【OP夢】泡沫人【シャンクス】
「あー……あの野郎、クソが」
ラディアナの王都にある呉服屋の主、クレイグは誰一人としていない店内でそうぼやいた。クレイグの店が閑古鳥が鳴いている理由、それは先日おこなわれた王都主催の講評会にあった。年に一度おこなわれる呉服の一大イベントである講評会で、クレイグのデザインしたドレスが酷評されたのだ。クレイグには自信があった。今までのお客様のどんな要望にも寄り添って信頼を得たつもりだったし、常連様たちも出品するデザイン案を褒めてくれていた。ところが、講評会当日、審査員は愚か、いつもの常連様たちもクレイグのドレスを評価してくれなかった。審査員長のあの小娘に忖度したのか、それとも内心で見下していたのか。ともかく、講評会の結果が広がってしまった結果、クレイグの店には誰一人としてお客が来なくなってしまったのだ。
「ランカスター公爵家の婚約者だからってみんな忖度しやがって……そんな大事かよ面子が」
あのにっくき審査員長の小娘の顔を思い浮かべながら天井を睨みつけていると、カランとドアの開く音が聞こえた。作業デスクから入口を見ると、品の良さそうな少女が一人で来ていた。栗色の毛を携えた空の色の目をした少女は、所作の美しさから明らかに貴族であることは確かだった。
「ごめんくださいまし?もしかしてお留守ですの?」
「…………いや、いるよ。らっしゃい」
真面目に接客する気も失せたクレイグは大して身なりも整えないまま、久しぶりの来客の元へ向かった。見たことがない顔だが、どことなく育ちの良さが伺える。講評会で野次られた店に何のようだ、とクレイグは思いながら口を開いた。
「それで、ウチに何の用で?」
「あら、呉服屋ですので仕立てをお願いしにきましたの」
「……そうかい。型紙はあるか?」
「ええ、こちらですわ」
少女はどうぞ、と型紙をクレイグに渡す。型紙指定の仕立てならどこでもいいと踏んだのか、そんなことを思いながらクレイグは図面に目を落とした。その図面を眺めている内にみるみるうちにクレイグの背中には嫌な汗が伝ってきた。呉服屋を営む者なら知らない訳がない図面だったのだ。
「……なァ、お嬢さん。悪いが店を間違えてないか?」
「?何故ですの?」
「いや、これ……王都学校の制服の図面じゃないかよ!」
王都学校――国中貴族の少年少女が集まる、未来の国を担う三年制の養成学校。様々な思惑が闊歩する第二の政治場だと揶揄する者も少なくはない。そんな学校の制服など、お抱えで一番腕のいい縫合師に任せるのが普通だ。どうあがいても講評会でボロボロにされた奴に頼む仕事ではない。クレイグが場違いだとプライドが若干傷つきながら助言すると、少女は可笑しそうにコロコロ笑った。
「私、講評会にはいませんでしたが、出品されたドレスは全て拝見しましたの。あなたの縫合、組み合わせが一番いいと思いましたわ」
「そりゃあ、有難い。が、なんでおれにこれを?」
「もう一つお願いがあって来ましたの」
そういうと少女は大きなブローチをクレイグの前に出した。大きなルビーが中央に添えられたブローチに、思わずクレイグはため息が出る。ここまで美しい装飾をされた丁寧なものは久しぶりに見た。
「このブローチに合うドレスを一から作っていただきたいのです」
「!お、おれがか?」
「ええ、あなたの腕を見込んでお願いしたいのです。講評会の結果は、浮かばないものでしたでしょう。ですが、私はあなたの腕が一番だと思いましたの。だからこそ、制服もあなた――クレイグ様にお願いしたいのです」
「おれが、一番……」
クレイグの独り言に少女は大きく頷いた。
「私の管理している店に、宝飾店がありますの。その工房でこちらのルビーは作られたものですわ。もしあなたの腕が私を満足させてくれますのなら……ほかの宝石やアクセサリーを取り入れたデザインのお洋服もご依頼したいのです」
勿論、依頼料は弾みますわよ、と少女はニッコリ微笑んだ。どんどん大きくなる話にクレイグは圧倒されながらも聞き入ってしまった。講評会にはおらず、自身の目で腕を買って依頼をしてきた少女。その青い目は本気を語っていて、クレイグは久しぶりに職人気質の商売人を見つけた。
「…………分かった、お嬢さん。アンタの提案に乗ろう。最高の品を届けると約束しよう」
「!ありがとうございますわ!」
満面の笑みで喜ぶ少女を目の前にして、クレイグは最高の品を納めようと心に決めた。常連にも見捨てられたことだし、少女の紹介してくれた仕事で新天地を目指してもいい。クレイグの心は前向きになっていた。少女はさらさらと慣れた手つきで注文書を書き、よろしくお願いしますわ、と一言言って店を後にした。久しぶりにいい客に巡り合えてホクホクのクレイグはそういえば少女の名前を聞きそびれたなと思い、注文書を確認した。
サイン欄には達筆な細いペン字で、《ランカスター・ダイアナ》――
「ランカスター……ランカスター!?!?!?」
静かな店にクレイグの悲鳴じみた声が木霊したのだった。
ガラゴロと見事な馬車や小綺麗な婦人たちが石畳を歩く美しい街、ラディアナの王都、スーニュエ。スーニュエの住民が気兼ねなく扱えるカフェのテラス席で、二人の老人がアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「お主がスーニュエに顔を出すのは久しいな、ギルバート」
「そうじゃな、いつぶりじゃろうか……お主も年老いたの、スクワート」
スクワート、と呼ばれた男は眉を下げて苦笑した。穏やかそうに見えるが四公爵家の一家、アテンプター家の当主であった男だ。ランカスター家当主であった頃のギルバートと同時期に当主であり、最早ギルバートと戦友のような仲である。
「年を取ったのはお主も同じじゃあないか。この頃は杖なしでは歩くことすら億劫だ」
「同じ時を過ごしておるからな、年齢を重ねるのは必然よ」
親しい友人のような穏やかな会話がカフェテラスで繰り広げられる。会話の内容だけ見れば、老人たちのたわいのない話風景にしか写らないだろう。
「……してギルバートよ。私をこうして呼び出したのは何故か?まさか思い出話をするためだけに来たのではあるまいな?」
笑顔を浮かべているスクワートだが、眼光は厳しく鋭い。アテンプター家の当主を退いたものの、その厳しさは健在のようだ。
「流石、いとも簡単に見抜くなお主は。こちらが頼み事をしたいときはいつも気まずい」
ギルバートは懐かしそうに目を細めた。そして分厚い唇を重たげに開く。
「今年度から儂の孫、ダイアナが王立学校へ入学するのじゃ」
「ああ、主席合格者だったから名前は目についた。それで、孫が気掛かりか?」
「それもあるが……お主にはダイアナを対等に見てやってほしいのじゃ。他の子らとも同様に、じゃ」
「……それは、王都学校の理事長に己の孫を贔屓しろ、と?」
「相変わらず意地悪な言い方じゃのう。噂を鵜呑みにせず、そのままのダイアナを見てほしいだけじゃ」
口は達者に回りつつも、目線でも牽制しあう二人。周囲の空気はカチリと固まり、ボディーガードたちでさえも息がつまりそうだ。
「アテンプター家は並立した安寧を好む。そこに利益不利益があろうとも、安寧ならばその目は真を見るだろう」
スクワートの結論らしき返答に、ギルバートはそれでよい、と微笑んだ。張りつめられた空気が少し緩んだことで、ボディーガードたちもようやく細く息を吐くことができた。
「ギルバート様、お嬢様がいらっしゃいました」
ギルバートの左隣に立っていた男が報告する。ここへ通しなさい、とギルバートは命じた。
「失礼いたしますわ、お爺様、アテンプター・スクワート様」
栗色の髪を編み込みにした可憐な少女が二人のいるテーブルへやってきた。一ミリもズレがないカーテシーを披露すると、ギルバートから座りなさい、と指示が出た。
「紹介しよう。ダイアナ、こちらがスクワート。儂の当主時代のアテンプター家当主であり、今は王都学校の理事長じゃ」
「お初にお目にかかります、アテンプター・スクワート様。ランカスター・ギルバートの孫、ランカスター・ダイアナですわ」
「して、スクワート。これが儂の倅、いずれテトリーの領主になる、ランカスター・ダイアナじゃ」
「こちらこそはじめまして、ダイアナ嬢。ギルバートから話は聞いている。しかも王都学校の入学試験は主席だったぞ、とてもいい教育を受けていたのだな」
有難いお言葉ですわ、とダイアナはスクワートに深々と頭を下げる。礼儀を重んじるランカスターらしい子だ、というのがスクワートの第一印象であった。
「それでダイアナよ。おつかいは完了したのか?」
「ええ、勿論です。第三通りに店を構えるクレイグに依頼しました。腕は相当いいものだったので、宝石商の洋服の仮依頼を出しておきましたわ」
デザイン原案はこれですの、とダイアナは資料をギルバートに見せてプレゼンを始める。その様子を眺めていたスクワートはクックックッ、と肩を揺らし笑った。
「何がおかしいのじゃ、スクワート」
「いやあすまない。ダイアナ嬢は間違いなくギルバートの孫だな、と」
ランカスター当家ではこんな風にはなるまい、とさも楽しそうにスクワートは一人笑う。一通り笑い終わってからスクワートは席を立った。
「では私はこれで。ダイアナ嬢、貴女のご入学を心待ちにしておりますよ」
そう言い残してスクワートは去っていった。その後ろ姿をダイアナは不思議そうに、ギルバートは不服そうに見つめていた。
「……あまり掴みどころが分からない方でしたわね」
「あやつは昔からああいう奴じゃ。さてダイアナ、続きを聞かせてくれ」
ギルバートに促され、ダイアナは話を再開させる。二人の話し合いはギルバートが満足するまで伝えられた。
「本当によろしいのですの?ターニャを連れていって」
王立学校の寄宿舎に行く前日、ダイアナは不安という気持ちを隠さずギルバートに聞いた。王立学校に通う王都以外に住む者は、皆寄宿舎に在住することになる。そうなれば気軽にテトリーには帰れない。不安が募るダイアナを余所にギルバートは笑う。
「大丈夫じゃよ、ダイアナ。いくら己の力で挑む学校とはいえ、使用人を誰一人として連れていかんのは大変じゃろう」
「ですが」
「いいんですよ、お嬢様」
反論しようとしたところにターニャが口を割って入る。空になったダイアナのカップに紅茶を注ぎながらターニャは続けた。
「王立学校はこれまで以上に周りの目が厳しいと聞いています。もしお嬢様が一人でいらっしゃったのなら、テトリーの評判にも関わりますし、よくない噂も立つでしょう」
「……」
ターニャの正論にダイアナは口を噤むことしか出来なかった。目の前のギルバートもそうだそうだ、と首を縦に振る。
「それに、危なっかしいお嬢様を叱るのは私の役目ですし、お嬢様の味方も私です。敵地、一人挑むのは寂しいでしょうから」
「……分かりましたわ」
ターニャに根負けしてダイアナは渋々納得した。そんな二人の様子をうんうんと頷き見守るギルバート。二人の顔を見てダイアナは敵わないな、とどこか嬉しそうに微笑んだ。
「でも、もし何かありましたら、電伝虫ですぐご連絡くださいまし!最近はお体もよろしくないのですよ?」
「ああ、勿論じゃ。お前も気を付けるのじゃぞ、ダイアナ」
ギルバートの言葉に深く頷き、ダイアナは部屋を後にした。そこへ一仕事終えたルベルが顔を出す。ちょうどいい、とギルバートは口を開いた。
「ルベル、ターニャ」
「はい、なんでしょう」
「どうしましたか」
「…………頼みがある」
桜の蕾が一気に開く季節、王立学校の入学日を迎えた。正門の真ん中を通り、堂々と歩く一人の少女に皆目を奪われる。長い漆黒の髪を揺らす、可愛らしい無垢の少女――ダンマルタン侯爵家の長女ユリアだ。そしてランカスター家次期主、オスカーの許嫁でもある。
「見ろよ、ユリア嬢だ」
「やはりランカスター家の許嫁にふさわしい佇まいだな」
「今日の入学式のスピーチも彼女でしょうね」
「でも私は心配ですわ……件のランカスター家の令嬢もいらっしゃっているのでしょう?」
「ああ、あのユリア嬢をランカスター家から追い出そうとしている噂の」
「誰とも口を聞いたことのない、冷徹な人らしい」
「そんな人がユリア嬢を貶め入れようと……」
耳に入る噂話にユリアは満足していた。この度時を同じくして王立学校に入学してくる、義妹になるであろうランカスター・ダイアナ――彼女がランカスター家の癌であることは、ずっとオスカーやヘルマンから聞かされていた。彼女の参入を許してはならない、対立する派閥を作らせてはならない。それがこの学校で過ごす上、ユリアが自分で課した課題だった。そのためにも、ユリアは入学前からありもしないダイアナの噂を広めてまわっていたのである。その噂が滞りなく広がっているので、ユリアは満足していた。
カツカツとヒールの音を立てて入学式会場までの石畳の道を歩いていると、顔馴染みの令嬢が声をかけてきた。
「おはようございますわ、ユリア嬢」
「おはようございますわ、いい天気ですわね」
「ええ、それよりも大丈夫ですかユリア嬢。今日は……あのお方もいらっしゃっているみたいなので」
ひそりと令嬢は声を潜める。ユリアも同じように声を潜めながら、大丈夫ですわ、とニッコリ笑った。
「何をお考えになっているかは分かりませんが、私もいつまでも怯えている場合ではありませんわ。ランカスター家に嫁ぐ者として、彼女とは親交を深めておかなければなりませんもの」
「ユリア嬢……!」
ユリアの言葉に令嬢は感動するが、ダイアナと仲良くする気は一切ない。それどころかどう貶めようかと頭の中で画策していた。
入学式会場のホールに全員が集合し、粛々とした式が始まった。アテンプター家前当主の理事長の話から始まり、各名家からの祝辞、関係する他国からの祝い物など、厳格な雰囲気の中式は続いていく。
「続いて入学試験主席合格者より、入学生代表の挨拶をしていただきます。それでは、商業科ランカスター・ダイアナ嬢、前へ」
「――――はい」
「「「「「!?!?!?!?!?!?」」」」」
厳かだった会場があっという間に騒めきに包まれる。皆隣と顔を見合わせてコソコソ話し、壇上に上がるダイアナを信じられないという目で凝視した。
「あのランカスター家の令嬢が主席合格だと……!?」
「しかも商業科って、どういうことだ?」
「ユリア嬢じゃなくて?なんであの引きこもり令嬢が?」
「まさか不正でもしたのか?」
騒めく会場でユリアは一人下を向いていた。手をぎゅっと握りしめて、辱しめられたようにプルプルと震えている。
「(なんで、なんでアイツなのよ!折角この間アテンプター家に忖度してやったのに……!)」
何があってもダイアナに入学生代表のスピーチをさせてはいけない、そう決め込んでいたユリアは自分が代表者になるようにあらゆる方面に仕掛けておいたのだ。勿論、王立学校の理事長を務めるアテンプター家にも忘れずに。壇上の理事長はそんなユリアを嘲笑うように片頬を上げている。騒めきが収まらないホールに、ごほん、と小さくも響く咳払いが聞こえた。
「――――雪解けが終わり、暖かな春の兆しが高まってきた季節にございます。本年度歴史あるラディアナ王立学校に入学をいたしました……」
咳払い一つで会場をまた静寂に包んだダイアナは何事もなかったようにスピーチを始めた。当たり障りのない丁寧なスピーチだが、発言しているのがダイアナだという理由で、一段と厳しい視線が壇上に注がれる。だが、ダイアナはその視線に屈することなかった。
「それではこれで、入学生代表の言葉とさせていただきます。王立学校、百二十八期入学生、及びテトリー辺境伯ランカスター・ギルバートの孫、ランカスター・ダイアナ」
当たり前のように締めくくったダイアナに、またホールは騒めき立つ。貴族の挨拶というのはいずれ継ぐ当主を先に名乗るのが普通であるのに、 ダイアナは敢えて父親を名乗らず祖父を名乗った。これは”ダイアナがテトリー辺境伯を継ぐ”という一種の宣戦布告のようなもの。壇上に注がれる疑念の視線にダイアナは姿勢を正して一礼し、自分の席へ戻っていった。
こうして、波乱に満ちた入学式は幕を閉じたのである。
新しく触れ合う人種とはまた一段と違ったものである。入学式でほぼ宣戦布告のようなスピーチをしたダイアナに、まだ誰一人とも話しかけるものはいなかった。授業を受けるのも、移動するのも、寄宿舎で過ごすときも、彼女に声をかける者は誰もいない。ただ遠巻きにじっと視線を注いで、ヒソヒソと話すだけであった。
「(まあ分かってはいたことですが、随分と陰湿なものですわね)」
物事を言うときは正面から堂々と、気に入らなければ罵倒と暴力を。そんなテトリーで育ったダイアナはこんな手法に対抗する方法が分からない。気にせず学校生活をあと三年過ごすのも無理がある。もういい加減うざったらしくなってきたダイアナは、はぁとため息をついた。
「……聞きたいことがありましたら、直接お答えしますわよ。いい加減、遠巻きにずっと見られるのにはうんざりしますわ」
周囲を見渡して言い放つと、少しざわついていた教室がしーんと静まり返る。目線を動かしても逸らされるばかりで、彼女に突っかかってくる者はいない。やはり無駄だったか、とダイアナは少し落胆していた。
「じゃあ聞くが、天下の四大公爵家様がなんで商業科にいるんだよ」
静寂に包まれた空気を切り裂いたのは、一人の男子学生だった。オレンジ色の髪に目付きが鋭い口の利き方がなってない幼さが残る者。周囲が焦って止めようとしても、いいんだろ?と臆することなくダイアナに近づいてくる。
「なんで田舎の子爵や男爵が来る商業科に、四大公爵家のアンタがいるんだ。正直、やりずらくて仕方がないんだぜ」
「お、おい!そこまで言う必要ないだろ!」
「撤回しろ!も、申し訳ございません、ランカスター様……コイツが無礼な真似を」
ガタイのいい青年を周りが抑え込もうと必死になっている。だがダイアナはあろうことか微笑んでいた。
「いえ、無礼なぞございませんわ。ここは学校――今だけは同じ学科のご学友ですもの。それで、何故私が商業科に、ということでしたわね、ゼペツタル・ウォルト殿」
「……なんでおれのこと知ってんだよ。ああ、そういうことだ。説明してもらおうか」
名前を呼ばれた青年――ウォルトは若干引いた様子を見せたが、すぐに威勢を取り戻す。そんな彼にダイアナはとめどなく言葉を続けた。
「簡単に言えば、淑女科で私が学ぶことは何もございませんからです。そもそも王都政治、公爵政治に私は興味がございませんし、王都のランカスター家に戻る気はありませんわ。それよりかは、今後領主になるテトリーのため、領運営の勉学をした方が身のためになると思いましたからです」
ダイアナの返答にまた教室がざわつく。これがうざったらしくて仕方がないダイアナは、他にご質問は?と周囲に投げかけた。
「じ、じゃああのダンマルタン様をランカスター家から追い出そうという噂は?」
「生憎ダンマルタン様に直接お会いしたことはありませんし、お話ししたこともございません。そんな面倒なこと、考えるだけ無駄ですわ」
関係ない、と断言するダイアナに、また皆騒めく。ダイアナを怪しむ者、考え込む者、関係ないと去っていく者、皆反応は三者三様であった。
「ダンマルタン様のことを信じるか、私の話に耳を傾けるかは、皆様のご自由にしてくださいまし。私の保障は、私の行動自身で示しますわ。監視するなり、お家に報告するなりは、好きにしてくださいまし」
己の行動に怪しいところはない、と宣言したダイアナは、もう話すことはないと教室を去った。誰から見られても、恥じることのない行動はしてきたつもりだが、もっと気を引き締めないと――そう心に再度決めたダイアナだった。
ようやく学科の学友たちと言葉を交わしたダイアナだが、劇的に評判が変化したわけではなかった。相変わらず厳しい視線は注がれるし、口を利かない者の方が殆どだ。だが――
「あ、あのランカスター様……!」
「どうしましたの、ファーニヴァル・カーラ嬢」
ランチの時間に勇気を振り絞って話しかけてきたであろう、金髪をおさげにした丸眼鏡の令嬢がいた。ダイアナが名前を呼ぶと、光栄だとばかりにカーラは顔を輝かせた。
「!やはり、覚えていらっしゃったのですか!あ、あの先日はウチの製糸場をご贔屓にして頂きありがとうございます!」
先日の、製糸場……頭の中の記憶帳には、しっかりとカーラのことが書かれていた。確か北の方の町で製糸場を営むファーニヴァル男爵家、取引をした記憶もバッチリある。ダイアナはええ、その時はどうも、と笑顔で返した。
「商業科は殿方ばかりなので緊張していましたが、テトリーのランカスター様がまさかいらっしゃるとは!王都学校でランカスター様とご一緒の教室で学べるなんて、とても光栄です!中々お声がけできず、申し訳ございませんでした」
「いえ、いいのですわ。私にとっていい噂はございませんでしたし、こうしてお話してよろしいのですか?」
「ええ、大丈夫です!昨日のランカスター様のお言葉で私は確信しました。ランカスター様はあのような噂をされるお方ではないと!」
「それは、私を買い被りすぎではなくて?もしかしたら私が嘘をついていることもあり得ますわよ」
そんなことはない、とカーラは首を横に振る。ダイアナの目の前に座ると、熱烈な目でダイアナを見つめた。
「ランカスター様に限ってあんな姑息な真似をされるとは思えませんもの!私がテトリーで拝見したランカスター様と全くお変わりないことに気づかされまししたわ」
姑息な真似、というか何か行動を起こした記憶はダイアナにはない。少しずつ違う認識をすり合わせなければ、とダイアナは思い切って聞いてみることにした。
「あの、カーラ嬢。私は皆様方とあまりお話ができておらず、私自身の噂が分かりませんの。よろしければ教えてくださいますか?」
ダイアナのお願いにカーラは少し戸惑いを見せたものの、分かりました、と首を縦に振った。
「私が最初にランカスター様の噂をお聞きしたのが、寄宿舎に着いた翌日のことでしたわ。ファーニヴァルの工場地の辺境伯であるトレーシー・ダニエル様からお呼び出しされたのです」
「トレーシー・ダニエル様――騎士科の殿方で、マンチェスター家派のお家でしたわね」
その通りです、とカーラは首を大きく縦に振った。ラディアナの貴族は、大体四公爵のどこかの派閥に属している。ダイアナの家であるランカスター家派、マンチェスター家派、グロスター家派、アテンプター家派。四公爵でも派閥があり、ランカスター・マンチェスターとグロスター・アテンプターに大きく分かれている。この派閥争いが色々な揉め事の元凶になっているのだ。
「お呼び出しされたのは、私含め田舎のマンチェスター家派の者たちでした。そこであのダンマルタン様がいらっしゃって、ランカスター様のお話をされたのです」
「……私があの方をランカスター家から追い出そうとしている、というお話ですわね」
「はい。とても起伏の激しいお話でした。私は判断ができずにいましたが、他の方はすぐに納得されたようでしたわ」
「つまりは寄宿舎に着いてから私の噂を聞かされた、と」
「その通りですわ。そして昨晩、新しい報告がされたのです」
「どのような報告でして?決して気は悪くしないのでおっしゃってくださいまし」
「え、ええ……それは昨日の夕方、ランカスター様がダンマルタン様の教科書を水で台無しにしたというものでして……」
「………………」
あまりの稚拙な行為にダイアナは呆れて黙ってしまった。カーラも同じことを考えたらしく、ダイアナの顔色を見て首を縦に振った。
「商業科のランカスター様がそのような真似をするはずはありませんし、大体昨日の夕方は商業科は皆図書館で課題に取り組んでいましたから……」
そんなはずない、とカーラは判断したらしい。勿論、ダイアナはそんなことをした覚えはない。ダイアナはダンマルタン侯爵令嬢が何をしたいのか、だんだん見えてきた気がした。
「教えてくださりありがとうございますわ。よろしければ今後も教えていただいてもよろしくて?」
「は、はい勿論です!」
それよりもランカスター様!とカーラは明るい顔をふわっと浮かべた。
「ランカスター様のテトリーでの素晴らしい手腕は、私の農場・工場地でもよく伺いますの!その立ち振る舞い、お言葉遣い、確実な手腕!この学校にいる間、お近くで学ばせていただけますでしょうか!!!」
カーラの熱烈なお願いに若干背を逸らしたものの、ダイアナはカーラを一気に好ましく思った。噂の真偽の判断を己の納得するまでおこない、貪欲に学びにいこうとする姿勢。方向性はダイアナと同じであった。
「ええ勿論構いませんわ。私から学べるもの、全て糧にしてくださいまし」
ありがとうございます!とカーラは満面の笑みで頭を下げた。周囲から畏怖の目で見つめられていることはもう彼女の頭の中にないのだろう。気にしていないのか、ただ単に目の前のことに夢中で忘れているだけか。それでも嬉しそうに笑うカーラにもう迷いの色はなかった。
「学ぶことはいいのですけれど、一つお願いを聞いていただけますか?」
「はい、ランカスター様!」
「その、ランカスター様と私を呼称するのは、少し控えていただきたいのです。この学校では家柄は関係なく、皆様と同じ学徒なのですから」
少し目を伏せがちにお願いするダイアナに、カーラの姉心が酷く刺激された。どんなに完璧な良家のお嬢様だとしても、中身は自分と同じ十六歳の少女なのだ。
「分かりましたわ!それでは、ダイアナ嬢、とお呼びしてよろしいのでしょうか?」
「ええ、そう呼んでくださいまし」
周囲からは異端の目で見られている二人だが、穏やかな空気が漂い、ダイアナにとっても、カーラにとっても、心地いい空気が流れていた。
ようやく貴族社会の友人ができたダイアナは、以前よりよく笑うようになった。カーラの真摯な態度や学ぶ姿勢はこちらとしても見習うことが多いし、何より互いの領地や経営する施設のことについて意見交換できるのが楽しい。同じくらいの同じことをしている人間と、話すのがここまで楽しいとは――ダイアナはもっと早く交流を深めなかったことに少し後悔した。
「――一なるほど、昨年の寒気における出費が予算を大幅に超えたので、その対策として税率を」
「あー……熱心に話しているところ悪いが、少しいいか?」
昼休みにカーラと話していると、同じ商業科のウォルト達から声をかけられた。この間の、ダイアナが商業科の教室で皆に問いかけたときぶりである。ウォルトとよく共につるんでいる男爵家のイランソ・ロルダンとこれまた男爵家のルンダール・オルフも一緒である。
「あの、何要ですか?」
「次の歴史学、次から例の課題だからさぁ……一緒に組まないか?」
同じ商業科の好みでさ、と突っかかってきたときの威勢はなく低姿勢で頼んでくる。カーラは例の課題で納得したようだが、ダイアナは何のことだかとクエスチョンマークを浮かべていた。
「あのよかったら、あー……ランカスター、様も協力していただけたらなーっと考えているんですけれど……」
「協力するのはよろしいのですけれど、例の課題って一体なんですの?」
疑問を素直にぶつけたダイアナにウォルトやロルダン、オルフは顔を見合わせた。カーラは三人に厳しい一瞥を向けた後、ダイアナに説明を始めた。
「例の課題、というのは私たち商業科にとっての難関課題で、毎年入学生を悩ませているものなんです。私も上級生の方からお聞きしただけなので、実態はよく知らないのですが……」
「商業科にとっての難関課題?歴史学は騎士科も淑女科も共に受ける授業ですので課題は同じはずですわよ?」
「いやそうなんだが、なんていうか……」
「……言ってしまえば、騎士科や淑女科が優位で、商業科が不利なものなんです」
「それはどういうものでして?」
「え――っと、それは……」
言いどよむウォルトたちにダイアナは少しむすりとした。公爵家のダイアナに言いにくいのか、目が泳いでいる。そんなこと気にしないとこの間言ったはずなのに、その威勢も消えてしまっているのも不可解だった。
「この間も申しましたが、私に遠慮しなくてもいいのですわよ。それともどこかの名ばかりの辺境伯に咎められましたか?」
「っ!ランカスター様、それは……」
ウォルト達は図星だったらしく、口を噤んでしまった。大方ダンマルタン侯爵令嬢の勢力に口出しされたのであろうとダイアナは推測した。何故だかは知らないが、ダンマルタン侯爵令嬢は確実にダイアナを孤独にさせたがる。揉め事にもならない些細なことでも、ダイアナを絡ませたくないらしい。こうしてほぼほぼ関係のない田舎の子爵家や男爵家に口を出すほどだ。恐らくそんな警告をガン無視しているのがカーラなのだろうが。
「ここで話を曖昧にして、成績が不可になる方が嫌ではなくて?もし私と話したら何かしらの罰則があるのでしたら、私が代わりにお受けしますわ」
「ア、アンタ何を言い出すんだ!それこそアンタになんも関係ないだろうが!」
「ええそうですわ。ですが私が代わりに罰則を、と馬鹿真面目になさる方もいらっしゃらないでしょう」
ダイアナの正面からの正論に誰も反論できずにいた。だがウォルト達は目を泳がせて言いよどむばかり。どうしたものかとダイアナが思っていると、何かに気が付いたカーラが提案をしてきた。
「よろしければ、場所を移しませんか?」
カーラの提案に乗って移動した場所は、商業科の建物の奥にある準備室だった。普段使われていないようで、床は若干埃を被っている。
「こんなところで一体何を」
「さて、ここなら誰の目もありません!竜頭蛇尾、全てお話していただけますか?」
誰の目も届かない――つまりは誰かに見られてしまっては困る、ということだ。カーラの言葉でハッと気がついたダイアナは、後ろのウォルト達の方に振り返った。ウォルト達も気を張っていたのか、やれやれというように肩を揉んでいた。
「ま、そういうことだ、ランカスター様。つまりおれたち、商業科の殆どの奴らは自分ちのお上たちの命令で相互監視されている」
「!」
「例えばランカスター様に課題協力してもらったら、例の課題で激しく質問攻めにされるとか、色々です。基本は学校の中で完結することばかりで本家に影響が出そうなことはありませんが……」
「じ、じゃあなんでそんなことを?」
さあ?とウォルトは心底面倒くさそうに吐き捨てた。もうダイアナやカーラに包み隠す様子はない。
「恐らくは、僕らのお上のもっと上……それこそダンマルタン様のご機嫌取りではないかと思っています」
「あら、それはどうしてですの、イランソ・ロルダン殿?」
ダイアナから直接質問されウッと言葉を詰まらせたロルダンだが、すぐに持ち直して話を続けた。
「そ、それでないとランカスター様にここまで介入するわけがないからです。噂ではランカスター様がダンマルタン様の婚約を快く思っておられず、ダンマルタン様はランカスター様が直接危害を加えてこないか神経質になっているとか」
「なるほど、そんなことですか」
普段関わりの殆どのない商業科の者たちまで動員して、ダイアナが人と交流しようとするのを防いでいる。実に馬鹿らしく思えて、ダイアナはため息をついた。
「ため息をつきたいのはこっちだ。ただでさえあっちに有利な歴史学の課題で縛ってくるとか……そこまでしたいかよ」
「!そうでしたわ、あの例の課題って一体なんですの?」
本題から大きく逸れてしまったが、本題はそれだった。もう監視の目もないしいいか、とウォルトが口を開く。
「《特定の年代で各家に纏わる歴史的事実を踏まえて、演劇、詩、楽器、調査研究などを発表せよ》……演劇、歌あたりは小さいころから王都にいるあいつらが有利。田舎者の商業科はみんなの前で恥かいて道化師になるんだ」
「その課題でも首を握られていると……カーラ嬢にお声がけしたのは分かりますが、何故私にも?相互監視するくらいに目をつけられているのに?」
「そりゃあ、ランカスター様なら多少演劇とか分かるんじゃないですかなーっと思って。コッソリやるし、それ以上に見返りがあるからな」
お上との関係性も大事だが、それ以上に自分の成績が大事であるウォルトに同意するように、ロルダンとオルフも頷いた。成績を気にするのは学生であれば当たり前のこと。特に王都政治と程遠い田舎の子爵家や男爵家にとってはそうであろう。
「……ようやく事情が見えてきましたわ。それで協力ですが、手をお貸ししましょう」
やった!とウォルト達は少年らしい顔を見せる。ただし、とダイアナはニッコリ微笑んで付け加えた。
「演劇、歌、楽器は私も全くですわ。ですので、調査研究であれば手をお貸ししましょう」
「ち、調査研究って!そんな大きなことを僕たち学生が……」
オルフは見るからに狼狽えたが、逆にダイアナは自信に満ちあふれていた。
「あらできますわよ。上手くやれば騎士科の方たちよりいい評価を得られるかもしれませんわ」
ウォルトたちは何を言ってんだか、という風に顔を見合わせた。カーラもよく分からないようで、首を捻っている。
また授業後にここに集合しましょう、とダイアナは一旦この場をお開きにした。
「にしても調査研究するって一体ランカスター様は何を考えているのか……」
「ランカスター様に演劇指導してもらえば、ちょっとはマシになる、お前の目論見は外れたな、ウォルト」
「うっせえよ!ま、まあどうするかはこの後次第だ」
先に準備室に到着したウォルトたちは、ダイアナのことについて話していた。元々お上――辺境伯の息子に釘を刺されていたウォルトたちだが、正直もうどうでもいい気持ちの方が勝っており、お上に対しての不満もじりじり溜まっていた。
「ランカスター様の発案を聞いて、いけそうならやる。そうでなければ報告だ。ま、いつもと変わんないさ」
「ええ、それで構いませんわ」
いつの間にか準備室に現れたダイアナは、ウォルトの独り言ににこやかに返した。いないものだと思って呟いていたウォルトは子猫のように跳びあがった。その様子にくすくす笑いながらも、ダイアナはカーラと一緒に持ってきた本を並べていく。なんだなんだとロルダンとオルフは机に広げられた本を覗き込んだ。
「『ラディアナ国交易史』、『第百期交易帳簿』……なんでこんな資料を?」
「勿論、調査研究のためですわ」
「……まさかこれを全部読めってことか?」
そんなことはございませんわ、と緩やかにダイアナは言う。ダイアナが一体何をしたいのか未だ見えていないウォルトは、何する気だとダイアナに問いかけた。
「まず調査研究とは、未だ不明なことを調べ、研究し、発表すること。まずはその不明なことを探すことにしましょう。持ってきたのはそのための資料ですわ」
「でもだからって膨大な資料の中から不明なことを探すのは、無理がないでしょうか?」
「ええ、なので私たちの分野に絞りましょう。例えば、この中で鉄鉱石の取引をしたことある方は?」
ダイアナの質問に全員がすっと手を挙げた。子爵家や男爵家は、カーラのように皆何らかの農場や工場、或いは領地を保有しており、幼いころから仕事を教えられるのが殆どだ。つまりこの中で自分の家が保有する事業に対して無知な者はいないのだ。
「取引というかそれがウチの主戦力です。ラディアナの鉱山家といえばウチ――ルンダール家です」
「では、この交易帳簿でどれくらい鉄鉱石について記してあるか見てみましょうか」
とこんな風に、とダイアナは一区切りを入れた。
「私たちが普段やっていることに歴史を紐づければ、そんな難しいことはございませんわ。そして、国の『交易帳簿』というのは、細やかな部分――家同士のものなどは大抵乗ってはいませんわ」
「本当だ……ウチにある帳簿の方が詳しく……あ」
帳簿を確認していたオルフは何かに気付いたようで、バッと顔をあげた。
「つまりは、家にあってここに載ってないものを調べるだけで、調査研究になるってことですか!?」
「その通りですわ、オルフ殿。それだけでも十分なものですが、さらに年代や私たちの農場、工場、領地まで絞って考察することができれば……彼らの演劇に匹敵するものができると私は考えておりますの」
確かに、とオルフは喉を唸らせた。ダイアナの言うことであれば自分たちでも充分できる。さらにはうざったらしいお上に反撃できるかもしれない。オルフの目は輝いた。
「……いいですね、ランカスター様。テトリーの交易記録は?」
「ええ、造作もなく準備できますわ」
「おれのとこにはレンガ工場がある。ルンダール家の鉱山から仕入れて作ってんだ、資料は大量にあるぜ」
「わ、私も十年前に工場を新設するため、ルンダール家様と大きな取引をしましたわ!」
方向性が決まりそうなのと、皆が熱意に溢れてきたのを見て、ダイアナは満足した。うんうんと大きく頷いたダイアナは、もう一つ提案をすることにした。
「さて、これはウォルト殿たちへの提案なのですが……この研究方法を他の商業科の方へ共有しませんこと?」
「あ?アンタ何考えてんだ?」
ウォルトは嫌悪まる出しでダイアナに突っかかってくる。難関課題と呼ばれたものに対しての対抗策を簡単に放出していいのか。それには同じ商売人としての名が廃ってしまう。だがダイアナはニコニコと笑みを崩さなかった。
「勿論、ウォルト殿たちへの利益もありますわ。教える代わりに互いにもう相互監視は協力する、とか……随分やりずらそうでしたしね?」
魅力的な提案を臆することなく発言してくるダイアナ。その目の奥で本当は何を企てているのかは見抜けない。それこそが彼女が商売人として強者であることの証だ。
「交渉するかはおれたちの勝手でやるさ。別にアンタ……いやランカスター様」
「ダイアナ嬢、で結構ですわ」
「……ダイアナ嬢の思い通りになるとは思い上がらないでほしいな」
「ええ、肝に銘じておきますわ」
商業科の準備室で密談のようにおこなわれた作戦会議。ダイアナの発案した対抗策は、瞬く間に商業科中に広がった。そして――
「五十年前の木材出荷表、誰か持ってるか?」
「そっちの革生産値の資料をくれるなら協力しよう」
「やべえ、この需要値ってどこのだ!?」
「それならあの『商業の理論値』で見た気がする!図書館にまだあったはずだ」
意見交換、資料の取り引きなどが準備室でおこなわれるようになった。意気揚々とした商業科たちの面々を見て、ダイアナは満足そうに微笑んだ。
「結局、アンタの狙い通りになったな、ダイアナ嬢」
「あら、実際に取り引きしたのは貴方でなくて?ウォルト殿」
よく言うぜ、と若干呆れながらウォルトは紙束をダイアナに手渡した。
「おれたちが《相互監視》に文句があるのを見抜いて、実質ないようなモンにさせた。それでアンタも自由に動けて万々歳ってとこだろ?」
「あら、それだけですの?」
「まだあるのかよ」
いいえ、とダイアナは楽しそうに笑い、ウォルトの発表原稿に目を落とす。今までどこか窮屈だった商業科が、水を得た魚のように生き生きし始めたのはいいことだ。
「(これでこそ、新たなビジネスが生まれ、テトリーの交渉も進むもの……ウォルトもよく動いてくれていますわね)」
あくまでもこれは過程に過ぎない。ダイアナが見ているのはもっと先――自分が辺境伯に就任してからの人脈造りのためでもあった。流石にここまで見抜かれることはないだろう。一人うっすらと口角を上げ、顔をあげた。
「ウォルト殿、大方はよくできていますが、最後の結論の締めが甘いですわ。それと鉄鉱石の供給曲線が……」
「へいへい、これか」
「ダイアナ嬢!おれのもチェックしてくださーい!」
本当は皆と話して協力できるのが、楽しくてしょうがない。この心情だけは誰にも見抜けないことだった。
ラディアナの王都にある呉服屋の主、クレイグは誰一人としていない店内でそうぼやいた。クレイグの店が閑古鳥が鳴いている理由、それは先日おこなわれた王都主催の講評会にあった。年に一度おこなわれる呉服の一大イベントである講評会で、クレイグのデザインしたドレスが酷評されたのだ。クレイグには自信があった。今までのお客様のどんな要望にも寄り添って信頼を得たつもりだったし、常連様たちも出品するデザイン案を褒めてくれていた。ところが、講評会当日、審査員は愚か、いつもの常連様たちもクレイグのドレスを評価してくれなかった。審査員長のあの小娘に忖度したのか、それとも内心で見下していたのか。ともかく、講評会の結果が広がってしまった結果、クレイグの店には誰一人としてお客が来なくなってしまったのだ。
「ランカスター公爵家の婚約者だからってみんな忖度しやがって……そんな大事かよ面子が」
あのにっくき審査員長の小娘の顔を思い浮かべながら天井を睨みつけていると、カランとドアの開く音が聞こえた。作業デスクから入口を見ると、品の良さそうな少女が一人で来ていた。栗色の毛を携えた空の色の目をした少女は、所作の美しさから明らかに貴族であることは確かだった。
「ごめんくださいまし?もしかしてお留守ですの?」
「…………いや、いるよ。らっしゃい」
真面目に接客する気も失せたクレイグは大して身なりも整えないまま、久しぶりの来客の元へ向かった。見たことがない顔だが、どことなく育ちの良さが伺える。講評会で野次られた店に何のようだ、とクレイグは思いながら口を開いた。
「それで、ウチに何の用で?」
「あら、呉服屋ですので仕立てをお願いしにきましたの」
「……そうかい。型紙はあるか?」
「ええ、こちらですわ」
少女はどうぞ、と型紙をクレイグに渡す。型紙指定の仕立てならどこでもいいと踏んだのか、そんなことを思いながらクレイグは図面に目を落とした。その図面を眺めている内にみるみるうちにクレイグの背中には嫌な汗が伝ってきた。呉服屋を営む者なら知らない訳がない図面だったのだ。
「……なァ、お嬢さん。悪いが店を間違えてないか?」
「?何故ですの?」
「いや、これ……王都学校の制服の図面じゃないかよ!」
王都学校――国中貴族の少年少女が集まる、未来の国を担う三年制の養成学校。様々な思惑が闊歩する第二の政治場だと揶揄する者も少なくはない。そんな学校の制服など、お抱えで一番腕のいい縫合師に任せるのが普通だ。どうあがいても講評会でボロボロにされた奴に頼む仕事ではない。クレイグが場違いだとプライドが若干傷つきながら助言すると、少女は可笑しそうにコロコロ笑った。
「私、講評会にはいませんでしたが、出品されたドレスは全て拝見しましたの。あなたの縫合、組み合わせが一番いいと思いましたわ」
「そりゃあ、有難い。が、なんでおれにこれを?」
「もう一つお願いがあって来ましたの」
そういうと少女は大きなブローチをクレイグの前に出した。大きなルビーが中央に添えられたブローチに、思わずクレイグはため息が出る。ここまで美しい装飾をされた丁寧なものは久しぶりに見た。
「このブローチに合うドレスを一から作っていただきたいのです」
「!お、おれがか?」
「ええ、あなたの腕を見込んでお願いしたいのです。講評会の結果は、浮かばないものでしたでしょう。ですが、私はあなたの腕が一番だと思いましたの。だからこそ、制服もあなた――クレイグ様にお願いしたいのです」
「おれが、一番……」
クレイグの独り言に少女は大きく頷いた。
「私の管理している店に、宝飾店がありますの。その工房でこちらのルビーは作られたものですわ。もしあなたの腕が私を満足させてくれますのなら……ほかの宝石やアクセサリーを取り入れたデザインのお洋服もご依頼したいのです」
勿論、依頼料は弾みますわよ、と少女はニッコリ微笑んだ。どんどん大きくなる話にクレイグは圧倒されながらも聞き入ってしまった。講評会にはおらず、自身の目で腕を買って依頼をしてきた少女。その青い目は本気を語っていて、クレイグは久しぶりに職人気質の商売人を見つけた。
「…………分かった、お嬢さん。アンタの提案に乗ろう。最高の品を届けると約束しよう」
「!ありがとうございますわ!」
満面の笑みで喜ぶ少女を目の前にして、クレイグは最高の品を納めようと心に決めた。常連にも見捨てられたことだし、少女の紹介してくれた仕事で新天地を目指してもいい。クレイグの心は前向きになっていた。少女はさらさらと慣れた手つきで注文書を書き、よろしくお願いしますわ、と一言言って店を後にした。久しぶりにいい客に巡り合えてホクホクのクレイグはそういえば少女の名前を聞きそびれたなと思い、注文書を確認した。
サイン欄には達筆な細いペン字で、《ランカスター・ダイアナ》――
「ランカスター……ランカスター!?!?!?」
静かな店にクレイグの悲鳴じみた声が木霊したのだった。
ガラゴロと見事な馬車や小綺麗な婦人たちが石畳を歩く美しい街、ラディアナの王都、スーニュエ。スーニュエの住民が気兼ねなく扱えるカフェのテラス席で、二人の老人がアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「お主がスーニュエに顔を出すのは久しいな、ギルバート」
「そうじゃな、いつぶりじゃろうか……お主も年老いたの、スクワート」
スクワート、と呼ばれた男は眉を下げて苦笑した。穏やかそうに見えるが四公爵家の一家、アテンプター家の当主であった男だ。ランカスター家当主であった頃のギルバートと同時期に当主であり、最早ギルバートと戦友のような仲である。
「年を取ったのはお主も同じじゃあないか。この頃は杖なしでは歩くことすら億劫だ」
「同じ時を過ごしておるからな、年齢を重ねるのは必然よ」
親しい友人のような穏やかな会話がカフェテラスで繰り広げられる。会話の内容だけ見れば、老人たちのたわいのない話風景にしか写らないだろう。
「……してギルバートよ。私をこうして呼び出したのは何故か?まさか思い出話をするためだけに来たのではあるまいな?」
笑顔を浮かべているスクワートだが、眼光は厳しく鋭い。アテンプター家の当主を退いたものの、その厳しさは健在のようだ。
「流石、いとも簡単に見抜くなお主は。こちらが頼み事をしたいときはいつも気まずい」
ギルバートは懐かしそうに目を細めた。そして分厚い唇を重たげに開く。
「今年度から儂の孫、ダイアナが王立学校へ入学するのじゃ」
「ああ、主席合格者だったから名前は目についた。それで、孫が気掛かりか?」
「それもあるが……お主にはダイアナを対等に見てやってほしいのじゃ。他の子らとも同様に、じゃ」
「……それは、王都学校の理事長に己の孫を贔屓しろ、と?」
「相変わらず意地悪な言い方じゃのう。噂を鵜呑みにせず、そのままのダイアナを見てほしいだけじゃ」
口は達者に回りつつも、目線でも牽制しあう二人。周囲の空気はカチリと固まり、ボディーガードたちでさえも息がつまりそうだ。
「アテンプター家は並立した安寧を好む。そこに利益不利益があろうとも、安寧ならばその目は真を見るだろう」
スクワートの結論らしき返答に、ギルバートはそれでよい、と微笑んだ。張りつめられた空気が少し緩んだことで、ボディーガードたちもようやく細く息を吐くことができた。
「ギルバート様、お嬢様がいらっしゃいました」
ギルバートの左隣に立っていた男が報告する。ここへ通しなさい、とギルバートは命じた。
「失礼いたしますわ、お爺様、アテンプター・スクワート様」
栗色の髪を編み込みにした可憐な少女が二人のいるテーブルへやってきた。一ミリもズレがないカーテシーを披露すると、ギルバートから座りなさい、と指示が出た。
「紹介しよう。ダイアナ、こちらがスクワート。儂の当主時代のアテンプター家当主であり、今は王都学校の理事長じゃ」
「お初にお目にかかります、アテンプター・スクワート様。ランカスター・ギルバートの孫、ランカスター・ダイアナですわ」
「して、スクワート。これが儂の倅、いずれテトリーの領主になる、ランカスター・ダイアナじゃ」
「こちらこそはじめまして、ダイアナ嬢。ギルバートから話は聞いている。しかも王都学校の入学試験は主席だったぞ、とてもいい教育を受けていたのだな」
有難いお言葉ですわ、とダイアナはスクワートに深々と頭を下げる。礼儀を重んじるランカスターらしい子だ、というのがスクワートの第一印象であった。
「それでダイアナよ。おつかいは完了したのか?」
「ええ、勿論です。第三通りに店を構えるクレイグに依頼しました。腕は相当いいものだったので、宝石商の洋服の仮依頼を出しておきましたわ」
デザイン原案はこれですの、とダイアナは資料をギルバートに見せてプレゼンを始める。その様子を眺めていたスクワートはクックックッ、と肩を揺らし笑った。
「何がおかしいのじゃ、スクワート」
「いやあすまない。ダイアナ嬢は間違いなくギルバートの孫だな、と」
ランカスター当家ではこんな風にはなるまい、とさも楽しそうにスクワートは一人笑う。一通り笑い終わってからスクワートは席を立った。
「では私はこれで。ダイアナ嬢、貴女のご入学を心待ちにしておりますよ」
そう言い残してスクワートは去っていった。その後ろ姿をダイアナは不思議そうに、ギルバートは不服そうに見つめていた。
「……あまり掴みどころが分からない方でしたわね」
「あやつは昔からああいう奴じゃ。さてダイアナ、続きを聞かせてくれ」
ギルバートに促され、ダイアナは話を再開させる。二人の話し合いはギルバートが満足するまで伝えられた。
「本当によろしいのですの?ターニャを連れていって」
王立学校の寄宿舎に行く前日、ダイアナは不安という気持ちを隠さずギルバートに聞いた。王立学校に通う王都以外に住む者は、皆寄宿舎に在住することになる。そうなれば気軽にテトリーには帰れない。不安が募るダイアナを余所にギルバートは笑う。
「大丈夫じゃよ、ダイアナ。いくら己の力で挑む学校とはいえ、使用人を誰一人として連れていかんのは大変じゃろう」
「ですが」
「いいんですよ、お嬢様」
反論しようとしたところにターニャが口を割って入る。空になったダイアナのカップに紅茶を注ぎながらターニャは続けた。
「王立学校はこれまで以上に周りの目が厳しいと聞いています。もしお嬢様が一人でいらっしゃったのなら、テトリーの評判にも関わりますし、よくない噂も立つでしょう」
「……」
ターニャの正論にダイアナは口を噤むことしか出来なかった。目の前のギルバートもそうだそうだ、と首を縦に振る。
「それに、危なっかしいお嬢様を叱るのは私の役目ですし、お嬢様の味方も私です。敵地、一人挑むのは寂しいでしょうから」
「……分かりましたわ」
ターニャに根負けしてダイアナは渋々納得した。そんな二人の様子をうんうんと頷き見守るギルバート。二人の顔を見てダイアナは敵わないな、とどこか嬉しそうに微笑んだ。
「でも、もし何かありましたら、電伝虫ですぐご連絡くださいまし!最近はお体もよろしくないのですよ?」
「ああ、勿論じゃ。お前も気を付けるのじゃぞ、ダイアナ」
ギルバートの言葉に深く頷き、ダイアナは部屋を後にした。そこへ一仕事終えたルベルが顔を出す。ちょうどいい、とギルバートは口を開いた。
「ルベル、ターニャ」
「はい、なんでしょう」
「どうしましたか」
「…………頼みがある」
桜の蕾が一気に開く季節、王立学校の入学日を迎えた。正門の真ん中を通り、堂々と歩く一人の少女に皆目を奪われる。長い漆黒の髪を揺らす、可愛らしい無垢の少女――ダンマルタン侯爵家の長女ユリアだ。そしてランカスター家次期主、オスカーの許嫁でもある。
「見ろよ、ユリア嬢だ」
「やはりランカスター家の許嫁にふさわしい佇まいだな」
「今日の入学式のスピーチも彼女でしょうね」
「でも私は心配ですわ……件のランカスター家の令嬢もいらっしゃっているのでしょう?」
「ああ、あのユリア嬢をランカスター家から追い出そうとしている噂の」
「誰とも口を聞いたことのない、冷徹な人らしい」
「そんな人がユリア嬢を貶め入れようと……」
耳に入る噂話にユリアは満足していた。この度時を同じくして王立学校に入学してくる、義妹になるであろうランカスター・ダイアナ――彼女がランカスター家の癌であることは、ずっとオスカーやヘルマンから聞かされていた。彼女の参入を許してはならない、対立する派閥を作らせてはならない。それがこの学校で過ごす上、ユリアが自分で課した課題だった。そのためにも、ユリアは入学前からありもしないダイアナの噂を広めてまわっていたのである。その噂が滞りなく広がっているので、ユリアは満足していた。
カツカツとヒールの音を立てて入学式会場までの石畳の道を歩いていると、顔馴染みの令嬢が声をかけてきた。
「おはようございますわ、ユリア嬢」
「おはようございますわ、いい天気ですわね」
「ええ、それよりも大丈夫ですかユリア嬢。今日は……あのお方もいらっしゃっているみたいなので」
ひそりと令嬢は声を潜める。ユリアも同じように声を潜めながら、大丈夫ですわ、とニッコリ笑った。
「何をお考えになっているかは分かりませんが、私もいつまでも怯えている場合ではありませんわ。ランカスター家に嫁ぐ者として、彼女とは親交を深めておかなければなりませんもの」
「ユリア嬢……!」
ユリアの言葉に令嬢は感動するが、ダイアナと仲良くする気は一切ない。それどころかどう貶めようかと頭の中で画策していた。
入学式会場のホールに全員が集合し、粛々とした式が始まった。アテンプター家前当主の理事長の話から始まり、各名家からの祝辞、関係する他国からの祝い物など、厳格な雰囲気の中式は続いていく。
「続いて入学試験主席合格者より、入学生代表の挨拶をしていただきます。それでは、商業科ランカスター・ダイアナ嬢、前へ」
「――――はい」
「「「「「!?!?!?!?!?!?」」」」」
厳かだった会場があっという間に騒めきに包まれる。皆隣と顔を見合わせてコソコソ話し、壇上に上がるダイアナを信じられないという目で凝視した。
「あのランカスター家の令嬢が主席合格だと……!?」
「しかも商業科って、どういうことだ?」
「ユリア嬢じゃなくて?なんであの引きこもり令嬢が?」
「まさか不正でもしたのか?」
騒めく会場でユリアは一人下を向いていた。手をぎゅっと握りしめて、辱しめられたようにプルプルと震えている。
「(なんで、なんでアイツなのよ!折角この間アテンプター家に忖度してやったのに……!)」
何があってもダイアナに入学生代表のスピーチをさせてはいけない、そう決め込んでいたユリアは自分が代表者になるようにあらゆる方面に仕掛けておいたのだ。勿論、王立学校の理事長を務めるアテンプター家にも忘れずに。壇上の理事長はそんなユリアを嘲笑うように片頬を上げている。騒めきが収まらないホールに、ごほん、と小さくも響く咳払いが聞こえた。
「――――雪解けが終わり、暖かな春の兆しが高まってきた季節にございます。本年度歴史あるラディアナ王立学校に入学をいたしました……」
咳払い一つで会場をまた静寂に包んだダイアナは何事もなかったようにスピーチを始めた。当たり障りのない丁寧なスピーチだが、発言しているのがダイアナだという理由で、一段と厳しい視線が壇上に注がれる。だが、ダイアナはその視線に屈することなかった。
「それではこれで、入学生代表の言葉とさせていただきます。王立学校、百二十八期入学生、及びテトリー辺境伯ランカスター・ギルバートの孫、ランカスター・ダイアナ」
当たり前のように締めくくったダイアナに、またホールは騒めき立つ。貴族の挨拶というのはいずれ継ぐ当主を先に名乗るのが普通であるのに、 ダイアナは敢えて父親を名乗らず祖父を名乗った。これは”ダイアナがテトリー辺境伯を継ぐ”という一種の宣戦布告のようなもの。壇上に注がれる疑念の視線にダイアナは姿勢を正して一礼し、自分の席へ戻っていった。
こうして、波乱に満ちた入学式は幕を閉じたのである。
新しく触れ合う人種とはまた一段と違ったものである。入学式でほぼ宣戦布告のようなスピーチをしたダイアナに、まだ誰一人とも話しかけるものはいなかった。授業を受けるのも、移動するのも、寄宿舎で過ごすときも、彼女に声をかける者は誰もいない。ただ遠巻きにじっと視線を注いで、ヒソヒソと話すだけであった。
「(まあ分かってはいたことですが、随分と陰湿なものですわね)」
物事を言うときは正面から堂々と、気に入らなければ罵倒と暴力を。そんなテトリーで育ったダイアナはこんな手法に対抗する方法が分からない。気にせず学校生活をあと三年過ごすのも無理がある。もういい加減うざったらしくなってきたダイアナは、はぁとため息をついた。
「……聞きたいことがありましたら、直接お答えしますわよ。いい加減、遠巻きにずっと見られるのにはうんざりしますわ」
周囲を見渡して言い放つと、少しざわついていた教室がしーんと静まり返る。目線を動かしても逸らされるばかりで、彼女に突っかかってくる者はいない。やはり無駄だったか、とダイアナは少し落胆していた。
「じゃあ聞くが、天下の四大公爵家様がなんで商業科にいるんだよ」
静寂に包まれた空気を切り裂いたのは、一人の男子学生だった。オレンジ色の髪に目付きが鋭い口の利き方がなってない幼さが残る者。周囲が焦って止めようとしても、いいんだろ?と臆することなくダイアナに近づいてくる。
「なんで田舎の子爵や男爵が来る商業科に、四大公爵家のアンタがいるんだ。正直、やりずらくて仕方がないんだぜ」
「お、おい!そこまで言う必要ないだろ!」
「撤回しろ!も、申し訳ございません、ランカスター様……コイツが無礼な真似を」
ガタイのいい青年を周りが抑え込もうと必死になっている。だがダイアナはあろうことか微笑んでいた。
「いえ、無礼なぞございませんわ。ここは学校――今だけは同じ学科のご学友ですもの。それで、何故私が商業科に、ということでしたわね、ゼペツタル・ウォルト殿」
「……なんでおれのこと知ってんだよ。ああ、そういうことだ。説明してもらおうか」
名前を呼ばれた青年――ウォルトは若干引いた様子を見せたが、すぐに威勢を取り戻す。そんな彼にダイアナはとめどなく言葉を続けた。
「簡単に言えば、淑女科で私が学ぶことは何もございませんからです。そもそも王都政治、公爵政治に私は興味がございませんし、王都のランカスター家に戻る気はありませんわ。それよりかは、今後領主になるテトリーのため、領運営の勉学をした方が身のためになると思いましたからです」
ダイアナの返答にまた教室がざわつく。これがうざったらしくて仕方がないダイアナは、他にご質問は?と周囲に投げかけた。
「じ、じゃああのダンマルタン様をランカスター家から追い出そうという噂は?」
「生憎ダンマルタン様に直接お会いしたことはありませんし、お話ししたこともございません。そんな面倒なこと、考えるだけ無駄ですわ」
関係ない、と断言するダイアナに、また皆騒めく。ダイアナを怪しむ者、考え込む者、関係ないと去っていく者、皆反応は三者三様であった。
「ダンマルタン様のことを信じるか、私の話に耳を傾けるかは、皆様のご自由にしてくださいまし。私の保障は、私の行動自身で示しますわ。監視するなり、お家に報告するなりは、好きにしてくださいまし」
己の行動に怪しいところはない、と宣言したダイアナは、もう話すことはないと教室を去った。誰から見られても、恥じることのない行動はしてきたつもりだが、もっと気を引き締めないと――そう心に再度決めたダイアナだった。
ようやく学科の学友たちと言葉を交わしたダイアナだが、劇的に評判が変化したわけではなかった。相変わらず厳しい視線は注がれるし、口を利かない者の方が殆どだ。だが――
「あ、あのランカスター様……!」
「どうしましたの、ファーニヴァル・カーラ嬢」
ランチの時間に勇気を振り絞って話しかけてきたであろう、金髪をおさげにした丸眼鏡の令嬢がいた。ダイアナが名前を呼ぶと、光栄だとばかりにカーラは顔を輝かせた。
「!やはり、覚えていらっしゃったのですか!あ、あの先日はウチの製糸場をご贔屓にして頂きありがとうございます!」
先日の、製糸場……頭の中の記憶帳には、しっかりとカーラのことが書かれていた。確か北の方の町で製糸場を営むファーニヴァル男爵家、取引をした記憶もバッチリある。ダイアナはええ、その時はどうも、と笑顔で返した。
「商業科は殿方ばかりなので緊張していましたが、テトリーのランカスター様がまさかいらっしゃるとは!王都学校でランカスター様とご一緒の教室で学べるなんて、とても光栄です!中々お声がけできず、申し訳ございませんでした」
「いえ、いいのですわ。私にとっていい噂はございませんでしたし、こうしてお話してよろしいのですか?」
「ええ、大丈夫です!昨日のランカスター様のお言葉で私は確信しました。ランカスター様はあのような噂をされるお方ではないと!」
「それは、私を買い被りすぎではなくて?もしかしたら私が嘘をついていることもあり得ますわよ」
そんなことはない、とカーラは首を横に振る。ダイアナの目の前に座ると、熱烈な目でダイアナを見つめた。
「ランカスター様に限ってあんな姑息な真似をされるとは思えませんもの!私がテトリーで拝見したランカスター様と全くお変わりないことに気づかされまししたわ」
姑息な真似、というか何か行動を起こした記憶はダイアナにはない。少しずつ違う認識をすり合わせなければ、とダイアナは思い切って聞いてみることにした。
「あの、カーラ嬢。私は皆様方とあまりお話ができておらず、私自身の噂が分かりませんの。よろしければ教えてくださいますか?」
ダイアナのお願いにカーラは少し戸惑いを見せたものの、分かりました、と首を縦に振った。
「私が最初にランカスター様の噂をお聞きしたのが、寄宿舎に着いた翌日のことでしたわ。ファーニヴァルの工場地の辺境伯であるトレーシー・ダニエル様からお呼び出しされたのです」
「トレーシー・ダニエル様――騎士科の殿方で、マンチェスター家派のお家でしたわね」
その通りです、とカーラは首を大きく縦に振った。ラディアナの貴族は、大体四公爵のどこかの派閥に属している。ダイアナの家であるランカスター家派、マンチェスター家派、グロスター家派、アテンプター家派。四公爵でも派閥があり、ランカスター・マンチェスターとグロスター・アテンプターに大きく分かれている。この派閥争いが色々な揉め事の元凶になっているのだ。
「お呼び出しされたのは、私含め田舎のマンチェスター家派の者たちでした。そこであのダンマルタン様がいらっしゃって、ランカスター様のお話をされたのです」
「……私があの方をランカスター家から追い出そうとしている、というお話ですわね」
「はい。とても起伏の激しいお話でした。私は判断ができずにいましたが、他の方はすぐに納得されたようでしたわ」
「つまりは寄宿舎に着いてから私の噂を聞かされた、と」
「その通りですわ。そして昨晩、新しい報告がされたのです」
「どのような報告でして?決して気は悪くしないのでおっしゃってくださいまし」
「え、ええ……それは昨日の夕方、ランカスター様がダンマルタン様の教科書を水で台無しにしたというものでして……」
「………………」
あまりの稚拙な行為にダイアナは呆れて黙ってしまった。カーラも同じことを考えたらしく、ダイアナの顔色を見て首を縦に振った。
「商業科のランカスター様がそのような真似をするはずはありませんし、大体昨日の夕方は商業科は皆図書館で課題に取り組んでいましたから……」
そんなはずない、とカーラは判断したらしい。勿論、ダイアナはそんなことをした覚えはない。ダイアナはダンマルタン侯爵令嬢が何をしたいのか、だんだん見えてきた気がした。
「教えてくださりありがとうございますわ。よろしければ今後も教えていただいてもよろしくて?」
「は、はい勿論です!」
それよりもランカスター様!とカーラは明るい顔をふわっと浮かべた。
「ランカスター様のテトリーでの素晴らしい手腕は、私の農場・工場地でもよく伺いますの!その立ち振る舞い、お言葉遣い、確実な手腕!この学校にいる間、お近くで学ばせていただけますでしょうか!!!」
カーラの熱烈なお願いに若干背を逸らしたものの、ダイアナはカーラを一気に好ましく思った。噂の真偽の判断を己の納得するまでおこない、貪欲に学びにいこうとする姿勢。方向性はダイアナと同じであった。
「ええ勿論構いませんわ。私から学べるもの、全て糧にしてくださいまし」
ありがとうございます!とカーラは満面の笑みで頭を下げた。周囲から畏怖の目で見つめられていることはもう彼女の頭の中にないのだろう。気にしていないのか、ただ単に目の前のことに夢中で忘れているだけか。それでも嬉しそうに笑うカーラにもう迷いの色はなかった。
「学ぶことはいいのですけれど、一つお願いを聞いていただけますか?」
「はい、ランカスター様!」
「その、ランカスター様と私を呼称するのは、少し控えていただきたいのです。この学校では家柄は関係なく、皆様と同じ学徒なのですから」
少し目を伏せがちにお願いするダイアナに、カーラの姉心が酷く刺激された。どんなに完璧な良家のお嬢様だとしても、中身は自分と同じ十六歳の少女なのだ。
「分かりましたわ!それでは、ダイアナ嬢、とお呼びしてよろしいのでしょうか?」
「ええ、そう呼んでくださいまし」
周囲からは異端の目で見られている二人だが、穏やかな空気が漂い、ダイアナにとっても、カーラにとっても、心地いい空気が流れていた。
ようやく貴族社会の友人ができたダイアナは、以前よりよく笑うようになった。カーラの真摯な態度や学ぶ姿勢はこちらとしても見習うことが多いし、何より互いの領地や経営する施設のことについて意見交換できるのが楽しい。同じくらいの同じことをしている人間と、話すのがここまで楽しいとは――ダイアナはもっと早く交流を深めなかったことに少し後悔した。
「――一なるほど、昨年の寒気における出費が予算を大幅に超えたので、その対策として税率を」
「あー……熱心に話しているところ悪いが、少しいいか?」
昼休みにカーラと話していると、同じ商業科のウォルト達から声をかけられた。この間の、ダイアナが商業科の教室で皆に問いかけたときぶりである。ウォルトとよく共につるんでいる男爵家のイランソ・ロルダンとこれまた男爵家のルンダール・オルフも一緒である。
「あの、何要ですか?」
「次の歴史学、次から例の課題だからさぁ……一緒に組まないか?」
同じ商業科の好みでさ、と突っかかってきたときの威勢はなく低姿勢で頼んでくる。カーラは例の課題で納得したようだが、ダイアナは何のことだかとクエスチョンマークを浮かべていた。
「あのよかったら、あー……ランカスター、様も協力していただけたらなーっと考えているんですけれど……」
「協力するのはよろしいのですけれど、例の課題って一体なんですの?」
疑問を素直にぶつけたダイアナにウォルトやロルダン、オルフは顔を見合わせた。カーラは三人に厳しい一瞥を向けた後、ダイアナに説明を始めた。
「例の課題、というのは私たち商業科にとっての難関課題で、毎年入学生を悩ませているものなんです。私も上級生の方からお聞きしただけなので、実態はよく知らないのですが……」
「商業科にとっての難関課題?歴史学は騎士科も淑女科も共に受ける授業ですので課題は同じはずですわよ?」
「いやそうなんだが、なんていうか……」
「……言ってしまえば、騎士科や淑女科が優位で、商業科が不利なものなんです」
「それはどういうものでして?」
「え――っと、それは……」
言いどよむウォルトたちにダイアナは少しむすりとした。公爵家のダイアナに言いにくいのか、目が泳いでいる。そんなこと気にしないとこの間言ったはずなのに、その威勢も消えてしまっているのも不可解だった。
「この間も申しましたが、私に遠慮しなくてもいいのですわよ。それともどこかの名ばかりの辺境伯に咎められましたか?」
「っ!ランカスター様、それは……」
ウォルト達は図星だったらしく、口を噤んでしまった。大方ダンマルタン侯爵令嬢の勢力に口出しされたのであろうとダイアナは推測した。何故だかは知らないが、ダンマルタン侯爵令嬢は確実にダイアナを孤独にさせたがる。揉め事にもならない些細なことでも、ダイアナを絡ませたくないらしい。こうしてほぼほぼ関係のない田舎の子爵家や男爵家に口を出すほどだ。恐らくそんな警告をガン無視しているのがカーラなのだろうが。
「ここで話を曖昧にして、成績が不可になる方が嫌ではなくて?もし私と話したら何かしらの罰則があるのでしたら、私が代わりにお受けしますわ」
「ア、アンタ何を言い出すんだ!それこそアンタになんも関係ないだろうが!」
「ええそうですわ。ですが私が代わりに罰則を、と馬鹿真面目になさる方もいらっしゃらないでしょう」
ダイアナの正面からの正論に誰も反論できずにいた。だがウォルト達は目を泳がせて言いよどむばかり。どうしたものかとダイアナが思っていると、何かに気が付いたカーラが提案をしてきた。
「よろしければ、場所を移しませんか?」
カーラの提案に乗って移動した場所は、商業科の建物の奥にある準備室だった。普段使われていないようで、床は若干埃を被っている。
「こんなところで一体何を」
「さて、ここなら誰の目もありません!竜頭蛇尾、全てお話していただけますか?」
誰の目も届かない――つまりは誰かに見られてしまっては困る、ということだ。カーラの言葉でハッと気がついたダイアナは、後ろのウォルト達の方に振り返った。ウォルト達も気を張っていたのか、やれやれというように肩を揉んでいた。
「ま、そういうことだ、ランカスター様。つまりおれたち、商業科の殆どの奴らは自分ちのお上たちの命令で相互監視されている」
「!」
「例えばランカスター様に課題協力してもらったら、例の課題で激しく質問攻めにされるとか、色々です。基本は学校の中で完結することばかりで本家に影響が出そうなことはありませんが……」
「じ、じゃあなんでそんなことを?」
さあ?とウォルトは心底面倒くさそうに吐き捨てた。もうダイアナやカーラに包み隠す様子はない。
「恐らくは、僕らのお上のもっと上……それこそダンマルタン様のご機嫌取りではないかと思っています」
「あら、それはどうしてですの、イランソ・ロルダン殿?」
ダイアナから直接質問されウッと言葉を詰まらせたロルダンだが、すぐに持ち直して話を続けた。
「そ、それでないとランカスター様にここまで介入するわけがないからです。噂ではランカスター様がダンマルタン様の婚約を快く思っておられず、ダンマルタン様はランカスター様が直接危害を加えてこないか神経質になっているとか」
「なるほど、そんなことですか」
普段関わりの殆どのない商業科の者たちまで動員して、ダイアナが人と交流しようとするのを防いでいる。実に馬鹿らしく思えて、ダイアナはため息をついた。
「ため息をつきたいのはこっちだ。ただでさえあっちに有利な歴史学の課題で縛ってくるとか……そこまでしたいかよ」
「!そうでしたわ、あの例の課題って一体なんですの?」
本題から大きく逸れてしまったが、本題はそれだった。もう監視の目もないしいいか、とウォルトが口を開く。
「《特定の年代で各家に纏わる歴史的事実を踏まえて、演劇、詩、楽器、調査研究などを発表せよ》……演劇、歌あたりは小さいころから王都にいるあいつらが有利。田舎者の商業科はみんなの前で恥かいて道化師になるんだ」
「その課題でも首を握られていると……カーラ嬢にお声がけしたのは分かりますが、何故私にも?相互監視するくらいに目をつけられているのに?」
「そりゃあ、ランカスター様なら多少演劇とか分かるんじゃないですかなーっと思って。コッソリやるし、それ以上に見返りがあるからな」
お上との関係性も大事だが、それ以上に自分の成績が大事であるウォルトに同意するように、ロルダンとオルフも頷いた。成績を気にするのは学生であれば当たり前のこと。特に王都政治と程遠い田舎の子爵家や男爵家にとってはそうであろう。
「……ようやく事情が見えてきましたわ。それで協力ですが、手をお貸ししましょう」
やった!とウォルト達は少年らしい顔を見せる。ただし、とダイアナはニッコリ微笑んで付け加えた。
「演劇、歌、楽器は私も全くですわ。ですので、調査研究であれば手をお貸ししましょう」
「ち、調査研究って!そんな大きなことを僕たち学生が……」
オルフは見るからに狼狽えたが、逆にダイアナは自信に満ちあふれていた。
「あらできますわよ。上手くやれば騎士科の方たちよりいい評価を得られるかもしれませんわ」
ウォルトたちは何を言ってんだか、という風に顔を見合わせた。カーラもよく分からないようで、首を捻っている。
また授業後にここに集合しましょう、とダイアナは一旦この場をお開きにした。
「にしても調査研究するって一体ランカスター様は何を考えているのか……」
「ランカスター様に演劇指導してもらえば、ちょっとはマシになる、お前の目論見は外れたな、ウォルト」
「うっせえよ!ま、まあどうするかはこの後次第だ」
先に準備室に到着したウォルトたちは、ダイアナのことについて話していた。元々お上――辺境伯の息子に釘を刺されていたウォルトたちだが、正直もうどうでもいい気持ちの方が勝っており、お上に対しての不満もじりじり溜まっていた。
「ランカスター様の発案を聞いて、いけそうならやる。そうでなければ報告だ。ま、いつもと変わんないさ」
「ええ、それで構いませんわ」
いつの間にか準備室に現れたダイアナは、ウォルトの独り言ににこやかに返した。いないものだと思って呟いていたウォルトは子猫のように跳びあがった。その様子にくすくす笑いながらも、ダイアナはカーラと一緒に持ってきた本を並べていく。なんだなんだとロルダンとオルフは机に広げられた本を覗き込んだ。
「『ラディアナ国交易史』、『第百期交易帳簿』……なんでこんな資料を?」
「勿論、調査研究のためですわ」
「……まさかこれを全部読めってことか?」
そんなことはございませんわ、と緩やかにダイアナは言う。ダイアナが一体何をしたいのか未だ見えていないウォルトは、何する気だとダイアナに問いかけた。
「まず調査研究とは、未だ不明なことを調べ、研究し、発表すること。まずはその不明なことを探すことにしましょう。持ってきたのはそのための資料ですわ」
「でもだからって膨大な資料の中から不明なことを探すのは、無理がないでしょうか?」
「ええ、なので私たちの分野に絞りましょう。例えば、この中で鉄鉱石の取引をしたことある方は?」
ダイアナの質問に全員がすっと手を挙げた。子爵家や男爵家は、カーラのように皆何らかの農場や工場、或いは領地を保有しており、幼いころから仕事を教えられるのが殆どだ。つまりこの中で自分の家が保有する事業に対して無知な者はいないのだ。
「取引というかそれがウチの主戦力です。ラディアナの鉱山家といえばウチ――ルンダール家です」
「では、この交易帳簿でどれくらい鉄鉱石について記してあるか見てみましょうか」
とこんな風に、とダイアナは一区切りを入れた。
「私たちが普段やっていることに歴史を紐づければ、そんな難しいことはございませんわ。そして、国の『交易帳簿』というのは、細やかな部分――家同士のものなどは大抵乗ってはいませんわ」
「本当だ……ウチにある帳簿の方が詳しく……あ」
帳簿を確認していたオルフは何かに気付いたようで、バッと顔をあげた。
「つまりは、家にあってここに載ってないものを調べるだけで、調査研究になるってことですか!?」
「その通りですわ、オルフ殿。それだけでも十分なものですが、さらに年代や私たちの農場、工場、領地まで絞って考察することができれば……彼らの演劇に匹敵するものができると私は考えておりますの」
確かに、とオルフは喉を唸らせた。ダイアナの言うことであれば自分たちでも充分できる。さらにはうざったらしいお上に反撃できるかもしれない。オルフの目は輝いた。
「……いいですね、ランカスター様。テトリーの交易記録は?」
「ええ、造作もなく準備できますわ」
「おれのとこにはレンガ工場がある。ルンダール家の鉱山から仕入れて作ってんだ、資料は大量にあるぜ」
「わ、私も十年前に工場を新設するため、ルンダール家様と大きな取引をしましたわ!」
方向性が決まりそうなのと、皆が熱意に溢れてきたのを見て、ダイアナは満足した。うんうんと大きく頷いたダイアナは、もう一つ提案をすることにした。
「さて、これはウォルト殿たちへの提案なのですが……この研究方法を他の商業科の方へ共有しませんこと?」
「あ?アンタ何考えてんだ?」
ウォルトは嫌悪まる出しでダイアナに突っかかってくる。難関課題と呼ばれたものに対しての対抗策を簡単に放出していいのか。それには同じ商売人としての名が廃ってしまう。だがダイアナはニコニコと笑みを崩さなかった。
「勿論、ウォルト殿たちへの利益もありますわ。教える代わりに互いにもう相互監視は協力する、とか……随分やりずらそうでしたしね?」
魅力的な提案を臆することなく発言してくるダイアナ。その目の奥で本当は何を企てているのかは見抜けない。それこそが彼女が商売人として強者であることの証だ。
「交渉するかはおれたちの勝手でやるさ。別にアンタ……いやランカスター様」
「ダイアナ嬢、で結構ですわ」
「……ダイアナ嬢の思い通りになるとは思い上がらないでほしいな」
「ええ、肝に銘じておきますわ」
商業科の準備室で密談のようにおこなわれた作戦会議。ダイアナの発案した対抗策は、瞬く間に商業科中に広がった。そして――
「五十年前の木材出荷表、誰か持ってるか?」
「そっちの革生産値の資料をくれるなら協力しよう」
「やべえ、この需要値ってどこのだ!?」
「それならあの『商業の理論値』で見た気がする!図書館にまだあったはずだ」
意見交換、資料の取り引きなどが準備室でおこなわれるようになった。意気揚々とした商業科たちの面々を見て、ダイアナは満足そうに微笑んだ。
「結局、アンタの狙い通りになったな、ダイアナ嬢」
「あら、実際に取り引きしたのは貴方でなくて?ウォルト殿」
よく言うぜ、と若干呆れながらウォルトは紙束をダイアナに手渡した。
「おれたちが《相互監視》に文句があるのを見抜いて、実質ないようなモンにさせた。それでアンタも自由に動けて万々歳ってとこだろ?」
「あら、それだけですの?」
「まだあるのかよ」
いいえ、とダイアナは楽しそうに笑い、ウォルトの発表原稿に目を落とす。今までどこか窮屈だった商業科が、水を得た魚のように生き生きし始めたのはいいことだ。
「(これでこそ、新たなビジネスが生まれ、テトリーの交渉も進むもの……ウォルトもよく動いてくれていますわね)」
あくまでもこれは過程に過ぎない。ダイアナが見ているのはもっと先――自分が辺境伯に就任してからの人脈造りのためでもあった。流石にここまで見抜かれることはないだろう。一人うっすらと口角を上げ、顔をあげた。
「ウォルト殿、大方はよくできていますが、最後の結論の締めが甘いですわ。それと鉄鉱石の供給曲線が……」
「へいへい、これか」
「ダイアナ嬢!おれのもチェックしてくださーい!」
本当は皆と話して協力できるのが、楽しくてしょうがない。この心情だけは誰にも見抜けないことだった。
