『名探偵』第二の男
「はぁ~」
アラン・ホワイトはため息を吐いた。
周囲は薄暗く、広い地下倉庫。そのスペースを、様々な箱が埋めている。
「はぁ~」
再びアランはため息を吐いた。自分の不運に対する呆れが募る。
広く薄暗い箱ばかりの倉庫に何故自分一人が孤独にいなければならないか。そもそも運転手をしている自分が何故地下にいなければならないのか。彼にできる事は自分の不運を恨む事だけであった。
「鍵を忘れたのは本当にバカだな」
いつの間にか彼は独り言を呟いていた。
彼は地下倉庫を管理するトルーマン物産のトラック運転手である。古い地下道を利用した地下倉庫は、地上から通常使用する車両出入り口が一つしかなく、鍵を使わなければ中からも外からも開かない構造になっている。鍵を忘れたアランは、地下道からの車両出入り口を空けて、わざわざ車を地下に回さなければならないのだ。
「せめて到着が早ければなぁ」
アランは腕時計を見て呟く。時刻は既に深夜2時を回っていた。0時以前ならば、他の人間がいた可能性もあったのだ。
「あれ?」
地下道側の車両出入り口の扉が開いていたのだ。全開ではなかった。2m程度だ。
彼の脳裏に、最近ネズミの被害があるという話があることを思い出した。
「一体いつから開けたままだったんだ?」
呆れたアランは、独り言を呟きつつ扉を開いた。
その時、闇に包まれた地下道の先にある巨大な目と視線があった。決してネズミではなかった。遥かに大きい何かが、闇の中で蠢いていた。
そして、それは近づいてきた。
「怪物だぁあぁあああ!」
刹那、アランは叫びながら、逃げ出した。彼はそれを見てしまったのだ。
その後、マンハッタンの地下に怪物がいるという都市伝説が再び囁かれ始めた。
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「いらっしゃいませ」
昭文町の高級住宅街の一角にある喫茶店『Q.E.D.』の戸が開くと、エプロンをつけたアルバイトの一ノ瀬九十九がコップを吹きながら、無愛想に挨拶をした。
「ももちゃん。接客業、向いてないわよ」
「大きなお世話だ。それから、俺の名前はももちゃんでなく、一ノ瀬九十九だ」
「へぇへぇ」
来客者は、店から程近いところにある昭文神社の娘で、九十九の同い年の幼馴染みである十文字三波であった。
巫女姿のままの彼女は、迷うことなくカウンター席に座る。
「水っ!」
「……コーヒーは?」
「いらない。お水をください!」
「おい、こら。ここは喫茶店だぞ」
「だって、迷さんいないじゃん」
「それは遠まわしに俺のコーヒーは飲めないってことか?」
「だって不味いじゃん」
平然と三波は言い放った。
しかし、それは誤りだ。店主の迷探貞がいる時に彼がいつも必ずコーヒーを自ら淹れているわけではなく、九十九が淹れていることも多分にある。そして、彼女も九十九が淹れたコーヒーをそれとは知らずに美味しいと飲んでいる。
つまりは先入観の問題なのだ。
「はぁ……。んで、仕事はサボりか?」
「なんでわかったのよ!」
「お前、いくらなんでもその格好を普段着と主張できるわけがないだろう?」
「メイド服で街を闊歩する娘だっているんだから、巫女服で闊歩する美女がいても不思議じゃないわよ!」
「本職の人間が正装をコスプレと主張するなよ。大体、最初の返答で語りに落ちてるんだぞ?」
「うっ……。流石は怪盗兼探偵助手ね。見事に論破されたわ!」
「いや、一般人の意見だ」
冷たい視線で言った九十九はコップに水道水を入れて、三波に渡した。氷も入れない。
それを意に介さず、彼女はコップを掴んで水を一気飲みした。
「やっぱり日本の水は美味しいわね!」
「仕事しろよ」
「だって、迷さんがアールを連れてっちゃったから、仕事になんないのよ」
三波は気だるそうにカウンターに突っ伏す。
「巫女の仕事に宇宙人が必要不可欠なんて始めて聞いた」
「昭文神社はそうなのよ。困った時やトラブルが起きた時に、アールがひみつ道具で助けてくれるのよ。だから、これまで昭文神社は潰れずに済んでいるのよ」
「……世間一般の神社も巫女の仕事も、四次元ポケットから出てきそうな宇宙人のひみつ道具なしで危機に陥るような事態に見舞われないと思うぞ」
「だから、昭文神社ではそうなのよ。今朝も賽銭泥棒のカラスを捕まえようとしたら拝殿の鈴が落下して賽銭箱一つが壊れたし、昨日はウェイクボードが参道の階段から滑り落ちて、地面に突き刺さってちょっとしたエクスカリバーになったし」
「なんでウェイクボード?」
「事故が続いたからお炊き上げるつもりだったらしいわ。でも、ありゃ持ち主に原因があるわね。私のくしゃみに驚いたくらいでアレじゃ」
「……アールがいないと困るんじゃなくて、お前がいなくなれば神社は平和になるんじゃないか?」
嘆息して顔を引きつらせながら言う九十九に対して、三波は顔を左右に振る。
「巫女がいない神社なんて、紅ショウガのない焼きそばくらい味気ないわよ!」
「さっさと仕事に戻れ!」
九十九は探貞に心の底から早く帰ってきてほしいと願った。
一週間前、作家の関口亮が久しぶりに探貞を訪ねてきた。
その用件は、探貞に映画の監修の依頼であった。アメリカで撮影を行う映画に探偵役が登場し、ミステリー要素がある為、探貞にその監修を依頼したいというのだ。
相変わらず、関口は何か含みのある物言いをし、探貞はそれを警戒して、その申し出を一度は断った。
しかし、その夜、店の看板をしまおうとする探貞を第二の人生を生きる未来人の七尾北斗と雪だるま型宇宙人のアールが訪ねてきた。
七尾は現在コンサルタント業を営んでいる。
「二人が顔をそろえて来るなんて珍しいですね。アール、三波ちゃんは?」
「夕飯を食べてるだろうよ」
「そうか」
店を閉めた後、店内のテーブル席に探貞、アール、七尾が座った。
七尾は懐から写真を一枚取り出し、テーブルの上に置いた。
「このご老人は?」
「テリー財団の総帥。ギケー・ゲーン・テリーだ。もっとも、テリー財団とは表向きの名で、その正体はゲーン一家というマフィアだ」
探貞の質問に七尾は答える。
「マフィア。……そのマフィアが、未来に起こる史上最悪の事件に関わるのか?」
「経緯は俺も知らないが、このギケーの子孫が我がコスモスとも、666とも敵対関係にある第三勢力の中心人物になる。つまり、『名探偵』と灼熱の不死鳥の仲間に当たる」
「つまり、僕にとっては味方?」
「わからない。お前の死した後の世代だ。この男が敵か味方かはわからない。しかし、テリー家には代々受け継がれる装飾銃がある。chaoticだ」
「それをどうするつもりだ?」
「可能であれば破壊する。しかし、それがどこにあるのかわからない。探すのを手伝ってくれ」
「アールは?」
「一緒に行くに決まってるでぇ! 久しぶりにまともなchaoticの情報が入ったんでぇ! オイラが興味を持たない訳がねぇ!」
探貞が聞くと、アールは腕を捲るような仕草をしながら意気込みを語る。
「なるほど。そして、手伝うということは、七尾先輩も一緒にニューヨークへ?」
「肯定だ。すでにコンサルタントの仕事を現地の運送会社に入れている。同業者に行方不明者も出ているらしく、労務環境に不安が業界内にも広がっているみたいだ。何かしらの情報を得られるかもしれない」
「わかりました。関口さんの話をお請けしてニューヨークへ行きましょう」
そして、一週間後、探貞はアール、七尾と共に関口の待つアメリカ合衆国のニューヨークへ渡った。
「おはよう。昨夜は眠れた?」
「時差ボケで、2時間くらいかな」
ニューヨーク州マンハッタンの港の一角、朝霧の中、男が女に話しかけると、少し距離を置いて彼女は答えた。
「途中で寝るんじゃないわよ?」
「わかっているよ」
彼女の言葉に笑みを浮かべつつ彼は答えた。
「カーット!」
刹那、静けさに響いた監督の声と共に一気にスタッフが現れた。そして、役者である彼らは休憩に入り、スタッフ達は次のテイクに備える。
「さて、台詞はいいんだが、何か物足りないなぁ。……迷さん、名探偵は今のをどう見ますか?」
映画の原作、脚本である関口が監督と今の映像を確認しながら、自分の隣に呼び寄せた探貞に聞いた。
「私は監修でここ、ニューヨークにいるのでは?」
「そうだった。では、迷監修は今のをどう思いますか?」
関口が言い直すと、日本の名探偵であり、映画の監修を務める探貞は答えた。
「次章以降の台本を知らないので、あくまでも推測ですが、主役の大神さんは何らを隠している。そして、それを隠す覚悟を決めているのでしょう。恐らく、2年前に何か彼は重大な秘密を抱えて、その秘密を隠す為に、麻倉さんの演ずるヒロインと離婚した。また、それは彼の現職に少なからず関わりを持つ。だから、島での会話で相手の来訪の真意を探った。……そう考えると、今のシーンのやり取りの意味が生まれる」
「………」
「もう少し大神さんは覚悟故の後ろめたさを演技に入れた方がいいかもしれません」
探貞は関口に答えながら、日本で特撮からディープなサスペンスものまで手掛ける実力派と評される今作の監督を見た。
主人公の学者役を演じる俳優の大神一生は、彼自身も大学院卒の生物学者であり、その甘いフェイスを活かして色気漂うアダルトな役からユーモラスな三枚目の役まで幅広くこなす近年舞台だけでなく、テレビドラマでも見る機会が増えてきている。
一方、ヒロイン役の麻倉優子はグラビアアイドルとしても一時期活躍し、低身長ながらも巨乳であり、かつバラエティー番組で発揮されたサド気質な姉御肌の性格が男性ファンのみならず、コアな女性ファンも多く獲得し、ドラマやコマーシャルでの活躍が近年更に増えているマルチなタレントだ。そして、探貞と関口とは、かつてペンションで起きた殺人事件に共に遭遇しており、今回のヒロイン役も関口からの口添えがあったらしい。
また、今回の映画は、日本の大手映画製作会社がかつてシリーズ化していた怪獣映画の新作としているものの、原作脚本を書いたのが関口である為か、これまでの娯楽作品とは異なり、探偵やスパイが主人公となっている。全四部作を予定しているストーリーもアメリカのニューヨーク、ヨーロッパ、中国、日本と世界中を舞台にして怪獣が暴れまわる中、その怪獣を利用して目的を果たそうとするテロ組織や悪の秘密結社と主人公達が戦いながら展開されるものとなっている。テロ組織は流石に本人を雇うことができなかったらしいが、マフィアのボスは本物を雇ったという今の映画氷河期には信じがたい黄金期並の本物志向への拘りだ。つまり、そのボスがゲーン一家のボスなのだ。
そして、現在はその第一部のニューヨークでの撮影をしており、もう一人の主人公が探偵で、ハリウッドで活躍している白人アクション俳優が演じる。関口が日本の探偵像を意識した役作りをすることに拘り、その役者も本物志向で監修を強く望んだ結果、探貞はこの現場に立ち会っている。
探貞の意見を聞いた監督は、溜め息をついた。
「全く、関口さんが君を監修に選んだのは大正解だったよ! ……大神君をこっちに呼んでくれ!」
監督はスタッフに声をかけた。しかし、彼はそれを無視し、彼はテントに向かって歩いていく。
「なんだ、あの態度は。発音が間違っていたかな?」
監督は頭を掻く。撮影隊以外のスタッフは、現地の映画会社が雇った人間である為、英語の発音が悪いと相手に伝わらない事がたまにあるのだ。
「………あのスタッフが向かっている先にあるテントにいるのは誰ですか?」
探貞は押し殺した様な声で関口に聞いた。
「確か………ゲーン氏だったかな。例の本物のマフィアのボスの」
「まずい!」
探貞は言うや否や走った。彼に気が付いたスタッフは、舌打ちをすると左脇から拳銃を取り出し、発砲した。消音装置が付いていた為、発砲音はない。しかし、とっさに物陰に隠れる探貞の動きと、銃を構えるスタッフに気が付いた周りのスタッフ達が騒ぎ、混乱が起こった。
スタッフは銃を構えたまま、逃げ出した。
すぐに探貞は追いかけようとするが、目の前に置かれた小道具箱に気が付き、足を止めてその中を漁った。
一方、スタッフは撮影現場をまもなく脱しようとしていた。
その時、彼の前に黒いロングコートを着た青年が立っていた。
「どけー!」
彼は叫ぶと、青年に銃を構えた。しかし、彼は微動だにしない。
刹那、スタッフは引き金を引いた。同時に、発砲音が響いた。
そして、スタッフはその場に倒れた。
それを青年はマグナムを片手に驚いた様子で見ていた。
一方、煙の出ている小道具の照明弾を構えた探貞も同じく驚いていた。
まもなく、通報を受けた警察が駆けつけてきた。