惑わす絵
「ねぇ、五十鈴昭文って……」
「えぇ。流石の私も毎晩ジジイに聴かされていたら覚えているわよ。五十鈴昭文は昭文神社の創始者よ」
草加部の屋敷の裏にある林の中で、九十九と三波はアールの発明した『スパイ虫(ちゅう)』で屋敷の中の会話を盗聴していた。
「つまり、本当に所縁があったということだ」
「そうね。……でも昭文神社も五十鈴昭文が御神体、あっ! アールのことね! アールを御神体として神社をそこに作った人としか聞いてないわ。別に無敵の兵士を作ったなんてことはないわよ」
「うーん、この手の話は俺より三波の方が強いから何とも言えないところだけど、結局五十鈴昭文って何者なんだ?」
「わからない。……神社を作ったり、兵士を作ったりするんだから、芸術家か発明家なんじゃないの?」
急にシリアスからいつもの適当な三波の返しになり、九十九はずっこける。
「まぁ会ったこともないんだからわからなくて当然か。……ん? アールはその五十鈴昭文に会ったんじゃないの?」
「てやんでぇ! バーローめぇ! そんな昔のことを覚えていらっかよ! それに大層に挨拶をしたわきゃねぇんだから、オイラも誰が誰それだって知らねぇ!」
「だよな」
九十九は苦笑する。
草加部家での会話は、五十鈴昭文の伝承からその詳細を最後に知っていた先代当主の草加部桔梗という百合の祖母の話になっていた。
生前の桔梗の話に寄れば、呪われた絵を描いた絵師は江戸時代中期に草加部村を訪れ、五十鈴昭文が草加部家に遺した宝を見つけたという。かつての五十鈴昭文も草加部の者にその宝の詳細を伝えていたらしいが、風化してしまいわからなくなっていた。その為、歳月と共に風化しても再び宝を見つけられるように、絵師は絵の形で草加部家に置いていったものらしい。
代々本家の当主は、絵と絵に隠された秘密、そしてその宝の正体も受け継いでいた。しかし、10年前の事件で本家は桔梗と百合の二人だけになった。桔梗は百合が15才の誕生日を迎えたら、当主と絵のすべてを継がせる以降だったらしいが、3か月前に心臓発作で唐突な死を迎えてしまったらしい。
桔梗から何も聴かされていなかった百合に遺されたのは、広大な土地と屋敷、そして呪われた絵だけだった。
そこまで聞いたところで、吾郎が疑問を口にした。
『なるほど。概ねの事情はわかりました。しかし、わからないことがあります。この予告状にも書かれていますが、財宝の秘密が隠されたこちらの絵が、なぜ呪われていると云われるのですか? お話を伺っていると、10年前の事件だけでそう言われるようになったのではないと思うのですが』
その通りだと九十九も思った。予告状には呪いを盗むと書いたが、彼らも一体何を盗めばいいのか、呪いが何かをまだ知らない。
『これも伝承です。絵師が五十鈴昭文の遺した宝、つまり遺産を草加部本家当主以外に奪われないように、絵に呪いを施したと云われています。その呪いは絵の秘密を不当に解こうとすると、その邪な者に降りかかると云われています』
百合は淡々と語る。そして、一度言葉を切り、深く一呼吸した後に続ける。
『10年前に私の父が伯父に殺されたのも、呪いの為です』
『?』
『そこは私がお話しします。百合がその歳で話すには些か重たい内容ですので』
先程から黙っていた松が口を開いた。生粋の悪女ではないらしい。それとも、養子に出したとは言え、血の繋がった弟が殺された凄惨な事件は彼女の口から話したいのかもしれない。
『弟の方はお恥ずかしい話ですが、若い頃から警察のご厄介にばかりなっておりまして、そこの竹志にも昔から迷惑ばかりかけておりました。当時もどこでつくってきたのか、借金が沢山あり、どうも麻薬の類に手をつけて膨らましたものだったみたいです』
『なるほど』
『それで先々代が病床に着いたことを聞き付けてこの家に帰ってきたら、看病とかこつけて熱心にこの絵を調べていたそうです』
『それはつまり、宝を手に入れて借金の返済に当てようと?』
『そうであればまだいいんですけど、私が先代から聞いた話では、どうもそれでまた新たな麻薬を手にいれようとしていたみたいです。そして、先々代が亡くなり、葬儀が行われた日、当主を継ぐ予定だった兄、つまり私の弟を殺したのです』
『それで、呪いというのは?』
『そうなのです。それこそが絵の呪いなんですよ。絵師は草加部家に絵を渡す時に言ったそうです。本家の当主が代々この絵と宝を受け継ぐ。そして、当主以外の者がこの絵に隠された宝を探そうとするならば、その者は呪いを受ける、と。それが呪われた絵と云われる由縁です。実を申しまして、呪いは10年前の事件だけではないのです。先々代の親の代に、家督争いというのもあったそうですが、その時にも絵の秘密を解き、当主の座を狙った者がいたそうですが、狂い自らの首を断ったそうです。その他にも絵の呪いと云われる話はいくつもあります』
『そうですか』
吾郎の反応は静かだ。呪いを信じているとも疑っているともいえない静かな反応をしている。
『10年前の事件以降で絵の呪いという出来事は?』
伝の声が聞こえた。
『……ありません』
松が感情を押し殺したような声で答えた。
「え?」
「どうしたの? ももちゃん」
「一ノ瀬九十九! おかしい。呪いは最近にもあったはずだ」
「む?」
「この絵を返した後に呪いは消えていないと苦情があったんだろ? なら、絵を返した後にも呪いが起きたから、苦情をしたはずなんだ」
「そう言えばそうね。……じゃあ、あの松さんが嘘ついてるのね!」
「そうなる。……しかし、なんで嘘をついたんだろう?」
九十九が腕を組んで首をかしげる。
そんな様子を見てアールは苛立った口調で言った。
「てやんでぇ! そうやって全部の謎を解くのはアイツみてぇな探偵の役がやることだってぇの! おめぇは探偵でねぇ。怪盗でぇ! 謎を解くよりも如何に盗むかってぇことを考えるんじゃねぇのか?」
アイツとは迷探貞のことだ。
アールも昨年は熱心に行っていた調査や研究を、今年になってからは発明に方向転換している。彼にとってもショックな出来事だったのだろう。九十九に探偵でなく、怪盗としてのスタンスで事件に向かうことをアールは望んでいるのも気づいていた。
そうしている内に吾郎達は話を終え、草加部家を出ることになったらしい。
アールもスパイ虫を操作し、草加部家から戻ってきたスパイ虫を回収すると、三人もその場を後にした。
その日は草加部村近くにある小さな温泉にある民宿に九十九達は泊まることにした。予算の都合、作戦会議をする都合で一部屋だけ借りることになった。アールの協力で、簡単な変装を施せば成人くらいの外見に見せることができるので、高校生の男女と気づかれ補導されることはない。
「やだー。三波、身の危険、感じちゃう!」
「………」
物凄くイライラする自分を九十九は深呼吸で鎮める。
そもそも厳密にはアールもいるから、三人での相部屋だ。部屋に入った瞬間に三波は上着と荷物をほっぽり出してバタンと大の字に倒れた。その光景を見て、九十九は顔をひきつらせる。
この粗雑な姿で何が身の危険だというのだろう、と。
「やっぱ茶とせんべえは合うわねぇ」
大の字から横向きになり、ちゃぶ台から器用に持て成しの茶とせんべえを取り、寝転んだまま食べ出す。そして、テレビに手を伸ばしスイッチを押す。しかし、映像は何度押しても見えない。
「なんで!」
「あぁ、この民宿はテレビが有料なんだよ。ほら、横にお金入れるところがあるでしょ」
「うげっ!」
三波はテレビに手を伸ばした格好のままバタリとうつ伏せで倒れた。
「テレビくらいで、何もそこまで」
「………」
返事がない。ただのしかばねのようだ。
三波はしばらく放置して、九十九はややこしい現在の草加部家を図画する。(図①)
図① 草加部家
「こんなものか」
わかっている範囲ではこんなものである。当主になった百合は元々分家筋となり、松が血縁上は叔母になる。この分家が果たして何代前から分かれた家なのかは今の段階で不明だが、村の駐在を含めてどの家も草加部姓であったことと、正樹が婿養子になっていることを考えると、先々代かそのひとつ前の代くらいで分かれた家なのかもしれない。そうなると、ほとんど松も百合も本家直系と呼んで差し支えない。
そして10年前の事件によって、本家は絶えている。図画しても死亡ばかりになってしまった。先代の桔梗も後妻ということは、前妻も若くして亡くなったのだろう。確かに、これだけ不幸が散見されれば呪いを結びつける草加部家の人々の気持ちもわかる。
「アールは呪いをどう考える?」
九十九は隣でスパイ虫をメンテナンスしているアールに問いかけた。
アールは手を止めずに答える。
「呪いを何をもって呪いとするか、じゃねぇかい? オイラはおめぇらのいう呪いが、chaoticや時空の歪み、あと幽霊みてぇな残留思念の類じゃねぇということは理解しているつもりでぇ。だけども、何が呪いなのかってぇのは、オイラにゃわかんねぇ」
「確かに」
流石はアールだと九十九は思った。
アールのいう通り、世の中の呪いとされる現象の中にはアールが研究している宇宙の謎に繋がるような超常的な現象も含まれているかもしれないが、呪いという言葉の意味が広すぎて捉えきれない。
今回の場合、呪いは怪盗φとして盗む予定である絵の呪いに絞られる。
では、絵の呪いとは何か?
「……あれ?」
そこで九十九は疑問が上がった。
絵に関わる呪いについての話は10年前の事件を聞いているが、絵にかけられた呪いは、絵の秘密を不当に解こうとすると、その邪な者に降りかかるというものだ。
10年前の事件は、松は弟が五十鈴昭文の遺産を手にいれようとした為に呪われたと言っていたが、呪いの内容がもし同じならば、草加部家はこれまでも呪いがあったと松が言っていたが、すべて殺し合いだったわけではない。少なくとも、自害する事件がかつてあったと話していた。
確かに、どちらも命を奪う行為だが、それならば命を奪う呪いと表現するはずだ。しかし、松も他の駐在や刑事も呪い、事件についてはそれぞれ話しているが、呪いそのものを同じにしていない。
つまり、呪いのひとつとして、人の命を奪う行為を起こして不幸になったにすぎないのだ。
「アール、衝動的に誰かが誰かの命を奪う行為を起こさせることを呪い以外の表現だと、どんなものがある?」
「……暗示、洗脳、そういう言葉じゃねぇか?」
「そうだよな。そういうことを起こす方法はあるのかな?」
「そりゃあるでぇ。洗脳や暗示なんて、おめぇらは日常的にやってるじゃねぇか! 日本人って振舞いも暗示でぇ。男らしく、女らしくも。そもそも教育って呼んで地球人が成長過程で行ってる育成プログラムも洗脳の一つでぇ。それがなきゃわざわざ構築した秩序は維持できなくなるってぇもんだからな。あと、あの絵の背景も幻覚を起こす催眠によるある種の暗示と言っていいでぇ」
「……はぁっ?」
思わず聞き捨てならない言葉に九十九はアールの頭を両手で掴み上げて顔を詰め寄らせる。
「……ち、近いでぇ」
流石にビビるアール。
はっと我に返り、九十九はアールを降ろす。
「どういうことだ? アール」
「ありゃ? おめぇは聞いてなかったか? ……三波にオイラは話したんだっけか?」
「………」
アールは三波に助け船を求めて視線を向けるが、残念ながら三波からの返事がない。ただのしかばねのようだ。
「アール……」
「そりゃ、悪かったでぇ! オイラだってうっかりくらいあるでぇ! それにおめぇも見てたじゃねぇか。何ともなかったのか?」
「まぁ、短い時間だったし、背景より女の人の方を見ていたから」
「なるほど。まぁ、三波よりはマシでぇ」
「そうだよ。三波は? あいつは頻繁にあの絵をベタベタと触って調べていたんだろ? 呪いは?」
「そりゃ本来なら呪われるってぇか、暗示にかかってもおかしくねぇんだけど」
「どうなんだ?」
「……見ちゃいなかったんでぇ」
「は?」
「だからあいつは絵心というか地球人でねぇオイラでもわかる芸術のセンスてぇか、絵を絵として見ねぇで、呪いの面白グッズとしか思ってなかったんでぇ。だから、横に倒したり、巻き方を変えて凸凹で何か現れないかとか、紙やら絵の具やら、絵の内容でねぇで、その素材ばかりをベタベタ触って調べてたんでぇ」
「なるほど。絵師も絵をまともにみないで、物色されるとは想定してなかったんだろうな」
ただ、そう言いながらも、何となく九十九の脳裏にひっかかるのを覚えた。
「アール、その絵の紙の材質や絵具は調べたの?」
「流石に破損させるわけにはいかねぇだろ? 詳細は不明でぇ。まぁ紙はさして珍しいものじゃなかったんでぇ」
「絵具は?」
「同様のものは知らねぇ。珍しい顔料だってのは間違いないでぇ」
九十九は考える。背景に施したからくりは呪いを信じさせる為のものだ。きっとアールなら背景のからくりは無効化することもできるだろう。
しかし、それだけで呪いが盗めるとは思えなかった。絵の呪いは草加部家にかかっている。絵師は草加部家を呪うことで、絵を呪われた絵にした。そう思えてならなかった。
つまり、絵に隠された秘密こそ、呪いを解く方法なのだ。
「草加部家の、五十鈴昭文の遺産を見つけよう」
九十九のその言葉に、突如ムクッと起き上がった、もとい蘇った三波は目を輝かして叫んだ。
「よっしゃぁぁぁっ! お宝探しよぉぉぉっ!」
夜、百合は自分の部屋の窓を開けて、夜風に髪を揺らしながら机に向かって高校受験の勉強を進めていた。
しかし、その手が止まる。家の奥から松の声が聞こえてきた。
「ゆるしてぇっ! ゆるしてぇぇぇっ! そんなつもりじゃなかったのぉぉぉっ!」
百合は机の引き出しからイヤホンを取り出し、音楽プレイヤーの電源を入れる。すっかり馴染みの動作となってしまった。
イヤホンを耳に付け、まだ外に聴こえる松の呻き声に唇を噛んで、百合は呟く。
「盗めるものなら、さっさと盗んで」
「勿論だ」
「!」
突然の男性の声に驚いた百合は、イヤホンを耳からケーブルを引っ張って外し、窓の外を見た。
窓の前には、怪盗φの仮面を付けた九十九が立っていた。
九十九は驚く百合に対して、努めて穏やかな口調で話しかけた。
「あれが呪いなんだね?」
「……えぇ。お婆ちゃんが死んで、あの人が家に来てから少し経った頃から毎晩。それで絵の呪いを解いて貰おうと神社に預けたんだけど、結局呪いは解けてなくて、また毎晩おばさんはああなるの」
「何かを謝ってるけど」
「お父さんが殺された事件に関係があるみたいだけど、わからない。おばさんも、あぁなってる間のことはよく覚えていないの。始めはおじさんがそのことを話したんだけど、思い出そうとするとおばさん、酷く狼狽して。……最近はおじさんもおばさんになにも言えないみたい」
日中の正樹の松に対する態度は、婿養子として染み付いたこと以外にも理由があったらしい。そう九十九が思い、確認しておかなければならないことを百合に聴く。
「おばさんはあの絵を見ている内におかしくなったんだね?」
「そうみたい。多分、絵の秘密を解きたかったんだと思うけど、呪われたみたい。それは、おじさんが言ってた」
「なるほど。……五十鈴昭文の遺産を絵師は見つけたというけど、絵師はどうやって見つけたかは伝わっていないかい?」
「知らないわ。それも絵に隠されているのかもしれないけど、お婆ちゃんの話の印象だと元々知っていたような気が私にはする。だから、私は絵師って五十鈴昭文の子孫なんじゃないかと」
「なるほど。……最後に、百合さんは絵の呪いを盗んだ後、絵の秘密をちゃんと当主として受け継ぐことができる?」
「勿論です。覚悟はしています」
「わかったよ。……明日の昼、絵の呪いを盗みます!」
「はい!」
そして、九十九はジャンプすると、屋根よりも高く飛び上がり、部屋の窓から百合が顔を出しても、その姿はもう見えなかった。
「いてて……。アール、これは着地失敗すると怪我をする」
百合の部屋の真上の屋根でお尻を擦る九十九が目の前に立つアールに抗議する。
九十九は空を飛べた訳ではない。アールの発明した超強力なホッピングシューズ『瞬間少年ジャンプ』で庭から屋根の上にジャンプして飛び移っただけだった。しかし、跳躍力に全スペックを振った様な仕様の為、3メートルを1回で飛び上がれるものの着地は考慮されていない。その為、着地時の衝撃は全部装着している九十九にかかり、しかも足のバネで着地すると今度は倍の6メートルの跳躍になってしまい、恐らく着地時に死ぬ。
九十九は瞬間少年ジャンプを脱いでアールに渡す。
「だけど、侵入する時に使ったのじゃカッコ悪すぎでしょ?」
まん丸のボール姿になっている三波が言う。これは安全面と隠密性、機動性の3つを満たしたアールの侵入用秘密道具としては最高傑作と三波が評している『忍者スーツ改』だ。ちなみに、ベースになった忍者スーツを九十九は見たことがないので、忍者要素がこのボール姿のどこにあるのかはわからない。
まん丸のボール姿という外見ながら、対衝撃性に優れ、実験で九十九が昭文神社の石段を転がって落ちた際、三波が勢いよく突き飛ばした為、そのまま公道に飛び出し、トラックにはね飛ばされたものの、無傷で圧倒的な恐怖を味わった。更に、任意での吸着も可能で、転がりながら壁を垂直に登ることもできる。そして、弾性のコントロールまでできるため、瞬間少年ジャンプの様な一気に数メートルのジャンプも可能だ。
彼らはこの忍者スーツ改で楽々と草加部邸の屋根の上に来ることができたのだ。
「カッコつけて怪我したくない。……アール、この忍者スーツ改って収縮させて必要な時だけ展開できないの?」
「それをしたら忍者じゃなくて横綱スーツになって歩きにくいって、三波から苦情が出たから、逆転の発想でボールの形に改良したんでぇ!」
どうやら、収縮できる限界があるらしい。
元々1年ちょっと前にあったεという暗殺者との戦いをきっかけにアールがchaoticという超能力者や怪物と戦う時への備えとして開発したパワードスーツだ。見てくれよりもスペックを重視したのも仕方がない。
九十九も忍者スーツ改を身に付ける。
「まぁ、ここで長話をして見つかるわけにもいかない。とりあえず、移動しよう」