暁潮の休日

 俺はいつも思う。

 何故、夏になると人は水に潜りたくなるのか。

 しかも決まって屋外。逆だろ。暑いんだから、室内で温度が適切に管理された場所で静かに過ごしてればいい。それこそ家とか。

 なのに、馬鹿という名の単細胞は目を輝かせて、地域の掲示板に貼り付けられた広告に見入っている。

「潮!これ行きたい!」

 ・・・一人で行ってくんない?



 いつもと違うことをしたのがいけなかった。影を、委員会で遅くなるから、と先に帰らせなければ良かった。

 案の定、生粋の馬鹿との異名がつく伊沢真人は、馬鹿みたいに、というか馬鹿が、いろんな方向から俺に向かって自分の存在をアピールしてくる。

「な!これ!クラスの奴ら誘って行こうぜ!面白そうじゃん!」
「・・・」
「屋台もあるぜ!?美味しいのあるだろ!」
「・・・・・・」
「潮の手料理にゃ劣るかもしれねえけどさ!行かなきゃ損損!」
「・・・・・・・・・」
「潮は影をちゃんと引っ張ってくるんだぞ!」

 ・・・・・・・・・・・・。

 渾身のアイアンクローを決めた。

「いたぁい!」
「うっさい。なんで途中から行く前提なんだよ」

 今年クラス分けした教師は誰だ。今からでも遅くない、クラスの変更の要求する。なんで今年もこの馬鹿と同じクラスなんだ。去年にその前と、同じ教室で過ごすだけでも暑苦しくて嫌だったのに。

「行くわけないでしょ。こっちは仕事もあるんだから」
「そこをなんとか〜」
「うっさい」

 手を勢いよく合わせて拝んでくる。パチンってそこそこいい音したな、痛そ。

「潮〜!」
「だからうっさい」

 手に持っていた単語帳を変にイキったトサカ頭に叩きつける。最初はモサ男、次はリーゼント、今はトサカ。誰の影響を受けてるんだお前の頭は。

「あーセットが崩れる!」
「似合ってないから大丈夫」
「ガーン」

 勝手に落ち込むのもやめてほしい。お前みたいな平凡顔がどれだけイキっても、お前が望むような爆美女から声をかけられるようなことは決してない。
 憧れの宵宮構成員に近づけることも決してない。何故なら、お前はヘタレだから。

「夢ぐらい見させてくれよ」
「お前に夢を与えられるほど優しくないから」
「鬼ぃ・・・」

 これ見よがしにシクシクと泣き始めた。めんどくせぇ。

「やめて泣き真似、うざい」
「辛辣ぅ!」

 うるさい。

 よかったな伊沢真人、お前ほど俺の神経を逆撫でする馬鹿は後にも先にも現れないだろう。

「つまりはここで息の根を止めるまで」
「ギブギブギブギブ」

 馬鹿の首に寝技をかけていると、そこに通りかかった近所のおばさんが不審げな目を向けてくる。

 変だよな。男子高校生二人が地域の掲示板の前で大声張り上げてて(片方)、なにしてんだと思ったら寝技かけられてるんだもんな(片方)。俺?俺は突っ立ってただけだから問題ない。今のこれも正当防衛だ。
 すまんよおばさん。全ては馬鹿であるこいつが悪いんだ。

「潮っぐるじぃ・・・」
「大丈夫、もうすぐ楽になる」
「じにだぐなぁい!」

 いちいちうるさい奴だな。更に力をかけたところで、聞き覚えのある声がかかる。

「あれ、潮?」
「・・・なんでいるの、飛鳥」

 不思議そうな目でこちらを見ていたのは、仕事帰りなのか、スーツの上着を腕にかけながらポケットに手を突っ込んでいる夕霧飛鳥。真夏だというのにいつも身につけているハイネックのアンダーウェアが、裾を捲ったシャツから覗いている。

 汗が滴る横髪を耳に掛けながら近寄ってくる彼は、手提げカバンを持っていたおばさんを視界に入れて、声をかけた。

「あっ、ゆう子さんじゃん。やっほー」
「あぁ飛鳥ちゃん。あの子達知り合い?」
「そーそー、片方うちの子」
「大丈夫なのかしらねぇ、あんな暑そうな格好で・・・この季節に長袖は暑いわぁ」

 彼女が気にしていたのは、馬鹿の命を奪う寝技ではなく、俺のパーカーだったらしい。いや、これUVカットのやつだから、下は普通に半袖なんだがな。

「飛鳥ちゃんも気をつけるのよ、あなたも暑いでしょう」
「あはは、大丈夫!じゃーねー」

 ひらひら、と手を振って、おばさんが見えなくなると、力がなくなったようにだらんと腕を下ろす。疲れたような目をこちらに向けた彼は、寝技をかけたままの俺と死にかけの馬鹿を見ながら、こう言った。

「・・・なにしてんの?」








「うちのがすまんな、真人くん」
「いえっ、それほどでも・・・」

 馬鹿抹殺計画は白紙になった。

 扇風機を二台回している和室で、風鈴の音が軽く鳴り響く。襖が開け放たれた縁側には、馬鹿と日向が互いに頭を下げ合っていた。

「憧れの宵宮邸に入れただけで光栄ですっ!この恩は来世まで持っていきます!」
「ぉお、熱い子やな・・・」

 あの日向が引くって相当だぞ。

 眩しい太陽に負けないくらいに目を輝かせている馬鹿を見ながら、暗い陰が篭る室内に目を向けた。

「影」
「・・・ん?」

 縁側に一台、室内に一台。室内の扇風機を現在占領しているのは、飛鳥である。

「大丈夫なの、それ」
「・・・軽い熱中症だね」

 今日はやめといた方がいい、って言ったんだけど。そう言いながら、影は目を閉じている飛鳥の額に濡れタオルを乗せた。

 俺と馬鹿の事故現場に遭遇した飛鳥は、見回りの帰りだったらしく。あの周辺は住宅地だが、同時に宵宮の拠点に近いので、定期的な見回りが必要だ。その順番が飛鳥に回ってきた、ということだけれども。

 暑い昼間に行かなくても、と影は朝に苦言を呈したらしいが。飛鳥は強行したと。

「もー・・・」

 行くのはいいけど、それでぶっ倒れられたら意味がない。彼の午後の仕事は全部潰れたのだから。

 ちょん、と飛鳥の手に触れる。さっきまでは茹でられたかのように熱かったが、今はまだましになったようだ。

「・・・ね、本当に脱がない?まだ熱篭ってるけど」
「・・・・・・」

 目を閉じたまま答えない。

「寝てる?」
「・・・・・・」

 飛鳥の手がうろうろ動いて、俺のパーカーの裾を掴むと、そのまま微動だにしなくなった。

 ・・・どうしろと。

「・・・ね、日向」
「あー、待ってな」

 飛鳥をどうにもできなくなったら、日向に任せるのが一番だ。今日だって、帰ろうとしてコンクリートの上に崩れ落ちた飛鳥を迎えに来たのは、日向だった。

 縁側から移動してきた日向が飛鳥のそばに寄ってくる。入れ替わりに、影が馬鹿のもとへと歩いて行った。

「飛鳥、聞こえるか?」

 太陽の光が入ってくる縁側から陰になるように背を向けて、飛鳥の顔を覗き込む。タオルを取って額に張り付いた髪の毛を優しくかき分けると、飛鳥の瞼がうっすらと開いた。

「・・・ん・・・、」

 返事した。

「部屋、帰るか」
「・・・」

 きゅ、とパーカーの裾を掴む力が込められる。ぼんやりとした目が彷徨って、焦点の合わない瞳が日向にかち合う。

「・・・ど、こ」
「っ、」
「ゃ、ちよ・・・?」

 やちよ。・・・ああ、そういう。

「日向」
「連れてくわ。ええ時間になったら友達送っていきぃや」
「ん」

 飛鳥を横抱きにして立ち上がった日向に着いて行き、内廊下に面した襖を開く。

「あんがとさん」
「・・・飛鳥、大丈夫だよね」

 また目を閉じた飛鳥の顔を見る。本人の口から聞きたいと思って、過去を調べることはしなかった。

 けど、もしそれが必要だったなら。

「・・・お節介、やろな。飛鳥はきっとそう言うで」
「、」
「熱中症くらいでこいつはくたばらんわ」

 何を根拠に。そんな問いを目に湛えていたのだろう、俺を見て笑った日向は、腕の中の彼を愛おしそうな目で見つめた。

「・・・何があっても。惚れた奴はちゃんと守るよ」
「・・・・・・」
「強がりな奴やから。俺が見とかな、いつか死んでまうよ」

 慈愛に溢れた、彼の愛。すぐ側にありそうで、なさそうな。そんな、つかず離れずの距離。

「逃げちゃうよ、天邪鬼だから」
「ははっ、そうかもしれんわ」

 今は、ただ彼を思いやる、一方的な感情だけれど。いつの日か、彼に届くのだろうか。

「じゃ」
「うん」

 でもそれは、今じゃない。

 パタン、と襖を閉める。振り向くと、縁側では、麦茶が入った雫の滴るグラスを持ちながら、馬鹿と影が静かに談笑していた。

 ため息を吐く。なんでかは知らないが、彼らは相性がいいらしい。

「購買の期間限定食った?担々麺なんだけど」
「・・・食べてない。潮のお弁当あるから・・・」
「あいつの弁当美味そうなんだよな〜、彩り豊か」
「・・・あげないよ」
「いらねぇよっ。でも、一家に一台潮あり、って結構魅力的だよな。なんでもできるじゃん、あいつ」
「・・・潮はあげない。俺の」
「わかってるって。本当、影は潮のこと大好きだな」
「・・・俺が、見つけたから」
「そうなのか?・・・まぁいいや!ってか担々麺がさー、」

 ・・・ほぼ俺の話じゃねぇか。それに結局担々麺に戻るのかよ。・・・なんで購買に担々麺があるんだよ、この暑い時期に。

「・・・潮」
「あれっ、飛鳥さんと日向さんは?」
「部屋帰った。ついでにお前も帰れよ」

 縁側に近寄って、腰を下ろす。ぎりぎり日に当たらない、陰の中。

 この馬鹿がここにいること自体があり得ない話だ。今回は特別。日向が成り行きで連れてきたからこうなっただけで、本来なら部外者は門前払いを受けている。

「そうだなぁー、ご迷惑になるよな。帰るか」

 本人にもその自覚はあるのか、素直に腰を上げた。石畳に置いていた靴を履いて、リュックを手に持つ。

「送る」
「おっ、ありがと」

 この休憩室は、屋敷の裏口から直接来れる場所だ。俺も庭に降りて、靴を履く。踵は潰した。

「影は」
「・・・行く」

 影も、石畳の隅の方に置かれていたサンダルをつっかけて、三人揃って裏口へと歩き始める。

「・・・意外だったな。ここ」
「・・・何が?」

 しみじみと呟いた馬鹿に、影が首を傾げる。

「だって、もうちょい怖い場所だと思ってたんだよ」

 庭の方から屋敷を見渡した彼。同じ方を見ながら、足は止めない。

「宵宮って、街のヒーローだけど、普通に見たら悪役じゃん?悪い噂だって聞かないわけじゃないし。正直、もっと暗いところだと思ってた」

 でも、と続けた彼は、哀愁漂う顔をして。

「こんなに、綺麗なとこだったんだなぁ」

 そう、寂しそうに笑った。


 ・・・彼の家は、花道の名家だったらしく。そこそこ大きな日本庭園がある家で過ごしていたらしい。

 しかし、安寧の時が崩れたのは、彼が小学生の頃。ある場所に目をつけられた一族は、解体を余儀なくされ散り散りになり。家族揃ってボロボロになりながら辿り着いたのが、ここ、湖水だった。

 ある場所、というのが、暁。俺の生家だ。

 最初、初めて彼に会った時。彼は、こちらを射殺すような目をしていた。隣にいた影を見て怯んだが。

 普段は陽気なヘタレのくせに、俺を見る時だけ視線が鋭くて。でも、いつしかそれはなくなっていた。

 そして、よく話すようになった。きっかけは覚えていない。けれど彼にとって、心境の変化があったのだろう。きっとそうだ。


「・・・ありがとう。いつも湖水を守ってくれて」


 そうじゃないと困る。だってこいつは、湖水に助けられ、宵宮を崇拝し、宵宮が愛する湖水で生きているのだから。
 つまり、宵宮で暮らす俺の存在に納得してくれた。・・・そうだろう?


「・・・俺たち、そんな貢献してないんだけど」
「まあまあ、そんなこと言わずに!」
「・・・ま、せいぜい感謝しててよ、真人」

「っ!・・・・・・おうっ!」


 気付かないふりをする。彼の感謝、友情、哀愁。そして、悔悟の念を。・・・クラスのお調子者であるこいつには、合わないだろうから。



「・・・あっそういえば!忘れてた!」
「?」
「影!」

 びしっと指を刺された影が深いそうな顔をする。それに気付いていない馬鹿は、ニカリと笑って、こう聞いた。

「来週の日曜、海の家あるからクラス誘って行くんだけどよ!行くか?」
「・・・まぁ、いいけど」
「ヒュッ」

 喉の奥から言葉にならない音が漏れた。

 嘘だ。嘘だ。

「・・・影?嘘だよな?」
「・・・?たまにはいいよ。海は冷たいし」

 息を呑んだ。まさか、あの影が。


「〜〜っ、夏はどこも暑いだろうがぁっ!」

 

 生温かい風が吹く。どこからか、涼しげな風鈴の音が聞こえた。
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