古の秩序
【Episode Φ】
昨夜の騒ぎがおさまり、圭二は、警視庁の探偵課に戻っていた。伝は昨夜発生した殺人事件の捜査に捜査一課へ戻され、圭二は一人、昨夜の事を思い返していた。
謎の虚無僧ミナモトに扮した怪盗φ、偽物にすり替えていた探偵の月見里、そして密かに仕掛けられていた天井の爆弾、そして気球。
「……あっ」
圭二は、当然の疑問に気がついた。
怪盗φの気球は無人だと思われているが、ワイヤーの降りるタイミング、ワイヤーに捕まっているままの怪盗φが操作していたにしてはスムーズ過ぎる逃走は、仲間がいることを示唆していた。
そして、圭二に目をつけて接触をしてきた怪盗φの行動を思い返すと、圭二は伝の登場したタイミングの良さに気づいた。
「まさか、彼が仲間か?」
その時、ドアをノックし、吾郎が部屋に入ってきた。
「昨夜はありがとうございました。結局、怪盗φは逃走したまま行方をくらませました」
「いえいえ。……蒲生警部もお疲れでしょう?」
圭二の言葉に、吾郎は苦笑した。
「まぁ、昨晩は徹夜でした」
「それはそれは。……ところで、怪盗φに仲間がいるという話は聞いたことがありますか?」
「あぁ、昨夜の逃走のことですね? あれは恐らく無人です。過去にも怪盗φは似たような逃走をしていますが、その捜査の中でかつて盗んだ遠隔操作技術を用いていることがわかっています。また怪盗φはその経歴故に、色々なところから命を狙われています。故に、怪盗φは協力者を持たない単独班と考えられています」
「しかし、情報収集は? いくら怪盗でもあれほどの犯行を行うのに、一人で収集した情報だけで準備しているとは考えにくいですよ?」
「それについては、はっきりとしたことはわかっていません。しかし、所謂情報屋の類を協力者にしていることはないのですよ。それは既に各国の警察組織がそれこそ網の目を張って、些細な情報を入手しようとしていますが、怪盗φはその一切に引っ掛かることがなく情報を入手しています。一説では、世界最高クラスハッキング技術を持っており、国家や警察などの組織へ直接侵入して情報を入手しているとも言われています」
「そこまでやれるなら、怪盗というよりもスパイですね」
「実はそう考えている警察もいるそうです。スパイが怪盗を名乗り、機密などを盗み出している。犯行を単独で行っているものの、怪盗φはスパイの作戦名だというものです」
「ビデオテープが届きそうな話ですね」
流石に飛躍した可能性に、圭二も呆れ顔を見せる。
「おはよう、フィリップくん」
「「!」」
突然の声に、圭二と吾郎は驚いて声のしたドアを見た。
そして、彼らは更にその人物に驚いた。
虚無僧姿をした男。ミナモトがそこに立っていたのだ。
「というのは冗談です。昨夜は怪盗φの変装した俺に会ったらしいが、俺は初対面だから、挨拶させてもらうな? 俺はミナモトサンジューローと名乗っている。……まだまだ二十郎だけどな?」
突然現れたミナモトは、昨夜の変装した怪盗φと同じく、映画の台詞を模した挨拶をした。
しかし、圭二達は沸き上がる疑問と疑念から警戒心を解かない。
「じゃあ、これでどうだ? 俺は怪盗φじゃない!」
「「!」」
ミナモトの言葉に、圭二達はハッとした。目の前にいる男が怪盗φではないと意識させられる。
「昨夜の怪盗φも同じ様な術を使っていた。……が、それとはまるで違う。君のその術はなんだい?」
「怪盗φが使ったのは、所謂催眠術の類だろうな? 今の俺の使う力は所詮その程度の力だから、大差はないな? だけど、俺のは催眠術と異なる。……強いて言えば、言霊。相手の心理に直接語りかける言葉に宿る力を使っているってところか? 言霊使いとでも呼んでくれ」
ミナモトは、吾郎の問いに答え、徐に天蓋を外した。
天蓋を脱いだミナモト、もとい後藤銀河は、ボサボサの黒髪を掻き、伏し目がちな瞳で吾郎を見た。
「……吾郎、この顔に見覚えはあるか?」
「……いいや。初めてみます。どこかで僕にあったことが?」
怪訝な顔をする吾郎に銀河は首を振った。
「いや、そんな気がしただけだ。……怪盗φの俺が昨夜あなた方に語ったことは事実だ。俺は以前アメリカで世話になったギケー・ゲーン・テリーに頼まれ、神々の黄昏を守る為に来た」
「……昨夜は、月見里によって神々の黄昏が偽物にすり替えられていたから、あなたは怪盗φに協力した。……が、月見里の策謀を証し、本物の神々の黄昏が戻された為、ここに現れた訳だね。私達に協力するために」
「流石は名探偵と呼ばれ、怪盗φから指名されただけのことはあるな?」
「ありがとう。しかし、簡単な推理だ。君の力は、その気になれば私達が逮捕しようとされてもそれを逃れることなど造作もない。事実、今こうして警視庁内に平然と虚無僧の姿で入れている。怪盗φに間接的な協力をすることは、君にとってリスクではない。ならば、もっとも手早い神々の黄昏を守る方法は、怪盗φに協力し、本物の行方を明かさせ、その上で本物を私達と共に守ること。……協力していたことは、怪盗φが君に変装した際に、本物の君が現れなかったことでわかる」
銀河は苦笑しながら、圭二に拍手した。
「凄い推理だな? 脱帽だよ?」
「しかし、君には君の流儀があると思う。例え、怪盗φに協力をしていたとしても、私達に怪盗φの素性に関する一切の情報は話さないのだろう?」
「あぁ。予告状を出す怪盗を相手に、現場でなく令状片手にガサ入れで捕まえるってのは、無粋だからな?」
「つまり、君の協力とは、怪盗φから神々の黄昏を守ることのみに協力するだけであり、怪盗φを逮捕することに協力するわけではない。……そういうことだね?」
「そういうことだな? ……断るのは自由だ。ただ、その場合は月見里を釈放させて彼に協力を求める。……それはあなたの望むことではないはずだぜ?」
銀河は挑戦的な笑みを浮かべ、圭二と吾郎の顔を見た。
圭二は、すでにわかっていた。月見里は昨夜、確実に怪盗φを悪意をもって罠に嵌め、殺そうとしていた。
今も月見里は警視庁で銃刀法違反の現行犯として拘留されている。彼は某大学総長からの依頼により、神々の黄昏を守る為に、偽物とすり替えたこと、拳銃を所持し、本人曰く威嚇射撃をしたが、ここしばらく海外での依頼も受けていた為に日本の法律を忘れてしまい、やり過ぎてしまったと供述している。保釈を求める某大学総長からも、海外にいた月見里を呼び寄せた際に、所謂個人所有の飛行機を使用した為、拳銃の所持を発見できなかったことを認めている。
しかしながら、その検閲ミスに対して警視庁が某大学総長を追求することは、様々な圧力によって困難であることを圭二も理解していた。
そして、月見里は某大学総長からの依頼で動いていることになっているが、圭二は他の怪盗φの命を狙う何者かからの依頼も受けていると推理をしている。しかも、某大学総長よりも力をもつ何者かだと考えているのだ。
「わかった。協力に応じよう」
圭二は銀河と握手をした。
「ん? 電話? すみません」
その時、吾郎はPHSの着信に気づき、PHSを上着の内ポケットから取り出すと応答した。
「はい。携帯、蒲生です。……はい、……わかりました。それで文面は? ……はい。……はい。……はい。ありがとうございます」
PHSをしまうと、吾郎は二人に向いた。
「今、美術館に本物の神々の黄昏を戻すところに立ち会った部下からの連絡でした。神々の黄昏の展示台の前に、怪盗φからの予告状が置かれていたということです。文面は、こう書かれていたそうです」
吾郎は今、電話で聞き取ったメモを二人に見せた。
『2週間後の金曜日、午後11時丁度に、今度こそ本物の神々の黄昏を頂きに参上します。怪盗φ』
本日は金曜日。丁度2週間後のことだった。
「探貞、また来週」
「迷君、じゃあね!」
その日の夕方、親友となった和也と涼と別れた探貞は、自宅へと向かった。
「ん?」
探貞は、自宅の前に立つ子連れの女性に気がついた。
「うちにご用ですか?」
「あなた、迷さんの息子さん?」
「えぇ。探貞といいます。……どちら様ですか?」
「私は一ノ瀬絵里。乙談文庫社の記者よ。こっちは息子の九十九。よろしくね」
「よろしくお願いします。……怪盗φのことですか?」
「流石は迷さんの息子さんね。頭がいいわ」
一ノ瀬は微笑み、名刺を探貞に差し出した。
探貞は名刺を受け取りながら、じっと考える。
「……一ノ瀬さん、前に僕に会ったことない?」
「えっ? ……あぁ、私達もこの町に住んでるのよ。どこかで会ったことがあるのかもしれないわね」
「あ、そうなんだ。……そうだ、思い出したよ。商店街の裏の公園で九十九君と遊んでいたでしょ? 一週間連続で見かけたから、何となく覚えていたんだね。最近見ないけど、九十九君、体調悪かったの?」
「っ! ……あ、いえ、私が取材で忙しくなったのよ」
一ノ瀬はギョッとした。彼女が内心で今回ほどの動揺をしたことはなかった。
探貞に怪盗φが予告状を渡す前の一週間、彼の下校後の行動を調べるために九十九を連れて彼女はあの公園に通っていたのだ。
他の子ども連れの母親とも適度に交流し、その存在に違和感を周囲に与えないように巧妙な工夫をしながらだった。しかし、探貞はその変化に気づいていたのだ。
「そうなんだ。……上がってください。そんなに遅くならずに父も帰ってきます。取材なんでしょ? 僕が取材に協力するよ」
「えっ。……ありがとう。でも、いいの? 流石に上がるのは……」
一ノ瀬は内心焦っていた。これ以上、この小学生と一緒にいたら、自らの正体も気づいてしまうかもしれない。
これまで、世界中の警察も、迷圭二も、彼女は臆することなく立ち振る舞うことができたが、今、彼女はこれまでで最も危機を感じていた。警笛が頭の中で鳴らされていた。
それは信じがたいことであるが、事実として彼女は目の前の少年を恐れていた。
しかし、ここで帰れば、探貞から一ノ瀬の話を圭二にされてしまう。そうなれば、圭二に一ノ瀬と怪盗φの繋がりを勘づかれる。答えは一つだった。
「では、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「うん。……どうぞ」
そして、探貞が家にいた母に事情を説明し、一ノ瀬は九十九と共に迷家で圭二の帰りを待つこととなった。
まもなく、圭二は帰宅した。
伝も圭二と共に家に来た。
「名探偵が怪盗φからの予告状が届いたからと一課に来ましてね。一課は昨夜に起きた事件を捜査していたんだが、あっという間に事件を解決しましてね。また明日から怪盗φの捜査に参加することになりました」
「凄いですね!」
食卓を囲んで話す伝に一ノ瀬は大袈裟に驚く。
圭二と伝も一ノ瀬のことを覚えており、探貞からの希望もあって、二人は快く彼女の取材を受けることになった。
もっとも、本来喜ぶべきである一ノ瀬本人は、先の探貞とのやり取りから表面的にはこの幸運を喜んで取材をしつつも、内心は九十九と笑顔で話す探貞に対しての警戒心を解けずにいた。
「これはいくつかな?」
「にいー」
「えらいわねぇ。もう数が数えられるのね。かわいいわぁ」
探貞の問いに、右手をVの字にして答える九十九に彼の母も笑顔だ。
「可愛い盛りですよね」
一ノ瀬の視線に気づいた圭二が、九十九を見て言った。
「あ、すみませんでした。……では、怪盗φの挑戦状をどう受け止めますか?」
一ノ瀬は取材を続けた。
まもなく夕食が終わり、探貞は九十九と居間の隣にある和室で遊び始めた。
それを視界におきながら、一ノ瀬は居間で圭二と伝に質問を投げ掛ける。
「ズバリ、怪盗φを捕まえられますか?」
「そうですね。……正直、わかりません」
圭二は丁寧な口調で答えた。
「怪盗φは銃弾を避けるほどの身体能力を持っています。それが所謂超能力の類のものか、それとも特別な訓練によって体得したものかはわかりませんが、事実として彼は弾丸を避けています。それを捕まえることは、至難なことだと思います。しかし、怪盗に盗みをさせる訳にはいきません。必ず阻止してみせます」
「なるほど。では、一度逃げられた美術館のしかも穴の空いた天井のある同じ場所に神々の黄昏を置き、怪盗φに対峙するのは自信の表れではないのですか?」
「自信の表れというか、これは私達の誠意です。前回は、月見里さんの策略によってフェアな戦いはできませんでした。その為、私達……具体的には、私と蒲生警部の怪盗φに対する誠意です。……あ、これは記事にしないで下さいね」
「怪盗に誠意なんてものを見せる警察とあっちゃ、かなり不味いからな。世間は味方するが、警察のお偉いさん達がろくでもない言いがかりをつけてくるんでね」
「わかりました。これはオフレコにします」
一ノ瀬は微笑んだ。
「よろしくお願いします」
圭二も軽く笑いながら言った。
この瞬間、一瞬ながら一ノ瀬も油断をした。その時、九十九がタンスに触れてしまったのだ。
「あ! 危ない!」
探貞の叫び声で、一同は一斉に和室を見た。
タンスの上には今にも落ちそうな箱が、まさに落ちようとした瞬間であった。
咄嗟に探貞、圭二、一ノ瀬の体が動いた。
しかし、その刹那、箱は重力にしたがって、落下した。
「!」
次の瞬間、九十九は落ちてくる箱を見ることもなく、まるで自らの危機を察知した野生動物の様に、幼く小さな体をすばやく動かした。
間一髪で、箱はほんの少し前に九十九のいた場所に落下した。
「う、う、うわぁぁ~ん」
九十九は堰を切ったように泣き出した。
「大丈夫よ、怖くない怖くない……」
九十九に駆け寄った一ノ瀬は泣きじゃくる彼を抱きしめながら言った。
その小さな体を抱きながら、一ノ瀬は理解した。すべてを彼に気づかれたことを。
そして、探貞は彼女の恐れた通り、気づいていた。
一ノ瀬が怪盗φの協力者であり、九十九は怪盗φの子どもであること、そして彼女が恐れた以上の真実を探貞はこの瞬間に気づいた。