惑わす絵
警視庁特殊捜査課。またの名を探偵課と庁内では呼ばれ、警察関係者の間ではこちらの名前で知られている。
名前の由来となった初代特殊捜査課課長の名探偵こと迷圭二の亡き後、同課は解体へ一度話が向かったが、警察庁所属の蒲生吾郎警視が強い要望を出し、警視庁関係者は勿論、警察官僚の数人からも特殊捜査課の存続と同警視を後任の課長へとの推薦の声が上がり、約一ヶ月半の暫定での課長不在期間と課長代理とさせての移行期間をおいた今月一日より、正式な辞令が出された。
蒲生吾郎特殊捜査課課長が昼食から課へと戻ってくると、もう一人の特殊捜査課員の伝節男がニヤニヤした笑みを浮かべて出迎えた。
「どうしました?」
「県警からの捜査協力依頼だ」
「県警からですか?」
伝が渡したファックスを受け取った吾郎は、一読して顔をあげた。
「怪盗φからの予告状ですか」
「名探偵の見解では、昭文学園で復活した怪盗φはかつての奴とは別人ということだった。別人が名前をかたっているのに何もアクションがないということは、後継者か、或いはすでに前の怪盗φはこの世にいないということになる。いずれにしても、今の怪盗φは前の怪盗φの何らかの関わりがあるということが想像できるが、すでに前の怪盗φが起こしたことで時効をむかえていないのは、所謂悪人からの民事と最後の事件とされる日本での未遂とその他余罪ともよべないような犯罪、残りは日本と引き渡しを検察側が認めていない国の事件だけだ。警察内部の方針で、怪盗φの専属捜査の権限を与えたといえば聞こえはいいが、実質的には面倒を探偵課に押しつけているだけだな。まさか本当に県警からも押しつけられるとはな」
伝のほぼ愚痴のような言葉に、吾郎は苦笑しつつ答える。
「とはいえ、怪盗φを世界で唯一追い詰めた実績があるのが特殊捜査課なのは事実ですよ。その専属捜査権がこの課の存続に一役かったのは事実ですしね」
「あれは名探偵と前の怪盗φとの間の話だ。今の探偵課と今の怪盗φでは、話にならない」
「確かに。僕も迷さんの能力には到底敵わないですし、迷さんの後を継いだのはあくまでも特殊捜査課課長の肩書きだけだと思っていますよ。探偵課課長と名探偵の名は迷さん以外には考えられない」
「相変わらず、嫌味なくらいに謙虚な男だな。……さて、行こうか、課長さん。文面によれば、管轄署の警部補を本件の担当者として俺たちに貸してくれるらしい。百人の機動隊員よりも地元を知ってる刑事だろ」
「部署は生活安全課らしいですけどね」
上着を羽織った伝に吾郎はまたも苦笑しつつ鞄を持って答えた。
「窃盗は捜査二課や二係と相場は決まってるが、予告状の時点じゃ腰を上げる気がないってことだろ?」
「恐らくね。うん、では行きましょう。今から出れば夕方には着きますね」
吾郎に伝は頷き、二人は特殊捜査課から出発した。
「アール、すごい木!」
「ああ、クスの木でねぇか」
「へぇーっ。クスノキ!」
「あっ?」
「ドングリ!」
三波とアールが農道の脇に生えていたクスの木の下でドングリを見つけてはしゃいでいる。
その様子を見ながら、九十九は嘆息した。
ここは昭文町から電車で約2時間半、バスで約1時間移動したところにある草加部村。周囲を山に囲まれた盆地で、舗装された道路よりも農道ばかりで、見える建物はバス停周辺にシャッターの閉まったたばこ屋と無人販売所、そして二、三軒まばらにある民家のみ。後は、田畑と雑木林だけだ。
「想像以上の田舎だな」
「見て! 自動販売機が並んでるわよ!」
トタンの小屋が道沿いにあり、中に自動販売機がならんでいる。
「うわぁー何が出るかわからない「?」の飲み物に、お汁粉とよくわからない炭酸飲料だ……」
「こっちは電池の自販機があるでぇ」
「ん? 裏側にも自販機があるみたいよ……薄さ日本一? 最新ビデオ入荷?」
「三波、そっちは見るな」
九十九が忠告するが、すでに三波は看板のかかっている奥の自販機二台を見てしまった。
「……私たち、田舎に来たのね」
後悔した様子で三波が戻ってきた。
上空を飛ぶトンビの鳴き声が遠く聞こえる。
吾郎と伝も日が沈む前に草加部村に到着した。
「草加部家本家です」
無愛想に言ったのは、管轄署生活安全課警部補の片桐謙だ。
くたびれた灰色のコートを羽織り、スポーツがりの頭に目付きが鋭い。その容姿に吾郎はハゲタカを連想した。
一方、草加部家は元々武家らしく、立派な門戸と瓦塀に囲まれた広い敷地の屋敷であった。
「行きに草加部家の資料を確認したところ、以前に殺人事件があったとか」
「あぁ。もう10年も前の話になります。ここの跡取り息子が弟に先々代の葬儀の直後に殺された事件です。その弟は元々ドラ息子でガキの頃から手のつけられない奴だったらしいが、クスリにまで手をつけていましてね。何度か俺も奴をしょっぴいたんですが、頭がもうクスリにやられちまっていて、とうとう訳のわからねぇ理由で兄貴を殺しちまったという話です。そいつは今もどこだったか忘れたが、病院の檻ん中です」
「訳のわからない理由とは?」
吾郎が片桐に聞くと、彼は片眉をあげて、なんでそんなことを聞くんだという表情を浮かべつつも、無精髭をさすりながら答える。
「確か、自分の惚れた女が絵を興味深そうに見てたから兄貴を殺した……だったかな?」
「それ、サイコパスの心理であげられる例え話じゃねぇか? そのドラ息子、本当にそれが理由で殺したのか甚だ疑問だな」
伝が呆れ顔で言った。
「まぁ、すでに終った事件の話だ。今更蒸し返しても仕方ねぇですよ。とりあえず、その一件で実質的に本家の血は絶えた。ってのも、先日亡くなった本家の先代当主の婆さんは先々代の後妻で、殺人事件の兄弟は兄貴が分家の養子で、弟が婆さんの連れ子だったらしい。前妻との間に子どもはない。殺された兄貴の嫁、弟の惚れたという女がその女なんだが、事件後に自殺。その女と兄貴の間には娘がいて、先代が引き取って育てていたらしいが、まだ中学生で分家が後見人になる予定ってところです」
「その分家というのは、殺された兄の?」
「血の繋がった姉の夫婦です。元々は都会に暮らしていたのが今回のことで帰ってきたんだそうです」
吾郎の質問に片桐は答えた。
「ややこしい家だということはよくわかった。んで、怪盗φが呪いを盗むと言ったのは、その件に出てきた絵のことか?」
「そうです。だけど、呪われているっていうなら、絵じゃねぇ。草加部家そのものですよ」
片桐が鋭い目で草加部家を睨んで言った。
その言葉に吾郎も思わず頷く。
今、目の前にある広い屋敷に主はおらず、娘一人と分家の夫妻だけがいるという。
それはあまりに大きく、不気味な印象を吾郎に与えていた。
「まぁ村の駐在が来たら、訪問しましょう。近くに地元じゃ有名な温泉があるんで、夜は湯に浸かって下さい。古くは戦で傷ついた兵士を癒した秘湯らしいですぜ」
片桐の言葉に吾郎は微笑んだ。
そして、まもなく駐在が到着し、一同は草加部家本家へ入った。
片桐が玄関で一言二言、話をすると、そのまま吾郎達は屋敷の奥に通された。
長い廊下を先導するのは、分家の婿という草加部正樹だ。正樹は暗い印象を与える猫背の男で、身長はそこそこあるがやや太っており、如何にも肩身の狭い婿だった。年齢は40手前くらいだろう。
正樹は腰を低く、廊下の奥の間の障子戸を少し開けて小声で中に話しかける。
「例の刑事さん達、来たよ。……わかった。じゃ、じゃあ、開けるね」
一度襖から顔を離し、吾郎達へ頭をへこへこと下げると、障子戸を開けた。
「お客様、どうぞお入り下さい」
奥の間は、20畳の広い和室であった。全盛期は恐らくズラリと親族が顔を連ねて、こちらを好奇と警戒の目で見て、さぞ吾郎達のような客人は威圧的な状況を味わったものだろう。
しかし、今はその広い部屋には似つかわしくない一畳分のちゃぶ台と奥の床の間の前に置かれた座布団にちょこんと座る少女。そして、ちゃぶ台の脇に座布団を敷いて座る目付きの鋭い40手前の和服を着込んだ女性が吾郎達を睨む。それだけだった。
床の間にも立派な鎧兜が飾られているが、その前に座るのは背が高く大人びた印象はあるものの、化粧のしていない素顔ではまだ幼さの残る十代の少女であり、荘厳な床の間の前に座る当主としてはあまりにも細く、弱々しく感じる。
「ど、どうぞ」
正樹は忙しなく、部屋の隅に積まれた座布団を抱え、ちゃぶ台の前に三枚並べる。
吾郎達は片桐を先頭にして、部屋の中へ上がり、お辞儀をして座布団に腰を下ろした。
正樹も女性の隣に腰を下ろす。彼は座布団を敷いていない。
「東京から来た刑事さん、でしたね?」
「はい。警視庁特殊捜査課の蒲生と申します」
「同じく伝です」
まず女性に睨みながら問われ、二人は挨拶をして頭を下げた。
「遠路はるばる御苦労様です。私は草加部松。この正樹の妻で、今はそこにおります百合の後見人をしております。もう事情はご存知と思うので省きますが、そこにおります百合が草加部本家の当代当主となります」
「草加部百合です。よろしくお願いいたします」
草加部松が心の全く籠っていない労いの言葉と早口での案内をして挨拶をすると、それとは対称的に静かにしかし語気のある声で少女、草加部百合は恭しく頭を下げた。
駐在の草加部竹志が吾郎達に挨拶をした。
竹志は初老の痩せた警官で、覇気というか、精気を感じられない男であった。
挨拶を終えると竹志はすぐに玄関へ行き、一言二言、話をすると、そのまま吾郎達は屋敷の奥に通された。
長い廊下を先導するのは、分家の婿という草加部正樹だ。正樹は暗い印象を与える猫背の男で、身長はそこそこあるがやや太っており、如何にも肩身の狭い婿だった。年齢は40手前くらいだろう。
正樹は腰を低く、廊下の奥の間の障子戸を少し開けて小声で中に話しかける。
「例の刑事さん達、来たよ。……わかった。じゃ、じゃあ、開けるね」
一度襖から顔を離し、吾郎達へ頭をへこへこと下げると、障子戸を開けた。
「お客様、どうぞお入り下さい」
奥の間は、20畳の広い和室であった。全盛期は恐らくズラリと親族が顔を連ねて、こちらを好奇と警戒の目で見て、さぞ吾郎達のような客人は威圧的な状況を味わったものだろう。
しかし、今はその広い部屋には似つかわしくない一畳分のちゃぶ台と奥の床の間の前に置かれた座布団にちょこんと座る少女。そして、ちゃぶ台の脇に座布団を敷いて座る目付きの鋭い40手前の和服を着込んだ女性が吾郎達を睨む。それだけだった。
床の間にも立派な鎧兜が飾られているが、その前に座るのは背が高く大人びた印象はあるものの、化粧のしていない素顔ではまだ幼さの残る十代の少女であり、荘厳な床の間の前に座る当主としてはあまりにも細く、弱々しく感じる。
「ど、どうぞ」
正樹は忙しなく、部屋の隅に積まれた座布団を抱え、ちゃぶ台の前に四枚並べる。
吾郎達は片桐を先頭にして、部屋の中へ上がり、お辞儀をして座布団に腰を下ろした。竹志は座布団を下げ、末席に直接畳に座った。
正樹も女性の隣に腰を下ろす。彼も座布団を敷いていない。
「東京から来た刑事さん、でしたね?」
「はい。警視庁特殊捜査課の蒲生と申します」
「同じく伝です」
まず女性に睨みながら問われ、二人は挨拶をして頭を下げた。
「遠路はるばる御苦労様です。私は草加部松。この正樹の妻で、今はそこにおります百合の後見人をしております。もう事情はご存知と思うので省きますが、そこにおります百合が草加部本家の当代当主となります」
「草加部百合です。よろしくお願いいたします」
草加部松が心の全く籠っていない労いの言葉と早口での案内をして挨拶をすると、それとは対称的に静かにしかし語気のある声で少女、草加部百合は恭しく頭を下げた。
「それで、予告状は?」
「こちらです」
松がちゃぶ台の上にポンと置いた。
紙なのかプラスチックなのか判断のつかない材質のカードに『呪われた絵の呪いを盗む。怪盗φ』と印刷されている。
「昭文学園以降の怪盗φの予告状と全く同じですね。科学捜査で調べてもカードの製造元も印刷機の種類も特定できない特殊なものですよ」
伝が吾郎に耳打ちする。
吾郎はそれに頷くと、カードを手にとって確認する。
「これはどちらに?」
「ここです。この場所にいつの間にか置かれていたのです」
吾郎の質問に、松はちゃぶ台を指差して答えた。その表情にはあからさまな嫌悪感が見える。自分の家のちゃぶ台の上に知らぬ間に予告状が置かれていたら無理もない。
「なるほど。……それで、その呪われた絵というのは?」
吾郎がカードをちゃぶ台の上に戻しながら聞くと、松は隣の正樹の膝をポンと叩く。
すぐさま正樹は立ち上がり、背にある襖を開けて隣の部屋から桐の細長い箱を持ってきた。
箱をちゃぶ台の上で開けると、中から丸まった掛け軸を取りだし、ちゃぶ台の上に広げて見せた。
「浮世絵の美人画ですか。なるほど、江戸時代中期の写楽斎の影響を伺えますな」
「あら刑事さん、絵にお詳しいんですか?」
「独身貴族なもので、骨董が昔から趣味みたいになってるんですよ」
驚く松に伝は苦笑しながらも、その目は真剣だ。じっと浮世絵を確認し、桐の箱も裏面まで確認する。
「どうかなさいましたか?」
「失礼ですが、こちらの絵を鑑定されたことは?」
「ありますが、流派も特定できず、銘も入っておりません。そもそも骨董品としての価値でなく、この絵は呪いとは別に草加部本家が手離せない事情があるのですよ。それ故に、価値がなくても戦禍を逃れ、今日までこの草加部の家に置かれているのです。それをこの子が……。あっ、失礼しました」
松が失言とばかりに、口つぐんだ。
吾郎はそれを逃さず、問いかける。
「百合さんが何かなさったんですか?」
「いえ」
「私がお祓いに出したの。草加部の伝承と同じ昭文の名前が付いた神社に」
松は誤魔化そうとするが、百合がよく通った声で答えた。
その内容に吾郎と伝は顔を見合わせる。
「もしかして都内昭文町にある昭文神社ですか?」
「はい。ご存知ですか?」
「えぇ。何というか……」
「本官の地元なんですよ。いや驚いた。その神社の参道の側に本官の家もあるんですよ」
伝が笑顔で吾郎をフォローする。
それを聞いて、今度は百合も目を見開いて驚く。
「あらそうでしたの! 偶然ですね」
「えぇ。それで聞きなれた名前だったので、つい驚いたものですから」
「随分素敵な街にお住まいなんですね、刑事さん」
「えぇ、まぁ」
「それで、その昭文神社とこちらの草加部家には何か所縁が?」
伝が曖昧に笑って誤魔化すと、吾郎がすかさず疑問を百合に向かって聞く。
この流れになれば松が答えるのは変だ。それに気づき、松は黙って吾郎を睨み付ける。
「所縁がある訳ではないのですが、草加部村はここ草加部本家を起点として戦国時代に興され、今日に至ります。そして、草加部がここに村を構えたのは当時の武将から戦での活躍の褒美にこの土地を与えられたことが始まりになります。しかし、戦で活躍をしたのは草加部本人ではありませんでした」
百合は淡々と語る。恐らく幼い頃から繰り返し聞かされ続けたのだろう。
「武将に仕えていた草加部は決して武勇に長けてはおらず、武将の家来として戦を任される立場でしたが、長らく戦果をあげられませんでした。しかし、ある戦の最中、一人の旅人に出会います。戦場での弓矢に当たってしまった旅人を草加部は助け、謝罪の意味も込めて客としてもてなしました。それに感動した旅人は、草加部に礼として無敵の兵士を与え、結果草加部は戦に大勝し、以後も草加部の無敵の兵士は戦国の世で活躍し、遂に武将から土地を与えられたのでした。めでたしめでたし。……この草加部家の伝承に出てくる旅人が、五十鈴昭文という方だと伝えられているのです」
「なるほど。それで昭文神社ですか」
「はい。まぁ、伝承といっても、おばあちゃんの昔ばなしなんですけど」
百合は納得して頷く吾郎に答えた。
そんな彼らの頭上、和室の天井に小さな機械の虫が止まっていた。