ふたりの距離
「は、腹が減ったんだゾ」
レオナが仮眠室で横になっていると、毛玉がうるさく騒いでいた。グリムだ。
急に嫌な現実に引き戻されたような気がして、レオナはげんなりした。この間抜けな後輩たちはどうやら、帰るすべをまだ探せていないようだ。自分に助けを求めてくるなら少しは協力してもいい、などとはこちらからは言えない。そこまでお人好しになる必要もない。
「草食動物、これを使え」
レオナはユウに、食券を渡した。
「これは?」
「1階のカフェテリアの朝食券だ。それで飯が食える。毛玉を連れていけ。うるさくてかなわん」
ユウは承知して、グリムの首を掴んで仮眠室を出た、レオナの邪魔になるほどうるさく騒いでいるグリムのことが申し訳なかったのだ。
レオナは仮眠室の窓をあけ、冷たい冬の空気を部屋に取り込んだ。一人で考え事をしたかった。
(さて、どうする)
レオナは、自分の手袋をした両手を見つめた。
自分のユニーク魔法「王者の咆哮」をうっかり使ってしまうのを恐れて、手袋をずっとしている。本当は、彼女にじかに触れたいという想いが募っていくばかりだ。艶やかな髪、柔らかな頬。鎧のようにまとっている服の中に抑え込まれているたわわな胸のふくらみ。なだらかな背中。
シリルは自分のことを、地味でさえない女の子だとよく言っている。だがレオナには、彼女との会話からうかがえる頭の回転の速さや、人生を肯定的に捉えるという自分にはない部分を魅力的に感じている。だから、肩をすくめたり3歩も下がってついてこなくてもいいのだ。堂々と自分の横で笑顔を見せていてほしいとレオナは願っていた。
シリルの体も、心も、自分に…自分だけに向いていてほしいとレオナは強く願った。嫌われたり嫌がられていないことは今までの様子からわかる。だがこちらが性急に事を運ぼうとすれば、しくじり、永久に彼女の心は自分のものにはならないだろう。
自分は手袋を外した手で彼女に触れる資格があるのか。
そんなことを考えて仮眠室にいるのは気持ちがふさがる。レオナは窓を閉め、仮眠室を出た。廊下を歩いていると、シリルに出くわした。
「あ…」
思わず、目をそらす。
「下のカフェテリアがあいてるけど…」
「いや、飯を食う気分じゃねえ」
「でも…急にこちらへきておなかがすいたりは」
「俺は平気だが…」
レオナはシリルの顔を見て言った。
「お前が朝食をとるなら、付き合ってもいい」
今はただ、落ち込んだ彼女を元気づけたかった。
カフェテリアはセルフサービスだ。レオナはハムの盛り合わせだけをトレイに載せ、シリルはサラダとロールパン1つだけを取った。
「それで足りるのか」
「おなかすいてないから」
レオナはため息をついた。
「コーヒーを持ってきましょうか」
「いや、お前は座ってろ。俺が取ってくる。何が欲しい」
「じゃあオレンジジュースを」
ところが、戻ってきたレオナはコーヒーとオレンジジュースのほかに、なぜかプリンを載せてきた。
「これ、レオナ様が?」
「まさか。俺がこういうもんを嬉々として食べるように見えるか」
「見えません」
即答にレオナは苦笑した。
「正直だな」
「甘いものはほとんど食べないと以前おっしゃっていたでしょう」
「記憶力がいいな」
そのレオナの言葉に少し微笑んで、シリルは尋ねた。
「なぜプリンを」
「お前にやる」
「え?!」
「いいから口をあけろ」
レオナは向かい合っていたはずなのに、シリルのすぐ隣に来て口をあけろと指示した。シリルが戸惑いながら口を開けると、レオナはシリルの口にスプーンでプリンを掬って運んだ。
「うまいか」
「う、うん…美味しい、けど…」
「敬語はなしだ。美味いならもっと食わせてやる」
そう言いながら、レオナはスプーンでプリンを掬ってシリルに食べさせた。
「どうだ、少しは元気になったか」
「はい…私、そんなに元気ないように見えますか」
「そうだな」
そして、シリルの頬を両手でつかんで横に引っ張った
「い、いひゃい…」
「ぷっ、おもしれえ顔」
「な、何するんですかぁ」
涙目のシリルは、笑いをこらえて肩を震わせているレオナを見て口を尖らせた。
「なあ、思い出さないか、これ」
「ええ?」
「初めて会った時」
ああ、と、シリルは思い出した。そういえばあの時も、ぷにぷにと自分の頬をつついたレオナはこともあろうに、今のように両手で頬をつまんで横に引っ張ったのだ。年の割に大人びているという印象のレオナが実は自分と同じようなところがあるのかもと感じた瞬間だった。
「あの時も思ったんだけど、何でほっぺたを引っ張るの?」
「なんでだろうな」
レオナは企むような笑みを浮かべている。そして、また、むにっと両頬を掴んだ。
「ま、まひゃ…い、いひゃい」
「おお、よく伸びる。触り心地がいいからつい引っ張りたくなるのかもなあ」
「?どういう意味…」
「さあ、どういう意味だろうなぁ」
レオナはくしゃっとシリルの頭を撫で、トレイを持って立ち上がった。
「お前の笑顔は可愛い。笑ってくれ、シリル」
「…」
シリルは驚いたようにレオナを見た。
「俺はまた仮眠室で寝る。用があったら呼んでくれ」
立ち去るレオナの背中を見送りながら、シリルは心の中でつぶやいた。
(気遣って、くれたのかな)
ライオンの尻尾が上機嫌そうに揺れていた。実は嬉しいのだとシリルが知るのは、随分後になってからのことだった。
レオナが仮眠室で横になっていると、毛玉がうるさく騒いでいた。グリムだ。
急に嫌な現実に引き戻されたような気がして、レオナはげんなりした。この間抜けな後輩たちはどうやら、帰るすべをまだ探せていないようだ。自分に助けを求めてくるなら少しは協力してもいい、などとはこちらからは言えない。そこまでお人好しになる必要もない。
「草食動物、これを使え」
レオナはユウに、食券を渡した。
「これは?」
「1階のカフェテリアの朝食券だ。それで飯が食える。毛玉を連れていけ。うるさくてかなわん」
ユウは承知して、グリムの首を掴んで仮眠室を出た、レオナの邪魔になるほどうるさく騒いでいるグリムのことが申し訳なかったのだ。
レオナは仮眠室の窓をあけ、冷たい冬の空気を部屋に取り込んだ。一人で考え事をしたかった。
(さて、どうする)
レオナは、自分の手袋をした両手を見つめた。
自分のユニーク魔法「王者の咆哮」をうっかり使ってしまうのを恐れて、手袋をずっとしている。本当は、彼女にじかに触れたいという想いが募っていくばかりだ。艶やかな髪、柔らかな頬。鎧のようにまとっている服の中に抑え込まれているたわわな胸のふくらみ。なだらかな背中。
シリルは自分のことを、地味でさえない女の子だとよく言っている。だがレオナには、彼女との会話からうかがえる頭の回転の速さや、人生を肯定的に捉えるという自分にはない部分を魅力的に感じている。だから、肩をすくめたり3歩も下がってついてこなくてもいいのだ。堂々と自分の横で笑顔を見せていてほしいとレオナは願っていた。
シリルの体も、心も、自分に…自分だけに向いていてほしいとレオナは強く願った。嫌われたり嫌がられていないことは今までの様子からわかる。だがこちらが性急に事を運ぼうとすれば、しくじり、永久に彼女の心は自分のものにはならないだろう。
自分は手袋を外した手で彼女に触れる資格があるのか。
そんなことを考えて仮眠室にいるのは気持ちがふさがる。レオナは窓を閉め、仮眠室を出た。廊下を歩いていると、シリルに出くわした。
「あ…」
思わず、目をそらす。
「下のカフェテリアがあいてるけど…」
「いや、飯を食う気分じゃねえ」
「でも…急にこちらへきておなかがすいたりは」
「俺は平気だが…」
レオナはシリルの顔を見て言った。
「お前が朝食をとるなら、付き合ってもいい」
今はただ、落ち込んだ彼女を元気づけたかった。
カフェテリアはセルフサービスだ。レオナはハムの盛り合わせだけをトレイに載せ、シリルはサラダとロールパン1つだけを取った。
「それで足りるのか」
「おなかすいてないから」
レオナはため息をついた。
「コーヒーを持ってきましょうか」
「いや、お前は座ってろ。俺が取ってくる。何が欲しい」
「じゃあオレンジジュースを」
ところが、戻ってきたレオナはコーヒーとオレンジジュースのほかに、なぜかプリンを載せてきた。
「これ、レオナ様が?」
「まさか。俺がこういうもんを嬉々として食べるように見えるか」
「見えません」
即答にレオナは苦笑した。
「正直だな」
「甘いものはほとんど食べないと以前おっしゃっていたでしょう」
「記憶力がいいな」
そのレオナの言葉に少し微笑んで、シリルは尋ねた。
「なぜプリンを」
「お前にやる」
「え?!」
「いいから口をあけろ」
レオナは向かい合っていたはずなのに、シリルのすぐ隣に来て口をあけろと指示した。シリルが戸惑いながら口を開けると、レオナはシリルの口にスプーンでプリンを掬って運んだ。
「うまいか」
「う、うん…美味しい、けど…」
「敬語はなしだ。美味いならもっと食わせてやる」
そう言いながら、レオナはスプーンでプリンを掬ってシリルに食べさせた。
「どうだ、少しは元気になったか」
「はい…私、そんなに元気ないように見えますか」
「そうだな」
そして、シリルの頬を両手でつかんで横に引っ張った
「い、いひゃい…」
「ぷっ、おもしれえ顔」
「な、何するんですかぁ」
涙目のシリルは、笑いをこらえて肩を震わせているレオナを見て口を尖らせた。
「なあ、思い出さないか、これ」
「ええ?」
「初めて会った時」
ああ、と、シリルは思い出した。そういえばあの時も、ぷにぷにと自分の頬をつついたレオナはこともあろうに、今のように両手で頬をつまんで横に引っ張ったのだ。年の割に大人びているという印象のレオナが実は自分と同じようなところがあるのかもと感じた瞬間だった。
「あの時も思ったんだけど、何でほっぺたを引っ張るの?」
「なんでだろうな」
レオナは企むような笑みを浮かべている。そして、また、むにっと両頬を掴んだ。
「ま、まひゃ…い、いひゃい」
「おお、よく伸びる。触り心地がいいからつい引っ張りたくなるのかもなあ」
「?どういう意味…」
「さあ、どういう意味だろうなぁ」
レオナはくしゃっとシリルの頭を撫で、トレイを持って立ち上がった。
「お前の笑顔は可愛い。笑ってくれ、シリル」
「…」
シリルは驚いたようにレオナを見た。
「俺はまた仮眠室で寝る。用があったら呼んでくれ」
立ち去るレオナの背中を見送りながら、シリルは心の中でつぶやいた。
(気遣って、くれたのかな)
ライオンの尻尾が上機嫌そうに揺れていた。実は嬉しいのだとシリルが知るのは、随分後になってからのことだった。