古の秩序


【Episode Ε】


「珍しいですね。兄でなく、私を呼び出すなんて」

 七不思議事件から半年後の春のある日、駅前にあるファミリーレストランの席に座る七尾を見つけると、江戸川数はその向かいに座るなり言った。
 彼女は、七尾の後輩である江戸川和也の妹となっているが、正体はマオのいるカオス・パニックの時代から来たシエル・睦海・シスだ。
 七尾の最初の人生では、666の一員として七尾の関わった電人計画で生み出されたアンドロイドだが、彼女の来た未来ではもともと人間でアール達によって、未来を必要以上に湾曲させない為に送り込まれた存在らしい。
 七尾の知る世界では、暗殺者として国際指名手配にまでなったシエルの言葉をすべて信じることはできないが、探貞が七不思議事件を解決させた際の約束以降、彼自身の考え方が変わったことを実感している。

「私が江戸川和也を呼ぶわけがなかろう。それに、これは未来人であるお前への確認だ」
「今更何を確認するんですか?」
「昨年末の博多での一件だ」

 七尾は新聞の切り抜きをテーブルに出した。
 そこには年末の博多で起きた福岡タワーでの爆発事件についての記事が載っていた。

「事件と事故の両面で捜査中と書かれているがその後全く情報はない。死傷者がないのも理由の一つかもしれないが」
「確かに。びっくりしましたもの」
「……本当にただの事件や事故だったのか? あの日、お前達はその場にいたんだろ?」

 苦笑する数に七尾は真顔で確認する。

「実は、少し変なんです。確かに私の記憶では、そこの記事に書かれている通り、爆発が突然あっただけというものなのですが、私の素体のメモリーには身に覚えのない映像が記録されているんです」
「具体的には?」
「巨大なクリオネの様な怪物と騎士の姿です」
「chaoticか?」
「それが違うというか、はっきりしないんです。記憶にないこともありますが、世界の秩序を無視したchaosとはいえ、全く系統の違う。……印象なのですが」
「印象か。……確かに不確定要素を多分に含んだニュアンスだが、恐らくchaosだけでは説明できない存在というのは事実かもしれないな」
「何かご存知なのですか?」

 数の問いかけに、七尾は確信を持ちきれない曖昧な表情を浮かべつつ答える。

「二つある。迷の様子が少し変わったことが一つだ。年末に連絡があった。前の人生で博多の一件があったかとな。答えは否だ。俺にそんな事件に覚えはないし、成人後に一度福岡タワーへ旅行で行ったことがあったが、そんな話はなかった。あいつは何かを知っていると俺は踏んでいる」
「迷さんの様子がおかしかったというのは私も同意見です。特に帰りの新幹線での様子が」
「具体的には?」
「話が噛み合わなかったんです。アールともコソコソと話をしていましたし」
「記憶……だな?」
「そう私は考えています。私の記憶すらも改変できる……いえ、私のメモリーに断片的なデータを残す以外、現地のカメラなどのあらゆる記憶媒体から記録を消し、更に不特定多数の記憶を改変させられるなんて、未来の世界を含めて私の知るどんなchaoticでも難しいことです」
「chaotic、chaosでも説明できない存在があるということだな」
「信じがたい話ですが」
「そうとは言えまい。それが、もう一つの理由だ。今の世界は恐らく限りなく俺の生きた世界に近い別の世界だと、最近解釈している。平行世界の存在に対する解釈は非常に多いが、大筋は分岐点での選択によって世界が別れるというものだ。俺の知る世界ではアールの目覚めは数十年後のカオス・パニックの時代であるし、在学中に七不思議事件なんてなかった。今回の博多もその一つだ」
「でも、それは私がこの時代干渉した結果では?」
「肯定だ。しかし、それはchaosを説明する世界のズレ。初期段階に想定した結果に対しての初期段階に生じた誤差の拡大とその因果で生じる偶発的な事象の累積。その帳尻あわせがchaoticであるという朱雀炎斬達の理論は、恐らくこの世界においても成立する。俺が二度目の人生をしていることこそが、一つ。そして、それによってお前がこの時代に現れたことが一つ。その結果、時空の歪みが生じてアールがこの時代で目覚めた。ならば、他にも偶発的な事象が連鎖的に生じている可能性は否定できない」
「それが、博多の事象ですか?」
「肯定だ。お前の存在自体で、迷探貞の生存や666の壊滅が確定しているが、同時にマオの出現とカオス・パニックの発生は確定している。問題はそれ以外の未来で生じる事象だ。俺によって世界が崩壊する危機を確かにお前は救ったかもしれないが、結果として更に大きなchaosを世界に生じさせた。世界において今とお前のいた未来は連動し、確定してしまっている。無理が生じてもおかしくはない。その一つが博多の事象ならば、俺達の知らない事象がまだ起こる可能性は高い」

 七尾は重い口調で語った。





 
 

 一方、迷探貞も博多の一件を思い出していた。
 自室にいる彼の目の前には、博多旅行での写真が机一面に広がっていた。中学卒業と同時に未来へ帰る予定の数へ送るために、仲間達でアルバムを作成することになったのだ。今探貞はその写真を選別していた。
 しかし、博多旅行の写真を手に取ると、博多での出来事が脳裏に蘇ってくる。

「異世界の勇者と魔王」

 二人が憑依した石坂涼と一ノ瀬九十九に、特に変わった様子はない。
 加えてあれからアールは魔法について調べているが、数や七尾の話したchaosとも、アールの追っている時空の歪みとも全く違うもので、この世界に伝承として残る魔法や魔術との因果関係すら何もわからない未知なる力だという。
 そして、探貞とアールの二人だけが魔王と勇者のことを覚えている状況についても、その理由は今もって不明なままだ。

「わからない。宇宙人のアールはまだ理解できても、なんで僕もなんだ?」

 七尾曰わく世界の未来を左右する重要な分岐点が探貞の生死であることは聞いているが、それだけで今回の話は説明できない。異世界が関わる以上、この世界とは関係ないと思えるからだ。
 考えが煮詰まりつつある時、ドアをノックし、迷圭二が部屋に入ってきた。

「探貞、ちょっといいか?」
「ん? いいけど、どうしたの?」

 珍しく改まった様子の父親に探貞も自然と背筋が伸びる。

「探貞、これを覚えているかい?」
「これは……」

 圭二が探貞に渡したのは、手紙だった。差出人は書かれていないが探貞宛になっている。
 覚えていた。これは十年前、ポストに投函されていたものだ。

「荷物を整理していたら出てきた。これは探貞が持っていた方がいいだろう?」
「ありがとう」

 探貞は手紙に目を落とした。
 当時、小学生であった探貞がこの手紙の差出人やその意味を理解していたのかは、彼自身も覚えていない。
 しかし、今の彼はわかっていた。怪盗Φ。20世紀最後の大怪盗であり、七不思議事件のきっかけとなった人物だ。
 探貞は父親を見た。
 今が好機かもしれない。

「父さん、話しておきたいことがあるんだ」
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