古の秩序


【Episode Ε】



「……怪盗φ」

 朝起きてからどれだけの時間が経っただろうか。長らく、昭文学園生徒会長の雨場龍一は自室の机に肘を付き、祈りを捧げるかのように頭をたれていた。
 その姿は普段の彼が決して人前に見せることのないものであった。
 彼は、暖房器具の電源がついていない、しんと冷え切った部屋でため息をついた。息が一瞬白く宙に浮かび、消えた。
 昨晩のことが彼の脳裏から離れない。

「どうしてこんなことに……」

 彼は苦悶の表情で呟いた。
 すでに全ては彼の力で変えることのできない事態へと発展している。今の彼には祈ることしかできない。
 自分の弱さ、愚かさ、そして無力さを彼は思い知っていた。もう止められない。

「殺される……」

 絞り出すように吐き出した彼のつぶやきは、その言葉を発した自身すらも恐ろしくなるほどの声であった。






 

「殺されたって、別にお前が殺されるわけじゃないんだから、そんな怯えることもないだろう?」

 江戸川和也は、緑茶を啜ると無神経なことを平然と言い放った。
 対面に座る石坂涼が無言で睨みつける。
 それを受けて、和也は頭を掻きながら嘆息した。
 ここは昭文商店街の石坂納棺二階にある涼の自室だ。畳六畳間の典型的な和室で、押入れがあり、雨戸のある窓、壁に本棚が置かれ、木製の家具量販店で購入した学習机がある。部屋の中央に置かれたコタツを挟んで、和也と涼は座布団をひいて座っている。
 朝早くに電話で呼び出された和也は、涼から用件を聞いたところであった。
 用件を聞いた和也の正直な感想が、先の台詞となる。

「そりゃいつも幽霊を見ている和也からすれば、襲ってくるわけでもないから怖くないって思うのかもしれないけど、それは幽霊が何もできないって前提でしょ?」
「まぁな。だけど、聞く限り偶然が重なっただけだと思うぞ。そもそも、いつもの涼らしくないぞ?」

 目の前で幽霊に怯える涼は、小学生の頃、家業についてクラスメイトからいじめに合っていた当時以来のものだった。
 現在石坂納棺は、一件の納棺依頼を受けている。涼が和也を早朝から呼び出したのは、その依頼についてであった。
 故人は一週間前に昭文町で起きた強盗殺人事件の被害者で、自宅で遺体が発見され、警察の司法解剖が終わり、二日前に葬儀となる予定だった。しかし、葬儀の準備を進める途中に立て続けに事故が起こり、更に強盗殺人犯が逮捕され、供述との矛盾点がある為に、再度遺体が警察に戻され、昨日返ってきたという。
 そして、本日の夜に通夜が行われる予定であるが、昨夜の打ち合わせや準備の際にも事故が起こり、涼の父親も足を怪我したのだ。

「私だって、いつもの私らしくないとは思っているわよ。でも……」
「おじさんの怪我も大したことないんだろ? それに事故も偶然持ち込んだ棺桶とおじさんの体重が腐った床板の上にかかって、床が抜けたってだけだし、珍しい話じゃないと思うが……」
「どこの漫画の世界よ。今まで結構古いお宅にもお父さんは仕事に行っているけど、床が抜けて足を怪我したのは今回が初めてよ」
「猿も木から落ちるってことじゃねぇか?」
「とにかく! 呪いなんて私も本気で信じてる訳じゃないけど、今回はちょっとおかしいのよ。それに、お父さんも怪我で納棺作業を一人でやるには荷が重すぎるから私も手伝いに行くんだけど、男手が欲しいのよ。だから、今回だけのお願いよ。一緒に来て」

 懇願する涼に、和也がそれ以上断る理由もなかった。

「……わかった。ただし、俺はあくまでもおじさんの代わりに肉体労働をするだけだ。バイト代も出してもらうし、呪いだか、怨霊だかの調査もしないぞ」
「わかったわ」

 涼は頷くと安堵した表情を浮かべた。
 和也が自分の能力を嫌い、霊視能力とは無関係な平凡な日常を過ごすことを望みとしていることを知っている彼女が懇願してきたのだ。口では文句の一つ二つくらい言いつつも、最初から彼に断るつもりはなかった。




 

 

 昭文町には昭文山に昭文神社があるが、寺は昭文山の麓にある小さな堂があるのみという珍しい土地である。

「大昔はいくつか神社もお寺もあったらしいんだけど、神仏一体って思想が昔政治的に勧められた時代があって、その時に昭文町は昭文神社にすべてを集約させて、当時あった他の寺社を廃止させたのよ。今も小さな神社やお堂みたいなお寺が点在しているけど、それらも一度昭文神社に集約された後に、管理をしていた家々が神仏分離になった後で各々が管理するようになったものなのよ。つまり、フランチャイズした昭文神社の支店みたいなものね」
「……一瞬でも、三波の知識に驚いた俺の感動を返せ」
「なによ。インテリな表現じゃない」
「まぁさすがは神社の娘だとは思うよ。……で、それはいいとして、なんで俺がそのお堂の掃除をさせられなきゃいけないんだ!」

 昭文山の麓にある昭文堂で竹箒をはく一ノ瀬九十九が、うんちくを偉そうにお堂に腰掛けて語る十文字三波に文句をいう。

「文句を言わない! 手伝ってくれたら夕飯をご馳走するって話、なしにするわよ!」
「文句じゃない! 正当な異議だ! そもそも夕飯を作るのは三波じゃなくておばさんだろ!」
「だから、今説明したじゃない。この昭文堂も昭文神社から別の家系に移ったお寺だったんだけど、管理する人がいなくなって、いわば月極駐車場と同じよ。オーナーはいるんだけど、遠方で管理ができないから管理費を昭文神社に支払っているのよ。それで、定期的に私とかが掃除をしているの。昭文神社の裏にあるお墓も同じよ。一応、お葬式やお通夜の時は隣町からお坊さんがデリバリーでお経を読んだりしに来てくれているけどね」
「なんか寂しい話だな」
「そうでもないわよ。元々はこのお堂もお墓も昭文神社が管理していたものだし、お堂は地域の文化財に登録されているから維持費が出てるし、お墓は檀家からのお金から管理費をもらっているから、昭文神社にとっては貴重な収入源なのよ。最近はお賽銭もケチって一円玉ばっかりだし。神社に税金はかかんなくても、無駄にでかい土地に生活してれば普通にお金は吸い取られるんだから」
「……三波、さてはおばさんから確定申告の手伝いをさせられたな」

 使い慣れていない税金や経営の言葉をグチグチと文句を交えながら言う三波を見て、九十九が指摘すると、彼女の肩がびくりと跳ねた。図星らしい。

「なるほど。なんでいつもは面倒臭がって自分の部屋の掃除もしない三波が突然お堂の掃除をするから手伝って欲しいなんて電話をしてきたか、謎が解けた。……申告の手伝いをサボる為の口実だな? そして、俺を夕食で釣って掃除をさせて、自分は楽しておこずかいでももらう魂胆だろ?」

 九十九が言うと、三波の肩がまた跳ねた。
 九十九は嘆息した。
 ここ最近、彼女の悲惨太伝説が更新をしていないことで、彼は油断していた。十文字三波は火のないところに煙を起こし、些細なことを大事件にする天才なのだ。そして、巻き込まれた周囲が被害を被るのだ。
 もはや、九十九は三波の共犯になっていた。
 余計なことをすれば、結局自分まで三波と一緒に怒られる。それを彼はこれまでの人生で学んでいた。
 結論は一つだ。
 真面目にお堂を掃除し、三波のお母さんが作った美味しい夕御飯を正当な報酬としてご馳走になる。サボる三波が同じ報酬を得ることに不条理を感じざる得ないが、自分まで掃除をやめたら、その報酬すらも失いかねない。
 掃除を終えた後に、三波への報復の方法を考えることが得策だと、九十九は結論付け、竹箒を握り直した。

「おーい、三波、九十九君」

 そこへ昭文神社の神主、つまり三波の父親がやってきた。
 九十九がお堂に振り返ると、三波はさも当然という顔でお堂の床を雑巾がけしている。三代目怪盗φも驚愕の早業だ。

「あら、お父さん。手伝いに来てくれたの?」

 三波はわざとらしく額を手で拭い、いけしゃあしゃあとずっと掃除を頑張っていた者が言うべき言葉を言った。
 その時、九十九は今三波に抱いている感情が殺意なのだと知った。

「いや、今晩隣町の和尚様に依頼していた葬儀の派遣なんだが、困ったことにダブルブッキングで来れなくなったんだ。別の町の和尚様が急遽代わりに来ることになったんだが、土地勘がなくて案内が欲しいという話なんだ。一時間後に昭文神社に車で来るっていうから、案内をしてくれ」
「そういうのって、葬儀屋さんの仕事なんじゃないですか?」
「いや、それをウチが代行するってことで仲介料をもらっているんだ」
「……それ、神主さんのアイディアですか?」
「いや、死んだ親父がやったことだ」
「………」

 以前から思っていたが、先代の神主は相当な才能を持っていた人物らしいと九十九は一人頷いた。
 そして、どうやらそれらの才能は孫に受け継がれているらしい。
 彼は見逃さなかった。三波がよからぬことを企んだ不気味な笑みを一瞬浮かべたことを。

「お父さん。それはいいけど、九十九君一人にここの掃除をお願いするのは悪いわ」
「そうだな。ここまで掃除してくれれば、あとはお父さんが少し掃除すれば終わる。九十九君は三波と家で休憩するといい」
「お父さん、その葬儀するお宅の地図は?」
「ここだ」
「駅の反対側ね。商店街から少し離れた住宅地の中……あぁ。迷さんの家の近くよ。ほら、九十九君」
「………そうだな」

 すでに彼は察していた。
 三波が「ももちゃん」ではなく「九十九君」なんて言う時は、よからぬ頼みをする時だ。
 つまり、彼女は和尚様の案内も九十九に押し付けてサボるつもりなのだ。

「こっちの方、結構道が入り組んでいるのよね。私、あっちの方はあまり歩かないからわかるかしら? ……九十九君、詳しいわよね?」
「……うっ」

 知らないとは言わせないと目で語る三波。
 九十九も夕飯がかかっており、この状況ではお礼におやつをご馳走されて帰るという展開になりかねない。
 確実に事態は三波の思うままに進んでいた。

「ん。だったら、お前たち二人で行ってくれ。どっちにしろ、三波は一緒に行ってもらわないと使いになんないし」
「がっ………」

 思わぬ展開であった。
 確かに、九十九だけが代わりに案内として乗っていくのは、仲介人として問題がある。
 三波は初めから逃れられなかったのだ。
 そして、九十九はお堂の掃除から車に同乗しての道案内に変わって結果的に労働の負担が軽くなり、三波は高見の見物から接待という大役に労働の負担が重くなった。
 物事はどう転がるかわからない。

「では、責任をもって和尚様をご案内します」
「あぁ。到着するまでお茶を飲んで待っててくれ。三波! くれぐれも粗相のないようにな! こういう時に神社の娘の品格が見られるんだ!」
「ぐっ! ……はい」
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