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海賊さんの拾いもの

屈斜路湖は火山活動によってできた日本一大きなカルデラ湖であり、その周辺のいたるところから温泉が湧き出ている。
辺境の奥地とはいえ、それを目当てに訪れる者も少なくない。

今日もまた、駅逓取扱人に送迎される温泉客の姿があった。
既に日は昇っているのだが、原生林を通る道は鬱蒼と暗く、おまけに湖から流れこむ霧に遮られて視界は不明瞭だ。
こういうときは山賊が狩りを行う恰好の時分であることを取扱人はよく知っていたので、何事もありませんようにと祈りながら足早に馬を牽いていた。

少し行くと、霧の中に行く手を阻む人影が見えた。
普通、賊は数人で一緒にいることが多いのだが、そこにいるのはどうも男1人だけ。
しかも、特段武器を持っているわけでもなく、明るい表情で話しかけてくるものだから、取扱人も温泉客も初めその男は遭難者なのだと思った。

だが男は突然声色を変え、「金目のものを置いて失せろ、逆らえば殺す」と脅してきたので、取扱人は祈りが虚しくも届かなかったことを知る。
一方の温泉客は、こんなこともあろうかと護身用に携帯していた拳銃を懐から取り出し、勇敢にも男へ向かって2~3発撃ち込んだ。
とは言え、素人の腕前ではたかが知れており、弾は大きく的を外すと林の中へと消えていった。

「おいおい、危ねえな。いきなり撃つことないだろ」

男は顔色一つ変えずにサッと馬上の温泉客に近づくと、次発を撃たせる間もなく殴り落としてしまった。
その衝撃で客は気を失ったらしく、男はその手から拳銃を奪い取ると取扱人の方へ向ける。
取扱人はすっかり震えあがってしまい、潔く荷物を差し出すと気絶した客はそのままに一目散に去っていった。

「もう出てきていいぜ。あばたちゃん」

男が声をかけると、近くの藪の陰に隠れていた女が姿を現した。
“あばたちゃん”と呼ばれたその女は、深くかぶった手ぬぐいの下から、世の中の全てを睨みつけるような目をした、いかにも山賊らしい女である。
が、実は彼女は賊などではなく、ひょんなことから賊と共に行動することになった、ただただ人相が悪いだけの一般人なのであった。

「さすが海賊。物騒ですね」

そして更に言えば、追いはぎの男も“山賊”ではなく“海賊”という、なんともややこしく珍妙な2人組なのであった。

「ほら見てみろよ、いいもん手に入れた」

海賊は愉快そうに戦利品の得物を見せびらかす。
洋装の彼はそれを懐にしまうのではなく腰に差すと、伸びている客の荷物を漁る。
手際よく金品を抜き取ると、防寒用にと羽織もはぎ取り、取扱人の荷物を持たせたあばたと一緒に林中の隠れ家へと戻っていった。


「あの人、放っておいて大丈夫でしょうか」

「武器も奪ったし追いかけてはこないだろ。もし報復しに来るならこいつで撃ち殺せばいい」

ものにしたばかりの銃を指しておっかないことを口走る海賊に、あばたは「そういう意味の大丈夫じゃないです」と呆れの視線を向ける。
出会ってまだ数日しか経っていないが、彼の無頼漢っぷりにはもう驚ききってしまったようだ。
慣れとは怖いとつくづく思うあばたである。

海賊もここに潜伏してまだそう長くないらしいが、すっかり生活の拠点ができあがっていた。
そのほとんどが近くの宿からの盗品や、今日のように温泉客などから奪い取ったものによる。
ただ1つ、魚を獲るのに使う銛だけは例外で、湖で漁をしていたアイヌの手伝いをするかわりにもらったのだとか。
彼は特異な体質で、水中での技に秀でている。
本来、あの銛は舟上や川中に立って水面から狙いを定めるものらしいが、彼いわく「水中で狙った方が早い」とのこと。
実際、潜って数分後には魚を突いて上がって来るし、アイヌ漁師が十分満足するくらいの魚も造作なく獲ってしまえるのだろう。

あばたの仕事はもっぱら海賊が潜っている間の火の守であり、たった数分で戻って来るのだから必要ないのではと思える程なのだが、これからの季節はもし火が消えていたら生死に関わるのだと説き伏せられ、黙って従うほかなかった。
というか、冬でも潜る気なのかと正気を疑った。


海賊は川魚が好物らしく、毎日何かしらの魚を獲って来てはそれを食べて生活していた。
海の近くで生まれ育ったあばたもまた、魚は好物のようで、特に魚の頭を好んで食べる彼女を海賊はおもしろそうに見ているのだった。

「あばたちゃんは本当に魚の頭が好きだね」

「魚は目玉と脳みそが1番美味しいんですよ」

マスの氷頭をゴリゴリかみ砕きながらそう答えるあばたには、残念なことに年相応の女らしさなどは微塵も感じられない。

「うちの兄弟にも同じようなのがいてさ、頭のとこを取り合ってよく喧嘩になってたよ」

懐かしそうに語る海賊に、あばたは「素敵ですね」とだけ呟いた。



あばたの家はお世辞にも仲が良いとは言えなかった。
何もかも冷え切った関係性。
それでも姉はよくできた人で、彼女が唯一の結びとなるおかげで何とか家族という形が保たれてきたのだ。
気立てが良く、美人で教養もあり、おまけに手先も器用な自慢の姉。
当然、引く手あまたにお誘いがかかり、病にかかる少し前には良家との縁談が決まっていた。

もし、姉が生きていれば。
生き残ったのが自分ではなくて姉だったら。
あばたもえくぼと言うが、姉のように人柄も良い女性
であれば、きっと傷跡が残っても愛してくれる人がいただろう。






どうしてお前だけが生きている?


お前が死ねばよかったのに。







腕を掴まれてはっと我に返る。
自分でも無意識のうちに顔をかきむしってしまっていた。
かさぶたが破れて治りかけの傷から血が出ている。

「何やってんの」

「すみません。考え事してると、つい癖で」

なかなか眠れずに嫌なことを思い出してしまった。
先に眠っていたはずの海賊が責めるような視線を傷口に向ける。
あばたは海賊の腕を外して体を起こすと、「顔、洗ってきます」と言って仮小屋の外へ出た。

川の水は冷たくて傷に染みる。
顔を拭いた手ぬぐいには点々と赤い染みがついた。

「なるほど、道理で傷跡が酷いわけだ。無理にひっかいたりしなけりゃ、もうちょい綺麗に治ったろうにな」

「はい、分かってます。だから自業自得なんです。この顔は」

わざわざ外に出てきてまで説教しなくても、と振り返ったあばたの顔を海賊の大きな手が鷲掴みにする。
片手で両頬をぐいっと挟み込まれ、思わずへぶっと変な声が出た。

「分かってます、じゃねえだろ。今後一切顔をひっかくのは禁止、傷口を触るのもダメ。いいな?」

「でも……」

あばたが反論しようとすると、両頬を掴む力が強くなり強制的に口をつぐませられる。
「いいな?」と圧を強めて再び念を押す海賊の前に、もはや「はい」以外の答えが許されないことは明白であった。


ひっかいたせいではない痛みを両頬に感じながら、あばたは寝床にもぐり直す。
海賊は最後にもう一度「いいな?もうすんなよ」と忠告すると、さっさと眠り直したようだ。
思えば同じことをずっと姉にも言われていた。
発疹がはがれ落ちる前に自分でいじって潰してしまうのを、跡が酷くなるからやめなさいと止めるのだ。
彼女がこの世を去ってから誰も止める者はいなくなり、いつの間にか悪癖となっていた。
姉と2人、山小屋で病が去るのを待ったときを思い返すうち、いつの間にかあばたも眠りについていた。


翌朝、毛布をはぎ取られ、冷たい朝霧にさらされて目を覚ます。

「ほら起きろ。出発するぞ」

起き抜けの眼前に海賊の顔がぬっと現れ、相変わらず近いなぁこの人は、と思いながらあばたは大きく欠伸した。
今日は旅立ちの日。
この湖畔を離れ、小樽を目指す。
脱獄した囚人たちが落ち合う予定の場所だ。

ここに居れば食料に事欠かないのだから、いっそここでずっと暮らせばいいのでは、とあばたには思えるのだが、そうもいかないらしい。
もう少ししたらマスやサケの産卵が始まり、その生命を全うして新たな生命へと置き換わる。
それはとても感動的で、生命のなんたるかを考えさせられる素晴らしいことであるが、全てを出し切った後の満身創痍の魚たちは残念ながらあまり美味しくないし、そのうちに腐敗した臭いを放ち出す。
そればかりか、岸辺に打ち上げられた亡骸を食べに来るヒグマと遭遇するおそれもある。

「あばたちゃんもあのまま死んでたら今頃は湖に浮いてたかもしれないぜ」

海賊の言葉に、ヒメマスたちと一緒に浮かぶ自分の背中を思い浮かべてしまったあばたは、何とも言えぬ複雑な顔をした。

更に、もっと冬が深まれば、いずれ湖は氷に閉ざされてしまう。
北海道の冬は格が違うのだ。
氷点下を回るのが日常茶飯事の極寒の地において、人気のない山中で春を待つのはあまりに厳しい。
雪が積もる前に山を下り、町の近くで冬を越すのが無難と言える。

必要な荷物だけを持ち、釧路川に沿って南方へ下る。
小樽までの最短経路は北の道を行くべきなのだが、それには網走の方面へ戻る必要があるので、あえて南回りで行くことにした。
にしても、凶悪犯の集団脱獄が発生したというのに、変に追手の影が見えない。
網走からそう離れていない山中に海賊が隠れ住んでいたのも、看守や警察といった人の姿を見ることがなかったためである。
それどころか、網走に数日間滞在していたあばたですら、囚人が脱獄したなどという話は聞かされるまで知らなかったし、町で混乱が起きている様子も皆無だった。
それは組織が有する隠蔽体質によるのか、戦争を控えた異様な状況下によるのか、はたまたそれ以外の理由があるのかは分からないが、いずれにしても逃走犯にとってはありがたいことである。


川を遡上してきたサケを捉えて食事にする。
手先は不器用ながらも、姉から教わり多少の料理はできたので、それもあばたの仕事になっていた。
基本的には焼くか煮るかの2択しかないが、ふと思い立ってサケは生食できるのか聞いてみたところ、新鮮ならなんでも生で食べられるという何とも雑把な答えを返されたので、刺身でいただくことに試みてみた。
赭色の身と卵。
その鮮やかさに、よく熟れた柿や橙の実を思い浮かべ「綺麗ですね」と言うあばたに対し、「囚人服を思い出すよな」と言う風情の欠片もない海賊である。

サケ特有の風味とコリコリとした食感を楽しめる刺身に、ぷちっと弾ける濃厚な筋子。
秋サケは脂乗りこそよくないが、その分サケ本来の味わいがよく感じられ、何よりその腹腔内に詰まった卵をいただけるという嬉しさがある。

「北海道は初めて食べるものばかりです。美味しいものがたくさんあって、良いところですね」

あばたがしみじみと呟くと、海賊は「でしょ~」と笑った。

「あ、でも刺身はよく噛んで食べなよ。昔、早食いの兄さんが虫に気づかず食べて、ケツから出てきたことがある。ひも状のこーんな長いのがずるずると」

話の内容と手で示された長さに戦慄し、むせかえりそうになるのを抑えながら、もっと早く言えと心の中で憤った。
それでもあばたは言われた通りよく噛んで刺身を完食すると、あらを炊いた汁も腹に収めた。
その生命を食する以上、余すことなく全ていただくのが礼儀であり、食材への感謝を示すことになるのだ。
しかしまぁ、「お刺身には白米が欲しくなりますね」というあばたの言葉には、さすがの海賊も「贅沢なやつだな」と呆れ顔を浮かべるばかりだった。


道中、裕福そうな身なりの旅客に出会ったので、例のごとく“一仕事”行う。
奪い取った荷物を漁る海賊が「お!いいもん見っけ」と声を上げたので、また拳銃でも手に入れたのかと思いきや、それは応急用の包帯であった。
海賊が嬉々としてそれをどう使うつもりなのか、理解できた時にはもうあばたの顔は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
まるでてるてる坊主のような頭にされてしまったが、「こうしとけばもう大丈夫だろ」と笑いかけてくる海賊に、あばたが反抗することはなかった。
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