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鏡の映す真実

それから1日、レオナは仮眠室のベッドの上でまどろんでいた。何もすることがなく、退屈だった。エースたちがレオナのベッドを覗くも、唸り声で「うるさい」と追い返すほどだった。

 日没のあと、シリルが仮眠室にいるレオナを呼びに来た。父親の容態が急変したという。
 胸騒ぎを感じて、レオナは病室へ出向いた。
病室にはシリルとシリルの母、妹たち、父親の弟とその家族が来ていた。面識があるシリルの叔父に、レオナは頭を下げた。
 ふと、レオナはシリルの父親が目をあけて自分を見たような気がした。(まさか)
「もう大丈夫です。峠を越されました」
医師が脈を測り、家族に告げた。
すすり泣きが病室に漏れた。
(夢見が悪くならずに済んだ)
レオナは思った。

 仮眠室に戻ろうとしたシリルに、レオナが声をかけた。
特にやることもない。中途半端な時間ではあるが、今から仮眠をしても大して眠れそうにないと思ったレオナは、シリルを付き合わせて病院の中庭へと進んだ。

 シリルの父の容態は快方へと向かうと医師が言っていた。あとは十分な休養と、医師の治療をするだけで、レオナにもシリルにもできることはない。レオナは気になっていたことを話した。
「そういえば、以前から聞こうと思っていたが、お前は俺との婚約の話を進めてもいいのか」
「それはどういう意味でしょう」
シリルは小首をかしげた。
「言葉通りの意味だが」
「あなたは嫌なのですか」
「そうじゃねえ…俺みたいなのとくっつけられて迷惑なのかなと思ってな」
「そんなこと思ってません」
珍しくシリルがしっかり顔を上げて、レオナを正面から見据えた。瞳に怒りの色が見えている。
「決まったことだからか」
「それもあります」
「お前が俺をどう思っているか知らないが、迂闊に決めないほうがいいぜ。何しろ怠惰で狡猾で気難しく、性格が悪くて忌み嫌われている第二王子だからな。手段を選ばず汚い手も使う。王族との結婚にはそれなりの重圧もあるが残念ながら俺は国王になる確率が極端に低い。お前に何の見返りもないかもしれん」
 レオナの言葉に、シリルは渋い顔をした。珍しくいらいらと、髪をかき上げて頭を振る。その髪をかき上げた一瞬にちらりと見えたうなじの白さに、レオナは興奮を覚えた。
「見返りなんてどうでもいい」
シリルは苛立ちながら吐き捨てた。
「世間の見方じゃ、夕焼けの草原の第二王子と財閥の令嬢の縁談なんて政略結婚以外の何物でもない。成婚しても、破談になってもいいゴシップの種になるだけ。だったらこのまま現状維持がベスト」
 そう一息に話し、シリルは息をついた。違う。こんなことを言いたいんじゃない。確かに親に決められた相手がいるという不自由さに最初は心の中で反発していた。だが今は…
「まあいい。確かに俺たちは傍から見たら政略結婚に違いない。王族の男と財閥の令嬢。お前はせいぜい俺を手駒として使え」 
 (俺はこんなことを言いたいんじゃない)
 心とは裏腹の言葉を吐きながら、レオナの心が乱れた。
 親同士が決めた許嫁。話を聞いただけでは好きも嫌いもなかった。だが、彼女と会い、その賢さと気高さに惹かれた。何不自由なく育ったお嬢さんのはずなのに、芯は強い。シリルは魅力的な女性だとレオナは思った。もちろん外見は地味だ。もっと「連れて歩くのに見栄えがいい」女を選ぶ機会もあった。言い寄られたことも。

だが。レオナはそんな女たちを選ばなかった。

 会うたびに惹かれていく。次に会う日を心待ちにする気持ち。番にするのは彼女だと心に決めた。
シリルの父親が倒れたという知らせを聞いて、なぜ胸が騒めいたのか。クロウリー学園長に詰め寄り、半ば脅すようにホリデー休暇前の外出許可と外泊許可を取った理由は。義理を果たすということや、許嫁の父親の緊急事態に黙って知らん顔をしていることで兄に突っ込まれるのがうるさいというのもあった。だが。
(わざわざ規格通りの制服を身に着けてきたのはいったい何のためだ、レオナ・キングスカラー。磨いた靴まで履いて、体裁を整えたかっただけなのか、俺は)
レオナは自問した。
「あなたを手駒にしようと思ったことなんて一度もないわ」
シリルがまっすぐレオナの瞳を射抜いた。こんな真剣な表情で相手に見られることは慣れていない。レオナは目をそらそうとした。
「レオナ、目をそらさないで。怖いの?」
レオナは不機嫌そうに喉を鳴らした。
「怖い?そんなわけねえだろ」
そう口に出した途端、周りの空気が冷えた。ぞくっとする感覚が背中を伝う。虚勢を張っている時ではないとレオナは悟った。
「…いや、嘘だな。怖くないわけがない」
 レオナの笑顔が歪んだ。
「なあ、人生は不公平だ。そう思わねえか。俺は後に生まれたというだけで正当な評価を受けず、誰にも選ばれない」
シリルはレオナを正面から見つめ、かすかにうなずいた。
「そうね…確かに不公平かもしれない。私は美人ではないという理由で、誰からも選ばれなかった」
顔をしかめるシリルに、レオナは声をかけた。
「だがお前には才能がある」
「だけど…私より実力で劣っても見かけが可愛い子がオーディションに選ばれていく。正直口惜しいと思った。それでいて、この体は下品なやつらの嫌らしい目にさらされ、品のない冷やかしを受ける。こっちの許しもなくベタベタと体を触られて、怒って吠えたら欲求不満なんだろうとか、触ってやるだけありがたく思えと言われる。もううんざり」
「そんな目に遭っていたのか…」
レオナは驚いた。完全に性犯罪ではないか。女性を尊重するお国柄であるだけでなく、個人的にシリルをひどい目に合わせた輩にレオナは怒りを覚えた。
「辛かっただろう…お前なんでそんなに頑張れるんだ…」
「それでも…諦めて、文字通り尻尾を巻いて逃げるのは嫌だもの」
目じりににじむ涙を人差し指でこすり、シリルはもう一度顔を上げてレオナを見た。彼は自分に何を伝えようとしているのか。そして自分は…。
「あなたは誰の一番にもなれないと言った。でも私は…最初にお会いした5年前から、あなたを…」
「シリル」
自分を呼ぶ声に、シリルは胸を突かれた。低音で響く声。その声には今まで感じられなかった暖かさがあった。
「お前は誰からも選ばれないと言った。だが」
言葉を切り、レオナはシリルを自分の腕に抱き寄せた。
「俺がお前を選んじゃダメか?」
自分と同じ翡翠色の瞳が顔を覗き込む。
「ダメじゃ…ない…」
「シリル、お前が好きだ。心から愛している」
恥じらいながらそっと唇が重ねられた。やわらかく暖かい。長いような一瞬のような時間の後、レオナはシリルからそっと唇を離した。シリルはレオナの瞳をまっすぐ見て、告げた。
「私もずっと…お慕いしておりました」
瞬間、レオナは困ったような、照れたような顔でシリルを見つめ、彼女を自分の胸に抱き寄せた。


「ハンカチをありがとうございました」
シリルは丁寧にたたんだレオナの白いハンカチをレオナに手渡した。ハンカチは綺麗に洗われ、アイロンがかかっていた。
「ところで、お父様からあずかった鏡、あれに魔力は残っていましたか?」
「いや、あの鏡には魔力が全く感じられん、役立たずだ。だが」
レオナは考えた。
「かなり古いものだな。おそらくマクリーン家に代々伝わっている家宝のようなもんだろう。親父さんはそれを守ってほしかったのかもしれん」
「わかったわ。まあ魔力がない古い鏡でも、こちらが魔力を注ぐことで活用できることもある、と、古代の文献にもあるし。何かの役には立つでしょう」
 レオナはうなずき、冷えるからとシリルを促し、また自販機のある病棟へ戻った。
「さすがに、冷えるわね」
「ほら」
レオナは上着をシリルの肩にかけた。
「少しは違うだろう」
「でも、あなた寒くない?」
「俺はいい」
「よくない、レオナが風邪ひいちゃう」
「じゃあこうするか?」
レオナはシリルの肩を抱き寄せた。かがんで自分の頬をシリルの頬につける。
「冷たい。それにちくちくする」
「髭が伸びてるんだ。あとで剃る」
「ちょっと痛い。でも嬉しい」
シリルが笑うと、レオナはさらにぐりぐりと伸びかけた髭の生えた頬をシリルの頬に押し付けた。
「ちくちくする。あなたふざけてるでしょ」
「ふざけてねえよ。俺の匂いをつけてるだけだ」
 レオナはシリルの頬に口づけをして、そっとシリルの頭を撫でた。尻尾はもうとうにシリルの腰に巻き付いて好意を表していた。
「ホリデー休暇、どうするの」
「今回休みを先取りでもらったから、補習があるだろうな」
「そっか」
「寂しいか」
「少しだけね。会えない間練習する」
「演奏会には行くから。出るんだろう」
「お父様のことであまり練習出来てないけど、やっと受かったオーディションだから」
「大丈夫だ、きっとうまくいく。親父さんが元気ならきっとそう言う」
そして、照れくさい顔で付け加えた。
「おかしな気分だな。俺がこんな前向きな言葉を口にするなんてな」
「いいと思う。勇気が出るわ」
今度はシリルがレオナの少し髭が伸びかけた頬に唇をふれた。ずっとこんな風に二人だけでいたいと思った。

 すると、どたばたと足音が聞こえた。
「あれ、お二人こんなところに」
「鏡が開く場所がわからなかったんだゾ」
「おかげで帰りそびれたんですけど」
「キングスカラー先輩なんとかしてください」
うるさい後輩たち+毛玉に、レオナはうんざりしたような顔をした。
「お前らのことなんぞすっかり忘れてたぜ」
「頼みますよ、キングスカラー先輩。俺たち帰れませんよ」
「知るか。勝手についてきやがって。お前らで何とかしろ」
「薄情な先輩っすね」
「大体何でうちの寮の所属でもねえお前らの面倒を見なきゃならねえんだ」
「レオナのやつ、ケチなんだゾ」
「お前ら、リドルに首をはねられたり、頭にイソギンチャクをつけられてもまだ懲りないようだな」
冷酷非情な先輩に文句を言っているエースとデュースを遠ざけるように背を向けたレオナに、監督生が申し訳なさそうな顔をした。
「すみません…戻る方法何かないでしょうか」
「それは…俺がお前らの交通費を立て替えろってことか」

押し問答しているレオナと監督生を見ながら、シリルは考え込んでいた。
「レオナ、ひょっとしてあれを使えば…この子たち戻れるかも」
「あ?鏡か?魔力は感じられねえぞ」
「そうではなくて…あなたの魔力を注いで、”道”を作ることができれば、あるいは…」
シリルの話を聞いて、レオナは心あたりがあった。
「古代呪術魔法か…。やったことねえぞ。上手くいくかどうか」
「お願いします、レオナさん!」
「俺はお前らの願いを聞く義理はねえぞ。対価は何だ」
「サ、サバナクロー寮の談話室の掃除を1週間します。ら、ラギー先輩の代わりに」
「ずるいぞユウ!俺たちどうするんだ」
「知らないよ…エースたち自分で考えてよ」
「ユウ一人じゃ無理だ!キングスカラー先輩、僕も談話室の掃除をさせてください!」
「あああ、うるせえ」
知識だけで知っている古代呪術魔法を成功させた話をクロウリー学園長に聞かせたら、補習が少し軽減されるかもしれないとレオナは計算した。
「…しょうがねえな。やってみよう。だが学園のどこに出るかはわからん。それと、勝手にお前らがついてきたことはクロウリーに報告しておく。それでいいな」
「仕方ありませんね…」
「…話が分かる後輩だ」
「アズール先輩の契約書よりはましです」
「お前な…時々毒舌だな、監督生」
「そういえば」
監督生は言葉を切った。
「シリルさんといい雰囲気ですね…」
全くこいつは、と、レオナは苦々しい顔をした。が、ニヤリと笑った。
「まったくお前らは…お邪魔虫が来なきゃもっといい雰囲気だったんだがな」
「それは失礼しました…。止めたんですけど、何しろグリムですから」
まあそうだろうな、あの毛玉は、とレオナは顔をしかめた。
「先輩に言うのも失礼かと思いますが…今、レオナさんいい顔してますよ」
「なんだぁ、生意気な草食動物だな」
「事実ですから」
(こいつ、わかってやがる)レオナは苦笑した。

 古めかしい鏡を壁に立てかけ、古代魔術書を片手にレオナは鏡の前に立った。
「いいかお前ら、これからこの鏡に”道”を作る。3バカども、1度しか開けねえからちゃんと戻れ」
1年生たちは最敬礼した。
レオナは鏡に向かって呪文の詠唱を始めた。
「彼が詠唱している間に鏡の中に光がさして、道ができます。その間に鏡に飛び込んでください」
シリルが言った。
「彼が言った通り、行先のどの場所に出るかは決められません。でも少なくともナイトレイブンカレッジの敷地内のどこかには出られるはずです。レオナを信じて進んで。皆さんもう行ってください」
「はい。シリルさんもありがとうございました。お邪魔しに来てすみませんでした」
「いいえ。気を付けてね」
「ああ、集中できねえ」
「落ち着いて、レオナ・キングスカラー。念じるの」
 最初に見たときに弱々しく大人しそうに見えたシリルがすっかり生き生きとしている。ひょっとしたらこれが本来の彼女なのかもしれない。言い合いもまるで夫婦喧嘩のようだ。きっとこの二人は幸せになれる、と、監督生は思い、グリムを抱えて鏡の中に入っていった。
 振り向くと、静かな微笑みをたたえながら手を振るシリルを背の高いレオナが愛おしそうに眺めている様子が目に入った。
(お似合いですね)
 監督生は、レオナが帰ってきても絶対に変な冷やかしはしないようにしようと心に誓った。
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