古の秩序
【Episode Φ】
一通の手紙。その事件は一通の手紙から始まり、一通の手紙で終わった。
まだ世界に古の秩序が残っており、人々もその住人で、人々の混乱もまた同じく、秩序の中で繰り広げられていた世紀末のことである。
「名探偵、手紙だぞ」
早朝の人気の少ない警視庁庁舎の廊下を歩き、警視庁捜査一課の犬山張介警部が一課と同じ階層にある第三資料室と書かれた個室のドアを開けると、手に持った手紙をヒラヒラとさせた。
部屋の中は狭く、机が一つとスチールラックが一つあるのみで、それらにはまだ整理のされてない荷物の入ったダンボール箱が置かれている。
「あぁ、張さん。朝早くからありがとうございます」
机の裏から顔を出したのは、当時警部になったばかりの迷圭二であった。
「一課にお前さん宛の手紙が紛れ込んでいたんだよ。ついでに探偵課の様子を見ようと思ってな。……この警視庁で自分だけの城を持てるのは、お前さんと総監くらいじゃねぇか?」
「まさか。……それに、留置場だって、その意に含まれますよ」
「なるほど。その通りだ」
「あ、すみません。この札を扉につけてもらえますか?」
圭二は特殊捜査課と書かれた札を張介に渡した。彼は嫌な顔を一つせずに、ドアに札を取り付ける。
「しっかし、お前さんもババを引いたもんだな。お偉方と墓の中の方々の体裁やら体面やらの為にこんな倉庫をあてがわれて……。こんなんでいいか?」
「ありがとうございます。いやいや、一課の厄介払いができて良かったのではないですか?」
「そう思うのは、管理監と一部の組織至上主義を盲信してる班の奴らくらいだ。わしをはじめ課長や大体の班は犬山班から名探偵迷圭二の欠員を嘆いてるよ。既に課の連中は、警視庁特殊捜査課とは呼ばずに探偵課って呼んでる」
「探偵課? そう言えばさっき張さん、ここをそう呼んでましたね?」
「あぁ。大体機動隊も公安も先の国内テロ事件で日本の安全神話とやらも崩壊したと組織の再編や強化をされたからな。今更ネッシーやツチノコみたいな戦時中の秘密警察の生き残りを発見して、体裁だけ整えて箱と人を用意しても、そもそも時代にそぐあねぇ。挙げ句、そこにあてがわれたのが、一課の名探偵として庁内で知らねえ奴はいない迷圭二警部補……あ、警部に昇進したんだっけな。何を期待するかって、聞く方が野暮ってもんだ。探偵課ってのは、誰からともなく皆が呼んでるんだよ」
「呼ぶのは勝手ですが、私はただの警官ですよ。それに、探偵は依頼を受けて動くのでは? 依頼のない探偵は穀潰しの何者でもないと思いますよ」
「安心しろ。依頼は放っておいても来るさ」
そして、張介は手紙を机の上に置き、扉の札を一瞥し、部屋を後にする。しかし、すぐに振り返り、入口から顔を出した。
「そうそう。俺の班にお前さんの後釜が今日から配属だ。国立大出のキャリア組エリートさんらしい。後で挨拶に連れてくる」
「それはそれは。……どっちがババを引いたかわかりませんね」
「互いに元相棒を恋しがろうじゃねぇか。……じゃあな。手紙はそこに置いたぞ」
「ありがとうございます」
圭二は一課に戻る張介を見送ると机の上に置かれた手紙を手に取った。
差出人はなく、宛名は確かに迷圭二警部殿となっていた。筆跡はわざと判らないように直線で書かれている。
「警部?」
圭二は封を手であけるのを躊躇った。
圭二が警部に昇進したのは、特殊捜査課への異動と同時で、まだ一月と経っていない。内部なら特殊捜査課宛となるが、手紙は捜査一課へと送られた。圭二の近況を把握している外部の人間で、筆跡を隠す必要のある人物からの手紙と推理できる。自然と彼の警戒心は高まる。
彼はマスクと手袋を身につけ、ハサミで慎重に手紙を封筒から取り出した。
ごくありふれた便箋で、筆跡は宛名書きと同じくわからないように細工されている。文面は以下の通りだった。
『拝啓 名探偵迷圭二警部殿
突然の手紙、さぞかし警戒されたことと存じ、まずお詫び申し上げます。
この度、東京に参上致す所存故に、東京警視庁で名探偵と名高い貴殿へご挨拶の筆を取った次第に御座います。
来たる4月1日、貴殿の宝をいただきに参上致します。
敬具 怪盗Φ』
読み終えた圭二はカレンダーへ視線を向けた。
4月1日は、今日のことだ。
「私の宝……まさか!」
次の瞬間、圭二は上着を片手に部屋を慌ただしく出て行った。