暁潮の休日

 目覚まし時計が壊れた。


 ぼー、と働かない頭で起き上がる。肩からずり落ちた掛け布団が徐に床に落ちた。

 手の中の破片。白いプラスチックのそれらは紛れもなく、目覚まし時計を形作っていた彼らだ。

 見たことがない形にひしゃげている朝の相棒を見て、眺めて。首を傾げる。


 ・・・何してたんだっけ。


 寝よ、と布団を被り直して二度寝をぶちかます俺は、気付いていなかった。

 朝の相棒がいないことが、どれ程の地獄絵図を生み出すのかを。




 最初の犠牲者は日葵だった。

 今日は日曜日。大学は休みで兄も休暇を貰った。今日は最高の一日だ、と高揚した気分のままに離れのインターホンを連打する。

「おっはよー!」

 ピポピポピポピポピポピポピンポーン。

 朝から騒音被害も甚だしいインターホンの罪なる音色に、離れの住人は目覚めない。

「おーい、影ー?潮ー?」

 珍しい、と言いながらも、手が止まる様子はない。むしろ更に速度を増した連打の努力が報われたかのように、玄関近くで音がした。

「あ、起きたー?朝だよー」

 ようやくインターホンから手を離した日葵は、持ち前の眩しい笑顔を準備して、玄関の扉が開くのを今か今かと待ち構える。

 扉が開く。ほんの少し、紙一枚分の隙間だけ開いて、そのまま止まる。

「ん?どっち?」

 その問いかけ虚しく、勇敢な彼は目覚まし時計の残骸と共に玄関にて撃沈した。



 次の犠牲者は日向だった。

 日葵が離れに赴いたのは、朝食のお誘いを兄に頼まれたからだった。潮は休日は起きるのが遅い。影は言うまでもなく。この時間帯ならまだ飯を食べていない、なら今日はみんな揃っているし、彼らも自分たちも母屋には行かないだろうし、と魚を焼きながら言った兄に、日葵が我先にと駆け出して行っただけなので、正確には頼まれてはいないのだが。

 愛おしい弟が数分経っても帰ってこないのはおかしい、と鈍感な兄が気付いたのは、日葵が飛び出して行ってから七分後。

 母屋と離れは特に離れているわけではなく、なんなら彼ら兄弟に当てがわれた部屋は離れとの通行が最も容易い場所だった。いくらなんでも遅過ぎないか、と。

 廊下が朝食終わりの者と朝風呂へ行く者とで行き交い始めた時点で焼き上がった魚をグリルから取り出した彼は、離れへと草履をつっかけた。

 少し見えてきた玄関で倒れ込んでいたのは愛しの弟。

 日向は激怒した。かの寝起きが悪い意地悪天才の子飼いを叱らねばなるまいと決意した。日向には離れの鍵がある。日向は、離れの管理人である。

 玄関で寝こけていた潮に、鍵を開けた瞬間、脳天一撃に靴べらを叩き込まれた。



 この戦いに終止符を打ったのは飛鳥だった。

 先日の会議で決定した作戦案を渡しに来ていた彼は、玄関で折り重なる屍の数々を目にし、笑顔を浮かべていた口角をひくつかせる。

 白目を剥いて倒れている宵宮組執行部頭取に、脳天に受けた刺激を忘れて穏やかに眠る馬鹿大学生。なかなかにカオスな状況を見て眉を顰めた彼は、文明の利器を取り出して、ある番号をタップした。

「影〜、玄関の子たちどうにかしてよ〜」

 救世主ならぬボスを召喚。




「申し訳ございませんでした」

 因みに記憶はない。

 リビングの中央にあるちゃぶ台の前で土下座をする。真正面に座る影、その後ろに立つ牧之段兄弟、リビングの入り口に立つ飛鳥。四面楚歌である。

 寝起きがクソがつくほど悪い俺は、目覚まし時計という制御装置を失ったお陰で暴走していたらしい。
 頭にたんこぶこさえた牧之段兄弟が目を釣り上げて憤怒を表してくるが、正直まったく同じ箇所にあるたんこぶが面白過ぎて笑うのを我慢しているのは秘密だ。ポーカーフェイスしんどい。

「・・・ま、いいんじゃないの。被害者は二名で済んだし」
「済んだで済まして良いわけがないやろ」

 関西人による華麗なツッコミをコーヒーを飲むことで躱した影は、離れた場所に立つ飛鳥を見やった。

「・・・ありがと、飛鳥」
「いいよ〜、オールオッケー」

 片手で書類の束をバッサバッサ振り回しながら笑う飛鳥は、リビングの端にある、人を駄目にするクッションの上にどっかりと座ると、四肢を伸ばして寛ぎ始めた。

「・・・ちょっと」
「いいじゃーん、昨日は月末だったから忙しかったんだよ」

 ぐて、と横たわって動かなくなったのを冷めた目で見つめた影は、暫くして彼の手から書類を抜き取ってちゃぶ台に戻って来た。

「・・・仕事終わらせてから寝てよ」
「んふふ」

 その後ならいいんだ、とこの場全員の心が一致したのを感じた。

「何その書類」
「作戦案。・・・寝ぼけた頭で考えたんだろうね、穴が幾つかあるよ」
「こら」

 嫌そうに顔を顰めた影の側に寄って、その頭に手を伸ばすと、自ら差し出してくるから手を引っ込めると、じと、とした視線が向けられる。俺の手を引っ掴んで自分の頭に置くと満足そうな顔をしたから、笑って手を左右に動かしてやると更に満足そうにした。

「二人の世界は後にしてくれへん?」

 棘のある声に視線を上げると、日向が影の後ろから書類を覗き込んでいた。

「・・・こんな決定書見たっけ?」

 どうなってんだ執行部。

「なんで覚えてねぇんだよ」
「いや、俺も昨日は仕事が詰まってたから」
「言い訳には苦しいぞ」

 呆れた顔をしながら、影の手から書類の束をふんだくって日向の手に叩きつける。いて、とか言われても知らん。こちらとしては、緊急じゃなくて本当に良かった、その一心だ。


 俺たち二人の塩対応に呆れたのか、日向が疲れたような顔をして髪を掻き上げた。無駄に顔がいいから様になっている。

「ったく、俺らは飯のお誘いしに来てただけやねんけどな」

 ふう、とため息をついた日向の言葉を聞いて、彼の横でずっと黙っていた日葵が目を輝かせて詰め寄って来た。

「そうだった!一緒に食べようぜ!」
「ああ朝からうっさい、黙って」

 ついでに眩しい。

 神々しい煌めきを背負う日葵から目を守ろうと腕で顔を隠す。影も目を細めて、見るからに嫌そうな顔をしている。だがそんなのお構いなしに陽キャは距離を詰めてくる。切実に逃げたい。助けて。

「食べようぜ、なぁー」
「わかったから、後光をしまって」
「・・・ねえ、飛鳥寝てるんだけど」
「俺が連れてくわ。どうせ朝飯まともに食ってへんやろ」


 各々が動き始める日曜の朝。始まりは、壊れた目覚まし時計だった。
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