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海賊さんの拾いもの

あまりに何も無い毎日。
平和なことは何よりなのだが、それにしても退屈だ。
そもそもが寂れた廃集落であるのに、降り積もった雪が音を飲み込むせいで余計に閑散としている。
聞こえてくるのは、時折風に乗って運ばれてくる山の音だけ。
冬でも眠らない鳥や獣もいる。
あばたが苦手なキツネもそのうちに含まれ、その声が聞こえる度に相変わらず耳を塞いだ。




「暇です」

あばたは手持ち無沙汰に火鉢の周りをゴロゴロと転がり回る。

「じゃあ雪かきでもしてきたら?」

「ええ〜、さっきしたばっかりじゃないですか」

かいてもかいてもすぐに積み重なる雪。
雪をかいては火鉢で温まってを繰り返すだけの日々に、あばたはいい加減うんざりしていた。
それでも仕方ないのでため息をついて、よっこらせと身体を起こす。

扉を開くと、家の中にもひゅうと雪が舞い込んだ。
厚い雪雲が日の光を遮るせいで、外は昼間だというのにどんよりと暗い。
刺すような空気と静寂を揺らして冷たい風が吹く。

その日、風が運んできたのはいつもの山の音とは異なる音だった。
たった1発だけ響いた、間延びした銃声。
距離は離れていたが、その音はとても力強く感じられた。

「銃声?山の方から聞こえましたけど、何でしょう……」

「さあ。猟師が狩りでもしてんのかもな」

「こんな雪の日にですか?」

あばたは不審そうに山の方を見つめていたが、もうすっかり静まり返って何の音も聞こえてこなかった。
そんなふうにして戸口に立っていたら、「雪かきしないんなら閉めてくんない。寒いんだけど」と海賊に言われてしまったので、あばたはそっと扉を閉じた。

今の季節、ヒグマは冬眠している。
遭遇する危険がない分のびのびと狩りを行えるのかと思いきや、ヒグマが眠っているからこそ行える猟法がある。
冬ごもり中の巣穴を狙い、中にいるクマを叩き起して起き抜けのところを仕留めるのだ。

海賊はそんな知識を披露し、人から聞いた話だから詳しくは知らないけど、と締め括った。
その相手は“悪夢のクマ撃ち”なんて呼ばれるほどの凄腕猟師であり、脱獄囚人の1人だという。

「猟に命をかけるような変人で、刺青の暗号も脱獄の手段程度にしか考えてなかった。金塊なんぞには目もくれず、今頃どっかの山中でクマでも追いかけてるだろうぜ」

「えっ。じゃあさっきの銃声はもしかして……」

「かもな。行って確かめてみるか?」

「いえ、遠慮しておきます」

その“二瓶”とかいう男はなかなかの曲者であるようだが、問答無用で襲いかかってくる殺人鬼ではなさそうだ。
しかし、彼の口癖を聞いたあばたは、あまりお近付きにはなりたくないなと思ったのであった。
そんなこと言ったって、どうせ引きずってでも連れていかれるんだろうという予想に反し、海賊も深追いするつもりはない様子である。
山を熟知した猟師相手に雪山では分が悪いということや、とんだ頑固者で山から連れ出して仲間に引き入れるのは不可能だという理由もあるだろう。

それにしても、あっさりとしている。
この件だけではない。
何の収穫も得られないまま、こんな古びた家で冬を越していること自体が不自然だ。
海賊の囚人に対する執着は、初めの頃よりずいぶんと薄らいでいるように感じられる。
もしかしたら、囚人探しなんてまどろっこしいことをしなくて済む他の方法にあらかたの見当がついているのかもしれない。
完全に道を切り替えるにはまだ至らないが、といったところだろうか。
それが囚人と殺し合うより安全で穏便な方法であることをあばたは願った。




「でも、そうだよなあ。網走を出てからもう1年以上経つ。そろそろ動き出す奴がいてもおかしくないか」

「どういうことです?」

「脱獄から時間が経てば経つほど、事件のほとぼりは冷めるし、囚人側の準備も整う。今まで大人しくしてた奴らも、そろそろ痺れを切らして遊び始める頃合いなんじゃねえかと思ってな」

解き放たれた囚人たちが自由を手にして何を思うのか。
まさか改心して世のため人のために働こうとはなるまい。
檻の中で溜まりに溜まった満たされない欲求を晴らしたくて仕方ないはずだ。
それがヒグマ猟や酒や博打や女遊びなどなら可愛いもので、囚人の中には猟奇的な快楽殺人者だっている。
彼らが今1番求めるものは、言わずもがな殺人によって得られる愉悦であろう。

「人を殺したくてうずうずしているような狂人が野放しになっているなんて、おちおち寝てもいられないじゃないですか」

「なんだ。湖に身投げするのは怖くないのに、殺人鬼に殺されるのは怖いってのか」

「それとこれとは別ですよ。痛いのは嫌ですし、血を見るのも嫌いです。苦しくても安らかに眠れる方がいいんです」

海賊の「あっそ」という相槌で会話は途切れた。
静かになった部屋の中に、風が揺らす扉の音だけがカタカタと響く。
あばたは胸に浮かんだ言葉を振り払って消し去った。

“もし私が殺されそうになったら、守ってくれますか”

そんなこと、冗談めかしても聞ける勇気はなかった。









「漁場に行ってみるのはどうでしょう」

というあばたの提案で、2人は小樽の海岸に来ていた。
本格的な群来の到来を前に、ニシンが海岸沿いに集まり出す季節。
それを稼ぎとする季節労働者たち、いわゆるヤン衆たちもまた続々と集まりつつある。
一昨年、この地に来たばかりのあばたもそのうちの1人であった。

ここには仕事が溢れている。
特に漁の最盛期ともなれば人の手などいくらあっても足りない。
流れ着いた訳ありの者ですら立派な労働力である。
脛に傷があろうと、体に墨が入っていようと、顔中痘痕だらけだろうと、働きさえすれば飯と寝床が提供される。
素性を知られたくない者が隠れ潜むにはうってつけの場所だ。
ソーラン節と波の音に紛れて、脱獄囚人が潜んでいる可能性も十二分にあり得るだろう。



「本当にこんなところにいんのかなー」

海賊は訝しげな様子だ。
どうも真っ当に働くことに対してあまり乗り気ではないらしい。

「まぁまぁ、試しに見てみる価値はあると思いますよ。白米とニシンも食べられるし」

「お前それ食いたいだけだろ」

そんな他愛もない話をしながら、これから暫く厄介になる番屋で作業に出るための身支度を済ませる。

「その髪、邪魔になりそうなので束ねましょうか」

あばたは自分の櫛を取り出し、海賊の髪に通す。
相変わらず滑らかでいて張りのある綺麗な黒髪。
持て余すほどに長く良質なその髪を、何かもっとこう素敵な結い方で飾りつけたい衝動に駆られる。
都会の方ではお洒落な髪型が流行しているのだとか。
しかし残念なことに、手先が不器用なあばたには後ろで1つに束ねてやるのが精一杯であった。

「その櫛、綺麗だよな。あばたちゃんの持ち物にしては良いもんみたいだ」

「姉が生前にくれたものです。私の元に残った形見はこれくらいしかありません」

半月型の柘植の櫛。
柄には立派な彫り装飾が施されている。
姉はこの櫛でいつもあばたの髪を梳いてくれていた。
器用な姉の手にかかれば、凝った髪型だって朝飯前なのだ。

思い出話は嫌いだったはずなのに、あばたの口はするすると抵抗なく動いた。
海賊と話していると、思い出したくないことまでずるずると出てくることがないからかもしれない。

「髪を切ってからは自分じゃあまり使わなくなっちゃったんですけどね」

あばたは自分の髪の毛先を弄りながら言う。
伸びかけると鬱陶しくてすぐに切ってしまい、切り口はざっくばらんなまま放ったらかし。
溢れ出る自暴自棄感に我ながら苦笑いである。

「あばたちゃんも伸ばせばいいじゃん。そっちのがカワイイと思うけどな」

「は?」

「……なんだよその顔」

あばたはトドマツの葉を噛んだような顔をした。
そういったことはお世辞にも言われ慣れていないので、どう対応していいか分からなかったのだ。





冷たい潮風が吹き抜ける海岸はまだ寒い。
一番の防寒は一生懸命体を動かし働くことだ、なんていうのはさすがに言い過ぎであるが、突っ立っているより幾分もマシなのは事実である。

「んで、働くつったって何すればいいわけ」

「さあ。私は揚がった魚を運ぶだけなので他の仕事のことはよく分かりません。どっかその辺の人に聞いてください」

それじゃ、とあばたはモッコを背負って船着き場の方へ向かっていった。
そんな無責任なことに苛立ちを覚えつつ、海賊は手頃な者を探して海岸を見渡してみる。
まだそう忙しい時期ではないためか、手の空いている者もちらほらいるようだ。
海賊はその中の1人に目をつけて話しかける。

「なあ、そこのあんた。ちょっといいか」

「ええっ、僕ですか?は、はい。なんでしょう」

急なことで驚いたのか、そのいかにも平凡そうな中年の男は少し動揺した様子で答えた。

「ここに来たばかりで仕事のこととかよく分かんなくてさ。もしよければ色々と教えてほしいんだけど」

「なんだ、そうでしたか。ええ、ええ。大丈夫ですよ」

男は快く頼みを引き受けると、漁場を案内しながら仕事のあれこれを教えてくれた。
時折、変な声が聞こえてくる気もするが、それ以外は至って丁寧で人当たりの良い男である。

「とまあ、大体こんな感じでしょうか。あとは実際に働いて覚えてもらえれば。今の仕事量が少ない時期のうちに慣れてしまうといいですよ」

「ああ、つき合わせて悪かったな。おかげで助かったよ」

「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」

男は愛想の良い笑みを浮かべて返す。
海賊はその顔に見覚えがあるような気がしていた。

「ところでさ、あんた前にどっかで会ったことあったっけ?」

「えっ!?さ、さあ。どうでしょう。僕はあちこちの漁場を転々としているので……」

「なーんかどっかで見たことある気がするんだよな。それにあんた、さっき海岸で俺らのことをチラチラ気にしてただろ?」

「そりゃあ、あなたみたいな大きな人がいれば誰でも気になりますよ。ほら、あちらのお嬢さん方もあなたに興味津々のようです」

男が指す方では、モッコ背負いの女たちが集まって井戸端会議を繰り広げている。
彼の言うとおり、海賊を話のネタにして色めきだった盛り上がりを見せているようだ。
力仕事がほとんどのここでは、体が大きくて力の強い男はモテるのだという。
男は冗談っぽく「羨ましいですね」と言って、はははと笑った。

「なるほど、稼げる男を捕まえられりゃ金には困らねえもんな。シタタカでいいね、おもしろい」

「ああ、でもここの女将さんには気をつけた方がいいですよ。何でも、気に入った男を引っ掛けて遊ぶ癖があるそうで。前にそれで親方と揉めて警察に突き出された人もいたそうですから」

「そりゃまた可哀想な話だな。俺も警察沙汰は御免だし、忠告ありがたく受け取っとくぜ」




それじゃあそろそろ仕事にかかろうか、とした時であった。

「大変ですよぉぉー!!」

と、あばたが息せき切って駆け込んできたのである。
その焦りに焦った様子は、何か重大なことがあったに違いなかった。
まさか、囚人の情報でも手に入ったのだろうか。

そんな海賊の期待は、あばたの一言によって根元からぽっきりと折られてしまう。

「クジラが食べられるかもしれません」

あばたは息を整えながら事情を説明した。
寄りクジラが浜に打ち上げられて死んだ。
肉が新鮮で食べられるので、漁場の漁師たちで解体していただくことになった。
要するにそういうことである。

「早くしないと解体が始まっちゃいます」

おおよそ女子の趣味とは思えないが、何故かあばたはクジラの解体を見たいらしく、早く早くと急かして海賊の袖を引っ張る。
海賊は彼女の自由勝手な言動に酷く呆れたが、引っ張られるまま素直に従った。




海岸に横たわる黒々とした巨体は、漁師たちの手によって赤黒い肉片へと切り分けられた。
更にそれらは調理され、刺身や鍋といったご馳走に姿を変えた。
仕事始めに縁起が良い、しっかり食って滋養強壮だ、と宴会さながらの雰囲気である。

あばたの地元でもクジラは身近な食材であった。
懐かしい味、と言っても生の肉は贅沢品なのでほとんど食べたことはない。
魚っぽくもあり獣っぽくもある、旨味の塊のようなその肉に舌鼓を打つ。
そのうえ、ここには真っ白な飯までも用意されている。
まさしく贅の極み。
あばたは満悦至極で腹を膨らませた。

「それにしても大きなクジラでしたね。前に見たことあるのはもっと小さかったような気がします。種類が違うのかも?確かにそう思えば味も若干違うような……」

あばたは1人でぶつぶつ呟きながら考え事に熱中し始める。
それを海賊は興味無さそうに、鯨料理を頬張りながら黙って見ていた。

「ああ、そうだ!思い出しました。“ゴンドウクジラ”です。地元の方でよく食べられていたのは確かそんな名前だった気がします」

「へぇ、ゴンドウってのがいんのか。それって美味いの?」

「美味しいですよ。身や皮はもちろん、内蔵を茹でたのを酢味噌でいただくのもオススメです」

「ええ〜、まじか。でもまあ、美味いならいっか」

どうやら海賊の脳裏には同じ名前の家臣の顔が浮かんでいるらしい。
あばたもまだ見ぬその人の顔を思い描いてみるが、クジラの語感がついてきてしまって上手くいかなかった。
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