消える初恋

「俺、初めて篠宮さん見たとき、本当に吃驚したんです。儚くて、寂し気なのに、どこか強くて、その……綺麗、ってこういうことを言うのかと」

 憂いしかなかったあの頃。
 学校にいるのも家にいるのもつらくて。
 俺は多分、あの頃、生きたまま死んでいた。
 音楽に助けられてて、友達もいなくて、ずっとひとりだった。
 そんなところを加藤くんは見ていた。

「何があったのかは俺には分かりません。でも、篠宮さん、学校変わったって、部活の先輩に聞いて……俺、心配で、怖くなって」
「……加藤くん」

 儚過ぎて。
 本当に、消えてしまいそうで。
 だから、加藤くんは。

「……俺、篠宮さん追い掛けて、ここに来たんです」
「――! うっそ!?」

 加藤くんは顔を両手で覆って、恥ずかしそうに白状した。
 まさかの理由に吃驚して叫ぶ俺。
 ま、え、まじで!?
 普通そこまでする!? とつい大声で訊いてしまった。
 しかし俺のそれが怒りにも聞こえたのか、加藤くんは「ごめんなさいー!」と謝る。

「だって、ほんと不安だったんです……その、俺、初めて人を好きになって……だから」
「あ……」

 烏滸がましいけど、俺、が、助けたい、って。
 加藤くんのそんな告白に、俺は申し訳なく思った。
 加藤くんは指をいじりながら、俺に続ける。

「篠宮さんに、何かあったらって思うと、本当に居ても立ってもいられなくて……だから、頑張って俺をあの学校に入れてくれた親には申し訳ないけど……」
「ここ、に、移っちゃったの?」

 そんな、勿体ない。
 取り敢えず真っ先に出たのは、そんな感想だった。
 だって俺は、学力不足で今のこの高校に移らざるを得なかった。
 言わば挫折組だ。
 なのに、加藤くんは何の負い目もないのに、わざわざ、俺を追って。

「絶対、あの学校に居た方が、人生有利だったでしょ?」

 逆に不安になって、俺は加藤くんに訴える。
 でももう今となっては、と思いながら、加藤くんに何か言わなきゃと。
 でも、加藤くんは首を横に振る。

「そりゃ、そう思います。でも、よく考えたんです。俺、これが初めての我儘だって」
「……?」
「俺、こんなことでもしなきゃ、今も両親の言いなりになって生きてたと思うから」

 加藤くんはそう、自信ありげに語り始めた。
 すっと顔を上げて、俺を見詰める。
 俺がどきりとするくらい、真っ直ぐな瞳だった。

「今までずっと、両親の言う通りにやってきた。でも、これは、篠宮さんのことは、初めて自分で決めたんです。初めて、自分で、生き方選んで」

 加藤くんはそう俺に笑う。
 今まで親の敷いたレールに載って歩いてきた。
 でも、俺と出逢って、初めて、迷いが生じて。
 このまま行けば間違いない道が目の前にあった。
 でも、加藤くんは、そのレールを蹴って。

「俺は、篠宮さんを好きになって、初めて自分の感情ってやつを知りました。怖くなったり、にやにやしたり。何か……すっごく楽しくなって」

 だから、俺が前の学校からいなくなったって知ったとき、加藤くんは凄くショックだったらしい。
 もう会えないっていう落ち込みと、このままではまた、元の言いなりの自分に戻るんじゃないかという恐怖。
 加藤くん、と俺は困惑する。
 だって、そんな、俺のせいで。
 そう俺は思ったんだけど、加藤くんは笑う。

「だから俺、一歩踏み出せたんですよ。篠宮さんを追って、言いなりのレールから飛び出せたんです」

 最初はただ、篠宮さんのことが心配で、会いたかっただけ。
 でも、と加藤くんは続ける。

「こっちの学校で篠宮さんを見て、元気そうっていうか、初めて純粋な笑顔見れて、ちょっと寂しくなったけど、俺も自由になれるんだって、確信しました」

 篠宮さんが、大丈夫になった。
 そう思うと、嬉しくなった。
 間違いじゃなかったって――
 加藤くんはそう照れながら言い切った。
 俺は衝撃の余り、完全に絶句していたけど。
 だって、俺のせいで、ひとりの人生狂わせて。
 えと、と言葉を探す俺。
 しかし加藤くんは続ける。

「確かに今もちょっと勿体ないかなって思いますけど、でも、正しい選択だと思います。だって、今俺、すげぇわくわくしてる」

 先が見えないっていう自由は、何でも選べるっていう自由。
 戸惑う俺に、加藤くんは手を伸ばす。
 そして俺の手を掴んで、にっこりと笑った。

「有り難うございます篠宮さん。好きです」

 なんて。
 お礼、告げられて。
 俺は首を横に振っていた。



 どうして俺はこうも、純粋な人を振り回してしまうんだろうって思う。
 その日の夜、ひとり落ち込んでいた。
 菱兄ィが話を聞いてくれたので、取り敢えず愚痴る。

「ほう、凄い少年だな」

 菱兄ィの感想に、そうだけど、と俺は項垂れる。
 何でこうも、俺なんかに触発されてくれちゃうんだろうか、って。
 俺なんかが誰かの人生変えていいわけないじゃんって。
 でも、菱兄ィは言う。

「……その子にとって、華倉の一件はきっかけだろ? 最終的に決めたのはその子自身なんだし、お前がそこまで気に病むことはないぞ」
「でも~」

 菱兄ィの言っていることも分かるけど、と俺は納得出来ない。
 あんなに純粋でいい子を、俺のネガティブに巻き込んだってことが心苦しいのだ。
 なんて愚痴愚痴していると、菱兄ィが溜め息を吐く。

「まぁ、金輪際そういうのが嫌だったら……強くなるんだな、もっと」

 そう言って、菱兄ィは新聞を読み始める。
 むう、簡単に言いやがって、とちょっと拗ねたけど、全くそうだなとも思う。
 俺は弱いんだ。
 精神的に。
 俺自身も、俺に振り回されている。
 気分屋で、どうしようもなく駄目な俺に、俺自身も抵抗が出来ていない。
 はぁ、と溜め息を吐いて、また凹む。
 嬉しいけど、やっぱり後ろめたい。
 もっと強くなろう。
 俺のこと好きだと言ってくれる人のためにも、もっと。


2017.3.6
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