『名探偵』第二の男




「こんにちわ」

 昼前、テリー探偵事務所のドアを笑顔で開けたのは探貞であった。

「調査をすると言っていた割には随分とゆっくりされていたのですね」

 机に向っていたヘレンが探貞に嫌味を言う。一方、探貞は意に介していない様子で、イリスに挨拶をし、キッチンに行く。

「何をされているんですか?」
「ヘレンさんに頑張って頂いているので、ささやかですがコーヒーを淹れたくて。安心してください。こう見えて、副業で喫茶店を経営しているので」

 キッチンで笑顔で言う探貞に対して、ヘレンはため息をつくしかなかった。

「お待たせ致しました」

 まもなく、探貞がコーヒーをヘレンの前に出した。
 ヘレンは探貞を一瞥すると、コーヒーに口をつける。

「美味しい。迷さん、こちらのコーヒーは?」
「こちらにあったコーヒーですよ。淹れる際の温度や淹れ方等に気を遣うと結構美味しく淹れられるんですよ」

 探貞は笑顔でヘレンに説明した。その笑顔はとても満足そうだ。

「ありがとうございます。大変美味しいコーヒーでした」
「どういたしまして。…さて、噂の調査は如何でしょうか?」

 探貞は飲み終わったコーヒーを受け取ると、ヘレンに聞いた。その瞳は今までの様に笑っておらず、真剣そのものであった。

「噂の出所は見つかりました。短期間という事もありますし、元々噂の運送会社もある程度特定できていたので、今朝には結果が得られました」
「それで、出所は?」
「こちらの人物です。アラン・ホワイト、トルーマン物産のトラック運転手です」

 ヘレンはファイルに閉じられた人物の資料を探貞に渡した。

「成程。噂が広まり始めた直後に行方不明になっているのですね。一応捜索届けは出されているみたいですが、近い親族はいない様ですから、会社が形式的に出したものでしょうね」
「えぇ。大都会となると、行方不明者は日常的に出ますから。しかし、噂が広がりだした直後というのがどうも気になります」
「そうですね。どうやらこのホワイトさんを調べる事が最善の手段のようですね」

 探貞がヘレンに言うと、すぐに資料が渡された。

「こちらが彼の働いていたトルーマン物産の資料になります。物流会社でこの数年で急成長をしている会社です。社長はベン・トルーマン。まだ40代で、起業も彼が行っており、典型的な若手実業家です」
「ほぅ。それはすごい。是非お話を聞いてみたいところですね」
「そうおっしゃると思い、既にアポイントメントを取っております。イリスと一緒に行って下さい」
「………凄いですね、ヘレンさん」

 呆気に取られる探貞を他所に、ヘレンは再び机に向ってパソコン作業を再開した。





 
 

 一方、ジュールは昨日の襲撃事件の捜査をしていた。捜査とはいえ、既に犯人も逮捕されている為、足取りの確認をしているに過ぎない。尚、犯人は自分の単独犯である事を主張し続けている。

「とりあえず、事件当日の足取りの裏は取れましたね」

 部下が手帳を叩きながら言った。

「あぁ。やはり上にあるマフィアには繋がらず。今回もトカゲの尻尾切りだな」

 ジュールは唸る。このマフィアが勢力を伸ばし始めて数ヶ月が経つが、以前よりも犯罪件数が増えている。

「どうせこのマフィアを潰したところで、ゲーン一家がまた出てくるだけなんですけどね。………なんというか、ゲーン一家の方が義理というか、ちゃんと彼らなりの方法で治安を守っていた気がします」
「そういう発言は警察官として如何なものかな」
「し、失礼しました! 失言です」

 慌てて部下は直立不動の姿勢を取り、ジュールに反省する。

「とは言え、本当に好き放題という状況だからな。………何とかせねば」

 ジュールが再び唸ると、携帯電話が鳴った。

「はい、携帯だ」
『それは知ってるって』
「あぁ、トゥルースか。どうだ、演技指導は?」
『まぁまぁだな。それよりも、ジュールに調べてもらいたい事があるんだ』
「なんだ?」
『例のマフィアが広めようとしている新しい薬だが、その出所とその効果などについて調べてほしいんだ』
「別に構わないが、どうかしたのか?」
『上手くいけば、例のマフィアを一気に捜査するチャンスが手に入るかもしれないぞ』
「……わかった。至急調べよう」

 電話を終えると、すぐにジュールは部下を連れてニューヨーク市警へ戻った。



 


 

「迷探貞さん、とイリス・サトラーさんですか。初めまして、トルーマン物産社長のベン・トルーマンと申します」

 トルーマン物産本社ビルはマンハッタンの海辺のオフィス街の一角にあった。
 本社ビルの応接室に通された探貞達はベン・トルーマンから名刺を渡された。すかさず、イリスが丁寧にお礼を言う。

「本日は急なお願いをお聞き頂きありがとうございます」
「いやいや、構わないよ。私としても、この街でのテリー探偵の活躍は伺っておりますから。その名探偵の優秀な助手さん達にお会いできるだけでも光栄だよ」
「ありがとうございます。…では、早速ですが、本題に入ってもよろしいですか?」

 探貞が聞くと、ベンは手で先を促した。そして、探貞は話を始めた。

「私達は以前こちらに勤められていたアラン・ホワイトさんの捜索を依頼されておりまして、彼についてのお話を聞ければと思い、お伺いいたしました」
「アラン・ホワイト………お恥ずかしい話ですが、その様な社員がいた事自体、今耳に致しました」

 ベンは申し訳なさそうに答えた。

「そうですか、それは残念です。彼はトラック運転手でした」
「運送の者ですか。あの仕事は昼夜を問わない仕事ですから、ストレスも溜まりやすいですからね。もしも、それが失踪の原因であるなら、我々としても社内環境の充実に努めねばなりませんな」
「確かに、環境の充実は大切ですからね。………実は、彼が行方不明になる前に、付近の人間に奇妙な事を話しているんです」
「なんでしょう?」
「地下で怪物を見た。マンハッタンの地下道には怪物がいる、という奇妙な話です」
「確かに奇妙な話ですね」
「えぇ、一番詳しい話を聞いた所、深夜2時頃のそちらの地下倉庫で目撃したという話なのです」
「その話をあなた方は信じているのですか?」
「半信半疑です」
「でしょうね。私もこの大都会にあんな怪物がいるとは信じられませんから」
「私もです。………でも、どこかに事実があるかもしれないと私は考えています。もしかしたら、そこに彼が行方不明になった理由があるかもしれないと」

 探貞が言うと、ベンは苦笑まじりに言った。

「それで、わざわざ私に会ったのは、その地下倉庫を調べさせて欲しいという事ですかね?」
「あぁ、わかってしまいましたか?」
「一応、社長ですから。駆け引きというのには多少なりとも自信があるんですよ」
「いやいや、それは……」
「では、早速手配致しましょうか?」
「ありがとうございます」

 そして、ベンは電話をした。
 まもなく、電話を終え、ベンは探貞に言った。

「お待たせ致しました。向こうのものには伝えておきましたので、調査をして構いませんよ」
「あぁ、よかった。ありがとうございます。正直、許可を頂けるか不安だったので」
「アハハ、ウチの会社はやましいものを運んではいませんから」

 ベンは笑って言うと、探貞達は丁寧に礼を言い、本社ビルを後にした。






 

「あの社長、知ってる」
「イリスさんも気がつきましたか」

 地下倉庫へ向って移動する道中で、イリスは言った。

「怪物をあんな怪物って言った。あれは知っている証拠よね?」
「そうですね。少なくとも、この大都会の地下に怪物がいる事が確定しましたね」
「倉庫、行くの?」
「行きますよ。恐らくもう既に証拠となるものはないと思いますが、ホワイトさんがしていたという話に矛盾がないか、確認をしておく必要はありますから」
「わかった。………つけられてる」

 イリスは静かに探貞に告げた。

「実力はどれくらい?」
「大した事はない。ただの下っ端」
「私はあまり運動が得意ではないので、危険な時は物陰に隠れたいのですが、いいですか?」
「素人がいると邪魔になるから、その方がいい」
「わかった。………後は、どうする?」
「ここじゃ人が多すぎる、人気のない所に行きたい」

 イリスは言った。確かに、大通りである為、人が多い。探貞は聞く。

「とりあえず巻いてみる事から試してみますか?」
「どうするの?」
「地下へ行ってみませんか? ついでに怪物の調査も、ホワイトさんが目撃した怪物のいた地下道側の確認もできますから」
「わかった。………次の路地を曲がったら、走るわよ」
「了解」

 二人は、路地に差し掛かったところで、突然路地の中に走った。慌てて4人の男が追いかける。

「4人」
「多い?」
「大した事はない。けど、苦戦しそう」
「じゃ、やっぱり巻くという事で」

 二人は走りながら会話し、イリスに連れられるまま探貞は入り組んだ路地を曲がり続けた。

「ここよ!」

 イリスは路地を曲がると、地面のマンホールを開けた。

「緊急用に、簡単に開くようにトゥルースが細工してあるの」
「流石、ハードボイルド。やる事が違う!」

 探貞は興奮した様子で言った。イリスは少し呆れ気味に先を促した。彼らは地下道に逃げ込んだ。

「待てー!」
「地下に逃げ込んだぞ!」

 上から声が聞こえる。そして、マンホールの蓋が開けられ、梯子を降りる音が地下道に聞こえてくる。

「やっぱり巻けなかった」
「とりあえず、逃げよう」
「多分、彼らは例の薬を密売したり、ギケーを襲ったマフィアだと思う」

 イリスが言った。探貞も頷く。

「タイミング的に、ベンとの繋がりも疑いたい所だけど、昨日の報復という可能性もあるから。あまり接触をするのは避けた方がいいと思うよ」
「彼らがそれを許してくれるなら」

 イリスがそう言った直後、マフィア達が地下道に降り立った。片手には拳銃が握られている。

「懐中電灯が無いのは不自由ですぜ」
「なに、それは彼らも同じ事だ」
「耳を澄ませ、あいつらが動く音を探るんだ」
「いた!」

 マフィア達は探貞達の足音に気がつき、発砲した。
 幸い弾は二人に当たらなかったが、それも時間の問題かもしれない。

「さぁ、出てきな!」

 マフィアの一人が拳銃を構えて闇に進んでいく。
 その時、闇の中から素早い手刀が彼の腕を襲う。思わず彼の手から拳銃が落ちる。すかさず、闇から細い足が現れ、彼の頭部に回し蹴りが炸裂した。

「つ、強ぇ……」

 探貞が思わずイリスの無駄のない動きに感想をもらした。すぐに、彼の周りに弾丸の雨が来る。
 しかし、その発光でイリスは彼らの場所を見つけ、素早く飛び蹴りを一人のマフィアにくらわせる。蛙を踏んだ様な声を上げて彼は壁に倒れこむ。
 更に、イリスは近くにいるマフィアに手刀を入れようと構えるが、その首筋に冷たい感触が当たった。

「そこまでだ。お譲ちゃん。動くと綺麗な顔が血で染まるぜ?」

 イリスは静かに構えを解いた。前方から両手を頭に上げた探貞が出てきた背後に拳銃を構えるマフィアがいる事がわかる。

「男の方もそれなりにいい顔だが、女の方はかなりのものだな。殺してしまうのはもったいない。少し楽しんでからバラさせてもらうか………」

 マフィアの男は拳銃をイリスの首に突きつけたまま、顔を彼女の耳に近寄せ、匂いを嗅ぐ。

「最低だな」
「黙れ!」

 探貞が言うと、彼の背後にいるマフィアが叫んだ。

「まぁ、貴様は目の前でこの女が悲痛の叫びを上げる姿を眺めているがいいさ」

 男が不気味な笑いを浮かべて言う。イリスも、探貞が人質に取られ、反撃を出来ずにいる。
 そして、男の手がイリスの胸に触れた時、探貞の背後にいるマフィアが叫び声をあげた。

「あ、兄貴! ま、前!」
「あん? ………なっ!」

 振り向いた男も驚いた。いや、探貞も驚いていた。予想はしていたが、目の前に現れるとは思っていなかった。

「「か、怪物だぁあぁあああ!」」

 二人のマフィアが驚きの叫び声を上げ、拳銃がイリスの首筋から離れた瞬間、イリスは裏拳を男にくらわせる。
 しかし、振り向いたイリスも思わずその動きを止めた。

「………大蛇だな。しかも、巨大な大蛇だ」

 探貞も驚きつつだが、冷静に怪物を分析する。
 怪物は10m以上ある大蛇であった。

「く、来るなぁ!」

 マフィアが怪物に発砲する。しかし、血を流し、呻き声を出したものの、怪物の闘争心を燃やし、逆にマフィアに向って襲いかかった。

「今の内に行こう。………今は何もできない」
「そうね」

 探貞とイリスは怪物を戦うマフィアを残し、地下道を後にした。






 

「あのマフィア達、食べられたかな?」
「わからない。でも、これではっきりした事がある。怪物はいる。そして、マフィアが私達を狙っており、なぜかこのトルーマン物産の付近ではなく、丁度ビルと倉庫の真ん中に近い位置で本格的に近づいてきた」

 探貞はトルーマン物産の地下倉庫の中を歩きながら言った。

「気がついてたの? あの時に彼らが動こうとしていた事に」
「私はそこまでわかりません。でも、イリスさんが、それまではなんとなく後ろに対して気をかけていた程度だったのに、尾行について話をする直前から急に後ろを気にし始めたので」
「なるほどね」

 イリスが納得した様子で答えたら、二人の足は止まった。丁度、地下倉庫の奥に到着したのだ。
 地下道への入り口は硬く閉ざされている。

「とりあえず、地下道への入り口は確認できたけど、先の様子は確認できないね。………でも、どうやらこの扉は開けられていたようだけど」
「なんで?」

 イリスが聞くと、探貞は黙って扉横を指差した。横に滑らせる型式の大型の鉄扉が重なる壁には、汚れている所と汚れが少ない所で綺麗に分かれている。

「成程ね。汚れていないのは、長い間扉が開いていた証拠ってことね」

 探貞は頷いた。そして、倉庫の天井を指差した。天井に接する程に積まれた荷物とは違う場所に長方形のあまり汚れていない天井がある。

「どうやらこの倉庫の内装を大きく変えたらしい」
「理由があるみたいね」
「そういう事。警察の専門家が調べない限り、証拠を見つける事は難しいだろう。それよりも、なぜそれほどの事をしたのか、それの方が私は気になります」
「大蛇?」
「さぁね。さて、行きましょうか」

 探貞は含むような言い方をし、二人は地下倉庫を後にした。
10/12ページ
スキ