《旧約》ゴジラ‐GODZILLA[2005]

私の名前は…今日から『三神 優』だ。
思えば、たったの2年だった。彼に出逢ったのは今から2年前のことだった。






2年前…
私は大学で医学部を卒業した後、医師免許は合格したものの、その後の進路に悩み、医学を別の視点で見たらと教授に進められ、私は病原性微生物に興味があった為、外科医の夢は保留にして、内科と外科の中間の様な感染症科に進むことにした。
 そんなある日私は大学の病院とは別の棟にある通称生物棟へゼミの体験に行った。
 生物棟の由来は医学部以外の生物系学部が全て入っている大きな建物のことだ。
 私は受付で受け取った身分証を首にかけて、入った。これは生物棟の学生は生徒証だけでパスできるが、それ以外の人は一度受付を通して身分証を貰わないと入れない。これは他の棟でも同じだ。私は医学部なので、病院棟では何も首に掛けずにいられる。掛けていると屈んだ時に色々な所にぶつけて危険だ。
 目指す部屋は一階の奥だった。扉には「有用微生物環境学ゼミ」と看板が書けられていた。ここに彼はいた。
 扉を開けると、部屋は他のゼミ室と同じ造りの広さは凡そ十畳といったところに、部屋半分をバイオハザードのステッカーが貼られたガラスの部屋で更に分けられていた。
 ガラスの部屋にはブラックライトの様な蛍光灯が付いている箱と顕微鏡、それからフラスコ等のガラス器具が棚に置かれているのが見える。
 手前の部屋はボードと机があり、狭いながらも授業の出来る部屋らしい。部屋の一部に荷物や資料が積み重なっている。よくゴミ捨て場でこれに似た光景をみる。いったいどんな人が使ってるだろ………
 誰もいないのかな?
 一応、声をかけてみる。
「すみませ~ん。居ませんか?」
 すると………ガバッ!
「はい。誰ですか?」
 感がいい人ならわかるだろう。さっきのゴミ捨て場から人間がムクッと起きあがったのだ。
 よく見るとゴミ捨て場(表現が悪い紙の山に変えよう)紙の山の裏には窓があり、その間にソファーらしき物が埋まっていてそこに居たらしい。
 犬猫か!?
「医学部の子だね。何て名前?」
 と聞いてきた。……ん?ちょっと待てよ。なんで私が医学部だとわかったの?
「鬼瓦優です。なんで私が医学部だとわかったんですか」
 すると無言で私の胸元を指差した。
 なに?セクハラ─セクシャルハラスメント!
 ガバッと私は着ていた白衣で胸元を隠す。
 アメリカの大統領だって訴えれる時代よ!出るとこでるわよ。
「………なんか、エラい勘違いをされたみたいだな。僕が指差したのは身分証。白衣着た生物棟以外となれば医学部だって誰だってわかりますよ。だから、その牽制を張ったような距離は止めてくれます?」
 と弁明する。
「…なんで医学部なんですか?白衣を着るのなら化学部もありますよ」
 ここは個室だ。
しかも、この男性と2人っきり。護身術の一つや二つ身につけているけど………
「……それは感。かな?観察してれば何となく生物や医学部でよく嗅ぐ薬品の匂いもする。細かなポイント─カッコ良く言うと因子だね。それが医学部だって判断した根拠だ。わかってもらえた?鬼瓦さん?」
 これ以上続けても無意味らしい。
 私は体勢を元に戻して、改めて、名乗りここへ来た理由を伝えた。
「成る程ね、先生連絡し忘れたな。……あぁ、僕の方はまだだったね。僕は三神小五郎。このゼミを中心に微生物や環境、放射能関係の勉強をしている、大学院の博士過程1年生だ」
「こちらこそ」
 これが彼との出会いだった。






………時間か。
 私は椅子から立ち上がった。
 係員のお姉さんに案内されて、扉の前へ連れて行ってもらった。
 ここは、都内にある結婚式場。そして、今私はその結婚式を上げる為にこの先にある披露宴会場への扉の前に立っている。
 私達の結婚式は人気ホテルで行われている。
 そして、扉の横から彼が出てきた。
 彼は無言でにっこり笑い私の緊張をほぐした。
 扉が係員の人によって開かれた。






2001年春。
 あれから1年が過ぎ去った。私は自然と三神さんと打ち解け合い、半年前からは本格的に付き合っていた。
 彼の科学に対する興味は幼い時からで、大学受験の時には生物学者に憧れて、微生物を研究してみたいと言うところまで定めていたらしい。
 そして、これは私も興味があり、資格は私も彼も取得したもので、原子力つまり放射能、放射線についてだった。
 そのため、大学にチェルノブイリの調査隊の参加募集が来たとき、私と三神さんは直ぐに参加を決意した。残念ながらゼミの先生は教授になったばかりで、学会や仕事で参加が出来ず。教授の代理という形でも参加する事になった。
 今にして思えばこの時に参加しなければ、私達はDO-Mと出会うこともなかったし、ゴジラも生物に興味がある第三者の目線で見ることになっていたと思う。
 チェルノブイリで、三神さんはある生物を捜していた。
 私も今回は医師としてではなく生物学者として放射能と対してみようと思い。彼と一緒にその生物の捜索を行った。
 正確に言うとそれは生物なのかもわかっていなかった。物質かもしれなかった。しかし、私達は生物と信じその捜索をしたのだった。
 それとは、チェルノブイリの許可無しの立入禁止地区の一部にある不思議な現象が起きていた。
 放射能が一部の沼にて、急速に放射能濃度が低下していた。
 そのため、ロシア政府は自国の施設や人材で調査をしたのだが、その地帯には生物は一匹も確認出来なかった。そして、沼の成分には不思議なことに何も原因となりそうな物質も発見されなかった。その研究をしていた学者の名前を取り、『DO現象』と呼ばれていた。
 私達はそれが新種の微生物による全く新しい反応によって残留していた放射能をスムーズに浄化したのではないかと考えていた。
 そのため、私達はDO現象を起こす微生物『DO-M』を見つけようしてた。
 途中、三神さんが「ドムよりグフのが好きだな」とかボソッと言っていた。何のことだろう?
 ちなみに、この調査隊や私達の研究、ロシア政府では、調査研究の権利はこちらにあり、研究の成果や結果はロシア政府に伝えなければならない。しかし、それさえすればこれだけ得できるチャンスは余りない。
 政治的だけど、元社会主義のロシアがここまで自由な扱いは凄く意外だった。
 到着後、私達は例の沼へいった。
 沼は何もなかった。
 一部にかつて、放射能によって変異したと思える不自然な成長をした植物が枯れていた。
「採集は危険を避けるために、手では触らずに器具を使って行おう」
 と三神さんが言った。
 私は頷き。ケースから採集キットを使い慎重に沼の水を採取した。
 彼はさっきの植物を採取していた。
「なんだこれ。根っこが途中で溶けたみたいに無くなっている」
 と採取した植物の根を見ながら言う。
 確かにその根は、途中で決して千切れたり、切れたりしたとは思えない。まるで溶けた様に途切れていた。






 ロシアでの調査では、DO現象の正体もDO-Mも見つからず。日本に帰国時、許可を貰い、沼の水と例の植物を持ち帰り研究を続けることになった。
 それから、3ヶ月後。その生物が全くいない、かつて核の水だった液体から発見された。それは偶然や奇跡といえるものだった。
 僅かながらだけれど細菌類と思える死骸片を発見した。勿論、それが沼にいた他の細菌かもしれない。
 しかし、一つの光だということは間違いない。
 そして、嬉しいことにその死骸を発見したのは何を隠そうこの私、鬼瓦優だったこと。
 三神さんはまず、それが他の細菌の可能性を確認した。
 そのため、その死の水は酸素濃度が0に近い数値な為、まず嫌気呼吸をするものに間違いないと判断した。
 そして、嫌気呼吸の細菌を沼の水で作った─つまり沼の水の栄養しかない培地に蒔いた。
 また、いずれ必要だからといって、DO-Mと思われる微生物片──便宜上『DO-M1』から採取したDNAを応用生物化学学科のゼミに頼んでおいた、複製したDNAを大腸菌のプラスミドDNAに組み換えた『DO-M1大腸菌』と普通の大腸菌も同培地で培養した。
 結果は、歴然。DO-M1大腸菌意外の菌は数週間以内に全滅。これで、沼の水で生きていけるのはDO-M1大腸菌。つまり、DO-M1のDNAが無いとあの沼では生きられない。
 これで、DO-M1がDO-Mである可能性は非常に高くなった。
 あとは、放射能汚染を実際に浄化するのみになったが、放射能は突然変異を起こしやすく、DO-M1大腸菌ではやはり完全ではなかった。
 しかし、僅かながらDO-M1のDNAで放射能による形質転換の影響が受けにくい特徴の形質が現れた。それは、大腸菌自身が生きている限りはその力を発揮していた。それこそが私達が探していたDO現象だった。
 そう。私達の思った通りDO-M1はDO現象の原因生物DO-Mだった。
 DO-Mの放射能浄化には水を媒介にしなければならないともわかった。
 三神さんはその特徴から、DO-Mの和名を『水中放射能浄化細菌』と名付けた。
 三神さんはこれの論文をネイチャーに送った。
「これが完成すれば核兵器も原発事故も破滅的なものでは無くなる。核の脅威も無くなる。核兵器保有で起きる戦争も無くなる。アメリカもイラク戦争を行わない。世界平和だよ、これは!」
 と三神さんは興奮した少年の目を輝かせながらいった。
 私も9月11日の悲劇やテロリストの犯行声明をテレビで見た一人だ。
 もうすぐ新しい年という時期、ニュースではアメリカがテロとの関連でイラクへ進行するといったことをいっていた。
 私も、今もどこかで核兵器や大量破壊兵器の保有をして、人々を恐怖させているかと思うと早く核の無い世界にしたいと切に願った。






 そして、月日は流れ2002年2月14日。私は人生としての転機を迎えた。
 三神小五郎さんにプロポーズされたのだ。私は即返事をした。
 勿論、答えはYES。
 ネイチャーに出した私と小五郎さんのDO-Mの論文は、挙式の1ヶ月前、私達を祝福するように載せられた。
 そう。私達は幸せの絶頂にいた。
 しかし、事態は私の知らない所で進んでいた。
 そして、それが起きたのは、結婚式の翌日、5月4日の事だった。







 婚姻届こそ、GW前に出したが、結婚生活は昨日の夜から。
………別に深い意味はない。
 そして、私の作った朝ご飯を食べている時、新婚気分に水を差すように連絡が来た。
 それは、残酷なものだった。
 DO-Mの事故が起きたというものだった。
 放射能浄化の実験中、バイオハザードが起きたのだ。
 誤って反応中の液体に触れてしまって、結果、その手は見る間に肉が分解され骨も一部消えかけていたそうだ。被害者はショック死。
 更に混乱時、僅かに飛んだ火花によって爆発。幸い放射能の大部分は浄化されており、放射能に付いては外部には問題無かった。
 しかし、これによってサンプルは全て炎上により全滅。
 そして、小五郎さんは翌日中に研究の中止を言い渡された。
 その理由は、
『放射能は脅威だが、水中放射能浄化細菌DO-Mもまた、脅威である』
 というものだった。
 書かれてはいないが、原子力が無力化するリスクより核のリスクのが軽いと判断されたのだ。
 彼は研究の中止と同時に責任という名目で彼だけが大学を止めさせられることになった。
 そして、教授の口利きで幾つか研究所を紹介してもらったが、どれも微生物の研究員はいっぱいだと断られた。
 これは事実上追放を意味していた。
 その後、ロシアは引き続き研究を続けているらしいが、サンプルは無かった為、研究は滞ったそうだ。
 一体、DO-Mは何だったのだろうか。






 そして、彼は私とその日の内に離婚し、姿を眩ました。
 私達の結婚生活は、たったの3日間でその終わりを告げた。
 私は彼を追うため、教授に彼の行き先を問いつめた。
 教授は彼が小笠原の外れ大戸島でゴジラの研究をして、自分の正しさを証明しに行ったといい。
 彼から私宛の手紙を手渡された。
 手紙には、私を巻き込みたくないからと言い訳、私には医師としての人生を成功させてほしいと別れ言葉などが書かれており、最後に追わないでくれ。と書かれていた。
 私は諦めつなかったが、そんな彼の考えに愛想は尽きた。
 私は彼を見返してやると決意をした。
 そして、2年後の2004年冬。私は三神小五郎と再会することになった。
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