未来への約束




 放課後、中等部校舎の三年B組では、三波が数に話かけていた。

「数ちゃん! 一生のお願い! 傘に入れて!」
「い、いいけど、三波さんち、私んちと反対側なんだけど……」

 懇願する三波に当惑しながら数は答えた。
 刹那、顔をガバッと上げて、驚愕する三波。数が自宅と反対側であることを忘れていたのだ。

「しまったぁ! すっかり忘れてた! ……数ちゃん! 私んちに遊びに来ない?」
「えっ、あ、はい」
「断っていいぞ、江戸川さん。大体、なんでこの程度の雨で、徒歩10分とない距離の移動だけで傘が壊れるだ?」

 数の前の席で鞄に荷物を詰めていた九十九が呆れ顔で振り向くと、三波に言った。

「決まってるでしょ? 足を滑らせて転びそうになって、辛うじて転ばなかったけど、思わず傘を手放してしまったのよ! あるでしょ?」

 なぜか数に同意を求める三波に、数は曖昧に笑って誤魔化す。

「百歩譲って転びそうになって、傘を手放したのはわかる。だけど、それで傘は壊れない!」
「傘が飛んだのよ」
「放り出して飛ばしたんだな」
「その傘がたまたま散歩中の犬にぶつかって、暴れた犬が飼い主を突き飛ばして、そのおばさんがダンボール箱を運んでた運送屋さんにぶつかって、倒れた運送屋さんが手放したダンボールが通りに置かれた植木を倒して、それを避けようとしたバイクに私の傘は潰されたのよ!」
「……へ?」
「それで、怪我人は?」

 訳がわからない様子の数に対して、九十九は平然とした様子で聞いた。

「いなかったわよ。バイクも辛うじて転ばなかったから無傷で、植木もちょっと土がこぼれただけで、ダンボール箱もちょっと泥がついたけど問題なさそうだったわ。けど、私の傘は再起不能なまでに壊されたのよ!」
「自業自得だろ」

 骨組みからぐちゃぐちゃに壊れた傘を持って被害を訴える三波に、冷凍庫よりも冷たい視線で九十九は言い放った。
 悲惨太こと三波と十年近く腐れ縁を続けていれば、九十九ならずともこの程度の事件では驚かなくなる。

「いずれにしてもそろそろ帰るぞ。……てゆうか、お前、江戸川さんを連れて行くのか?」
「……あっ!」

 呆れ顔で九十九に言われ、三波は現状を思い出した。
 九十九は先日のことに関して話し合う為に、この後三波の家へ行く予定になっていたのだ。

「……数ちゃん」
「ん?」
「このももちゃんと相合い傘なんて、死ぬほど嫌だと思わない?」
「おい!」

 九十九は三波につっこみを入れようとするが、名前の訂正をする余裕も与えずに三波は言葉を続ける。

「でも、ももちゃんはこの後、私の家にくる約束になってる。ならば、私はももちゃんと相合い傘をしないで帰宅しないといけないの! この事態を解決させる唯一の方法は、数ちゃん! 秘密を絶対に守れる? 大金をつまれたり、黒い服を着た男たちに命を狙われても、私たちの秘密を守れる? 誓える? いえ、誓って!」

 グイグイと詰め寄って、体をそり返す数は意味もわからず頷いた。

「流石、数ちゃん! そうでないと! さぁももちゃん! 帰るわよ!」
「むちゃくちゃ過ぎるだろ。それと、俺は一之瀬九十九だ」

 後付けの訂正をした後、九十九は深いため息をついて、数の腕を引っ張って教室から出て行く三波の後について行く。
 しかし、それは教室の前で立ち止まった二人に阻まれた。

「どうした? ……ん? 江戸川先輩に、七尾先輩」

 二人の前には廊下で睨み合う和也と七尾北斗風紀委員長の姿があった。と同時に、九十九は今の状況の察しがついた。
 彼らに聞こえないようにため息をつくと、九十九は三波達の間を割って、前に出る。

「先輩方、わざわざ下級生の教室の前で口論をしなくてもいいと思いますよ。それに、委員会の欠席と報告書に関してはもう連休前に結論が出てるじゃないですか」
「肯定だ。既に遺失物係の迷君からもその件に関しては確認が取れている」

 九十九に答えた七尾の視線の先を追うと、階段前に立つ探貞と涼の姿が見えた。

「では、なぜここにお二人はいるんですか?」
「それは江戸川君が昨晩、深夜の学校に侵入した疑いがあるからだ」
「と、突然ホームルーム後の教室に先輩が入って来るなり言い出して、そのまま俺のアリバイを証明してもらう為に数のところへ来た訳さ。百瀬からも言ってくれよ。俺がそんな無意味なことをする理由がないって」

 七尾と和也がそれぞれの言い分を九十九に伝えるが、根本的な疑問が全く解消されていない。

「俺の名前は一之瀬九十九です。それはそうと、なんで七尾先輩は江戸川先輩がその侵入犯だと?」
「彼自身がそれを自白する旨の証言を昼休みにしていたからだ」
「自白?」
「いや、俺はただよく校庭内や学校の周りをふらふらしていた老犬が死んだと言っただけだ」

 和也が訂正するが、七尾はニヤリと笑った。

「それが自白だと言っているんだ。老犬は確かに死んだ。しかし、それは昨晩深夜遅くの出来事で、明け方には守衛が発見、片付けている。校舎内からでないと発見は困難な死角にあった犬の死骸がな」
「えっ!」
「別に俺が校舎内に侵入した自白にはならないと思うがな」
「ならば、江戸川君は明け方に学校の敷地内にいたのか?」
「そういう意味でもない」

 驚く九十九を余所に和也と七瀬の口論は続く。

「なので、平行線の議論を続けても仕方ないから、数。俺のアリバイを証言してくれ」
「えぇ。流石に24時間お兄ちゃんを監視しているわけじゃないけど、私は昨日なら深夜遅くまで起きてたから、お兄ちゃんが家から出れば、その物音で気づいたはずです。当然、そんなことはありませんでした」
「俺は深夜どころか夕食後に爆睡してたから、そんなことをできるはずもない」

 数と和也の証言を聴いて、七尾は和也をジロリと見る。

「では何故、江戸川君は犬の死を知っていたんだ?」
「それは………」

 和也は言葉に詰まる。犬の霊を視たと言っても信じるとは思えないし、言い広めたくもなかった。

「簡単な推理ですよ、先輩」

 和也に助け舟を出したのは、探貞だった。
 一同が一斉に探貞を見る。彼はゆっくり彼らに近づきながら話し始めた。

「守衛さんが犬の死骸を片付けたのは明け方かもしれません。ただ、明け方ではその死骸を回収する業者は動いていません。ならば、生徒の目に触れない校舎の隅に恐らく不透明なビニール袋にでも入れて安置させていたはずです。今日は朝から雨で場所は限られ、選択されるのは屋根のある校庭の隅の用務倉庫です。それは僕らの教室から見えます。この雨ですから、業者も用務倉庫前まで車を付けます。和也はたまたま業者が回収する死骸を見て、それまでの一連の出来事を推測したんです。その証拠に和也は犬がどこで死亡したかは言っていない。わからないのだから、当然です」

 言い終えた探貞は七尾に微笑んだ。彼は舌を打つと、和也に顔を向けて言った。

「江戸川君、すまなかった。もしもこの件で何か気づいたことがあれば連絡してほしい」
「わかりました」

 横柄な謝罪に和也は全身で敵意を露わにして答えた。
 そしてそのまま立ち去ろうとする七尾を探貞は呼び止めた。

「先輩! 侵入した犯人は何か盗んだのですか?」
「否、なくなったものはないそうだ」
「ありがとうございます」

 探貞は七尾に頭を下げて、彼を見送った。

「あんな奴に頭を下げるなよ!」
「和也、先輩は委員長の仕事をやってるだけだよ。……さて、遅くなったけど僕の調べものに付き合ってもらうよ」
「調べものってなんですか?」

 探貞の言葉に三波が食いついた。
 その瞬間に九十九は、彼女の好奇心が反応していると察して、ため息をつくが、探貞はそれを気にとめる様子もなく答える。

「これから七不思議の自殺した少女について調べるんだよ」
「! 先輩! 私達もご一緒します!」

 目を輝かせて言う三波の言葉には、当然のように九十九と数も含まれていた。
 九十九は再び深いため息をついた。




 

 

 雨でぬかるんだ校庭を進み、校庭の脇に生える桜の木の前に立った探貞達六人はゆっくりと木を見上げた。
 探貞と和也、九十九は傘をさし、涼は折りたたみ傘をさし、三波は数の傘に入っている。

「探貞、一体何を調べるつもりだ?」

 和也が怪訝な顔をして桜の木を調べる探貞に聴いた。
 枝なども見上げて、十分に木を調べた探貞は和也に近づき、九十九達に聞こえないように耳打ちする。

「和也、視えるか?」
「あぁ。俺達の前で校舎を見つめてる」
「それは中等部か? 高等部か?」
「高等部棟だな。……どういう意味だ?」
「制服は?」

 探貞は和也の質問を無視して質問を続ける。

「セーラー服だ。確か、今の制服になる前のものだな」
「スカーフの色は?」
「赤だ」
「ありがとう」

 探貞は何か納得した様子で木の枝を見上げた。

「どういうことだ?」
「確認したいことは終わったよ。後は図書室で確認をしよう」

 探貞は一人満足した様子で歩き出す。
 他の5人は不思議そうな顔をしつつも後に続いた。






 

「みんなは昭文学園七不思議を知っているかい?」

 校舎内に戻り、図書室へ向かう廊下を歩きながら探貞は九十九達に聞いた。
 彼らはすぐに頷いた。
 昭文学園は、ほぼ100%地元住民で構成された私立中高一貫学校だ。しかし、学費も特別高額でなく、学区の関係上、昭文町内に公立中学校がない為、公立進学とほとんど同じように地元住民は昭文学園にも進学をする。
 当然、私立の為、受験はあるが、ほとんどが昭文小学校からの推薦受験である為、入学前には昭文学園のことをほとんどの生徒が理解している。
 例えば、文化系の部活が活発で、体育会系はほとんどが弱いが、柔道剣道などの武道は都大会で上位入賞するほどに強いとか、百年の歴史があること、理事長の子どもがとある有名私立大学を創設したなどがそれに該当する。
 七不思議もその一つで、先輩から後輩へ代々伝えられ、仮に入学前に七不思議を知らなかった新入生でも、一学期の中間試験前には全員が一度は耳にしている。
 一つ目、孤独に自殺した少女が今も現れる桜の木の幽霊。
 二つ目、足を魔界へ引きずり込もうとする魔物が潜む階段。
 三つ目、声が聞こえる誰もいないはずの女子トイレ。
 四つ目、絶叫と共に開くといわれる開かずの扉。
 五つ目、男子生徒を消した神隠しを起こす地下倉庫。
 六つ目、移動する謎の死を遂げた初代理事長像。
 七つ目、突如として現れるミステリーサークルで踊る超能力者。
 そして、七不思議すべての真相を知る時、八つ目の不思議が現れ、死者が蘇るというものだ。

「知ってはいますが、まさか迷先輩はそれを明らかにさせようと考えているのですか?」

 九十九が聞くと、探貞は微笑み返すがそれ以上何も語らずに、階段の前で立ち止まった。
 探貞と和也以外の四人は思わず顔を見合わせる。
 普段生徒達はわざわざ使わない一番奥にある非常階段。彼らの目の前にあるそれは、七不思議二つ目の魔物が潜む階段だった。

「で、どうだ?」

 探貞は和也に小声で聞いた。

「いない。というか、今まで一度も視たことないな」

 和也も小声で返す。
 それを聞いて、探貞は微笑を浮かべる。

「なら、魔物の正体を暴くとしよう」
「わかったのか?」
「あぁ。今のはあくまでも確認で、元々ある程度の予想はついているんだ」

 探貞は和也に言うと、後ろに立つ四人へ振り向き、雨空の暗い空とは対照的な清々しい表情で言った。

「論より証拠。みんなで昇ってみよう」
「探貞、本気?」

 当惑する一同。涼が怪訝な顔で聞くと、探貞は頷き、階段を昇り始めた。
 数段上がったところで、探貞は振り向いて彼らを促す。

「さぁ、後に続いて」
「わかったよ」

 和也は頭を掻きながら昇り始める。
 続いて涼が昇り、残る三人も後に続いた。

「よし。一列になると危ないから適当に広がって昇ろう。コツはペースを変えないこと。早い方が理想的だから、例えば……グ、リ、コ、ノ、オ、マ、ケェーッ!」

 テンポよく階段を昇る探貞だが、最後に突然ズッコケた。
 唖然とする一同に探貞は笑いながら立ち上がると、ゆっくり一段ずつ昇り、踊場まで行くと下の彼らに昇るように声をかける。

「大成功だよ。さぁ、みんなもテンポよくこっちに昇ってきなよ」
「和也、どうする?」
「やるっきゃねぇだろ。お前らも! 全員同時にやるぞ!」

 涼に聞かれた和也は、そう答えると九十九達に呼びかけた。
 彼らはまだ半信半疑の表情ながらも和也に頷いた。
 そして、声を合わせる。

「「「「「せーのっ、チ、ヨ、コ、レ、イ、ト、パ、イ、ナ、
ツぁっ!」プワっ!」ルゥーッ!」」」

 階段の後半にさしかかると、突然先頭の和也から順に、涼、九十九、三波、数とズッコケた。
 何が起きたかわからずに呆然とする彼らに、探貞は学生鞄から定規を取り出して降りてくる。

「この感覚、一度くらいは経験があると思うよ。……怪物の正体は、この定規でわかる」
「定規?」
「これで、一段ずつ段の高さを測ってみな」

 探貞から定規を受け取った和也は一段ずつ高さを測る。
 そして、彼は眉を寄せた。

「なんだこれ? 全部バラバラじゃねぇか!」
「そう! それこそが怪物の正体さ。止まったエスカレーターを歩いて、バランスを崩した経験はない? この階段はそれと同じ状況になっているんだよ」
「聞いたことがあります。階段の高さがまちまちだと人のバランス感覚が狂って転びやすくなる。それを利用して、城の石段とかは敵襲の足留めを狙って、わざと段の高さを違うようにしているという話を」

 探貞の説明を聞いて、九十九は納得した様子で言った。
 探貞もそれに頷く。

「百瀬君、正解。これが意図したものか、偶然の産物かはわからないけど、階段そのものが魔物の正体だったわけさ」
「俺の名前は一ノ瀬九十九です。……なるほど。迷先輩、流石です」
「君もだよ」

 探貞は笑顔で言い、ゆっくり一段ずつ折り始めた。

「さぁ、図書室へ行こう。転ばないように気をつけてね」
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