古の秩序


【Episode Φ】


 美術館では遂に予告時刻になった。
 神々の黄昏は先日と同様に厳重な警備のケースに納められていた。今回は更に厳重に床だけでなく天井にも固定されている。
 大きな穴が空いた天井は突貫の骨組みながら修繕されており、その骨組みと展示ケースを骨組みと同じ金属フレームで固定しているらしい。
 展示室内に散乱した瓦礫は撤去され、他の展示ケースは今回撤去されている。代わりに、後に改修工事を予定しているらしく、床の至るところにテープの印やボルトが打ち込まれている。
 吾郎は勿論、銀河や月見里もいざという時に足を躓かないように場所を確認していた。
 予告時刻直前から、月見里は天井の穴をチラチラと確認している。先日の犯行が準備であれば、あの大穴を利用する手はない。
 しかし、既に吾郎が美術館上空にヘリを飛ばし、警戒をしている。前回のような気球による侵入は困難だ。
 警備の警官の数も最小限にしている。これは、前回のことでミナモトこと後藤銀河に変装していたことから、高度な変装術を持っていることが明らかになった怪盗φに警備の数を増やすことが逆に潜り込む隙を与えることが証明された為だ。
 展示室内は、吾郎、銀河、月見里、出入口に二人の警官と最小限の人間で、かつ展示ケースに近づけば真っ先に怪盗φとして、日本でも合法な武器各種を持ち込んだ月見里に攻撃される為、展示ケースから皆一定の距離を保って警備していた。
 近づくことそのものが困難な状況、怪盗はその瞬間、奇術師となった。

「なっ!」
「うわっ!」
「くっ!」

 刹那の出来事であった。
 彼らは咄嗟に自らの顔を覆った。
 展示ケースが突如閃光を放ち、眩い光に皆が目を覆った僅かな時間で、爆発音が室内に響き渡った。
 彼らが目を開くと、土煙が室内を覆っており、轟音が床から響いていた。
 警戒をしながら、彼らが近づくと、展示ケースは消滅していた。天井の穴は変わらない。
 しかし、床には展示ケース一つ分の穴が開いていた。
 吾郎が穴を覗き込むと、その下からは轟音が響いていた。その音に、彼らは聞き覚えがあった。

「地下鉄だ。……地図を持ってきてください!」

 吾郎は叫んだ。
 一方、銀河は天井と展示ケースを繋いでいた金属フレームを確認していた。ボルトはフェイクで、展示ケースとは繋がっていなかった。
 そして、床は爆発で吹き飛ばしたように見せていたが、爆発で空いた穴ではなかった。

「修復工場の作業で爆発物の持ち込みはできないようにしていた。……ほれ、磁石になっている」

 月見里はナイフを金属フレームに近づけた。ナイフは金属フレームに引き寄せられる。

「電磁石で固定されているように見せていたんだな。爆発も閃光もフェイクだ。俺達に一瞬の隙を作るための」
「咄嗟に俺達が展示ケースから離れて、怪我をしないようにか?」
「忌々しいが、突然ケースを地下に落としたとしてもさして差はない。そう考えるのが妥当だ」

 ミナモトの問いかけに、月見里は苦虫を噛んだような表情で答えた。
 まもなく、地図を持ってきた警官から月見里は地図を奪い取ると、美術館の場所と路線を照らし合わせた。

「地下鉄……一号線か! おいっ! すぐに駅と電車を封鎖しろ!」

 月見里が吾郎を睨み付けて言うが、彼は静かに首を振った。

「既に3分以上は経過しています。残念ながら上りも下りもこの下を通過した電車は駅に到着しています。それも乗り換えの可能な駅です。警官は向かわせますが、展示ケースごと動くとは思えませんし、怪盗φは素顔もわからない上、変装までできます。神々の黄昏は大きめのポケットであれば収まる大きさです。……当然、駅を封鎖することはできませんし、電車も止められません」

 吾郎は淡々とした口調で月見里に伝えた。
 彼は怒りに任せて、吾郎の背広の襟を掴むが、それ以上何もできず、乱暴に手を離した。
 一方、ミナモトは警官から小型無線機を借り、徐に穴の前に来た。

「何をするつもりだ?」
「権力を使う前に自分の力を使うだけさ。あり得ないが、まだ下にφがいるかもしれないからな?」

 驚く月見里に銀河はにこりと笑って言った。勿論、天蓋で隠れている為、彼らに銀河の表情はわからない。
 そして、ひょいっと軽い足取りで彼は穴の中に飛び降りた。

「「……」」

 吾郎も月見里も言葉が出ない。ただ、呆然と暗い穴の奥を見つめていた。

「……ガラスケース、ありました。神々の黄昏はありませんし、φの姿もありません。上下線の線路の間に落ちるように穴がまっすぐ十メートル程度掘られてますね」
「……奴は何者だ?」

 十メートル落ちれば普通、人は死ぬという意味で月見里は吾郎に聞くが、彼は平然とした顔で答えた。

「革命家のミナモトというそうですよ」

 そして、その後の決死の捜索が警察によって行われたが、時既に遅く、怪盗φ本人は勿論、その足取りすらも掴むことはできなかった。




 

 

 怪盗φが神々の黄昏を盗んでからしばらく時間が経った頃、成田の新東京国際空港の駐車場に圭二達の車が到着した。

「案の定だが、渋滞したな」
「しかし、恐らく電車よりも先に到着できているとは思います」
「そうとは限らないよ。特急列車ならもう到着している頃だよ」

 車から降りる大人達と一緒に探貞は時計を見ながら言った。
 確かに、今から鉄道の駅まで移動しても待ち伏せすることは時間的に叶わない。

「それよりも九十九君達を探そうよ。怪盗φの顔はわからないけど、二人の顔は僕達、知ってるから」

 すっかり怪盗を追う名探偵の顔になった探貞は、圭二達を見上げて言った。
 二人は苦笑しつつも、探貞の意見に同意した。
 移動する車中で探貞の話した推理は、完全に今の状況を見抜いていた。彼は地下鉄の路線上に美術館があることに気づいたことから始まり、九十九達が一緒に行くのかはわからないながらも、彼らと会ってから怪盗φは速やかに海外へ逃亡すると考え、地下鉄のトリックを使っての移動後、合流のしやすい空港であり、警察の追跡を逃れやすい成田空港だと考えた。羽田空港では近すぎることと、国際便の数に限りがある。
 そして、地下鉄を使ってのトリックが怪盗φの狙いであれば、準備には相当な時間が必要であり、内部にも細工が必要となる。天井に穴を開け、注意を床からそらしただけでなく、その工事の業者となって怪盗φは床と天井からの金属フレーム、そして展示ケースに細工を施す機会を作った。怪盗φが探貞に接触し、圭二達探偵課に挑戦したのも、一度目で偽物を盗むことを完全に成功させずに、準備から今日までの時間を最大限違和感なく稼ぐための手段だった。つまり、前回の犯行は偽物であったからの失敗ではなく、元々失敗と見せかけて天井に穴を開ける計画であったのだ。
 既に、この中で誰がもっとも怪盗φに迫っているかは明らかであった。

「これからできることは、待ち合わせ場所を突き止めることだな。……探貞、これを渡しておく」

 建物に入り、空港内の地図を見ながら圭二は探貞に懐から取り出した護符を手渡した。
 既に車中で話を聞いていた探貞は、力強く頷いた。仮にミナモトの言葉が真実ならば、探貞の持つ護符は唯一の切り札だ。

「お父さん、怪盗φは九十九君が待っているところに来ると思うんだ」
「?」
「九十九君が会いに行くのではなくて、お父さんが向かう方が、決まっている時間で動かなきゃならない場合は確実だと思うよ。お父さんなら、そうするでしょ?」

 圭二は探貞に頷いてかえし、再び地図を見た。
 既に名探偵と怪盗の知恵比べは終わった。何時のどの飛行機に乗るかもわからない。
 今、彼らができるのは父と子だけがわかる想いだ。自分達ならどこで待ち合わせるか、ただそれだけを考えて二人は地図を見つめた。

「ここだ」
「ここだな」

 二人は同じ場所を待ち合わせに選んだ。二人は互いに視線を合わせて頷きあった。

「よし、だったらさっさと行こう。名探偵共」

 伝がニヤニヤと笑みを浮かべて二人を促した。






 

 圭二と探貞が見つけた最適な待ち合わせ場所、それは展望台だった。
 展望台に到着すると、案の定、親子連れが沢山集まっており、各々飛行機の離着陸を眺めている。国際線搭乗口があるビルの展望台に三人は来ている。理由は、そのまま国際線に乗った父親を見送れるからだ。
 展望台のスペースは階層的に分かれており、家族連れが多く集まっている為、一目では九十九達を見つけるのは難しい。

「しらみ潰しに探すしかないな」
「名探偵、俺は上の展望台を見てくる」

 伝は圭二に伝えるなり、そのまま外階段を昇っていった。
 圭二も展望台と呼べるスペースを探し回ることにした。探貞も圭二の後を追う。
 午後、気温が上がってきて、コンクリートや金属の床からの照り返しが強くなってきたらしく、探貞の額にはすぐに汗が吹き出してきた。
 周囲の親子連れも親が子を抱えているか、探貞よりも身長の高い子ども達ばかりだった。

「違う。……ここじゃない」

 探貞は圭二の後を追う足を止めた。
 子ども達の声が喧騒として彼の耳を素通りしていく。しかし、キーワードが彼の耳に濾し取られて残る。暑い。喉乾いた。疲れた。アイス食べたい。

「!」

 刹那、探貞の記憶に残る空港内の地図がよみがえる。探貞よりも幼い九十九を連れた母親が不確定な到着時間で、かつ限りがある時間の中、父親と確実に待ち合わせられて家族連れで過ごすことができる最適な場所は、別にあった。
 そして、九十九がもしも目の前の子ども達と同じく飛行機の離着陸を見ていつまでも楽しめるのであれば、条件に該当する場所は一気に限られる。

「……わかった!」

 次の瞬間、探貞は圭二とは反対方向の建物内に向かっていた。
 声をかけるかと一瞬悩んだが、時間がなく、行かなければいけないという思いの方が強かった。

「……探貞? あれ、探貞ーっ!」

 まもなく、圭二は怪盗φだけでなく探貞も捜すことになった。






 

 飛行機の離着陸が見える空港の国際線搭乗口近くのレストラン、その窓側のボックス席に九十九とその両親が座っていた。
 九十九は笑顔で窓から見える飛行機を眺めており、テーブルには食べ終わったアイスクリームの皿が置かれていた。両親のテーブルにはそれぞれ珈琲が置かれている。
 そして、通路側には大きなスーツケースが置かれていた。

「見つけたよ」

 その幼いながらもしっかりとした声に、両親は窓側の九十九から通路側に顔を向けた。
 母親は目を見開いて驚いており、父親も表情にはっきりと表れていないが、目が好奇に輝いている。

「君は、迷探貞君だね?」

 走ってきたので、額に汗をにじませ、息が荒くなっている探貞は、父親の言葉に声にならないものの頷いて返事をした。

「怪盗、φ。……九十九のお父さん、だね?」
「あぁ、その通りだ。……どうぞ、名探偵」

 父親は動揺することなく、むしろこの状況を楽しんでいる様子で頷くと、探貞を空いているスペースに座るように促した。
 探貞は一度頭を下げてから、席についた。

「何か飲むかい?」
「もうそんな時間はないでしょ?」
「確かにそうだ。では、口をつけてないから、この水でも」
「ありがとう」

 探貞は渡されたコップの水をグビグビと飲む。走ってきて乾いていた喉が潤う。
 その様子を満足そうに見届けた後、彼は探貞に話しかけた。

「君は世界で唯一、私を追い詰めた。探偵の推理を聞かせてくれないかな?」
「その必要はないでしょ? 僕が来た時点で答え合わせは終わってるよ。それとも時間を稼ぐため?」
「手厳しい。だが、君の言う通りだ。ここまで来た君に、今更謎解きもない。すべて真実にたどり着いているのだろう。では、その上で君はどうするつもりだい?」
「大声を上げれば、おじさんを捕まえるのは簡単だと思う」
「流石に、警備員達に捕まることはない」
「でも、おじさんの望むことではないでしょ?」
「そうだな。では、そのカードを使って、私に何を要求するんだい?」
「勿論、盗んだお宝だよ。返してほしい」

 探貞が言うと、彼は口角をあげた。対等な敵に対して向ける怪盗の笑みなのだとすぐに気づいた。

「なるほど。だが、君のカードは、それと同等とはいえないな。怪盗として譲れないところだからね」
「なら、僕は更にカードを出すよ。切り札をね」

 探貞はポケットから力強く護符を抜き取り、彼の前に出した。

「それはお宝の力を打ち消す力があるんだって。僕にはそれが本当なのかわからないけど、おじさんだったら、きっと本物なのかわかるはずだよ」
「ほう」

 彼は護符に手を触れた。

「! まさか、本当にこんなものが……」

 彼は思わず手を引いた。怪盗φの中にある力が護符の封印する力と反応したらしい。
 今度は子どもが浮かべるような好奇心にワクワクした笑顔で懐から神々の黄昏を取り出し、護符の上に置いた。心なしか、怪しげな輝きが神々の黄昏から消えた気がする。

「この状態であれば、私にこれを盗む理由はない。まさか、こんなものがあるとは思わなかった。これをどうやって手にいれたんだ?」
「お父さんから預かったんだ」
「彼からか……。なるほど、あの虚無僧のものか。どうやら私は策を誤っていたらしい。これがあれば、そもそも私は盗むのでなく、これを貼り付ける賊となったのだろうな」
「これを剥がせないように、お父さんと後でどうにかするよ」
「よろしく頼む。名探偵」

 探貞が護符を貼り付けた神々の黄昏をポケットにしまうと、放送が流れた。

『迷子のお呼び出しをいたします。東京都からお越しの迷探貞君。お父様がお待ちです』
「……どうやら時間みたいだ。私達もそろそろ行く」

 怪盗φ達が立ち上がる。探貞も一緒に立ち上がった。

「九十九君も行くの?」
「あぁ。彼にとっては初めての海外だ」
「それは楽しみだね」

 そして、三人は国際線搭乗口へと消えていった。
 その後、飛び立つ飛行機を見送り、探貞は圭二達の元に戻った。






 

 数週間後、警視庁特殊捜査課は怪盗φを退かし、宝を取り戻した世界唯一の警察として知れ渡っていた。
 そして、迷圭二は正式に特殊捜査課課長に就任した。
 それと同時に圭二の部下が探偵課に配属された。

「という訳だ。よろしくお願いいたしますよ、課長」
「あぁ。よろしく頼むよ、伝さん」

 伝は怪盗φの一件を利用し、配属早々に探偵課への転属を上層部に要求し、受理させたらしい。
 これ以降、探偵課の名探偵と伝説の男とあだ名されるコンビが誕生した。

「それはそうと、色々と蒲生さんと二人で各方面に面倒事を持っていったらしいですね?」
「あぁ、大したことはないよ。そもそも怪盗φとの約束だったらしいからね」

 圭二は伝に言われ、神々の黄昏を護符を貼り付けたままにして保管するように某大学を含めて、様々なところへかけあったのだ。
 警察庁をはじめとする各方面からの協力もあり、無事条件通りの保管がされ続けることになった。勿論、それ相応の対価を圭二も負うことになったが、圭二にとっても悪い条件ではなかった。

「あと、ミナモトだったか? あいつも行方不明になったらしい」
「あぁ、それは聞いているよ。どうやら蒲生さんの故郷に行ったらしいが、目的は不明。蒲生さんも首をかしげていたよ。まぁ、何も成果は得られなかったのか、そのまま行方不明になってしまったけれどね」
「なるほど。では、神々の黄昏の元所有者であるギケーが失脚したという情報は?」
「それはどこから?」
「月見里とかいう探偵だよ。どうも某大学だけでなく、マフィアからも金を得ようとしていたらしい。まぁ、ミナモトを送り込んでいたくらいだから、どちらにしてもあの男が旨い汁を啜れることはなかっただろうが」
「魔力を失っても、因縁めいた呪いは健在だったということか」
「ただの因果応報だろうがね。……んで、その手紙は?」

 伝は自分の荷物を整理しながら、封筒を持つ圭二に聞いた。

「あぁ、今朝郵便受けに入っていたんだ。海外から差出人不明の手紙が探貞宛にね」
「てことは、まさか……」
「だろうね。『親愛なる名探偵へ。ありがとう。また会う日まで』だとさ」
「まさか、我らが探偵課を差し置いて、小学生が怪盗φから挑戦状とは。末恐ろしい奴だな、あんたの息子は」
「そうだな」

 圭二は笑いながら、手紙を引き出しの奥へとしまった。
 こうして、手紙から始まった事件は、手紙で終わりを迎えた。
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