『名探偵』混沌の現




 食料が届いたばかりであったことと昼食が一食分弁当で減っている為、合計二食は全員が十分に腹を満たせるだけの食料の在庫は残っていた。更にパンや非常食も組み合わせて、一食の量を節約すれば、一日三食でも2日分になり、本日の夕食は昼が遅くなったこともあり、日持ちしない食材で軽く済ませることで全員が同意した。
 そして、食材や備品の整理をしている内に、午後5時を過ぎていた。
 風呂も温泉のパイプが無事だった為、温泉に浸かることができた。

「やはり地震とは考え難い状況だな」
「と言いますと?」

 湯は二、三人なら入れる程度のスペースがある為、関口と探貞は同じタイミングで入浴していた。
 一人ずつ交替で入っても構わないものの、いつ湯が止まるかわからない状況の為、一人でも早く入る為に男女それぞれが同じタイミングで二人ずつ入浴することになった。余った一人は、高田が最後に入ることになった。
 必然的に高田がリーダーシップを取ることになり、彼自身も責任感から雨で濡れて疲労した体にも関わらず、最後に入ると自ら立候補した。とはいえ、麻倉に言わせれば、それは気兼ねなく一人で入れることや唯一女湯に浸かることができるかららしい。
 関口は体を洗い終わらせると、先に湯船に漬かっていた探貞の隣に、失礼と言いながら湯船に入ってきた。

「ふぅー、生き返るなぁ。……あぁ、温泉が今も変わらず供給されていることだ。地震ならパイプも壊れるかもしれないし、何より温泉地側のポンプが止まるはずだ。それがなくても、一時的に泉質に影響が出るものだ。元を詳しくは知らないが、昨日の湯の状態と変わりない」
「あぁ、昨日入っていたんですね?」
「まぁ、夕食の前にささっとな」

 そう言えばと探貞は、昨日の何人かは髪が濡れていたことを思い出す。
 今は例外だが、本来ペンションの風呂は入浴可能な時間帯である午後4時から8時まで自由に入浴ができる。
 関口の口ぶりから、やはり彼は土砂崩れが岩噛巳によるものだと考えている様子だった。
 探貞はふと、関口の背中に火傷の痕があるのに気がついた。

「それは?」
「ん? あぁ、大昔にちょっとした火災に巻き込まれたことがあってな。その時にできたのだよ。もう全然目立たないんだが、こういう湯に浸かってると濃淡で目立つんだよな」

 そう言い笑う関口の首や肩、胸、全身にうっすらと傷痕や火傷の痕があることに気づく。
 探貞はそれ以上詮索することを止め、関口もそれ以上、火傷についての話はしなかった。

「さて、次が控えているし、そろそろ上がるか?」
「そうですね」

 二人は湯から上がり、次の面々と交替した。



 


 

 全員の入浴が終わり、出井が手早く用意した豆腐のサラダとパンとスープの夕食を済ませると、すっかり日は落ちて外は暗くなっていた。
 外の気温は下がり、雨は雪に変わり、風で煽られて食堂の窓から見る景色は吹雪だった。

「朝には落ち着くかな?」
「何とも言えないわ」
「雪でもきっと迷さんなら行けるわよ」
「いやいやいやいや」

 食堂では探貞、麻倉、椎名、関口が残って談話しており、他は皆自室に戻っている。疲れているのだろう。
 探貞が食堂の隅にあるネジ巻き式の柱時計をふと目にすると、既に時刻は8時を過ぎていた。かれこれ一時間以上、ここにいることになる。

「ん? 何かしら?」

 ふと、椎名が天井を見上げた。
 探貞の耳にも、バタンと何かが倒れたような音が聞こえた。
 食堂の上は、麻倉と栄子の部屋がある。

「ちょっと見てきます」

 麻倉が席を立ち、食堂のドアを開けてロビーに出ようとした時、今度は窓の外で、ドサッ! と何かが落ちた音が聞こえた。
 探貞は窓を開けて、辺りを見回したが、雪の吹雪くベランダと森が広がるだけで、人影などの目立ったものはなかった。
 探貞が窓を閉め、怪訝な顔をしている彼らに首を振る。
 そして、麻倉が食堂から出ようとしたその時に、今度は男性の悲鳴が聞こえてきた。

「ウァァァーーー!」

 声は二階からだ。
 四人は顔を見合わせて、階段を駆けあがる。
 二階へ上がると、2号室の栄子の部屋のドアが開いており、中に人が集まっていた。
 探貞は彼らの間を抜け、室内を見た。明かりは消えており、窓が全開になっており、雪が部屋に吹き込んでいる。
 榊原が腰を抜かして床に座り込んでいる。そして、その視線の先は全開に空いた窓と、その下に胸からおびただしい量の血液を流して床に座り込む栄子であった。
 既に息絶えていることは、誰の目にも明らかだ。
 そして、彼女の足元には紙片が置かれていた。
 これまでの紙と同じだ。直線で書かれた文字で、こう記されていた。

『一人目 ゲームのハジマリ』






 

 本来ならば、現場を保存しないとならないが、窓を開けたまま床に栄子の遺体を放置する訳にもいかないということで、医学を学んでいる康介と探貞、椎名と関口が死体の状態を記録することになった。

「外気の寒さにさらされていた為でしょうね。すでに死後硬直が始まっています。椎名さん、衣服を脱がせるのを手伝ってください」

 椎名と康介の二人で、栄子の血で染まった衣類を脱がせる。
 血色がなくなったことで、更に白くなった肌があらわになり、不気味な程に美しい栄子の裸体に思わず、探貞は息を飲んだ。

「……殺されて抵抗したのかしら。衣服に乱れたあとがあるわ」
「そうですね。下腹部も確認しておきましょう」

 椎名の指摘に、康介が頷く。
 つまり、性的な暴行が行われた可能性が示唆されているのだ。

「状態がいいな。この床に座った状態のまま刺されたんじゃないか?」
「恐らくそうでしょうね。血液も臀部に集中しているので、関口さんの意見の通りだと思います」

 関口は冷静に栄子の遺体を見ながら言った。彼は取材で実際に解剖や手術に立ち会ったことがあるらしい。
 冷静を装っているが、手の震えなど、動揺していることが伺える康介よりもずっと落ち着いている。

「椎名さん、産科はまだやってないのでわからないのですが、俺は痕跡なしと思うのですが如何ですか?」
「そうね。……多分、そうだと思うわ」

 康介の問いかけに椎名は頷く。
 殺傷は鋭利な包丁やナイフで胸を一突きにされている。周囲の状況からも相当な量の血液が吹き出したと思われる。

「他に目立った外傷はありませんね」
「そうだな。ベッドに移すか」

 康介と関口、それに探貞も加わって、シーツに遺体をくるみ、ベッドの上へ運んだ。
 死後硬直の為、座った状態からベッドに仰向けにすることは難しく、横に寝かせることにした。

「こんなものか」

 四人は頷くと、扉を開けた。まだ全員がドアの前で待機していた。
 皆、表情が暗いが、視線は互いに交差しない。
 その理由は探貞にもわかる。そして、この状況下である以上、取るべき方法を知っている探貞は、覚悟を決めて声を上げなくてはならない。
 探貞は咳払いをした。
 一斉に全員の刺さるような視線が彼に向かった。

「鈴木さんのご遺体は、ベッドに移しました。……殺人である以上、僕達は互いに確認をしないといけません。……これがここにいる誰かによるものではないということを」

 探貞は、猛烈な無言の圧力の中、はっきりと言うことができた。
 近くに殺人犯がいるかもしれない恐怖とそれが自分と共にいる誰かではないかという疑心暗鬼を口にすることは、自らがその生け贄に捧げられるかのような不安を抱く。それを受け入れ、自らがその解決に立ち上がることは、安楽を本能的に望む人間にとって、決意や覚悟が求められる。
 探貞は心の深層で気づいていた。または性だ。学生時代に怪盗や暗殺者に纏わる事件に仲間達と立ち向かってきた当時の記憶が蘇る。そして、未来から来た友達が彼と交わした約束を。最早本能としか表現のしようがない、事件を自分が解決しなければならないと思ってしまう名探偵としての性を受け入れることを。もう抗うことはできない。逃げることもできない。
 この瞬間、迷探貞は名探偵になる運命を受け入れた。






 

 唐突に探偵役を宣言した探貞に対して、他の面々からの反発が来るかと思ったが、関口と麻倉が探貞の意見を支持したことで、彼の想像以上にスムーズにことが運んだ。
 場所を移すよりも、この場で発見当時の様子を確認することになった。

「死後硬直が始まっていましたが、室内が寒かったことを考えますと、そこまで時間が経っていなかったのだと思います」

 康介が遺体の観察した結果を伝えた。康介も法医学の知識を持っている訳ではない為、はっきりとしたことは言えない様子だ。
 法医学を専攻し、現在も大学にいる探貞の幼馴染みと連絡が取れれば、得られる情報も変わったことだろうが、通信の一切が絶たれている現状では無理な話だ。

「榊原君が悲鳴を上げる前に屋外に何かが落下する音、更にその前に二階で何かが倒れる音を耳にしている。何が落下したのかはわからないが、倒れた音が犯行時の音と考えるのが妥当ってものだ」

 関口が言い、自然と榊原に視線が集まる。
 第一発見者である榊原がもっとも疑惑を持たれるのは仕方がないことだった。

「榊原さんは何故鈴木さんのお部屋へ?」

 探貞が問いかけると、榊原は不安を表情に浮かべながら答えた。自分が犯人に疑われているのだから、当然だ。

「手紙が届いたんです」
「手紙?」
「こ、これです。ドアがノックされて、これがドアの隙間に入っていて」

 榊原はポケットから紙片を取り出した。しばらく握りしめていたのだろう。しわくちゃになっていた。しかし、それはこれまでの紙片と同じ直線で書かれた文字で記された手紙であった。

『タスケテ 栄子』

 それだけしか書かれていない文章であった。しかし、それだけで十分に探貞には犯人の意図が理解できた。

「ちょっと部屋を確認させて下さい」

 そう言うなり、探貞は栄子の部屋に入ると、一目散にドアノブを確認し、そして部屋を走って窓の確認をしにいく。ドアノブの内側と窓、窓枠に傷がついていた。

「どうしました?」

 康介が駆け寄ってくる。
 探貞は頷くと、廊下で怪訝な顔をして様子を見ていた一同の元に戻ると、紙片を見せながら榊原に問いかける。

「榊原さん、部屋に来たときの状況を教えてください。まず、この紙片を手にしたところから」
「えぇっと、驚いてこの部屋に行きましたよ」
「そうですよね。僕も同じだと思います。この文字はこれまで僕達は何度も見ている。そして、助けてと書かれていたのですから、仮に榊原さんのように動揺せずに、これが脅迫状を出した人物によるものだと気づいても、まず栄子さんの安否を確認しにいきますね」
「はい。それで、ドアをノックしても返事がなく、ドアノブを握ったら勢い良くドアがバタンと開いて、それで驚いて部屋に入ると、今度は窓が開いて、近付いたら………」
「鈴木さんの遺体を発見した」
「はい」

 榊原は頷いた。
 出井が眉間にシワを寄せて探貞に詰め寄る。

「どういうことだ? こいつが殺したんじゃないのか?」
「はい。むしろ僕の中では、今のお話で彼への信頼は高まりました」
「どういうことだ?」

 出井が再度同じ言葉を言った。
 探貞は微笑み、順を追って説明を始めた。

「複雑なトリックがあったわけではありません。むしろ、偽装の為に犯人が仕掛けた罠です。僕達は、音をいくつか聞いています。そもそも榊原さんが今疑われているのは、事件発生直後にこの部屋に来て第一発見者となり、他に犯行ができそうな人が見当たらないからです。でも、この部屋は密室でも何でもない。しかし、他に犯人を考えないのは何故ですか?」
「まさか、窓から犯人は飛び降りたのか?」
「出井さんの言う方法も十分に考えられますし、僕達は一階で外に何かが落下する音を聞いています。しかし、僕が外を確認した時、物ならば兎も角、人ならすぐに気がつきます。それに、二階といっても、ここは天井がそれなりに高いです。下手をすれば大怪我をします。恐らく何かしらの物を落下させたのでしょう。そんなに難しいトリックではなく、例えばここのドアノブの形状はノブを縦にすることでドアが開きます。ドアを閉める際はドアノブを回さなくても閉められるので、輪を作り、ドアノブに引っ掻けます。そして輪から伸ばした紐。抵抗の低いものでないと床などで止まってしまう可能性があるので、抵抗の少ない素材の紐でしょうね。釣糸にも太くて切れにくい大物や伊勢エビを釣る為のものが釣具店なら売っています。そして、その糸を窓へ伸ばします。窓には少し細工が必要ですが、窓枠に傷が付いているので、窓が一気に開け放てるように細工をしたのでしょう。そのギミックはその重さのある何らかの物が落下する力で行ったのだと思います。この窓が開くトリックに鉄の芯や滑車を使って巻き取りができるようにすれば、ドアが勢い良く開いた後、時間差で窓が開いたことも納得できます。窓の形状を事前に把握しておくことと、何度かの実験が必要ですが、ドアノブにも窓枠にも複数の傷がついているので、犯人は僕達が不在になっていた時間を見計らって仕掛けを実験していたのでしょう。勝手口を開けることは既にできていたことが証明されたので」
「しかし、何だってそんな面倒なことを?」

 関口がもっともなことをいう。
 探貞は頷く。

「時間稼ぎが一番高い可能性ですね。本当に窓から飛び降りたら、怪我をするし、一階にいた僕達に目撃される可能性が高い。犯人にとって目撃が一番避けたいことです。物証は沢山残されていますが、今ここは陸の孤島状態です。悠々と逃げてしまえる。犯人にとっての難関は、目撃されずにこの現場から確実に離れる方法です。だから、遺体発見のタイミングを犯人の任意で決めた」
「なるほど。……つまり、俺達がここに集まって注意がこの部屋に集中している過ぎに飛び降りるか何かして逃げたと?」
「関口さんのいう通りです。榊原さんの部屋に行ってみましょう」
「え? 僕の部屋に?」

 驚く榊原に探貞は頷く。
 榊原の部屋は、階段側の一番奥にある7号室だ。
 榊原と探貞がドアを開けると、他の一同も室内を覗き込む。冷たい風が流れた。窓が空いており、ロープが伸びている。

「あ、あ……」

 愕然とする榊原を放っておいて、探貞はロープを確認する。強く引っ張ると、ロープが結びつけられたベッドの足がガッガッと音を立てて動いた。

「結び目は確りしているな」
「えぇ。……また雪が強くなっていますね」
「足跡は残ってるか微妙だな」

 関口と康介も榊原の部屋に入り、窓の下を確認する。暗くて見えないが、地面は新雪が多い始めている様だった。

「で、後は納戸か?」
「はい。……気づきましたか」
「これでも推理小説も書いたことがある。なぜ、榊原の部屋なのか? 答えは納戸に一番近く、かつ犯行現場の2号室の反対側になる位置だからだ。大方、窓のギミックで物を落下したタイミングか、悲鳴を上げたタイミングで下に降りれば見付かるリスクは最小限になるからな」
「はい。康介君、このロープも納戸に入っていた物じゃないかな?」
「ええ。多分そうです。納戸にはロープや手袋、ガムテープ、掃除機、あと予備のシーツ、枕カバーが」

 康介の言葉に探貞は笑みを浮かべ、廊下に出ると、納戸を開いた。納戸の扉は両開きになっており、取手を引くとスッと音もなく開いた。既に留め具の力が緩まっており、大した力も入れずに開く。
 納戸の中は、人一人が入るには十分なスペースが開いていた。
 探貞は康介に顔を向けて問いかけた。

「シーツは何枚有ったか覚えてますか?」
「覚えてないですね。そこまではチェックしてなかったので」
「そうですよね。………なるほど」
「何かわかりましたか?」

 康介の問いに、探貞は曖昧な笑みで返して、廊下に佇む一同を見た。

「とりあえず、犯行当時の犯人の行動はわかりましたね?」
「栄子を殺した犯人は、仕掛けを施して納戸に向かい、納戸に入る前に榊原さんの部屋に紙を残してノックした。そして榊原さんが、栄子の部屋に向かったことを確認すると、榊原さんの部屋に入り、ロープで外に逃げた。ということですね?」

 椎名が答えると、探貞は頷く。

「最後に確認したいのは、鈴木さんの部屋に皆さんが集まった順番と、その時何かを目撃しなかったかということですね。覚えている方はいますか?」

 探貞の質問に皆が顔を合わせて、首をかしげる。無理もない。慌てて向かったのだ。順番がわかるのは、第一発見者の榊原と一番最後に階段を上がった食堂にいた探貞達だけだ。
 康介が眉間に指を当てながら、思い出しながら答えた。

「食堂にいた皆さんの前に上がったのが多分俺です。皆さんいましたし」
「えぇ。私が部屋に来たら、この方は階段を上がってきました」
「よく覚えてますね」

 康介が驚くと、椎名は苦笑した。

「でも、私は何か見たということはありませんでした」
「そうですか。……ありがとうございました。一度、解散しましょう。僕達は外を確認しましょう。何か証拠品が落ちているかもしれません」

 探貞の言葉に一同は頷いた。皆、疲労の色が表れていた。
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