何か言うことはないのか」
「ございません。明日の準備がございますので、では」
「先日我が婚約者を大勢の前で辱めたと聞いているのだが」
兄妹とは思えない冷たい会話が続く。ダイアナはずっとオスカーの方を見ずに、地面のタイルを見つめていた。
「……先日、宝石鑑定の勝負をユリア嬢から挑まれました。それに全力で応じたまでのことです」
「あろうことか、ダンマルタン家に《オード・ジュエリー・ランセンダル》の出禁を叩きつけたとも」
「そんなことは申しておりません!」
ダイアナは思わず声を荒げた。が、直後ハッとし、怯えるように顔を青くしていく。オスカーはギロリとダイアナを睨むと、一歩ダイアナに近づいた。
「……兄にいつそんな口を利いていいと教えた?」
「申し訳ございません。ですが、」
「お前の言った言っていないはどうでもいい。我が婚約者が泣きながらおれのところへ来たのだ。その責任はお前だと言う」
地面に伏して詫びろ、とオスカーは何の躊躇もなく言い放った。ダイアナの言い分を聞く耳もないオスカーは冷たい視線をダイアナに送り続けた。オスカーの横に立つユリアは怯えてオスカーの腕に身を寄せているが、口元はニタニタと笑っている。そう、ダイアナがランカスター家でどのような扱いをしているのか、この女は知っているのだ。
「早くしないか、時間がないんだ」
「…………」
「大声で言わないと分からないのか!」
「――――失礼、オスカー公爵殿」
オスカーが声をいっとう荒げた瞬間だった。ハロルドがオスカーとダイアナの間に割って入った。チラリとハロルドが来た方向を見ると、カーラが息を切らしている。彼女がハロルドを呼んできてくれたのだ。
「一体貴方がこの王都学校に何の用ですか。用件があるなら、職員会を通してお越しください」
「これは、グロスター公爵殿。少しだけ家族の用件で来たのだ。悪いが席を外してくれるか」
「いえ、できません。先日の鑑定勝負なら責任者は私です。説明がご所望ならば、私が対等な立場からいたしましょう」
ダイアナが怯えていたオスカー相手にハロルドは言い切った。冷たい視線がオスカーとハロルドの間で交差する。暫し睨み合いが続いた後、オスカーは目線を逸らせてユリアに問いかけた。
「彼が本当に見届け人か?」
「はい、間違いございません」
「……そうか。ならば日を改めるとしよう。失礼したな」
行くぞユリア、とオスカーはユリアを引き連れてその場を去ってしまった。二人の後ろ姿が見えなくなると、ハロルドは特大の息を吐いた。
「あれだからランカスター家の者は苦手なんだ。君もかなり苦労しているんだな」
「……ええ。カーラ嬢、ハロルド公爵殿下をお呼びしていただき、ありがとうございましたわ」
「いいえ!それよりも、大丈夫ですかダイアナ嬢」
カーラが心配そうに顔を覗き込んでくる。いつもなら大丈夫ですわ、と気丈に振る舞うのだが、今のダイアナにそんな余裕はなかった。
「申し訳ございませんが、今は……少し休んでから寄宿舎に戻ります。カーラ嬢は先に戻っててくださいまし」
「ですが……!」
「それなら心配いらないよ、カーラ嬢。僕がダイアナ嬢を寄宿舎の門まで送り届けるさ」
それならば、とカーラは頷いて、寄宿舎に戻っていった。カーラが去った後、ハロルドはダイアナの手を引き、近くのベンチに座らせてくれた。
「…………君はずっと、ランカスター家ではああいう扱いなのかい?」
暫し沈黙があった後、ハロルドはダイアナに聞いた。ダイアナは下を向いてばかりで、答えようとはしない。鑑定勝負の時とはまるで別人のようだ。
「ずっと、というかテトリーに行くまではそうでしたわ。あの頃と、何も変わっておりません」
ダイアナの言い分を聞き入れてくれる気は一切ない、彼女が悪いと誰かが言えばダイアナが悪役になる、どれだけ努力しても認められることはない。幼い頃のトラウマがそのまま現れ、ダイアナは少し震えていた。折角テトリーで人の温かさを取り戻せたのに、なかったかのように引き戻される。ぎゅっとスカートを握る手にハロルドの手が添えられた。
「あまり握ると、自分の手を痛めてしまうよ」
「申し訳ござ」
「謝らなくていい、怖かったんだろう?よく耐えたね」
こういうときに限ってハロルドの声色は優しい。それが何だか切なくて、胸が締め付けられそうだ。
「ありがとうございます、ハロルド公爵殿下。少し落ち着きましたわ」
「そうか。なら、よかった」
ハロルドはヘラリと笑うと、ダイアナの手から手を引いてくれた。その優しさにも、ダイアナは救われているのだ。
「――――ところで、これは一公爵家としてだが。ランカスター家の君への対応は度が過ぎておかしい。普通他家の婚約者より、自分の家の令嬢を大事にするだろう」
「普通、はですね」
「まあ普通はそうだな。これは君の将来の話になるが、そんな君がテトリーの辺境伯になろうなら、険しい道が待っているだろう」
「それは、承知の上ですわ。テトリーには私を育ててもらった恩があります。それを無碍にするなど、私にはできません。ランカスター家と戦うことも、覚悟しております」
「でもそれは、ランカスター家だったら、だろう?」
今度は真剣な顔になってハロルドが聞いてくる。思わずダイアナは顔を上げ、マジマジとハロルドを見つめた。見たことないほどハロルドは真剣で、いつもの柔和な雰囲気は消えている。
「ランカスター家でなければ、もっといい道があるはずだ。君ほどの実力があればすぐ認められるだろうし、上手く立ち回れる。少なくとも僕はその方がいいと思える」
「何を、おっしゃいたいのですの?」
「――――グロスター家に来ないか、僕の婚約者として」
「!!!」
ハロルドの直球な提案に、ダイアナは固まってしまった。確かに心のどこかで考えたことはあった。テトリー辺境伯になれば、他の四公爵の元へ付いた方が遥かに楽かもしれないと。あのランカスターから離れた方がいいかもしれないと。でも、だが――
「それは、お受けできないご提案ですわ」
「!何故」
「それは私も《ランカスター》だからでしてよ。尊敬するお爺様もランカスター、そのテトリーもランカスターの辺境地。どうしようもないと自分でもわかっているのですけれど、どんな苦しい道だとしても、私は、ランカスター家の繁栄を望んでいるのですわ……!」
ほぼ泣きそうになりながら、ダイアナは答えた。ダイアナの奥底にある《ランカスター家》というラディアナ四公爵の大きく深い根っこ。ここだけはなにがあっても変えられない、変えることができないのだ。ハロルドは暫し黙っていたが、そうか、とポツリと零した。四公爵であるハロルドにも通ずるところがあったのだろう。ハハハハハ、と淑やかに笑った後、スッキリとした顔でダイアナの方へ向き合った。
「君の想いは本物だと分かったよ。今日の話は、互いになかったことにしよう」
ね?とダイアナに笑いかけるハロルドは誰よりも優しい顔をしていた。
カーラの約束通り、ダイアナを寄宿舎の門まで送っていくと、ハロルドは一人校舎に引き返す。暫く歩いていると、後ろからふと声をかけられた。
「見事に振られてしまいましたね、ハロルド様」
「……なんだ、見てたのかゾラ」
柱にもたれかかっていたゾラはハロルドの隣を歩き始める。長年兄弟のように付き添った者に、あの告白を見られていたと思うと中々気まずい。
「ありゃあ、生まれ持ってのランカスター家の者だ。僕には変えられないさ」
「それにしては随分と惚れ込んでいましたね」
「五月蠅いぞ。あーあ、少しでも涙を見せてくれればまだあったのか……」
「それでも、彼女は断ると思いますよ」
グロスター家の主従、ハロルドとゾラは夕焼けに照らされた道を歩く。その影法師が、いつもよりも少し伸びていた。
