古の秩序


【Episode Φ】
 

 圭二達が美術館の正面玄関前に来ると、吾郎と虚無僧姿のミナモトが立っていた。

「そちらの方は?」

 当然の疑問を圭二は投げ掛けた。

「こちらはミナモトさん。ご覧の通りの虚無僧をしているそうです。外に数日前から現れていたので、話を聞こうと思いましてね」
「よくこんな怪しい奴を招き入れたな?」

 吾郎の返答に露骨な呆れ顔をして伝が言った。
 圭二は苦笑混じりに、毒づく伝をなだめる。

「まぁまぁ。……ミナモトさん、お気を悪くしないでください」
「いや、それは虚無僧の宿命です。……それで、刑事さん達は?」

 ミナモトに圭二達は自らの身分を名乗った。
 例によって探偵課と紹介する伝にミナモトも興味を示した様子であった。

「このお二人にもさっきの話を伝えてあげてください」
「わかった。……俺は虚無僧となる前に、ニューヨークで滞在していた時、ある人物の世話になりましてね。その人物からの依頼で怪盗φから神々の黄昏を守るために来ました」
「ある人物というのは?」
「ギケー・ゲーン・テリー。……テリー財団総帥といえばご存知の方も多いと思います」
「あの長者番付連続上位にいる人物か」
「別名カジノ王。しかも、健全経営とは程遠いマフィアのボスじゃねぇか?」
「それは噂ですよ? 確かに、彼はゲーン一家というマフィアのボスですが、カジノに集まる無法者を束ねて組織化した所謂用心棒のようなものだからな? ……まぁ、影でどんなサイドビジネスを展開しているのかは俺の知るところではありませんが」
「そういうのを限りなく黒って、俺達警察は言うんだよ。んで、お前はマフィアから足を洗って虚無僧か?」

 どうも本当に気に入らない相手らしく、伝はミナモトに一々噛みつく。

「残念ながら違います。俺は、ニューヨーク郊外でさまよっているところを拾われただけです。……そのギケー・ゲーン・テリーは、ここではあえて表の顔といいますが、テリー財団総帥として以前から日本人とも交流をもっていまして、その印に某大学の学長へ神々の黄昏を寄贈したんです」
「「!」」
「つまり、元々の所有者が、寄贈した神々の黄昏を怪盗φに狙われていることを知り、国内にいた俺に頼んできたんですよ」
「……なるほど。事情はわかりました」

 圭二はそう答えると、それでどうするのかという目で吾郎を見た。
 吾郎は微笑んで、答える。

「もしも、彼が怪盗φなら捕まえるだけですし、そうでなくても勝手な行動をされては捜査の妨害となりかねません。相手がテリー財団となると、日本の政財界にも影響がありますから、余計な圧力を外部からかけられたくもない。ここは僕と行動を共にしてもらうことにしました」
「苦肉の策だな。……俺には、この胡散臭い虚無僧にそんな力があるとは思えないがな」

 相変わらず伝は警戒を全く解かない様子だった。

「それに、一人そういう人物が増えたところで、大した違いがありませんから」

 吾郎は苦笑して言った。

「ということは、まだ他に素性のはっきりとしない人物がいるんですか?」
「まぁ、そういうことです」

 吾郎が圭二に答えると、美術館のドアが空き、中から虚無僧以上に胡散臭い男が現れた。
 垂れた一重の目の下にはクマがあり、無精髭は生え、髪も短いがボサボサ、まるでタヌキを極限まで細くしたかのような顔だ。更に、口からはアルコール臭がする。

「月見里さん! ……ちゃんと部屋にいて下さい!そうでなければ、怪盗φの手下と判断して逮捕しますよ!」

 吾郎は男に言った。

「やれやれ、これだから警察は………。おや? もしやあなたが噂の予告状を受け取った探偵課の名探偵警部殿ですかな? ヒッヒッ………初めまして、探偵をしていますヤマナシという者です」

 そう言うと、ヤマナシは名詞を圭二達に渡した。何故か、虚無僧姿のミナモトにも一才不審がる様子もなく、名刺を渡している。
 名刺には「月見里 卯月」“つきみさと”と書き“やまなし”と読むらしく、フリガナで“やまなし うづき”書かれていた。
 月見里という男は、成程確かに胡散臭い。

「探偵というより変質者だな」

 案の定、伝が率直な感想をはっきりと口にした。

「全く、人を変質者呼ばわりしやがって、これでも娘もいるんだぞ! まぁ離婚して長いこと会っちゃいないが……」

 月見里はぶちぶち文句を言いながら、懐からカップ酒をとりだし、飲む。

「まだ持っていたんですか? 飲酒は控えて頂きますとお伝えしたはずです」

 吾郎は月見里を注意する。

「ふんっ! 俺は怪盗φと同じで酒を飲むと覚醒するんだよ!」

 月見里は、完全に酔っ払いの呂律が回らない口調で言う。

「覚醒?」

 圭二は聞いた。

「あぁ、皆さんは知りませんね。怪盗φの情報で、特殊な能力を持つらしいというのがあるんです。事実、警察が発砲した弾は必ず回避しますし、当人もそれを第六の感覚と呼んでいます。そして、もう一つの情報が、怪盗φが飲酒をして仕事をしているという事です」
「飲酒?」

 伝は聞き返した。

「はい。何人も彼からアルコール臭をかいでいますし、逃走中ウィスキーらしき物を飲む姿が目撃されています。更に、先の情報に繋がるのが、以前彼が飲酒後に『覚醒』という日本語をもらしているそうです。そして、まさに覚醒したかのように、超人的に盗みを成功させる」
「じゃあ、怪盗φは日本人?」

 圭二は聞いた。

「いや、そうとは言えない。その場に日本人の記者がいたから、日本語を使ったとも考えられるようです」
「まぁそう言うこった! 早く、部屋に行こうぜ、名探偵殿!」

 月見里は酒臭い息を吐きながら、圭二の肩に腕を回して言った。
 圭二はやれやれという風に肩をすくませ、彼に促されるまま、他の一行と共に美術館館内へと入った。






 

 美術館の廊下の突き当たりにある豪華な扉を開くと、大きな展示室が現れた。照明が天井全体を照らし、床は大理石が敷き詰められており、その室内の至るところに美術品が展示されていた。全て最新の警備システムを使い、厳重に保管されて、展示されている。

「ほぅ、この模様は初期のマイセンだな」

 伝は装飾された陶器の壺を見て言った。

「こっちはやぐら時計だ」

 圭二も木の時計を見て言う。

「これは写楽の浮世絵だな? ……初め目にする作品だ」

 ミナモトも壁にかけられた浮世絵を見て言った。
 各々展示されている美術品に感嘆の声をあげてはいるが、部屋の中央に置かれたそれは他のものを圧倒する力があった。

「これが神々の黄昏……」

 真っ赤に輝き、大きく、そしてその見事な職人技術によるカットによる存在感は他を圧倒する。希少価値の高いレッドベリルの最高傑作だ。

「これは………」
「す、凄い」
「神々の黄昏といえば、ワーグナーの舞台祝典劇『ニーベルングの指環』の最終部だな?」
「あぁ、ヴァルハラの炎上を彷彿とさせる見事な紅だ。他の宝石にはない、まさに黄昏の炎だ」

 皆、その魔力的な美しさに魅了された。
 その様子を見ながら、月見里は語る。

「ちなみに、この神々の黄昏はその美しさから多くの宝石と同じく数々の伝説を持っている。この石をただの希少価値の高い幻の石から、神々の黄昏という宝石へと変貌させた職人が誰なのか、全くわかっておらず、いつ採掘されたものかも不明。ある時、突然この世に現れ、その魔力的な魅力から多くの富豪が手をのばすが、まさにその名の如く所有者は、火災によって死に、所有者を転々としたといわれている」
「まぁ、前の所有者のギケー・ゲーン・テリーは今も存命だけどな?」

 ミナモトがボソリと言った。
 一方、室内を見渡す圭二に伝が時計を確認しながら話しかける。

「後10分で皆既月食だ。……で、俺達はどうするんだ? まさか、ただここで立ったままじゃないだろ?」
「あぁ、今探し物をしている所だ。上手くいけば怪盗φを捕まえられるかも知れない」

 展示室からは見えないが、夜空を照らす月は、まもなく地球の影に消えた。
 その時、町に闇が訪れ、神出鬼没の怪盗紳士は降臨した 。



 


 

 突然明かりが消えた展示室は混乱していた。

「ちっ! 暗闇の中に現れるなんて、怪盗の十八番じゃねぇか! 何やってんだ!」

 闇の中、月見里の声が聞こえる。
 その声をかき消すかの様に、硝子の割れる音が室内の至るところで響いた。

「展示台の硝子が割られた! 怪盗φが盗んだぞ!」

 誰かが叫んだ。
 その刹那、展示室の扉が勢いよく開け放たれる音と廊下を走る足音が響く。

「追え! 追えぇぇぇ!」

 月見里が叫び、警官達が互いの体をぶつかり合いながらも、扉を手探りで開き、廊下へと出ていく。床に散らばった硝子の破片を踏み鳴らしながら、廊下へと走り出ていく彼らの足音が展示室内に響いた。
 一方、冷静にその場から動かず懐中電灯を取り出した圭二は、室内を照らす。

「月見里さん、怪盗φを追わないのですか?」

 叫んでいた声とは裏腹に、全く動じる様子もなく室内に残っていた月見里に圭二は問いかける。
 一方で、吾郎も懐中電灯を灯らせ、神々の黄昏の展示台の前に立つミナモトを照らした。

「そこで何をしているんですか? ミナモトさん? ……いや、怪盗φ?」

 ミナモトは、クククッと不気味な笑い声を上げ、肩を震わせた。
 一方、月見里はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、身を翻した。
 同時に、伝が月見里へと飛びかかる。
 刹那、発砲音と閃光が迸った。

「うわっ!」
「フッ! 当たりませんよ」

 月見里は伝に取り押さえられたが、その手には硝煙の立ち上る拳銃が握られていた。
 しかし、懐中電灯に照らされたミナモトは平然としている。

「残念ながら、私は確かに酒を飲むことでその力を覚醒させることができる。しかし、酒を飲まずしても、この力を瞬間的に発揮することはできるのだよ。月見里探偵。……蒲生吾郎君、お見事だ。しかし、捕まる訳にも行かないので、ここで失礼するよ」
「つまり、負けを認め、神々の黄昏を諦めるんだね?」

 吾郎は懐中電灯をミナモト、もとい怪盗φに向けて問いかけた。
 それに対して、彼は大袈裟に首を振った。

「いいや、仕切り直しだ。……事情は、迷圭二君なら見抜いているようだ」
「ここにある神々の黄昏は偽物で、この月見里は怪盗φに罠を張っていた。君はあくまでもそれを確認するためだけに、危険を侵してもここに侵入をした」
「わざと僕が話をかけさせたのかい?」
「何も言ってこなければ、こちらから出向いた。侵入経路は元々用意していたからね。……偽物を用意し、命を狙うなどという邪道な罠を使う相手には、こちらも邪道を通らせてもらう。それに、ここでは皆既月食が見れない」
「……やはりか、伏せろ!」

 圭二は怪盗φの言っている言葉の意味に気づき、叫んだ。
 刹那、神々の黄昏の展示台の真上にあたる天井が爆発し、人一人が通れる穴が開いた。
 次の瞬間、虚無僧の衣装を脱ぎ捨て、闇に紛れやすい真っ黒の服に身を包んだ怪盗φは、天井の穴から降りてきたワイヤーに掴まると、瞬く間に皆既月食によって赤くぼんやりとした月の浮かぶ夜空へと消えていった。
 圭二達が穴から空を見上げると、黒い気球が夜空を飛んでいくのが見えた。

「追跡させます!」

 吾郎はそう言い、懐中電灯を片手に廊下へと出ていったが、圭二は恐らくそれは無理であろうと思っていた。
 案の定、その後の警察の決死の捜査網でも、停電の闇に包まれた町の中で怪盗φの消息を掴むことはできなかった。






 

 怪盗φと警察が大捕物を広げている町から少し離れた地域にある人気のない静かな東京湾を望む海浜公園の岸辺に一人の女性、一ノ瀬絵里が立っていた。
 そして、波の音や汽笛に紛れて、足音が彼女に近付いて来た。

「お待たせしてしまいましたか?」

 虚無僧姿の男、ミナモトだった。その背中にはすやすやと寝息をたてて眠る幼い男の子がおぶられていた。

「いいえ。夜の海を眺めて考え事をしているのも悪くはありませんでしたわ。それよりも、協力して頂くだけでなく、息子を預かっていただいて、本当に申し訳ありません」

 一ノ瀬は答えた。彼女の声は静かな海浜公園によくとおる。

「いいや、久しぶりに子守りができて楽しかったですよ?」

 ミナモトは天蓋の中から柔らかい声で言った。

「ありがとうございます。……でも、ミナモトさんはなぜこんなことまで私達、いいえ、怪盗φに協力するのですか?」

 一ノ瀬は不敵な笑みを浮かべながら聞いた。
 挑戦的な問いかけではありながら、彼女は息子を彼に今も尚預けていられるほどに信用をしていた。

「そうだなぁ……利害の一致かな? テリーさんからあの宝石を守ってほしいと頼まれたけれど、偽物とすり替えられて、守りようもない。それに、俺はテリーさんとも、あの月見里という探偵の人とも仲間にはなった覚えはないからな?」
「つまり、中立公正ということ? ずるい人ですね」
「そうだな? ただ、俺も探し物があるんだ。この虚無僧も、その為の変装だしな? φさんにはすべて話しているから、どうしても知りたかったら、彼に聞いてほしい。……まぁ、その一つはもう見つかったみたいだし、彼もわざわざ俺の為に探りを入れてくれたみたいだからな? あとでお礼を伝えてください」

 ミナモトは、軽く微笑んでいるような口調で一ノ瀬に話した。
 そして、背中にいる子どもをゆっくりと一ノ瀬の腕に返す。
 子どもはすやすやと寝息をたてている。

「あら。直接はお伝えしないのですか?」

 非常に淡々とした口調で一ノ瀬は聞いた。

「俺と協力関係なのはここまでですからね? 本物の神々の黄昏を怪盗φが狙う以上、今度は敵対することになります。現場以外で顔を会わせるのはフェアじゃないからな?」

 ミナモトは、錫杖を片手に持ち直し、親子から離れる。

「でも、あえて聞かせて下さいね? ミナモトさんはこの後、どちらへ?」

 一ノ瀬の問いかけに、ミナモトは足を止めた。

「まずは吾郎と接触するさ。今度は怪盗φを捕まえる側になる。……ですから、彼にお伝えください。怪盗φ、覚悟していて下さい!」

 ミナモトの語気を強めた言葉に一ノ瀬の顔から余裕が消え、緊張感のある不敵な笑みを浮かべて言った。

「では、怪盗φならこう応えるでしょうね。私を捕まえられるかしら?」

 ミナモトは天蓋の中で、クスリと笑うと、親子を残し、海浜公園から去っていった。
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