初恋道中
「大丈夫……ですか？」
中庭のベンチに横たわったまま動かないその人を見付けて、俺はとうとう声を掛けた。
だってさっきから５分間くらいまじで動かないんだもん。
寝てるのかなとも考えたけど、そろそろ１１月も晦日で寒いしそりゃ無理だろと。
だから具合でも悪いのかなと考えを改めて、近付いてみたんだ。
その人は自分の腕で覆っていた目をゆっくり開けて、俺を認識する。
勿論知らない相手だ、お互いに。
同じ学園の生徒ではあるけれど、多分この人は先輩だ。
その人は再び目を掌で覆うと、んー、と短く反応。
あれ、やっぱり寝てたのかな、と首を傾げつつ、俺は続ける。
「具合が良くないなら、保健室行きましょうか？」
相手の様子を窺いながら対応していると、その人は首を横に振りつつ起き上がる。
「そういうんじゃないよ、大丈夫……」
ベンチに座り直して、深く溜め息を吐く。
俺はその時くらいからじわじわと、この人誰だったかな、と考え始めていた。
何か……この学園では有名人だったような。
そんな考えを巡らせる俺の前で、その人はベンチから立ち上がる。
「ありがと」
そう、寂しそうに笑って。
俺は薄い反応しか出来ずに、曖昧な頷きでその人を見送った。
その表情が、厭に脳裏に焼き付いた。
「……おい加藤。お前これマジか？」
俺は突き返された進路希望書を見ながら、じっと担任の前に立っていた。
職員室、昼休み。
中学３年生になったばかりではあるが、一応進路希望の調査をしている。
とは言っても、うちは中高一貫校なので、この場合の進路とは、高校卒業後のものだ。
私立浜ノ瀬学園は、所謂「御子息」が通う名門男子校である。
親は代議士や経営者、弁護士や裁判官などトップレベルの職に就いている生徒が集う。
男子校とは言っても、まぁ皆育ちは良いし、落ち着きもあるし、ほんとお坊ちゃんって感じの奴が多い。
そんな学園にうっかり通っている俺は……ぶっちゃけ一般家庭のガキだ。
親は普通のサラリーマンだし、俺自身特別な何かを持っているわけじゃない。
学園自体は別に入学条件に制限なんかないけど、世界に通用するハイレベルな教育を提供し、才有る人材を数え切れないほど輩出してきたので、大体通えるのはそういう系統の子どもだ。
しかし何を間違えたのか、中学受験をしてみたら受かってしまって。
何か教師の中に物好きでもいたのか、それとも例年バランスを取るために一般家庭からの入学者枠でもあるのか、俺は入学を許可された。
勿論親は大騒ぎだ。
学費も馬鹿にならないからなぁ。
確かに勉強も大変だわ。
授業は全般早いし濃いし、教師の話は面白いし。
付いて行けるようになるまで時間は掛かったし、今も気を抜けないけど、楽しい生活を送っていた。
そんな俺が今回書いた進路希望書。
まぁ、大した問題もなく、順調にやってきた俺だからこそ、担任は理解出来ないんだろう。
「何でこんなとこ行こうとすんの？ 南風原（はえばら）だよ？ 分かってる？」
「……はい」
勿論です。
承知で書いたんです。
中高一貫校なので、うちは高等部に上がるための試験はやるけれど、殆どの生徒はエスカレーターだ。
でもたまーに、ちょっとマズイなぁという事情があるだかすると、自主的に高校を変える生徒もいるらしい。
ぶっちゃけ、今回の俺の一番の理由は、それだ。
担任は怪訝そうに俺を見上げながら、んー、と唸る。
「……南風原ねぇ……」
……因縁って言えば、そうなんだろう。
今年の春、ひとり、その「ちょっとマズイ」のが出たのだから。
俺が去年の１１月の暮れに出会ったあの人のことだ。
あの人は１つ先輩だった、篠宮華倉さん、という。
同じ頃には高等部３年生に兄である篠宮菱人さんって人がいて、この人がドエラく優秀で、今年の３月にトップで卒業した。
何でも篠宮家っていうのは、この辺じゃ知らぬ者のいない資産家らしいんだが。
菱人さんっていうのがそこの長男さんで、華倉さんが次男。
しかしこの華倉さんが、菱人さんがいたせいもあるんだろうけど、結構なポンコツ、だった、んだと。
所謂落ちこぼれで、結局進級試験も落ちて、高校を変えたんだ。
その先が、俺が進路希望書に書いた、県立南風原高等学校だ。
はっきり言って三流の高校だ。
ここ、浜ノ瀬学園とは月とすっぽんらしい……。
「何でこんなとこ行きたいの？ わざわざ？」
担任が再び訊いてくる。
俺は確かに現在不満はない。
何とか高校もやっていけるとは思っている。
でも、違和感が、残る。
「今も結構ギリギリなので……途中で辞めるよりかは、安全策かな、と」
「そうかぁ？」
途中で駄目になるかも、と、弱気な発言をしてみた。
半分嘘で、半分本音だったけど。
担任にはそうは見えてないらしい、首をかしげている。
本当のところ、理由は全く別なんだけど。
「まぁーまだ時間あるし、もう一度考え直せ。いい返事を期待してるから」
ほれ、と進路希望書は、やっぱり突き返された。
俺はそれを受け取り、はい、と頷く。
俺でもこれくらいの扱いだ。
篠宮さんは、地獄だったんだろうな。
「祥吾（しょうご）、お前本当に浜ノ瀬辞めるのか？」
ずい、と前のめりに顔を近付けながら、父親が言った。
訊いて来たというよりは、俺の意志の撤回を求めているようだった。
俺はちょっとだけ間を空けて、うん、と小さく頷く。
母親も残念そうにしていた。
そりゃそうだ。
こんなトップレベルの学校に通えていて、成績も悪くない。
学歴としては充分過ぎる結果が残せるだろうし、将来性にも申し分ない。
だけど、何だろうなぁ……。
「確かに中学受験って言われたときは面倒だったし、でも受かったときは自分のこと感心した。正直……その」
漠然とした不安。
何て言うんだろうか。
篠宮華倉さんのことも気になっていることに加えて、何となく、落ち着けない。
「俺にとっては、もう、浜ノ瀬でやりたいことってないなぁって」
見晴らしのいい進路も、品のある同級生も、俺を誇らしく思ってくれる家族も、そりゃ悪くはないけど。
それがちょっとだけ、居心地の悪さに思えて。
スムーズ過ぎるのかな。
物足りない感じ。
「お前、そんなわざわざ苦労する方なんか行かなくていいんだぞ」
俺の曖昧な理由を聞いて、何とか自分なりにまとめて理解してくれたらしい、父親が呆れたようにいった。
そうとも思うけど……。
「それに今だって頑張ってるでしょ、祥吾は。環境くらいは万全に整ってて損はないのよ」
なんて、父親の意見に、母親も説得を被せて来る。
まぁ確かに、努力はしてるつもり。
それでも消えないこの違和感。
そうなんだけどそうじゃない、って複雑な主張が鳴り響く。
何か違うんだ、論点が、話の核心が突けていなくて。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」
結局。
そんな風にうだうだしていたせいか、あの後成績が伸び悩み、俺は結果として高校を変えた。
今日はその、県立南風原高等学校の入学式だ。
体育館の壇上、マイクで喋っているその人を見て、俺は絶句した。
校長、教頭、来賓の挨拶に引き続いて、生徒会会長からの、祝辞。
嘘だろ。
「初めまして、生徒会会長の篠宮です」
微かに周囲の女子たちがざわつく。
かっこいーとか何とかいうそんな声を聞きながら、俺はフリーズしていた。
篠宮さん、って、あの、篠宮華倉さん？
あの時、寂しそうに笑っていた、篠宮さん？
今檀上で挨拶をしてくれている篠宮さんからは、その時の感傷的なイメージは全くなかった。
何と言うか、すっきりしてて、穏やかそうっていうか。
あの感じ……が、俺、苦手だった、んだっけ。
浜ノ瀬の生徒は、気品があって礼儀正しくて、穏やかで。
好青年を具現化したかのような存在で。
ああ、そうか。
篠宮さんも本当は、そういう上品な人間なんだ、よ、な。
何故だろう、ショックだった。
一通り、篠宮さんの挨拶が済んで、壇上から姿を消す篠宮さん。
中庭のベンチに横たわったまま動かないその人を見付けて、俺はとうとう声を掛けた。
だってさっきから５分間くらいまじで動かないんだもん。
寝てるのかなとも考えたけど、そろそろ１１月も晦日で寒いしそりゃ無理だろと。
だから具合でも悪いのかなと考えを改めて、近付いてみたんだ。
その人は自分の腕で覆っていた目をゆっくり開けて、俺を認識する。
勿論知らない相手だ、お互いに。
同じ学園の生徒ではあるけれど、多分この人は先輩だ。
その人は再び目を掌で覆うと、んー、と短く反応。
あれ、やっぱり寝てたのかな、と首を傾げつつ、俺は続ける。
「具合が良くないなら、保健室行きましょうか？」
相手の様子を窺いながら対応していると、その人は首を横に振りつつ起き上がる。
「そういうんじゃないよ、大丈夫……」
ベンチに座り直して、深く溜め息を吐く。
俺はその時くらいからじわじわと、この人誰だったかな、と考え始めていた。
何か……この学園では有名人だったような。
そんな考えを巡らせる俺の前で、その人はベンチから立ち上がる。
「ありがと」
そう、寂しそうに笑って。
俺は薄い反応しか出来ずに、曖昧な頷きでその人を見送った。
その表情が、厭に脳裏に焼き付いた。
「……おい加藤。お前これマジか？」
俺は突き返された進路希望書を見ながら、じっと担任の前に立っていた。
職員室、昼休み。
中学３年生になったばかりではあるが、一応進路希望の調査をしている。
とは言っても、うちは中高一貫校なので、この場合の進路とは、高校卒業後のものだ。
私立浜ノ瀬学園は、所謂「御子息」が通う名門男子校である。
親は代議士や経営者、弁護士や裁判官などトップレベルの職に就いている生徒が集う。
男子校とは言っても、まぁ皆育ちは良いし、落ち着きもあるし、ほんとお坊ちゃんって感じの奴が多い。
そんな学園にうっかり通っている俺は……ぶっちゃけ一般家庭のガキだ。
親は普通のサラリーマンだし、俺自身特別な何かを持っているわけじゃない。
学園自体は別に入学条件に制限なんかないけど、世界に通用するハイレベルな教育を提供し、才有る人材を数え切れないほど輩出してきたので、大体通えるのはそういう系統の子どもだ。
しかし何を間違えたのか、中学受験をしてみたら受かってしまって。
何か教師の中に物好きでもいたのか、それとも例年バランスを取るために一般家庭からの入学者枠でもあるのか、俺は入学を許可された。
勿論親は大騒ぎだ。
学費も馬鹿にならないからなぁ。
確かに勉強も大変だわ。
授業は全般早いし濃いし、教師の話は面白いし。
付いて行けるようになるまで時間は掛かったし、今も気を抜けないけど、楽しい生活を送っていた。
そんな俺が今回書いた進路希望書。
まぁ、大した問題もなく、順調にやってきた俺だからこそ、担任は理解出来ないんだろう。
「何でこんなとこ行こうとすんの？ 南風原（はえばら）だよ？ 分かってる？」
「……はい」
勿論です。
承知で書いたんです。
中高一貫校なので、うちは高等部に上がるための試験はやるけれど、殆どの生徒はエスカレーターだ。
でもたまーに、ちょっとマズイなぁという事情があるだかすると、自主的に高校を変える生徒もいるらしい。
ぶっちゃけ、今回の俺の一番の理由は、それだ。
担任は怪訝そうに俺を見上げながら、んー、と唸る。
「……南風原ねぇ……」
……因縁って言えば、そうなんだろう。
今年の春、ひとり、その「ちょっとマズイ」のが出たのだから。
俺が去年の１１月の暮れに出会ったあの人のことだ。
あの人は１つ先輩だった、篠宮華倉さん、という。
同じ頃には高等部３年生に兄である篠宮菱人さんって人がいて、この人がドエラく優秀で、今年の３月にトップで卒業した。
何でも篠宮家っていうのは、この辺じゃ知らぬ者のいない資産家らしいんだが。
菱人さんっていうのがそこの長男さんで、華倉さんが次男。
しかしこの華倉さんが、菱人さんがいたせいもあるんだろうけど、結構なポンコツ、だった、んだと。
所謂落ちこぼれで、結局進級試験も落ちて、高校を変えたんだ。
その先が、俺が進路希望書に書いた、県立南風原高等学校だ。
はっきり言って三流の高校だ。
ここ、浜ノ瀬学園とは月とすっぽんらしい……。
「何でこんなとこ行きたいの？ わざわざ？」
担任が再び訊いてくる。
俺は確かに現在不満はない。
何とか高校もやっていけるとは思っている。
でも、違和感が、残る。
「今も結構ギリギリなので……途中で辞めるよりかは、安全策かな、と」
「そうかぁ？」
途中で駄目になるかも、と、弱気な発言をしてみた。
半分嘘で、半分本音だったけど。
担任にはそうは見えてないらしい、首をかしげている。
本当のところ、理由は全く別なんだけど。
「まぁーまだ時間あるし、もう一度考え直せ。いい返事を期待してるから」
ほれ、と進路希望書は、やっぱり突き返された。
俺はそれを受け取り、はい、と頷く。
俺でもこれくらいの扱いだ。
篠宮さんは、地獄だったんだろうな。
「祥吾（しょうご）、お前本当に浜ノ瀬辞めるのか？」
ずい、と前のめりに顔を近付けながら、父親が言った。
訊いて来たというよりは、俺の意志の撤回を求めているようだった。
俺はちょっとだけ間を空けて、うん、と小さく頷く。
母親も残念そうにしていた。
そりゃそうだ。
こんなトップレベルの学校に通えていて、成績も悪くない。
学歴としては充分過ぎる結果が残せるだろうし、将来性にも申し分ない。
だけど、何だろうなぁ……。
「確かに中学受験って言われたときは面倒だったし、でも受かったときは自分のこと感心した。正直……その」
漠然とした不安。
何て言うんだろうか。
篠宮華倉さんのことも気になっていることに加えて、何となく、落ち着けない。
「俺にとっては、もう、浜ノ瀬でやりたいことってないなぁって」
見晴らしのいい進路も、品のある同級生も、俺を誇らしく思ってくれる家族も、そりゃ悪くはないけど。
それがちょっとだけ、居心地の悪さに思えて。
スムーズ過ぎるのかな。
物足りない感じ。
「お前、そんなわざわざ苦労する方なんか行かなくていいんだぞ」
俺の曖昧な理由を聞いて、何とか自分なりにまとめて理解してくれたらしい、父親が呆れたようにいった。
そうとも思うけど……。
「それに今だって頑張ってるでしょ、祥吾は。環境くらいは万全に整ってて損はないのよ」
なんて、父親の意見に、母親も説得を被せて来る。
まぁ確かに、努力はしてるつもり。
それでも消えないこの違和感。
そうなんだけどそうじゃない、って複雑な主張が鳴り響く。
何か違うんだ、論点が、話の核心が突けていなくて。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」
結局。
そんな風にうだうだしていたせいか、あの後成績が伸び悩み、俺は結果として高校を変えた。
今日はその、県立南風原高等学校の入学式だ。
体育館の壇上、マイクで喋っているその人を見て、俺は絶句した。
校長、教頭、来賓の挨拶に引き続いて、生徒会会長からの、祝辞。
嘘だろ。
「初めまして、生徒会会長の篠宮です」
微かに周囲の女子たちがざわつく。
かっこいーとか何とかいうそんな声を聞きながら、俺はフリーズしていた。
篠宮さん、って、あの、篠宮華倉さん？
あの時、寂しそうに笑っていた、篠宮さん？
今檀上で挨拶をしてくれている篠宮さんからは、その時の感傷的なイメージは全くなかった。
何と言うか、すっきりしてて、穏やかそうっていうか。
あの感じ……が、俺、苦手だった、んだっけ。
浜ノ瀬の生徒は、気品があって礼儀正しくて、穏やかで。
好青年を具現化したかのような存在で。
ああ、そうか。
篠宮さんも本当は、そういう上品な人間なんだ、よ、な。
何故だろう、ショックだった。
一通り、篠宮さんの挨拶が済んで、壇上から姿を消す篠宮さん。
