海賊さんの拾いもの
小樽に潜伏してしばらく、2人はこれといって目ぼしい情報を得られずにいた。
やはり注意深く息を潜めているのか、もしくは既に何者かによって狩られてしまったのか。
どちらにせよ、何の手がかりも掴めないまま時間を浪費するわけにはいかない。
春を待っても進展がなければ、一旦この場所を離れて捜索範囲を広めることとした。
人目を忍んで長期的に滞在できる場所を探し、辿り着いたのは街はずれの廃集落。
いかにもオンボロといった家々の中から、比較的まだ住めそうな廃屋を見繕って上がり込む。
それでもあちこち隙間や穴だらけで、家の中にいるというのに吹きさらしとそう変わらない寒さだ。
そのうえ、風が吹き込むたびに不気味な音が鳴るものだから、あばたは余計に寒く感じた。
暖と明かりを確保するために囲炉裏に火を起こす。
薄闇で満たされていた室内がぼんやりと照らし出された。
家の中を調べるのは明日にして、ひとまず眠りにつくことになったのだが、あばたはなかなか寝つけない。
あまりにソワソワと落ち着かないので、耐えかねた海賊が迷惑そうな視線を向ける。
「あのさぁ、あばたちゃんのせいで全然眠れないんだけど。さっきから何をそんなにソワソワしてるわけ」
「いやだって、不気味じゃないですか。何か出そうで……」
「何かって何?」
「虫とか、幽霊とか、妖怪とか……」
あばたは至って真面目に怖がっているのだが、その様子がおかしくて海賊は吹き出した。
「なにがおかしいんですか!」
「いやいや、虫はともかく幽霊とか妖怪って。そんなもんいるわけねえだろ」
「どうしてそう言い切れるんです」
「今までに一度も見たことないから」
あばたの目には不安と怒りで涙が滲んでいるが、海賊は笑いすぎて目じりに涙を浮かべていた。
「なんつーか、あばたちゃんもちゃんと女なんだな。ちょっと安心したよ」
頭をぽんぽんと叩かれ、馬鹿にされていると感じたあばたは反抗的な目で海賊を睨みつけた。
そういう目つきの人間が心から怪異の類に脅えているという構図が、海賊にはおもしろくてならないのだが。
「そんなに怖いんなら手つないで寝てやろうか」とからかい半分に海賊が言うので、頭に来たあばたは「もういいですッ!」と言い放って背を向けてしまった。
その後もあばたは風音や家鳴りにビクビクしていたが、気を張り疲れたのかいつの間にか眠りに落ちていったようである。
翌日、ボロ家の大掃除が行われた。
放置されたままの家具から使えそうなものを探して綺麗にする。
押入れにしまわれていた布団も、よく洗って日に当てて干した。
引き出しを開けたり家具を動かしたりする度、虫やネズミが飛び出してくるのではないかと、あばたは気が気でなかったが、これだけ寒い家ならネズミはいないと海賊は言い張っていた。
あばたはこのとき初めて、忌々しく黒光りするあの虫が北海道にはいないことを知り、なんていいところなんだと改めて思った。
作業がひと段落したところで、あばたは息抜きに庭へ出た。
夕空の下でググーっと伸びをしたり肩をグルグル回したりしてみる。
ふぅ、と白い息をつき、家へ戻ろうと振り返ったところで、視界の端に吐息とは違う白いものが映った。
「ぎあああああッ!!」
凄まじい悲鳴が凄まじい速度で接近してきて、海賊の背中にぶつかって止まる。
海賊が驚いて振り返ると、小刻みに震えるあばたが背中に顔を埋めて抱き着いているのであった。
「いってえな、何だよ急に。って、あばたちゃん泣いてんの?」
顔を上げたあばたは目をグルグルさせて酷く狼狽しているようだ。
おそらく包帯の奥は顔面蒼白だろう。
「ほ、ほね……」
「骨?」
混乱して上手く言葉が出てこないのか、あばたは要領を得ない説明だけして海賊を庭へと押して行く。
できるだけそちらを見ないようにしてあばたが指さした方向には、白骨化した人間が横たわっていた。
動物に持っていかれたのか、体のところどころ欠損している部分もあるが、立派なしゃれこうべはしっかりと残っている。
あばたはそのぽっかりと開いた眼窩と目が合ってしまい、血相を変えて走ってきたわけであった。
「この家に住んでた人間かな。死んでからだいぶ時間が経ってるみたいだけど」
その朽ち果てた体には一片の肉も一滴の血も残っておらず、もはや腐敗臭すらしない。
誰にも知られずにここで息を引き取り、誰にも見つけてもらえないまま着々と土へ還っていったのだろう。
それがこの集落に残っていた最後の住人なのか、集落が無人になってから住み着いた浮浪者なのかは分からないが、庭の片隅でむき出しの死体を晒すその姿は哀れに思える。
海賊としてはどうでもよかったのだが、放っておくとあばたが煩そうなので埋めてやることにした。
置いてあった農具で土を掘りながら、海賊がポロっと呟く。
「こんな死に方、俺は御免だな」
「なんでです?誰にも知られずにひっそりと死んで自然に還る。素敵じゃないですか」
縁側から遠巻きに見ていたあばたが反応してきたので、海賊は手を止めて「聞いてたのかよ」と決まりが悪そうな顔をした。
「俺は独りきりで死にたいなんて思わないね。たくさんの家族や家臣や国民たちに囲まれて最期を迎える、そんでそいつらが俺のことを後世に語り継ぐのさ。そうすれば死んでからも俺の存在が消えちまうことはないだろ」
あばたは海賊の理想像を思い浮かべようと試みたが、どうにも彼の死姿を想像できなくて諦めた。
その代わり、ふと頭に浮かんだ言葉が口をついて出た。
「海賊さんって実は寂しがりなんですね」
「何だよ、人間誰だって独りぼっちは嫌なもんだろ」
海賊は拗ねたように口をへの字に結ぶ。
「なんか前にも誰かに同じこと言われた気がするな。誰だっけ」
そんなことを呟きながら海賊は作業を再開した。
あばたは膝を抱えて座り、腕に顔を半分埋めるようにしてその様子を眺めていた。
埋葬を終えて戻ってきた海賊は、あばたを見下ろすように縁側の前に立った。
その黒い瞳に見入られて、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「なあ。あばたちゃんはさ、俺が死ぬとき傍にいてくれる?」
急にそんなことを言い出すので、あばたは返事に困った。
やっぱり、彼の死姿を想像することはできないのだ。
「海賊さんは頑丈そうだから、きっと私の方が先に死んじゃいますよ」
少し考えて、あばたはそう答えた。
苦し紛れではなく、あばた自身はその答えに深く納得していた。
きっとそうなのだろう。
だから自分の死は想像できるのに彼の死は想像できないのだろう、と。
海賊はまず「なんだそりゃ」と眉をひそめ、「でも、それもそうかもな」と頷いた。
「じゃあ、お前が死ぬときは俺が傍にいてやるよ」
ぐいっと顔を近づけられ、海賊の髪があばたの肩や顔に垂れ下がる。
これをされるのがあばたは苦手だ。
こうなったら最後、逃げることはできない。
もちろん拒否権なんてものも無い。
それに加えてこの頃、海賊に顔を近づけられると何故だか顔が熱くなってくるのだ。
けれど、そんなことが知られたらからかわれるのは目に見えている。
バレないように平静を装って、あばたは「そうですね」とだけ答えた。
初めこそ酷い有様だった隠れ家だったが、寒さや雪が凌げる程度に修繕を施し、それなりに住み心地が良いものとなった。
住めば都とはよく言ったもので、不気味だなんだと騒いでいたあばたも今では大の字になって寝ている。
そのうちに雪が降り、積もり、本格的な冬が到来した。
雪国育ちでないあばたにとって、零下を余裕で下回るこの地の冬は厳しすぎる。
冬ごもりするヒグマの如く、日がな一日火鉢に当たって過ごしていた。
そんなぐうたら女に活を入れるべく、海賊は無理やり外へ引っ張り出すと仕事を与えた。
と言っても、手紙を出すだけの簡単なお仕事であるが。
手紙の宛先は樺戸監獄。
権藤からの情報によって、海賊は家臣たちの居場所を把握できていた。
十勝には権藤を含めて3人、そして樺戸にも2人収監されているという。
どちらか片方で脱獄事件を起こせば、もう片方でも警戒が強められることは避けられない。
全員を無事に救出することは極めて困難であると言えるだろう。
樺戸への手紙は、十勝で初めに渡したものとほぼ同じ内容である。
ただし、こちらは一回きりの片道郵便。
そして、差出人は架空の人物ではなく、受取人の肉親(と言っても絶縁状態らしいのだが)の名前を使った。
何度も同じ手を使うことはどこかで綻びを生むおそれがあり、得策とは言えないからだ。
あばたは率直な感想として、海賊が家臣と呼ぶ仲間たちがそれほど多くない人数であることに意外さを覚えた。
国を作ると豪語するほどだし、人たらしともとれる彼の性質からして、もっとたくさんの仲間を引き連れているものだとばかり思っていたのだ。
特に深くも考えずにそんなことを口にしてしまったことを、その理由を知ったあばたは申し訳なく思った。
海賊が語ったのは捕まったときのこと。
好き放題暴れ回る賊の衆を相手に、警察が手段など選ぶはずもない。
武器を持たない者や力の弱い者から一人一人確実に、見せしめのように斬殺していったという。
仲間の命が惜しければ大人しく投降せよ、ということであろう。
普通、悪党の親玉なんて言ったら、利己的で無慈悲でたとえ仲間だろうと容赦なく見捨てるような極悪人なのではないだろうか。
にもかかわらず、そんな情に訴えるようなやり方で本当に手を上げてしまうところが何とも海賊らしい。
海賊は、その凶悪性に反して仲間思いな一面を併せ持っている。
それを利用される形で多くの仲間を失い、自ら監獄に入る道を選ぶこととなったのはつくづく皮肉なことだ。
命からがら生き延びた残党たちも散り散りになり、今頃どうしているのかは皆目見当もつかない。
生きているのか、死んでいるのかさえも。
「どっかで新しい生活を送れてるならいいんだ。のたれ死んでさえいなけりゃな。無理に探し出して引き戻すつもりはない」
と海賊は薄く笑って言った。
残った仲間は監獄の中にいる数名だけ。
海賊が彼らを救い出すために至極慎重になるのも頷けた。
話によれば、海賊の家臣は寄る辺のない者たちばかりだったようだ。
家族を亡くした者や捨てられた者、親の顔を知らずに育った者も。
天涯孤独で路頭をさ迷い、生きるために悪事に走ったならず者たち。
海賊のことだから、そんな彼らにも“居場所がないなら作ればいい”なんて口説き文句を謳ったはずだ。
そんなことを言われた彼らはどう思っただろう。
最初こそ、そんな夢物語バカげていると鼻で笑ったかもしれない。
それでも、そんな夢を見るのも悪くないと思ったからついていくことに決めたのではないだろうか。
未来の王様に、懸けるような思いで。
さりとて、世間一般からすれば彼らは悪であり、それを罰することは正義である。
きっと海賊はそのことを重々承知しているのだろう。
苦い過去を振り返る間、彼の中には怒りと諦めが混ざりあっているようだった。
「そんなことが……。その、私が言うのも何ですけど、上手くいくといいですね」
脱獄作戦の成功を祈ることは、すなわち犯罪容認にあたるが、この際そんなことはどうでもいい。
あばたの先輩家臣に対する恐れの感情はすっかり薄まって、むしろ会ってみたい気持ちまで湧きつつあった。
珍しく乗り気なあばたに、海賊は意外そうな顔をして「へぇ」と呟いた後、「当たり前だろ」とまっすぐな目で言った。
「ま、あばたちゃんは見てるだけだろうけどな」
「はいはい、戦力外でどうもすみませんね」
もういい加減このやり取りにも慣れてきた。
あばたは自分の無能さに悲観的で卑屈になりがちなのだが、そんなこと海賊はお構いなしだ。
人の引け目をおちょくるように笑い飛ばす。
それは非難や軽蔑とは違っていて、否定なのか肯定なのかよく分からない。
いっそ清々しく否定された方が受け入れやすい分、逆に質が悪いとあばたは思う。
「私みたいな役立たずじゃなくて、もっと使える仲間を増やしたらどうです。その方がきっと上手くいきますよ」
「そりゃ、道中でいい奴がいればそうするつもりだぜ。ただな、そういうのは量より質なんだよ。強さとか賢さもあるに越したことはねえが、1番重要なのは信頼できるかどうかだ」
あばたと初めて会ったときも海賊はそんなことを言っていた。
脅して従わせたり報酬で釣ったりした人間より、生きることに執着がない人間の方が信頼できる、というのが彼の持論らしい。
それを踏まえてなお、あばたには自分が彼の言う“信頼”に足りうる人間だとは思えなかった。
「だったらやっぱりへんですよ。私のことをまさかそんなに信頼しているわけじゃないですよね」
「んー、まあそうだな。最初の頃は裏切ったり逃げたりするようなら容赦なく殺すつもりだった。けど、お前はそうしなかっただろ。だから今はそれなりに信頼してるぜ」
その答えを聞いてもまだ腑に落ちない様子のあばたに、海賊は「それとも、これから裏切る予定でもあった?」と悪戯っぽく言った。
咄嗟に飛び出した「そんなことありません!」という言葉の勢いにあばたは自分でも驚き、それを誤魔化すように「そんな度胸も能力もありませんから」と急いで付け加えた。
あばたは思う。
もし、家臣を無事に救出できたなら、あるいは新しい仲間を迎えられたなら、自分のようなお荷物はいよいよもって不要になる。
そのとき自分は置いていかれるのだろうか。
それで良かったはずなのに、いつの間にかそれが不安の種になっていた。
胸がざわざわするのを紛らわすために、転ばないよう雪を踏みしめることに集中して歩く。
帰路途中、店に寄って蕎麦と身欠鰊を買った。
年を越すまでもうあと少しだ。
また降り始めた雪が酷くならないうちに、2人はボロい隠れ家へと歩みを速めた。
やはり注意深く息を潜めているのか、もしくは既に何者かによって狩られてしまったのか。
どちらにせよ、何の手がかりも掴めないまま時間を浪費するわけにはいかない。
春を待っても進展がなければ、一旦この場所を離れて捜索範囲を広めることとした。
人目を忍んで長期的に滞在できる場所を探し、辿り着いたのは街はずれの廃集落。
いかにもオンボロといった家々の中から、比較的まだ住めそうな廃屋を見繕って上がり込む。
それでもあちこち隙間や穴だらけで、家の中にいるというのに吹きさらしとそう変わらない寒さだ。
そのうえ、風が吹き込むたびに不気味な音が鳴るものだから、あばたは余計に寒く感じた。
暖と明かりを確保するために囲炉裏に火を起こす。
薄闇で満たされていた室内がぼんやりと照らし出された。
家の中を調べるのは明日にして、ひとまず眠りにつくことになったのだが、あばたはなかなか寝つけない。
あまりにソワソワと落ち着かないので、耐えかねた海賊が迷惑そうな視線を向ける。
「あのさぁ、あばたちゃんのせいで全然眠れないんだけど。さっきから何をそんなにソワソワしてるわけ」
「いやだって、不気味じゃないですか。何か出そうで……」
「何かって何?」
「虫とか、幽霊とか、妖怪とか……」
あばたは至って真面目に怖がっているのだが、その様子がおかしくて海賊は吹き出した。
「なにがおかしいんですか!」
「いやいや、虫はともかく幽霊とか妖怪って。そんなもんいるわけねえだろ」
「どうしてそう言い切れるんです」
「今までに一度も見たことないから」
あばたの目には不安と怒りで涙が滲んでいるが、海賊は笑いすぎて目じりに涙を浮かべていた。
「なんつーか、あばたちゃんもちゃんと女なんだな。ちょっと安心したよ」
頭をぽんぽんと叩かれ、馬鹿にされていると感じたあばたは反抗的な目で海賊を睨みつけた。
そういう目つきの人間が心から怪異の類に脅えているという構図が、海賊にはおもしろくてならないのだが。
「そんなに怖いんなら手つないで寝てやろうか」とからかい半分に海賊が言うので、頭に来たあばたは「もういいですッ!」と言い放って背を向けてしまった。
その後もあばたは風音や家鳴りにビクビクしていたが、気を張り疲れたのかいつの間にか眠りに落ちていったようである。
翌日、ボロ家の大掃除が行われた。
放置されたままの家具から使えそうなものを探して綺麗にする。
押入れにしまわれていた布団も、よく洗って日に当てて干した。
引き出しを開けたり家具を動かしたりする度、虫やネズミが飛び出してくるのではないかと、あばたは気が気でなかったが、これだけ寒い家ならネズミはいないと海賊は言い張っていた。
あばたはこのとき初めて、忌々しく黒光りするあの虫が北海道にはいないことを知り、なんていいところなんだと改めて思った。
作業がひと段落したところで、あばたは息抜きに庭へ出た。
夕空の下でググーっと伸びをしたり肩をグルグル回したりしてみる。
ふぅ、と白い息をつき、家へ戻ろうと振り返ったところで、視界の端に吐息とは違う白いものが映った。
「ぎあああああッ!!」
凄まじい悲鳴が凄まじい速度で接近してきて、海賊の背中にぶつかって止まる。
海賊が驚いて振り返ると、小刻みに震えるあばたが背中に顔を埋めて抱き着いているのであった。
「いってえな、何だよ急に。って、あばたちゃん泣いてんの?」
顔を上げたあばたは目をグルグルさせて酷く狼狽しているようだ。
おそらく包帯の奥は顔面蒼白だろう。
「ほ、ほね……」
「骨?」
混乱して上手く言葉が出てこないのか、あばたは要領を得ない説明だけして海賊を庭へと押して行く。
できるだけそちらを見ないようにしてあばたが指さした方向には、白骨化した人間が横たわっていた。
動物に持っていかれたのか、体のところどころ欠損している部分もあるが、立派なしゃれこうべはしっかりと残っている。
あばたはそのぽっかりと開いた眼窩と目が合ってしまい、血相を変えて走ってきたわけであった。
「この家に住んでた人間かな。死んでからだいぶ時間が経ってるみたいだけど」
その朽ち果てた体には一片の肉も一滴の血も残っておらず、もはや腐敗臭すらしない。
誰にも知られずにここで息を引き取り、誰にも見つけてもらえないまま着々と土へ還っていったのだろう。
それがこの集落に残っていた最後の住人なのか、集落が無人になってから住み着いた浮浪者なのかは分からないが、庭の片隅でむき出しの死体を晒すその姿は哀れに思える。
海賊としてはどうでもよかったのだが、放っておくとあばたが煩そうなので埋めてやることにした。
置いてあった農具で土を掘りながら、海賊がポロっと呟く。
「こんな死に方、俺は御免だな」
「なんでです?誰にも知られずにひっそりと死んで自然に還る。素敵じゃないですか」
縁側から遠巻きに見ていたあばたが反応してきたので、海賊は手を止めて「聞いてたのかよ」と決まりが悪そうな顔をした。
「俺は独りきりで死にたいなんて思わないね。たくさんの家族や家臣や国民たちに囲まれて最期を迎える、そんでそいつらが俺のことを後世に語り継ぐのさ。そうすれば死んでからも俺の存在が消えちまうことはないだろ」
あばたは海賊の理想像を思い浮かべようと試みたが、どうにも彼の死姿を想像できなくて諦めた。
その代わり、ふと頭に浮かんだ言葉が口をついて出た。
「海賊さんって実は寂しがりなんですね」
「何だよ、人間誰だって独りぼっちは嫌なもんだろ」
海賊は拗ねたように口をへの字に結ぶ。
「なんか前にも誰かに同じこと言われた気がするな。誰だっけ」
そんなことを呟きながら海賊は作業を再開した。
あばたは膝を抱えて座り、腕に顔を半分埋めるようにしてその様子を眺めていた。
埋葬を終えて戻ってきた海賊は、あばたを見下ろすように縁側の前に立った。
その黒い瞳に見入られて、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「なあ。あばたちゃんはさ、俺が死ぬとき傍にいてくれる?」
急にそんなことを言い出すので、あばたは返事に困った。
やっぱり、彼の死姿を想像することはできないのだ。
「海賊さんは頑丈そうだから、きっと私の方が先に死んじゃいますよ」
少し考えて、あばたはそう答えた。
苦し紛れではなく、あばた自身はその答えに深く納得していた。
きっとそうなのだろう。
だから自分の死は想像できるのに彼の死は想像できないのだろう、と。
海賊はまず「なんだそりゃ」と眉をひそめ、「でも、それもそうかもな」と頷いた。
「じゃあ、お前が死ぬときは俺が傍にいてやるよ」
ぐいっと顔を近づけられ、海賊の髪があばたの肩や顔に垂れ下がる。
これをされるのがあばたは苦手だ。
こうなったら最後、逃げることはできない。
もちろん拒否権なんてものも無い。
それに加えてこの頃、海賊に顔を近づけられると何故だか顔が熱くなってくるのだ。
けれど、そんなことが知られたらからかわれるのは目に見えている。
バレないように平静を装って、あばたは「そうですね」とだけ答えた。
初めこそ酷い有様だった隠れ家だったが、寒さや雪が凌げる程度に修繕を施し、それなりに住み心地が良いものとなった。
住めば都とはよく言ったもので、不気味だなんだと騒いでいたあばたも今では大の字になって寝ている。
そのうちに雪が降り、積もり、本格的な冬が到来した。
雪国育ちでないあばたにとって、零下を余裕で下回るこの地の冬は厳しすぎる。
冬ごもりするヒグマの如く、日がな一日火鉢に当たって過ごしていた。
そんなぐうたら女に活を入れるべく、海賊は無理やり外へ引っ張り出すと仕事を与えた。
と言っても、手紙を出すだけの簡単なお仕事であるが。
手紙の宛先は樺戸監獄。
権藤からの情報によって、海賊は家臣たちの居場所を把握できていた。
十勝には権藤を含めて3人、そして樺戸にも2人収監されているという。
どちらか片方で脱獄事件を起こせば、もう片方でも警戒が強められることは避けられない。
全員を無事に救出することは極めて困難であると言えるだろう。
樺戸への手紙は、十勝で初めに渡したものとほぼ同じ内容である。
ただし、こちらは一回きりの片道郵便。
そして、差出人は架空の人物ではなく、受取人の肉親(と言っても絶縁状態らしいのだが)の名前を使った。
何度も同じ手を使うことはどこかで綻びを生むおそれがあり、得策とは言えないからだ。
あばたは率直な感想として、海賊が家臣と呼ぶ仲間たちがそれほど多くない人数であることに意外さを覚えた。
国を作ると豪語するほどだし、人たらしともとれる彼の性質からして、もっとたくさんの仲間を引き連れているものだとばかり思っていたのだ。
特に深くも考えずにそんなことを口にしてしまったことを、その理由を知ったあばたは申し訳なく思った。
海賊が語ったのは捕まったときのこと。
好き放題暴れ回る賊の衆を相手に、警察が手段など選ぶはずもない。
武器を持たない者や力の弱い者から一人一人確実に、見せしめのように斬殺していったという。
仲間の命が惜しければ大人しく投降せよ、ということであろう。
普通、悪党の親玉なんて言ったら、利己的で無慈悲でたとえ仲間だろうと容赦なく見捨てるような極悪人なのではないだろうか。
にもかかわらず、そんな情に訴えるようなやり方で本当に手を上げてしまうところが何とも海賊らしい。
海賊は、その凶悪性に反して仲間思いな一面を併せ持っている。
それを利用される形で多くの仲間を失い、自ら監獄に入る道を選ぶこととなったのはつくづく皮肉なことだ。
命からがら生き延びた残党たちも散り散りになり、今頃どうしているのかは皆目見当もつかない。
生きているのか、死んでいるのかさえも。
「どっかで新しい生活を送れてるならいいんだ。のたれ死んでさえいなけりゃな。無理に探し出して引き戻すつもりはない」
と海賊は薄く笑って言った。
残った仲間は監獄の中にいる数名だけ。
海賊が彼らを救い出すために至極慎重になるのも頷けた。
話によれば、海賊の家臣は寄る辺のない者たちばかりだったようだ。
家族を亡くした者や捨てられた者、親の顔を知らずに育った者も。
天涯孤独で路頭をさ迷い、生きるために悪事に走ったならず者たち。
海賊のことだから、そんな彼らにも“居場所がないなら作ればいい”なんて口説き文句を謳ったはずだ。
そんなことを言われた彼らはどう思っただろう。
最初こそ、そんな夢物語バカげていると鼻で笑ったかもしれない。
それでも、そんな夢を見るのも悪くないと思ったからついていくことに決めたのではないだろうか。
未来の王様に、懸けるような思いで。
さりとて、世間一般からすれば彼らは悪であり、それを罰することは正義である。
きっと海賊はそのことを重々承知しているのだろう。
苦い過去を振り返る間、彼の中には怒りと諦めが混ざりあっているようだった。
「そんなことが……。その、私が言うのも何ですけど、上手くいくといいですね」
脱獄作戦の成功を祈ることは、すなわち犯罪容認にあたるが、この際そんなことはどうでもいい。
あばたの先輩家臣に対する恐れの感情はすっかり薄まって、むしろ会ってみたい気持ちまで湧きつつあった。
珍しく乗り気なあばたに、海賊は意外そうな顔をして「へぇ」と呟いた後、「当たり前だろ」とまっすぐな目で言った。
「ま、あばたちゃんは見てるだけだろうけどな」
「はいはい、戦力外でどうもすみませんね」
もういい加減このやり取りにも慣れてきた。
あばたは自分の無能さに悲観的で卑屈になりがちなのだが、そんなこと海賊はお構いなしだ。
人の引け目をおちょくるように笑い飛ばす。
それは非難や軽蔑とは違っていて、否定なのか肯定なのかよく分からない。
いっそ清々しく否定された方が受け入れやすい分、逆に質が悪いとあばたは思う。
「私みたいな役立たずじゃなくて、もっと使える仲間を増やしたらどうです。その方がきっと上手くいきますよ」
「そりゃ、道中でいい奴がいればそうするつもりだぜ。ただな、そういうのは量より質なんだよ。強さとか賢さもあるに越したことはねえが、1番重要なのは信頼できるかどうかだ」
あばたと初めて会ったときも海賊はそんなことを言っていた。
脅して従わせたり報酬で釣ったりした人間より、生きることに執着がない人間の方が信頼できる、というのが彼の持論らしい。
それを踏まえてなお、あばたには自分が彼の言う“信頼”に足りうる人間だとは思えなかった。
「だったらやっぱりへんですよ。私のことをまさかそんなに信頼しているわけじゃないですよね」
「んー、まあそうだな。最初の頃は裏切ったり逃げたりするようなら容赦なく殺すつもりだった。けど、お前はそうしなかっただろ。だから今はそれなりに信頼してるぜ」
その答えを聞いてもまだ腑に落ちない様子のあばたに、海賊は「それとも、これから裏切る予定でもあった?」と悪戯っぽく言った。
咄嗟に飛び出した「そんなことありません!」という言葉の勢いにあばたは自分でも驚き、それを誤魔化すように「そんな度胸も能力もありませんから」と急いで付け加えた。
あばたは思う。
もし、家臣を無事に救出できたなら、あるいは新しい仲間を迎えられたなら、自分のようなお荷物はいよいよもって不要になる。
そのとき自分は置いていかれるのだろうか。
それで良かったはずなのに、いつの間にかそれが不安の種になっていた。
胸がざわざわするのを紛らわすために、転ばないよう雪を踏みしめることに集中して歩く。
帰路途中、店に寄って蕎麦と身欠鰊を買った。
年を越すまでもうあと少しだ。
また降り始めた雪が酷くならないうちに、2人はボロい隠れ家へと歩みを速めた。