朱雀家の損壊
少年はマサヒロという名で、朱雀家の所有する雑木林の裏に造成された住宅地に住んでおり、探貞達が現れたのは、彼の家の上に当たる場所であった。
崖のように造成された切り土の土地である為、土砂崩れ防止用の格子状のブロックで崖は覆われていた。探貞達はこのブロックを足がかりにして、彼の家の庭に降りたのだが、昨夜マサヒロ少年が怪物を目撃したきっかけもまた、この場所であった。
この崖は彼の部屋がある二階の廊下から窓越しに見ることができた。
昨夜、トイレに起きたマサヒロ少年は、外からの物音に気付いて、その窓から外を覗き見た。正確な時刻はわからないというが、就寝時刻や前後の情報から事件の起きた頃とほぼ同じ時間帯だった。
物音はカツンカツンという金属が硬いものに当たる音とシューッシューッというカーテンを擦って開けたような音であった。
灯りの届かない場所である為、窓の外は暗く、わずか数メートル先にある崖もはっきりとその像を見ることはできなかった。
しかし、それでも暗闇の中、何かが崖に沿って動いていることはわかった。マサヒロ少年は生唾をゴクリと飲み込み、息を殺して外の様子をうかがった。
次第に目が慣れてきて、外の造詣が見えてきた。壁のような崖のブロックを黒くて大きな何かが動いていた。すぐにマサヒロ少年は先月、近所のタクヤ君が雑木林に忍び込んだ時に目撃した怪物の話を思い出した。
それはタクヤ君が話しながら描いた怪物に似ているとマサヒロ少年は思ったのだ。濃い緑のもじゃもじゃとした実の傘のような姿に目が二つだけがはっきりと見え、二本足で立つ姿。それがタクヤ君の描いた怪物の姿であった。
そして、目の前の影は、それを後ろからみた姿そのものだった。
やがてその怪物は崖の上へと上り、そしてマサヒロ君の方へと振り返った。
それは、タクヤ君の絵と同じ、目が二つだけぼんやりと浮かんでいた。
マサヒロ少年は声を呑み、恐ろしくなり、自分の部屋の布団へと走り、潜り込んだ。
そして、まもなく悲鳴のような叫び声が聞こえ、大きな物音が聞こえると、車のエンジン音が聞こえ、しばらくしてからサイレンも聞こえ、大人たちが起きて大騒ぎになったという。
「で、どう思う?」
マサヒロ少年と別れ、崖のブロックを上って、雑木林に戻った和也は探貞に問いかけた。
後ろに立つ涼は黙って服に着いた汚れを払っている。
「とりあえず、僕らでもさした苦労もなく上れたのだから、この崖を昨夜何者かが上っていたのは事実だろうね。加えていえば、窃盗団が現れていた話は本当だろうね。捕まったという人たちがその窃盗団なのかはわからないけど」
「どういうことだ?」
和也の問いに、探貞は無言で足元を示した。
地面が大きくえぐられた痕がある。しかも、平行に数十センチ幅の痕がブロックから延びている。よく観察すれば、ブロックは何かで削れた痕まである。
その痕は真っ直ぐ崖と道路が接する住宅地の外れまで続いていた。
その地点まで歩くと、朱雀家の敷地側には壁があり、崖に沿って歩かないと行き来はできないことがわかった。
「わかった?」
「ん? つまりどういうことだ?」
「……残念だけど、私にはわかったわ」
和也はかぶりを振ったが、涼は眉間を押さえながら答えた。
探貞が話すように促すと、彼女は嘆息交じりで応じた。
「理解はできるし、説明もできるけど、本当にこんなことを現実にやるなんて信じられないのよね。……つまり、この崖と道路の接する場所にある壁がなければ、例えばトラックの荷台に載せた大型の重機を朱雀家の敷地内に入れることだってできる。でも壁の破壊を重機でやったら、その音で犯行前に通報されてしまうわ。だから、窃盗団は崖沿いにロープを通して、重機を壁の横から通して移動させて、あの雑木林の中に運び込もうとしたのよ。今の私達が歩いていたみたいにね。犯行後は壁を破壊して脱出、または重機を乗り捨てるつもりだったんでしょうね。……確かに、頑丈なロープやワイヤーを滑車の要領で通して、レールのようにして、例えばこの道路からも見えるあの大きな木を起点にして吊り下げれば多分、方法としては可能だと思うけど……そんなことをする?」
涼は雑木林の中でもひときわ目立つ道路側に生えたもっとも背が高く、太い樹木を指差して言った。
「金属音とロープかワイヤーを張る音はさっきの子が聞いているし、そのワイヤーを使って、恐らく巻き取りに使うウィンチのような機械を引きずった痕もあった。……もう少し良く探せばその機械はこの崖の周辺のどこかで見つかるはずだよ」
探貞は確信めいた口調で補足する。
「んじゃ、あの子どもが見たのは化け物じゃなくて、窃盗団なのか?」
「うん。僕はそう考えている。そして、タクヤ君って子が先月見たのは本物の怪物で、今回の破壊を行った犯人だと思っている。けれど、マサヒロ君が見たのは、怪物ではない。人間だよ」
「なんでだよ」
「絵だよ。マサヒロ君の絵はタクヤ君の絵を見た記憶によってかなり補正されている。実際に彼が見たのは、暗闇の中を動くシルエットと二つの目だけ。しかも、無意識にその像が恐怖で誇張されていると考えられる。実際は、こんなのを見たんじゃないかな?」
探貞はポケットから取り出したメモ帳に簡単な絵を描いた。あまり上手とはいえないが、人間が黒いマントを被り、ゴーグルをかけているのはわかる。
「人間がいくら暗闇に慣らした状態であっても、そんな大掛かりの仕掛けを行うのに裸眼で行動するとは思えないよ。重機を窃盗の道具にするような犯人だったら、暗視ゴーグルくらいは持っているさ。そして、闇にまぎれる為に、コートかマントを羽織るだろうね」
「なるほど。……で、なんで窃盗団は何もしなかったんだ?」
「和也、何を言っているのよ。しなかったんじゃなくて、できなかったのよ」
「あぁ、怪物か」
涼の言葉で和也も気がついたらしく、納得できたらしい。
「となれば、ロープやワイヤーくらいなら回収して逃げることはできただろうけど、重たい機械を持って逃げるのは難しいだろう? きっとそれが証拠になる」
「だけど、それくらいのものがあれば、もう警察が見つけているだろう?」
「……そうだね。でも、もしも見つからなかったら、その場合はどういうことだと思う?」
探貞は真剣な表情で二人に問いかけた。
夕方、麻生は現場の引継ぎを交代の警官にし終えると、足早にパトカーへと向かった。
運転席に座ると、深く息を吐いた。
背筋がまだゾクゾクとする。無理もない。朝からずっと彼はこのパトカーの荷台に私物を隠していたのだ。絶対に他の警官に見られてはならない私物を。
麻生はエンジンをかけた。エンジンの振動が自然と彼の口元に笑みを浮かばせる。
うまくいった! そう口に出して言いそうになるのをこらえる。
後は、荷台の私物を帰りの道中で処分してしまえば、自分は再び安全な場所で甘い蜜をすすることができる。
今回は所詮、協力者の部下達の失敗だ。もう尻拭いで危険な橋を渡らされることもない。
むしろ、協力者に貸しを作ることができた。次から現場に近づかせるような危険な依頼をされても今回の貸しを理由に断ることができる。
そんな打算的なことを考えながら、麻生はアクセルを踏み、朱雀家の外へと車両を出そうとした。
「おっ!」
唐突にヘッドライトの灯りにロングコートを羽織った強面の男が照らされた。麻生は慌ててブレーキを踏んだ。
門の前に立つその男は、麻生の良く知る人物であった。
「課長?」
それは本来ここにいるはずのない、彼の上司である課長であった。
課長はコートのポケットに手を突っ込んだまま、麻生のいる運転席に近づいてきた。
麻生は恐る恐る窓を開けた。
「課長、なんでこちらに?」
「ちょっと探し物があってな。丁度よかった。署まで俺を乗せていってくれよ」
「あぁ……」
「なんだよ。歯切れが悪いな。署にもどらねぇつもりだったのか? ……あぁ、それとちょっと荷物を積みたいんだが、荷台を空けてくんねぇか?」
「………」
麻生の額に汗がにじみ出る。
彼には理解できていた。課長は、自分が窃盗団の内通者で、今朝回収した窃盗団に直接繋がる証拠の品を荷台に積んでいることに気付いている。
シラを切り通すか? 無理だとすぐに答えが出た。では、いっそ課長の口を封じるか? ここで罪を重ねたら全国指名手配になる。論外だ。ならば、ここを切り抜けさえすればどうだ? 運がよければ協力者の力で大陸に逃亡できるはずだ。
答えは出た。彼は額に汗を滲ませながら、恐る恐るアクセルに足をかけ、一気に踏み込んだ。
パトカーが課長の目の前で動き出し、門をくぐる。
「っ!」
しかし、刹那、彼は急ブレーキを踏んでいた。
目の前には警察車両が並んでおり、道を完全に塞がれていた。一度は逃亡を考えた麻生であったが、ハリウッド映画の如くパトカーで警察車両のバリケードの中に突っ込む暴挙は行うことができなかった。行っていたら、怪我ではすまない命がけのスタントになっていたことを彼は十分に理解していた。
麻生留音とは、そういう男であった。
「はぁ……」
事件解決後、宿泊先のホテルまでパトカーで送迎してもらう車中で、探貞は深いため息をついた。
理由はいわずもがな、この状況に対してだ。
「おやおや、警視庁の名探偵のご子息様が何をため息をついているんだ?」
「和也、ニヤニヤしながら言うんじゃないよ。犯人逮捕のためとは言え……」
探貞は何度目かわからない嘆息をする。
「嘆くなよ。俺達も一緒に言ってやるよ。偶然修学旅行の見学に言った家で起きた事件に遭遇したので、巷を騒がせていた外国人窃盗団の内通者を見つけて逮捕に協力しましたって」
「それがどれだけ面倒なのかわかっているのかい? あぁ、伝さんに絡まれるよ」
事実、今回の事件解決に探貞は、小説の名探偵の推理ショーのようなことを一切していない。行ったのは、麻生の上司である課長に対して父親の名前を出して必要なことを話しただけだ。
必要なことというのが、麻生が内通者であり、窃盗団に繋がる証拠を今も持っているはずだという推理そのものなのだが、肝心な怪物のことはとても話すこと等できず、ほとんど親の名声を利用して強引に解決したといっても過言ではなった。
「まぁ、あの麻生って人が隠してた機械の流通ルートで外国人窃盗団は一網打尽。課長さんの話だと、裏で糸を引いていた大陸のマフィアも捕まえられるかも知れないんでしょ? 上出来じゃないかしら」
涼がフォローする。それに和也も同意する。
「そうだ。それから邪苦熱丸も調べられたし、大収穫だ」
「まぁね。それはそうなんだけど、もっと面倒の少ない解決をしたかったというだけだよ」
「探貞はそう言うけど、怪物なんて言うわけにはいかないだから、あの解決は上出来だと思うぜ。……そういや、結局怪物は捕まえられなかったな」
和也が苦笑しつつ言うと、涼もそれは仕方ないと頷いた。
「確かに怪物が真犯人なのはわかっているけど、どこにいてどんな姿なのかも、あの絵だけが手がかりの状態じゃ、いくらなんでも捕まえるのは無理だもんね」
「そうだな。一体どこにいたんだろうな?」
「いたよ」
和也と涼が笑いながら話していると、探貞が先程の嘆いていた表情とは異なり冷静で落ち着いた表情でポツリと呟いた。
「え?」
「あの倉を破壊できるほどの怪物が住宅地を通って何処かに逃げられるはずもない。少なくとも事件があってからのこの1日ではね。なら、あの森にいたんだよ」
「だけど、どこにもいなかったぞ?」
「見つけられなかっただけだよ。少なくとも、今の僕達にはね。……木を隠すなら森の中。つまり、そういうことなんだよ」
探貞は軽く口元を上げた。その視線は夕闇に暗くなった街道沿いの林に向けられていた。
翌晩、窃盗団が逮捕されたという報告を最後に警察は朱雀家から撤収した。明日から倉の修繕の為に業者と保険会社が訪れる予定だ。
そんな深夜の闇の中で、朱雀剣輔は一人、雑木林の中に来ていた。肩にはドラムバックをかけ、今にも旅立とうとしている格好で。
今、父の刃は自室で眠りについている。いや、刃だけでなく、周辺の住民達も二日ぶりにおとずれた夜の平穏に安堵し、周囲はいつになく寝静まっていた。
「キミが僕の言い付けを守って、父と家宝を守ってくれたのは感謝しているよ」
唯一起きている剣輔は一人、雑木林の中で話しかけた。しかし、周囲には誰もいない。
鬱蒼と茂る木々と分厚く積もった落ち葉の地面だけが彼の周りにあった。
彼は淡々と話を続ける。
「でも、もうここがキミの安息の地ではなくなってしまった。キミが追い返してくれた窃盗団が捕まったから、警察の捜査はきっとこのまま終わるだろう。だけど、あの高校生達はどうやらキミの子とに気づいてしまっているみたいなんだ」
彼はドラムバックから縛られた袋を取り出した。中には無数の昆虫が蠢いている。ペットショップで購入した餌用の昆虫だ。
それを無造作に袋を破って放り投げた。袋の穴から一気に逃げ出そうと溢れてくる昆虫達。
しかし、昆虫達は一瞬の内に地面に取り込まれた。否、地面に積もっていた落ち葉の塊が人間大に起き上がり、一瞬の内にその中に昆虫の群を取り込んだのだ。
そして、落ち葉の塊である外見からはっきりと見えない口から不要なビニール袋だけを吐き出した。唯一外見で落ち葉以外に確認のできる部位である二つの目が剣輔に向いた。
それを静かにみつめながら彼は、笑みを浮かべてそれに話しかけた。
「さぁ行こうか。次なる安息の地を目指して」
【終】