未来への約束
翌朝、朝食を食べた探貞は昭文駅から線路沿いにしばらく歩いたところにある図書館に向かった。
図書館の前には既に和也、涼、三波、数、そして九十九の姿があった。
「お待たせ。……あれ? 今日はアールいないの?」
「えぇ。何だかミステリーサークルに興味があるみたいで、新聞に載ってた上空からの写真を熱心に調べていたわ」
「流石は宇宙人だね」
三波の返答に苦笑混じりに答えた探貞は、一同を促し、図書館内に入った。
受付で25年前の昭文町で起きた出来事について調べていると伝えるとすぐに新聞の閲覧ができるスペースを用意してくれた。
「なんですか? さっきの人間社会研究部って」
用意された縮小版の新聞をまとめた冊子を広げながら、数が探貞に問いかけた。
探貞が受付に、昭文学園人間社会研究部と名乗ったのだ。
「もう何年も前に廃部になった部活の名前だよ。もっともらしい名前だからね」
「いいんですか? 勝手にそんな……下手な嘘は面倒事を生みますよ?」
「数ちゃんは意外と慎重なんだね。でも大丈夫だよ。嘘ではないから」
「え?」
「中学生の時に人間社会研究部員として名簿には名前があったから。言うなれば、最後の部員だよ」
探貞が微笑みながら言うと、和也と涼が嗚呼と思い出した表情をした。
「そういえば、中一の時に部活入ってたな」
「何も活動してなかったけど」
「そういうこと。……さ、ここからは人海作戦だよ。25年前に起きた事件、理事長の死と女子中学生の自殺。もしかしたら、他の事件についても記事になっているかもしれない」
探貞の言葉に一同は頷き、それぞれ新聞各紙の25年前の記事を虱潰しに調べ始めた。
それはさほど時間が立たずに見つかった。
「あったわ!」
三波が突然大声を上げた。
他の人達からの非難の視線が集中する。
「見つかった?」
探貞が声を殺して覗き込むと、三波の指し示す記事には確かに昭文学園の理事長が変死体で発見されたことがかかれていた。
一ヶ月前に調べた際に理事長の死亡時期はわかっていたので、ここまでは探貞の想定していたことだ。問題はその記事に書かれている死の状況なのだ。
「松田理事長、怪死。間違いない」
「ここを読んで下さい。遺体から毒物の砒素が検出されたが、死因との関係は捜査中。……毒死だったんですね」
探貞の横から、数が記事の文を指差して言った。
「ともかく、基準になる記事が見つかったね。あとは、ここから少し後に他の七不思議の出来事が起こるはずだよ」
それから手分けをして彼らは、小さな記事も見落とすことなく端から端まで各紙の記事を一日一日追っていった。
「ありましたよ。理事長の怪死事件の続報です」
まもなく九十九が一週間後の地元紙の地方欄に理事長の記事を見つけた。
記事には、葬儀が執り行われ、事件は以前として調査中と記載されている。
「一週間捜査してわからないとなると、迷宮入りの可能性も出てくるね」
「でもおかしくない? 砒素って猛毒でしょ? 毒殺を疑うのが普通じゃない?」
「……圧力」
涼が指摘すると、探貞がぼそりと答えた。
「まぁそう考えるのが妥当だな。この喪主をした長男って、文部科学省の副大臣をやってた爺さんだろ? 入学式に祝辞を読んでた」
「よく覚えてるな」
和也の記憶力に探貞は素直に感心する。
「恨めしそうな霊を大量に背後につけてりゃ嫌でも覚えてる」
「なるほど」
「それに、参列する親族の名前、現理事長の孫は勿論、某大学の総長に理事長、作家に詩人、教育界や文学界の大御所揃いですよ」
九十九が指摘するとおり、昭文町と昭文学園は歴史的に多くの文豪や教育者を輩出してきたことで、町おこしにも一役かっている。改めて、記事に列記された肩書きと人物名を見るとその顕著さが際立っていることがわかる。
「警察にも圧力がかけられるほどなのか?」
「十分だろうね。警察上層部にも関係の深い人物がいるだろうし、何よりも日本の教育界の先頭に立つ一族の中に犯罪者、ましてや人殺しがいるとなれば、色々と不都合が生じると思うよ。教育は国の未来を左右するものだから、政治家だって官僚だって無視はできない」
「急に焦臭い話になってきたな」
「恐らく、事件として扱えないから死亡理由は調査中のままにしているんだと思う」
「嫌だな。世の中のドロドロした部分が見え隠れするってのは」
和也が露骨に嫌悪感を示している横で、探貞は新聞記事を読み込む。
銅像についての記載もある。告別式を二日間にまたがる著名人だとたまに目にする日程で組んでいる。これは銅像も理由の一つなのだろう。
そして、各記事から探貞は理事長の死亡状況についてまとめる。
「ざっと、こんな感じかな。理事長は密室で発見され、真夏の記録的な熱帯夜に起きた事件だったらしい。それによって死亡時刻がはっきりとしなかったことも事件か事故かの判断がつかない理由とされているね。室内で砒素中毒で死亡しているのが、翌朝発見されたらしい」
「ものすごく事件性を感じますね」
探貞の話を聞いて数が言った。
恐らく、週刊誌の方がこういった事件は詳しく余計な事も含めて記載されているのだろうが、生憎手元にそれを入手する手立てはない。
「さて、理事長の次はいよいよ幽霊の正体だね。……多分、小さくても記事になってるはずだよ」
それからしばらく彼らは黙々と新聞記事を捲った。
そして、小一時間程経った正午目前にして遂に数が声を上げた。
「ありました。多分、この記事です」
「どれどれ?」
それは理事長の記事とは比べものにならないほどに小さな記事だった。
「本日未明、昭文学園生徒、中口麗子さん(十五才)が自殺しているのを友人が発見。昭文警察署が捜査にあたる。……たったこれだけか」
「学校で自殺したかもわからないけど、間違いないわね」
探貞と涼が記事を読むと、確信を持った口調で言った。
一方で九十九は全く違う反応を示していた。
「すみません! よく見せて下さい! 中口麗子。……そんな、まさか」
記事をひったくり、何度も文章を確認する九十九は尋常な様子ではなかった。
「ももちゃん? どうかしたの?」
「俺の……いや、まさか」
九十九はいつものように名前を訂正する余裕もなくして動揺していた。
その様子に、探貞は一つの可能性が思い当たり、それを投げかけてみた。
「もしかして、君のお父さんは中口というのかい?」
「っ! ……そうです。前に位牌を見たことがあります。中口麗子というのは、親父の妹。俺の叔母に当たる人です」
「やっぱり……」
探貞は語尾の言葉を飲み込んだ。
年齢的にも有り得ない話ではなかった。そして、何よりも中口という字を見て、Φを連想した。怪盗φの由来は、中口という苗字の「中」の字だった。
そして、七不思議と怪盗φが繋がった。探貞は思案する。
それは、ミステリーサークルが七不思議は勿論、怪盗φと中口麗子の関係を知る人物による犯行であることを示唆していた。しかも、探貞達よりも先に。
彼は九十九を見た。昨晩の話が所謂ミステリードであれば、九十九はこの条件に当てはまる情報を知っていた。
探貞が考えに耽っている一方で、三波が九十九に話しかける。
「ももちゃん、叔母さんが自殺した理由ってなにか知らないの?」
「俺の名前は一ノ瀬九十九だ。それに、叔母が自殺だったなんて初めて知った。迷先輩、叔母と理事長の死には関係があるのですか?」
「七不思議の形成過程がわからないから、偶々同時期だったからというだけかもしれないし、何らかの関係がある出来事だったのかもしれない」
「他にも情報がほしいですね」
「あとは、姿を消した男子生徒。……多分、どこかに載ってるはずだ」
探貞の言葉に九十九は頷く。
そして、数が記事を捲り、恐る恐る手を挙げた。
「あの、男子生徒はまだですが、ミステリーサークルの記事が見つかりました。自殺の記事の一月後です」
「どれどれ?」
記事に写真は載っていなかったが、机ではなく地面に描かれたものらしい。
そして、不可解な七不思議の言葉の意味がそこには書かれていた。
「突如校庭に現れた奇怪な模様で発見されたのは、直前に姿を消した少年で、現場にいた関係者の証言によると瞬間移動をしたとしか考えられない。少年は意識不明であったが、まもなく意識が回復……。つまり、超能力者というのは、瞬間移動だったわけか」
「踊るの意味がわからないけど?」
涼が探貞に指摘する。
「踊る。……意識不明で、踊ることはできないよね」
「或いは、踊っているように見えたとは考えられますよ」
九十九が言った。言いたいことはわかるが、現状ではいくらでも憶測ができた。
一方、探貞は別の記事に視線を向けていた。
「花火……」
同じ夜、昭文町で届け出のない花火が上がり、役所が調べているという記事であった。
その様子を見て、探貞の考えていることがわかった和也が口を開いた。
「考え過ぎじゃねぇか? 探貞が考えていることが本当だったら、七不思議どころじゃない事件として報じられてるはずだ」
「そうだね。……とりあえず、もうお昼だし、この辺にしようか」
探貞は苦笑しつつ答え、提案した。
異論はなかった。
「そろそろお前の考えている今回のミステリーサークルを作った犯人の目的について、話してくれてもいいんじゃないか?」
近くのファミリーレストランで昼食を食べながら、和也は探貞に問いかけた。
ドリアを食べていた探貞は微笑する。
「やっぱり気づいてたか」
「当然だ。闇雲に類似点があるからってだけで、ミステリーサークルと七不思議を繋げたりはしないだろ?」
「そうだね」
「そうなんですか?」
たらこスパゲティを巻ながら数が驚く。
頷く探貞。
「僕はあと五回事件が起こると思っているよ。そして、最後は誰かが死ぬ」
「物騒な話ですね。なぜそう考えるんですか?」
九十九が表情を変えずに淡々とハンバーグを切りながら言った。
「怪盗Φを犯人が名乗ったからだよ」
探貞の返答に九十九の手が止まる。
「………」
「そもそも昭文学園にミステリーサークルを作った人物はなぜ怪盗Φを名乗ったのだろうね? 注目を浴びたいという可能性は考えられるけど、ミステリーサークルと関連性が怪盗Φはあまりにも薄い。それならば、他の未解決事件から引用した方がいい。怪盗Φでなければならない理由があったと僕は考えているんだ」
「理由?」
「そう。怪盗Φには死亡説が永らく囁かれている。怪盗Φと昭文学園七不思議には関係性があると思うんだ」
「………」
九十九はそれ以上何も言わず、探貞を睨みつける。
かわりに数が探貞に問いかけた。
「怪盗Φと七不思議の関係について、何か心当たりがあるんですか?」
「あるよ。多分、怪盗Φという存在の真実を知る人物のね」
探貞は九十九以外の人物のことを思い浮かべながら答えた。
休み明けの放課後。ミステリーサークルがあった校庭は運動部が練習をする見慣れた風景にすっかり戻っていた。
夕焼け色に染まる校庭の隅に生える桜の木も青々とした葉が茂り、まだ梅雨入りしたばかりだが、夏の気配を感じる。
その木の下に一人、彼は佇んで、じっと木の幹を眺めていた。別に幹の表面を見ているわけでも、どこか一点を見ているわけでもない。ただ呆然と彼は焦点の合わない視線を桜の木に向けていた。
「そっちじゃない。右に彼女はいる」
背後から和也に声をかけられた国見辰巳は驚いた様子で振り返った。
そこには和也の他、探貞達が立っていた。
「国見先生、中口麗子さんをご存知ですね? 先生にお聞きしたいことがあります」
彼が何か言葉を発するよりも早く探貞は核心となることを告げた。
「何も私はしていない」
彼はひどく狼狽した様子で九十九を見て言った。
教職の者が発した第一声が親族に対しての自己弁護であることにやや落胆しつつも、探貞は厳しい口調で彼に言い放つ。
「そう。あなたは何もしなかった! だから彼女は自殺という方法を選択したんです! ……もう一度言います。先生、お聞きしたいことがあります。最初のΦは、彼女だったんですね?」
「えっ!」
探貞の指摘した内容は九十九を驚かせるには十分なものであった。
そんな九十九を余所に国見は青ざめた顔で頷いた。
「そうだ。麗子は……自分をΦと呼んでいた。空集合を意味する記号のΦ。名前を零と文字ったものだと思っていたが、それだけではなかった」
「話して頂けますね? 彼女は、どんな七つの事件を起こし、何をしようと思っていたのか? そして、何故自殺をしたのか? それが、今回のミステリーサークル……いや、『Φ』を蘇らせて、七不思議を再び起こしている犯人の目的を知る手がかりとなります」
探貞の語りかけに応じ、少し顔の血色が良くなった国見は頷くと周囲を見回した。
「わかった。……場所を変えよう」
国見に連れられ探貞達は生徒指導室に入った。教師と生徒達が他の者に内容を聞かれたくない会話をするには最適な場所であった。
急に窓の外が暗くなり、雲がいつの間にか夕日を隠し、部屋全体も薄暗くなっていた。探貞は室内灯を付け、いすに腰を下ろした。
「では、お話を聞かせて頂きますね」
「あぁ」
それはこの部屋において、生徒と教師の立場が逆転した希有な光景であった。
しかし、彼らはそれに違和感を露わにすることなく、国見もまた同じく、罪の告白をする生徒の様にうなだれて答えた。
そして、彼は淡々と語り始めた。
「中口麗子は幼なじみだった中口一の妹だ。彼が一ノ瀬の親だというのは知ってるな? ……あぁ。中口は俺の親友だった。麗子とよく三人で小さい頃は遊んでいた。麗子は学校内で陰湿ないじめを何年も受けていたんだ。わたし達もそれは気づいていたが、何もできなかった。だが、麗子は強かった。あいつはひたすら耐えていた。Φと名乗るようになったのは、中学に入ってからだ。中学でもいじめは続いたが、その内容が変わっていた。お前たちの言い方だと、シカトってやつだ。存在しないとみなして、徹底的に無視をする。恐らく一番残酷な仕打ちだと思う。誰がいじめっ子という訳でもなかった。俺達以外の皆が彼女を無視し続けた。Φと名乗ったのは、自嘲だったのかもしれない。そんな日々が一年ほど続いた頃、状況が一変した。中口の立場が危うくなる出来事があったんだ。ある日、中口は泥棒の疑いがかかったんだ。盗まれたのは誰の財布だったかも覚えていないが、お金が盗まれた。その時、中口が疑われ、その問答の中の些細なことで喧嘩になった。その時、中口は人間とは思えないほどの身体能力を発揮して相手に大怪我を負わせてしまった。……中口を皆恐れるようになった。それに対して、麗子がはじめて抗った。そして、事件は起きた」
「事件?」
「彼女には秘密があったんだ。中口が常人離れした身体能力を発揮したのと同じように、麗子にも特異な才能があった」
「その才能というのは?」
「サトリという妖怪を知っているか? 相手の心中を読んで、それを語り、心理的に追い込む妖怪だ。麗子は相手の些細な表情などの変化から相手の心を読み取ることができたんだ。恐らく、その才能があったからこそ、何年もいじめられていても耐えることができたのかもしれない。麗子はサトリと同じことをしたんだ。自分を無視し続けた者達の心を読んで語り、徹底的なまでに心理攻撃をした。そして、一人の生徒が不登校になった。それ以来、教師達すらも中口兄妹をおそれるようになった。得体の知れない恐怖だろう。麗子は他者との関わりを断ち、周囲も彼女の存在を否定し、排除し、結果としてこれまでとは全く違う意味で存在しない存在、Φとなった」
「……彼女は何をしようとしていたと思いましたか?」
「あいつは本気で自分を取り巻く世界を変えようとしていた。自分とは異なる得体の知れない存在への恐怖に対して排除することで平衡を保とうとする。これまでの歴史でも繰り返され続けた虐殺や迫害と同じ、人間の性だ。しかし、麗子はその人間の性を変えようとしていたんだ。唯一の兄に対する想いが一番の動機だろうが、わたしには彼女が自分達以外にも存在するであろう特異な才能故に迫害や排除をされている者達の為に、という使命感に近いものを感じた。……一ノ瀬、江戸川、お前達もそうなんだろ? わたしとは違う才能を持っている」
話を振られた和也と九十九は一瞬躊躇するが、すぐに頷いた。
「あぁ。俺は霊の姿が見える」
「俺も父と同じ能力があります。おばさん程ではありませんが、確かに嘘をついているか、本当のことを言っているかくらいの判断をすることもできます」
「第六の感覚だな。中口が後に言っていた。奴なりに分析をしたらしい。集中力が瞬間的に高まり、感覚が研ぎ澄まされて、常人では知覚できないことを捉えることのできるものらしい。結果的に動物の本能に近い危機の回避や身体能力を瞬間的に発揮できるそうだ」
「そうです」
九十九は何も表情に出さずに頷いた。
他の者は突然の九十九の真実に少なからず驚いているが、何となく気づいていたらしく、動揺する者はいない。
国見は微笑した。
「お前たちを見たら麗子も喜ぶな。あいつの理想はお前たちだ。恐れず互いを受け入れている」
「それは、あなたがそれをできなかったからですね?」
探貞が問いかけると、国見は素直に頷いた。
「あぁ。わたしは麗子を恐れて何もしなかった。あの時、わたしは他の者と同じ、無関心を選んでしまった。そして、麗子を死なせてしまった」
そして、彼はゆっくりと七不思議が生まれた時のことを語り始めた。