古の秩序
【Episode Ε】
アールと銀河達が昭文神社で話をしている頃、探貞は昭文商店街裏の公園を訪れていた。
街灯が照らすブランコに腰掛け、ゆっくりと揺られながら、思考を整理していた。
かつて探貞が和也の力を暴き、怪盗φと出合った場所であり、数ヵ月前に九十九と数の正体を告白された場所でもある。
彼にとっては、様々な事柄の起点となった場所だった。
「……ん? 探貞? 何やってんだ?」
思案に耽っている探貞に、聞き馴染んだ声がかけられた。
視線を声の方向に向けると、街灯の明かりに和也の姿が照らされた。
「それはこっちの台詞だよ。こんな時間に何をしてるんだい?」
「涼の家の手伝いだよ。ほんと、お前を呼んでもいいようなドロドロの人間関係が引き起こした哀れな事件の現場に行っていたんだ」
「和也も俺のこと、言えないな」
「俺は涼に霊的なものかを調べてほしいと頼まれただけだ。事件を呼び寄せる探貞と一緒にするな」
「で、事件は片付いたの?」
「まぁな」
和也は探貞の問いかけに答えながら、彼の隣のブランコに腰をかけた。
二人の揺れに合わせて、ブランコがキコキコと錆びた金属音を鳴らす。
「……探貞こそ、何か引き寄せてるだろ?」
「何か視えるのか?」
「いいや。これは幼馴染みの勘だ。……それに、どうも何かがこの町で動いているのはわかる。さっきの通夜でも、怪しい奴はいたしな」
「その事件とやらの関係?」
「いいや。どこだかはわからないが、前に昭文神社の祭りで的屋を出してたヤクザの関係者がいたんだ」
「それは偶々故人と知り合いだったんじゃないか?」
「いや、気になったのは、そいつが故人でなく、周囲と百瀬をチラチラ見ていたことだ」
「知り合いだったとか?」
「百瀬にそれらしい様子はなかった」
「ふーん。それなら、三波ちゃんに聞けばわかりそうだね」
「まぁな。……で、お前は何を調べているんだ? 俺達とは全く違う角度から、核心をついてる。そんな気がするんだが」
「和也は霊視だけじゃなくて、読心術も身につけたのかい?」
「馬鹿。何年、お前とつるんでると思ってんだ。何となくでわかるさ」
和也の言葉に、探貞はふっと笑った。
「そうだな。和也の言う通りだ。……怪盗φの死についてを調べているんだ」
「怪盗φ? 百瀬の父親か?」
「あぁ。去年、七不思議事件と文化祭の出来事があって、怪盗φが復活したことになったけれど、同時に怪盗φは死んだと考えざる得ない結論に至った。……そして、怪盗φの復活に合わせて、動き出した存在がある。怪盗φが生きているということで動いている一方で、怪盗φが別人とわかっている上で昭文町を中心に調べている者もいるみたいだ。怪盗φが生きていることで何らかの不都合がある存在が複数いる。僕は、その中には怪盗φの死に何らかの関与がある存在が含まれると考えているんだ」
「つまり、百瀬の親父を殺したヤツが、百瀬を探して調べていると?」
「そこまで断定はしないよ。何故なら、怪盗φが万が一殺害されていたとしても、少なからず九十九君自身がその理由を認識していないからだよ。もしも犯人もそれを知っていたとしたら、わざわざ九十九君が怪盗φになったからといって、慌てて動くリスクをおう必要がないからね」
「なるほど。……だが、探貞は調べている。それは犯人でなくても犯人に繋がる人物にたどり着くと考えているからだろ?」
「………」
探貞は無言でブランコを揺らす。
その様子をじっと見つめ、和也は頭をかいた。
「探貞、お前は色々と抱えすぎだ。数と七尾先輩から聞いたことを気にしているのはわかるが……」
「今日、父さんに来年末、何者かに殺されると伝えた」
探貞は堰を切ったように話始めた。
「はじめは冗談に思っていたけれど、ちゃんと話を聞いてくれた。……何か危ないことを調べているのかと問い詰めたけれど、父さんは何も語らなかった。……僕は、父さんが去年から怪盗φを調べていることに気づいていたんだ。……だけど、父さんはそれには答えず、もしも探貞の言う通りに未来がなるとするならばそれを話す訳にはいかない。命の危険性がある情報とわかっていて、それを息子に話すことはできない。って」
「……そうか」
和也にはそれ以上の言葉が続かなかった。
今まで、探貞がここまで悩み苦しみ、弱気になった姿を見たことがなく、和也にはそれがただただ戸惑うしかなかった。
唯一、彼ができたのは、暗闇を見つめて、ゆっくりとブランコを漕ぎ、隣から聞こえる親友の嗚咽の混じったすすり泣く声が止むまで、親友の顔を見ないことだけだった。
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半年前、中東地中海沿岸に位置する町に一人の虚無僧姿の男、ミナモトが歩いていた。
人通りの多いところは、シャッターの降りている店舗が多いだけで、何の変鉄もない町並みであるが、人通りの少ない場所へ入り込むと、様相が一変する。
壁の至るところに爆撃による穴や損壊がある通りに入った彼の隣を、定員オーバーに人が乗り込んだ中古の日本車が走り抜ける。
更に路地裏に進むと、どこからか入手した海外の缶詰を高額で売る男と痩せこけた男が値段交渉をしていた。
「これ以上は値引きできないな。こいつは俺が前に輸入した秘蔵品だ。金がないなら、食糧かガソリンと交換だ」
「……わかったよ。今日は息子の祝いなんだ。食糧は渡せないが、ガソリンはバイクに残ってるのをやるよ。どうせ仕事がないんだ、バイクが有っても使わない」
「何なら、バイクごと買い取ってもいいぞ? どこのバイクだ? 日本か? 台湾か?」
「中国だ」
「いいぜ。台湾や日本よりは安いが買ってやる」
露店商の男は髭を撫でながら、ニヤリと笑いながらいった。
この町はつい数ヵ月前まで紛争状態にあり、停戦状態にある今も小さな衝突や物資不足による物価高等と不況で市民生活はより厳しいものになっていた。
「………」
「……ん? なんだ? 怪しい格好して、お前も何か欲しいのか?」
彼らに近づいたミナモトに警戒をする。
中東の国で虚無僧が突然近づいてくれば、警戒をしても仕方ない。
「……その缶詰にその価格はいくらなんでも高くないか?」
「なんだ? 文句をつけるのか? だったら、他所に行きな。だけど、この缶詰はこの町で俺しか売ってないんだ。価格は俺が決める」
「………」
ミナモトが物言いたげに二人の前に立っていると、路地の奥から男の声が聞こえてきた。
「その男は空爆で足を失った子どもと老人を養っています。車を動かすガソリンと金が必要なのですよ。……しかし、支援団体から盗んだ缶詰を売るには高額ですよ」
「! 誰だ!」
露店商が形相を変えて路地の奥を見る。
路地の奥から、杖をつく白人の若い男が現れた。目には包帯を巻いており、盲目であるのがわかる。
「てめぇ! 奴らの仲間か!」
露店商は懐から拳銃を取り出し、白人の男に銃口を向ける。
「やめろ! ……今撃てば、泥棒よりも重い罪になるぞ!」
「!」
ミナモトの言葉に、露店商はゆっくりと銃口を下ろした。
「ちっ! ほれ、金だけでくれてやるよ! ……言っとくが、俺は盗んじゃいないからな!」
露店商は素早く荷物をたたみ、捨て台詞を吐く。
「待て! お客がいるんだ、売ってやれ。お前しかその缶詰を売っていないんだろ? あと、盗みは大罪だ! 思ってもやるなよ?」
「! ……ほれっ! こいつは代金で貰うぞ! もう盗むわけねぇだろ!」
ミナモトの言葉に、露店商は缶詰を男の片手に渡すと、もう一方の手に持っていたお金を踏んだくり、まとめた荷物を抱えてその場を立ち去った。
「あ、ありがとうございました!」
男も礼を二人に言うと、その場を立ち去った。
それを見送り、ミナモトは盲目の男に話しかけた。
「ありがとう。助かったぜ?」
「いいえ。それはあの露店商があなたに言うべきものです。もしもあなたが口を出さなければ、あの男は再び盗みを働き、その時警備に射殺され、あの男が養っている息子と老人も飢え死にしていました」
「……そうか。もう大丈夫なのか?」
「それは定義が広すぎてわかりませんね。しかし、彼は盗みをもうやりません」
「……なら、良かったんだな?」
ミナモトは安堵した。彼は缶詰を盗まれた支援団体からの依頼でこの町の調査をしていたのだった。
「んで、なんでお前がここにいるんだ? クー……」
「お待ちなさい。その名前は、あの日から捨てています。あなたは異世界の私を知っている様ですが、それはこの私ではありませんよ。今、私はFと名乗っています」
「わかった。F、なんであなたがここにいるんだ?」
Fと名乗った盲目の男は、かつてアフリカのとある独裁国家にフランス人拉致被害者として収容施設に監禁されており、そこで彼の持つすべてを見ることができる千里眼と呼ぶ特異な能力に気づいた当時の政府に実験台とされ、両目を失った。衰弱し、命も失いかけた時に彼を救出し、独裁政治を崩壊させた者こそ、このミナモトサンジューローと名乗る異世界人の後藤銀河だった。
異世界にいた頃のような強力な力を持たない今の彼にとって、当時の革命は決してよい解決とは言い切れないものであり、現在もその国は独裁政治から軍事国家へ転換したのみで、国連が動向を注視し続けている。
そして、解放されたFはその後、フランスに帰国できたと彼は耳にしていたが、今、彼は再び治安の悪いこの町にいる。
「視たのですよ。あなたの求めるものがこの世界に現れたことが」
「俺の? ……元の世界に戻る方法か?」
「それはまだはっきりと視えてはいません。しかし、あなたと同じ世界の存在に出会い、不老不死の力を得た人物と、時空を越えこの時代に来た人物、そしてあなたが元の世界に帰ることに協力をしてくれる人物の出現を、私は断片的ですが、視ました。それをあなたにお伝えするため、命がけでここまで来たのです」
「それはどこに行けば出逢えるんだ?」
「後藤銀河さん、あなたの古郷、日本です」
それから半年後、この町の停戦協定は無効となり再び紛争状態へと突入し、日本への足留めにあいながらも、情勢が少しでも安定した今、ついに彼は日本へと向かったのだった。
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「……っ!」
朝日が注ぐ高架下の公園に、野太い声が響く。
拳から汗を散らしながら、凱吾は正拳を繰り返し突いていた。
21世紀には絶滅したと思われていた喧嘩番長の生き残り、その様に呼ばれる彼だが、唯一無二の尊敬する師を失った哀しみは通夜から一夜明けた今もこうして毎日の日課として彼から言いつけられた鍛練をしていないと凱吾の内面から沸々とわいてきてしまう。
「……よし。行くか」
凱吾は鍛練を終えると、ベンチにかけていた学ランを肩にかけ、呼吸法で上昇した心拍と血圧を下げると、師鉄大人の葬儀が行われる昭文町へと歩いていった。
故鉄大人の葬儀は、昨日の通夜とは全く対称的に手際よく準備が進められていた。
一人の人物の介入によって。
「この人とこの人は隣に並べていいわ。故人の交遊関係は広かったけれど、政治的にも経済にもそれぞれの筋を重んじて、詮索されるような関わり方を好まず、明解な関係性をこのんでいたのよ! 意図的に離しては、故人の構築した関わりは今日を最後に疎遠となってしまうわ! ……あ、そこの人! 弔辞はこのリストの順で読めばいいわ! ……それと、レイアウトだけど、この家の老朽化を考えると棺桶を運び出すのはこっち? ……そうね、じゃあそのルートで行ってください!」
ほっそりとしたショートカットの中年女性は、昨夜で混乱した葬儀予定を即座に修正し、更にトラップなどが仕掛けられていた老朽化した家屋の構造を把握した指揮で、葬祭業者は息のあった見事な動きで準備を進めていた。
「……周辺の交通整理を昭文署に伝えておいたよ。橘大五郎と政治関係者が同じ場所に来るからね。何が寄ってくるかわからない」
携帯電話を懐にしまいながら、女性に蒲生吾郎が慣れた様子で言った。
「流石は吾郎ね。……凱吾! スピーチ練習は大丈夫よね?」
女性は満足げに頷くと、出入口前で、受付準備を確認する凱吾に声をかけた。
「あぁ。……お袋の下書きした原稿だからな。すんなり頭に入った」
凱吾は淡々とした口調で返す。手は休めず、手早く見本通りの配置に物品を置く。
「当然よ。あなたの口調や思考は概ね想像できるわ。息子のスピーチ原稿くらい、世の母親なら朝飯前よ」
絶体に世の母親は、息子が急遽翌朝の葬儀の喪主を行うことになって、一晩で故人のパーソナルデータを交遊関係含めて完全掌握し、スピーチ原稿を書き上げる芸当はできないだろうと思いながらも、凱吾は何も言わなかった。
蒲生元紀。リサーチャー、エージェント、コーディネーター、様々な呼称で語られる彼女は、世界中の国家、企業から知る人ぞ知るといわれる組織の一員である。そして、蒲生吾郎の妻にして、蒲生凱吾の母親である。
事実、吾郎が昭文署に手配をする前から、この鉄家周辺では、「ミセス・ゲンキの息子が葬儀の喪主をするなら手伝わない訳にはいかねぇ!」という世界中の権力者、実力者、芸術家が応援に駆けつけ、一夜にして一大イベント会場の様相となっていた。
「お袋、気付いてると思うが、最早師匠の葬儀ってよりも、蒲生家の行事になってるぞ」
「……へ?」
「………」
凱吾は、深い、深い溜め息をついた。
まもなく三波と九十九が和尚を連れて到着した。
数時間後、まもなく時刻は正午となる頃、銀河と数、そしてアールは七尾と昭文神社に集まっていた。
三波と九十九は今朝から出かけてしまっていたが、アールがいる為、銀河と数が昭文神社に現れると、昨日の結果を知るために七尾もアールの元に来ており、結果的に次元転移に関わる四人が集合したのだ。
「後藤銀河……。少なくとも俺の記憶には心当たりがない」
「つまり、福岡の事件と同じように、この世界にのみ起こった事象ということ?」
「肯定だ。平行世界とやらを俺自身はまだ十分に理解していないが、過去、現在、未来の流れが不可逆的なものでないなら、すべてが定められたもので過去への転移も未来では予定調和となる。否、俺が今現在経験しているこの世界に俺の知らない事象があり、この未来人の語る元の世界についても、この世界の未来にある出来事と全く同一である確証がない。ならば、無数に可能性があるのと同様に、それぞれの時点で無数に類似する異世界とやらが存在していると仮定するのが妥当だ。この瞬間までに起こったこの世界の事象は、博多もその異世界人も含めてこの世界のみの出来事と仮定するべきだろう」
「厳密には、この瞬間に何かしらの事象があって二つ以上の可能性が生じた時点で、銀ちゃんはその分岐した世界にも俺達と同様に存在するってことになるってぇことだけどな」
アールが補足として七尾の仮説に付け加えるが、余計に話がややこしくなる。
「 シュレディンガーの猫か……。可能性に分岐が出たら、どの分岐した未来の世界も存在しているというものだな?」
「そうでぇ! んでもって、銀ちゃんはその可能性の前提になる真理そのものを操れる神さまの力があるってぇことでぇ」
「アール、過去形だよ。今は真理に干渉できるほどの力はないよ?」
銀河は苦笑まじりに髪を掻いた。
「それで、昨日のあいつはどうなったんだ?」
「数ちゃんが追い返した後、俺と戦ったけど、取り逃がした」
七尾は銀河の返答に舌打ちをする。
「奴は何者なんだ! 未来においても暗躍していた以上、捕らえることも倒すこともできないのか?」
「……できるわ。迷さんなら、きっと迷さんならそれができるわ」
数は希望を抱いた目で言った。
しかし、七尾の表情は変わらない。
「確かにあいつの名探偵の才能は俺達の想定を超えるものだ。それは肯定だ。しかし、あいつの才は所詮今の学園生活の範疇の中に過ぎない。少なくとも今回は完全なchaotic戦だ。お前の世界では活躍していたみたいだが、俺の世界ではあいつはカオス・パニックの前に死んでいる。役には立つかもしれないが、希望を持つには弱すぎる」
「迷……」
七尾が数の意見を一蹴する一方、銀河はかつて怪盗φを追い詰めた迷圭二の存在を思い出していた。