【OP夢】泡沫人【シャンクス】

 ラディアナ国にある港町テトリー。海賊たちの休息所になっている港町は相変わらず活気に満ち溢れていた。羽振りのいい鑑定所も厳格な鑑定士たちが今日も鎮座している。そんなテトリーに一隻の海賊船が停泊した。
「海賊船、か」
 また騒がしくなる、賭け入れ時だ、と港を取り締まる老人バルターは重たい腰を上げた。あらゆる船がテトリーに停泊する度、行方不明になった領主が帰ってきたのではないか、という希望をバルターは心ばかり抱き続けた。だがもう八年も時は経っている。最近では、もう見つからないのではないか、と密かに絶望が押し寄せてもいた。
「本当に、どこに行っちまったんだ……ダイアナお嬢様」
 先代領主の最後の孫娘であり、テトリーの希望であったランカスター・ダイアナ。皆彼女が領主になり、彼女の元で働く未来を描いていた。が、八年前の卒業式前日、彼女が宿泊していたランカスター家の離れが全焼。火事から逃げ出したと思われるダイアナはそのまま行方不明になったのだ。誰かの陰謀か策略か――噂ばかりが耳に入る一方で、真実はいつまで経っても聞こえてこない。命だけはどうか無事でいてほしい、と毎日のようにバルターは祈っていた。
 そんなことをボーっと考えていたバルターの店に、背の高い男が二人入ってきた。一人は長い髪の金髪、もう一人は紫色の髪をした腕に蛇の刺青が入っているいかつい男だった。
「――いらっしゃい、さっき来た海賊だな?」
「おう。暫く邪魔するからな。停泊金はここでいいのか?」
「あァ、」
 事務的なやり取りをしつつも、バルターは海賊を観察する。屈強な肉体と武器はテトリーに取って厄介者でしかないのだが、もし土産物を持っているのならば話は変わってくる。ランセンダでの上層取引とパイプを持っている鑑定所は喜ぶだろう。が今はそうではなさそうだが。
「ん、確かに。問題は起こすなよ」
「あァ。おっさん、一つ聞いていいか?」
 金髪の男がカウンターに腕を乗せて聞いてきた。海賊相手に慣れっこなバルターは顔色も変えずになんだ?と返す。
「ランセンダルの女総合運営役に会いてェんだが、どうすりゃあいい?」
「ランセンダルの、か……宝石の鑑定なら鑑定所に持っていった方がいいぞ」
「なんでだ?ランセンダルの総合運営役の腕は評判がいいと聞いてきたんだが」
 そりゃあ八年前の話だ、とバルターは紫色の髪の男に返した。
「前のトップはそりゃあ凄かったさ。チビ助のときから海賊相手に審美眼で追い払う肝の据わったお嬢様だった。それにくらべりゃあ、今のトップはテトリー領主オスカー様の嫁のユリア様、彼女はそうはいかねェ。ランセンダルの職人たちが嘆いているぜ」
「……宝石鑑定をしてほしいわけじゃあねェんだ。例えばもし、とんでもねェブツを鑑定所に出したら来てくれたりすんのか?」
「そうだなァ……あの方のお眼鏡にかかったんなら来るんじゃねェか?おれはそっちについては門外漢でな」
「そうか。ありがとうな、おっさん」
 海賊の二人は礼を言って店を出ていった。珍しいな、とバルターは感じた。海賊がランセンダルのトップに会いたいなど基本はない。何を企んでいるから分からないが、面倒事にならなければいい、とバルターは思った。

「って感じだったぜ、ダイ」
 ダイアナが言う停泊金を管理しているという人物のもとに行ってきたライムジュースとスネイクはそれぞれ主人の男の様子をダイアナに報告していた。報告された彼の様子を懐かしそうに聞いていたダイアナは、うんうんと頷くと、二人にお礼を言った。
「ありがとうございますわ。やはり運営はユリアになったのですね」
「ここまでは想定通りって感じか」
 シャンクスの問いかけにダイアナはその通りだ、と頷いた。新聞で片っ端から集めた情報と大体が一致していると言って間違いないだろう。さすれば、とダイアナは次の一手を考え始める。その姿はもう、《ランカスター・ダイアナ》であった。
「『最高のショー』を見せてくれるんだろ?楽しみにしてるぜ」
「ええ、任せてくださいまし」
 ダイアナは自信たっぷりに不敵に笑うのだった。

 テトリーの鑑定所は港からすぐの場所にある。いつも客人が絶えない鑑定所に、黒いマントを羽織った赤髪の男が大勢の部下を引き連れて来店した。おそらくはカタギでない者の来店に客人たちは目を引いたが、鑑定士たちは何も動じる様子はなかった。
「――いらっしゃいませ。ご用件は?」
 赤髪の男がカウンターに着くと、一つの小袋を鑑定士の前に差し出した。
「とある場所でこれを拾ってな。ウチのジュエリー関係に通ずる者が、これはランセンダルのトップに見せた方がいい、と言うんだ。それをまずはアンタに見てもらいたい」
「……拝見します」
 鑑定士は一言告げると、袋の中から丁寧な手つきで見てほしいと言われた物を取り出した。
「!!!こ、これは……!」
 赤髪の男が持ってきたのは、まばゆいくらいに大きなルビー。金のフレームには惜しみなく加工技術が使われて、真下にはランカスター家のエンブレムが施されている。テトリーの鑑定士なら見間違えるはずもない、八年前行方不明になった領主、ランカスター・ダイアナの辺境伯勲章であった。
「一体これを、どこで……」
「詳しくはランセンダルのトップが来たら話してやる。呼べるか?」
 鑑定士は暫し放心した様子を見せたが、暫くお待ち下さい、と赤髪の男を残して奥に引っ込んでしまった。

「お待たせしました、ランセンダルの総合運営役――ランカスター・ユリア様がお越しになります。あちらのVIPルームにてお待ち下さい」
 暫くし、鑑定士が赤髪の男の元に戻ってきた。奥に案内しようとする鑑定士をいい、とソファに腰掛けている赤髪の男は手で制した。
「その部屋じゃあ、おれたち全員が入らねェだろう。だからここでいい」
「しかし、ユリア様は貴方と二人で会談をお望みです」
「なら、おれは何も話すことはねェな」
「……暫く、お待ちくださいませ」
 鑑定士の男は何も言わず、赤髪の男から引き下がった。ドタドタとバックヤードから騒がしい音がする。バン!と奥の大きな扉が開かれ、派手な女性が姿を現した。その後ろには、しっかりとネクタイを締めた男性もいる。オスカー様だ、と皆口々に呟いた。
「ようこそテトリーへお越しいただきました。私はランカスター・ユリア、オード・ジュエリー・ランセンダルの総合運営役ですわ」
「あァ、どうも。アンタに会いたくてテトリーに来たんだ。で、そちらは?」
「――テトリー領主、ランカスター・オスカーだ。妻が海賊に何されるのか分からないのでな、同席させていただく」
「あァ、構わねェよ」
 赤髪の男が頷くのを確認してから、ユリアとオスカーは向かいのソファに座った。
「それで、私に会いたい理由はどのようなもので?」
 ユリアに聞かれて赤髪の男は小袋を懐から取り出した。鑑定士の前に出したものと同じ小袋である。
「どうやらウチのジュエリー関係に詳しい奴が、これはランセンダルのトップに見てもらえと言ったんだ。見てくれねェか?」
「拝見いたしますわ」
 ユリアは小袋のリボンを解き、掌にルビーを出した。やはり見覚えがあるようで、双方の瞳が大きく見開かれる。
「おれにはこれが何なのか一つも分からねェ。悪いが、説明してくれるか」
「これは……ラディアナ国の貴族勲章ですわ。この地を治めているという一種の身分証明書のようなものになります。この勲章は、八年前行方不明になった、私のお姉様であるランカスター・ダイアナ様の辺境伯勲章。世界にたった一つだけのものが貴方様の手元にあるということは、ダイアナ、様は……!」
 ユリアは顔を突っ伏して泣き出してしまった。ユリアの発言が聞こえたのか、鑑定所内は騒めきに包まれる。お嬢様が、そんな!、と言った悲観に満ちた声が殆どだ。そんなユリアの背中を撫でながら、オスカーは赤髪の男に質問を始めた。
「これを一体どこで見つけた?」
「ピアリスという港町だ。偶然にも拾ったんだ。それがまさかこんなものだとは思いもしなかった」
「偶然、か……何故そんなことを?」
 そりゃあだって、と赤髪の男は笑いながら懐を再び漁る。赤髪の男はバッとオスカーの目の前に先程ユリアに渡した全く同じ小袋を沢山広げた。
「これは、どういう、ことだ……?」
「中身を見てみろ」
 オスカーは目の前に出された小袋の一つをおそるおそる手に取った。封を開けると、全く同じ赤く絢爛と輝くルビーが姿を現した。
「全く、同じ……だと!?」
「そうだ、これら全てが世界に一つしかない勲章がいくつもあるんだ?」
「う、そ……でしょ?」
 訳が分からないと言った顔でユリアは目の前に散乱する無数のルビーを見つめる。そのルビーと全く同じ髪の色をした男がユリアに問うてきた。
「ランセンダルのトップのアンタなら、この中から本物を見つけられるんじゃねェかと思ってな」
 な?と赤髪の男は害のなさそうな顔で笑う。一方ユリアは青ざめ混乱しながら、しどろもどろに言葉を綴った。
「それ、は……お答えできません。どれも全く同じ加工がされており、同じ工房で作られたかとしか思えません。こんな精巧な技術で貴方は一体何」
「――――それはつまり、ランセンダルのトップでありながらも、鑑定不可ということでよろしくて?」
 そこに、凛とした声が鑑定所に響き渡った。赤髪の男が引き連れていた部下の中から一人のフードを深く被った者が出てきた。体格と声色で女性だと判断できる。フードの女は真っ直ぐ赤髪の男の隣に座った。
「こんな浅学のものがブランドのトップとは、聞いて呆れますわ。まあ、これら全てが同じ工房で作られたものであることが分かったのは最低点ですわね」
「貴方、一体何を」
「お黙りなさいませ」
 ユリアが反論しようとした瞬間、女から棘が投げられた。何よ!と睨みつけるも女は相手にもしない。
「貴女がおっしゃる通り、それらは全て粗悪品です。本物は――こちらですわ」
 フードの女が自分の胸元からそっとルビーを取り出した。テーブルに散乱するものとは違う、全く別の輝きを持ったルビー。ユリアはポカンと呆気に取られていた。
「っ!でもなぜ貴女がこれを?」
「――あら、私が持っていて可笑しいことがありますの?ユリア嬢」
 フードの女が不敵に笑う。その瞬間、ユリアは全てを理解した。鑑定所に引っ張り出したのも、大量の粗悪品を見せたのも、海賊を引き連れてきたのも、全て彼女の掌の上で転がされるためであったと。
「は、な、な、なんで!?なんで貴女が!?なんでここにいるのよ!!!」
「何をそんな慌てておりますの」
「どうして!そんな!」
 ヒステリックになっているユリアを嘲笑うかのように、女は被っていたフードを取り、素顔を現した。溢れ出る栗色の髪は艶やかに光り、幼さが潜んだ大人の女性。整った顔つきからは、気品が溢れ出ている。
「この顔に、とても覚えがあるようでなりよりですわ」
 その顔に、鑑定所全ての人間が釘付けになった。八年前、突如行方不明になったテトリー領主、ランカスター・ダイアナがそこに座っていた。
「……………………」
「言葉もでないとは、このようなことを言うのですわね。それにしてもお久しぶりです、オスカーお兄様」
「…………まさか、帰ってきたとは」
 オスカーも驚きを隠せない表情でダイアナを穴が開くほど見つめている。そんなオスカーにダイアナは何事もなかったかのように話を続けた。
「私が不在の間、テトリーを治めてくださり、ありがとうございますわ。ですが、ランセンダルがここまで堕ちてしまっているとは、情けないお話ですわね」
「う、うるさい!なんでいんのよ!」
「口を慎め、ユリア。帰るぞ」
「!!!」
 席を立ったオスカーは使い物にならなくなったユリアを抱き上げた。それに乗じてダイアナも席を立つ。
「お父様に報告してくださいまし。ランカスター・ダイアナがテトリーに戻ってきたと」
「――そうさせてもらう。テトリーもランセンダルも元々はお前のものだ。戻ってきたのならば――好きにしろ」
 ありがとうございますわ、と深くお礼をし、ダイアナはオスカーが去っていくまで見送った。
 鑑定所内は静寂に包まれていた。皆ダイアナを見つめ、開いた口が塞がらなくなっている。ダイアナは周囲を見渡してから、手をパンパン!と二回叩いた。条件反射のように、職員が立ち上がり、姿勢を正す。そんな彼らにダイアナは微笑みかけた。
「――――長い間、テトリーを離れてしまい、申し訳ございませんでした。不安な事、ご心配も沢山おかけいたしました。ですが、今日でもう憂う必要はございません。私、ランカスター・ダイアナは今ここに帰還いたしましたわ!」
「ダイアナ様が、お嬢様が、帰ってきた――――!!!!!!!」
 鑑定所内が爆発を起こしたかのような歓声に包まれる。ダイアナを見てむせび泣く者、周囲の人間とハグする者、ダイアナに泣きながら跪く者――皆反応は様々だったが、ダイアナの帰還を誰もが祝福していた。
 そんな様子を赤髪の男――シャンクスはどこか寂しそうに見つめていた。

「お嬢様!!!!!!!!!」
 鑑定所が喜びと大歓声に包まれる中、正面扉がものすごい勢いで開かれた。そこにはダイアナの帰還を聞きつけた人々と、ダイアナのお付きのメイドのターニャ、ギルバートの身の回りの世話をしていたルベルが息を切らして立っていた。
「ターニャ、ルベル」
「ほんとうに、お嬢様、お嬢様が……!!!」
「ゆ、夢じゃあないんですね……!!!」
「貴方たちまで見間違うのですか?」
 冗談めかして笑ったダイアナにターニャが号泣しながら飛びついていった。ダイアナもしっかりとターニャを受け止め、彼女の背中に腕を回した。その様子をこれまた号泣しながらルベルが眺めている。最愛の家族との再会のような光景に、ライムジュースは少し不貞腐れそうになった。泣くのはここまでしまして、とダイアナはシャンクスたちの元へ行き、深々とお辞儀をした。
「赤髪海賊団、船長様、そして船員の皆々様。私をここまでお送りしていただき、ありがとうございましたわ。どうか、テトリーでの停泊を心からお楽しみいただけるよう、私共も努力いたしますわ」
 まるで他人行儀のように話すダイアナに、クルーたちは皆呆気に取られた。昨日まではあんなに楽しく笑って、一緒に過ごしていたのに、まるで別人のようになってしまったダイアナ。何を言おうにも言葉に詰まった。
「アンタたちがダイアナ様を!?」
「ウチの店に来てくれ!サービスするぞ!」
 ダイアナに何か言うまでもなく、シャンクスたちはテトリーの住民たちに揉みくちゃにされてしまった。ダイアナはそれでは、と言いターニャとルベルを連れて鑑定所を後にしてしまった。ダイアナが《ランカスター・ダイアナ》になるという意味を深々と分かり知らされた気がした。

「いやあアンタたちがダイアナ様を!ありがとうな!」
 シャンクスたちが夕方訪れた酒場に、ライムジュースとスネイクが会ったバルターがニコニコ笑顔でカウンターに座っていた。ライムジュースが隣に座ると、ビール樽を差し出された。
「今日はおれの奢りだ!好きなだけ飲んでいけ!」
「何言ってんだいアンタ!店が潰れちまうよ!」
「良いんだよラウダ!なんせお嬢様が帰ってきたんだ!この人たちはお嬢様を連れてきてくれた恩人さ!」
 ラウダ、と呼ばれた恰幅のいい女性はアンタたちが?とライムジュースの方をマジマジと見た。
「へえ、海賊が随分とお人好しなんだねえ」
「ダイと取引したからな。おれたちも利益があったんだ」
 お嬢様らしいねえ、とラウダが身体を揺らして笑う。あれがお頭さんかい?とラウダはシャンクスの方を指差した。シャンクスは珍しく一人、誰にも傍に付けないで酒を飲んでいる。その代わり、ベックマンやスネイクの元にはたくさんの女性が集まっていた。
「そうだ。随分とダイを気に入っていたんだぜ」
「へえ、お嬢様も罪な御人だねえ」
「……」
 ライムジュースは気の利いた返事をすることが出来なかった。実際、ライムジュースもダイアナを気に入っていた。ライムジュースだけではない、ホンゴウもスネイクもベックマンもルゥもヤソップも他のクルーたちも、皆ダイアナを快く思っていたのだ。そして何よりお頭の女が彼女であることがとても好ましかった。あれだけ帰還を祝福されているダイアナが、まさか海賊の男と男女の関係にあったとバレてしまったら――ダイアナの面子を守ってライムジュースは黙っておくことにした。
「なァ、船でお嬢様はどうだったんだ?聞かせてくれよ」
 話をせがむバルターにライムジュースは答えていった。そして酒がかなり進んだ頃には、シャンクスは酒場から姿を消していた。

 夜は船の上より港町の方が明るい。そのせいか、星は見えなくなってしまう。だが月だけは奇麗に光り続けているのだ。シャンクスは一人砂浜に座り込んだ。寄せては引いていく波の音を聞きながら、やせ細っていた月をぼんやりと眺めていた。
「――――こんなところにいらっしゃいましたの」
 波の音と共に聞きなれた声が後ろから聞こえてきた。ゆっくりと後ろを振り返ると、少し疲労の色が見えたダイアナが立っていた。
「酒場を随分と探しましたのよ。今日であれば皆奢ってくれるはずですのに、一人ここにいらっしゃるのは珍しいですわね」
 語り口調はいつものダイアナだ。あの鑑定所でのダイアナではなくなっている。何も答えないシャンクスの隣にダイアナは腰を降ろした。
「――お前がいない酒場なんてどこも同じだ。誰と飲んでいてもつまらなくなっちまう」
「…………それは、これから大変ですわね」
「本当に付いてくる気がねェんだな」
 昼間ので分かった、とシャンクスは切なそうに笑う。またダイアナも同じ顔をして頷いた。
「ダイアナ」
「何ですの?」
「…………好きだ、お前にずっと恋焦がれている」
「存じております」
「お前は?」
「…………わたくし、も同じです。あぁ、シャンクス……!」
 そう返すとダイアナはシャンクスの胸に泣き崩れてしまった。別れが辛いのはシャンクスだけでない、ダイアナもまた同じ痛みを同じだけ抱えていたのだ。胸の中でワンワンと泣くダイアナの頭にシャンクスはキスを落とした。
「このまま船に攫っちまおうか」
「……いいえ、貴方ならなさらないでしょう?」
 よく知ってんじゃねェか、とシャンクスは湿っぽい声で返すことしか出来なかった。

 記録が溜まり、とうとうテトリーから出発する日が訪れた。そしてその日は偶然にも、ダイアナの爵位授与式と同日であった。ダイアナは少し憂鬱な気分でターニャに支度を手伝ってもらっていた。爵位授与式に着ていくのは、シャンクスから送られた真っ赤なイブニングドレス。爵位勲章をつけると、バッチリと雰囲気が合っていた。
「とてもお綺麗です、お嬢様!」
「ありがとうございますわ、ターニャ。馬車の時間は何時ですの?」
「もうすぐです。暫しお待ちください」
 ターニャはそうダイアナに告げると、確認をしに部屋を出ていった。もう港まで行く時間はない。朝早くに出航してしまったのだろうか。これから大切な式だというのに、ぼんやりとシャンクスのことばかり考えてしまう。一度きりの初恋は、もう続くことはないのだ。
「お嬢様、準備ができました」
「――ええ、今向かいますわ」
 さようなら、とダイアナは小さく呟いて、ルベルが手綱を握る馬車へ乗り込んだ。

 ガラガラと揺られる馬車の中で、ダイアナはやはり海だけを見つめていた。どこかに船がないかと探していると、ターニャが愛おしそうにダイアナを見つめていた。
「そんなに、船の旅路が楽しかったのですね」
「――ええ。八年間で一番安らかな時間でしたわ」
「それならば、思い入れもあるでしょう。お別れは済まされたので?」
「…………」
 ダイアナはターニャの質問に黙ってしまった。ランカスター・ダイアナとしては昨日済ませたが、まだダイアナとしては済んでいない。寧ろ何も言わないでいよう、と決めていた。
「お嬢様、彼らとの別れは今生の別れではございません。八年間かけてお嬢様がテトリーへ帰ってきてくださったように、彼らもまたテトリーへいらっしゃるでしょう」
「ターニャ……」
「だからこそ、しっかりとお別れはするべきです。私のように、酷い後悔をしないように」
 ターニャは真剣な顔でダイアナを見つめた。八年前、ダイアナを一人置き去りにしてしまった彼女だからできる説得だった。
「できることならしたいのですけれど、もう時間が」
「いいえ、時間はあります。お嬢様の意思を聞くために、早く出発したのですから」
 ターニャは外に向かってルベル!と叫んだ。あいよ!と気のいい返事が帰ってきて、急に馬車はスピードを上げた。
「今からこの先の岬に向かいます。彼らはもう海の上でしょうが、二言三言であれば聞こえるでしょう。決して後悔のなさらないようにしてください、お嬢様」

 レッド・フォークス号はテトリーの港を出発し、航路に出ていく。シャンクスは船の最後尾から動かず、ずっとテトリーを見つめ続けていた。
「……結局、来なかったな」
「あァ」
 分かってたさ、とシャンクスはベックマンに返す。船全体が湿っぽい雰囲気に包まれ、せっかくの快晴すら曇りに見えてくる。
「アンタなら無理にでも連れてこれただろ」
「…………羽根をもがれた鳥をおれは可愛がる趣味はねェんだ」
 ヤソップの質問にもどこか上の空で返す。たとえ自由の身でなくなったダイアナは、ランカスター・ダイアナよりも見ていられないだろう。彼女は自由でいるからこそ惚れ込んで、別れが苦しくて仕方なくなるほど、愛したのだ。忘れたくとも、忘れられない、そんな星に彼女はなってしまったのだ。
「――――――――シャンクス!」
「!」
 もう陸を見るのをやめようと振り向いたとき、聞きなれた声が微かにシャンクスの耳に届いた。
「おい、あそこ!あの崖だ!」
 ヤソップが指さす先には、真っ赤なドレスを着て、胸元に光り輝くルビーを付けたダイアナが、息を切らして立っていた。
「やっぱり来るんじゃねか!」
「スネイク、戻せ戻せ!」
「――――いや」
 再び姿を見せたダイアナにはしゃぐホンゴウとライムジュースにシャンクスはストップをかけた。息を切らしているダイアナをじっと見つめ続けた。
「愛していますわ!!!ずっと!!!あなただけが、大好きですわ!!!」
「――」
「だから、私のことも、忘れないでくださいまし!!!私も、シャンクスのことを、忘れません!!!」
 腹の底から叫んだ本気の愛の言葉。せっかく美しい姿なのに、泣きじゃくりながら叫ぶダイアナ。その声は確かにシャンクスの耳に届いた。シャンクスは船尾に立って、肺めいいっぱいに息を吸い込んだ。
 「叫びたいくらい思ってるのは、お前だけじゃねェ、忘れんな!!!また来る!!!そんときは本気で口説きにいく!!!大好きだ!!!」
「じゃあな!また来るぜー!」
「元気でなー!」
「しっかり飯食うんだぞー!」
「風邪引くんじゃねェぞー!」
 シャンクスに続いてクルーたちも次々叫ぶ。大きく手を振るシャンクスたちを見て、ダイアナは泣き笑った。ダイアナも負けじと手を振り返す。少し短い間過ごした夢のような時間を乗せた、レッド・フォークス号をダイアナは見えなくなるまで手を振り続けた。

 翌日のニュース・クーには、八年間行方不明であったラディアナ国の令嬢が勲章を授与している写真が一面を飾った。その令嬢は真っ赤なドレスに劣らない、気品溢れる笑顔で微笑んでいた。
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