未来への約束
木漏れ日の中にあるベンチに腰をかけた男の前に、一人の少女が立っていた。
青々とした芝が風に揺れ、少女の長い銀髪が舞った。
彼は眠っているかのように閉じていた瞳をゆっくりと開いた。すべてを見透かすような鋭く聡明な眼孔が少女を捉える。
「私はキミを知っている。遠い昔、キミに会ったんだ」
男は少女に目尻に皺を寄せて微笑み、穏やかな口調で告げた。
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「高校生にもなって、作文の課題が将来の夢ってのもなぁ」
放課後の教室に江戸川和也の声が響いた。
夕日が赤く燃える空が窓から見え、校庭から万年大会最下位の野球部の掛け声が聞こえる。ありきたりな高校の日常風景がそこにはあった。
「……って、聞いてるのか?」
和也が後ろの席で頬杖をして夕焼けを眺める幼馴染の迷探貞に苛立ち気味に声をかけた。窓辺の席である彼らからは校庭も夕焼けも一望できる。
「聞いているさ。連休の宿題の話だろう?」
探貞は視線を窓の外に向けたまま答えた。
放課後の下校時間間際で、部室でもない高等部二年D組の教室には、今彼ら二人しかいない。
厳密には和也の隣の席に鞄が一つ残されているが、その持ち主は部活動の用事で席を外している。
つまり、和也が話しをする相手は探貞しかいないのだから、当然彼も耳は傾けていた。
しかし、和也は短い髪を掻きながら嘆息する。
「……たく、聞いているならそれらしい態度をしろよな。んで、どうするんだ?」
「僕かい?」
ここで初めて探貞は視線を和也に向けた。一切に興味のなさそうな目の奥で全てを見透かす鋭い光を宿した瞳に和也が写った。
「そうだ。まぁ、親父さんの後を継いで刑事ってのもお前には合っているかもな。昔から、そういう面にかけてだけは天才的だからな」
和也は冗談めかして笑った。
「だけは余計だよ。そういう和也はどうなんだい?」
「俺か? 俺は昔と同じく平凡な人生だ」
和也は胸を張ってきっぱりと言い切った。
小学校の時からこの質問に対しての和也の返事は必ずそれだ。それは探貞も知っており、その理由も承知していたが、彼としてもそれを素直に頷けないこともまた事実だった。
つまり、和也には非凡な才能があるのだ。
しかし、それを打ち破る高い声が唐突に二人に届いた。
「何が平凡な人生よ。トラブルメイカーコンビの一人の癖に」
声に二人が教室の入口に顔を向けると、いつの間にか扉に寄りかかっていた女子学生がニヤリと笑っている。彼女が先ほどまでこの教室にいたもう一人、石坂涼だ。
「トリオっていう説もあるぜ?」
負けじと笑い返す和也が隣の席に戻ってくる涼に言うと、彼女は澄ました顔で椅子に腰を下ろして答えた。
和也と涼は共に170センチ前後ある高身長の為、並ぶとそれなりに絵になる。日本人の平均並の探貞は頭一つとまではいかないが、低くなり、二人を見上げる格好になる。
「生憎ながら、私は学年一位。これでも成績優秀なのよ」
「成績と生活態度は違うだろ?」
「態度も成績の内よ。誰かさん達とは違うのよ」
「うっ……。おい、探貞! お前もコンビの片割れとして何か言えよ!」
「和也、それ認めているのと同じよ?」
「う、うるせぇ!」
和也と涼が言い合っている一方で、探貞は校庭の片隅に生える一本の木を見つめていた。
正しくは、そこの前に立つ人物だ。顔は木の方を見ている為、確認することはできないが、それは探貞のよく知る人物であった。
「なぁ。あれって担任の国見先生じゃないか?」
探貞が言うと、二人も注意を向けた。
「本当ね。何やってるのかしら?」
涼が探貞の机の上に身を乗り出して疑問を口にした。
しかし、和也は違う言葉を呟いたのだった。
「……今日もいるな」
それを聞いた二人の顔が曇った。二人は知っていた。和也の言う人物が国見先生ではないことを。
涼が木から視線をそらさない和也に聞く。
「視えるの?」
「あぁ。俺達が入学した時からだ。いつもって訳じゃないが、あの木以外では一度も視ていないことを考えると、恐らくはあそこで死んだんだろうよ」
和也は淡々とした口調で答えた。霊視能力。それこそ江戸川和也が持つ非凡な才能そのものだった。
和也曰わく、霊視はあくまでも霊の姿が見えるだけで、声を聴いたり、除霊したりすることはできないらしい。ただそこにいるこの世ならず者。彼にとって、霊はそういう存在であり、どこにでもいる存在なのだという。
その為、彼はあまり能力について話すこともなく、彼が霊視能力者であることも幼なじみの彼ら二人を含めて僅かな人間しか知らない。
「ふーん。じゃあ、私達が入学する前に謎の自殺したっていう七不思議の女子生徒?」
「多分な」
「ん? 四年間も視えてたのに、私達に一度も話してくれなかったの?」
「別に霊なんざ珍しいものでもないだろ。聞かれなかったから話さなかっただけだ」
和也が手をひらひらさせて答える。
そんな様子を眺めつつ、霊視能力が仮に探貞にあったとしても、涼には自分から話すことはないだろうと思った。例え、彼女は既に気にしていない様でも、死者という存在は彼女の境遇に暗い影を落としているのもまた事実であるのだから。
しかし、それが故に彼女が彼らの中で一番自分の目標をはっきりと定めているのもまた事実である。
それを思い、探貞は既に赤から紫となった空を再び見てポツリと呟くのだった。
「将来……か」
探貞達がいる高等部の教室棟が夕焼け色に染まる。それを望む向かいにある中等部の教室棟から眼鏡をかけた少年が携帯電話を開きながら下校していた。
「遅くなる日は昼までに連絡しろって言ってるのに……」
母親からの帰宅が遅くなるとの内容のメールを読み、ボサボサの頭を掻きながらその少年、一ノ瀬九十九は呟いた。
九十九は煩わしいと全身で表現するかの様に学ランの爪とボタンを外し、シャツを出して、制服を着崩す。
「風紀委員会直後の中等部風紀委員長とは思えない手慣れた着崩しっぷりね? ももちゃん!」
甲高い大声のした方向に九十九が如何にも面倒くさそうに顔を上げると、校門に背をもたれかかり腕を組んだクラスメートの十文字三波がいた。
「待ち伏せ?」
「そんなわけないでしょ! 応援団の練習と文化祭実行委員会の第二回打ち合わせの帰りよ!」
「相変わらず忙しいことで。……あと、そのももちゃんというのはやめろ」
「一ノ瀬九十九だから、合せてで百瀬。だから、ももちゃん!」
「いや、由来はどうでもいいし、知ってるから。そのあだ名が俺は嫌いなの」
九十九は嘆息まじりに言った。
九十九と三波は、探貞達と同じ昭文小学校から昭文学園に進学し、クラスもずっと同じである所謂腐れ縁の幼なじみだ。
九十九のももちゃんというあだ名も小学校一年生の時に三波が思いつきでつけて以来、すっかり定着してしまったものだ。
これ以上の言い争いを無駄と判断した九十九は、ぶすっとした顔のまま三波の横を素通りしようとする。
「ちょっ! 無視するな! ……なんかいつもより機嫌悪いわね。いつも以上に顔が悪いわ」
「お前は俺に喧嘩を売ってるのか? 江戸川先輩が不在で、しかも提出物も白紙で出したから七尾委員長が荒れてね。面倒だった」
「江戸川先輩が委員会に不参加なのはいつものことでしょ?」
「だけど、提出物とかやるべきことはしっかりとやる人なんだよ。それが、なぜか今回は白紙」
九十九が愚痴混じりに言う一方で、三波はニヤニヤと笑っている。
それに気づいた九十九は更に気分が沈む。
彼女のあだ名は、サンタ。クリスマスにプレゼントを配るおじさんとは全く関係ない。小柄な体型に加えて、好奇心の赴くままに行動する活発過ぎる性格が仇となり、他愛のない出来事が大変な事件に発展させることから、名前の三波を文字って悲惨波、悲惨太となり、サンタと呼ばれるようになった。女子にしては短い髪もその一因ではあるのだが。
「これは事件ね! その提出物は何についてのものだったの?」
「最近、校内で紛失物が多くなってて、財布とかもあって泥棒騒動みたいなことにもなったらしい。その実態調査で、4月中の遺失物の記録を提出することになったんだよ」
「あぁ、毎日のホームルームで遺失物係が忘れ物や無くしたものについて発表している、アレの記録ね」
「そう。まぁ、結論を言えば、それは恐らく事実だったのだろうと……がっ!」
「ストーップ! その先はこの名探偵三波様の推理よっ!」
鞄を投げつける勢いで九十九の顔に押し付けて三波は彼を制した。
黙ってずり落ちた眼鏡を直した彼はゆっくりと深呼吸をする。悲惨太こと十文字三波と9年間の付き合いになれば、この程度は深呼吸で怒りも抑えられる様になる。
その一方で三波はあれこれを思案しながらブツブツと呟きながら、校門の外へ歩きだす。
「落とし物がないように最初から名前を全ての持ち物に書いてあった? ……うーむ。それとも持ち物を全面的に持ち込み禁止に……ありえない。それとも、どこに何があるかすぐさまわかるレーダーみたいな装置を発明して実験していた? うん」
彼女の家は昭文町の北側にある昭文山という立派な山の称号のついた小さい丘の上にある昭文神社で、彼らの通う昭文学園はその参道の途中に位置する。
そして、九十九の家は参道を南下した昭文駅の近くのアパート。当然、九十九は三波と反対の方向へと足を向ける。
「って、コラァッ! 私の推理を聞け!」
三波は電光石火の如く勢いで、九十九の肩に掛けた学生鞄をガシッと掴んだ。
「ぐがっ! ……俺んち、こっちだから」
「お母さんの帰りが遅いんでしょ? 我が家でご馳走してあげるから、私の推理を聞きなさい!」
九十九の家庭の事情を熟知している三波ならば、メールを見た彼の反応で彼の夕飯事情は推理するまでもなくわかる。
それを知っている九十九は、ため息をつきながらも、素直に頭を下げるのだった。
「ご馳走になります」
学校から帰宅した探貞は、学生鞄を床に投げ出すと気だるくベッドに身を投げた。別段疲れたわけではないし、疲れることもしていない。
しかし、先の教室でのやり取りが脳裏にこびり付いていた。幽霊と担任の件もそうだが、将来の夢ということに対してが、探貞には一向に像をなさなかった。具体的な目標を持つ涼にこの問いは愚問というものだが、和也も口では苦言を漏らしつつもそれなりに平凡な人生という目標を持っている。それが如何に和也にとって難しく叶わないと思われるものでも、思い描くことはできる。それが、夢というものだ。
その一方で、探貞は目標といえるものはなかった。思い描く理想も特にない。
そうして悶々と考えているうちに時間は経過し、父迷圭二が帰宅し、夕飯となった。
居間へと行くと、日本の夕飯を絵に描いたようにそれぞれの前にご飯とみそ汁と冷奴、そしてカツオのたたきと漬物が食卓の中央に大皿で置かれていた。風呂上りの圭二がそれらを順調に口の中へと運んでいく姿を見ると、警視庁でも有名な名刑事であるとはとても思えなかった。
圭二は、警視庁特殊捜査課、通称探偵課の課長警視をしている。探貞も詳しくは知らないが、探偵課は捜査一課、二課、三課とも異なる刑法の枠を超えて難事件や怪事件を担当する部署と彼から聞かされている。とは言え、幼い頃は名探偵と刑事達からあだ名され、難事件を解決するスゴい存在だと感じていたが、最近は実際難事件なんてそうそう起こらず、公務員的な勤務をしている探偵課や父親を世間では窓際部署の窓際族というのだと認識していた。
「父さんはいつから警官になろうと思ったの?」
「ん?」
一度箸を止めた圭二は目を探貞に向けた。その隣に座る母は気に留めずに箸を進めている。
彼は箸を一度置き、腕を組んで天井を仰いだ。その間に母はカツオのたたきの最後の一切れを箸で取る。
「あ……」
ポツリと言った圭二の声は、当然ながら母がちゃっかり食べた最後の一切れに対してでない。その証拠に、次の瞬間に同じようにポツリと声を出した。
「あ……十文字の爺さんだ。前の神主の」
「昭文神社の?」
「そう」
忘れていた過去を思い出した様子で、如何にもすっきりとした表情で父は頷いた。
探貞の通う昭文学園で裏山と通称されている昭文山という小高い丘には昭文神社がある。昭文学園はその参道沿い立地している。その神社で代々神主をしているのが十文字家だ。
「今は床に臥せっていると聞くけど、神主をなさっていた頃は占いというのか……手相や姓名判断だとか、人生相談が非常に評判のいいって話でね。父さんもお願いしたんだ。そうしたら、警察官、それも刑事が向いていると断言された。勿論、占いの中でわかることや父さんと話してわかったことを伝えて下さり、そうした様々な要素から導いた結論として、刑事に向いていると断言されたんだ。それを聞いて、父さんも納得して、警察官になると決心した」
「………」
正直、参考にならなかった。それ以上に探貞は予想もしていなかった父の答えに対して驚いていた。
探貞にとって、十文字は学年を超えて有名な三波であるし、全く信心深くない圭二から占いという単語が出てくるとも考えていなかった。一部の刑事からは、名探偵とあだ名されるほどの名刑事である父が、まさか占いで決めた進路であったとは想像をはるかに超えていたのだ。
「占いなんて信じていたんだ」
「占いというと、確かに信憑性に欠ける表現だったな。なんと説明すればいいのだろうな。……あの爺さんのは、占いというよりも見えていることを伝えているかのような、未来予知ともまた違う。まるで、事件捜査で一つ一つの情報を丁寧に集めて分析し、そこから真相を導きだすような印象だ。……伝わるか?」
「なんとなくは」
「ふむ。………ところで、なんで探貞はこの質問をしたんだ?」
どんな理由であれ、どんな部署にいるのであれ、流石は警視庁の名探偵だと彼の言葉を聞いて探貞は思いつつ、学校の宿題についてのことを伝えた。
「なるほど。来年の入試や就職活動に向けて将来の夢という形で進路について整理しようと考えているわけか。確かに高二で将来の夢というテーマの作文はいいタイミングだ」
苦言を漏らしていた和也とは対照的に、圭二はこの宿題に対して何度も頷いて感心する。
そして、探貞と同じように何もかも見透かす様な瞳で彼を見ると、圭二は問いかける。
「父さんに探貞が聞いてきたということは、探貞は将来の夢というものがまだ見つかっていないんだな?」
「うん。特にない」
「見つかってないというよりも、考えたことがないという意味のない、といったところか………。丁度いい。明日からの連休、探貞は予定があるか?」
「特にない」
探貞は先程と同じ返事をする。そんな彼に圭二は頷いて、話を切り出した。
「そうか。実は、伝が長野の別荘に来ないかと誘われていて、すでに母さんとは話していたんだが、探貞の返事次第にしようと考えていたんだ」
「伝さんの?」
「あぁそうだ」
伝というのは圭二の同僚、つまり探偵課の伝節男警部のことだ。亡くなった両親からかなりの遺産を相続した独身貴族で、旧帝大系の大学を卒業し、圭二と同じ国家公務員試験合格から警察に入った俗にキャリア組といわれる人物であるが、圭二同様、探偵課配属以来出世はしていないらしい。
父親の同僚である伝も探貞が知っているのは、伝の自宅も迷家と同じ昭文町内であり、時折迷家に夕食を食べにやってくるからだ。ただし、同じ昭文町内であっても、迷家が駅の南側にある普通の住宅街にあるのに対し、彼の家は昭文神社参道の東にある著名人などの豪邸が並ぶ閑静な住宅街の中にある。
ちなみに、探偵課は圭二と伝の二人だけしか所属していない。
「なるほどね。……それは別にいいけど、なんで今の話と繋がるの?」
「探貞はゆっくりと自分の将来について考える機会がなかった。そして、そのきっかけも、時間も、助言をする大人も。……別荘ならのんびり考える時間もあるし、宿題の為という大義名分もある。伝に相談してみるのも一つだ。毒舌家だが、的を射たことを言うから探貞にとって、良い助言を得られるかもしれない」
「わかった」
特に拒否する理由もない。また、圭二の指摘は事実であった。