未来への約束




 三波の家で夕食を食べた後、母親からの連絡で今夜は帰れないと伝えられ、結局九十九はそのまま彼女の家に泊まった。
 朝日が彼の寝る客室に差し込み、ゆっくりと九十九は目を覚ました。客室はゆうに二十畳はある和室であった。そのど真ん中に敷かれた布団に寝ていた九十九はいそいそと布団を片づけて着替えをした。

「毎度のことながら、広過ぎだろ。落ち着かねぇ」

 母子家庭でアパートに暮らしている九十九にとって十文字家はあまりにも広かった。
 独り言をつぶやきつつ、着替えを終えた九十九は障子をあけた。
 廊下に面した境内は、朝日を浴びて輝いていた。

「おっはよー!」

 廊下をドタドタと駆けながら巫女姿の三波が近づいてきた。
 それを見て九十九は眉を寄せる。

「巫女さんが朝っぱら廊下を走るなよ」
「巫女だって普通の人間よ。走りもするわ」
「普通の人間なら神社の廊下を走らない」
「でもここは」
「自分の家でも走らない。それ に俺んちみたいなアパートだったら苦情を言われる」
「なら、神社の廊下は巫女なら走っていいのよ!」
「一番ダメな結論だろ!」

 朝一番に三波との漫才のような会話をして早くも疲れを感じた九十九は、ズボンのポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出して開く。

「どうやらそろそろ母さんも帰ってくるようだから、俺も家に帰るよ。泊めてくれてありがとう」

 メールを確認するなり早口で礼をいい、本当に礼を伝えるべき三波の両親のもとへと行こうと九十九は廊下を歩く。

「待てぇい!」
「ぐげっ!」

 立ち去ろうとする九十九の襟を掴む三波。踏まれた蛙のような声を上げる九十九。
 九十九の足が止まるなり、三波は襟から手を離す。解放された首をさすりながら九十九は彼女を睨む。

「いつかお前に殺される」
「大袈裟ね。それより、帰る前にももちゃんは私に話すことがあるでしょう?」
「俺の名前はももちゃんでなく、一ノ瀬九十九だ」
「違うっ!」
「事実だろっ!」

 すかさず九十九が突っ込むが、三波は一呼吸置くと、平然とした顔で言う。

「そんな話はどうでもいいのよ! 大切なのは、ももちゃんはももちゃんで、そのももちゃんの推理を聞いてないということよ!」
「真面目な口調でとんでもないことを言うなよ。どうでもよくないし、俺は一ノ瀬九十九だ。……それに、昨日の夜にその話は言っただろう?」
「どこが答えよ! 江戸川先輩は事実を伝え、遺失物係も真面目に役目を果たしたって!」
「言葉の通りだよ。んじゃ!」

 九十九は手をシュタッと上げて立ち去ろうとする。
 再び三波の手が伸びるが、九十九は素早く回避する。

「逃げるな! 卑怯者!」
「どうしてそうなる!」

 叫ぶ三波に九十九は身を翻して突っ込む。

「じゃあ、ちゃんと説明しなさい」
「わかったよ。理不尽悲惨太様」
「はぁ?」

 睨みつける三波に九十九は嘆息すると、諦めた様子で縁側に腰をおろした。三波も隣に座る。
 それを一瞥すると、九十九は話し始めた。

「まず認識しておくべきは、江戸川先輩が会議にあまり出席しない人でも、それがあの人の考える普通の高校生らしくないという理由からだ。そもそも普通の風紀委員は会議に出席するはずなんだけど、それは置いておこう。そして、先輩の考える真面目な風紀委員は提出物は真面目に出す。従って、一番適当と思われるのは、先輩が真面目に事実を書いていたというものだ」
「じゃあ落とし物がなかったの?」
「それは考え難い。落とし物はあったはずだ」
「じゃぁ、遺失物係が不真面目だった?」
「それなら、ホームルームで無くした張本人が連絡するはずだろ?」
「うっ、確かに……。じゃあ、どうして?」
「遺失物係が、真面目に役目を果たしていた。これが結論だ。つまり、落とし物を見つけていた。或いは、落とし物の持ち主を見つけていたんだ」
「どういうこと?」
「そもそも、遺失物係がホームルームで発表をする理由は?」
「そりゃ、見かけた人や心当たりのある人を募る為でしょ?」
「そう。つまり、落とし物や落とし主がその日の内に見つからないから発表する。それがいつしかホームルームに発表があるから、落とし物がある人や落とし物を見つけた人はホームルーム前に遺失物係に連絡するという風になったんだ。特に落とし物を探していても、一日の間、しかも授業の休み時間中に見つけられるなんて普通に考えれば無理な話なんだ。実際、報告された発表の内容は、持ち主探しよりも落とし物探しの方が圧倒的に多かった」
「当然よね。クラス内に物が落ちてたら、そのクラスの人の持ち物だろうし、周囲に聞けばすぐに持ち主は見つかるだろうから」

 三波の意見に九十九は頷いた。

「その通り。逆に落とし物を探してもどこで落としたかわからないと、なかなか見つからない。落とし物は落とし主と違って返事ができないからね」
「うん。それはわかったけど、結局落とし物がゼロだった答えじゃないわよ?」
「答えを言ったつもりだったんだけど……。つまり、遺失物係が一日で落とし物を見つけられないから、発表するんだよ。それをわかってるから、クラスの人も遺失物係にホームルーム前のタイミングで伝える。ここまではいい?」
「うん」
「じゃあ、もしも遺失物係が優秀で、落とし物を探していたら、すぐに発見して持ち主に返していたら? ホームルームで発表するよりも前に落とし物を見つけられるなら、クラスの人も遺失物係にすぐ連絡するはずだろ?」
「あ、なるほどね! 探し物が見つからなかったら遺失物係に相談すれば、すぐに見つかるってことなら皆、わざわざホームルーム前じゃなくて無くした時に伝えるわね」
「そう」
「でも、そんなことあるの? ひと月っていっても結構沢山落とし物ってあるでしょ?」
「平均十件位かな? 先輩のクラスを除いて。でも、ありえる。ある条件を加えると」
「それは?」
「先輩のクラスには、迷先輩がいる」
「あっ!」

 三波も探貞の推理力については知っていた。そして、小学校時代から探貞に相談すれば何でも解決するという噂があることも同時に思い出した。

「昭文小で同級生なら、俺達すら知っている運動会の探し物競争六年連続ダントツの一位独占という記録を残した迷先輩の存在を知らない人はいない。それがクラスメートにいたら、江戸川先輩のクラスにいたら、確実に遺失物係は迷先輩に決まるはずだ。迷先輩が遺失物係なら、無くした物も即座に見つけ出しても不思議じゃない。結果的に、迷先輩が遺失物係の役割を完璧に果たしたからホームルームで報告する前に落とし物が見つかって、報告件数ゼロになった。これが答えだ」
「……今の話をしたの?」
「いや、迷先輩がいるクラスですよ。 江戸川先輩は事実を伝え、遺失物係の迷先輩も真面目に役目を果たした結果だと思いますって」
「何故はじめにそう言わなかった!」

 三波が怒りを露わにして九十九に詰め寄る。顔が近い。

「えぇい! 言わなかったか?」

 三波を引き離しながら九十九は聞いた。

「迷先輩についてが完全に抜けてたわよ! 私だって迷先輩の存在がわかっていたら、すぐに謎は解けてたわ!」

 三波の文句に笑って誤魔化す九十九も、内心同意見であった。
 小学校の先輩で、風紀委員の先輩という共通点はあっても、あまり和也のことやクラスのことを知らなかった九十九であったが、和也のクラス名簿を見て探貞の名前を見つけた瞬間に今話した推理が構築されたという事実があった。

「まぁそういう訳で、謎も解けただろ? 本当にそろそろ帰る」

 九十九は鞄を持って立ち上がった。
 三波もこれ以上の文句を言わず、両親と共に九十九を見送った。
 そして、それぞれの連休を過ごしたのであった。

 


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 彼は長い間夢を見ていた。
 遠い昔、彼は故郷を旅立った。
 彼は元々職人だった。彼はリストを読み取り、材料を組み合わせて道具を作り、また完成した道具を運ぶこともしていた。それはまるでロボットであり、自我は必要としなかった。
 しかし、いつしか彼には自我が目覚め、新しい道具を生み出す発明家となった。
 発明の為、日夜職人の腕を磨きつつ、様々な物事の研究や観測を始めた。それは新鮮なことだった。
 そして、多くの発明品を生み出した。
 しかし、彼はそれだけで満足できなかった。知りたいことがあったのだ。それは人々に希望を与えた。人々の期待を背負って、彼は旅立ったのだ。
 しかしながら、天体の巡り、生命の営み、様々なものを観測してきた彼にとって、堅苦しい大義でなく、好奇心こそが長旅に駆り出させた最大の動機であった。
 旅路の果てに、彼は観測したい現象がすでにそこにはないことを知った。
 しかし、絶望はしなかった。
 何故なら、その現象が過去に起こっている事実があったからだ。待ち続ければ、いつかチャンスがくると信じていたのだ。
 だから、彼はその地の人々の協力を得て、待ち続けることにした。
 長い夢を見続けた末、彼は遂に目覚めた。
 再び起きた現象を観測する為に。




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 連休も残り一日となった朝、遅く起きた和也は着替えを済ませて、自宅マンションのリビングでのんびりとコーヒーを飲みながらテレビのワイドショーをBGMに携帯電話を開いた。テレビでは、大型連休中の各地観光地の混雑の様子を伝えていた。
 携帯電話には旅行中の探貞に送ったメールの返信が届いていた。どうやら突如として移動したお地蔵様の謎に遭遇し、巻き込まれる形で父親達とその真相を調べているらしい。

「どっちがトラブルメイカーだか」

 和也は苦笑し、コーヒーを一口飲むと、メールを返信する。

「って、その優雅な会社員の朝みたいなことをしているお兄ちゃんは連休中、ずっと家にいるの?」

 優雅な朝を堪能していた和也は不機嫌そうに口を出してきた妹に視線を向けた。
 妹の江戸川数は、掃除機を片手にリビング隣の和室の前に立っていた。
 私服のワンピースにエプロン姿の妹は、兄の色目を抜きにしても可愛い。実際、兄には似ず、160センチ弱と小柄で日本人形の様に真っ直ぐに伸びたストレートの黒髪で、大きく開いた二重の瞳は、そこらのアイドルよりも愛らしく、学校でもそれなりに人気があるのは明白だった。

「おはよう。部屋の片付け、終わったのか?」
「まぁ大体ね。お兄ちゃんもちょっとは手伝ってよね。朝から荷物が届いて大変なんだから」
「それは嬉しい悲鳴だろ? 念願だった自分の部屋が手には入ったんだから。俺は狭くなる居間をこうして眺めている」
「元々お兄ちゃんはあんまり和室に入ってないじゃない。それは書斎がなくなるお父さんが言う台詞よ」
「へいへい。……あ、宿題やんないと」

 コーヒーを飲み干し、テレビを消すと和也はそそくさとリビングから退散する。
 一方で数は兄の協力が望めないと判断し、掃除機の電源を入れた。
 今まで自分の部屋がなかった数の荷物は元々和室のタンスにしまっていた衣類と教科書くらいだ。大型連休中に自分の部屋へと模様替え中だが、机やベッド、カーテンが加わっただけで、あまり元の状態と変わっていない。

「中学生の部屋なんて所詮こんなものなのね」

 ファッションや芸能など、サブカルチャー類にほとんど興味のない数にとって、完成した部屋はお世辞にも女子中学生のファンシーな部屋と呼べない質素な和室だった。
 その事実に数が落胆していると、家のチャイムが鳴った。和也は部屋から出てくる気配がないので、数は玄関に向かった。

「はい? あれ、九十九君じゃない」

 そこにいたのはクラスメートの九十九であった。

「江戸川さん、おはよう。先輩いる?」
「うん。ちょっと待ってて。……お兄ちゃん、九十九君よ」

 数が玄関脇の和也の部屋をノックすると、まもなく部屋から和也が出てきた。

「百瀬か、どうした?」
「俺の名前は百瀬でなく、一ノ瀬九十九です。用件は連休前の委員会欠席理由と、提出物についてです」
「んなの明日学校で聞けばいいのに、ご苦労なことで。……欠席理由は重大な問題に直面してやむなく欠席した」
「それは?」
「重大な問題だ」
「……作文は全学年に毎年連休中の宿題として出されているので、理由としての正当性は認められませんよ」
「むっ」

 和也は眉を動かした。それを見逃さなかった九十九は、納得した様子で頷く。

「図星みたいですね。それは何か適当な理由を考えておいて下さい。多分、明日七尾委員長が問い詰めると思うので。それと、提出物ですが、あれは事実を書いていますよね?」
「あ、あぁ」

 淡々とした九十九の指摘と助言に面を食らいつつ、和也は頷く。

「遺失物の報告件数がゼロなのは、迷先輩が遺失物係だった為、ということで問題ありませんね?」
「あぁ。あいつがすぐに無くしたものを見つけるから」
「なら、七尾委員長に聞かれたらその事実を伝えて下さい」
「それはいいけど……。なんでそんなことをわざわざ?」

 和也が聞くと、九十九はフッと微笑した。

「予防策ですよ。これ以上厄介なことに事態を発展させないための。それと、迷先輩の実力が本物なのかを知っておきたかったというのもあります」
「お前、なんか企んでんのか?」
「いえ、企んでいるというより、迷先輩の力が必要になりそうなので。用件は以上です。休み中に失礼しました」

 怪訝そうにする和也に九十九は頭を下げると、一人満足した様子で帰っていった。
 その背中を見送りながら、和也は思わず呟いた。

「変な奴」
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