古の秩序


【Episode Ε】

 故鉄大人の葬儀は、通夜の騒動とは対称的であった。
 親族席にできた空席には、喪主を代行した蒲生剴吾とその母蒲生元紀が座っていた。それでも、昨夜の一件の為か、閑散としていた。
 手伝いの仕事が一段落した涼、和也、三波、九十九も外で待つことは気が引けた為、部屋の隅の席に腰を下ろしていた。

「……なぁ、あのじいさん」

 お教の邪魔にならないように声を絞って和也が隣でずっと小声で呪文を唱えている三波に話しかけた。
 以前、三波が確実に眠くなるこうした場で眠らない為に、九十九が素数を数えることを教えた。が、三波は素数を考えると瞬殺で脳はシャットダウンしてしまう為、三波流にアレンジしたポケモンの数え歌を唱えることにしている。全校朝礼や卒業式、神事の数々を乗り越えた三波の数え歌はすでに151匹を軽く超えた最新シリーズを網羅する内容に進化し、歌ではなく、呪文になっている。

「ん? あぁ、昨日もいたわね」

 流石に三波も神事や葬祭の場は心得ているらしく、彼女も和也と同じく小声で返した。

「やっぱりチラチラとこっちを見ているんだ。……知り合いか?」

 三波は首を振る。

「いいえ。……だけど、昭文神社の美少女巫女を生で見たら、あの歳でも気になっちゃうんでしょうね」
「すまん、聞いた俺が悪かった。……百瀬は?」

 和也は口角をひきつらせつつ、奥に座る九十九に話を向けた。

「一ノ瀬九十九です。昨夜も視線を感じていたので、気にはなるんですが、元々高齢の方の知り合いはいません」
「親戚とか?」
「両親共に親族肉親と呼べる人の存在は知りません。俺の顔を知ってる親族がいるとはちょっと考えにくいです」
「きっと生き別れた孫なのよ。ほら、お父さんのお家は、妹が自殺したり、怪盗やったり大変だったから一家離散したのよ。だけど、子どもの頃のお父さんに似ていたももちゃんを見つけて、気になってるのよ」
「俺はお父さんに似てるのか?」
「さぁ? 国見先生にきいてみたら」

 三波はものすごくいい加減な推理を披露し、小さな声でぶつぶつとまた呪文を唱え始めた。

「流石にそんな話はないと思いますけど、こればっかりは直接聞いた方が早いと思いますよ」
「そうだな。葬儀が終わったら、霊柩車に行く前に聞いてみるか」

 和也は九十九の全うな提案を受けることにした。
 霊視や探貞の推理と身近になりすぎて、気づかずうちに直接聞くという一番簡単な解決策を考えなくなっていたことに、和也は内心で反省した。
 隣で三波の呪文はすでに151匹目を超え、未知の領域に突入していた。






 

 チーン、と清んだ音が室内を通り抜け、派遣住職の袈裟が擦れる音と共に、親族席の蒲生達に挨拶をし、ゆっくりと派遣住職は退室した。
 葬儀屋が火葬場への移動を案内し、ゆっくりと一同は立ち上がり、最期の挨拶と棺桶を運ぶために集まる。
 和也達もその動きに合わせるが、和也はまっすぐ先程の老人の元に近づいた。

「ん?」

 老人は和也の気配に気づいて、目を向ける。
 一瞬、和也は体の動きが止まった。
 それほどにも老人の向ける視線は鋭く、まるで獰猛な肉食獣が獲物を狙うかのようだった。

「すみません、昨夜から俺達を見ていたようだったので、誰かのお知り合いかと思いまして」
「ふむ、挨拶が不十分だな。わしがお前らくらいの小僧だった頃は、大人に殴り飛ばされて礼儀を教えられたものだ。……まぁ言うだけで、わしもお前さんを殴りゃしない。時代ってぇのはそうやって変わるんだな」
「すみません」

 いきなり説教から入る爺さんは爺さんで無礼なのではと思う現代の若者和也だが、それを口にして喧嘩をするほど愚かではない。頭を下げる。

「まぁいい。よくこのわしがお前らを見ていたことに気づいたな。昨夜あのバカ息子共の悪事を暴いただけのことはある」

 あれだけ鋭い視線をチラチラと何度も向けられれば誰だって気づくと思いつつ、和也は大人な対応をする。

「ありがとうございます。それで、何故俺達を?」

 和也の問いに老人は、ふっ、と先程までの鋭い視線が和らいだ。

「お前さんといるそこの小僧がわしの息子に似ていたんだ。もう何年も前に死んだがな。もともと昔、縁が切れた息子で、生前はほとんど会うこともなかった。わしの記憶にいる息子と娘は今もお前さん達の時分のままなんだよ」

 和也は背筋がぞわりとした。

「ちなみに、その息子さんの御名前は?」
「ハジメと言う子だ」
「………」

 和也は一瞬、言葉に詰まった。
 三波の当てずっぽうが大当たりだった。

「彼は、一ノ瀬九十九です。中口一の息子になります」

 和也の言葉に、老人の目はみるみる見開かれていった。





 
 

「すみません、遅くなりました」

 探偵課に吾郎が訪ねてきたのは、日が傾き始めた頃だった。
 既に伝から話を聞いていた圭二は、彼を室内の椅子に座るように促した。

「線香の香りがしますね? どなたかご不幸が?」
「いいえ、息子と妻の手伝いです。行き掛かり上のことです」

 吾郎が苦笑混じりに圭二に答えた。
 自分の席に座っていた伝が、体を彼らに向ける。相変わらずの笑みを浮かべている。

「昭文署管内に世界的な著名人が集結して察庁の公安や警備のお偉方が慌てたとか聞きましたけど?」
「ただの葬儀のお手伝いですよ。もう既に葬儀は終わり、解散しています。勿論、件の相手とは無関係ですよ」

 吾郎が丁寧に伝の嫌味に答える。
 当然、伝はある程度の事情を知ってる上で言ったこと。真面目に答えられては苦笑しか出ない。

「嫌だね、からかい甲斐がない男というのは」
「それは申し訳ありません」
「……俺は蒲生さんみたいなお方は苦手だ。ささ、毒舌家は閉口致しますゆえ、真面目同士意義ある開口をしてください」

 伝は両手を上げ、自分の机に向いて新聞を見始めた。
 圭二は吾郎に肩をすくめてみせ、右手を差し出し話を促した。それに吾郎は頷くと懐から紙を一枚取り出して、彼に渡した。

「では、本題を伝えさせて頂きます。……国際指名手配犯、怪盗φの合同捜査協力を正式に要請致します」

 吾郎は警察学校で習ったそのままの完璧な敬礼をして言った。
 大の大人、三人が口角を上げて満足げな笑みを次の瞬間には浮かべていた。
 そして、その笑みを浮かべたまま書面上でも内容を確認した圭二も、背筋を伸ばすと敬礼した。

「警視庁特殊捜査課課長迷圭二、以下一名。本要請を受け、現時刻より国際指名手配犯怪盗φ捜査の合同捜査に組み込まれます」
「わかりました。では、現時刻合同捜査本部の設置とします。本部設置場所は、こちらの部屋とします。……よろしくお願いします」

 伝もこのタイミングで立ち上がり、圭二の隣に立つと敬礼をした。

「よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」

 そして、伝は書類棚に向かい、棚の奥から習字セットを出してきた。

「探偵課初の合同捜査本部設置だからな。雰囲気は大切だ。……課長、ホストの特権だ」
「そうですね。国際捜査とは言え、実際は形式的なものなので秘匿捜査ではありません。警察の伝統に倣いましょう。……迷さん」
「わかりました。……怪盗φ合同捜査本部の名で宜しいですね?」

 机に広げた書き初め用紙と硯に注がれた墨汁を確認しながら、圭二は二人に念をおす。
 力強く頷く二人。
 そして、圭二は深呼吸をして、『迷探貞』と柄に書かれた筆を持って、名を書いた。
 言わずもがな、探偵課の経費で落ちるはずもない習字セットは、探貞が小中学校の時に使用していたものだ。
 そして、探偵課の扉の横に名を貼り出し、三人は室内へと戻った。
 閉ざされた扉の中では、今の怪盗φへの捜査についての会議をされることなど一切なく、かつての怪盗φの失踪についての調査報告、そして現在国際が捜査をしているεのことについての情報を話し合わされ、その日の捜査本部会議は終わりを迎えた。
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