初恋道中

 続きまして、と司会進行のアナウンスを聞き流しつつ、俺は、何かを考えていた。
 ショックとも、後悔とも違う、強いて言えば、裏切り。
 何を勝手にその気になっていたんだろうっていう、自分への落胆だった。



 それから校内で、時々見掛ける篠宮さんは、楽しそうだった。
 俺のことなんかまるで覚えてないみたいで、すれ違っても何もない。
 俺だけがちょっと歩みを遅くして、振り向いてしまう。

 篠宮さんにはいつも、誰かが隣にいた。
 慕われてるんだなと一目で分かったし、周囲の人たちが篠宮さんが好きなことも。

 あの人も、あんな風に笑うんだな……。

「祥吾~、次物理だぞ」

 ぽふ、と軽い力で頭をノートで叩かれた。
 咲加(さきか)だ。
 高木咲加は高校に入って知り合って一番よくつるんでいる友人だ。
 うん、と返事をして荷物を取り出す。

 咲加はそんな俺からふっと視線を離し、何かを見付けたようだった。

「こら真平(まひら)。カバン持って何処行くんだよ」

 同じクラスのモテ男、真平和弘(かずひろ)の肩を掴んで、咲加が詰め寄る。
 真平は平静を装った顔をしつつも、何となく動揺が現れた声で答える。

「何処って……帰るんだけど?」
「あと授業1コマだぞ、もうちょっと頑張れよ」

 咲加のそんな叱責に、真平はしかし「えぇー」と不満気。

「物理じゃん。寝るじゃん。いなくても一緒!」
「阿呆! その場にいるかいないかは天と地の差だよ!!」

 寝ててもいいからとにかく居ろよ! と咲加のお叱り。
 真平は確かに入学当初からサボったり遅刻したりが多かった。
 でも不思議なことに、此処の高校では、そんな素行でもあまり目立った咎めはない。

 今までいた浜ノ瀬学園の空気に慣れてるせいか、俺の性格も大人しいせいか、それ自体が結構疑問だった。
 与えられたルール内で行動しないという、不協和音。
 でも、それを指摘しないという、矛盾。

「頼むよ咲加~今日だけ帰らせて~! 今日は『月刊にゃんころ』の発売日なんだよー」
「だったら尚更まずいだろ時間的に! いいからあと1時間待て!」

 月刊にゃんころ。
 真平は猫好きなのか……。

 なんて遠巻きにふたりのいざこざを眺める。
 このふたり、実は付き合ってるらしいのだ。
 勿論恋愛関係の意味で、だ。

 真平はあんなにモテて、実際緩くて、遊びまくっているんだけど、本命は咲加なんだと。
 咲加も未だに自分でも不思議に思いつつも、何だかんだ好きなので、ああして相手をしてる。

 真っ直ぐに、咲加の方法で、真平との関係を創り上げていっている。

「真平って、授業出てない割に、赤点とか取らないよね」

 そろそろ授業が始まってしまいそうになっているので、俺は咲加と真平に声を掛けて急かす。
 結局真平はカバンを持ったまま、咲加に連行されていた。
 そんな真平に対して、俺は抱いていた疑問を投げた。

 はっきり言って、真平が教科書を開いているところを見たことがない。
 咲加に訊いてみたこともあるけど、1回か2回くらい、とのこと。
 なのに定期試験ではそこそこの成績だし、どうなってんの?

「もしかして話聞かなくても分かっちゃう類の人?」

 俺がそう怪訝そうな目で見ながら真平に訊ねる。
 真平は観念した様子で、自分の腕を引っ張っていた咲加の手を、自分の手に移動させる。
 指を絡ませたところで「おい!」とツッコむ咲加に笑い掛けながら、真平は答える。

「そんなことないよ~。でも頼めば教えてくれる子は大勢いるし、わざわざ授業出て枯れた教師に教わらなくてもいいかなーって」
「真平てめぇぇぇ!!!」

 あははー、と呑気に喋っていた真平の頬に、咲加の拳が飛んで来た。
 しかも繋いでいる方だったので、真平は半分自分に殴られる形になっていた。

 いたい、という真平の短い叫び。
 このふたり、これでバランス取れてるっていうんかなぁ……。

 謎を抱えたまま、物理室に着く。
 授業が始まり、最初は集中していたんだけど、ふと一瞬で飽きが来る。
 もう今日最後の授業だし、眠いし。

 なんて考えつつちらりと視線を動かすと、真平が目に付いた。
 まじで寝てる。
 でも真平って、咲加との約束は守るよなぁ……。
 やっぱりそれだけ好きなんかな。

 同時に、何気無く教室内を見回すと、もはや集中していない生徒が割といた。
 何とか睡魔と闘っていたり、別の教科のプリント進めてたり。

 本当、何故こんなバラバラなんだろな。
 ルールは与えているのに、注意はしない学校も。
 そのルール内で過ごせば何も問題なく過ごせるのに、わざわざ破る真似する一部の生徒も。

 変なの。
 何故そんなに、好きに行動出来るの。

「真平、本屋寄ったらファミレス行くぞ」

 物理も終わって、放課後。
 よく寝た~、と言わんばかりにのそのそ動いている真平に、掃除当番を済ませた咲加が声を掛ける。

 何で、と首を傾げる真平に、咲加は1枚のプリントを突き出す。

「これ片付ける。お前自身で」
「……ほほう、勉強会ですか」

 ああ、さっき物理で出た課題か。
 確かに今日の話だと、多分真平は自分ではやらんね。

「咲加、面倒よく見るねぇ……」

 気持ちは分からなくはないけど、でも多分俺は、そこまでしないだろうなぁ。
 言われたことをやらない理由は分からないけれど、だからって手伝ってやろうとは思えないし。
 俺にそこまでの義理はないもんな。

 なんて、案外薄情な自分の価値観に気付きつつ、もやもやを感じていた俺に、いやまぁ、と咲加は答える。

「一緒に居られる口実には最適だし……俺にとっても真平にとっても損はないし……って」
「……ああ」

 まぁそう言われてみれば、確かに。
 どこにも不都合のない選択だ。
 しかしそれを聞いた真平が、咲加、と呼ぶ。

「だったらファミレスじゃなくて俺ん家でいいじゃん?」
「それとこれとは別の話なんで」

 ……ここはスルーしておこう。

「俺は今んとこ、真平と一緒に居られるなら何してるでもいいし。むしろそういう些細なことしてみた方が、真平の細部まで分かっていいじゃん?」

 ああ。
 こういう考え方を、人は、「恋をしている」って呼ぶのか。

 咲加~と嬉しそうに咲加を抱き締める真平。
 何だかんだラブラブじゃねぇかこいつら。
 と真顔で思いつつ、俺は別のことを考えていた。

 脳裏に流れて来た、篠宮さんのこと。
 そう言えば俺は何でこんなにも、あの人のことが気になってたんだっけ……。



「どうしたの? 大丈夫?」

 あの時のような、やり取り。
 初めはうたた寝していて見た、夢なのかと思った。
 でもそれは現実に起きていたやり取りだった。

 窓の桟に突っ伏して動かない俺に、声を掛けて来てくれた、その人。
 俺はゆっくりと顔を上げて、篠宮さんを見た。

「具合でも悪い?」

 心配そうに、でもあくまで冷静に俺に訊ねる篠宮さん。

 違う。
 違う、じゃん。

 あんた、そんな、じゃ、なかったじゃん。

「っ、い、じょうぶ、です……っ」

 何でも無いです、と動揺して、慌ててその場から逃げた。
 失礼なことも承知だった。
 でも同時に全くあの人の記憶にいないことがショックだった。
 そして。

 壁に腕を付けて、やや寄り掛かって立ち止まる。
 俯いた顔は、きっと歪んでた。

 知りたくなかった。
 俺が恋した篠宮さんの方が、嘘だっただなんて、知りたくなかったよ。

 なぁ、だったら、だったら何で、追い掛けて来たりしたんだろう。

『一緒に居られるなら何してるでもいいし』

 そうだよ、俺もそう思った。
 だから篠宮さんのこと追い掛けて、此処に移ったんだ。

 でも、違った。
 俺が欲しがっていた物は、もう消えて無くなってた。
 ルールを破ったばっかりに。

 変なの、本当に。
 どうしてそんな明らかなことが、分からなくなるの。


2018.5.16
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