『名探偵』混沌の現




 椎名は手枷をロープでされ、飯沼が握り、連れていくことになった。
 他の面々も最低限の荷物を持って、ペンションを出発した。
 椎名が付け替えた糸の正しい色を伝え、一列になって森の中を進む。
 予定ではゆっくりと歩いても1時間程度で舗装された道路に繋がり、民家へ向かえる筈だという。
 慎重に滑りやすい地面を歩き、山を下っていく。
 時折、岩噛巳の足音や地響きが聞こえるが、離れている様だった。
 所々で土砂の崩れた箇所はあったものの、一時間半をかからずに彼らは舗装された道路に出ることができた。

「よかった。脱出できたんだわ」

 麻倉はアスファルトを踏み締めて笑顔をもらした。
 それに他の面々も顔が綻ぶ。
 周囲を見渡して、大体の現在位置がわかった。祠の先、民家が数件建っている場所の手前だった。

「このまま道なりに歩けば、撮影に協力してくれた犬山さんの家がある。もっとも、この辺りの家は全部犬山姓だけどな」

 関口は地図を片手に伝えた。一同に安堵の色が浮かぶ。
 そして、道なりに森の中を歩いていくが、次第にアスファルトに見覚えのない亀裂が見え始め、一同に嫌な予感が過り始める。
 まもなく道が開け、民家が数件見えるはずの場所に差し掛かり、その予感が的中していたことを理解した。
 民家は上から押し潰されたように全壊しており、電線や電話線を繋ぐ電柱も壊され、中には十メートル近く引き摺られて畑の真ん中に倒れている電柱もある。

「そんな、マジかよ!」

 榊原が叫んだ。他の皆も絶望の色が浮かんでいる。

「まだ、生き残った人がいるかもしれません! 諦めないで行ってみましょう!」

 麻倉が鼓舞した。

「そうだな。老人ばっかりで、その見込みは薄いかもしれないが、車が無事だったら集落まで行けるかもしれない」

 関口も彼なりのひねくれた言い方で賛同した。
 集落までは徒歩なら数時間とかかり、日没になる可能性すらあるが、車なら30分強で着ける筈だ。
 一同は順番に民家を回ることにした。



 


 

 太陽が傾き始めた頃、一同は道路に面した石造りの倉の入口に座っていた。
 家屋はすべて木造で全壊しており、それぞれの家屋から一、二名の遺体が発見された。恐らく全滅だ。
 頼りの車も、この地方は家の軒先に農具庫を兼ねた車庫を造る建築様式だったらしく、どれも何かしらが壊れており、榊原も専門外で修理をすぐにできるものではなかった。そもそも自動車はほとんどの世帯であまり運転していなかった様子だ。
 逆に無事であった車両もあった。とはいえ、自転車よりも遅いトラクターだ。歩くよりはマシでも積極的に選びたい選択肢ではなかった。

「どうする?」
「岩噛巳は今晩中に眠りにつく筈だ。一夜明かせば、朝には宅配の車も来る。もっとも安牌な選択は、ここに留まることだ」

 飯沼の言葉に関口が答えた。
 探貞も彼の見解に賛成だった。下手に動くよりも身の安全は確保しやすい。しかし、夜中の内に再び岩噛巳がここを襲撃すれば、命はない。そして、この寒さの中、運が悪ければ、命はない。
 日没まで後一時間くらいだ。時間はない。

「トラクターで逃げてみますか?」
「そうだな。……だが、この先に集落の手前にもう一つ峠がある。彼処が崩れていたら、いよいよ凍死の危険がある。……見ろよ。あっちの雲。ありゃ今夜、雪を降らせる。それに、流石に皆疲れている。いくら舗装されていても、山越えは危険だ」

 探貞の提案は関口が淡々と論破した。探貞も頷く。彼の意見は、限りなく現実的な可能性であった。

「せめて、ここに岩噛巳を近づかせないようにできれば、ここで暖をとって夜を越すことできそうですね」

 高田は言った。
 そうなのだと探貞も思った。実質数時間、長くても半日時間を稼げれば生存率はグッと上がる。
 思考も寒さで弱まってきた。探貞は思いつくことを口にしていた。

「椎名さん、土砂崩れを起こすために用意した爆弾、使えませんかね?」
「残念だけど、あれを隠したのはペンション近くの茂みの中よ。今から取りに戻るくらいなら、このまま進んだ方が堅実よ」
「いや、待てよ」

 椎名の言葉を聞いて、関口がふと顔をあげた。

「椎名さん、あんたの作った爆弾ってダイナマイトか?」
「ええ、ダイナマイトも。起爆装置として組み込んでいますが、メインはネットで購入した発破用の安い爆薬です。そもそも起動装置もネットで調べたもので、元々最終手段で考えていたので実験もしてませんが」
「アンホ爆薬だ。自爆テロで車の燃料と反応させて使われる安価な爆弾だ。そして、組成も安価だ。軽油と硝酸アンモニウムで作れる。電気式の雷管、所謂起爆装置では発破できないが、他の火薬の伝爆で発破できるものだ。……ここは農家だ。肥料用の硝酸アンモニウムがある筈だ。そして、トラクターの軽油もある。後は、ダイナマイトなんて使わなくてもいい、化学反応で爆発を起こすものなんて、農家にはたくさんある。塩ビ管と鉄パイプ、それと電線で起爆装置は作れる! 榊原、お前も起爆装置作りなら手伝えるだろ?」
「えぇ、多分」

 関口の気迫に気圧されながらも、榊原は頷く。
 そして、関口は椎名の拘束を解く。

「榊原と起爆装置を作れ。一度作ってるんだ、要領はわかるだろ? 雷管の爆薬は俺が調合する。連続殺人計画を練った頭があるんだ。怪獣一匹殺すなんて、大したことじゃねぇだろ?」
「ふふっ、私よりも犯罪に向いてそうね、関口さん」
「バカ言うな。作家ってのは、主人公や探偵に成れるだけじゃ務まらないんだよ。世界征服をする悪の権化の気持ちにも成りきれないと、作家業なんてできないんだよ」

 関口はニヤリと笑った。
 それからの動きは早かった。倒壊した家屋から必要な材料をかき集め、関口の主導で爆弾づくりが始まった。
 すでに壊滅した場所だ。わざわざ、発破実験まで行い、山に爆発の音がこだました。

「完璧だ。麻倉さん、あんたが化学に明るいのも驚きだったよ」
「私、アイドルですから!」

 どや顔で言う麻倉に、今更ではあるがマネージャーとして椎名が苦笑しながら、彼女が今こそ芸能活動の為、休学中だが、元々理系の有名私大に進学していた事実を話した。

「麻倉さんって、実年齢は幾つなんですか?」
「迷さん、アイドルの実年齢を知るのは死ぬことを意味するのよ? 椎名さんなら、今更迷さん一人くらいチョチョイのチョイなんですからね?」
「麻倉さん、それ笑えないジョークですよ……」

 感覚がきっと全員麻痺しているのだろう。
 連続殺人の真犯人を囲って、謎解きした探偵役にブラックジョークを言って笑ってしまうのだから、不謹慎極まりない。
 しかし、彼らにとって、もう殺人事件は過去の出来事となっていた。目の前の驚異、岩噛巳との直接対決に彼らはすべての意識を向けていた。
 そして、日没を迎え、倉の前に火をくべると、雪が降り始めた。足音が次第に近づいてくる。
 敵は岩石怪獣の岩噛巳。対するのは、探偵と作家、連続殺人の真犯人、アイドル、そしてディレクターとプロデューサー、音響スタッフ。作戦の目的は、倉の死守防衛と岩噛巳の撃退だ。






 

「来たぞ!」

 岩噛巳が谷合から姿を現し、飯沼が叫んだ。
 雪が薄く全身を覆い、歩く震動で時折雪がドサリと落ちている。
 次第にガリガリガリ、ガガガガガと独特の不気味で不快な騒音が大きくなり、地鳴りと揺れを伴って迫って来ている。

「恐らく岩噛巳は火に反応している! それから生半可な威嚇攻撃の類はかえって奴を怒らせるだけだ! やるなら、ギリギリまで近寄らせてから強烈な一撃を与えるしかない!」

 関口は倉の前に設営した、爆弾の起爆装置の前で叫んだ。
 彼の隣で探貞が問いかける。

「やけに詳しいですね?」
「こうなってしまったら白状するが、こいつを失敬していてね」

 関口は苦笑すると古文書と表するのが相応しい古い紙を束ねた書物を懐から取り出した。

「それって、例の絶えた地主の家にあった手記ですか?」
「まあな。……確かにくすねた物だけど、もう所有者のいないものだ。それに、内容は百年後の今、岩噛巳が目覚めた時に遺したメッセージだ。今、俺達が読まないでどうする?」
「でも、ここには岩噛巳と戦うなと書いてありますよ?」

 手記を受けとりパラパラと読んで探貞は呆れた顔で関口に言う。

「悲劇は繰り返されるのが人の歴史だ」
「全く。泥棒しておいて、何を偉そうに言ってるんですか! ……それよりも、迷さん。三番の点火地点にもうすぐ到着しますよ!」

 倉の中を物色して見つけた古い真ちゅう製の望遠鏡を倉の二階から覗き込んでいる麻倉が叫んだ。爆弾製作で余った塩ビ管を立て掛けて、連絡用の配管にしたのだ。やや声が籠っているが、互いの声がよく届いている。

「わかったよ! よし、カウントしてくれぇ!」
「来たわ! 5……4……あっ! 321! 今よ!」
「早ぇーよっ!」

 関口は文句を言いながら、慌てて三番の起爆装置を作動させた。と言っても、スイッチなどではない。断線した電線にトラクターから発電させた電流をスパークさせるだけだ。
 整備用の手袋を重ねて絶縁させているが、スパークさせた火花と衝撃で関口の体が仰け反る。
 刹那、岩噛巳の足の下で爆弾が爆発した。乾いた爆発音が山に響く。
 そして、岩噛巳の足元が崩れ、バランスを崩す。地下に走る農業用の排水路の地面を発破させたのだ。連鎖的に地面が陥没し、岩噛巳は右に傾く。

「いいぞ! やっぱりデカい奴には落とし穴が効果的だな!」
「だけど、この程度では余計に起こらせそうですよ?」
「構わねぇよ! 岩噛巳は突進ができるみたいだからな。この陥没で、足元は大分悪くなったはずだ。麻倉、次へ送れ!」

 探貞の言葉に関口は笑いながら答える。関口のテンションが明らかに上がっている。
 麻倉は、防災用なのか、夜間農作業用なのか、目的不明ながら倉の中で見つけた発動機と電灯を機動させ、強力な明かりを灯す。

「ちょっと! これ熱い! こんなところでずっと付けてたら火事になるわよ!」
「もう少し我慢してろ! こっちは雪の中で野ざらしなんだ! 熱いくらいで贅沢言うな!」
「だったら今すぐ替わりなさい!」
「無茶言うな!」

 関口と麻倉が口論している一方で、その眩い明かりを確認した椎名と高田の二人は、それぞれ同時に火を放ちながら反対向きに走り出した。
 地面には今、岩噛巳のいる場所を中心に円を描く様にガソリンを撒いている。火は勢いよく燃え広がり、二人が倉まで戻ってくる頃には岩噛巳を火炙りにする程の炎が上がっていた。

「よし、麻倉! 消していいぞ!」
「あちゃちゃちゃちゃー!」

 まるでカンフーでもしているかの様な声が聞こえ、ライトが消えた。
 見上げると、倉の窓から湯気が上がっている。

「関口さん、迷さん。アイドルにこの仕打ち、覚えておきなさいよ!」
「えっ! 僕まで?」
「共犯だ。観念しろ。……じゃ、発煙筒を点火させてくれ! 相棒!」

 肩をぽんとにやにやと笑う関口に叩かれた探貞は、嘆息して発煙筒を点火させた。
 瞬く間に赤い煙が立ち上る。

「第三攻撃、天国と地獄作戦開始だ!」
「………」

 関口が赤い煙の発煙筒を合図に拘っていた時に予想していたが、事前に聞いていない作戦名を耳にして探貞は発煙筒を持ちながら苦笑した。
 そして、これで投げ込まれるのがお札だったらどんなに良いかと、つい思ってしまい、探貞は再度嘆息した。
 煙を合図に、岩噛巳へと倒壊家屋の納屋から大量に発見されて、トラクターで運んだ小麦粉を詰めた袋がくくりつけられた炭酸飲料のペットボトルへ重曹入りの菓子を次々に落としていく。ペットボトルは次々にキャップ部分から破裂して、宙を飛び、岩噛巳の周囲に落下し、袋が破けて小麦粉が舞う。
 作戦遂行を担当した飯沼と榊原は、麻倉の炭酸飲料が似合いそうという理由で推薦されて選ばれた。
 最後のペットボトルロケットを飛ばすと、二人は慌てて倉へと逃げる。

「二人とも、もうすぐ作戦区域から脱するわ! 岩噛巳も動き始めてるわよ! さっさと二番を点火しちゃいなさい!」
「と、麻倉さんは言ってますが、あの作戦区域の設定、ただ目印になるカカシがあったからというものですよね? ……大丈夫ですか?」
「知らね。……点火っ!」

 探貞の心配を余所に、関口は再びスパークさせ、吹っ飛ぶ。岩噛巳よりも先に関口が死ぬのではないかと心配になるが、本人は全く気にしていない。
 刹那、陥没した地面から抜け出た岩噛巳の足元が再び爆発した。今度は小麦粉に連鎖し、粉塵爆発も起こる。
 爆風に飯沼と榊原が数メートル吹き飛び、田んぼの中に突っ込んだ。

「よし! これで退けばいいが………」

 爆炎の中、岩噛巳が倒れ、地面が揺れる。関口はその様子を見つめながら呟いた。最後の一番起爆装置が繋がれた爆弾は、彼らの最後の切り札だ。
 関口の命名では、消火器ミサイル。つまり、爆弾に結びつけた消火器を意図的に破裂させ、岩噛巳に直接打ち込み、ピンポイントで起爆させて岩噛巳に致命的な一撃を加える作戦だ。運に頼る所が大きい上、かなりの至近距離での実施が成功には求められる為、満場一致で使わずに終わらせたい作戦となった。
 しかし、岩噛巳はゆっくりと起き上がる。頭部の結晶体が淡く発光している。

「参ったな。……余計に怒らせたらしい」

 関口はポツリと呟いた。


 



 

「何、あれ! ヤバいんじゃない?」

 麻倉が倉の二階から駆け降りてきた。上着とシャツを脱ぎ、腰に巻いて、タンクトップ越しにグラビアアイドルらしい豊満な胸を揺らしている。
 思わずその姿に男性陣の目が釘付けになる。

「関口さん! 最終手段ですよ!」

 椎名がジロリと睨んで、ドスの効いた声で言った。やはりマネージャーとしての意識は健在らしい。
 関口が慌てて一番の消火器ミサイルの発射スイッチこと、消火器の底に釘を打ち込むボタンを押す。
 しかし、その直前に岩噛巳は両前足を上げ、地面に叩きつけた。土煙と共に、激しく地面が揺れ、設置していた消火器ミサイルは倒れた。当然、釘は空を刺し、不発に終わる。

「あ……」
「あ、じゃないわよ! 何やってるんですか!」
「だぁぁぁ! 麻倉! お前の乳のせいだ!」
「なっ! 何言ってんですか! このエロ親父! おっぱい星人が!」

 醜い言い争い、責任の擦り付け合いを始めた関口と麻倉だが、岩噛巳はそれを待ってはくれない。
 すでに眼前に岩噛巳の巨大な体が迫っている。

「畜生! こうなったら、迷君! 俺が消火器ごと岩噛巳の口の中に直接投げ込む! 起爆させてくれ!」

 関口が探貞の肩に手を置いて言い放つ。

「しかし、それって……」
「自爆はしないさ。投げ込んで、すぐに伏せれば助かる可能性は十分にある。もっとも、失敗する可能性も高いがな」
「しかし」

 探貞が言うと、関口の背後に立った椎名が彼をドンと押し倒した。
 関口は地面に倒れる。

「いてぇ!」
「関口さんは起爆担当でしょ。……私がやるわ!」
「椎名さん!」
「優子、強く生きるのよ!」

 椎名は麻倉に微笑むと、岩噛巳の足元に転がる消火器ミサイルに向かって走った。
 止める間も与えず、彼女は消火器ミサイルを抱えると、岩噛巳に向かった。
 岩噛巳も口を開けて、椎名に頭を突っ込んでくる。
 そして、椎名は飛び上がり、そのまま岩噛巳の口の中に飛び込んだ。

「椎名さーんっ!」
「関口さん!」
「畜生っ!」

 岩噛巳はそのまま彼らのいる倉に向かって突っ込んでくる。
 関口は叫び声を上げ、起爆装置をスパークさせた。
 刹那、岩噛巳の口の中で爆発が起こり、岩噛巳はその巨体を地面に倒れ、そのまま倉の手前に倒れた。
 探貞達は息を飲み、倉から離れる。
 やがて、岩噛巳はゆっくりと起き上がる。そして、口から煙を上げながら、倉とは反対の方角、山に向かって歩き出した。
 内部の自爆攻撃は強力な一撃だったらしい。
 恐る恐る一同は倉に戻り、岩噛巳の姿が見えなくなると、寝ずの番をしながら、山に響く岩を砕く音を聴きながら夜を明かした。
 そして、朝日が昇る頃、その音も聞こえなくなり、鳥のさえずりが聴こえてきて、戦いは終わりを告げた。




 

 

 約一ヶ月後、都内某区の葬祭場に探貞は訪れていた。
 本物の犬山康介の遺体がその後の警察の捜索によって発見され、検死を終え、葬儀が執り行われていた。
 ペンションでの連続殺人事件は、その後の警察の捜査によって、実行犯の“彼”の素性も明らかになり、椎名が送った犯行計画のメールの内容も明らかになったという。犬山康介、“彼”の殺害と殺人計画を行った椎名も爆死した為、検察は被疑者死亡とした。こうして事件は終わりを迎えた。
 一方、岩噛巳に関してはこの一ヶ月間、様々なメディアが取り上げ、自衛隊と警察による大規模な捜索も行われた。地中の音波探索や衛星による分析も行われたらしい。
 しかし、岩噛巳は発見されず、岩噛巳の存在を主張する高田と飯沼はメディア内部でも変人と言われ始め、一ヶ月が経つと遂に、連続殺人事件で精神が病んだのだと囁かれ、テレビ局は彼らを病院へ入院させたらしい。
 榊原はあまり岩噛巳についてを話さなかった為、社会から叩かれることもなく、次第に元の生活に戻りつつあるという。
 一方で、関口は事実か幻かを一切語らず、かわりに先週、今回の岩噛巳とペンション連続殺人事件を元にした小説を発表した。あくまでも、フィクションというスタンスでの発表だが、内容は明らかに一連の出来事を描いており、探貞をモデルにしたと思われる名探偵が主人公になっていた。事件の話題性もあり、売れ行きは上々らしい。
 また、麻倉も事件後、マネージャーと同僚のアイドルを失ったこともあり、所属事務所を変えて話題となった。現在の所属事務所は、女優を輩出する事務所で、早くもオーディションで合格をしたと彼女からのメールが届いていた。
 岩噛巳については、探貞の故郷である昭文町に暮らす宇宙人の友人が調査に燃えているが、ほとぼりが冷めるまでは調査に行けないと、電話でぼやいていた。怪獣の調査をしているところに、江戸っ子言葉を話す宇宙人が接近遭遇したら、日本はそれこそ大パニックになってしまうと、周囲から止められているらしい。
 そして、探貞は事件後、ある決意を胸に卒業準備と荷物整理などに明け暮れていた。

「探貞、来てくれたんだな。ありがとう」

 焼香を終えて、斎場から出ると、張介が後を追いかけてきた。手術は無事成功し、先日退院をしたらしい。

「いえ。僕は結局、事件を防ぐこともできませんでしたし、犯人すら死なせてしまいました。本当にすみません」

 探貞は張介に深く頭を下げた。
 彼は静かに首を振った。

「いいや。お前さんが悔やむことではない。事実として、お前さんは事件の謎をすべて解き明かしてくれた。お前さんのお陰で、康介は連続殺人犯の汚名を着せられずに、被害者の一人として今日を迎えられた。こうしてちゃんと葬儀を開いてやれたのは、お前さんの成果だよ。わしは心の底からお前さんに感謝している」

 張介の言葉に探貞の胸の奥につっかえていたものが取れた気がした。
 彼は穏やかな笑みを浮かべ、再度頭を下げた。そして、顔を上げると張介に問いかけた。

「ところで張介は今後どうするんですか?」
「勿論、ペンションを続けるさ。落ち着けば、改装は必要だろうが、営業再開もできるさ。何せ、怪獣のいる山だからな。地域お越しに役立ってもらわなきゃ、死んだ奴らも浮かばれない」
「そうですか」
「んで、探貞はどうするんだ?」
「僕ですか? ………僕は、決意しましたよ」
「ほう。何を決意したんだ?」
「もう逃げません。伝さんの元で名探偵になります。そして、いつか父の死の真相も解き明かすつもりです」

 探貞の力強い言葉に、張介は笑顔で返し、その肩を叩き、激励した。



 




 その日の午後、探貞は都内の昭文町にいた。
 生まれ育ち、青春を過ごした町を見ながら、探貞は昭文神社参道へ向かって歩いた。伝の探偵事務所は、参道に面した閑静な住宅街の一角にある。
 事前に電話で時間を伝えると、迎えを寄越すと言われた。
 何となく予想はしていたが、参道に差し掛かると、懐かしい顔が並んでいた。

「お帰り、探貞!」

 警察官の制服を着た幼馴染みの親友、江戸川和也が言った。彼は今、昭文警察署の交番で勤務している。
 そして、その隣には同じく幼馴染みで、現在大学の法医学研究室で学生をしている石坂涼がおり、その隣には巫女服を着た昭文神社の一人娘で、探貞の後輩の十文字三波が立っていた。そして、和也の隣には、眼鏡をかけた根暗そうな青年、大学院進学を決めた現在三代目怪盗φを継いでいる同じく後輩の一ノ瀬九十九が立っており、彼の腕には雪だるまのぬいぐるみが抱かれていた。それこそ、宇宙人の友人、アールだ。

「てやんでぇ! 何年待たせるんでぇ!」

 アールが懐かしい江戸っ子口調で言った。
 そして、探貞は笑顔で彼らにこう言った。

「ただいま!」




【終】
10/11ページ
スキ