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海賊さんの拾いもの

「見てください、海賊さん!」

あばたは額につけたアイヌの鉢巻き、“マタンプシ”を得意げに見せる。
紺色の布に施されたアイヌ文様の刺繍が見事だ。

「へぇ、かわいいね。それ、どうしたの?」

「仲良くなったアイヌの子たちが作ってくれたんです。これで額の傷を隠せば包帯ぐるぐる巻きのてるてる坊主よりはマシになりますね」

あばたの頭から顎先までをすっぽり覆う包帯は、顔の傷跡を隠すには良いのだが、第一印象で人をギョッとさせるにはまだ十分すぎるほどであった。
その点、マタンプシを目深につければ包帯の面積を減らすことができ、幾分かは人込みに紛れやすそうに思えた。

「キラウシさんとおそろいですね」と言いながら、あばたはマタンプシの下端を引っ張って位置を調節する。
それを聞いて海賊は、そう言えばと思い出す。
キラウシのマタンプシは姉が作ったもので、マタンプシはそのように女が男へ贈ることが多いのだと彼は言っていた。

「あばたちゃんは俺に作ってくれたりしないの?」

「なんで私が海賊さんに作らなきゃいけないんですか。欲しいなら自分でアイヌの人たちに頼んでください」

「え~~、ケチ」と口を尖らせる海賊と、あばたは目を合わせようとしない。
それもそのはず。
彼女の不器用っぷりは自他ともに認めるほどで、刺繍を教わりはしたものの、その出来は惨憺たるものであったからだ。
このマタンプシが、彼女の悪戦苦闘っぷりにいたたまれなくなった子供たちによって代わりに完成させられたものであることを、あばたは黙っていた。


巨大イトウを捕獲して数日。
魚の皮を鞣す手伝いをしたり、イトウのルイベに舌鼓を打ったりしていたが、それもいよいよ落ち着いてきて、すっかり馴染んでしまったこのアイヌコタンとも別れを告げることとなった。
出発の日の前日、村の人たちが盛大に送り出す宴会を開いてくれた。
初めはあばたのことを疱瘡神だと畏れ多そうにしていたおばあちゃんも、いつの間にか孫のように接してくれるようになっていて、最後には温かい抱擁を交わした。
少し泣きそうになるあばたに、海賊は「目的を果たした後も夢が見つからなかったら、この村に戻ってきて暮らすのもいいんじゃない」と言って頭をぽんぽんと叩いた。



「とても素敵なものをいただいてしまった……」

コタンを出るあばたに、アイヌの女衆が持たせてくれたのは“チェプウル”、魚の皮で作ったアイヌ衣装である。
海賊が捕獲した巨大イトウで新しい服を作るので、古いものをくれるというのだった。

「折角もらったのに着ないの?それ、冬用の服なんだろ」

魚皮の特性をそのまま有するこの服は、撥水性が高く雨や雪にも耐えるという。
更に風も通さないというから寒い時期にもってこいというわけだ。
しかし、あばたはその服を丁重に折り畳むと、大切そうに荷物の奥へとしまい込んでしまった。

「そんなそんな!着るなんてとてもじゃないけどできません。こんなに貴重なもの。これは後生大事に家宝に……いや、家宝にするのは勿体ないので墓場まで持っていきます」

「大げさだなぁ」と海賊は苦笑を浮かべる。

「ね、なんであばたちゃんはそんなにアイヌが好きなの?」

海賊はずっと気になっていた疑問をぶつけてみる。
あばたのアイヌに対する興味は、ただ初めて見たからというには異様なほどの執着であった。

「それは。多分、姉の夢だったから、でしょうか」

「お姉さんの?」

あばたは海賊に話した。
自分が北海道へ渡る発端となった姉との約束、そして姉がこの地で叶えたかった夢を。

「姉の代わりに、なんて傲慢ですかね。結局のところ私は姉の影を追いかけているだけで、何も自分の頭で考えてないんですよ」

あばたはマタンプシの端を引っ張りながら自嘲気味に目を伏せた。
その頭を海賊がスパンと叩き、いだっと声が上がる。

「だったら考えればいいだろ。誰の真似でもない、あばたちゃんの夢をさ」

あばたは少しの間下唇を噛んだ後、顔を上げて「言われなくても分かってますよ」と答えた。

「それにしても、海賊さんはポカスカと人の頭を叩きすぎです。これ以上馬鹿になったらどうしてくれるんですか」

「叩かれるようなことをする方が悪い」

たまには私にも頭を叩かせてください、と背伸びしてかかるあばたを、海賊は他愛もなくいなすのであった。




野宿と安宿泊を繰り返して、2人が十勝の町に着くころには雪解けの水が川を下り始めていた。
その間、こんな話をした。

「刺青の暗号について、1つ分かったことがある」

コタンを出てから少し経った後、海賊が珍しく真面目な面持ちで言った。

「まあ、金塊の量をちょろまかされてる疑惑の時点で、ある程度予想はついてたことだが。それが確信に変わった」

海賊はそう続け、あばたに話して聞かせる。
それは、アイヌ猟師が獲物を解体するのを見て得た気づきであった。

囚人に入れられた暗号は、まるで動物の毛皮を剥ぎ取るように、その体を切り裂くことを想定した形になっている。
当然、囚人たちが大人しく体の皮を差し出すわけがなく、つまりそれは力づくで皮を引っぺがすことも前提に置いた猟奇的な計画であると言えた。
囚人たちはただの“手段”であって、はなから分け前など考えられていないのである。

「え?じゃあ小樽に着いた囚人たちはどうなるんですか」

「さあな。欲をかいた囚人どうしが殺し合うところまで計画に入っているのか、それとものっぺらぼうの仲間とやらが皆殺しにする手筈なのか」

あまりに血生臭い話に、あばたは「ヒィ…」と声をもらす。

「それでも、やっぱり小樽に向かうんですよね」

分かってはいたが、海賊はなんてことないように「当たり前だろ」と答えた。

「でも厄介だな。他にも気づいた囚人がいれば、小樽には行かずにどっかに隠れちまうかもしれないし、早々に他の囚人狩りを始めてるかもしれない。それにそもそも金塊に興味がない囚人もいる」

「そんな……。それじゃあ、暗号を集めて解読するなんて無理じゃないですか」

うーん、と2人は考え込む。

「とりあえず。他の囚人を見つけたら殺して皮にすることにして、何か他の手立ても考えといた方がいいな」

「23人分の人の皮を剥がして持ち歩くなんて……想像しただけで気分が悪くなりそうです」

青い顔をするあばたに海賊は「全員殺すわけじゃないから安心しな」と声をかけるが、それは裏を返せば「全員じゃないけど何人かは殺す」つもりであることを示しているため、あまり気休めにはならないのであった。

「囚人の中にはおもしろくて気に入ってるやつもいるんだ。あと、俺より強いやつもいるしな。そういうのとはできればやり合いたくないし、手を組めるなら穏便に済ませたい」

「いいですね。できるだけそっちの方向で行きましょう」

「むしろ殺したいくらい嫌いなやつもいるけどな。監獄の中じゃ懲罰房行きだけど、外なら文句言うやつもいねえ」

あばたは物騒な海賊の言葉に聞かないふりをした。




小樽に行く前に十勝へ寄ることは、海賊にとって重要な意味を持っていた。
目当ては町の中にズンと構える“十勝監獄”である。

「ここに俺の家臣がいるかもしれない」

「“かもしれない”って、いやにふわっとしてますね」

「そりゃそうだろ。塀の中から他の監獄のことなんて知りようがないし、ましてや繋がりがある囚人どうしの接触なんて警戒されて絶たれるのが普通だ」

そこであばたの出番である。
海賊は塀の中を探るためのこんな作戦を用意していた。

あばたは、幼い頃に家族を疱瘡で亡くした孤児である。
長年かけて唯一の血縁者の手がかりを掴んだものの、その人はどうも服役中らしいことが分かった。
そこで、その人の所在を突き止めるために各地の監獄を尋ね歩いている。
という設定だ。

まずは看守にその設定を信じ込ませ、海賊の家臣がいるかどうかを聞き出す必要がある。
そして、アタリであれば手紙を通してもらう。
情報のやり取りを手紙で行うのだ。
面会では典獄の付き添いがあり、ボロが出るおそれがあるので好ましくないからである。
とは言え、この作戦が成功するかどうかはあばたの演技力次第と言える。
海賊は「無理そうだったらバレる前に諦めて帰ってこい」と、あたかも失敗することが分かっているかのように送り出した。





「あの、すみません……」

十勝監獄門前の看守に、1人の女が話しかける。

「はい。何か御用でしょうか」

「あの、こちらに“権藤公二郎”という方はいらっしゃいますか」

看守はやや不審そうな顔をする。
女は手ぬぐいを深くかぶっており、まるで顔を見せたくないようであったからだ。

「……失礼ですが、お名前とご住所、ご職業を伺っても?」

「権藤サワと申します。何分、身寄りのない孤児の出でして、各地を働きながら転々としております」

「ほう、それは大変ですね。ところで、その者とはどういったご関係で、どのようなご用件で?」

看守は探るように手ぬぐいの下に目をやり、ギョッとした。
女の顔は酷い傷跡で埋め尽くされており、直視することがはばかられたためである。

「はい。私も最近知ったことなので、きっとご本人も存じていないと思いますが、公二郎さんとは姪と叔父の関係に当たるようです。幼い頃に疱瘡で家族を亡くした私にとって、唯一の血縁者なのです。そんな彼にこの手紙をお渡ししたくて、各地の監獄を尋ね回っております」

「なるほど。ご事情は了解しました。少々お待ちください」

そう言うと看守は受付部屋から上司へ連絡を取り、状況を説明して判断を仰いだ。

「はい。確かにその男はこちらの監獄におります。お手紙も、検閲はさせていただきますが、お渡し致しましょう。貴女が望むならば面会することも可能ですが」

「いえ、面会は結構です。このようなあばた顔、見るのも見せるのも心持の良いものではありませんから」

女は薄く笑って一礼すると、「それでは、よろしくお願い致します」と手紙を渡して去っていった。



権藤の元へ届けられた手紙は、全く怪しむ余地のない、至って健全で何気ないものであった。
女が看守に話した内容と何一つ齟齬の無い彼女の身の上が語られ、そして“今まで網走に滞在していたがこれから小樽へ向かう”こと、“小樽に着いたらまた手紙を出すので、月に1度返事を送って欲しい”ということが記されていた。
手紙の最後は、“穏やかな心をもち、模範囚として静かに過ごしてほしい”と願う言葉で締めくくられている。

権藤は全く知らない女からの手紙に驚いたが、何処かで聞いたことのあるその身の上話から、それが自分の親分とも言うべき海賊からの便りであることに気がつく。
そこで彼は初めて、海賊が何らかの手段を用いて脱獄したことを知った。
そして、手紙にあった通り、海賊が小樽から送ってくるであろう次の手紙を待ちながら、騒ぎを起こすことなく静かな毎日を過ごすのだった。





「お手柄じゃねえか!あばたちゃんもたまには役に立つもんだな」

見事、作戦を成功させて帰還したあばたを海賊は称賛して迎える。

「たまにしか役に立たなくて悪かったですね」

「おうおう、冗談だろ。そう卑屈になんなって、かわいくないぜ?」

あばたはぶすっと不機嫌そうな顔で「かわいくなくて結構です」と返す。


「ところで、その“権藤さん”ってどんな人なんですか」

海賊が1番に自分の脱獄を知らせたかった相手とは、一体どのような人物なのか。
怪力無双の荒くれ者だろうか。
それとも、冷酷無残な知能犯なのだろうか。

「ああ、頼りになる男だぜ。なんてったって海賊の右腕だからな。あばたちゃんも働きによっては上級の家臣に昇格してやるからさ、頑張れよ」

説明する気ないなこの人、とあばたは察する。
でもまぁ、実際会ったら分かることだしいいか、と思ったのでそれ以上聞くことはしなかった。
そして、囚人の脱獄に肯定的になっている自分に気がつき嫌気がさした。


「海賊さんのことだから、権藤さんがいると分かったら監獄の壁を壊してでも無理やり脱獄させるのかと思ってました」

「俺のことなんだと思ってんの、あばたちゃんは……」

ジトっとした目であばたを見ながら、海賊はため息をついた。

「まあ、本当ならすぐにでも出してやりたい気持ちではあるさ。だが、網走で脱獄があったばかりで、監獄側の目も厳しくなってるかもしれない。それに今は十分な武器も資金も確保できてないしな」

海賊は少し暗い目をして続ける。

「無理に決行して、家臣たちが斬り殺されちゃ意味がない。王には家臣を守る責任もあるのさ。時間はかかるかもしれないが、まずは模範囚を演じることに徹させて看守の目を欺く。そうして脱獄の機を待つってわけだ」

いつになく真剣な海賊の態度からは、悔恨や自戒の念にも似たただならぬ思いが感じられた。
それは詮索してはいけないことのような気がして、あばたはただ「そうですね」と頷くだけに留めた。



とにもかくにも、まずは小樽を目指すことに変わりはない。
2人は十勝川を途中まで遡り、大雪山と日高山脈の間を抜けて進む。
根雪が残る山中でも、フクジュソウの芽やフキノトウが顔を出し始めていた。
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