【OP夢】泡沫人【シャンクス】

 ランカスター・ダイアナは婚外子だ。ラディアナ国を治める四公爵の一家、ランカスター家の不手際で生まれた子。母はすぐ病死し、父からは家族でないと見放された。五つ離れた兄からも、名前を一度も呼ばれたことがない。使用人にも蔑まれ、触れず関わらずひとりぼっちにされた。『ランカスターの名前に恥じぬ者になれ』と教育された婚外子は、今日は公爵家を後にする――
「(この何も無い部屋も今日まで、か)」
 ランカスターの迫害者、ダイアナはトランク一つにも満たない引っ越し荷物を抱えて迎えを待っていた。齢七歳を迎える誕生日、誰にも祝われない日にダイアナはランカスター家の領地である、テトリーに旅立つ。理由は聞かされなかったが、反論する自由はダイアナになかった。
 テトリーと言えば、祖父であるランカスター・ギルバートが治める土地である。祖父が経営に手を出すまでは、無法地帯とだったと家庭教師に教えられた。そんな土地に厄介払いにダイアナは送られる。
「(どうせまた一人……醜い私なんか誰にも相手されないのだわ)」
 大丈夫だ、慣れない土地でまた同じ毎日を過ごすだけ。ダイアナはそう自分に言い聞かせた。
「お嬢様、出発の時間です」
「……はい」
 ダイアナは使用人に呼ばれて、部屋を出た。長い廊下を歩いて大きな玄関口までたどり着く。ダイアナを呼んだ使用人以外、見送り人はいなかった。無駄に豪華な馬車にダイアナは一人乗り込む。
「それではお嬢様、よい旅を」
「……はい」
 使用人の決まり文句にダイアナは一言だけ返事をする。それを合図に馬車は走り出した。期待を少しだけ込めて、広大な屋敷の一番高い窓を除き見る。カーテンが開いた大きな窓には誰もいなかった。ガタガタ揺れ始めた馬車の中、ダイアナはため息をついた。
「(最後まで、お父様は私を見てくれなかった)」
 七歳の少女の小さな願いは誰にも届くことなく、馬の地を駆ける音と共に消えていった。

「おーい、お嬢さん。着いたぞ、着いた」
 どれくらい時間が経ったのだろう。馬車を一回乗り換えて、そこから揺られること数時間。どうやら眠ってしまっていたようだ。気さくな馬引きは寝てしまったダイアナを起こす。ゆっくりと目を開けたダイアナは気さくな青年にペコリとお辞儀をして馬車を降りた。
「ギルバート爺様んとこのお嬢さんだよな?ここから屋敷は坂だから一緒に行こう」
 そう言うと気さくな青年はダイアナのトランクを取って歩き出した。
「あっ……」
「ん、どうした?」
「あ、あの……大丈夫です。お屋敷も見えますし、トランクも持てます」
 だから一人で大丈夫です、とダイアナは青年と目を合わせず言い切った。ビクビクと肩を震わせ怯えている少女を青年はまじまじと見つめた。
「お嬢さん」
 青年はそう言ってダイアナの前にしゃがんだ。真下に目線をやったダイアナを覗き込む。
「お嬢さんを一人で行かせちまったら俺がギルバート爺様に怒られちまう。一緒に行ってくれるか?」
「!は、はい!」
 よし!と青年は微笑んでダイアナの隣に立って歩き出した。相変わらずトランクは持ったままだが、歩幅が小さなダイアナに合わせてくれている。青年はダイアナにおれはルベルだ、と自己紹介した。
「ランカスター・ヘルマンの子、オスカーを兄に持ちます、ダイアナと申します。どうかお見知り置きを、ルベル様」
「おいおい、おれみたいな奴に様付けはやめてくれ!」
「それでは何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ルベルでいいよ、お嬢さん。本来おれが敬語を使わなきゃいけねェんだ」
「……不敬に当たりませんか?」
 おずおずと聞くダイアナにまさか!とルベルは首を横に振った。会話の節々にダイアナもルベルも頭にクエスチョンマークを度々浮かべながら、小高い丘の上にあるこじんまりとした屋敷に到着した。
「あら、ルベル。今日は時間通り来たのね」
 庭先で掃除をしている女性がルベルに話しかける。ルベルより少し後ろに下がったダイアナはその様子をじっと見つめる。気軽に話している様子を見るに、近しい仲なのだろう。
「当たり前だ、ターニャ!なんたって王都からギルバート爺様んとこのお嬢さんをお連れしたんだからな!」
 ターニャと呼ばれた女性はルベルの後ろに下がっていたダイアナを見つめる。
「あなたが、お孫様?」
「は、はい。ランカスター・ダイアナと申します。ランカスター公爵の子になります」
 小さいながらも完璧にカーテシーをこなすダイアナにターニャは目を見張る。疑うようにルベルに目線を寄越すと、肩を竦めて首を横に振った。
「ダイアナお嬢様ですね。この屋敷のメイドをしております、ターニャと言います。屋敷の者一同、ダイアナお嬢様をお待ちしておりました」
 さぁギルバート様がお待ちです、とターニャはダイアナを迎え入れた。トランクはルベルからターニャに渡され、ダイアナには持たせてくれなかった。
「ギルバート様、ダイアナお嬢様にとってのお爺様には今日、はじめてお会いしますよね?」
 ダイアナが頷くと、ターニャは優しい顔で微笑んだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。王都で怖い噂を聞いているかもしれませんが、とっても優しい方ですから」
 ターニャの優しい微笑みにダイアナは固まりながらも首を縦に振った。ランカスターの屋敷でダイアナに話してくれる人も笑いかけてくれる人もいなかった。
「(きっと私の機嫌を損ないたくないから、丁寧に扱っているのだわ)」
 そんなことしなくても不機嫌にならないのに、とダイアナはまた俯いてしまった。
「さぁ、ダイアナお嬢様。この扉の先にお爺様がいらっしゃいます」
 大丈夫ですよ、と再び笑いかけてから扉を数回ノックした。
「ギルバート様、ダイアナお嬢様が到着されました」
「……入りなさい」
「どうぞ、ダイアナお嬢様」
 ターニャが扉を引いてダイアナが中に入るよう促す。
「(ギルバート様のご機嫌を煩わせてはいけないわ)」
 失礼します、とダイアナは一礼して部屋に入った。
「お初にお目にかかります、テトリー辺境伯伯爵ランカスター・ギルバート様。今日からお世話なります、ランカスター公爵家ヘルマンの子、ダイアナと申します」
「……」
「……」
 沈みきった空気が部屋を充満させる。ダイアナは頭を下げたままそのまま固まっている。
「ダイアナ、顔をあげなさい」
「はい」
 ようやくダイアナは頭を上げた。声の主がダイアナの眼前に広がる。白髪をオールバックにした彫りの深い顔、鋭い目は父ヘルマンにそっくりだ。ダイアナの心の底を突き刺すような眼光が真っ向に襲いかかる。不味い、何か粗相を犯したか、機嫌を損ねてしまったか――ダイアナの背中に冷や汗が流れる。
「そうか、そうか……ダイアナか」
 何度も頷き、ギルバートは席を立ちダイアナの目の前にしゃがんだ。
「儂の、儂の孫じゃーーー!!!!」
 満面の笑みでギルバートはダイアナを抱きしめた。はじめてされた抱擁にダイアナは固まる。暖かい腕、優しい体温、頬に擦られ少しくすぐったい顔の質感。何もかもがはじめてで、暖かいものだった。
「!!!ギ、ギルバート様!?」
「爺ちゃんに向かってギルバート様とは何事じゃ!じいじと呼べ!な、言ってみぃ!」
「じ……?」
「ギルバート様、ダイアナお嬢様が固まってしまっております」
 強面とも言える顔をにやけさせ、固まるダイアナを愛でるギルバート。ターニャが助け舟を出すも、ギルバートはそんなことは露知らず、ひょいとダイアナを抱き上げた。
「こんな遠いところまでよく一人で来たのう!疲れてはおらんか?昼食を食べてから屋敷を案内しよう!」
「は、はい……」
 抱き上げられたダイアナはこくこくと頷くことしか出来ない。ギルバートは上機嫌でダイアナを食堂まで連れていった。

「ルベル、ターニャ。ダイアナをどう思う?」
 夜ダイアナが眠ったのを確認してから、ギルバートは使用人たちに聞いた。ダイアナに見せる優しい顔つきとは違い、打って変わって厳しい表情をしていた。
「……正直、七歳の子ではないとは思いましたよ。礼儀が出来すぎていて怖いというか」
「子供らしさはあまり感じられませんでした。ずっと返事もはいばかりで、特に自分を主張することはありませんでしたね」
 二人の主観を聞いて、ギルバートは大きなため息をついた。七歳にしては出来すぎている拾の孫の言動、恐怖で植え付けられた礼儀、親愛を与えられずに育ってしまった心――
「こんなことならばあの子の母、リリメアが亡くなった時点で引き取っておけばよかった……」
 眉間の皺を押さえ、ギルバートは悲観に走る。婚外子だと言えど自分の血を引く孫、どうしたものかと手を止めて息子に任せたのが失敗だった。
「普通は身内の人を名前で呼びやしませんよ、どんな風に育てたらあんな……」
「持ってきた荷物も少なすぎます。あんな小さなお嬢様のことを思うと……心が痛みます」
 ダイアナの世話係に任命された二人も思い思いの表情を浮かべる。
「ルベル、ターニャ。今はダイアナが笑えるように過ごせるように徹底しろ。普通の、ごく普通の子供の儂の大切な孫じゃ……」
「分かりました」
「承知しました」
 心に誓いを立てるように、二人はギルバートに宣言する。王都からやってきた冷えきった小さなお嬢様を、心から笑えるようにしたいと二人は月夜の晩に誓ったのだ。

「ダイアナお嬢様、おはようございます」
「……」
「お嬢様?」
 どういうことだ。ダイアナは昨日から繰り広げられる訳の分からないことたちに頭を振り回されていた。荷物は自分で持たなくていい、様とつけて人様を呼ばなくても不敬にならない、あろう事かギルバート様に抱き上げられて一日が終わる、同じテーブルで食事を取る、他多数――ギルバートの機嫌を損ねないためにやっているのかと思ったが、そのギルバートが率先してダイアナに考えられない提案を投げつけてくる。
 そして今朝も目が覚めたらターニャが部屋にいて、カーテンを開けていた。ランカスターの屋敷では、用がない時は誰も部屋に来ない。もちろんカーテンを開けるのも、着替えるのも自分一人でやっていた。混乱しているダイアナの顔をターニャはまじまじと見つめる。挨拶が遅れた、怒らせてはいけない、とダイアナは気づき急いでベッドから出た。
「申し訳ありません、挨拶が遅れました。おはようございます、ターニャ様」
 相変わらずの形式じみた挨拶にターニャは胸が痛くなる。少し肩が震えているダイアナは、そうしないと酷く怒られたのだろうと予測は出来た。
「おはようございます。顔を上げてください」
「はい……」
 恐る恐る顔を上げる怯えて固まった顔のダイアナ。怯えきったその目に合わせて、ターニャは座り込み目線を合わせた。
「ダイアナお嬢様、謝らないでください」
「!」
「昨日からそうですが、ダイアナお嬢様はずっと謝っています。私に対して何も謝ることはなされておりません」
「……」
 目を合わせていたダイアナは俯いてしまった。あぁまた私は何も上手く出来ない、ここでも怒られてしまう不出来だ――
「その代わり、ありがとうを覚えましょう。申し訳ありませんよりかはその方がいいです」
「…………も、申し訳」
「ダイアナお嬢様」
「………………」
 俯いて黙ってしまったダイアナにターニャは酷く胸を痛めた。彼女を責めてしまっていることは分かりきっている。でもそうでもしないと彼女は謝り続けてしまうだろう。氷のように凍てついた彼女の心をどう溶かしていけば――
「……ダイアナお嬢様、無礼を失礼します」
「は、はい」
 ダイアナは震えて目をつぶった。打たれる、またあの鈍い痛みが頬を襲うのだろう。だが、いつまで経っても痛みがくることはない。その代わりふっと暖かいものがダイアナに触れ、頬に肌が触れた。おそるおそる目を開けると、ターニャが頬を寄せてダイアナにハグをしている。ダイアナの肩を抱いている手が酷く暖かい。
「私の体温が分かりますか?」
「は、はい」
「よかった、よかったです……」
 涙声でターニャはゆっくりダイアナに話しかける。穏やかな春の風のような、優しい優しい声だ。
「ダイアナお嬢様、分からないところは何でも聞いてください。謝るところ、謝らなくていいところ、何でも、何でも私がお教えします。私はギルバート様に使える者ですが、家族同然だと言われております。勿論ダイアナお嬢様にとってもです。母のようにとまでとは言いません、ダイアナお嬢様に頼って貰えるよう、私も努力しますから」
「……」
 心のどこかにあった鎖が一つ解けた。陽だまりのようなターニャに、張り詰めていたダイアナの心が少し絆されていた。
「(この人は……この人達は、私を放っておかない……)」
 この擽ったい感情の名前はまだ分からない。ダイアナを抱きしめるターニャの手に、おそるおそる手を置いた。

 今日も当たり前のように、ダイアナの目の前にはギルバートがにこにこ笑顔で座っている。客人でもないのに一緒に食事を共にし、話を振ってくれるのはダイアナにとって異様な光景だ。
「して、ダイアナ。ここに来て一日経ったが不自由なことはないか?」
「いえ、何もございません。お気遣いありがとうございます、ギルバート様」
 ペコリと頭を下げるダイアナに、ギルバートは隠れてため息をついた。目に入れても痛くない我が孫が、敬語で話してくるのは心が痛む。
「ダイアナお嬢様、ギルバート様は『おじいちゃん』と呼ばれたいだけですよ」
 ターニャが空になったダイアナのコップに水を注ぎながら助言する。相変わらずすぐ固まってしまうダイアナに、難しいですよね、とターニャは笑いかけた。
「それでは、私で練習しましょう。ターニャ、ターニャと言ってみてください」
「タ、ターニャさま……」
「様は必要ありません」
 さあ、どうぞ!とターニャは暖かな笑顔でダイアナに微笑む。目を少し逸らしていたダイアナだったが、怯えている様子はない。今朝のハグで幾分か恐怖は取り除かれたのか、とターニャは内心考えた。
 決して目の前の御人はダイアナを揶揄って命令しているわけではない。彼女はランカスターで教えられていたことを聞いてくることも、否定することもしていない。本当にただ単純に、教えてくれようとしているのだろう。そうだ、そうであれば、答えなくては――
「……タ、ーニャ」
 小さい小さい声で、ダイアナは彼女の名前を呼んだ。正解を求めるように、ダイアナはターニャを見上げた。
「ありがとうございます、ダイアナお嬢様。ご上手に呼べましたね」
 ターニャは優しく優しくダイアナの「答え」を正解にした。ほっとした顔を浮かべるダイアナをもっと抱きしめて、褒めちぎりたくなる気持ちをグッと抑える。
「ず、狡いぞターニャ!儂に先駆けしてダイアナに呼ばせるとは!」
「だから、練習ですよギルバート様。厚かましくて顔の怖い初対面の人をそう易々おじいちゃん、なんて呼べますか」
「厚かましくて顔の怖いとは何じゃターニャ!それが主人に対する態度か!」
 事実ですよ、とターニャは堂々とギルバートに言い放つ。それはまるで幼い子供のようなくだらない言い争いで――ダイアナがふと眺めていた同年代の子供たちのものと同じだった。

 朝餉が終わるとターニャは片付けに行ってしまった。ギルバートとダイアナ、二人静かな空気を食堂が包む。
「ダイアナ」
「は、はい」
「あの、ランカスターの屋敷ではどのように過ごしておったか?あんまりにも違う暮らしだとは思うのじゃが、なるべくダイアナの負担にならぬよう儂も尽力したい」
 無理に答えなくてよい、とギルバートは柔らかく微笑んだ。ダイアナは頭の中でギルバートの言葉の意味を咀嚼する。己の負担にならないため屋敷での暮らしを知りたいこと――それが何のためになるのかは分からないが、ギルバートは自分に求めている。求められているものには答えなくては。
「屋敷では、基本家庭教師に勉学を教わっていました」
「ほお、勉強しておったか。それは週にいくらほど?」
「毎日、です」
「……そうか。王都で好きなところはあるか?菓子屋や玩具屋でもよいぞ」
「あまり外に出ることはありませんでした。お店には……あまり行ったことはありません」
 絶句、と呼べる表情を隠し浮かべたギルバートを見て、ダイアナは少し言葉を変えた。本当は馬車の中から眺めるだけで、行ったことなんてない。ほぼ家庭教師と世話をしてくれていた使用人としか話したことがないと言えば、もっと顔を歪めるだろう。
「……ダイアナ」
 またギルバートは自分の名前を呼んだ。その声は酷く弱々しく、不甲斐無いようにダイアナには聞こえた。
「何かやってみたいことはあるか?このテトリーで出来ることではあるが、王都でやってみたかったことでもよい。何か、ないか?」
 それは縋りつくような懇願だった。自由を、欲求を封じられていた彼女が何も求めなければ――
 本来七歳児相手に向けるものではない、誰よりもギルバートがそれを理解していた。そして、その意図は悲しくも彼女に伝わってしまっていた。
「それならば……一日中、どなたかと一緒にいてみたいです」
 少し目を逸らしながら、恥ずかしそうにダイアナは答えた。これは誤魔化しでも嘘でも何でもない。ずっと彼女の心の奥底にあった、小さな小さな願いであった。
「それは、儂でも構わんか?」
 おそるおそる聞いたギルバートに、ダイアナは期待するような子供らしい目の輝きを込めて頷いた。

「それで今日はそのまま公務してるんスか」
 午後の昼下がり、要があって屋敷にやってきたルベルは特大のため息をついた。執務室の椅子にもたれかかり、膝にちょこんとダイアナを座らせたギルバートを見て呆れたようにルベルは零した。孫馬鹿にも程があるだろ、とルベルは内心突っ込んだ。
「何じゃルベル、ダイアナが望んだものを否定するのか?」
「ダイアナお嬢様は一緒にいたいと言っただけよ」
 ターニャが呆れかえるルベルに訂正を入れる。孫馬鹿なことに変わりないが、おそらく同じことを言われたらターニャ同じようにしてしまうだろう。当のダイアナは用意された絵本を読んでいる。時折書類作業をするギルバートの顔を覗き込んでは、安心したような笑みを浮かべる。その様子があまりにも可愛く、健気で、数回ギルバートとターニャは悶絶した。
「して、何要じゃ。下らんことなら儂はここを動かんぞ」
「だろうな、取り纏めのバルターおっさんからだ。この前の商会についてだ」
 ほらよ、とルベルは封筒をギルバートに手渡した。即座に封を開け、中身を確認する。ページを捲る指は速く、ここだけ見りゃあ立派な領主様だよな、とルベルは思った。膝に孫を座らせている以外は。
「……なるほどのお。ルベル、バルターにこれを。話し合いの日取りを決めたいからなるべく早くな」
「了解ッス。もしかして、お嬢さんまで話し合いに連れていく気じゃねェでしょうね?」
「それがどうかしたか?」
 孫馬鹿になってしまったギルバートに付ける薬はないとルベルはその時確信した。

「ター、ニャ……あの、」
「はい、何ですかお嬢様」
 就寝前、ダイアナはおそるおそるターニャを見上げた。優しい笑みを相変わらずターニャは向けてくれている。なんだかそれがダイアナには酷く嬉しかった。
「ギルバート様は、今日のお仕事で商会の件があるとおっしゃっていました。それはギルバート様のお仕事ですか?」
「そうですね。テトリーは港町ですし、補給に船がよく立ち寄るのです。補給する船の船乗りに商売をする取り纏め…それが商会です」
「でも、それはギルバート様が関わることなのですか?」
 流石お嬢様よくお勉強されていますね、ターニャはゆっくりとダイアナの髪を梳かしながら褒めた。褒められるのは慣れていないようで、ダイアナはふと恥ずかしそうに顔を逸らす。愛おしいお嬢様の髪をターニャは優しく撫でた。
「確かにそうですね。ですが、そうでもしないとやりくり出来ないと、いつかギルバート様が零していました。私は国の法や制度についてはお嬢様よりかは詳しくないので、ギルバート様にお聞きください」
「……答えて、くれますでしょうか」
 ダイアナは遠く窓の外を見ながら独り言のように呟いた。ランカスターの屋敷では口答えするな、無駄から何も聞くなと家庭教師に口酸っぱく怒られた。だが、ここに来てからは質問は肯定され、嬉しそうに答えてくれる。もしかしてそれはターニャだけかもしれない、ギルバートは違うのだろうか。
「ええ、お答えしてくれますとも。ギルバート様も何でも答えてくれますから」
「(ターニャも、ギルバート様も、とてもよい人で、誠実だわ)」
 宣言通りの言動をするターニャに、ダイアナは少しずつ信頼が生まれてきているのを感じた。

 夜の帳が落ちた港の酒場。ルベルはとある人物を探すため、顔を出していた。元々ルベルもこの港街出身、見知った顔がそこら中に溢れている。ここら辺にいつもたむろしているはず、と店内を見渡しているとカウンターからドデカい声で名前を呼ばれた。
「おいルベル!ちゃーんとギルに届けてくれただろうな!」
「ちゃーんと届けたぜ、バルターおっさん。ほら、返事だ」
 ルベルはバルターの隣に腰を下ろすと、二つ折りした紙を渡した。バルターは目を細め字を読むと、つむじをぐりぐりさせて頭を捻らせる。酒焼けした喉をあー、と唸らせながら、ルベルに紙を返す。
「明日はちと清算日だから、まあ余裕はあるな」
「了解、じゃあ四日後にまた準備しといてくれ。ギルバート爺様にもそう言っとく」
 騒がしい店内で仕事のやり取りを交わすルベルとバルターの前に、ガチャンと樽のジョッキが置かれた。置いた主を見れば、ルベルとも付き合いの長いこの酒場の女主人ラウダであった。
「なんだいルベル!しっかり仕事するようになったねえ!あの悪ガキルベルがさあ!」
「やめてくれ、ラウダおばちゃん……」
 恰幅のいい身体を揺らしラウダは豪快に笑う。釣られるようにバルターも豪快に笑った。ほろ苦い過去を笑われてもうこの場を去りたくなる。気を紛らわすように目の前のジョッキを煽った。
「で、ギルバート様はどうなんだい?元気かい?」
「ああ、元気だよ」
「そういやルベル、お前聞いたぞ!何でも王都に行ってたそうじゃねェか!」
 同じように飲んでいた知り合いに突っ込まれ、ルベルは深くため息をする。昼間見た孫馬鹿爺さんが脳裏を過ぎった。
「昨日行ったんだ。ギルバート爺様のお使いで」
「いいねえ、王都!綺麗だったかい?」
「凄かったぜ、端っこの方でもでかい建物ばっかりだ」
 ま、おれにはほどほど縁がないがな、とルベルは首を横に振った。
「そんな縁も所縁もねェお前が王都に使いとはなァ。何要で行ったんだよ?」
「…………迎えだよ。ギルバート爺様んとこの孫を迎えに行ったんだ」
「「「「「「ギ、ギルバート様の孫ぉ!?!?!?」」」」」」
 ルベルの発言を聞いた酒場の住人が大きな声で叫んだ。思わずルベルは耳を塞ぐ。騒がしかった酒場が一段と五月蠅くなった。
「うっっっっせえな!鼓膜敗れるかと思ったぞ!」
「そりゃあお前、ギルの孫つったら、あの”ランカスター家”の子どもだろい?」
 そうだよ、とルベルは分かり切った表情でグラスを煽った。ランカスター家といえばラディアナを治める四大貴族の一つ、王都に住む超がいくつもつくお金持ちの貴族だ。
「ランカスター家の子ををギルバート様が引き取ったのかい?」
「ギルバート爺様だって元はランカスター家だ。んでお嬢さんは婚外子だってよ。何も不思議はねェだろ」
「にしったてよォ、何がどうなってそのお嬢様をギルが面倒みることになったんだ?」
 さあな、とルベルは首を傾けた。隠居し中央の政治から離れたギルバートが、何故婚外子の孫を引き取ることになったのか、ルベルも聞かされていない。お貴族様のごたごたな問題があるのだろうとは踏んでいるが。
「王都で育った超お金持ちのお嬢様なんだろ、やっぱり我が儘でアンタやターニャも手焼いてるんじゃないかい?」
「それは心配しなくていいぜ、ラウダおばちゃん。お嬢さんは超いい子だ。問題なのはギルバート爺様だぜ」
「ん、ギルがどうかしちまったのか?」
「はじめて会った孫に舞い上がっちまった。ありゃあ超孫馬鹿だぜ」
「ダッハッハッハ!ギルが孫馬鹿になったって?そりゃあねぇだろ、ルベル!」
 バルターは声をあげて馬鹿笑いし始めた。本当なんだから困ってんだ、とルベルは眉を顰める。
「今度の話し合いに絶対連れてくるだろうからな。そん時孫馬鹿っぷりをみたらいいさ」
 ルベルはジョッキに注がれたビールを一気に煽って、昼間のギルバートの様子を思い出して苦笑いした。

「こりゃあどういうことだ、ルベル」
「だからおれは言ったろ、孫馬鹿になっちまったって」
 にしてもだろ、とバルターはちらりとルベルに目線を寄越す。知るか、とルベルはバルターを余所に壁のシミを数え始めた。
「なんじゃバルター。何かおかしいことでもあったか」
「おかしいのはアンタだ、ギル。なんで話し合いつってんのに孫片手に来てんだよ」
 約束の日、ランカスターの屋敷にやってきたバルターはギルバートの孫馬鹿っぷりを最初から浴びることになった。お待ちください、と通されたいつもの応接間に小さな少女を片腕に抱き、ギルバートが登場したのである。しかも孫らしき少女はギルバートの腕の中でガッチガチに固まっている。数日前ルベルから聞いた話を笑い飛ばした自分を殴りにいきたくなった。
「ギ、ギルバート様……お客様の眼前です!ご挨拶するために降ろしてませんか?」
「おう、そうかそうか。気にしなくともいいのにのう……」
「孫の方が大人じゃねェか」
 渋々孫を腕から解放したギルバートにバルターは思わず突っ込んだ。年相応の柔らかそうな服に身を包んだ少女は、バルターの目の前で腰を曲げる。教養の乏しいバルターでも、綺麗で見事なものなのだろうなな理解した。
「お初にお目にかかります、バルター様。ランカスター公爵家ヘルマンの子、ダイアナと申します。ギルバート様にお世話になっております者です」
「あ――……バルターだ。堅苦しいのは苦手だから、すまん」
 己よりもはるかに小さな子供の大人びすぎた挨拶にバルターは戸惑った。ギルバートはそんな様子を微笑ましく見守る。ダイアナの肩にポンと手を置き、バルターに再度向き合った。
「儂の孫のダイアナじゃ。どうか顔を覚えてやってくれ」
「忘れもしねェよ、よろしくな嬢ちゃん」
「はい、よろしくお願いいたします」
「してダイアナ。儂はバルターと少し話がある。悪いがルベルと席を外してくれないかのう?」
 分かりました、とダイアナは一礼し、ルベルと共に部屋を去った。そんなダイアナを優しい顔で見送っていたギルバートにバルターはため息が出た。
「出来た嬢ちゃんだな」
「あァ、出来すぎているんじゃ。さて、バルター」
 今までデレデレだった祖父の顔とは打って変わり、厳格な顔つきにギルバートは変わる。豹変ぶりにゾクリとしたバルターだが、まだまだボケていないことに安心した。
「おう、商売の話をしようか、ギル」
 バルターも商売人の顔に切り替える。この切り替え方にバルターはギルバートに一定の信頼を置いていた。

「――――――さて、こんなものかの。他にあるか、バルター」
「いや、ねェさ。ありがとうな、ギル」
 二時間ほど話し込み、話が纏まったバルターは紙タバコに火をつけた。こうしてギルバートとの話し合いの後に一服するのが習慣になりつつあった。
「んで嬢ちゃんのことだが……アンタ、あの子を後継ぎにするのか?」
「…………」
 ギルバートは答えない。ただ無言で庭の花をルベルと楽しむダイアナを見つめていた。
「おれとしちゃあ、間違ってはねェと思うぜ。アンタがこれから育てれば、いい娘っ子になるだろうさ」
「…………後継ぎ、か」
 フッとギルバートは口角を上げ、バルターの前に座りなおす。その顔は何とも言えない、せつない表情をしていた。
「儂も最初はそう考えておった。じゃが……あの子にはもっと愛が必要じゃ」
「愛?」
「そうじゃ。バルター、あの挨拶は出来すぎている。まだ七歳だというのに、出来すぎているんじゃ。そして、一緒に居たいと儂に願うんじゃ」
 独り言のようにギルバートは呟く。バルターに指摘され、ここ数日のダイアナのことを吐露し始めた。その雰囲気からダイアナが出来すぎている理由をバルターは何となく察することが出来た。王都の超お金持ちお嬢様と言えど、愛されて育ったわけではないらしい。
「あの子にはまず愛される必要がある。愛されてなければ、民を愛することなぞ出来ん」
「それがお貴族様の考え方ってやつか?」
 そんなもんじゃな、とギルバートは情けなく笑った。数年前まで王都で国を動かしていたとは思えない、古くからの友人でもないバルターに素直に本音をみせるギルバートをバルターは気に入っていた。
「まぁ、アンタの好きにしたらいいさ。おれはアンタについていきからな、ギル」
 バルターの答えにギルバートは頷くと、またゆっくり席を立った。大きな窓を開け、庭でルベルと話しているダイアナに馬鹿でかい声で話しかける。
「ダイアナ――!終わったぞ――!わしにもその花を取ってみせてくれい!」
「………………」
 この孫馬鹿っぷりを見慣れないといけないのか、とバルターはこっそりため息をついた。
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