《旧約》ゴジラ‐GODZILLA[2005]



2005年11月1日14時。
 太平洋上を一隻の船が進む。
 たった1ヶ月少し前の事が遠い過去の出来事のように、船尾からうっすらと影を望ませる東京は、それ以前との違いを確認する事は出来ない。
 仮に上げるとすれば、昨年やその前の年と同じように、洋上に吹く風は冬の気配を感じさせる冷たいものになっている事だろう。
 その様な11月の海を進む小笠原諸島父島行きの船上には、生物学者三神小五郎の姿があった。
 海鳥が魚の群れを狙って海面を旋廻している光景を眺めながら、三神は手すりにもたれると、先ほど売店で購入した缶コーヒーを冷たい潮風で乾いた喉に流す。
「あ!ウミガメだよ!」
 ふと隣でウミガメを見つけてはしゃぐ子どもを見た。小学生くらいであろうか、雄一と姿をダブらせてしまう自分が情けなく思う。
 そして思わず、ジャケットのポケットに仕舞い込んだ、ハンカチに包まれたグリーンの最期の銃弾の薬莢を握る。
「………一体、ゴジラはなんだったんだ?」
 遥かなる海の深い青を眺めて三神は呟いた。


 ゴジラは確かにいなくなった。消滅した時に東京湾へ注がれたオキシジェン・デストロイヤーがN-バメーストによる放射能汚染を極限までに軽減させ、生物の数は激減したものの、東京が人の住めない土地になる事は防がれた。
 壊滅状態の東京だが、2週間前から早くも復興の動きが始まった。このような早い復興などを見ると、この日本という国が、今までどれほどの逆境に立たされた事のあるのかが伺える。
 そして、昨年からのゴジラによる死傷者数は、推定でも10億人を突破するのではないかと言われる。しかし、最も懸念された放射能症による被害は、多くの人が数日間の体調不良をうったえたに終わり、台場の様に重度の症状にかかったのは、極々僅かであった。しかし、そうは言うが、その数字は合計千人を超えるか、超えないかという膨大な数である。
 そして、最初に被害にあった大都市であるニューヨークは、既にかなりの復興が進み、世界経済の復興の要となり、当時多くの投資家が描いたシナリオが現実の物となっているのは、皮肉的な話としかいえない。しかし、これもゴジラという非日常から一日でも元の日常へ戻る為の重要なカードとなっているのは紛れもない事実なのである。
 そして、世界を支える闇の部分に三神が憤慨した事がもう一つ存在する。
 それがグリーンの事だ。世界を救う為に命を投げて、G1を倒したグリーンだが、CIAの局員は表に死後も名を公表される事はないといわれ、グリーンも名の無いスパイの一人として、歴史の闇に葬られた。勿論、インターネットや一人一人の記憶の中では、彼の存在はヒーローとして存在し続けているが、間違いなく10年とたたずに忘れ去られてしまうだろう。そして、家族の無いグリーンは墓もたてられる事無く、CIAの名簿の中にのみ永遠にい続けることになる。しかも、それは同時にオキシジェン・デストロイヤーという幻の兵器を三神が製作した事実を隠蔽し、三神の今後の命を保障する事に繋がる。更に三神が憤るのは、そんな事を承諾し、自らの安全を選んだ自分へだ。
 三神は気づいていた。例え、世界がどんなに平和になろうとも、自分が背負った十字架は決して消えることはない事を。
 また、あのゴジラ団団長であった神谷想治こと八神宗次は、現在も日本の某所にあるという極秘の牢の中で、審判がなされる時まで幽閉されている。
 戦艦おおとは、一先ず某所にて保管され、イギリスへ返還するか、日本で保有し続けるか決めるそうだ。ガルーラも同様に、廃棄するか、保有するかを決めるそうだ。もっとも、その結論が果たして今世紀中に出るのかは些か疑問だが。
 そして、自衛隊の人々だが、武田海将補と蒼井一佐は、戦闘中での数々の暴走があり、査問委員会で問われるらしい。とはいえ、その功績はあまりに偉大な為、あまり心配はしていない。台場は、本来の予定通り、治療をする為に、専門の病院へ入院している。土方二佐は、怪我がまもなく治るそうだ。その後、自衛隊に残るか否かはまた考えるという。
 山根美和子氏は、ゴジラの事を少しでも先の世代に伝えられたらと、日本の各地で50年前のゴジラの事を公演していくといい準備をしている。
 ブラボー達スパイは、また社会の闇へと姿を消し、どうしているのかは誰も知らないが、元気で戦っているのは間違いない。
 祖父の耕助は、意外にも日本に残り、一人で田舎暮らしをすると言い張り、老体に鞭うって生活してる。その時は猛反対した三神だが、耕助の姿は既に思い残すことも、寿命もなくなり、僅かな時間をゆっくりと過ごすのみに見え、折角ならばと承諾した。
 そして、これは些か三神にとって残念な結果となったのが、優のことである。1ヶ月間、殆ど一緒に行動していたが、全く関係に変化はなく、そのまま彼女は世界中の放射能症治療をする手助けをする為に、たまには日本へ戻るという信用の出来ない言葉を残し、旅立った。結局、三神のバツ一独身人生は一生続くのだろうと、諦めた。
 また、現在三神が向かっている国立大戸ゴジラ博物館は、来年の再開を予定し、復旧工事を準備している。勿論、大戸島の皆も辛くても元気に過ごしている。
 最後に三神自身だが、しばらくは大戸島で再建の手伝いをしながら、身辺整理をし、落ち着いたら、元々の研究対象である微生物の研究をする為に、大学の研究室へ戻してもらうつもりだ。幸いにも、DO-Mでの事実上の学会追放は汚名返上と共に、取り消された。


 しかし、肝心な事がまだ結論が出ていない。
 それは、そもそもゴジラはなんだったのか。なぜ50年もの間、上陸しなかったにも関わらず、突然世界中を渡り歩いたのか。
 これはまだ結論が出ていない。一部のオカルト思考の学者は、同時多発テロ、日本の原子力保有の規制を緩和する動きなど、平和の像が崩れ、人々がゴジラを忘れたが為に、ゴジラは現れたと言っている。
 勿論、そんな馬鹿げた話はないだろうが、50年前は世界大戦に水爆実験、そして現在は新世紀にも関わらず、変化なく悪化の一途を辿る環境破壊、こうした地球規模の警告が、ゴジラは敏感に感じ取り、適応する為に、陸上へ上陸していると三神は、確証こそ無いが考えている。
 しかし、科学というのは、所詮ただの理由を求め、その論理的かつ帰結となるものにすがり、人々が安心し、同時に自分という存在がなんであるかを理解という形で求めているに過ぎない。心情か、思考かの違いはあれど、結局己が異端となるものではなく、存在してよいものであるという安心を求めている気持ちは、宗教ともなんら違いは無い。
 恐らく、ゴジラ団も、研究した自分達も、戦いを挑んだ各国の部隊やグリーンも、本質的な感情は同じだったのだと三神は思う。結局は何にすがったのかの違いだ。
 だからこそ、三神はこの論理に帰結を求め続けても、帰結させる気はない。
 圧倒的な脅威を人は知った。改めて、教え込まれた。そして、人々は忘れていた感情を取り戻した。そう、三神は信じている。だから、ただ人々を安心させる為だけの帰結はいらない。
 人類は、地球、そしてゴジラという絶対不可侵とも言える遥かなる存在が支える世界の中で、ただの一時栄えているに過ぎない生物の一種に過ぎないのであるから。


 汽笛が深く広がる青い海に響く。連絡船が大戸島の港に着こうとしている。
「さようなら、ゴジラ」
 荷物を持った三神は海に向かって言った。未来への願いを込めて。




『終』  
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