『名探偵』第二の男


─Prologue


 当時12歳のトゥルースは、恐らく人生で最も幸せな時間を過ごしていた。
 その幸せを崩壊させる悪魔の影が、近付いている事に気づくことなく。
 その日、彼はニューヨーク州の田舎にある別荘に両親と母親の連れ子の義姉の家族4人で泊まりがけの旅行にでかけていた。
 父親のブルース・ゲーン・テリーは、アメリカ合衆国内外でも名の知れたテリー財団の若き総帥だ。祖父の代までテリー財団には、老舗マフィアというもう一つの顔があったが、ブルースの代でテリー財団のみの経営に転換させた。
 そして、母、泉とアメリカ合衆国生まれの義姉、ミスティー・ミズキ・テリーは、生粋の日本人だ。
 つまり、トゥルースは金髪青眼と白人寄りの顔立ちだが日本人とのハーフなのだ。

「トゥルース、料理が出来たわよ」

 子ども部屋にいたトゥルースを母は呼んだ。

「はーい」

 彼は返事をすると、ダイニングに向かった。テーブルの上には四人分の料理が並んでいた。

「今日は私の故郷の料理にしてみたわ。さっ、トゥルースは手を洗ってきて。ミズキはお皿を並べて」

 泉は食卓に着こうとする彼らに言った。
 名を呼ばれたミヅキは、素直に母の手伝いをする。

「この料理は何?」

 トゥルースが、皿に盛られている黒い麺を見て母に聞くと、彼女は笑顔で答える。

「蕎麦というのよ。日本の代表的な料理の一つなの」
「へぇー」
「ほら、トゥルース。早く手を洗って来なさい」

 ダイニングに入ってきたブルースが、トゥルースに言った。
 彼は言われた通り、部屋を出ると手を洗いに行った。
 そして、そのまま彼は家の外に出た。外にあるトイレにも行きたかったのだ。
 しかしその時、彼は家に近付く影があった事に気づかなかった。

「ふー。………あぁ、手を洗わなきゃ」

 トイレから出た彼は、外にある流しで手を洗おうとした。
 それはその一瞬の出来事だった。
 突如、爆音と共に家の窓が吹き飛んだ。
 訳もわからぬまま、彼はその場に尻餅をついた。
 割れた窓からは炎が出ている。
 炎は空を目指して燃え上がっていた。

「はっ!」

 我に返り、家族のいる別荘が爆発した事実に気が付いた彼は、慌てて家族を呼びかける。

「父さぁーん! ……母さぁーん! ……姉さぁーん!」

 しかし、彼の呼びかけに誰も応える事はなく、別荘の家屋は非情にも燃えていく。
 炎の勢いは治まる事なく、より烈しく燃え上がる。
 彼は燃えていく家屋をただ眺めるしかなかった。
 煤の被った顔に涙が流れた。涙を拭うと手は黒くなった。その手を照らす明かりは、家屋と家族を燃やす炎だった。

「トゥルース。トゥルース・ゲーン・テリーよ。我が孫よ。泣くでない」

 泣いている彼の後ろに、いつのまにか老人が立っていた。老人は彼に言った。
 彼が振り向くと、その老人が自分の祖父であることに気付いた。そして、彼の腕の中には火傷を負ったミヅキが眠っていた。その瞬間、目の前で起きている惨状の全てを彼は悟った。
 祖父の名は、ギケー・ゲーン・テリー。テリー財団の元総帥であり、総帥を退いた隠居の今もニューヨークの老舗マフィア"ゲーン一家"のボスであり続ける男だった。

「姉さん! その手を離せ……!」

 彼はギケーを睨み、声を搾り出した。
 トゥルースが姉をギケーから奪い返すことはできず、ただ睨むことしかできない。それは彼の本能が行動をすることにブレーキをかけているかのようだ。正に、蛇に睨まれた蛙の状態であった。
 ギケーは、そんな無力な少年に平然と答える。

「知らないな。わしは貴様の父に呼ばれてここへ来たら、爆発を目撃した。この娘はここに倒れておった。それとも、貴様はわしがこの建物に火を放った所を見たのか? この娘を中から連れ出した所を見たのか?」
「………」

 彼は何も言い返せない。犯行の瞬間を見てはいない。証拠は、ない。

「ここは危ない。行くぞ」

 ギケーは彼を促した。その一言で彼の怒りは頂点に達した。

「なにを! 父さんと母さんがまだ中に!」

 彼はギケーに叫んだ。

「ふん。あの炎、生きていたら外に逃げている。この娘のようにな」
「しかし!」
「では、貴様はあの炎の中に飛び込めるか?」

 ギケーは言った。彼は勢いよく燃え盛る炎に包まれた別荘を見た。

「あぁ! 飛び込んでやる!」
「確かに飛び込む事は赤子でも出来る。しかし、貴様はそれだけでなく、両親と共に助け出すのだぞ。生きているかもわからない自らよりも大きい、大人二人を連れ出せるのか? それとも、どちらか一人だけを助けるか? ふん! 一人だって今の貴様には無理じゃ!」

 ギケーは幼いトゥルースを見下して言った。
 しかし、ギケーの言う事は事実だ。彼の抱える小柄なミヅキですら、春で15歳だ。彼女ですら、トゥルースは抱えられる身の丈ではない。大人二人を抱えるということは不可能だった。
 そして、ギケーは60歳過ぎだが、幼い彼が敵う筈もない。
 彼はただ怒る事しかできなかった。
 建物は無情にも燃えていく。何もかも燃やしていく。
 建物と共に思い出も、家族も、全てをこの炎に奪われた。

「どうする? トゥルース・"ゲーン"・テリー! わしについてくるか? それとも姉共々、孤児として何もかもを失うか?」
「………」
「無言か。だが、いずれお前はオレを求めてくる。………消防には火を見た時に連絡した。勿論、ここへ来る途中に見て、車両電話でしたのだがな。警察にも連絡するように頼んでおいたぞ。なんせ、被害者はテリー財団総帥であり、そしてこのゲーン一家ボスの息子家族なのだからな。それと、この娘は病院に搬送させる。お前一人で好きなように行動をしても構わないが、その時はこの娘がどうなるか保証できないぞ。東洋人の若い娘は高く売れるらしいからな」

 ギケーは言うと、近くにある切株にミヅキを寄りかかるように横にさせ、自らもその切り株に座った。一方、彼は無気力に地面へ座り込んだ。
 彼にはすべてが理解できてしまった。ギケーはミヅキを助けたのではない。負傷した姉の命というトゥルースがギケーに対する抵抗を制し、その身柄を征する人質とする為に、ミヅキを保護したのだ。
 トゥルースは何もできなかった。無残に燃え崩れていく別荘を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。
 やがて、遠くからサイレンの音が近付いていた。
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