『名探偵』第二の男
ニューヨーク市警警部のジュールが遅い昼食を終え、刑事部屋に戻った時、丁度電話がなった。
「おう、トゥルースか。どうした?」
彼が電話に出ると、相手は親友のトゥルースであった。今年33歳になる彼にとって、10歳近く年下のトゥルースはまだ青い若者であるが、親友と呼ぶに相応しい人間であることを彼は十分に知っている。彼の口調が実年齢よりも老けた印象を与える事も、歳の差を感じさせる要因の一つといえる。
『一つ依頼が舞い込んでね。ジュールにも協力してほしい。……ギケーに直接迫れる可能性の高い依頼だ、頼む』
「ちょっと待ってろ。通話記録を停止する」
ジュールは裁判の証拠に利用できる様に電話機に接続されている自動録音機の録音を切った。親友の探偵としての守秘義務を尊重しての行動だ。しかし、彼の大きなお腹が引っかかり、腰を椅子から上げないといけないので、大変だ。
「よっこいしょ。……いいぞ」
『少しはダイエットをした方がいいぞ? 今時、黒人で腹が出ているってのは、三流映画の像だ』
「わしの腹はいいんだ。早く話をしろ。でないと、市警に出頭して、記録係の前で調書を取らせるぞ?」
『わかったよ』
トゥルースは簡潔にイリスの事情と依頼の内容について説明した。ジュールを信用して、殺し屋見習いであることも全て説明する。
「概ねの事情は理解した。依頼人の安全の保証と、立ち入り捜査をする段取りを考えよう。大丈夫だ。これでも30代前半で警部になったエリートだ。………今晩、事務所に行く。詳しくはその時、話を聞かせてくれ」
『わかった。よろしく頼む』
ジュールが電話を切るのを確認すると、若い新人刑事が彼の元へとやってきた。
「警部。発砲事件です」
「発砲事件?」
ジュールが聞き返すと、若い刑事は手帳を見ながら答える。
「はい。大通りから少し外れた路地で撃ち合いです。どうやらマフィアの撃ち合いの様ですが………」
「どこのマフィアだ?」
「さぁ? 警官が駆け付けた時は、誰もいなかったそうですが………。あっ、確か正体不明の化学物質の結晶が発見されたそうです」
「そうか。死傷者がいない様なら、現場検証と周囲の聞き込みをしたら報告書をまとめておいてくれ。その状況では、組織の特定も難しいだろう」
「はぁ……でも、そんなことをする組織なんて、ゲー……」
ジュールは眼光を光らせて、刑事の口を塞ぐ。
「馬鹿者が。あそこの名前を下手に出すな。ここの関係者にも、内通者がいる可能性が高い。薬を嫌う組織だからといって甘く見ていると、警察関係者であっても命の保証はできない。気をつけろ!」
ジュールの凄みに、彼は首が音を立てる程に何度も頷いた。全ては彼の経験に基づくアドバイスである。
1年前、ニューヨーク市警に異動になったばかりのジュールは、慣れないニューヨークで事件に追われる日々を過ごしていた。
当時、彼はニューヨークに暗躍する巨大マフィア、ゲーン一家ではないかと考えられる事件を捜査していたが、それを察知したゲーン一家からの嫌がらせが続いていた。
「おい! コーヒー!」
ある晩、ジュールが通りを歩いていると、明らかに黒人を罵倒する言葉で声をかけられた。振り向くと、突然若い二人の白人の男に、路地へ連れて行かれた。暴行の王道とも言える、腹、背中、足、腕に蹴りを男達は浴びせる。
「警部さんよ! 理由はわかっているだろ?」
「おとなしくしてれば、良いのに!」
二人の男は、ジュールを蹴りながら、嘲笑の混じる声で言った。彼は頭を抱えて地面に倒れるしかなかった。
しかし、突然蹴りが止んだ。そして、男の悲鳴が聞こえた。
ジュールが顔を見上げると、黒いコートを着たまるで映画のハードボイルドのような若い男が、男の右腕を捻り上げていた。
暗がりに見えるハードボイルドの顔は、意外にも男達よりも遥かに幼い顔であった。
「ゲーン一家だな?」
彼は男の腕を捻理ながら聞いた。
「何ぃ? てめぇ………何者だ?」
苦痛で顔を歪めながら男は彼に向かって言った。彼は口元を上げると、名乗る。
「ん? オレか? “真実(truth)”だ」
「真実さんよ! こいつは嘘をつかねぇぜ!」
声のした方向を見ると、もう一人が銃を彼に向むけて構えていた。しかし、彼は全く動じない。
「やれやれ。下っ端はこれだから困る。ギケーならもう少し利口な事を考えるぞ」
「てめぇ! ギケー様を呼び捨てで! 早くそいつを離して地面に横になれ!」
男はそう言い、彼の頭部に銃をつきつけた。
「まったく、浅はかだな」
彼は、目にも留まらぬ早業で捻り上げていた男を銃の持つ男に向かって投げた。銃口が頭部から逸れたのを確認すると、彼は男達に向かって、それぞれに銃を突きつけた。
彼らへ足を踏み出した一瞬の間に、懐からリボルバーの装飾銃とマグナムの二丁の拳銃を引き抜き、男達にそれぞれ突きつけたのである。
「てめぇ………何者だ」
「言っただろ? 私立探偵のトゥルースだ。トゥルース・ゲーン・テリーだよ」
「げ、ゲーン!」
「まさか、あのボスの孫の!」
二人は震えながら言った。
「ダーンッ!」
「「わわっ!」」
トゥルースが口で銃声を真似ると、男達は悲鳴を上げて逃げていった。
「大丈夫か? おっさん? ………ゲーン一家に何したんだ?」
トゥルースは笑いながら、傷だらけのわしを起こすと聞いた。
「すまない………。君は探偵なのか? わしはニューヨーク市警のジュール・マーフィー警部だ」
「警部さんか。成程、最近ニューヨーク市警がゲーン一家を捜査して、ゲーン一家から報復らしき事をしていると聞いていたが、かなり陰湿だな」
「君は一体何者なんだ?」
「警察よりもギケーの悪事を暴きたく、ゲーン一家に詳しいただの私立探偵ですよ。………手当てをしましょう。オレの事務所が近くなので、案内しましょう」
それが、二人の出会いであった。
その後、トゥルースはジュールを事務所のアパートメントに上げ、手当てをした後、ヘレンを紹介したのだった。彼らから聞いたゲーン一家の話は、ジュールのその後の捜査に非常に役に立った。
事件後、ジュールはちょくちょくトゥルースの事務所を訪ねるようになり、トゥルースとは公私ともに親しく付き合うようになった。1年経った今では、トゥルースとは歳の離れた親友であり、ゲーン一家関連の事件では非常に力になる協力者でもある。
「やはり、ゲーン一家が行動を起こすとすれば、今夜だろうな」
探偵事務所に来て、改めて状況を聞いたジュールは、ヘレンの出したホットココアを飲むと言った。
自分の椅子に座るトゥルースは、机に空になったカップを置くと、イリスに告げる。
「そうなれば、待つしかないな。イリス、君は部屋に隠れていてくれ。恐らく、長丁場だ。交代で晩をしよう。ヘレン、ジュール、オレ、この順番で見張ろう。ジュール、車を借りるぞ?」
「あぁ。いいぜ」
トゥルースがジュールを見ると、彼は二つ返事で承諾した。長い夜の始まりである。
灯りを落とした事務所の時計が午前0時を告げる。上着掛けからトゥルースはコートを取ると、黒のノースリーブの上に羽織る。夏が近いとは言え、夜はまだ寒い。外に出ると、通気性のいい夏用のコートでは、少し肌寒かった。
事務所の前に路上駐車された車の隙間を通り、反対車線に路上駐車したジュールの車にトゥルースは駆け寄る。
「戻って休んでくれ」
車の運転席のドアを開けると、そこにいるジュールにトゥルースは告げた。
「もう、0時か」
「あぁ」
「そうさせて貰うよ。………ひとつ確認だが、あのお嬢ちゃんはまだ誰も殺していないんだよな?」
車から大きな体を揺さぶりながらジュールは降りると、トゥルースの目を見つめて確認する。沈み込んでいた車が元に戻る。
「あぁ。大丈夫だ。あの目は信じられる。もっとも、どうにもまだ何かを隠しているような感じはするがな」
「ほう。それは探偵の勘という奴か?」
「さあな。だが、何かはわからないが彼女には不思議な感じがするんだ」
トゥルースはコートのポケットから細い葉巻を取り出した。
そして、彼はジュールの車に寄りかかると、手馴れた様子で、カッターで片口を切り、ライターでゆっくりと炙る。香りを十分に味わいながら葉巻を咥える。周囲に甘い葉とココアの香りが広がる。
「おいおい。路上で葉巻を吸うなよ。仮にも警察の前だぞ」
至福の顔で葉巻を味わうトゥルースに、呆れた顔でジュールが言った。
「成人はしてる」
彼は煙を吐きながら、呆けた声で言った。
「何を言っているんだ。全く、二十歳そこそこの若造が重度の葉巻愛好家とは。………世の中、禁煙が騒がれ始めているんだぞ?」
「世間に逆らうのが好きでね」
「何がだ。酒好きのヘビースモーカーが!」
「ハードボイルドは昔からそういうものだ」
葉巻を口から離すと、トゥルースはジュールに抗議する。
「だが、お前さんはハードボイルドと違って恋愛は無器用のようだがな」
「え?」
「お嬢ちゃんはお前だけが頼りだ。守り抜けよ!」
それだけ言うと、ジュールは彼の肩をポンと叩き、アパートメントに歩いていった。
「あの親父、絶対に勘違いしてるな。………!」
車の横に人の気配を感じたトゥルースは葉巻を咥え、右手を銃に添えた。マグナムを抜き取ると同時に振り返った。
「へ?」
バズーカ砲と機関銃と自動小銃の銃口がズラッと目の前に並べられていた。
「お前ら、気合入れすぎ……!」
トゥルースがゲーン一家の構成員9人に言った直後、背後に回っていた一人に思いっきり後頭部を殴られ、彼はその場に倒れた。
「トゥルース?」
ふと、ジュールは事務所の扉を開ける前に、窓から外を見ると車を見た。トゥルースの姿がない。
「トゥルース?」
ジュールは階段を下りると、車に向かって歩いていく。トゥルースは車の横に倒れていた。
「大丈夫か! おい!」
「………うぅ」
彼の意識はあった。トゥルースは後頭部を殴られたらしく、コブが出来ている。
「こ、こんなの、かすり傷だ。…………それより、イリスだ! イリスを!」
「あぁ! わかった!」
ジュールは携帯電話で、警察に連絡し、応援を呼ぶと、部屋へ向かって走った。後ろでは、トゥルースが後頭部を押さえながら、歩いている。
「「!」」
突然ガラスの割れた音がアパートメント内に響いた。
ジュールは階段を駆け上がった。事務所のドアノブが破壊されていた。
「ヤァー!」
「ハッ!」
室内からイリスとヘレンと思われる声が聞こえる。
「おい!」
ジュールがドアを勢いよく開け、室内に入った。
しかし、その刹那、ゴンッ! という音と共に、彼の顔面を何かで殴られ、彼はその場に倒れた。
トゥルースは後頭部を押さえながら、階段を上りきった。事務所の扉の前にジュールが鼻血を出して倒れている。
「ジュール?」
近寄ると、ただの気絶であるとわかった。
「イリス!」
トゥルースは装飾銃を抜き、二丁拳銃で構えると、室内に飛び込んだ。
刹那、一番奥の部屋が吹っ飛んだ。バズーカ砲によって吹っ飛ばしたのだ。
爆風にトゥルースの体もソファーの上に飛ばされる。
「痛っ!」
ソファーがクッションになり、怪我をせずに済んだが、後頭部の痛みが悪化した。トゥルースは、吹き飛ばされた部屋に歩いていく。
「ヘレン!」
「うぅ……。私よりも、イリスさんを………」
煙った室内に入ると、壁に倒れこんでいたヘレンが目に飛び込んだ。爆風で吹き飛ばされたらしく、全身が傷だらけではあるが、重症は負っていない。
トゥルースはヘレンから離れ、原形を全く留めていない窓に駆け寄る。
車のエンジン音が下から聞こえ、音の元を見る。丁度黒い車がイリスを連れ去るところだった。賊は窓を破壊して強行策でイリスを連れ去ったのだ。
彼は思わず、そこから外へ飛び降りた。地上三階は流石に高かった。路上駐車された車の上に飛び降り、天井を大きく凹ませ、自身もボンネットを転がり、地面に倒れこんだ。
しかし、トゥルースは素早く体を起こすと、走り去ろうとする黒い車に向かって右手のマグナムを発砲した。
後頭部強打や三階からの投身などの無茶が影響し、両手で銃を構えても狙いが定まらない。一発は車のナンバープレートに当たったが、他は外れた。
「イリスゥゥゥー!」
叫び声を上げ、放った最後の一発が遂に車の右後輪に命中した。
しかし、車は火花を散らしながら走り去ってしまった。
後を追おうとするトゥルースだが、体が動かず、その場に膝をついてしまった。
包帯を手足、頭部に巻いた姿のヘレンは、滅茶苦茶になった室内の倒れたタンスの上に座る。
「トゥルースさん…………」
彼女は右手に持った氷枕で後頭部を冷やす、全身絆創膏だらけのトゥルースに話しかけた。黙って俯いている彼が落ち込んでいる事は誰が見ても明らかである。
「まぁ。なんだ、生きているんだから。まだ諦めることはないんじゃないか?」
トゥルースを慰めるジュール。その鼻には鼻血を止めるために紙を入れて、右手には氷枕を持って額を冷やしている。
その周囲をジュールが呼んだ警官達が忙しそうに歩きまわっている。
「警部!」
若い刑事がジュールに駆け寄ってきた。
「どうした?」
「トゥルース君の記憶していたナンバーと一致する車両を発見しました!」
トゥルースの肩がピクッと動いた。彼の動きに気がついたジュールは刑事に聞く。
「どこだ?」
「港の倉庫地域です」
「わかった。人質の危険もある。十分に離れて待機する様に伝えろ」
「了解!」
刑事は返事をすると、事務所から出て行った。
「……で、これからどうする? まさか本当に諦めちまうのか?」
ジュールは再度トゥルースに話しかけた。
突然、トゥルースは後頭部を冷やすのをやめ、立ち上がる。
「依頼は、まだ完了していない! そして、ゲーン一家との戦いもまだ終わってはいない!」
そう言うトゥルースの目は戦う獣の様に闘志に燃えていた。