異世界の勇者 the novel




 数時間後、探貞達は福岡タワーの展望台にいた。最上階の展望デッキには彼ら以外にも観光客がおり、皆各々景色を見ていた。

「で、ここでいいのか?」

 和也が海を眺めながら隣に立つ探貞に問いかけた。空は雨が止み、晴れ空が広がっており、とても穏やかだ。

「魔王は魔力が不足している。魔力を補充する条件を満たす最適な場所はここだよ」

 探貞は表情を変えずに答えた。
 勇者から得た情報で、魔力は人の多い場所の上空に溜まりやすいという。福岡でもっとも高い場所、それがこの展望デッキだ。

「あとは計画通りになるか」
「それは心配ない。こっちには探貞がいるんだからな」

 勇者は涼の時に見せることのあまりない緊張し、殺気すらも感じられる表情で周囲を見回している。
 すでに探貞を中心に考えた計画の手筈はすべて整っている。和也は落ち着いた様子で彼女を励ます。
 その時、彼女の目が大きく見開かれた。

「……来た!」

 刹那、観光客達の前に突如として九十九こと、魔王が現れた。

「クククッ! 愚かな人間共よ! 我が名は魔王! この世界を征服する者だ!」

 突然現れて不気味な笑いを浮かべる少年に人々が戸惑いと嘲笑を口にする。

「なんだ!」
「イベントか?」

 魔王は福岡ドームの時を遥かに上回るどす黒いオーラを纏っていた。すでにそれは顕現化している。
 勇者が彼の前に飛び出した。

「魔王、今度こそ決着を付けるわよ!」
「今だ!」
「タァァァァッ!」

 タイミングを合わせて探貞が合図を出す。
 柱の影から数が魔王に蹴りかかる。髪の色が銀に変わっている。本人曰く制限を解除した江戸川数ではなく、シエル・睦海・シス本来の姿だ。
 魔王は全身にバリアーの様な魔法を纏い、彼女の攻撃を抑える。
 鈍い金属音が響くと同時に周囲の空気が震える。

「未来の改造人間か!」

 彼女を退かせ、魔王は舌打ちする。
 一方、間髪を入れずに物陰から現れた三波はアールを投げながら叫んだ。

「行けっ! アール! 十万ボルトッ!」
「てやんでぇ! 千万ボルトでぇ!」

 アールが魔王に飛びかかりながら、四次元バケツから取り出した雷マークが付いたU字磁石を構える。
 刹那、U字磁石に似たアールの発明したひみつ道具、ジシャクー電気デ銃から激しい電撃が魔王に向けて放たれる。

「宇宙雪だるまがっ!」

 魔法の結界で電撃を防御した魔王はすぐさま右手をかざす。魔法陣が宙に現れ、光弾が放たれる。

「アール、かわせっ!」
「おぅ!」

 三波の声に応じて、アールはすかさず光弾を回避する。そのまま光弾は壁に命中し、壁を破壊する。
 流石に尋常な事態でないと察した人々が非常階段から逃げ始めている。

「百瀬ぇ! 覚悟ぉぉぉっ!」

 一瞬の隙を狙って、和也が金属バットで魔王に殴りかかるが、魔王はそれを視認するよりも早く体が動き、攻撃を回避する。

「遅い! この者の身体能力を忘れたか?」
「いいや」

 金属バットを振り下ろした姿勢のまま、和也はニヤリと笑った。
 刹那、探貞が叫んだ。

「アール、準備OKだ!」
「あいよっ!」

 探貞の合図に応じ、アールが小さなマウス型のスイッチを押した。
 次の瞬間、魔王の周囲に結界状の空間壁が現れ、彼を包囲した。

「結界だと?」
「んにゃ、オイラの発明品、空間範囲選択装置。名づけてスペース・コピー&ペースト、略してスペースコピペでぇ」
「あんたはコピペしないで、選択削除だけどね!」

 解説をするアールの横で三波が得意満面の笑みを浮かべて、魔王に指を突きつけながら言い放つ。
 一瞬焦りの色を浮かべた魔王だが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

「貴様らはこの男がどうなってもいいのか!」

 脅しのつもりであったが、三波達の返事は彼の想定を超えていた。

「ももちゃんなら、大丈夫! …きっと」
「そうでぇ! …多分」
「問題ない! …おそらく」
「ごめんなさい。九十九君」
「魔王、あなたのミスは憑依したのが九十九君だったことだよ」

 三波、アール、和也、数に続き、探貞までも魔王の想像とは全く違う言葉が返ってきた。

「いいのかそれで!」

 流石に焦る魔王。
 しかし、アールは容赦なく叫んだ。

「削除ぉぉぉっ!」

 刹那、魔王を囲むスペースコピペに選択された空間は魔王もろとも消滅した。
 
「!」

 勝敗はついたはずだったが、すぐに勇者は気がついた。
 魔王の魔力は存在しており、刹那、再び彼らの前に魔王が現れた。

「ククク、なんてな。……魔力の前でそんなものは無力!」
「やはりダメだったか」

 苦虫を噛んだ様な表情を浮かべる探貞だが、勇者は十分に当初の計画の目的を果たせていたことを理解していた。

「でも、計画通り魔王の魔力は今のでかなり消費されたわ!」

 勇者は手をかざすと、何もない空間に聖剣が出現し、それを掴み、魔王に向かって構えた。
 対する魔王も不敵な笑みを浮かべる。

「ここからは本気でいかせてもらう!」

 刹那、魔王の姿は黒色の光に包まれ、展望デッキの窓ガラスが割れた。





 
 

 一瞬にして晴れ空は、暗雲が立ち込み、窓ガラスがすべて割れた展望デッキの外には異形の怪物の姿となった魔王が宙に浮かんでいた。
 天使の様な美しさはないが、胴の両脇になびくヒレ状の翼、胸と頭部で赤く光る二つのコア、頭部に眼球などはなく、二本の角と頭頂部が割れて中から無数の触手が広がっていた。
 その姿は、流氷の妖精として知られるクリオネのそれを彷彿させるものでありながらも、通常の生物には到底身にまとえない禍々しいオーラが顕現化していた。

「正体を現したわね!」
「勇者よ。我に挑むなら全力でかかってくるがよい!」

 聖剣を構える勇者に魔王が魔法を放つ。
 攻撃ではない。

「全回復したわ」

 魔力と体力を全回復させた勇者は剣を振るう。
 それを距離をとって見守る探貞達の中で、三波が思い出したように手をポンと打った。

「そういえば、最近の魔王はそうだったわね」

 一方、勇者は聖剣を天空に向けて掲げて声を張り上げた。

「なら、お望み通り全力を出させてもらうわ!」

 刹那、彼女の身体も金色のオーラに包まれ、その光は天井を吹き飛ばし、空を舞う。
 宙に浮かぶ魔王の前で人型を形成し、やがてそれは聖なる鎧をまとった巨大な人型の姿へと変貌した。

「さぁ魔王! 決着をつけるわよ!」
「望むところだぁぁぁぁぁっ!」

 勇者の巨大な鎧と禍々しい魔王は福岡タワー上空で激しい戦闘を繰り広げ始めた。
 互いの動きはほぼ同じ。肉眼ではその動きを捉えることはできず、残像と魔法攻撃による閃光だけが上空に痕跡として残される。縦横無尽に、互いに一歩も譲らない戦いをしていることがジグザクな線を空に描く残像と閃光から伺える。
 更に魔法陣が上空に次々と現れては消え、現れては消え、爆発、光線、炎、プラズマ、衝撃波、本来の科学では視認することが困難な現象が次々に顕現化し、相殺し合う。
 しかし、ついに勇者は聖剣から放つ紅蓮の破壊光線を魔王に直撃させ、戦いに終わりを迎えさせた。

「グハッ! いつか貴様は俺がぁぁぁぁっ!」

 魔王が断末魔の叫びを上げる中、勇者は無数の魔法陣を纏わせた聖剣を構えた。

「いつかは永遠に来ないわよ」

 刹那、激しい閃光と爆発が福岡上空に起こり、魔王は散った。




 

 

 魔王が敗れると、空は元に戻り、勇者の巨大な鎧も姿を消し、九十九と共に展望デッキへと戻ってきた。
 一同が駆け寄ると、床に寝かされた九十九は軽く呻きを上げて、ゆっくりと目を開いた。

「あ、九十九君!」
「百瀬!」
「ももちゃん!」

 探貞、和也、三波が各々声をかけると、九十九は煩わしいという表情を浮かべて口を開いた。

「うぅ……俺は一ノ瀬九十九ですよ」

 いつもの訂正をする九十九。
 それを聞いて探貞は安堵する。

「どうやら魔王から解放されたみたいだね」

 すべてを終えたことを確認した勇者は改まった口調で一同に頭を下げた。

「皆さん、本当にありがとうございました」
「元の世界に戻るの?」

 まだ銀髪の姿のままの数が聞くと、勇者は頷いた。

「えぇ。このカラダは彼女に返します」

 それを聞いて、和也は彼女の顔を見ずに頬を掻きながら言葉をかける。

「お前も達者でやれよ」
「風邪引くんじゃねぇぞ!」
「……何があったんだ?」

 続いてアールが言葉をかけた。
 その傍らで状況が全く飲み込めない九十九が体を起こしながら、三波に聞く。

「あんたは黙ってて」

 三波はそれだけ言って、九十九以外の一同と同じように涼の姿をした勇者との別れを惜しむ。
 結局、九十九は何があったのか全くわからない。

「それでは皆さん、さようなら。…さようなら」

 勇者は笑顔で別れを告げると、巨大な魔法陣が博多一円を包み込み、一同の意識は光の中へと誘われていった。




 

 

「……ん」

 高速で動くが故の独特の音が迷探貞の耳に聴こえてきた。次第に意識が闇の底から浮上していく。
 いつの間にか眠っていたらしい。自分が今新幹線の座席で眠っていたのだと気づく。
 ゆっくりと目を開くと、車窓の先に青空と山の景色が広がっていた。

「やっと起きたか。どうした?」

 隣に座る江戸川和也が苦笑混じりに言った。

「いや、変な夢を見ただけさ」
「そうか」

 和也は探貞の返答を特に気にする様子もない。
 脳裏にこびり付いている博多での記憶。異世界の勇者と魔王。あまりにも荒唐無稽な話の一番適当な解釈を探貞は知っていた。
 夢オチ。
 つまり、一連の出来事はすべて夢の中でのことであり、これから本当の福岡旅行が始まるのだ。
 探貞が一人納得し、夢が夢とは思えないほどに鮮明でリアルなものだったことに思いを馳せていると、対面に座る三波が聞き覚えのある台詞を口にした。

「全く、旅行中に一瞬たりと寝るなんて信じられないわ!」

 既視感をもった探貞は苦笑しかけるが、その表情は次の九十九の一言で一変した。

「それ、行きにも言ってたぞ」
「え?」

 彼の取り巻く時間が止まった様な錯覚を覚えた。自分の耳を疑う。
 しかし、そんな探貞の異変に気づくことはなく、三波と九十九は相変わらずの言い合いを始めた。

「そんな過去はいいのよ! 大切なのは今よ! UNOよ!」
「いつまでやる気だ?」
「東京駅まで!」
「九十九君、逃がさないわよ」

 すでに手札を三波に持たされた数が、九十九にカードを差し出しながら笑顔で言う。
 当然髪は銀でなく、普段通りの黒色だ。

「はぁ……わかったよ」

 九十九は嘆息しながら、手札を受け取る。
 一方、探貞は白昼夢を見たかのように青ざめた顔で自問するかのように呟いた。

「帰り、なのか?」

 それを聞いた涼と和也が各々旅の思い出を口にし始めた。探貞の記憶にある出来事と似て非なる思い出を。

「ホント、信じられないわね」
「あっという間だったからな。トラックに間一髪でひかれそうになったり、福岡タワーの爆発に巻き込まれたり、散々な旅行だったけどな」
「あの爆発、まだ事故か事件かわからないみたいよ」
「どっちでもいい。普通の旅行を期待した俺が甘かった」

 二人の会話にドロー2を五枚出した三波も加わる。その隣で数がさらりとドロー4を二枚出して受け流し、九十九が目を見張る。

「面白かったんだから、別にいいじゃない!」
「確かにそうね」

 涼も三波に同意する。
 当然、勇者であった様子は感じられない。

「……」
「オメェは覚えてんだな?」

 探貞が状況を理解できずに呆然としていると、アールが耳打ちしてきた。
 それはすべてを肯定する一言だった。
 探貞はアールに問いかける。すでに答えはわかっていたが、確認しないわけにはいかなった。

「アール、まさかあれは現実?」
「どっちだっていいじゃねぇか。ただ、この世界以外にも世界があると思った方が、オイラは面白いぜ?」

 アールは平然とした様子で答えた。
 他の者と異なる記憶があることに疑問も感じていない。あるがままの事実を肯定し、それを楽しんでいた。
 探貞は、一度深呼吸をし、思考をリセットする。現実だったか、幻想だったか、どうしてこの様な現象が起きたのか、そうした結論の出ない疑問を払拭し、アールと同様に事実を肯定した上で、自分はどちらがいいかを考えた。
 すぐに、答えは出た。

「そうだね。僕も面白い」

 探貞は笑顔を浮かべてアールに答えた。
 そして、彼は車窓から青空を見上げて今一度深呼吸をした。東京までの道のりはまだ遠い。UNOをしながら、彼らとの記憶のすり合わせをしていくのも悪くない。




『終』
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