古の秩序


【Episode Ε】


 髪を黒色に戻した数が昭文神社に戻ると、アールが境内で待っていた。

「あいつらは無事に帰ったぜ」
「そう」
「その様子だと、おめぇでも苦戦したようだな」

 髪をかきあげて、境内のベンチに腰を降ろした数にアールが言った。
 彼女は頷く。

「やっぱりChaoticのεだったわ。私のセンサーでも感知がほとんどできない。暗殺者としては最高の実力者よ」
「まぁセンサーはセンサー。完全なものじゃぁねぇ。オイラのセンサーだって同じだ」
「どういう意味?」
「言葉のまんまでぇ。七尾の件で、時空への干渉が感知できない場合があることを実証しちまったじゃねぇか。それで、オイラなりにセンサーのログを調べなおしてたんでぇ」
「それで?」
「七尾を感知することのできるレベルってのが、センサーでノイズとして弾いていたものだってのがわかって、七尾の時空干渉の痕跡は確かに見つかった。ってぇのが、困ったことで、そのレベルに感度を上げると、該当するものが膨大な数存在してたんでぇ。そりゃもう今現在も常時反応してるぅってぇもんでぇ!」
「そんなに?」
「考えられるのは、時間の不可逆性に左右されねぇ素粒子の存在だな。オイラのセンサーは三次元空間+時間の、オイラ達が今いるこの四次元空間に歪みが生じることを感知するものでぇ。つまり、おめぇらのいうchaoticに空間干渉の力がある奴がいたら、それも感知する。理論上のものだけども、エネルギーが虚数化されるような爆発も同じように感知するんでぇ。それをノイズとして、過去にオイラが観測した時空の歪みを参考にセンサーの感度は決めてんでぇ。七尾のせいで前提が崩れちまったんでぇ」
「でも、アールの観測したいのは、千年前の時空の歪みでしょ? 目的に合わないなら、排除してもいいんじゃない?」
「残念ながら、ギリギリ感知するレベルに至らなかった事象が十年くれぇ前にもあったのが、見つかったんでぇ」
「! 十年前に?」
「あぁ。どのレベルが所謂タイムスリップや異次元空間、異世界との物質、有機生命体の移動を可能にする歪みなのかわからない以上、極大が千年前とおめぇの起こした歪みなのかもしれねぇ」
「つまり、アールは私達以外にも未来人が来ていたかもしれないと思うの?」

 数が聞くと、アールは頭をかいて、その視線を彼女に向けた。

「おめぇも気づいているんでねぇか? おめぇ程の性能なら、記憶でなくても、記録はあるんじゃねぇか?」
「……博多の鎧と怪物ね」
「やっぱり気づいていたじゃねぇか」
「それをいうなら、私の台詞よ。あなただけじゃない。chaoticでも特別な改造をされてもいない迷さんも、覚えているんですよね?」
「それは、女のカンか?」
「えぇ」
「おもしれぇな。そうでぇ。何故かオイラとあいつだけは本当の記憶が残ってたんでぇ。理由はわからねぇ」
「そう。……異世界人の干渉も感知できなかったの?」
「七尾と同じでぇ。ノイズレベル」
「そう。……となると、未来や過去だけじゃなくて、異世界からの転移もあり得るのね」
「そういうこった。オイラは千年前の事象の解析に絞り混むことにしたでぇ。砂漠で砂粒一つを探すような根気を出すなら、新しい方法を発明するのがオイラでぇ」
「私はその砂粒を見つけたいのよ」
「せいぜい頑張りな。……あぁ、ならおめぇに朗報でぇ」
「え?」
「Chaoticに対する反応が、二つ増えたでぇ。一つはさっきのεだが、もう一つは微弱だけども、この町に存在してるでぇ」
「! ありがとう、アール」





 
 

「失礼します」

 犬山が特殊捜査課から去ってしばらく経ち、伝が定時に退勤する為、荷物をまとめていると、特殊捜査課の扉をノックし、背広を着た中年の男が入室した。
 伝がその男を見て、嗚呼と目を見開いた。

「今日は二度も来客とは珍しい。が、それに輪をかけて珍しい客だ。10年ぶりか?」
「9年ですね。怪盗φの事件後に三重県警へ出向したので。ご無沙汰しております」
「そうだったか。……悪いが、名探偵なら今日は非番だ。そうそう、風の便りでお噂は予々伺っております。察庁へお戻りにならられたとか。出世されたとか。いやいや、実にご立派になられましたね? 蒲生吾郎警視殿」
「ありがとうございます。伝さんはお変わりなくお元気そうで安心しました」

 蒲生吾郎は、穏やかな笑顔を浮かべて伝の嫌味に言葉を返した。

「あぁ嫌だねぇ。真人間相手だと、嫌味が嫌味にならねぇ。挙げ句、返し文句が毒舌なのか本心なのかわかりゃしない」
「本心ですが?」
「いやいや、こっちのことだ。蒲生警視がそういうお方だということは、本官も十分に心得ております。……んで、確か警察庁刑事局組織犯罪対策部国際捜査管理官付となられた次期警視正、管理官候補のお方がこんな時間にこんな僻地に何のご用で?」
「よく僕の待機ポストまでご存じでしたね? 流石は探偵課ですね。……でも、あくまでも待機ポストです。まだ当面次のポストの話もなさそうですし、専ら僕自身が官僚の政に向いていないので、事務方というよりはその出先、所謂サテライト。よく言えば遊軍ですよ。事実、今日もその遊軍でこちらへ伺いました」
「三重県警で課長ポストを歴任して十分にキャリアを積んだエリートさんがご謙遜を。噂じゃ国際捜査管理官付と如何にも訳ありそうな肩書きも、察庁の官僚達が捻り出した蒲生警視を呼び戻す為の口実だとか。本当は公には存在しないとされる国際刑事警察機構の所謂国際捜査官だとか。怪盗φや国際さんが手の付けられない正体不明の相手に対しての特別な捜査権限を与えられているだとか」
「伝さん、その噂は一体どこから……」

 吾郎が苦笑して問うが、伝はニヤニヤと笑って誤魔化す。
 そして、笑みを消して真剣な表情に変えて伝は吾郎に聞く。

「んで? 大体の立場は理解させてもらったが、その遊軍さんは何を追ってここに来たんだ?」
「やはりここの方は話が早い。9年前の怪盗φの事件で、僕達は複数の存在の影を見ました。一つは怪盗φ。一つは探偵の月見里卯月。一つはミナモト。一つはテリー財団こと、マフィアのゲーン一家。一つは怪盗φの動向を探る組織。この組織というのが、現在公安の方々が追っている暗殺者の所属するものだと思います。そして、もう一つ、謎の集団。僕はそれを追っています」
「謎の集団? そんなのいたか?」
「えぇ。存在すら見えませんでしたが、まるで影のみ。いや、舞台裏で怪盗φと他の者達との戦いを演出させ、都合よく動かしていた存在。所謂、演劇の用語にある機械仕掛けの神、ゼウス・エクス・マキナのような」
「確かに、あの事件は都合の良すぎる点が多かったのは事実だが、だからといって、そんな存在がいたとは思えない。存在が見えないのではなく、元々居なかったということじゃないのか?」
「そうかもしれないですが、暗殺組織が単体として動くのはおかしい。彼らには依頼人がいるはずです。それが彼らには仮にいないのであれば、何故彼らには怪盗φを狙ったのか? いずれにしても何かの意思が介在していると考えられます。……それは、怪盗φが復活し、暗殺者やミナモトの国内への侵入といった現状においても同様のことがいえます」
「そんないるかいないかもわからない存在を遊軍さんは追っている? いいご身分なことで」
「いいえ、流石にそれだけで動けはしませんので、僕に与えられた権限は怪盗φです。かつて、この探偵課にも同じ権限を与えられている。だから、僕はここに来たんですよ。合同捜査の協力を求める為に」
「なるほど」
「合同捜査といっても、担当は僕一人。そして伝さんと迷さんの合計三人ではありますが」
「それは問題じゃない。……わかった。今日のところは課長の名探偵が不在だから、俺は話だけ受け取らせて頂く。返答は明日と形式上はさせてもらうぞ」
「えぇ。形式上はそれで構いません」

 そして、二人はニヤリと笑みを浮かべ、握手をした。






 

 和也や九十九達が見守る中、故人鉄大人の通夜はつつがなく執り行われ、順番に参列者の焼香が始まった。
 和也はじっとその様子、ではなく棺桶の傍らに佇む故人の霊の様子を見つめていた。

「まだ違う」
「和也、いい加減どういうことだか話してよ」
「そうよ。途中から来た私達にもわかるように説明しなさいよ」

 涼と三波が口々に小声で和也に文句を言う。

「後で説明すっから今は黙ってろ!」

 和也は苛立ちを抑え切れず語気が強まる。
 参列者がジロッと部屋の隅に立つ彼らを睨む。
 一同が会釈すると、また参列者達は正面を見る。既に資産の多くがなくなっていると聞いていたが、親族と思われる参列者の数は多く。残された資産が決して少くはないことが伺える。
 そして、一般参列者も多く。狭い家屋から既に人の列は溢れている。
 焼香の間も繰り返される読経と数珠や衣服の擦れる音が室内に響く。
 通夜は厳粛に執り行われていた。
 そんな中、再び和也はその静寂を破る声を上げた。

「見つけたっ!」

 一人の中年男性が焼香に上がった時だった。
 一斉に参列者達が和也に非難の目を向ける。
 しかし今度は、和也が恐縮することはなかった。
 和也は真っ直ぐその男に近づき、男の前に立った。

「な、なんだね?」
「この度はお悔やみ申し上げます。しかし、あなたは本心からここにいる故人の方にお悔やみを伝えられるのですか?」
「一体、お前は誰だ! 失礼だな! おい! 葬儀屋! この無礼な少年は貴様らの関係者か? とっとと失せさせろ! 親父の通夜だぞ!」

 男は突然の和也の言葉に怒り、剣幕で和也に叫ぶが、和也も引かない。

「なるほど。あなたは故人の息子さんでしたか。なら、その言葉を、もう一度棺にいる故人の顔を見て言えますか?」
「まだ言うか!」
「あなたが行った呪いの為に無関係の人が怪我をしているんです! いいや、床を腐らせただけに留まらず、タンスの上に仕掛けられたあれは怪我では済まない。殺人未遂といっても言い過ぎじゃない! 動機は恐らく財産の相続。あなたは実の親を殺そうとしていた!」
「こ、このクソガキがぁぁぁっ!」

 和也の言葉に顔を真っ赤にして男は拳を握り、和也に殴りかかる。
 しかし、その拳が和也に届くことはなかった。
 見ると、学ランを来た大柄な少年が彼の腕を背後で掴んでいた。
 肩までかかる長い剛毛を後ろに縛った髪、鷹の様に鋭い眼孔、学ランの捲った袖から見える筋肉質な腕、そして裸足。それは21世紀の日本には絶滅したと思われている番長の姿そのものであった。
 そして、和也達は彼のことを知っていた。

「放せ! 誰だ、貴様は?」
「某大学付属東高校一年! 蒲生凱吾だ!」

 昭文町から程近い町にある男子校にいる番長、蒲生凱吾の存在は皆が知っていた。昭文町からヤンキーや暴走族、暴力団関係者の姿が見られなくなった一因に彼の存在があると噂されており、事実半年ほど前にあった昭文学園の文化祭に現れた文化祭荒らしを一瞬で追い払った姿を和也達も見ている。
 凱吾は鋭い眼孔で男を睨み付けながらも、その手に掴んだ腕を放した。

「お前が次男だな? 生前に師匠から話は聞いていたぞ。その人が言っているのは本当だ。師匠はお前が仕掛けた罠をすっかり見抜いていた。どれもこれも師匠の目を欺くには程度の低いものだったが、師匠を事故に見せかけていつか殺せるようにと用意した仕掛けがこの家の至るところにある」
「な、何を言う! 俺以外にも親父を殺そうと姉貴は薬を盛ってた! 俺は知っているんだぞ!」
「何!」

 男の言葉に和也は驚いて親族席に座る長女を見る。既に焼香を終えていた人物であった。
 彼女は立ち上がり、声をあらげた。

「何を言ってるの! それを言ったら、兄さんでしょ! 私は知ってるのよ! 逮捕された強盗犯は、兄さんがよく行く飲み屋にいたわ! 前に見てるのよ! 兄さんがあの男をそそのかして強盗をさせたんでしょ!」
「っ!」

 それはやはり既に焼香を終えていた長男であった。
 彼は立ち上がり、姉に掴みかかった。

「このアマ! 俺は金を渡しただろう! 裏切りやがってぇ!」
「何いってんだい! 兄さんがそもそも私がもうすぐ殺れそうだったのを邪魔したんじゃないかい!」

 そこからは三人の見苦しい言い争いに発展した。
 互いが知る相手の悪事を暴露し合い、更に掴み合いの喧嘩へ発展しかけた時、凱吾が中に割って入った。

「お前ら! どいつもこいつも恥ずかしくないのか! それでもお前達を信じた師匠の子どもか! 反省しやがれ!」

 凱吾が大の大人三人を怒鳴り付けた。
 それが効いたのか、三人は言い争いをやめて静かになった。

「ふぅ。お前ら、とりあえず警察へ自首しろ。師匠を供養するのはそれからだ」

 もはや葬儀どころでないのはその場にいる全員が理解していた。
 そして和也の目には、凱吾を優しい表情で見つめる故人の霊が視えていた。






 

 昭文町の東側には都県境となる川があり、その河川敷に人気はなく、川のの流るる音が静寂の中、聞こえていた。
 草の葉が風もないのにも関わらず揺れて、人影が河川敷にかかる高架下に現れた。

「くっ! 何なんだアイツは!」

 その男は英語で叫んだ。
 男の目には、痣だらけになった自身の腕が見えていた。

「随分と派手にやられた様ですね?」

 男が驚いて振り返ると、虚無僧の格好をした人物が立っていた。

「ミナモト!」

 彼は虚無僧ミナモトに気づくなり、名前を叫びながら襲いかかる。

「!」

 ミナモトは素早く錫杖で相手の攻撃を防ぐもその力に押されて高架の脚に叩きつけられる。
 更に男は追い討ちをかけて、ミナモトに攻撃を加える。
 蹴りなどの攻撃を加え、ミナモトの腹を潰す。
 そして、ミナモトの体がゆっくりと地面に倒れる。内臓を的確に攻撃し、腹部の内臓は破裂して死に至る。

「ケッ。他愛ない」

 男、εが倒れたミナモトの頭部に唾を吐き捨てその場を後にしようとする。

「!」

 しかし、その足はすぐに止まった。
 既に死体となったはずのミナモトが起き上がる気配を感じたからだ。
 驚いて振り返ったεの目に、ゆらりと立ち上がるミナモトの姿が飛び込んできた。

「……面白い」

 εは細く口元を吊り上げ、笑みを浮かべると、刹那、彼の姿は消え、周囲の草葉が揺れた。

「っ!」

 次の瞬間、ミナモトの体は横から突き飛ばされたように倒れ、転がる。
 しかし、彼はすぐに体を起こす。

「だったら……っ!」

 闇からεの声だけが聞こえ、再び草葉が揺れ、ミナモトの体が何かに蹴り飛ばされたように吹っ飛ぶ。
 更に追い討ちとばかりに、飛んできた大きな石がミナモトの頭部に直撃した。
 ミナモトの笠が砕け、破片が飛び散るが、河川敷を転がる彼に外傷も周囲に飛んだ血痕もない。
 既に彼の纏う衣も土汚れと絶え間ない攻撃でボロボロになっているが、当のミナモト本人は再びゆらりと立ち上がる。
 砕けた笠の隙間から、ミナモトの目がギラリと光る。
 ミナモトは錫杖を鳴らし、それをまるで刀の様に構えた。

「面白いっ! てめぇが如何に頑丈だったとしても、俺を捉えられなきゃ、てめぇの不利は変わらねぇ!」

 εの声が四方八方から聞こえるが、その姿はミナモトに見えない。

「……どうかな? 俺はお前を捉えられる!」
「面白ぇぇぇっ! やって、みやがれぇぇえっ!」

 εの声がしたと同時に次々と石や空き缶、空き瓶などがミナモトに襲いかかる。
 しかし、彼はそれらを錫杖で払いのけ、それを逃れた物が直撃したかと思った刹那、直撃した笠を脱ぎ捨て、中身のミナモト自身は身を低く屈めたまま錫杖を迷うことなく一点に向かって突きつけた。
 刹那、錫杖の先端に確かな手応えがあった。

「ぐはっ!」

 暗い河川敷をうめき声をあげたεの体が転がった。
 ミナモトは、錫杖を構えたまま懐から御札を取り出して片手に構える。

「参ったぜ……。情報にある虚無僧ミナモトは戦闘能力皆無の参謀タイプってなっていたはずだが、さっきのアマとタメはれるくらいの化物じゃねぇか……」
「……このままこの街から消えるなら、俺もこれ以上の深追いはしないが、どうする?」
「一体、てめぇはどの立場なんだ? 生憎、命令に逆らう訳にはいかねぇからな。その提案は聞き入れられねぇ」
「……そうか。なら、ここでこのまま警察に引き渡させてもらおうか?」
「……そうは、いくかっ!」

 ミナモトが御札をεの体に貼ろうとしたその瞬間、一歩早くεの体は消失し、同時に土煙が周囲を覆った。
 思わずミナモトが顔を臥せた僅かな間に、εの姿も気配も完全に消え失せた。
 最早、ミナモトにはεが近くにいるのか、既にどこかへと逃げ去ってしまったのか全くわからなくなっていた。

「……逃がしたか? ……まぁ、いいか」

 ミナモトは御札を懐に戻し、地面に落ちたボロボロに壊れた笠を拾い上げて被ると、その空いた穴から彼は夜空を見上げた。

「……あぁ、こっちの夜空も綺麗なんだな?」

 ポツリとミナモトは呟くと、まるで散歩をするように、ゆっくりと河川敷から去っていった。
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