【OP夢】泡沫人【シャンクス】

 そして迎えた発表日――張りつめた緊張感が各面々に走っていた。教室に放たれる空気も異様なものである。ウォルトやカーラが発表原稿を確認していると、席の後ろにゆらりとした影が伸びてきた。
「随分必死に読み込んでいるんだな、準備不足か?ウォルト」
「……そういうお前さんらは余裕そうだな、アップルヤード様」
 ウォルトの領地の取りまとめの辺境伯、アップルヤード・パスカルである。その周囲に彼と同じグロスター家派の辺境伯の者たちもニタリニタリ笑っている。注がれて気分のいい視線ではない。これ以上は無視しようか、とウォルトは顔を背けた。
「おや、将来の上司にむかってしていい態度か?この後の発表会でどうなっても知らんぞ?」
「…………出来が悪いからちょっとでもよくしたいんだ。頼むから集中させてくれ」
「おーおー、よく分かってるじゃあないか。あまりの自分の作ったもの悪さに、まさかとは思うが……ランカスター様に手をお貸ししてもらってなぞいないだろうな?」
 肩を組んで罵ってきたパスカルにウォルトは微動だにしない。下手に嘘を話せば、後から追及されてたまったものではない。無言を通すのが一番の策だ。
「……私が、どうかいたしまして?アップルヤード辺境伯殿」
 凛とした声がさらに後ろから響いた。要を済ませてきたダイアナが、冷たい視線でパスカルたちを見下ろしていた。パスカルはその圧に屈することなく、ニコリと笑ったまま、ダイアナの方へ向いた。
「これはこれは、ランカスター様。いいえ、何も。私は自分の部下になるであろう彼を心配していたのです。何しろ、この課題では商業科の者たちは、酷い結果を残すもので……」
 ランカスター様はそんなことはございませんでしょうが!とパスカルたちはゲラゲラ笑う。ダイアナは相変わらず冷たい目線を緩めることはなかった。
「……貴方方がどういうおつもりでここにいらっしゃるかは存じませんが、よい成績を取るために励んでいる者に話しかけるというものは、随分と学徒の本質から遠ざかっている気がしますわ。私も準備がございますので、通していただけませんこと?」
 ――邪魔するだけにきた野郎共は帰れ――
 目線で語るダイアナにパスカルはスッと目を細めた。舐めまわすようにダイアナを観察した後、素直にダイアナの前から身を引いた。
「それでは、僕らも本分に戻るとしましょう。発表を楽しみにしていますね、ランカスター様」
 パスカルたちが去った後、不機嫌を隠す様子もなく、ダイアナはウォルトの隣に座った。そこにそっとウォルトが耳打ちする。
「助かったぜ、ありがとうな」
「……別に助けることはしておりませんの。少し目障りだっただけですわ」
「あ、おれたちは誰もダイアナ嬢のことをチクったりはしてません。この後は……少し騒がしくなるでしょう」
「それは承知の上ですわ。まずは、発表に集中しましょう」
 ダイアナの言葉にウォルトたちは首を縦に振る。波乱が約束されている発表会が今に始まろうとしていた。

「素晴らしい演出でした、ありがとうございます。――それでは、商業科のA班、前へどうぞ」
 司会に促され、ウォルトたちは壇上に立った。纏わりついてくる視線が気色悪いと思いながらも、引くことはできない。用意した資料を配布し終わると、ダイアナがちょいちょいと手招きし、全員を集合させた。
「――緊張していますわね、実は私もですわ。でも、私たちが調べたものに、何も紛い物はありません。そこだけは、自信を持っていきましょう」
 珍しいダイアナの励ましに、ウォルトは少し目を見開いた。カーラは安堵し深呼吸を繰り返し、オルフは資料を確認し、ロルダンは手をこすっていた。
 ウォルトに拡声器のついた電伝虫が渡され、いよいよ発表が始まる。派手な舞台照明も、衣装も台詞もない。手元にあるのは打ち込んだ資料のみ。震える声を腹の底に抑え込んで、ウォルトは火蓋を切った。
「商業科のA班の発表を、始めます。今回の発表テーマは、《第百二十期における各領の鉄鉱石の交易について》、です」

「――以上で、商業科のA班の発表を終わります。ご清聴、ありがとうございました」
 他の科の者であれば起こるはずの拍手はなく、代わりに静寂が訪れた。想定されていたことだったが、実際に対面してみると心臓を掴まれた気分になる。だがここでこの空気に負けては駄目だ。
「なにか、質問がある方はいらっしゃいますか?」
 震えが伝わりそうなロルダンの声が大教室に響く。また暫く静寂が訪れたが、震えながら手が上がった。授業が始まる前、ウォルトたちの元にいたパスカルである。悪い予感が盛大にしながらも、当てないわけにはいかない。緊張が伝わりそうな声で、ロルダンはパスカルの名を呼んだ。
「――まずは、こんな稚拙な歴史交易学をテーマに選び、あろうことか調査研究に手を出すとは……フフッ、商業科の者たちは、己の値すらも値踏み間違えているらしい。こんなデータ誰にでも手に入れることができるのに、まるで世紀の大発見かのように喋る喋る!実にその在り方が出ていると思いませんか、皆様!」
 パスカルのウォルトたちを卑下する演説に、周囲が耐えられなかったのか一斉に吹き出した。そこから乾いた笑いが伝播していき、教室全体がくすくすした空気に変わる。
 やはり駄目だったか――ウォルトはグッと唇を噛んで下を向いた。あのランカスター様が提案し、やりがいがあるから取り組んだ。知見が広がったし、長としての自覚も再認識した。だが認められない、笑い者にされる、無駄だった。他の者たちも下を向いてしまっている。悔しさと諦めで、何も反論する気にもならない。
 そんな時だった。
「……質問に答えさせていただきますわ、アップルヤード辺境伯殿」
 壇上の中心で真っ青になっているロルダンから拡声器付き電伝虫を引っ手繰ったダイアナが、教室を静寂にさせるくらいの声で言い放った。下を向ていたウォルトやカーラは凛とした声につられて前を向く。そこには堂々と姿勢を正して真っ直ぐ立つダイアナがいた。
「稚拙な歴史交易学、とおっしゃいましたが、私にはその意味がさっぱり分かりませんわ。歴史交易学にしろ、歴事演劇学にしろ、どのような学問も平等に、並列に、優劣のつけようがない。最初の歴史学の授業でそう教わったものをもうお忘れになったのですか?」
 ダイアナの返答に教室の空気が一気に冷え固まる。ニタニタした笑顔で大演説していたパスカルの顔も凍ったように固まった。
「続いて私たちの発表内容を、誰でも手に入るものだとおっしゃいましたわね。では何故誰でも簡単に手に入る資料が国家文書である『交易帳簿』に記載がないのです?」
「…………」
「一応訂正しておきますが、在るだけで纏められていないものは無数に存在します。調査研究とはそのようなものを纏め上げ、成果として納めるものです。私たちは今回、歴史学の中で普段主に扱っているものを主題としただけですわ。それを他の分野と比較し貶すとは……あまりにも稚拙が過ぎませんこと?アップルヤード辺境伯殿?」
 大勢の前で己の無知っぷりを逆に指摘されて、パスカルは真っ赤に震えていた。かと言って鬼のように厳しい目をしているダイアナに反論することもできない。パスカルが何も言わずに席に座った。それを見届けたダイアナはようやくパスカルから視線を外し、大教室全体をぐるりと見渡した。
「私たちが調べた資料に何の紛い物はございませんし、出典も責任を持ってお出しすることができます。それだけは疑わないでくださいまし。そして、先程のような稚拙な質問は、一切返答しませんこと、ご了承下さいませ。他にご質問はございますか?」
 ダイアナの返答によって凍りついた大教室だったが、逆にウォルトたちは自信を取り戻した。先程までの怯えていた顔をしまい、ダイアナの横に堂々と姿勢を正して立つ。ダイアナはウォルトの様子を見てフッと微笑みを浮かべた後、手を上げている教授を指名した。
「先程のファーニヴァル製糸工場の交易内容だが、この資料によると新設化ということになっているが……」
「ご質問ありがとうございますわ、ベルベット教授。私がその資料を解釈したところ……」
 その後は特に生徒からの質問はなく、教授陣からの深堀りになった。調子を取り戻したかのように皆次々と質問に答えた。

 全ての班が発表を終え、教授からの全体講評の時間になった。この時間で、今回の課題の評価が発表される。波乱に満ちた発表会だったので、どう転ぶかは誰にも分からない。壇上に登った教授を、皆固唾を飲んで見つめていた。
「皆さん、長期間に渡っての準備、お疲れ様でした。今回は例年とは違い、バリエーション豊かなテーマが揃いました。各班の講評にうつる前に、一つ」
 全体講評のベルベット教授は、大きく咳払いをしてから話を始めた。
「えー、どの学問でもそうですが、講評の比較対象はその学問分野でどれぐらいの出来であるか、です。決して他の人間と比べて評価するなどと思い違いしないでください。それを理解していないような方がいらっしゃったかもしれないので警告です」
 それではまず騎士科のA班から、とベルベット教授は緩やかに講評を始めた。パスカルと共に笑っていた者はいたたまれないくらいしょげて顔を上げずにいる。ウォルトは思わず口角が上がりそうになるのを、必死で押さえてこんだ。
「それでは、商業科のA班。発表テーマは《第百二十期における各領の鉄鉱石の交易について》という歴史交易学のものでしたね。非常に丁寧に調査し、隙の無い考察がされていたと思います。そして何より、テーマの着眼点が素晴らしい。商業科らしい歴史学の捉え方で感心しました。評価はSです、とても有意義な発表、ありがとうございました」
 評価S――最高評価が出た瞬間、騒めきが起こった。だがベルベット教授は我関せず、といった様子で講評を続けている。
「なあ、聞いたか」
「ああ、間違いじゃないよな?」
「私たちが、評価Sを、歴史学で……!」
 ウォルトやロルダン、オルフ、カーラはほころびそうな頬を抑えきれず、互いに顔を見合わせた。ダイアナはどんな顔をしているのか、とカーラはチラリと隣を見る。ダイアナは特に普段と変わりない様子だったが、キラキラ笑顔のカーラを見て、フッと笑みを零した。
「堂々としていましょう。それだけの評価を得ることができたのですから」
「……はい!」
 
「本当に、僕らが歴史学でSを取ったなんて信じられない!」
「あぁ、しかもあのアップルヤード様、厳注意されたらしい。本当、正面から潰せていい気分だ!」
「それはどうかと思いますが……まあ、スッキリはしました!」
 授業が終わった後も熱は冷めることなく、ウォルトたちは準備室で話していた。他の商業科の面々もいい結果を残せたらしく、皆笑顔で準備室に皆笑顔で報告に訪れてくる。
「いやあ、しっかし思ったが……ダイアナ嬢は本当に王都政治をする気がないんだな!」
「え?」
 急に話題が飛んできたダイアナは、読みかけていた本から目を離し、話題の中心であったウォルトたちに目を向けた。
「ロルダンから電伝虫を引っ手繰ったとき、いやあビックリしたぜ!」
「普通公爵家のお偉い様は自分の手柄や身内を守るのですが、真っ先に引っ手繰って反論するんですから……辺境伯としては完璧ですが、公爵家としては失格ですね」
「……前に私の保障は私の行動自身で示すと申しましたが、そう受け取ってくれたのなら幸いですわ」
 ダイアナはくすりと微笑んで、また本に目線を戻した。そんなダイアナを見てウォルトたちはひそりと声を潜める。以前のような悪意を感じるものではなく、子供が内緒話をしているような感じだ。
「やっぱダイアナ嬢って……ダンマルタン様を追い出そうとしているように見えないよな」
「ええ、あんなに資料提供に熱を入れて、さらには私たちの原稿添削までしてくださっていました。そんな方がダンマルタン様の排除を狙おうと、動けるはずがないですわ」
「確かにそんな時間があると思えないな。そんな暇あるならテトリーに電伝虫しているだろう」
 穏やかに本を読み進めるダイアナを見て、ウォルトたちは互いに頷いた。もう相互監視はやめだ。自分たちを遠回しでも助けてくれ、商人としても信用度が高い。今後ダイアナの身に何かあれば、決して敵に回ることはしない――そう商業科の面々たちに深く刻み込んだ一日だった。

「だからランカスター様が、私を蔑むためにわざと商業科の者たちに必勝法を吹き込んだのです!あろうことか、教授の協力を得てまでして!」
 商業科の生徒が軒並み歴史学の授業でいい評価をもらった翌日。ユリアは生徒会室に駆け込み、生徒会のメンバーの前で必死に訴えていた。ユリアよりダイアナが優秀で目立ってはならない。ましてや、ユリアがダイアナより劣っていたと広めるわけにはいかないのだ。
「へえ、ランカスター辺境伯嬢がそのようなことを……一体どうやって?」
「それは、商業科の者たちがきっと証言してくださいますわ!だから調査をしてくださいまし、グロスター・ハロルド生徒会長様!」
 グロスター・ハロルド、とユリアに呼ばれた少年はふむ、と顎に手をのせた。暫し考えているようで、そこにユリアは畳みかけるように言葉を続けた。
「このような私事を、生徒会に頼むのは、無礼であると重々承知しておりますわ。ですがこの一件が火種となり、学校を混乱へ巻き込んでいくことを避けたいのです!そのためには、どのような生徒であれ並立・平等に扱う生徒会の力が必要なのですわ!」
「……成程、君の言うことは一理ある。大きな火種となりうるなら考えておこう」
 今日は下がってくれ、とハロルドはユリアを引かせた。天使のような笑みで生徒会室を去るユリアにハロルドは穏やかな笑顔を見せる。生徒会室のドアが閉まり切った瞬間、ハロルドはスンと真顔になった。
「あの火種をむかえいれるのですか、ハロルド様」
「おやなんてこと言うんだい、ゾラ。彼女は不安因子を知らせてくれた模範生徒だよ?」
 どこがですか、とエインズワース・ゾラはため息をつく。ハロルドの右腕であり、生徒会副会長だ。
「寧ろ火を焚きつけているのは彼女じゃあないですか。己の私利私欲のため、生徒会を使い更なる混乱を招こうとする……彼女こそ学校の癌ですよ」
「随分と酷いいいようだなゾラ。まあ、ユリア嬢の言い分はそうだろうが、それより僕はこっちの方が気になる」
 こっち、とハロルドは生徒名簿に書かれたダイアナを指差した。話題にあがっていたランカスター辺境伯嬢に興味津々なハロルドに、またゾラはため息をつく。この人の知的好奇心は何者にも抑えられないのだ。
「七歳からテトリーにうつり、今の今まで全く社交界に顔を出さなかったランカスターのお嬢様……気になる、気になるなぁ」
「まさか、ユリア嬢の要請を飲むおつもりで?」
 まあ任せてくれたまえ、とハロルドは王子のように笑うのだった。

 実験棟での授業を終え商業科の教室へ戻ってくると、普段より一段と騒がしくなっていた。酷く焦ったような様子が教室を包み込み、どことなくせわしない。何事だろうか、とダイアナは思いながら教室のドアを開けた。
「やあ待っていたよ、ランカスター辺境伯嬢」
「…………は?」
 ダイアナは思わず小さな小さな声で疑問を口にした。商業科の教室で、ニコニコ笑顔でダイアナをむかえたのは、二年生にして生徒会長であり四公爵の一家である、グロスター・ハロルドだった。しかも彼は次期当主ではない、早くに先代を亡くし、学校生活を送りながら実務をおこなっている、現グロスター家当主なのだ。そんな実質国のトップであるハロルドが、商業科の教室にいるのである。そりゃあ騒がしくなるもの仕方がない。
「お初にお目にかかりますわ、グロスター・ハロルド公爵殿下。私はランカスター・ギルバートを祖父に持ちます、ランカスター・ダイアナと申します」
 少し動揺はしたものの、染みついた造作でハロルドに挨拶する。ハロルドはうんうんと頷いた後、自分と面向かって座るように手振りした。指示されるがままにダイアナは座り、ちらりとウォルトの方に目線を送る。グロスター家派の末端である彼も何も事情は聞かされていないようで、ブンブン首を横に振った。
「授業後突然押しかけてしまってすまないね。ランカスター辺境伯嬢、この後少し時間をもらっていいかな?ウォルトや歴史学の授業で一緒だった班のメンバーも」
「え、おれもですか?」
「私は構いませんが、一体どのようなご用件でしょうか?」
 用があるのがダイアナだけでないことに、各面々に緊張が走る。この時ばかりはダイアナの額に汗が走るのが見えた。
「そうだね、先に用件を伝えてしまおう。簡潔に言えば、ランカスター辺境伯嬢。貴方が歴史学の発表でおこなった不正疑惑についてだ」
「「「「「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」
「……まずは、疑惑について、お聞きしてよろしいでしょうか」
 皆に動揺が走りながらも、ダイアナは震えそうな声でハロルドに聞いた。

「先日、ダンマルタン侯爵嬢から貴女に関する調査依頼があった。ベルベット教授から歴史学の授業の発表の必勝法を聞き出して、商業科の者たちに教え込んだ――そのような不正があったと聞いている。ランカスター辺境伯嬢、この行為に身に覚えはあるか?」
「……いいえ、ございません。私がベルベット教授とお話したのは授業後だけの数分ですわ。その他、ベルベット教授と個人的にお話したことはございません」
「なるほど。そのアリバイの裏付けは?」
「それこそベルベット教授にお聞きするのが一番早いと思いますわ」
 ハロルドはうんうんと頷きながら、手元にメモを取っていく。書いた内容を確かめるように黙り込んでしまい、重い空気が部屋を充満させた。
「じゃあ次に、ウォルトやロルダン達に聞こう。ランカスター辺境伯嬢に必勝法を教えられたことは?」
「ない、です。彼女が教えてくれたのは、調査研究の進め方と、テーマの探し方、発表資料や原稿の手直しです」
「僕も同じです、必勝法を教えられたことはありません」
 そしてこれは個人的なことですが、とロルダンは断ってから言葉を続けた。
「ダイアナ嬢が絶対評価Sを取ることができる方法を知っていたのならば、我々は準備期間にここまで必死になっていなかったと思います。わざわざこんな遠回りな方法を取りませんし、彼女も必死に資料をかき集める理由がないのです」
「………………」
 ロルダンの返答にハロルドは凍ってしまう雪だるまのように動かなくなってしまった。皆どうする、と目線で語りながらもどうすることもできない。十分も一時間も経ったであろうと思わせる長い沈黙の時間が続いた。
「ああ、そういうことか……ははあ……うん。ランカスター辺境伯嬢、ウォルト、ロルダン、オルフ、カーラ嬢。貴重な時間を使わせてしまってすまないね。特にランカスター辺境伯嬢、貴女に吹っ掛けられた罪はないものと僕は判断した。あとはベルベット教授に裏取りをして、今回の件は処理しよう」
 ハロルドの判断に一同ホッと胸を撫でおろした。ダイアナは勿論、不正や成績をいいようにする取り引きはおこなっていない。また困ったものを吹っ掛けられたものだ、とダイアナはため息をついた。
「いやあ、ウチのパスカルを言い負かしたと聞いた時からそんなことはないだろうと思っていたけどね。一応確認のためにきたんだ、不安にさせてすまなかったね」
「それはこちらもですわ。アップルヤード辺境伯殿には、少し大人げないことをいたしましたわ」
「ああいや、こちらこそだ。パスカルにはいずれお灸を据えなければと思っていたところでね。あの公開説教は随分と効いたようだ」
 有難いと褒めるハロルドに、ダイアナは変な気分になる。説教をしたつもりはないし、勝手にあっちがへこんでいるだけだ。
「さて、ダンマルタン侯爵嬢からの調査依頼は以上なんだが……もう少しだけ付き合ってくれるか、ランカスター辺境伯嬢」
「これまた、どういうご用件で?」
「うーん、端的に言えば貴女についてだ」
 ハロルドは先程より姿勢を崩して座りなおした。ここからは依頼がある調査ではなく、本当に私事の用件なのだろう。そうであるならば、とダイアナも少し肩の力を抜いた。
「こちらが記録をみた限りでは、七歳で療病のためにテトリーに移住。そこからは王都の社交界に今の今まで顔を出していない、摩訶不思議なランカスター家のお嬢様。気にならないわけがないだろう?」
「…………お答えできるものはお答えしますわ」
「それでいい。じゃあまずは、なぜお茶会にも一切顔を出さなかったのかい?」
「まずテトリーの辺境伯嬢に王都のお茶会の招待状をお出ししますか?」
「まあ、普通はそうだろうな。だが君は良くも悪くもランカスター家だ。無視できる存在ではないだろう」
「……そこまで私は存じ上げません」
 はじめてダイアナは返答に行き詰った。テトリーの後継者になろうと決心したのは自分の意志だ。だが、ランカスター家から王都への招集やお茶会やパーティーへの参加の招待状がきたことはない。もしきていても行く気はなかったが、それ以上にランカスター家はダイアナの存在を隠したかったのだろう。
 他人事のように脳内で考察するダイアナの横顔を見つめながら、ハロルドは再度口を開いた。
「まあこのことはどうでもいい。それよりも気になるのが、何故今貴女は《オード・ジュエリー・ランセンダル総合運営役》という肩書きを使わないんだ?」
「オード・ジュエリー・ランセンダルの!?!?!?!?」
「総合運営役ぅ!?!?!?!?」
 今までの陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすような大声がウォルトやカーラの口から上がった。あまりの大声量に思わずダイアナは耳を塞ぐ。他の者も口をあんぐりと大きく開けて、ダイアナの方を凝視した。
「そんなに驚くことですか?」
「そんなに驚くことですよ!!!なんで今の今までおっしゃらなかったのですか!?!?」
 カーラは特に慌てふためいた様子で、ダイアナの手首をぐわんぐわん揺すった。
 《オード・ジュエリー・ランセンダル》といえば、まず貴族は知らないことはない、超有名総合ジュエリー店である。宝石の購入・加工から装飾のデザイン、その品質、高級感溢れるブランディング力によって、ラディアナでは絶大な信頼を築き上げている一大店なのだ。そのトップがダイアナであるとなれば、皆が驚くのも無理がないのである。
「《オード・ジュエリー・ランセンダル》に勝てる者なんてこの学校にはいませんよ!その名さえ出せばダンマルタン様もダイアナ嬢をこんな風には絶対扱わないのに、どうしてですか!」
「それは、今ここに通っているため、ランセンダルはお休みをいただいておりますの。それに」
「それに?」
「私がランセンダルの代表を名乗るならば、テトリー辺境伯を正式に継いでからですわ。私にとっては、その方が優先事項なのです」
 そう真摯に答えるダイアナは、ハロルドの目にとても好ましく写った。決して己を大きく見せることはなく、厳格にて、真を通すダイアナ。やはり彼女もランカスター家の者である。
「充分、貴女について知ることができたよ、ダイアナ嬢。また機会があれば、ランセンダルの話をもっと聞きたいものだ」
「ご依頼に関してはいつでもお受けしますわ。ランセンダルの名にかけて、最高の品をお約束いたしましょう」
 そして同時に腕のいい商売人である、と営業スマイルを浮かべるダイアナを見て、ハロルドは胸に刻んだのであった。

「なんで、どうしてよ!!!」
 ユリアがダイアナの不正疑惑について生徒会に申し入れをした数日後。淡泊な手紙がユリアの元に届いた。内容としては、ダイアナは一切の不正をおこなっていなかったという調査結果。こんなことになるはずはなかったのに、とユリアは歯ぎしりした。
「パスカルから商業科の奴らに相互監視させているって聞いたのに……なんで私の機嫌を取らないの!なんであの女の味方になってるのよ!」
 むしゃくしゃしてきたユリアは枕を殴り、八つ当たりしていた。ユリアの描くシナリオでは、噂に流されてダイアナは孤立し、噂の撤回に必死に翻弄するはずであった。だがダイアナはあらそうですか、と全く噂に振り回されることなく、悠々自適に学校生活を送っている。それがユリアが気に食わない一番の要因になっていた。
「こうなったら私が、私があの女より優れていると、直接証明するしかない……でもあの女は……」
 ブツブツ、ブツブツと肝が据わった目で独り言を繰り返し、突然フッと顔をあげた。
「私の方がランカスターに相応しいのよ!あの女にランカスターを名乗らせてたまるものか……!」
 いい策が浮かんだユリアは口角が頂点に達しそうな勢いでフフフフ、と笑っていた。
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