未来への約束




 一方、旅行中の探貞は伝の別荘に戻り、母が作った昼食を食べながら現在調べている怪事件の謎について考えていた。

「探貞、食事中は事件を忘れろ。味わい、食事を楽しむ。一度思考をリセットするのも大切だ」

 圭二が上の空で食事をする探貞に注意した。
 しかし、それを聞いた伝は苦笑混じりにいう。

「それは名探偵も同じだろ? 難事件を捜査中はいつもこんな感じだ。奥さん、家でもそうですか?」
「えぇ。ほんと、親子で変なところが似てるんだから」
「ですな」

 母と伝は笑う。圭二は少しむっとした表情をするが、すぐに表情を崩し、探貞に話しかける。

「黙って考えるなら、話してみろ。父さんは食事中に話すことを別に悪いことだとは思わない。それに、行きがかり上、探貞がメインで調べることになったが、父さんと伝も情報を収集してきた。捜査会議といこうじゃないか」

 圭二が他の二人を見る。彼らは同意を示すように頷いた。
 探貞も頷き、今までわかった情報を話し始めた。

「お地蔵様が移動したと考えられるのは、昨日の朝9時から10時にかけての1時間。移動した距離は約五キロ。一つ山を越えての移動で、実際には9時半にお地蔵様がなくなっていることが発覚、その後10時に発見された。ただし、それぞれの地点での目撃者はこの間になく、最後の目撃から発見までは1時間になっている。車での移動なら10分くらいの距離だけど、徒歩では勾配も激しくどんなに足が速くても1時間はかかる。近道はなく、車道以外は地元の人でも危険なので立ち入らない。仮に可能でも石の塊であるお地蔵様を持ちながらの移動では現実的に不可能だと思う。車道の中間地点には道路工事が行われていて、工事現場の警備員の証言でこの間に移動した車はたったの二台で、一台が工事現場に土砂を運ぶトラック。もう一台はお地蔵様が発見された山にある集落の住民の車だけど、車はお地蔵様が発見された地点の手前にある神社で昨晩行われたお祭りの資材が積まれた車で、それを待っていた集落の住民達、合計12人が車は工事現場側から来て、発見現場の方へは行っていないと証言が一致している。そして、その12人と車の運転手1人が誰一人発見現場の方へと向かっていないと証言している。……これが整理した内容だね」
「要点を整理すると、時間的に徒歩は不可能。使える可能性があるルートは車道のみだが、消失現場と発見現場の間には、工事現場と神社の二カ所に人の目があったが、発見現場へ向かった車はないと証言している。通行した二台の車はそれぞれ工事現場と神社の二カ所まで行っていないと証言がある。あってるな?」

 圭二が確認をすると、探貞は頷いた。
 続いて伝が食べ物を飲み込むと口を開いた。

「よし、それでは私が調べた情報を話そう。まず、移動したお地蔵様だが、あれはこの地で祀れている土地神の一種で、神社のご神体と同じ神らしい。細かい事情まではわからないが、事実としてはもともと神社とあちらの山は同じ土地だったらしいが、山の方は現在の地主一族に分けられて、その際に祀られたのがお地蔵様らしい。山の地主は現在開発会社から買収話を持ちかけられ、順調に話を進めていたらしいが、信心深い人らしく、今回の一件で一転、白紙に戻したらしい。工事現場の者達は皆、アルバイトと契約社員だった。ある程度身元も調べたが、今回の一件ともこの地域とも無関係な人間達だった。金で雇われた可能性を捨てきれないがな。今の情報の限りで、動機があり、一番怪しい人物のは神社に向かった車に乗っていた人物だな。あるいは、車やバイクで移動できる別のルートがあるという可能性だ。一時間かければ可能というルートはあるかもしれない。動機から考えると、山の開発が中止になって利益がある人間だな」
「地元の住民はその山の開発をどう思っていたのかわかりますか?」

 探貞が聞くと、伝は付け合せのきゅうりを摘まむ。

「開発があれば、土地が整備され、その恩恵は住民達にもある。しかし、地主のことを考えると、この土地の住民は山を神格化している。故郷の自然を失うことと得られる利益、どちらを重んじるかは人によって違うだろうな」
「うん。……父さんはどう思う?」
「可能性を一つずつ検証していくしかないな。得られた情報から、真偽を見極めて真実を解き明かす。お地蔵様が一人で動くことができないのであれば、動かされたということだ。瞬間移動や空中を浮遊して移動したという可能性を考慮しないのであれば、地上を動かしたということだ。まずは行動してみることだ」
「行動?」

 圭二の言葉を聞いて探貞が首をかしげる。圭二は頷く。

「気になることがあるんだろう? それなら、まずはその気になることを気になったままにせずに、行動してみることだ。何もしなけば、謎は謎のままだ」
「謎は謎のまま……」

 探貞は父の言葉がいつまでも耳の奥に残った。
 そして、その言葉の通りに行動することにした。彼には気になることがあった。





 
 

 昼下がりの午後、涼は駅前の大型スーパーで母親から頼まれた夕飯の買い物をしていた。ちょっとした用事のついでに頼まれたのだ。
 ジャガイモ、人参、玉ねぎ、豚肉と書かれたメモを見て、今晩はカレーか肉じゃがだなと想像しながら、涼は陳列された野菜から手ごろなものを選ぶ。

「あとはお肉ね」

 買い物カゴに野菜を入れた涼は、連休中で気温も高くなる午後とあって人がまばらな店内を移動する。
 目当ての精肉コーナーの前には、見覚えのある少年がやはり買い物カゴに食材を入れて立っていた。

「あら? 確か、百瀬君よね?」
「俺は一ノ瀬九十九です。って、ん? あぁ、江戸川先輩の彼女さんですか」
「訂正。幼なじみだけど、彼女じゃないわ」

 お互い真面目な顔で訂正し合う。
 そして、何気なく涼は九十九のカゴの中身を見る。自分と同じ野菜が入っていた。

「一ノ瀬君もお使い?」

 涼は自分のカゴを見せて微笑んだ。
 対して、九十九は表情を変えず、豚肉を選びながら淡々と答える。

「いえ、うちは母が働いているので、俺が家事と家計を管理してます。あぁ、父はいません」
「あ……」

 涼はばつの悪そうな顔をした。
 しかし、九十九はやはり平静とした顔で、豚肉を自分のカゴに入れながら言った。

「別に気にしてませんから、先輩も気になさらないで下さい。……はい。この肉なら肉じゃがでもカレーでも美味しく食べられると思います」

 当たり前のように九十九は豚肉を涼に差し出す。面食らいつつ涼はそれを受け取る。

「あ、ありがとう」
「いえ。……今夜はカレーにしようと思います」

 それだけ言い残し、九十九は精肉コーナーを立ち去った。
 それを見送った涼は不思議な感覚にとらわれていた。まるで、蜃気楼のように実体を掴むことのできない存在が目の前に現れたかのような、そんな現実味のない印象を涼は九十九に対して感じていた。

「不思議な子……」

 思わず涼は精肉コーナーの前に立ち尽くして一人呟いていた。



 


 

 連休最後の夜、三波は明日からの学校の準備を済ませ、布団でゴロゴロとしていた。
 昨日、偶然から明らかになった二つの事が頭から離れず、彼女は柄に似合わず悶々としていた。
 その場に居合わせた九十九は、あるがままの事実を受け入れ、三波に心配する必要はないと言った。
 紛れもなく彼も渦中の中心にいる一人にも関わらず、彼はそれをいつも三波が起こす出来事や持ち込んでくる謎と同じように平静とした様子で、客観的にとらえていた。
 それ自体も彼の語った九十九の秘密の一部なのかもしれない。

「はぁ、何か頭がパンクしそう! ……どうしよう?」

 布団で仰向けになって一人で何を言っても言葉をかける者はいない。
 連休は各々の想いが渦巻く中、終わりを告げた。
 後にすべてはこの連休中の出来事が少なからず影響を及ぼす事となるが、その時の彼らがそれを予想することは到底できるはずもなかった。



 


 

「私の将来の夢は、平凡な人生を過ごす事である。一般的な大学を出て、起伏の少ない公務員の様な安定した生活のできる仕事をするのが、私の夢である。郵便局員よりも市役所の方がいい。なぜなら、郵便局員だと配達で外に出ることがあるからである。私はできる限り自分の机から離れる機会が少なく、必要以上の人と会う事のない仕事がしたいと考えている。毎日、紙と電卓と向き合っていればいい仕事ができたら、私の夢は叶うのである。しかし、私はあまり数学が得意ではない。従って、これからは数学の勉強に誠心誠意努めたいと考えている。……これ、小学校の時の作文と同じじゃないか?」
「多少語彙は変えているから問題ないだろ? 文章はもう少し長くさせるし、何よりも事実として中間考査に向けて数学対策の勉強を中心にしているからな」

 連休明けは朝から雨だった。授業前の教室では、今日も探貞は和也と話していた。
 探貞は和也の原稿用紙に視線を向け、一方で和也は数学のノートを片手に窓の外を眺めていた。

「んで、私のノートで試験対策ってことね」

 そんな二人のやりとりに、黙って隣の席で話を聞いていた涼が割って入ってきた。

「学年一位の奴のノートを使えば、苦手な数学の成績もよくなると思えるだろ?」

 さも当然であるかのような表情で、和也は言った。

「全く。ついでに国語の勉強もした方がいいんじゃないの? この作文を本気で提出するつもり?」
「提出するつもりでなくて、わざわざ学校に持ってくる理由がない」
「はぁ。別に和也の自由だけど、後で先生に怒られても知らないわよ? ……まぁ、作文に関しては後の祭りだけど、数学については協力するわ。だから、今日遊びに行っても良い?」

 彼女の提案に和也は視線を外の木に向けたまま答える。

「別にいいぞ。お前が来ると妹も喜ぶし」

 和也の言葉に、一瞬、探貞が彼を見る。しかし、首をかしげた後、二人のやり取りを傍観することにする。
 一方、涼は笑顔でうなずく。

「ありがとう!」

 しかし、直ぐに彼女は顔を曇らせた。

「……今日の和也、わたしを見ないね? ……いるの?」
「別に今更の事だ。それにお前も気にするようなものじゃない、多分」

 一見すると高校生の男女の会話としては懸念のあるやりとりであったが、彼ら二人に関しては彼を含めた他のクラスメートも特別奇異な目を向けることもなく、このやりとりも別段珍しいことでもなかった。
 その一因として、和也の能力は学内で探貞と涼のみしか知らないことであるが、涼の家庭については多くのクラスメートが知っていることがある。彼女の家庭は少し非凡であった。母親が既に他界しており、父親と祖父母の家で暮らしている。父親と祖父の家業は、葬祭関係の仕事であり、納棺師と呼称される数十年前から現れた遺体を棺に納める際に必要な作業を行う職人である。
 そして、彼女が家に帰らない日は仕事がある日で、特に湿度や気温が上がりやすい時が多い。必然的に死体の持つ独特のにおいを持ち帰る可能性がある日に、彼女は江戸川の家に遊びに行くのだった。
 平凡な家庭でありながら非凡な才能を持つ和也と、非凡な家庭に育った涼。そして、探貞の三人はただの幼なじみ以上の強い絆があった。
 件の作文に悩む探貞もまた、二人同様に非凡と平凡が入り混じった混沌の中に身を置く一人である為だ。刑事の息子、そして和也とはまた違った意味での非凡な才能を持つ彼の境遇が、探貞の将来を立ち込めた霧の中に閉ざしてしまっていた。
 それは、連休中の旅行でも結局晴れることはなかった。つまり、将来を考える時間と機会、助言があっても、わずかながらのヒントを得たに留まってしまったのだ。

「そういや、探貞。連休中にメールしてきた謎は解けたのか?」

 以心伝心を体現したかの様なタイミングで和也は、探貞に旅行先であったお地蔵様の移動した謎についての話を投げかけてきた。

「あぁ。最終的には父さんと同僚の伝さんが解決させたけどね」
「どんな事件だったんだ?」

 探貞の前置きを気にとめず、和也は聞いてきた。

「時系列を追って、簡単に整理すると……」

 探貞はお地蔵様が移動した際の状況とそれぞれの関係、その後の展開についてを話した。
 和也も涼もそれを黙って聞いた後、和也は口を開いた。

「それって土地が売られないことで利益がある奴が、工事現場の人間を買収して、トラックで運んだんじゃないか?」
「それじゃ、神社の目撃情報と矛盾するわよ。私は、山と山を結ぶ……例えば、ワイヤーとかを引いて、それをロープウェイみたいに渡して運んだんじゃないかと思うわ。これなら、時間も目撃情報もクリアできるわ」

 和也の推理を否定し、涼は学年トップらしい推理を語った。
 しかし、探貞は首を横に振る。

「それは僕らも考えた。物理トリックがあるなら、それが一番可能性が高いものだからね。ただ、それを証明する為に調べる過程で逆にそれが不可能だと明らかになったんだよ」
「というと?」
「一つは標高の問題。距離としてはどちらも麓から同じくらいの距離なんだけど、移動元は山というよりも丘で、大きさが違うけど、標高は昭文山と対して変わらなかったんだ。対して、移動先の神社のある山は、それよりも標高が高かった。低いところから高いところへ滑ることはないし、同時進行で計算してもらった結果、それが可能な着地点の場所は神社よりも下だったんだ」
「モーターを使えば……って、それは考慮してるわね?」
「ワイヤーが張られていたかどうかを確認できればいいから、父さんがいろんなところにあたったんだ。その結果、別の山で鳥を撮っていた人の写真にほぼお地蔵様の消失時刻と、その30分後の現場である山が写っていた。調べてみたけど、ワイヤーらしきものは確認できなかった」
「でも、ワイヤーを移動させる時に張ったら、わずかな時間しか映り込むチャンスはないわ」

 尚も食い下がる涼に探貞は首を振った。

「確かにその可能性を捨てることはできない。でも、それ以上は僕らも調べていないんだ。実は、その写真に別の証拠が写っていた。……いや、写っていないといけないものが写っていなかったんだ」
「写っていない?」
「その写真は神社も写っていたんだけど、それなら写っていないとおかしいものが写っていなかったんだ」
「写っていないとおかしいもの?」
「車だよ。工事現場を通過したという車が駐車されたという場所が写っていたんだけど、その写真には車が写っていなかったんだ」
「つまり、お地蔵様は車で運ばれた。犯人は目撃者の目を盗んで……いえ、神社にいた全員が共犯だったのね?」

 興奮した様子で言う涼に探貞は頷く。

「そう。とはいえ、全員が犯人だと、その証明は難しい。だから、父さんと伝さんが一人一人から話を聞いて、説得して回ったんだ。その結果、故郷の山の自然をそのままにしたかったという彼らの動機も明らかになった。それからは、さっき涼が推理したワイヤーを使ったトリックでお地蔵様を元の場所へ戻して地主さんを安心させ、更に偶然にも山には希少な植物が自生していることが明らかになって、地域で山の自然を保護することになって大団円を迎えたんだ」
「なるほどね。……でも、なんか最後が都合良すぎない?」

 涼がジトッとした目で探貞を見る。探貞は目をそらせた。

「まさか……」
「いや、希少な植物が自生していたのは本当だよ! ただ、その山にその植物が自生してることは集落の人はみんなが知っていることだったんだけど、どうも地主さんはそれを知らなかったみたいだから、一芝居打ったんだよ。実際、自然保護の活動を行う為の予算は地域から出ることになったし」
「ふーん。地域からねぇ?」
「まぁ、元々どこにでも自生していたらしいんだけど、生息域が減って、その山が貴重な生息域だってことはあまり知られてなかったんだけど、例の写真を撮っていた人からその話を聞いて、伝さんが役場の人に話したら、それなら小さな地域でも市か県から助成や予算を手に入れられるとやる気になって、予算を獲得する予定で話がまとまったんだ」
「探貞、その役場は市や県から金がもらって活動費とか言いながら別のことに使うつもりだろ? それに地主や集落の人も今売るよりも地価が上がると考えた可能性は十分にあるよな?」

 和也は冷めた目で探貞に言った。探貞は苦笑しつつ答える。

「まぁ結果的には、みんなが笑顔になれる解決策だったんだし」
「若干、その笑顔に黒いものを感じるけどな」
「結局、探貞も犯人の一人になった訳だしね」
「それでも、何もしないで放置しておくよりはよかったと思うよ」
「まぁな」
「そりゃそうね」

 苦笑しつつも満足気に語る探貞の意見には二人も同意を示した。
 連休は、探貞に将来の夢を見つけさせることはなかったが、それを見つける為にどうすればいいかを示すヒントにはなった。
 だから、探貞はまず行動してみることにした。曖昧な将来はわからないけど、実体のない過去ならわかるかもしれない。そう彼は考えていた。

「なぁ、二人は放課後の予定が空いているんだよね?」

 おもむろに探貞は口を開いていた。和也と涼は彼に視線を向けて頷いた。

「じゃあ、僕に付き合ってくれない?」
「いいけど、何するの?」

 涼が探貞に問いかけると、彼は校庭の木に視線を向けて答えた。

「気になることがあるんだ」
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