古の秩序
【Episode Ε】
翌朝、昭文駅から電車を40分程乗り継いだ都内近郊に位置する駅前ロータリーに、九十九と三波、そして和也の三人がバス停のベンチに腰をかけていた。
昭文駅前と比べて、建物は全体的に低く、古びた印象であり、コンビニや居酒屋の店舗も大手でなく、ローカルな系列であり、店舗数も規模も少なく小さい。
ロータリーも同じく昭文駅前よりも小さく、タクシー乗り場とバス停が肩を狭めて配置されている。昭文駅前は再開発をされた地域だが、この駅前は戦後だか高度経済成長期だかの開発をされてから大規模な開発をされていないのだろうと、駅前のコンビニで購入した炭酸飲料を飲みながら、和也はぼんやりと思っていた。
隣では三波が同じ炭酸飲料をぐびぐびと音を鳴らして飲んでおり、時折大きなげっぷをし、その度に九十九から注意を受けている。
乗り掛かった船であり、元々和也がきっかけを作ったことであるから、この二人と一緒に来たことは既に覚悟も、諦めもある。
しかし、道中で昨夜誘った面々の話をしている際に知った事実は、やはり今ここにいることへの後悔を拭えないものであった。
昨日の葬儀にいた涼は、行きたいと言いつつも、怪我をした父親の看病と昨日の仕事の会計などの後処理を手伝わなければならず、一緒に行くことはできなかった。
そして、アールと数にも声をかけたが、用事がある為、来ることはできないという返答だった。その用事というのが、異世界人の後藤銀河、そしてεのことであったのだが、和也は道中の二人から聞かされるまで、数からは一切聞かされていなかった。
言わずもがな、数は和也の認識ではたった一人の妹であり、その正体が現状の最強戦力である未来のサイボーグだという事実を理解こそしても、危険極まりない事件の渦中に身を投じている最中に昭文町から離れられる訳ではない。兄として。
当然ながら、和也はそれを聞かされた直後、狼狽して次の停車駅で昭文町へ戻る反対方面のプラットホームへ駆け上がろうとし、慌てた二人に引き留められ、必死に説得されて現在に至る。
「ねぇ、あれじゃない?」
三波が声を上げて、狭いロータリーに器用に入ってきた黒塗りのリムジンを指差した。
和也も恐らくはそうだろうと心中で思いつつも、同時に違って欲しいと思う気持ちから、視線をリムジンからそらした。
リムジンの車体は黒光りしており、今朝洗車とワックスをかけたと一目でわかる。
夜の繁華街を一度は歩いたことのある和也は、こうした黒光りするリムジンには近づいてはならないと知っている。しかし、隣にいる三波はそれを知らないのか、元々そうしたことよりも好奇心の方が上回るのか、目を輝かせて普段見慣れない高級車を見つめている。その奥に座る九十九は、能面のような表情をしている。緊張や不安、そして期待が入り交じり、表情に浮かべられないのだろう。
リムジンは、彼らの少し先で停車し、後部座席から昨日の葬儀で出会った老人が降りてきた。九十九の祖父にあたる老人で、橘大五郎という。
昨夜、和也がインターネットでその名を検索すると、都内有数の老舗極道一家の組長と同姓同名であった。そして、今和也の中で、その人物が目の前の橘大五郎と同一人物であると結論付けられた。
「待たせたな。そこはバス停だ。さっさと乗りなさい」
静かながらも迫力のある掠れた声に、三人ともブンブンと頷き、リムジンの後部座席へ乗り込んだ。
リムジンの後部座席は、右側と後部に黒い革のロングシート、左側に薄型液晶テレビと冷蔵庫、グラスの入ったガラスケースが設置され、想像以上に広々としていた。
「お母さんには話したのか?」
車が走り出すと、徐に橘は問いかけた。誰に話しかけているのかは、言わずもがなだ。
九十九は相変わらず、能面のような表情のまま答える。
「今日、お話をしてから話すか決めようと思います」
「そうか。なら、それを踏まえて話すとしよう。お前さんの父の写真も用意しておいた。もうすぐ着く」
「はい」
九十九が頷くのを見届けると、今度は和也に橘は話しかけてきた。
「君には感謝している。全く見事だ。よい目をしている。何というのだ?」
「江戸川和也です。……俺よりも優れた観察眼を持つ奴がいますよ」
「ほう」
和也の言葉は謙遜と受け取ったらしい。
すぐに橘は視線を三波に移して同じように話しかけてた。しかし、話しかけ方が妙に優しく、和也よりも細かく知ろうとしているので橘は三波を九十九の彼女だと思い込んでいるのだろう。
能面の九十九がツッコミできないのをいいことに三波が調子に乗って色々な話を橘にしているのを尻目に、和也は車の振動に揺れるケースのグラスを眺めながら、昭文町に残っているもう一人のことを考えていた。
昨夜の段階で探貞にもメールを送っていたが、現在に至るまで返信はない。強敵と向き合う数のことも心配であるが、抗えがたい運命に向き合う探貞のことも、和也は心配でならなかった。
同じ頃、探貞は数と七尾の訪問を受けていた。
本当は数から来てほしいというメールを受けていたが、返事を返さずにいたところ、痺れを切らして押しかけてきたのだ。どうも未来人の方が現代人よりも行動派らしい。
丁度母親も出かけていた為、探貞はリビングに二人を上げ、冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぐと二人に出した。
「ありがとうございます。すみません、突然押しかけてしまって……」
「すまない。高校生の時分に先輩と後輩を家に上げるのは抵抗があっただろう」
二人はそれぞれの詫びと礼をテーブルの対面に座った探貞に告げ、出されたコップに口をつけた。
「こっちこそ、返信しなくてごめんね。ちょっと忙しかったから」
そう答える探貞の目の下にはうっすらクマができており、焦燥感を漂わせている。
数はそれが探貞のイメージから離れたもので、そこから先の言葉を繋げることができず、会話が止まってしまう。
「……突然の訪問は、またこの町で厄介事が起こっているからだ。警告の意味も含めている。協力の是非はまず抜きにして、伝えさせて貰いたい」
沈黙が生まれたと感じた七尾が口を開き、本題を始めた。その言い回しに数が彼の顔を見るが、七尾はそれを無視して話を続ける。
「先日からある暗殺者がこの町に潜伏している。俺やシスがかつて属していた組織と同じところの刺客だ。当然だが、俺達の記憶にこの時期、刺客がこの町で俺達に関わった情報はない。つまり、イレギュラーな出来事だ。その刺客の目的は、把握している限り、怪盗φの復活を受けて、怪盗φの暗殺を目していると推測ができるが、まだ断定はできない」
七尾は数や探貞に言葉を挟む余地を与えず、淡々と話す。
探貞も黙って話を聞いている。
「断定できない理由は二つある。一つは同時期、つまりこの数日、この昭文町に暮らしていたある資産家が亡くなり、その葬儀でのいざこざで世界的な有力者や著名人がこの町を来訪していたからだ。この件は江戸川から耳にしたと思うし、俺も関わっていない為、割愛する。もう一つは、革命家と呼ばれているミナモトなる人物が来日し、この町にいる為だ。このミナモトはかつての怪盗φでの事件でも出没し、今回我々とも関わっている。端的にいうと、奴は異世界からの遭難者だ。今はアールと共にいる。ただし、話を聞く限りは暗殺者との直線的な因果関係を確認できていない。もっとも、お互い同時期に来日したことで、双方情報を得て警戒し合っている状態ではある。それを考慮すると、副次的な標的と推測でき、今のところ最有力なターゲットは怪盗φというのが妥当な判断となる」
七尾は一度話を止め、麦茶を飲む。
探貞は視線をそらし、手元のコップの茶色い水面をじっと見つめる。
その様子を見ながら、七尾は話を再開する。
「言わずもがな、百瀬は無事だ。暗殺者からの接触もまだない。そして今、百瀬はこの町にいない。既にシスはこの暗殺者と怪盗φの変装をして戦い、一度退けている。卒業式のタイミングを考えると、今日が最適な決闘のタイミングだ。今日、暗殺者を完全に撃退すれば、後はシナリオ通りにいくはずだ」
七尾は卒業式という言葉を使った。卒業式は数が未来に帰る日だ。つまり、万が一戦いの中で怪盗φの素性がバレそうな時は数が身代わりになり、怪盗φの名前と共に未来へ逃亡し、暗殺者の追跡を逃れるつもりなのだ。
何よりも現段階で実際の戦いとなった際の戦闘力としては、数が最強となるのは探貞も理解していた。最善は数が怪盗φを演じることだろう。
しかし、そうと言い切れない理由が彼にはあった。だが、それを言うことは自らも関わることになる。自然と沈黙をしてしまう。
「……ふっ。少しは賢く生きれるようになったな。これなら、未来でシスに暗殺されることもないだろう。かつての約束を果たしてもらえず、残念だが。……どうだ?」
七尾は探貞の沈黙する様子を確認すると、コップの残った麦茶を飲み干した。最後は数を見て言っている。七尾は、探貞を数の語る切り札的存在から切り捨てた。
「行くぞ。作戦は俺の立てた通りに行う」
立ち上がる七尾。しかし、数は椅子に座ったまま、探貞を見つめる。
自然と彼女の口が開いた。
「何か、何か仰って下さい。……迷さんなら、きっと何とかできるはずです。私達じゃ見えていないことが、きっと見えているはずです。……なんで、黙っているんですか?」
「よせ。……それはお前の理想だ。目の前のこの男を見ろ」
懇願する数に七尾は冷静に告げた。
それを受けて、探貞も口を開いた。
「七尾先輩の言う通りだよ。数ちゃん。僕は、数ちゃんの思うようなヒーローじゃない。数ちゃんと僕の……目的は違うんだよ」
「え?」
「二人とも、僕の部屋に来てほしい」
探貞は立ち上がり、自分の部屋に案内した。
ドアを開くと、一応片付けられた6畳間であった。量販店のベッドと参考書と漫画、小説の混在した本棚、学習机が置かれていた。パソコンはリビングの隅に置かれたノート型パソコンがあったので、迷家では一台を共用しているらしい。
机の上は、問題集や教科書とノートが立てかけられていたが、現在使用しているのは机の上に置かれた様々なサイズの資料と大学ノートのようだった。
「面白味のない部屋だな」
「まぁ、ゲームをやらないけど、そこそこ普通だと思うよ」
「もっと本が溢れていると思いました」
「参考書以外の調べ物は図書館で借りてくるからね」
二人の感想に探貞は苦笑まじりに答える。今日、一番探貞の表情が豊かだ。
そして、探貞は机の上のノートを七尾と数に渡した。
「ベッド、腰かけて良いよ」
二人は頷いて、ベッドに腰を下ろし、ノートを開いた。探貞も自分の椅子に腰かけた。
ノートは、この数ヵ月間の探貞の苦悩が残されていた。迷圭二の死の日付が最初のページに書かれており、父親本人に話した場合と話さない場合のそれぞれの想定されるフローを様々な可能性を考慮して記され、次に殺害方法で考えられるシナリオ、犯人として考えられる人物像が犯罪心理学や判例資料のコピーと共に記されており、更に先のページに圭二の携わった事件の概要が怪盗φを始め、思い付く限り記され、新聞資料を乱雑に貼られている。
ページをめくるにつれ、探貞は圭二が何らかの捜査を極秘裏にずっと行っていることを示唆する内容へと推移していく。そして、その起点を遡り、怪盗φの事件、探偵課設立から始まっていることまで推測されている。
そして、怪盗φからの手紙が挟まるページを最後に白紙のページが続いていた。
「僕は来年の大晦日にやってくる父さんの運命に抗おうと思っている」
ノートを閉じたことを確認すると、探貞は二人に告げた。
七尾は黙って頷いた。彼は最初から探貞の内心を予想していた。そして、数はその意味を理解しようとしている為、表情が固まっている。
「数ちゃん、少なくとも僕は七尾先輩の知る未来を変えようとしているんだよ。数ちゃんは未来を変えない為にこの時代に来ているんだよね。つまり、今回の暗殺者も、数ちゃんの未来では今回の件がわからない。それに、七尾先輩は暗殺者を撃退と言った。つまり、殺すつもりはないんですよね? ……確かに、数ちゃんに殺人を認めさせはしませんが、それは僕や和也、こちらの価値観での意見です。七尾先輩は違う」
「とんだ評価だ。……だが、肯定だ。俺の認識では、こいつはどこまでいっても殺戮兵器だ。その認識はこの期間で完全に変えるには短すぎる。この目で迷探貞を殺さない未来を見ない限りな」
「では、何故今回の作戦は撃退なのですか?」
探貞はまっすぐ七尾を見つめる。
彼は口角を上げ、静かに笑みを浮かべた。
「やはり、いずれ組織から命が狙われるな。……肯定だ。暗殺者の名はεというchaoticだ。俺の、この女の未来でも、組織の暗殺者として存在が認識されている。つまり、我々の約束でεは殺せない。迷、お前が俺に取り付けた約束によって、俺はお前でなく、こいつに協力する」
七尾は探貞の顔を見ながら、笑みを崩さずに答えた。
一学期の終わりに起きた七不思議事件を経て、探貞は七尾の正体を見破り、未来への約束として二つの条件を飲ませた。一つは卒業まで数も含めて、未来に対する工作よりも学生生活の謳歌を優先させること。そして、もう一つは数に協力し、未来を極力変えずに将来起こるカオス・パニックで暗躍する組織が力をつけることを抑制、阻止することであった。
しかし、今探貞は歴史を変えようと動き始めている。
「迷、お前の考えはすべて来年の大晦日に集約される。迷にとって、今回の協力は、運命を変える可能性と同じくらいの運命を変えない可能性のあることだ。つまり、協力することに懸念がある」
「勿論、僕が関わることによって、そのεが父さんの暗殺を行う可能性も考えられる。それも断りたい理由だよ。……でも、君たちは忘れているよ。僕は、まだ高校生なんだ。数ちゃんの知る未来の僕じゃない。名探偵迷探貞じゃない」
探貞は視線を手元のノートに落として言った。
数はその言葉にハッとした。
彼女の前提はすべて自身の恩人である未来の探貞であった。未来を変えることや暗殺者と戦うことに対することに協力をするかという話ではない。何よりも普通の高校生であった探貞にとって、親の死の運命以外で、事件を追う余裕も冷静さもない。
気付けば当然のことだった。
数は、麻痺していたのだ。未来の彼女の生きてきた感覚、思い込みがあった。ここは過去だ。その時代のその社会に生きる者は、それぞれのルール、常識、考え方がある。数はわかったつもりでいて、気づいていなかったのだ。自分にとって、古の秩序の中で、彼らは生きていることに。
「やっとシスが根本的なことに気づいたらしい。その上で、改めて俺から迷に伝えよう」
愕然とする数を冷静な目で確認した後、七尾は探貞を見て言った。
その自信のある表情を見て、探貞はこれからの言葉が彼の本心だと感じ取った。
「迷、カオス・パニック初頭にいることが決まっているεだ。確かに、命を奪う訳にはいかない。だが、倒すことが運命を変えることに繋がる可能性はある。つまり、εを含め、組織の刺客が近い将来、この昭文町での暗殺を行わないように撃退することで、少なくとも来年の大晦日にεをはじめとする組織の刺客によって父親が暗殺される可能性はなくなる。運命に抗うならば、我々に協力する価値はある。当然、協力するならば、俺もお前に協力する」
探貞は七尾の言葉で折り合いのつくところを見いだし、頷いた。
「……わかった。協力します。しかし、僕はただの高校生ですよ?」
「別に迷が暗殺者と戦えとは言っていない。お前には頭を働かせてほしい。ただεを力で倒しても、次が来るだけだ。そして、倒すことも容易ではない」
「というと?」
「うむ。詳しくは昭文神社で話し合おう」
探貞は立ち上がった七尾と数に頷いた。