ネス湖



2004年12月1日昼。
もう1ヶ月も経つが、ゴジラは一向に現れない。既に、めぼしい観光名所はもう全て見きって、フランス中の名酒という名酒を全て飲んでしまった。
医者の為、フランス語が堪能な優は毎日買い物に行ったり散歩をしているのに対して、僕はホテルに引きこもって昼まで寝ている生活をしていたりしている。
まあ、ホテルの衛星放送なら英語や日本語の番組が放送しているので、完全に取り残されるようなことは無い。
 しかし、1ヶ月もいたお陰でフランス語が多少なら話せるようになってきた。
昨夜も、なんとなしの流れで、優と酒を飲みに行って、軽く酒や醸造について語ったりした。
そんな風にゴロゴロしていると、ノックして部屋に優が入ってきた。
鍵を渡していたんだっけな。
部屋にこもって、昼間から酒を飲んで、ダラダラ、ゴロゴロしている元旦那を見て深く溜息をついた。
「いい大人が昼間にゴロゴロして………」
 優が床に転がっているビンを拾い、小言を言い出した。
 その場を救う音が聞こえた。
 携帯の着信音だった。
「ほぃ。三神です」
『所長だ。久しぶり、元気にしていたか?』
「あぁ。所長!お久しぶりです」
『いつになったら帰れるのかね?』
「当分は無理です。どうかしたんですか?」
『キミがゴジラ専門家としてアメリカに呼ばれた事がマスコミに漏れたらしくてね。取材やら探偵やらと変な電話ばかりでこっちは大変なんだ』
 声から悲痛が伝わる。
「わかりました。しかし、こっちだってゴジラが見つからないので何も事が進まないのですから。一段落したら一度戻れるようにしますから」
『そうしてくれ。………ん?なんだ。わかった。………すまない。客が来たらしい。切るぞ』
 言うが早いかこっちを無視して勝手に電話を切った。
 全くあのおっさんは、などと呟きながら携帯をカバンにしまう。僕がカバンをベッドの脇に置き、頭を上げようとしたら何かに頭が当たった。
 確認しようと振り向くと、そこには穴の空いた黒い鉄………ピストル!が目の前に突きつけていた。更に、その後ろには当然人間がいた。フランス人男性のようだ。
「動くな」
 その男は日本語で言った。しかし、この言葉に意味はない。既に目の前のピストルで金縛り状態だからだ。
 金縛りでも、目は動かせた。と言ってもピストルが気になって銃口と引き金と男の顔を交互に見る位だ。
 しかし、僕は必死に横へ視線をずらす。
 優が確認できた。優は流石に銃は突きつけてられていない。ここがフランスでよかった。だがホッとは出来ない。代わりに声を上げないように口にタオルをつけられて、床に俯せにさせられている。
 僕は再び、目の前の男に視線を戻した。
「意外に見つけるのに時間がかかったが、騒がずについてきてもらう」
 男は僕らに言った。と言うよりは僕に言ったのだろう。優の場合、言葉を発する事が出来ない。
 ここは冷静に行動だ。まずは相手の正体を探ろう。それが無理なら、目的だけでも探り出す。
「何のために行かなければならないのかも言わずにでは、誘いじゃなくて誘拐と言うんじゃないか?」
 あくまでも強気だ。これしかない。
「思ったよりも生意気だな。目的は追々話してやる。後これは誘いでも誘拐でもない。拉致だ」
 すると、男がいつの間にかもう一方の手に持っていた針の様な物を素早く首に刺した。
 一瞬で………意識が飛んだ。


 全く今の時間がわからない。
 どれくらい時間が過ぎただろうか。
 意識が戻ってきた。まだ、目は余り見えない。と言うより薄目で僅かに光を受容している。
 自然と呻き声にもならない声が漏れた。
「起きたか。おはよう、コゴロー君」
 下の名前を聞き覚えがある声が呼ぶ。
 ゆっくり目を開き声の主を確認する。案の定、ピストルを突きつけたあの男だった。
「誰だ?」とだけ言った。
「フィリップと呼んでくれ」
 男は爽やかに片手にコーヒーカップに入った飲み物を飲みながら答えた。コーヒーカップに入っている飲み物は大抵ホットコーヒーだろう。場所からして多分フランスの濃いコーヒーを。
 駄目だ。思考が脱線してしまう。目が覚めていない証拠だ。
 しかし、この名前、フィリップ。どこかで………
 あぁ。グリーンの上司の名前か。言うまでもなく、前に立っている男はクルーズ氏ではない。
 しかし、まだ引っかかるな。魚の小骨の様にフィリップと言う名が脳の思考回路に引っかかる。
 フィリップは無理に起こそうとも、話かけようともせず、倒れている僕の前にジッと立っている。はっきり言って、不気味だ。
 まだ思考にバグが出ている。あの麻酔針らしき物の性で脳に害が出たのではないか?脳の手術は高いだろうな。
 また脱線してるよ。でも、まあ保険が効くかな?大丈夫かな?

 突然、眠っていた思考回路を起こすには十分過ぎる稲妻が脳だけでなく全身に走った!
「保険屋フィリップ!………フィリップ・ロシェだ!」
 突然、飛び起きて叫ぶ僕にフィリップは面を喰らっていた。僕も飛び起きて叫んだ為、目眩を起こした。
「よく。よく知っていたな。さてはあっちのフィリップに聞いたな」
 ハッと気付いてフィリップ・ロシェは言った。あっちのフィリップとはクルーズ氏の事だろう。
 ロシェ氏はコーヒー(であろう飲み物)を煽って、話を先に進めた。
「まだ話していないからな。なぜキミ達を拉致したか、つまりキミの言うとこの目的だ。わざわざ一月近くキミの居場所を探していたんだ。勘のいいキミならわかるのではないかね?」
 確かに、見当はつく。
「一つ訂正する。勘ではなくて観察力がいいんです」
「ふっ。あくまでも強気に振る舞うか」
 スーツのポケットからドーナツを取り出して、一口かじる。
「別に………話を戻す。僕をわざわざ1ヶ月前から探して誘拐するとなれば、ゴジラくらいだろ。何か、切り札なり鍵なりでも持っている、僕の知らない何かをね。しかし、その何かは僕の力が無ければ役に立たない、もしくはわからない。どうかな?」
 僕が恐怖や緊張に内震えながらも強がって、考察を話した。
「70%正解、だな。完全正解ではない。既に、タタッ、タトポロス博士が我々に協力して、ゴジラの研究が行われている。しかし、彼は放射能汚染による生物の巨大化をメインとしている。しかし、我々が最も知りたいのはゴジラが何をしようとしていて、どうすれば倒せるかだ」
「それだけならば、僕よりCIAやらアメリカ政府の人間に聞くべきだね。僕は一ヶ月もゴジラが現れるのをただ待っていただけだ。おかげで変な夢を見る始末さ」
「ほうー。変な夢を、どんな夢だい?」
「………1ヶ月前、ニューヨークを襲った翌日の夜に、ゴジラが深海にある洞窟に入って、ヨーロッパに向かう夢だよ」
 ジーと、僕の話を聞き、ロシェ氏は鼻で軽く含み笑うと、いつの間にか残り一口大になったドーナツを口に入れた。
「………ただの夢って訳にはいかないかもな。ゴジラは間もなく来る」
 ドーナツを飲み込むと、ロシェ氏は不敵に笑いながら言った。


2004年12月2日9時38分。
 俺、ジェームス・グリーンが三神らの拉致の事実を知ったのは、つい8分前の事だった。
 ゴジラ団を探して、フィリップの紹介で得られた数々の情報源の網に、ゴジラ団らしき軍団の情報が入って、イギリスはブリテン島北部の町や村を歩き回って早五日、ネス湖にいた時だった。
 何故ネス湖にいるかというと、歩き回って疲れながら町を歩いていると、ゴジラというか怪獣の噂を耳にしたのだ。
 中年の二人の男がしていた話だ。
 内容は最近この町とは目と鼻の先にあるネス湖のUMA(未確認生物)である怪獣ネッシーについて話しで、以前とは比べ物にならない程目撃されているらしい。
 後これは二人が勝手に言っていた事だが、あのネッシーはきっとゴジラの仲間では無いかとか、ネッシーは絶対にいると熱く議論して歩いていった。
 確かに、ゴジラがいる以上、ネッシーがいないと頭ごなしに否定は出来ない。
 その時、一瞬ある最悪の可能性が浮かんだ。直ぐさま捨て去ったが、気になったのでネス湖に行くことにしたのだ。


 あれからしばしの時間がたった。
 ロシェ氏に支えられながら、立ち上がった。
「キミのワイフは別室にいるよ。彼女はキミが協力するならば自分も協力すると言っている。どうするかな?」
 疑問形だが僕の選択肢は一つしかないのだろう。とてもじゃないが、わざわざ英語の発音でワイフと言うのを元妻と訂正する気は起きない。僕はこう言った。
「何をすればいい?」


 ドアをノックしてスライド式の扉が開いた。
「出てきて下さい。彼が答えを出した。協力するとね」
 フィリップという男が私に言った。
 部屋は本当に何もない、精神病棟の部屋から更に物を取り払って、真っ白にした六畳位の部屋の床に一人で寝かされていた。あれでは、フィリップ……クルーズさんと被りそう。名前が………。兎に角、彼がいて説明が無ければ正常で医学の人間である私でも発狂したかもしれない。
 勿論、今さっきまで私は一人だったが、慣れれば大した事はない。ただ、起きた時ではダメだろう。
 部屋を出ると、殺風景な廊下があり、フィリップさんの隣にミジンコくんがいた。
「優………」
 私の名前だけ言うと、後には何も言わずに、フィリップさんに向き直して、話かけた。
「ロシェさんは、これから僕らを何処へ連れていく気だ?」
 いつものミジンコくんよりも強い調子で言った。ロシェさんか。私もそう呼ぶことにしよう。
「キミ達に博士を紹介する」
 ロシェさんはそっけなくいった。


2004年12月2日9時25分。
 ネス湖へ行くと、確かにネス湖の湖畔には大量の人がひしめいていた。
 地元───と言ってもイギリスの大手テレビ局のマークがついている。かなり大々的に報道されているようだ。
 俺は近くのボート屋へ行った。案の定、ボート屋にもマスコミや野次馬が押しかけて、パニック状態だった。
 ボート屋の主人は仕事そっちのけで話をしている。手には拡大した大きな写真を掲げて力説している。
 俺は人垣をかき分けて写真が見える位置へ移動した。幸い、主人の声がデカかったので、写真が見えればそれで問題はなかった。
「これが先日───11月29日の夕方16時12分に私が撮ったネッシーの写真です!ここにちゃんと日時が記されているでしょう!」
 確かに日時が記されている。調べなければ偽造されたモノかの区別はつかないな。写真には太陽をバックにして湖の中央辺りに丸みのある影が二つある。確かネッシーは首長竜だと言われているが、この写真で照らし合わせると、成る程首を曲げて水面に入れた所と背中が写っていると見ることが出来る。
 だが、仮に“これがゴジラだと考える”と、背中はギザギザした背鰭が有るため違うが、形からして尻尾の可能性を考えてみる。ネッシーと言うのと同じくらいの可能性でそうかもしれない。
 無駄足だったかもな。
 ………段々、三神に影響されてきたな、特に話の筋道の立て方が。
 勿論、奴は日本語、俺は英語で物を考えているという部分で決定的に言語───文法的な面ではやはり違う。
 しかし、変わったな────
 彼奴に会ってからは、物を考える機会が増えたと感じる。つまり、理屈っぽくなった。
 そんな事を考えていると、フィリップから連絡が来た。
 内容は三神小五郎と鬼瓦優が拉致されたというものだった。


 廊下を歩いて行くと、研究室になっている広い部屋に通された。
 通称ミミズ博士こと『ニック・タトポロス』は、僕と同い年位の男だった。
 挨拶もそこそこに軽い研究室の機能の説明をしてくれた。
 心なしかせっかちな印象の人だ。
 ロシェ氏は入り口の脇で壁にもたれながらコーヒーを飲んでいる。………いつの間に用意したんだ?さっきのはとっくに飲み終わってたぞ。
「ミカミ博士。オニガワラ博士。これからが本題です」
 タトポロス博士がこちらに向き直していった。
 僕らと同じ紛れもない科学者な目で言った。


????年??月??日??時??分。
 黒い服に身を包んだ──体型から男性と判断できる──男が狭いダクトを移動していた。
 男の動きが止まる。
 男の顔には大きなゴーグルがつけられている。暗視ゴーグルを改良したようなゴーグルが反応しているようだ。
 男は細いワイヤーで繋がった二つのマグネットのようなものを取り出した。片方には吸盤が付いている。それをダクトの床に付け、二〇センチ程のワイヤーが張るようにする。ワイヤーのもう一方は先が針のようになっていて、上には小さなボタンがついている。針を床にあてがい、ボタンを押すと、針からレーザーが出て床を溶かす。吸盤を中心に円を描く。針が一周すると、吸盤を持ち軽く回すと床がきれいに外れ、円形の穴が空いた。
 男は様子を確認すると、穴に入っていった。


2004年12月2日9時40分。
 俺は三神達を救出するために、兎に角、フランスへ行こうと決め、車へ向かった時だ。
 悪いことは重なる。タイミングは悪いときこそよく合う。ツいていない時はとことんツいていないものだ。
 ネス湖を見ている人々が尋常ではない騒ぎをしている。
 俺が、はっきり言ってこの現実ほど受け入れたくないと思ったことは、今まで一度もなかっただろう。
グォォォォオン!
 それは地獄からの招待状であった。
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