暁潮の休日
カタカタ、とキーボードを打つ音が聞こえる。
廊下を挟んで向かいの部屋。お互いの部屋の襖を開きっぱなしにしている為か、音も光も漏れている。
のそり、と布団から抜け出すと、枕元に置いていたスマホを手に取る。深夜一時。すっかり日が沈んだ真夜中だが、真夏の熱帯夜というのは時に危険だ。つう、と頬を伝った汗がそれを物語っている。
忍び足で廊下に出る。地熱は冷えているのか、素足にひんやりとした温度を感じる。少しだけそれを味わってから、襖の隙間からそろりと顔を覗かせた。
青く光る三つのモニターの前に佇む、黒い頭。こちらに気付く様子はなく、カタカタとキーボードを叩いてコードを作り上げていく。
「・・・何してんの」
「・・・・・・?ぁあ、潮」
一泊遅れてこちらの反応した影は、画面から目を離して振り返った。回転式のチェアがぎしりと音を立てる。
「・・・寝れなかったから、セキュリティーの見直し」
「そ」
肩が凝ったのだろうか、コキ、コキ、とゆっくり首周りの関節を回している。寝落ち防止の為、頭置きがついてるタイプのチェアは採用しなかった。
目を伏せて休んでいる影の様子を見ながら、部屋の入り口の壁に背を預けて。ふむ、と明日の予定を思い出しながら、彼に問いかけた。
「ね、何か食べようぜ」
「・・・?」
宵宮の母屋から少し距離のある離れでの家事担当は俺である。
料理洗濯、掃除に影の世話。なかなかに重労働だが、もう慣れた。重い腰をクッションに深々と据えて動かない家主様の為に働くのが俺の仕事だ。
「・・・珍しい」
いつもの如く、リビングに入るなり真っ先に人を駄目にするクッションに座り込んだ影。彼が視線を向ける先は、キッチンに立つ俺の姿。
「腹減っちゃった」
冷蔵庫を開けながら、まだ頬を伝う汗を拭う。水分が枯渇した挙句、昨日は忙しくて一食しか食べていなかったから、腹が空くのは当然だろう。こちとら育ち盛りの男子高校生なのだから。
「・・・そう」
心底どうでもいい、というような声色に肩をすくめていれば、ピ、ピ、という音。勝手に冷房の温度を下げているらしい。一度二度のみならず、まだまだ音は鳴り続ける。・・・まあ、暑いからいいけど。ほっとくと20度以下まで下げるような奴だから、後で確認しなければならない。
「さて、」
作り置きも丁度昨日切れた。だから一食しか食べられなかったのだ。普段は冷蔵庫いっぱいにタッパーを詰めているがない、つまり当然、冷蔵庫も空同然なわけで。
数少ない残り物たちを眺めながら、夜食程度になるものを考えて。
「おし」
中華の袋麺を手に取る。一袋しかないが、そこそこ大きい。二人で分けたら丁度いいだろう。
半分残ったきゅうり、パックに一個だけ鎮座する卵、使わなかったカニカマ。日葵が持ってきた担々麺のスープの素。
冷麺を作ろう。
鍋を取り出す。封を切って麺を入れて、水を入れて。コンロに火をつけると、苦情が入った。
「暑い」
「我慢しろ」
冷房直下にいる亭主関白が何言ってんだ。
苦情を華麗にスルーした後、フライパンを取り出して、薄く油を塗る。その上で卵を割る。
かき混ぜるなんかしない。俺以外には影しかいないし、この際適当でいい。錦糸卵なんかは面倒だ。黄身を割って素早くフライパンの上でかき混ぜて、適当に箸に寄せていくと出来た卵の塊。これまた適当に包丁で切れば、見栄えとしては十分だろう。
次にきゅうりとカニカマ。これまた手早く切って、まな板の上に分別する。そしてふと、鍋を見る。
水が波打っている。遠い昔、日向に沸騰する直前が一番上手いとかなんとか言われたが、記憶は曖昧だ。特段変わらないとは思っている。
頃合いを見て火を消して、ざるにとって、冷水で冷やす。
ちら、と影の方を見れば、スマホに何かを高速で打ち込んでいた。何か急ぐようなことでもあったのか、険しい顔をしている。
「なんかあった?」
「・・・飛鳥」
「あー、」
飛鳥か。ならいいや。
あいつは代表とその周りに堅く守られている。あんなチャラ男でも、中身はナヨナヨしたひよこだから、日向がお熱なのも頷ける。加護欲が弟によって肥大化されている男からの愛情を受け止められるだけの器が彼に備わっているかは知らないが。
戸棚から白い皿を二枚出して、担々麺の素の大きなペットボトルを冷蔵庫から取り出す。
邪魔だと思ってたんだ、こいつ。面白半分で買ってきて勝手に置いてった日葵には僅かな殺意を抱いている。何より担々麺なんて、あまりしないから使い道に困る。しかし、ようやくこいつが輝ける機会が来た。
水で割るらしい。ボウルと計量カップを取り出して計ってから菜箸で混ぜる。なんか良さそう。辛そうな匂いがするけど。
冷やされた麺を皿に分けて、その上に卵ときゅうりとカニカマ。そして、更に汁をかけて。
「できたよ」
この一言が唯一、影が重い腰を上げる言葉。働かざる者食うべからず。その考えは、代表によって強く染み付いているらしい。
「・・・辛そう」
「見た感じマシそうだけど」
少しだけ顔を顰めている影を横目に、エアコンのリモコンを探す。ちゃぶ台の下に投げ捨てられたそれを掴んで表示されているディスプレイを見ると、案の定19度。
「・・・・・・」
無言で26度に上げ直していると、影はスマホを見ながら待っている。時々指が素早く動くのを見る限り、かなり事態は緊急らしい。
「・・・俺たち要る?」
「・・・いや、現場で対処は可能な筈。俺に連絡が来たのは、現状報告と明日の都合合わせる為だから」
「そ」
それからまた数秒、画面を睨んでから机にスマホを伏せる。やりとりは一旦終わったらしい。
「じゃ、手合わせて」
「ん」
「いただきます」
「・・・ます」
かちゃ、と小さく響く箸の音。つる、と少量啜った影は、味わうように口の中で麺をよく噛み締める。
そんな影を見ながら、俺も一口。つる、と啜れば、担々麺由来の辛さと独特の風味が口の中に広がる。
「・・・まあまあ、か」
「・・・ちょっと辛い」
「夏にはいいでしょ」
「・・・ん」
辛い、と言いつつもお気に召したようだ。どんどん口の中に入っていく皿の中身を見て、自然に笑顔が溢れる。
「ふふ、」
カニカマを一口。なかなか噛み切れない。いっそのこと、と丸ごと口に運ぶ。また麺を啜って、次は卵ときゅうりを一緒に。
そうこうしていれば、一人前を二人で分けた量なんてあっという間に完食していた。
「ごちそうさま」
「・・・さま」
いつものごとく一拍遅れて手を合わせる影に苦笑しながら立ち上がる。皿と箸を持ってキッチンに向かえば、自分の分の食器を持ってついてくる。
「ここね」
置く所を指示すれば、言われた通りに置いて、素早くクッションに戻って行く。俺も流し台に食器を置く。洗うのは面倒臭い。明日の朝の自分に任せよう。
影のもとに戻れば、クッションに身を預ける彼は今にも眠りに落ちそうだった。
「影、部屋戻って」
「・・・いい」
「よくねえ」
半分寝ているようなものだ。諦めて、影の部屋に布団を取りに戻る。
眠りたがらない彼のせっかくの眠気を妨げるのは、可哀想だから。
「・・・ん、うしお」
「なに?」
リビングから出かけた俺を引き止めた声は、確かに眠そうで、ゆったりと柔らかくて。
滅多に見せない彼の笑顔は、こんなときにしか見られない。
「おいしかった」
「・・・ずる」
普段は素直じゃないくせに。こういう時だけ、いい所を持って行く。
・・・また作ってあげるのもいいかもしれない。数日後、真夜中に目が覚めた時に。深夜に食べる背徳飯も、彼の健康には然程悪くはないだろう。
自分もこっちで寝よう、と二人分の布団を抱えて戻るのは、また別の話。
廊下を挟んで向かいの部屋。お互いの部屋の襖を開きっぱなしにしている為か、音も光も漏れている。
のそり、と布団から抜け出すと、枕元に置いていたスマホを手に取る。深夜一時。すっかり日が沈んだ真夜中だが、真夏の熱帯夜というのは時に危険だ。つう、と頬を伝った汗がそれを物語っている。
忍び足で廊下に出る。地熱は冷えているのか、素足にひんやりとした温度を感じる。少しだけそれを味わってから、襖の隙間からそろりと顔を覗かせた。
青く光る三つのモニターの前に佇む、黒い頭。こちらに気付く様子はなく、カタカタとキーボードを叩いてコードを作り上げていく。
「・・・何してんの」
「・・・・・・?ぁあ、潮」
一泊遅れてこちらの反応した影は、画面から目を離して振り返った。回転式のチェアがぎしりと音を立てる。
「・・・寝れなかったから、セキュリティーの見直し」
「そ」
肩が凝ったのだろうか、コキ、コキ、とゆっくり首周りの関節を回している。寝落ち防止の為、頭置きがついてるタイプのチェアは採用しなかった。
目を伏せて休んでいる影の様子を見ながら、部屋の入り口の壁に背を預けて。ふむ、と明日の予定を思い出しながら、彼に問いかけた。
「ね、何か食べようぜ」
「・・・?」
宵宮の母屋から少し距離のある離れでの家事担当は俺である。
料理洗濯、掃除に影の世話。なかなかに重労働だが、もう慣れた。重い腰をクッションに深々と据えて動かない家主様の為に働くのが俺の仕事だ。
「・・・珍しい」
いつもの如く、リビングに入るなり真っ先に人を駄目にするクッションに座り込んだ影。彼が視線を向ける先は、キッチンに立つ俺の姿。
「腹減っちゃった」
冷蔵庫を開けながら、まだ頬を伝う汗を拭う。水分が枯渇した挙句、昨日は忙しくて一食しか食べていなかったから、腹が空くのは当然だろう。こちとら育ち盛りの男子高校生なのだから。
「・・・そう」
心底どうでもいい、というような声色に肩をすくめていれば、ピ、ピ、という音。勝手に冷房の温度を下げているらしい。一度二度のみならず、まだまだ音は鳴り続ける。・・・まあ、暑いからいいけど。ほっとくと20度以下まで下げるような奴だから、後で確認しなければならない。
「さて、」
作り置きも丁度昨日切れた。だから一食しか食べられなかったのだ。普段は冷蔵庫いっぱいにタッパーを詰めているがない、つまり当然、冷蔵庫も空同然なわけで。
数少ない残り物たちを眺めながら、夜食程度になるものを考えて。
「おし」
中華の袋麺を手に取る。一袋しかないが、そこそこ大きい。二人で分けたら丁度いいだろう。
半分残ったきゅうり、パックに一個だけ鎮座する卵、使わなかったカニカマ。日葵が持ってきた担々麺のスープの素。
冷麺を作ろう。
鍋を取り出す。封を切って麺を入れて、水を入れて。コンロに火をつけると、苦情が入った。
「暑い」
「我慢しろ」
冷房直下にいる亭主関白が何言ってんだ。
苦情を華麗にスルーした後、フライパンを取り出して、薄く油を塗る。その上で卵を割る。
かき混ぜるなんかしない。俺以外には影しかいないし、この際適当でいい。錦糸卵なんかは面倒だ。黄身を割って素早くフライパンの上でかき混ぜて、適当に箸に寄せていくと出来た卵の塊。これまた適当に包丁で切れば、見栄えとしては十分だろう。
次にきゅうりとカニカマ。これまた手早く切って、まな板の上に分別する。そしてふと、鍋を見る。
水が波打っている。遠い昔、日向に沸騰する直前が一番上手いとかなんとか言われたが、記憶は曖昧だ。特段変わらないとは思っている。
頃合いを見て火を消して、ざるにとって、冷水で冷やす。
ちら、と影の方を見れば、スマホに何かを高速で打ち込んでいた。何か急ぐようなことでもあったのか、険しい顔をしている。
「なんかあった?」
「・・・飛鳥」
「あー、」
飛鳥か。ならいいや。
あいつは代表とその周りに堅く守られている。あんなチャラ男でも、中身はナヨナヨしたひよこだから、日向がお熱なのも頷ける。加護欲が弟によって肥大化されている男からの愛情を受け止められるだけの器が彼に備わっているかは知らないが。
戸棚から白い皿を二枚出して、担々麺の素の大きなペットボトルを冷蔵庫から取り出す。
邪魔だと思ってたんだ、こいつ。面白半分で買ってきて勝手に置いてった日葵には僅かな殺意を抱いている。何より担々麺なんて、あまりしないから使い道に困る。しかし、ようやくこいつが輝ける機会が来た。
水で割るらしい。ボウルと計量カップを取り出して計ってから菜箸で混ぜる。なんか良さそう。辛そうな匂いがするけど。
冷やされた麺を皿に分けて、その上に卵ときゅうりとカニカマ。そして、更に汁をかけて。
「できたよ」
この一言が唯一、影が重い腰を上げる言葉。働かざる者食うべからず。その考えは、代表によって強く染み付いているらしい。
「・・・辛そう」
「見た感じマシそうだけど」
少しだけ顔を顰めている影を横目に、エアコンのリモコンを探す。ちゃぶ台の下に投げ捨てられたそれを掴んで表示されているディスプレイを見ると、案の定19度。
「・・・・・・」
無言で26度に上げ直していると、影はスマホを見ながら待っている。時々指が素早く動くのを見る限り、かなり事態は緊急らしい。
「・・・俺たち要る?」
「・・・いや、現場で対処は可能な筈。俺に連絡が来たのは、現状報告と明日の都合合わせる為だから」
「そ」
それからまた数秒、画面を睨んでから机にスマホを伏せる。やりとりは一旦終わったらしい。
「じゃ、手合わせて」
「ん」
「いただきます」
「・・・ます」
かちゃ、と小さく響く箸の音。つる、と少量啜った影は、味わうように口の中で麺をよく噛み締める。
そんな影を見ながら、俺も一口。つる、と啜れば、担々麺由来の辛さと独特の風味が口の中に広がる。
「・・・まあまあ、か」
「・・・ちょっと辛い」
「夏にはいいでしょ」
「・・・ん」
辛い、と言いつつもお気に召したようだ。どんどん口の中に入っていく皿の中身を見て、自然に笑顔が溢れる。
「ふふ、」
カニカマを一口。なかなか噛み切れない。いっそのこと、と丸ごと口に運ぶ。また麺を啜って、次は卵ときゅうりを一緒に。
そうこうしていれば、一人前を二人で分けた量なんてあっという間に完食していた。
「ごちそうさま」
「・・・さま」
いつものごとく一拍遅れて手を合わせる影に苦笑しながら立ち上がる。皿と箸を持ってキッチンに向かえば、自分の分の食器を持ってついてくる。
「ここね」
置く所を指示すれば、言われた通りに置いて、素早くクッションに戻って行く。俺も流し台に食器を置く。洗うのは面倒臭い。明日の朝の自分に任せよう。
影のもとに戻れば、クッションに身を預ける彼は今にも眠りに落ちそうだった。
「影、部屋戻って」
「・・・いい」
「よくねえ」
半分寝ているようなものだ。諦めて、影の部屋に布団を取りに戻る。
眠りたがらない彼のせっかくの眠気を妨げるのは、可哀想だから。
「・・・ん、うしお」
「なに?」
リビングから出かけた俺を引き止めた声は、確かに眠そうで、ゆったりと柔らかくて。
滅多に見せない彼の笑顔は、こんなときにしか見られない。
「おいしかった」
「・・・ずる」
普段は素直じゃないくせに。こういう時だけ、いい所を持って行く。
・・・また作ってあげるのもいいかもしれない。数日後、真夜中に目が覚めた時に。深夜に食べる背徳飯も、彼の健康には然程悪くはないだろう。
自分もこっちで寝よう、と二人分の布団を抱えて戻るのは、また別の話。
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