惑わす絵




 別れの季節は過ぎ、春が来た。
 庭の木々も新緑を芽吹かせ、昭文神社のある昭文山の参道は桜花が舞っている。
 その桜を目当てに昭文神社を訪ねる者は少なくない。一ノ瀬九十九もその一人だった。
 相変わらずの黒縁眼鏡に頭髪検査で確実に引っかかるボサボサの髪が鬱屈とした印象を他に与えるが、それを彼は気にとめない。
 境内へと続く階段を登りながら、携帯電話のカメラで桜を何気なく撮影し、決して届かぬ相手へとメールを送信する。いつの間にか彼の日常の一部となった行為だった。

「まーた数ちゃんに送ってるの? 女々しいわね」
「うわっ!」

 突然背後から声をかけられ、九十九は思わずバランスを崩して階段から落ちそうになる。

「何やってんの? ももちゃんの身体能力なら落ちても平気でしょ」
「だからって落ちたくない。……それから俺はももちゃんじゃなく、一ノ瀬九十九だ」

 必死にバランスを取り、九十九は声を駆けてきた相手を睨む。
 そこに立つのは、言わずもがなこの神社の一人娘の十文字三波だ。今日は紅白の巫女姿で竹箒を片手にいるところから、家の手伝いをしているらしい。

「珍しいな。コスプ……」
「はぁ? 今朝お祓いがあっただけよ。それともあんた、そういう嗜好が」
「ねぇよ。馬子にも衣装着せても馬子は馬子以外の何者でもない」
「そこまで言って、私の巫女姿をコスプレと言うか!」
「他意はない」
「あるでしょ!」

 下らない議論は、行き交う参拝者達のクスクスという笑い声で終わりをむかえた。

「不毛だ」
「同感」
「んで、お祓いってあるんだな?」
「そりゃあるわよ。どんなに科学が発展しようと人は人だもの。呪いとか物騒な話は滅多になくても、不可解なことや偶然の積み重ねは割と身近なものよ。そういうことに、人は縁起を担いだり、厄払いをしたり、お詣りに行ったり、お賽銭を出したりするのよ」
「気休めだろ」

 九十九は手に握る携帯電話を見て言い放つ。

「それは未来や宇宙だの、幽霊だのの現実を知っているから言えるのよ。ももちゃんの力だって、まだ本当のところは何もわかってないじゃない」
「一ノ瀬九十九だ。……まぁ、そりゃそうだけど、三波にゃ悪いがどうにも胡散臭い」
「大体はね」
「含みがあるな」

 怪訝そうな顔をする九十九に三波は不敵な笑みを浮かべる。
 九十九は内心で焦り、そして諦めた。経験上、三波がこういう表情をする時は何か良からぬことを企んでいるか、何か大変面倒で厄介な事件に巻き込まれると九十九は知っていた。
 そして、今更九十九がどう足掻こうと三波の意志が揺らぐことなく、むしろ障害となるものが多ければ多い程その意志を強め、実行するということも、その被害は主に彼女の周りにいる人間が被ることも。この場合、それは九十九だ。

「ふふふ、今回のは本物なのよ」
「本物? 幽霊でもついてたのか? それなら江戸川先輩に……」

 九十九は警察学校へ進んだ霊視能力者の名をあげた。

「残念だけど、幽霊じゃないからあの兄貴は役に立たないわ。怪奇一括りでどれも同じと思ってもらっちゃ困るわ。全くこれだから素人は」

 三波が如何にも玄人が素人の無知に呆れているという様子で、嘆息した。
 勿論、神社の娘でも三波はただの女子高生。むしろ宇宙だの時空だのといったSFのことは人並み以上の知識を持っていても、怪奇といわれる類は九十九よりも無知だ。

「じゃあ何なんだよ」
「祟りよ。怨念でもいいわね」
「というと?」

 九十九が聞くと、三波は階段と木々が茂る周囲を見渡し、声を潜ませる。相変わらず顔が近い。

「元々はとある旧家で代々受け継がれていたらしいけど、その直系も絶えて絵も遠縁の者が継ぐことになったらしいわ。でも、その絵はその者には渡らなかった」
「どういうことだ?」

 耳打ちする三波の息が当たり、熱くなる耳を彼女から遠ざけつつ、九十九は聞いた。
 三波は全くそれを意に介さず、再度耳打ちする。

「絵がその人の手に渡る前にその人は弟によって殺されたのよ」
「まさか、その絵を気に入った女性を好きになったから殺したとか言うんじゃないよな?」

 すると、三波は目を見開いて驚きを露わにする。

「どうしてわかったの?」
「……なんて言ったらいいんだろう? つまり、それは作り話だよ」
「どうしてよ!」

 詰め寄る三波に九十九は嘆息しつつ答える。

「有名な心理テストにあるんだよ。その話に酷似したものが」
「ふーん。まぁ似たような話は世界中に一つや二つあるわよ。何にしても、殺し合いが起こるほどに人を魅了する絵なんて面白いとは思わない?」

 目を輝かせて詰め寄る三波。やはり九十九の顔に近い。

「思ってもそれはおもちゃの缶詰の中身ほどにも興味がない」
「それって物凄い興味があるってことね!」
「どうしてそうなる!」
「何言ってんのよ。おもちゃの缶詰の中身は、ケネディ暗殺の真相、三億円事件の犯人と並ぶ程の謎よ!」
「………ちなみにエリア51は?」
「んー、アールがいるからこれ以上宇宙人ネタはいいわ」
「………」

 九十九は嘆息した。三波と九十九の価値観には大きな差が存在するらしい。

「で、俺にそいつを見せたいんだろ? 拒否権なく」
「人聞きの悪い。私は好意で特別に見せてあげると言ってんのよ。まぁ見たくないなら、無理にとは言わないけど、人の好意を断るなら好意で用意してる夕飯もいらないという訳ね。なるほどなるほど」
「……ご好意に甘えさせていただきます」

 自分が自立するまで三波に対して逆らえないことを再認識した九十九であった。






 

 絵は境内の隅にある土蔵の中に安置されていた。掛軸であり、桐の箱に丸められた状態で保管されている。
 三波は馴れた手つきで掛軸を広げた。どうやら何度もこっそり広げて調べていた様だ。

「三波、何度も出し入れしてると絵が傷むぞ」
「っ!」

 三波の肩がビクッとする。

「まぁ俺も晴れて共犯だし、あまり強くはいえないけど」
「……」

 九十九はひきつった表情の三波を気にせず、淡々とした様子で広げられた絵を見る。
 確かに、絵には美しい女の人を描いたもので、背景はどこかの山の景色で、女の人の足元には草花が生え、女の人の左右には木々が茂っている。そして何よりも印象的なのは、水墨画でなく顔料を使った水彩画とも油絵とも違った独特の色彩をした画風であった。

「赤や紫が多く、華やかなのに暗い印象がある。……不思議な絵だ」
「そう? わたしはただの絵にしか見えないけど」
「……もはや芸術センス以前の問題だな」
「なによ!」
「別に。……しかし、不思議だ。顔料を使っているなら油絵に近いはずなのに、掛軸として丸めることができるなんて」
「あぁ。それがこの絵の価値らしいわよ。時代的には200年以上は昔のものらしいけど、当時の日本は勿論、現代にも存在しない絵画技術で描かれているらしいわ。勿論、かなり薄く顔料をのばして、顔料と相性のいい紙を使えば可能で、オーパーツみたいな技術的に不可能なものではないらしいけど、可能であってもやる人はいない。そういうものらしいわ」
「ふーん。……やけに詳しいな」
「一応、依頼主の話をわたしも聞いているからね」
「なるほど。作者の名前がないけど?」
「不明らしいわ。旅の絵描きに当時の主が描かせたものらしいけど、鑑定家の人も他に類を見ないものだから、流派も特定できないんだって」
「つまり、ものすごく手間と先駆的なことをした落書きってことか」
「そういうことね」
「でも、いくら美人画でも、そんな由緒もない掛軸をその家は代々受け継いでいたの?」
「そうらしいわよ。理由は話してくれなかったけど。わざわざ他県から持ち込んできたんだから、絵のことを知ってる人にはお祓いができないような理由なんじゃない?」
「宝のありかをしめしてるとか?」
「ありきたりね」
「ありきたりでも、過去に揉め事の種になったようなものなら、一番可能性が高いのは宝だろ? 大方、2世紀前なら江戸時代だし、その土地の殿様の財宝とかがこの絵の謎を解くとわかるってやつじゃないか?」
「そんな三流推理小説じゃあるまいし……」

 三波はわざとらしく嘆息し、首をやれやれと振りつつも、その目は掛軸に向けられている。

「まぁお祓いはしたんだろ? だったら、余計な好奇心は持たないことだ。新たな呪いを生むだけだよ」

 九十九は絵の表面を素手で触りつつ言う。

「手垢がつくわよ」
「へぇへぇ」

 そして、二人は掛軸を元通り箱に戻すと、土蔵を後にした。
 翌日、掛軸は持ち主の元に返され、その数日後、呪いが消えていないと苦情の手紙が昭文神社に送られてきた。






 

「アール、まだ例のお祓いは揉めてるのか?」

 昭文神社境内にある三波の部屋の押し入れの縁に寄りかかり、九十九は押し入れの中に問いかけた。
 あれから数日。お祓いに対しての苦情は、料金の問題から貴重な掛軸を素手で触れるなど、粗悪な扱いをしたことについての保証に発展しているらしい。

「オイラにゃ関係ねぇ」

 押し入れの上段で何やら機械を作っている雪だるま型宇宙人のアールは、素っ気なく答えた。異世界やら時空やらについての調査を長らく続けていた彼だが、最近は自称発明家らしく、様々な道具の発明に勤しんでいる。この前も何やらすごい道具を発明したと三波と九十九に息巻いていた。
 因みに、アールは押し入れと屋根裏に居候しているが、彼の存在は十文字家で三波しか知らない。
 時々母親が押し入れを開けたり掃除をするらしいが、身動きしなければ、やや大きく邪魔な雪だるま型のフィギュアにしか見えないので、景品で当てたものだという三波の説明を疑っていないらしい。

「それが、そもそも持ち出しちゃいけない人が依頼人だったらしいわよ」

 三波が襖を開けて部屋に入りながら、九十九に言った。
 彼女の手にはペットボトルの炭酸飲料が二本ある。その一本を九十九に渡し、自身も一本を片手に、 彼らの前に座ると続きを話し出した。

「どうやら依頼人というのが、その血筋が絶えたという本家の人らしくてね」
「ん? それじゃ、絶えてないぞ?」
「うーん。その子、まだわたしより年下だったらしいのよ。元々長身の子で、掛軸を持ってきた時はお化粧と変装で年齢を誤魔化してたみたいよ」
「ってことは、15歳に満たないのか? なら、普通、相続権はないから、後見人が必要か。なるほど。つまり、掛軸の次の所有者になるって人物が後見人で、所謂分家筋の人間ってことだな」
「なに、一人勝手に納得しているのよ!」

 事情を察した九十九に対し、理解しきれていない三波は不機嫌になる。

「要は、持ち主となれない人が勝手にお祓いを依頼し、クレームをつけて、それが新しい持ち主にバレた。その新しい持ち主というのは、その依頼人の後見人、つまり親代わりの人。そりゃ揉めるよ」
「おかげでお父さんが珍しく不機嫌で、こっちはとんだ迷惑よ」
「そいつは困ったな」

 三波が不機嫌であったり、気分屋なのはいつものことだが、神主が不機嫌なのは、九十九にとって三波の母親が不機嫌なことに次いで困ったことだ。
 なぜなら、それは彼の食事事情に直結することだからだ。
 そんな九十九の考えを察してか、三波はムッとする。

「なんかやけに今回は深刻そうね。わたしの持ち込む話と聞く態度が違うわ」
「気のせいだ。……しかし、呪いが消えてないというのだから、呪いとやらが再び起こったと考えるのが自然だな」
「おっ! ももちゃんが探偵する気になった?」
「冷やかすな。……だいたい、俺たちが探偵をして何が起こったのか、忘れたのか?」
「うっ……」

 九十九の言葉に三波は表情を変える。
 昨年末、彼らは探偵をした。それこそ、仲間達で力を合わせれば歴史も世界も変えられると信じていた。
 しかし、結果として彼らの前から迷探貞という優れた探偵の才能がある先輩は姿を消した。
 九十九はそれ以降、不用意に三波の勢いに押されて探偵のようなことをすることをやめていた。

「でも……。きっと絵を持ってきた子は、呪いを消したがってるのよ?」
「それなら、本職に頼めばいいだろ」
「でも……」
「だったら、呪いを盗むってのはどうでぇ? 百瀬は探偵ではねぇけど、怪盗φでねぇか?」

 突然話にアールが割り込んできた。
 その内容に思わず三波と九十九は顔を見合わせる。
 確かに、九十九は最後の怪盗と云われた怪盗φの名を継ぎ、過去にも何度か怪盗φとして活動をしている。
 怪盗といっても、本当に泥棒をするなどの犯罪は行わない。しかし、怪盗φという存在が生まれた背景にある真実と共にその名を受け継いだ彼には、怪盗φを名乗る際にはそれ相応の覚悟を持っていた。
 決して九十九にとって怪盗φの活動は遊びにではない。

「呪いを盗むと予告状を出すのか?」
「それがおめぇらのいう探偵との違いでねぇのか? 探偵とやらは依頼を受けて動くってぇことだけど、怪盗は依頼なしで動ける代わりに予告状を出すんでねぇのか?」

 アールの問いかけに九十九は強く頷いた。
 その2日後、掛軸の管理を暫定で行っている草加部家の本家に怪盗φから、一週間後に掛軸の呪いを盗むとの予告状が届いた。
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