海賊さんの拾いもの
夕張川は様々な支流と合流し、最終的には石狩川へと流れ込む。
水運が盛んな石狩川は大小様々な船が行き交い、海賊いわく“恰好の狩場”だという。
監獄に入る前は家臣たちと共に船を襲撃し、乗客の金品や積荷の食料などを強奪していたらしい。
あばたはふと気になって聞いてみる。
「海賊さんはいつから海賊になったんですか?」
口に出してみると、なかなか頭の悪い質問のように聞こえる。
しかしながら、聞きたいことはとどのつまりそういうことであった。
「さあな。昔のことであんまり覚えてねえよ」
海賊は遠い目をして答える。
幼くして家族を失い、故郷を失い、たった独り放り出された彼が、何を思って海賊と呼ばれるに至ったのか。
あばたには不思議でならなかった。
「海賊さんなら潜水夫として十分食べて行けそうですけどね。泳ぎも潜りも右に出る人はいないでしょうし」
「子供のころは川で木材運びとかやってたんだけどな」
海賊は少し黙って川を見つめていたが、何かを思い出したように「そう言えば」と口を開くと話を続けた。
「俺が初めて盗ったのは、身投げしたやつの持ち物だった。自分で飛び込んだそいつを助ける義理はなかったし、死んだ人間が金なんて持っていても仕方ないって思ったからな」
普通に考えれば、それは倫理に反することなのだろうが、あばたは口を挟まず話の続きに耳を傾けた。
「地道に働いても稼ぎは知れてる。とてもじゃないけど家族全員分の生活や治療代を賄うことはできなかった。だったら持ってるやつから奪えばいいって、そのとき気づいたんだ」
海賊の言い分はあまりに短絡的で幼稚だ。
だがそれも当然だろう。
彼はまだ幼い子供だったのだから。
にもかかわらず、彼はその悪事を実行できてしまった。
幸か不幸か、その才に恵まれていたのである。
「それからは金を持ってそうなやつを狙って強盗を繰り返した。別に殺す気はなかったんだぜ。大人しく荷物を置いてってくれさえすればそのまま逃がした。ただ、反撃されてこっちの身が危なくなるようなら力づくで黙らせた」
海賊は乾いた笑いを浮かべる。
「でも、結局みんな死んじまったけどな」
そう、彼の家族はみんないなくなってしまった。
彼の悪行を止めてくれる人も、彼のことを優しく抱きしめてあげられる人も、誰もいなくなってしまったのだ。
それは彼に対する天罰なのか。
だが、そう表現するのはあまりに酷な気がした。
仮に彼が悪事に手を染めなかったとして、結末がどう変わったかなど誰にも分からないことだ。
それを言うのは無責任な勧善懲悪の押しつけのように思えた。
「それからは単純な話だ。国を作るために資金を集めることにした。家族や家臣たちを守るためにも金は要るからな。手っ取り早く大金が手に入るなら何でもするぜ、俺は」
海賊は湿っぽさを払うように、いつもの調子を取り戻して言った。
作り笑いではない、少年のようにただただ純粋な笑顔で。
きっと彼の中には、大人にならざるをえなかった部分と、大人になれなかった部分が混在しているのだろう。
だから彼はこんなにもまっすくで、歪んでいる。
あばたはこの旅を続ける間にすっかり分からなくなっていた。
海賊は本当に悪人なのだろうか、と。
それは、彼に対する情がそれほどまでに深まっていることを示すのだが、あばた自身にはその自覚が全くと言っていいほど無いのであった。
「そう、だったんですね。少し不思議な感じです。もし何かが少しズレていたら、私もきっと海賊さんの獲物の1人になっていたんでしょうね」
あばたは海賊と初めて会ったときのことを思い起こしていた。
あのときあのまま死んでいたら、残した荷物を海賊は何の感情もなく漁っていったのだろう。
そして、今ごろ死体はヒグマの糞にでも混じって山中にばらまかれていたかもしれない。
「いや、あばたちゃんは獲物にならないだろ」
「え?どうしてですか」
「だってあばたちゃん、盗れそうなもん何も持ってなかったし」
「貧乏女ですみませんね」
感傷的な気持ちをぶち壊されたようで、あばたは不機嫌そうな表情を浮かべた。
そんなふくれっ面の背中を、「まあ、そう怒んなって」と笑って海賊が叩く。
「なあ、あばたちゃんは今もまだ死にたいって思ってんの?」
「そう、ですね。今は……もう少しだけ生きててもいいかなって思います」
その答えを聞いて「そっかぁ」と海賊は目を細める。
あばたは何だか決まりが悪くて、「美味しいもの食べれるし」と付け加えた。
「俺に感謝しろよ」
また背中をバシッと叩かれ、あばたはひとしきりぼやいた後、小さな声で「分かってますよ」と呟いた。
占い師の助言に即して札幌に留まりたがるあばたを、海賊が引きずって小樽へ向かう。
出発からほぼ1年。
ようやく2人は旅の目的地へと到着した。
「それで、夢は見つかったか?」
海賊の質問に、あばたは「うぐ……」と言葉を詰まらせる。
忘れていたわけではない。
ただ単に何も思い浮かばなかっただけだ。
「いいんです。所詮私はつまらない女なんで」
死んだ魚のような目で答えるあばた。
その様子を見て海賊はヤレヤレとため息をつく。
仕方がないので猶予が与えられることとなった。
期限は“金塊が見つかるまで”である。
それがどれくらい先になるのか、はたまた意外とすぐにやって来るのかは分からない。
そもそも見つかるかどうかも分からないのだが、あばたはその不明確な延長をありがたく受け取った。
見つからなくてもいいのに、と思いながら。
小樽に着いたことを手紙で十勝の塀の中へ知らせる。
返事は月に一度。
郵便局で留め置いてもらった手紙を、“獄中の叔父がいることを周りに知られたくない姪”に扮したあばたが受け取りに行く。
検閲の目を欺くため、その内容は当たり障りのない日常会話に伝えたい情報を隠しこんだものになっている。
さすがにアイヌの埋蔵金のことや囚人狩りのことはややこしく、下手に書けば怪しまれる危険性も高まることから、“昔の知人らと会うためにしばらく小樽に滞在する”といったかなりぼかしたことのみ伝えた。
「他の囚人たちは、もうこの町の何処かに隠れているんでしょうか」
「さあ、どうだろうな。全員が全員、のっぺらぼうの指示に素直に従ってるとは到底思えねえが」
囚人の中には、この一件をただの脱獄の手段としか考えていない者もいたという。
それならきっと金塊よりも自分の自由を優先するはずだ。
そうでなくても、小樽へ向かえという指示だけではあまりに曖昧過ぎる。
場所の詳細も日時の指定もなければ、のっぺらぼうの仲間というのがどんな人間なのかも分からない。
本当に暗号を解かせる気があるのか、と段々あばたはそののっぺらぼうとやらに腹が立ってきた。
いかんせん、海賊の推測通りだとすれば囚人に解かせる気などないのだろうが。
「脱獄した囚人ってどんな人たちがいたんですか」
怒りを紛らわすためと、囚人探しの手がかりになるかもしれないと思って海賊に尋ねてみる。
「俺も全員のことを知ってるわけじゃない。同じ房になったことがない奴もいるし、興味ない奴のことはあんま覚えてないしな。でもまあ、大体は殺人や傷害なんかでぶち込まれたどーしようもない奴らだぜ」
あんたもそのどーしようもない奴の1人でしょうが、という言葉をあばたは飲み込んだ。
海賊の囚人についての情報は、基本的に彼の興味基準で語られた。
「強い奴はおもしろいしよく目立つ。網走には屈強なのがたくさんいたが、特に牛山辰馬ってのと岩息舞治ってのは化け物じみてたな」
牛山という囚人は柔道の達人で、“不敗”の異名を持つのだとか。
監獄内の喧嘩や騒動もよく収めていたというので、囚人の中でも抜きんでた強さであることがうかがえる。
ただし、無類の女好きでもあり、性欲が爆発すると暴走牛のごとく見境が無くなるらしい。
投獄の理由も、その残念な性質から殺人を犯したためであるという。
岩息という囚人は、これまた無類の喧嘩好きらしく、その残念な性質が高じて傷害事件を起こしたために投獄されたという。
「本当にどーしようもない人たちですね……」
話を聞いているだけでヤバイ度合いがひしひしと伝わってきて、あばたは呆れと恐ろしさという普通なら混在し得ない両方の感情を抱いた。
海賊は「あいつらには敵わない」と言いながら、「家臣にならねえかな〜」などと笑っていた。
「稲妻強盗ってのもいたな。足がアホみたいに速いから“稲妻”なんだとさ。外に女房がいるらしくていつもその話ばっかしてたけど、結構おもしろいやつだったぜ」
「ええっ。奥さんがいるのに強盗で捕まるなんて、とんでもなく酷い人ですね。奥さんがかわいそうです!」
「いや、その女も相当な凶悪犯らしい。夫婦で強盗殺人を繰り返してたっていうくらいだからな。今頃どっかで感動の再会を果たしてるかもしれねえぜ」
話を聞いて、あばたの心から“かわいそう”という感情がサッと引いていった。
なんて恐ろしい夫婦だろう。
それを「凄い夫婦愛だよな」と言ってしまえる海賊もやはり、頭のねじが1~2本飛んでいるように思えた。
「なんていうか、もっとマトモな人はいないんですかね」
囚人相手に何をもってマトモと呼べるのかは分からないが、とにかくもっとマシな囚人の情報が欲しかった。
先述された人たちとは極力、いや絶対に会いたくない。
手を組めそうな人、囚人狩りをしなくても済む手段を一緒に考えてくれるような人を探したいのだ。
海賊はう~んと考え込むと、「小物には興味ないからな。悪い、思い浮かばねえわ」と軽く言い放った。
「あ、でもおもしろいやつならいるぜ。白石由竹っていって、“脱獄王”なんて呼ばれててさ。気色悪いくらい関節がやわらかくて、しかも自由に外せるってんで、頭さえ抜ければどんな隙間も通れるんだ。そのうえさらに、体中にいろんなもんを仕込んで隠し持っててさ、器用なもんだよな」
「やっぱり、その人も凶悪犯なんですか?」
「いや、全然。別に強くもないし、世渡り上手のお調子者って感じのやつだった。元々の罪はそんなに重くなかったのに、脱獄を繰り返すうちにそっちの刑期の方が長くなったらしいぜ。馬鹿みたいでおもしれえよな」
おもしろいかどうかはさて置いて、その脱獄王とやらは比較的マトモそうだとあばたは思った。
海賊も気に入っているようだし、平和的解決が望めそうだ。
できることなら1番初めに出会いたいものである。
「その脱獄王さんもこの町に来ているでしょうか」
「どうだろうな。儲け話は好きそうだが、危ない橋は渡らない奴だ。もうとっくに北海道から逃げ出て、各地を遊び歩いてるかもしれないし、また捕まって脱獄劇を繰り広げてるかもしれない。まあ、もしここにいるとしたら、どっかで酔いつぶれてるか、博打でスってるか、遊女と遊んでるかってところか」
「あ〜、なるほど.....。なんか、ちゃんとダメな人なんですね」
あばたの目から期待の色がスンッと消える。
やっぱり囚人にろくな人はいないんだ、と改めて痛感した。
「じゃあ最後に1つだけ。この前言ってましたよね。殺したいくらい嫌いな人もいるって。それはどんな人なんですか」
半ば投げやりな気持ちになったあばたは恐がる気力すら失せてきて、この際に少し気になっていたことを尋ねてみた。
「ああ、それな。上エ地ってやつだよ。人のがっかりした顔を見るのが生きがいっていう、タチの悪い嘘つき野郎さ」
何か苦い思い出でもあるのか、海賊は「くだらねえ」と吐き捨てるように言った。
いつも悠然としている海賊がそんなふうに言うのは珍しく思えて、あばたは余計に気になってくる。
初め言い渋っていた海賊だが、あばたがあまりにしつこく聞いてくるので観念したのか、事の発端である監獄での一件について口を開いた。
その上エ地という男がついた嘘は、人の心の隙をつくような非常に悪質なものであった。
それも、何度も同じ作り話を繰り返して相手に信じさせるしつこさだ。
あばたからしたら見ず知らずの男だが、これに関しては海賊が殴りたくなる気持ちも分かる。
「お前もさ、騙された方が悪いって思うか」
海賊の顔はいつになく陰りを見せていた。
「思いません。自分の楽しみのために他人を傷つける嘘なんて、つく方が悪いに決まってるじゃないですか」
あばたは即答する。
その“作り物の叔母”のことを彼がどんな思いで待っていたのか、想像するだけで胸が痛んだ。
「ただ……」
「ただ?」
「海賊さんも意外とかわいいところあるんだなって思って。いや、怒って相手を半殺しにしちゃうのは、さすが海賊さんって感じなんですけど」
清々しいほどの憤怒や憎悪すらも含め、やはり海賊は純粋すぎる人なのだろう。
何だかとてもかわいらしく思えてきて、あばたはついにやける口元を手で覆いながらプフフッと堪えきれない笑いをもらした。
「何?馬鹿にしてんの?」
海賊は鼻にしわを寄せてご立腹な様子である。
「いえ、とんでもない。馬鹿になんてしないですよ。海賊さんのそういうとこ、良いと思います。羨ましいくらいに」
あばたの顔からは未だにやにやが収まる気配がない。
それをムスッとした顔で睨みながら、嘘ではないその言葉に少しだけ怒りが引いた様子の海賊であった。
水運が盛んな石狩川は大小様々な船が行き交い、海賊いわく“恰好の狩場”だという。
監獄に入る前は家臣たちと共に船を襲撃し、乗客の金品や積荷の食料などを強奪していたらしい。
あばたはふと気になって聞いてみる。
「海賊さんはいつから海賊になったんですか?」
口に出してみると、なかなか頭の悪い質問のように聞こえる。
しかしながら、聞きたいことはとどのつまりそういうことであった。
「さあな。昔のことであんまり覚えてねえよ」
海賊は遠い目をして答える。
幼くして家族を失い、故郷を失い、たった独り放り出された彼が、何を思って海賊と呼ばれるに至ったのか。
あばたには不思議でならなかった。
「海賊さんなら潜水夫として十分食べて行けそうですけどね。泳ぎも潜りも右に出る人はいないでしょうし」
「子供のころは川で木材運びとかやってたんだけどな」
海賊は少し黙って川を見つめていたが、何かを思い出したように「そう言えば」と口を開くと話を続けた。
「俺が初めて盗ったのは、身投げしたやつの持ち物だった。自分で飛び込んだそいつを助ける義理はなかったし、死んだ人間が金なんて持っていても仕方ないって思ったからな」
普通に考えれば、それは倫理に反することなのだろうが、あばたは口を挟まず話の続きに耳を傾けた。
「地道に働いても稼ぎは知れてる。とてもじゃないけど家族全員分の生活や治療代を賄うことはできなかった。だったら持ってるやつから奪えばいいって、そのとき気づいたんだ」
海賊の言い分はあまりに短絡的で幼稚だ。
だがそれも当然だろう。
彼はまだ幼い子供だったのだから。
にもかかわらず、彼はその悪事を実行できてしまった。
幸か不幸か、その才に恵まれていたのである。
「それからは金を持ってそうなやつを狙って強盗を繰り返した。別に殺す気はなかったんだぜ。大人しく荷物を置いてってくれさえすればそのまま逃がした。ただ、反撃されてこっちの身が危なくなるようなら力づくで黙らせた」
海賊は乾いた笑いを浮かべる。
「でも、結局みんな死んじまったけどな」
そう、彼の家族はみんないなくなってしまった。
彼の悪行を止めてくれる人も、彼のことを優しく抱きしめてあげられる人も、誰もいなくなってしまったのだ。
それは彼に対する天罰なのか。
だが、そう表現するのはあまりに酷な気がした。
仮に彼が悪事に手を染めなかったとして、結末がどう変わったかなど誰にも分からないことだ。
それを言うのは無責任な勧善懲悪の押しつけのように思えた。
「それからは単純な話だ。国を作るために資金を集めることにした。家族や家臣たちを守るためにも金は要るからな。手っ取り早く大金が手に入るなら何でもするぜ、俺は」
海賊は湿っぽさを払うように、いつもの調子を取り戻して言った。
作り笑いではない、少年のようにただただ純粋な笑顔で。
きっと彼の中には、大人にならざるをえなかった部分と、大人になれなかった部分が混在しているのだろう。
だから彼はこんなにもまっすくで、歪んでいる。
あばたはこの旅を続ける間にすっかり分からなくなっていた。
海賊は本当に悪人なのだろうか、と。
それは、彼に対する情がそれほどまでに深まっていることを示すのだが、あばた自身にはその自覚が全くと言っていいほど無いのであった。
「そう、だったんですね。少し不思議な感じです。もし何かが少しズレていたら、私もきっと海賊さんの獲物の1人になっていたんでしょうね」
あばたは海賊と初めて会ったときのことを思い起こしていた。
あのときあのまま死んでいたら、残した荷物を海賊は何の感情もなく漁っていったのだろう。
そして、今ごろ死体はヒグマの糞にでも混じって山中にばらまかれていたかもしれない。
「いや、あばたちゃんは獲物にならないだろ」
「え?どうしてですか」
「だってあばたちゃん、盗れそうなもん何も持ってなかったし」
「貧乏女ですみませんね」
感傷的な気持ちをぶち壊されたようで、あばたは不機嫌そうな表情を浮かべた。
そんなふくれっ面の背中を、「まあ、そう怒んなって」と笑って海賊が叩く。
「なあ、あばたちゃんは今もまだ死にたいって思ってんの?」
「そう、ですね。今は……もう少しだけ生きててもいいかなって思います」
その答えを聞いて「そっかぁ」と海賊は目を細める。
あばたは何だか決まりが悪くて、「美味しいもの食べれるし」と付け加えた。
「俺に感謝しろよ」
また背中をバシッと叩かれ、あばたはひとしきりぼやいた後、小さな声で「分かってますよ」と呟いた。
占い師の助言に即して札幌に留まりたがるあばたを、海賊が引きずって小樽へ向かう。
出発からほぼ1年。
ようやく2人は旅の目的地へと到着した。
「それで、夢は見つかったか?」
海賊の質問に、あばたは「うぐ……」と言葉を詰まらせる。
忘れていたわけではない。
ただ単に何も思い浮かばなかっただけだ。
「いいんです。所詮私はつまらない女なんで」
死んだ魚のような目で答えるあばた。
その様子を見て海賊はヤレヤレとため息をつく。
仕方がないので猶予が与えられることとなった。
期限は“金塊が見つかるまで”である。
それがどれくらい先になるのか、はたまた意外とすぐにやって来るのかは分からない。
そもそも見つかるかどうかも分からないのだが、あばたはその不明確な延長をありがたく受け取った。
見つからなくてもいいのに、と思いながら。
小樽に着いたことを手紙で十勝の塀の中へ知らせる。
返事は月に一度。
郵便局で留め置いてもらった手紙を、“獄中の叔父がいることを周りに知られたくない姪”に扮したあばたが受け取りに行く。
検閲の目を欺くため、その内容は当たり障りのない日常会話に伝えたい情報を隠しこんだものになっている。
さすがにアイヌの埋蔵金のことや囚人狩りのことはややこしく、下手に書けば怪しまれる危険性も高まることから、“昔の知人らと会うためにしばらく小樽に滞在する”といったかなりぼかしたことのみ伝えた。
「他の囚人たちは、もうこの町の何処かに隠れているんでしょうか」
「さあ、どうだろうな。全員が全員、のっぺらぼうの指示に素直に従ってるとは到底思えねえが」
囚人の中には、この一件をただの脱獄の手段としか考えていない者もいたという。
それならきっと金塊よりも自分の自由を優先するはずだ。
そうでなくても、小樽へ向かえという指示だけではあまりに曖昧過ぎる。
場所の詳細も日時の指定もなければ、のっぺらぼうの仲間というのがどんな人間なのかも分からない。
本当に暗号を解かせる気があるのか、と段々あばたはそののっぺらぼうとやらに腹が立ってきた。
いかんせん、海賊の推測通りだとすれば囚人に解かせる気などないのだろうが。
「脱獄した囚人ってどんな人たちがいたんですか」
怒りを紛らわすためと、囚人探しの手がかりになるかもしれないと思って海賊に尋ねてみる。
「俺も全員のことを知ってるわけじゃない。同じ房になったことがない奴もいるし、興味ない奴のことはあんま覚えてないしな。でもまあ、大体は殺人や傷害なんかでぶち込まれたどーしようもない奴らだぜ」
あんたもそのどーしようもない奴の1人でしょうが、という言葉をあばたは飲み込んだ。
海賊の囚人についての情報は、基本的に彼の興味基準で語られた。
「強い奴はおもしろいしよく目立つ。網走には屈強なのがたくさんいたが、特に牛山辰馬ってのと岩息舞治ってのは化け物じみてたな」
牛山という囚人は柔道の達人で、“不敗”の異名を持つのだとか。
監獄内の喧嘩や騒動もよく収めていたというので、囚人の中でも抜きんでた強さであることがうかがえる。
ただし、無類の女好きでもあり、性欲が爆発すると暴走牛のごとく見境が無くなるらしい。
投獄の理由も、その残念な性質から殺人を犯したためであるという。
岩息という囚人は、これまた無類の喧嘩好きらしく、その残念な性質が高じて傷害事件を起こしたために投獄されたという。
「本当にどーしようもない人たちですね……」
話を聞いているだけでヤバイ度合いがひしひしと伝わってきて、あばたは呆れと恐ろしさという普通なら混在し得ない両方の感情を抱いた。
海賊は「あいつらには敵わない」と言いながら、「家臣にならねえかな〜」などと笑っていた。
「稲妻強盗ってのもいたな。足がアホみたいに速いから“稲妻”なんだとさ。外に女房がいるらしくていつもその話ばっかしてたけど、結構おもしろいやつだったぜ」
「ええっ。奥さんがいるのに強盗で捕まるなんて、とんでもなく酷い人ですね。奥さんがかわいそうです!」
「いや、その女も相当な凶悪犯らしい。夫婦で強盗殺人を繰り返してたっていうくらいだからな。今頃どっかで感動の再会を果たしてるかもしれねえぜ」
話を聞いて、あばたの心から“かわいそう”という感情がサッと引いていった。
なんて恐ろしい夫婦だろう。
それを「凄い夫婦愛だよな」と言ってしまえる海賊もやはり、頭のねじが1~2本飛んでいるように思えた。
「なんていうか、もっとマトモな人はいないんですかね」
囚人相手に何をもってマトモと呼べるのかは分からないが、とにかくもっとマシな囚人の情報が欲しかった。
先述された人たちとは極力、いや絶対に会いたくない。
手を組めそうな人、囚人狩りをしなくても済む手段を一緒に考えてくれるような人を探したいのだ。
海賊はう~んと考え込むと、「小物には興味ないからな。悪い、思い浮かばねえわ」と軽く言い放った。
「あ、でもおもしろいやつならいるぜ。白石由竹っていって、“脱獄王”なんて呼ばれててさ。気色悪いくらい関節がやわらかくて、しかも自由に外せるってんで、頭さえ抜ければどんな隙間も通れるんだ。そのうえさらに、体中にいろんなもんを仕込んで隠し持っててさ、器用なもんだよな」
「やっぱり、その人も凶悪犯なんですか?」
「いや、全然。別に強くもないし、世渡り上手のお調子者って感じのやつだった。元々の罪はそんなに重くなかったのに、脱獄を繰り返すうちにそっちの刑期の方が長くなったらしいぜ。馬鹿みたいでおもしれえよな」
おもしろいかどうかはさて置いて、その脱獄王とやらは比較的マトモそうだとあばたは思った。
海賊も気に入っているようだし、平和的解決が望めそうだ。
できることなら1番初めに出会いたいものである。
「その脱獄王さんもこの町に来ているでしょうか」
「どうだろうな。儲け話は好きそうだが、危ない橋は渡らない奴だ。もうとっくに北海道から逃げ出て、各地を遊び歩いてるかもしれないし、また捕まって脱獄劇を繰り広げてるかもしれない。まあ、もしここにいるとしたら、どっかで酔いつぶれてるか、博打でスってるか、遊女と遊んでるかってところか」
「あ〜、なるほど.....。なんか、ちゃんとダメな人なんですね」
あばたの目から期待の色がスンッと消える。
やっぱり囚人にろくな人はいないんだ、と改めて痛感した。
「じゃあ最後に1つだけ。この前言ってましたよね。殺したいくらい嫌いな人もいるって。それはどんな人なんですか」
半ば投げやりな気持ちになったあばたは恐がる気力すら失せてきて、この際に少し気になっていたことを尋ねてみた。
「ああ、それな。上エ地ってやつだよ。人のがっかりした顔を見るのが生きがいっていう、タチの悪い嘘つき野郎さ」
何か苦い思い出でもあるのか、海賊は「くだらねえ」と吐き捨てるように言った。
いつも悠然としている海賊がそんなふうに言うのは珍しく思えて、あばたは余計に気になってくる。
初め言い渋っていた海賊だが、あばたがあまりにしつこく聞いてくるので観念したのか、事の発端である監獄での一件について口を開いた。
その上エ地という男がついた嘘は、人の心の隙をつくような非常に悪質なものであった。
それも、何度も同じ作り話を繰り返して相手に信じさせるしつこさだ。
あばたからしたら見ず知らずの男だが、これに関しては海賊が殴りたくなる気持ちも分かる。
「お前もさ、騙された方が悪いって思うか」
海賊の顔はいつになく陰りを見せていた。
「思いません。自分の楽しみのために他人を傷つける嘘なんて、つく方が悪いに決まってるじゃないですか」
あばたは即答する。
その“作り物の叔母”のことを彼がどんな思いで待っていたのか、想像するだけで胸が痛んだ。
「ただ……」
「ただ?」
「海賊さんも意外とかわいいところあるんだなって思って。いや、怒って相手を半殺しにしちゃうのは、さすが海賊さんって感じなんですけど」
清々しいほどの憤怒や憎悪すらも含め、やはり海賊は純粋すぎる人なのだろう。
何だかとてもかわいらしく思えてきて、あばたはついにやける口元を手で覆いながらプフフッと堪えきれない笑いをもらした。
「何?馬鹿にしてんの?」
海賊は鼻にしわを寄せてご立腹な様子である。
「いえ、とんでもない。馬鹿になんてしないですよ。海賊さんのそういうとこ、良いと思います。羨ましいくらいに」
あばたの顔からは未だにやにやが収まる気配がない。
それをムスッとした顔で睨みながら、嘘ではないその言葉に少しだけ怒りが引いた様子の海賊であった。