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海賊さんの拾いもの

「やっぱり働いた後のご飯は美味しいですね」

「よく言うぜ。働かなくてもいつも美味そうに食ってるくせに」

そう言う海賊もまた、口の端にご飯粒をくっつけて白米をむっしむっし食べている。

漁場で働き始めてから数週間が過ぎ、仕事もすっかり板に付いてきた。
集ったヤン衆たちともおおかた顔を合わせたが、海賊が知った者はいないらしい。
元々飛び入りで雇ってもらったひと月程度の契約であったし、そろそろ潮時かと思われた。
大した手がかりは掴めなかったが、何も落胆することはない。
早々に切り替えて次を探れば良いのだから。





「ええっ!もう行っちゃうんですか」

海賊が漁場で初めて会った男とはその後も何度か仕事を共にする機会があった。
話の中でなんとなしに近々ここを発つことを伝えると、男はとても残念そうな顔をした。

「ああ。あんたには少し世話になったな。まあ、もう会うことはないかもしれねぇけど、元気でやれよ」

男は「はい……」とだけ答え、ニシンの粕玉を斬り刻む作業を続けた。
俯き気味の男の手の中で玉切り包丁はいつもより強く握りしめられる。
それはもちろん、海賊には気づきようもないことだ。




海岸で作業をしていると、網元の家の女中が海賊を呼びに来た。
なんでも、契約満了に伴って必要な手続き諸々があるので番屋まで来るように、とのことらしい。
女中に案内されるまま親方が住む豪邸にお邪魔する。
そのまま奥の部屋へと通され、主人を呼んでくるので少し待つように言われた。

さすがは鰊御殿。
家のあちらこちらに高級そうな調度品や装飾品が置かれている。
そんな旨味のある獲物を前にして、盗賊本能が疼かないはずがない。
海賊は何か盗めそうなものはないかと部屋の中を物色し始めた。

海賊が真っ先に目をつけたのは、壁に掛けられた数種類の銃。
銃砲点では扱っていないようなものもあり、外国産の最新式のものかもしれなかった。
しかし残念なことに、どれも装飾用で弾は入っておらず、武器としては使えない。
海賊はちぇっ、と舌打ちして手に取った銃を壁に戻す。
それとほぼ同時に、背後で襖がさっと開いた。

「あら。あなたも銃がお好き?男の人ってそういうものなのかしら」

入ってきたのはこの家の女将、つまり親方の妻であった。
その女はひと回りふた回りほども親方より若く見え、こう言っては何だが正直不釣り合いに思える。
それも金持ちの特権というやつだろうか。
女将は運んできた茶を机に置くと、座って飲むよう勧める。
海賊はそれを軽く受け流して話を続けた。

「御主人の趣味ですか。ずいぶんと珍しいもののようですけど、これはどこで?」

「お雇い外国人から高く買い取ったのだそうよ。和室に銃だなんて、風情の欠けらも無いと思わない?」

「そうかもしれませんね。ところで、その御主人は?自分は呼ばれて来たのですが」

微笑を貼り付けて席に着き、海賊は本題に入るよう促す。
だが、女将はそれを「まぁ、そう慌てずに。お茶でも飲んでお待ちになって」といなして笑った。

「もしかして、茶に何か仕込んでたりする?」

海賊はジロッと女将に視線を向ける。
女将はそれに憤るでもたじろぐでもなく、ただ妖しく笑った。

「どうしてそう思うのかしら」

「ちょっとした噂を耳に挟んでね。あんた、気に入った男を連れ込んでは遊んでるんだろ。んで、光栄なことに俺はその獲物に選ばれたみたいだ」

「なんだ、気づいていたのね。なら話が早いわ」

女将は海賊の隣へ擦り寄り、その胸元に手を触れた。
まるで遊女さながらの艶やかな仕草であったが、海賊は顔色を変えずに女将の手を掴んで静止させる。

「いくら出す?」

「まぁ驚いた。体を売ろうっていうの。いいわ、金でも銃でも何でも持っていけばいい。私には興味のないものだもの」

それを確認して放された手は、服のボタンに掛けられる。
1つ2つと外されて露になった肌に、今度は直に手が触れた。

「あら、変わった刺青ね」

女将は奇妙な墨の紋様に不思議そうな声を上げたが、特に興味を持つわけでもなく事を続ける。






だがそれも、勢いよく襖を開ける音によって中断された。

「またお前は男を連れ込んだのかッ!」

大声で怒鳴り込んできたのは、怒りで顔を真っ赤にした親方であった。
それを見るや否や、女将は身を翻して海賊から離れると「違うわ!この人が脅してきて仕方なかったのよ」と見え透いた嘘を吐いた。

「なにィ!?お前、何処の馬の骨だか知らんが、雇われの分際で人様の嫁に手を出そうなんて、地獄に落としてやるッ!」

妻の不貞行為を信じたくない心理なのか、親方はそんな嘘をあっさりと鵜呑みにしたようだ。
おまけに、頭に血が上りきってしまっているのか、懐から拳銃を取り出す始末。
もちろんそれは装飾品などではない。
実弾の入った本物の銃である。

「おいおい、まじか。厄介なことになっちまったな……」

こんなことなら、あの男の忠告を大人しく聞いておくんだった、などと今更思っても後の祭り。
今ある選択肢は2つ。
逃げるか殺るかしかない。
とは言っても、あまり大事にしては今後の活動に支障をきたしかねないので、まずは前者から試みる。

「ちょっと待った。あんたがお怒りなのも分かるけど、まずはこっちの話も聞いて……」

説得の言葉は無念にも途中で断ち切られた。
鳴り響いた銃声と共に、左肩口に走る鋭い痛み。

これにより、選択肢は後者一択に絞られた。
海賊の顔から人間味の色が消え、冷血な無頼漢の面相になる。
次弾を撃たせる前に反撃しなければ。
海賊は目の前の机を持ち上げると、相手の頭めがけて思い切り叩きつけた。
載っていた湯呑みが茶をぶちまけてガシャンと割れる。
続けて、ドガッという鈍い音と親方のうめき声が上がる。
木製座卓の重たい一撃をくらって立っていられるはずもなく、彼はその場に崩れ落ちた。
頭から血を流してはいるものの、かろうじて意識は保っているようだ。
衝撃で放してしまった拳銃の方へ、必死に手を伸ばしている。
それを横から掠め取って拾い上げ、海賊は容赦なく雇い主の眉間を撃ち抜いた。
乾いた音を合図に飛び散る血。
脱力して頬を床にべたりとつけたそれを見て、もう動くことはないと確信する。

「手間かけさせやがって、まったく」

ふぅ、とひと息ついたところで、この騒ぎの発端である女の姿がどこにも見当たらないことに気づく。
どさくさに紛れて1人逃げ失せたらしい。
こうなった以上、まとめて始末してしまうつもりだったのだが仕方ない。
いないならいないで好都合だと、海賊は家主の死体の前で悠々と金品を漁り始めた。




持てるだけ持ち、そろそろお暇しようかとした頃合で何やら外が騒がしいことに気がつく。

「 強盗です!背が高くて髪の長い、変な刺青を入れた男がいきなり家に押し入ってきて……」

それは戻ってきた女将と、彼女が引き連れてきた警察たちであった。
強奪した拳銃があるとはいえ、手負いなうえに多人数に囲まれてはさすがに分が悪い。
ここは大人しく引き下がるのが賢明だろう。
海賊は広い家の中を息を潜めて移動し、人目につかないよう裏口から脱出した。






一方その頃、海岸では――。


ひと仕事終えたあばたが、桟橋の上で昼食のにぎり飯を頬張っていた。
潮の匂いと波の音と湿り気のある冷たい風に包まれていると、まるで海の中にいるような気持ちになる。
心做しか、にぎり飯にもしょっぱさが移っているような気がする。
気のせいかもしれないが。

「海賊さん、どこ行っちゃったんだろ」

先程から海賊の姿が見えないことに、少々の不安がよぎる。
何かあったのだろうか。
何かとはなんだろう。
事件に巻き込まれたとか。
いやいや、どちらかと言わなくてもあの人は事件を起こす側だろう。
そんなことを考えながら最後の一口を飲み込んだ。

まぁ、あんな感じの人だし、そのうちしれっと戻ってくるかもしれない。
あばたは水平線をぼーっと眺めた。
水温の低い海が鈍色の波をさざめかせている。

戻ってくる、……よね。
紛らわせようとすればするほど、大丈夫だと思えば思うほど、何だか落ち着かない。
とっくに慣れたはずなのに、今更どうしてこんなも独りでいることを痛く感じるのだろう。
不安が波のように押し寄せてきて、居ても立ってもいられない思いになる。

探しに行こう、と決心して振り返ったあばただったが、次の瞬間には「うひぃッ!!」と情けない悲鳴を上げて尻もちをついていた。
気づかぬうちに、玉切り包丁を握りしめた男が背後に立っていたからである。

「ああ、驚かせちゃってすみません。大丈夫ですか」

「いえ、こちらこそすみません。人の顔見て驚くだなんて、失礼しました。って、あれ?あなたは確か……」

あばたはその男と直接話したことはなかったが、海賊と一緒にいるのを何度か見かけていたので顔は知っていた。
起き上がるのに手を貸してくれた彼に対して、あばたが抱いた第一印象は“善い人”であった。

「そうだ。あの、私と一緒にいた人がどこに行ったか知りませんか?背が高くて髪の長い男の人なんですけど」

彼ならもしかしたら海賊の居場所を知っているかもしれない。
そう思って尋ねてみたが、その期待は外れだったようだ。

「それが、実は僕も彼を探していたんです。もうじきここを出ていくと聞いたので、ちょっとした“餞別”をできればと思って」

「そうだったんですか。全く、仕事をサボってどこで油売ってるんでしょうね」

不安から苛立ちへ変わったのか変えたのか、あばたは不服そうにため息を漏らす。
男はそれを穏やかな表情で聞いていた。

「お2人はとても親しいようですけど、どういったご関係で?」

「エッ。いや、別に親しくはないと思いますけど……。ただの遠い親戚ですし」

まさか「脱獄囚人と拾われた自殺志願者です」などとは口が裂けても言えず、あばたは適当な嘘を返した。
しばしの動揺は、不意に投げかけられた質問より、海賊との関係を“親しい”と形容されたことによるものが大きかった。
そうでなくても、あまり深掘りされては困る話題である。
あばたは「それより」と分かりやすく話題を変えた。

「さっきは本当にすみませんでした。振り返ったら物騒なものを持った人がいるものだから驚いてしまって。殺されるんじゃないかと……。あ、もちろん冗談ですよ」

殺人鬼がその辺を歩いてるわけないですもんね〜、と自分自身にも言い聞かせるように言って笑う。
そんなあばたをよそに、男は“殺される”という言葉に心臓をドキリと鳴らしていた。





これは彼以外の誰にも知り得ないことであるが、彼の胸の内ではとある葛藤が繰り広げられていた。
目の前の女を殺すか、殺さないか。
一見無害そうに見えて、この男は列記とした殺人鬼。
それも例の刺青が入った脱獄囚人の1人だ。
2人は何の収穫もないと思っていたが、その実知らぬうちに囚人との接触を果たしていたのである。

彼こと“辺見和雄”の殺人欲求はいつも、“必死に死に抗おうとする命の煌めきを見ること”を動機としている。
そして、自身もそのように煌めいて殺されることを望んでいた。
今回の場合、彼の目的は、あばたのような殺しがいのない女を殺すことではなく、あばたの連れである海賊に彼自身が残酷に殺されることであった。

海賊の目に、辺見は大層平凡で退屈な男に見えていたのだろう。
興味のない囚人のことは欠片も記憶に残していないのだから。
けれど、辺見は海賊のことをしっかりと覚えていた。
粒ぞろいの網走監獄の中でも、異彩を放つ囚人の1人。
海賊の気に障った囚人が血祭りに上げられるのを見て、どれだけ興奮したことか。
同じ房に入ることは叶わなかったというのに、まさか脱獄後にこんなところで出会うなんて。
まるで運命のように感じられた。

きっと僕は彼に殺されるためにここに来たんだ。

ならば、最高に煌めいて殺されたい。
そのためにはどう殺されるのが一番良いか。
模索し続けてあっという間に数週間が経っていた。
想像しただけで果ててしまうことも度々あった。

それだと言うのに、もう行ってしまうだなんて。
まだ殺されていなのに!

焦る辺見の目に留まったのは、1人海岸に佇むあばたの姿であった。
彼女を殺せば、怒った海賊が自分を殺そうとしてくれるかもしれない。
しかし、餌にするためだけに人を殺すなんて、言ってしまえば汚い手。
それで上手くいったとして、真に一点の曇りなく煌めくことはできるのだろうか。
そんな葛藤が辺見の中に渦巻いていた。




「ん?あっ、いたー!!」

急にあばたが後方を指して素っ頓狂な声を上げたので、辺見も思わず振り返る。
すると、こちらへ向かって海賊が走ってくるのが見えた。
辺見の胸は自然と高鳴り、頬が紅潮し、口角が上がり、包丁を握る手に力が入る。

海賊は桟橋に着くとすぐ、あばたを右肩に担ぎ上げた。
一切の説明を省いて「逃げるぞ」とだけ伝える。
あばたは準備していた文句を言う間すら与えられず、突然高くなった視界に慌てふためくしかできなかった。

だから、そこで「待って!」と叫んだのはあばたではなく、妙に目をギラつかせて息を弾ませている辺見なのであった。
次の瞬間には、彼の持つ玉切り包丁が海賊に向かって薙払われていた。
それを反射的に身を逸らして海賊はかわす。
間髪入れずに、今度は高く振りかぶられた包丁の刃先が向く。
だが、それが振り下ろされるよりも早く、海賊の左拳が打ち込まれていた。
腹のど真ん中に強烈な一撃をくらい、口から涎を散らしながら辺見は後ろへ吹っ飛んだ。

「え、何です?何が起きてるんですか?」

担がれた状態のあばたには眼下に広がる海しか見えなかったが、背後で何か穏やかではないことが起きているのは明らかであった。

「お前、何者だ?ただの漁師かと思ってたが、どうもそうじゃないらしいな」

「さすがですね、すごく良い!僕が求めていたのはまさにこれだ!もっと僕を煌めかせてくださいッ!」

よろめきながらも恍惚とした表情で辺見は立ち上がる。
海賊の問いが聞こえていなのか、そもそも答える気がないのか、話が全く噛み合っていない。
どちらにせよ、この男は死ぬか殺すまで引き下がるつもりがないことは分かった。

銃を構えるために右肩のお荷物を下ろそうとした丁度そのとき、海賊の視界に先程までいた建物からぞろぞろと出てくる警察の群れが映った。
まだ自分を探しているようだが気づかれてはいないようだ。
ここで発砲音を鳴らせば奴らの注意を引くことは確実。
だが、眼前の包丁振り回し男と素手でやり合うのも骨が折れそうである。

追い込まれた海賊が選んだのは、意外にも最も穏便と思われる選択肢だった。

「うえぇぇあがぼばばば!?」

あばたの絶叫が泡になって海中に消える。
担がれたまま海に飛び込まれるだなんて誰が思うだろうか。
さすが泳ぎが得意なだけあって、あばたを引き摺って海賊はすいすいと岸を離れていく。
水中に逃げられては並大抵の人間ではまず彼に追いつけない。
遠ざかる水影を、辺見は失意の眼差しで見送るしかなかった。
限界まで高められた末に満たされなかった欲求。彼にはもうそれを抑えることはできないだろう。

その後、各地の漁場では不可解な死体が見つかる事件が相次ぐようになったというが、それを2人が知ることはなかった。
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