未来への約束
翌朝、昭文学園の理事長像が消滅した。
捜索の結果、まもなく校内の施錠された教室が見つかった。
そして、鍵を開けると、そこに消滅した理事長像が鎮座していた。
教室の黒板には、筆跡が分からぬように乱雑な文字で『開かずの間は開かれた。未来を変えさせない! φ』と書き残されていた。
その教室は、探貞達のクラスの教室であった。
「……第五、第四の不思議ね」
「あぁ」
現場検証の為、封鎖された教室の前で、涼は呟き、探貞が頷いた。
その隣で、和也が探貞に言った。
「あの犯行声明文、それにあの重い理事長像。……φってのは、何者なんだ?」
「それは、和也が連想したものに他ならないよ。それに、それは昨日の段階で答えは出ているよ。……行こう。当分教室に入れない」
探貞が教室から和也達を連れて離れようとすると、目の前に見知った顔ぶれが現れた。
「ん? ……あぁ、現場は探貞の教室だったのか」
「やっぱりこれも才能かね? なぁ名探偵」
「父さん、伝さん」
彼らの前にいたのは、迷圭二と伝節男、探偵課の二人組であった。
「どうして?」
「探貞、名探偵を知らない警官がいないとまで言われている理由を忘れたのか?」
「……怪盗φ」
「まぁそういうことだ。……もっとも、駆り出されたところで、今回の犯人φは私の知らない人物のようだが」
圭二は袖を直しながら、生徒が溢れる廊下の様子、そして理事長像のある教室を覗き込んで言った。
「……父さん、探偵課も事件捜査に参加するの?」
「まぁな」
「正しくは昭文署から丸投げされた。生徒のいたずらにしては度が過ぎているし、怪盗φの名前を騙り、犯人は愚か、どうやってミステリーサークルを作ったかということもまともにわからない状況だ。昭文署は匙を投げて、この手の怪奇だの不思議だのという類ならと探偵課にすがってきたんだ」
圭二に変わって伝が探貞達に説明する。
「探貞、一緒に現場に入ってもらいたい」
「え?」
「母さんから最近、君達が休日も放課後も集まって何か調べ物をしていることは聞いている。……この事件について調べているんだろう? そして、核心に近づいている。違うか?」
「……断ったら?」
「もう一つの仮説を検証する。これだけの事件を起こせる生徒はそう多くいない。そういう意味では探貞も容疑者の一人だ。それを探貞が意に介さないのは知っているが、今後動きにくくなるのは明白だ」
「……わかった。二人は?」
「一緒だ。いいかね?」
「異議なし」
「私も」
「よし。入ろう」
そして、圭二と伝に続いて、探貞達三人も教室へと入った。
まず目に飛び込むのは、教室の中央に鎮座する理事長像。机と椅子は理事長像の周囲だけ移動され、隅の机は整列されたままだ。
そして、黒板の文字は白いチョークで書かれており、使用されたチョークも黒板に残されていた。筆跡や指紋で人物の特定は困難であるとは推測できる。
文字の書かれている高さは、黒板のほぼ中央の位置だが、全体を使って大きく書かれている。
探貞は理事長像よりも先に黒板に近づいた。圭二もその後に続く。
探貞は黒板を見上げ、そして黒板消しを確認する。黒板消しに少し白いチョークがついており、使用された形跡がある。
改めて文字を見ると、『開かず』の『ず』という文字が一度消されている。
探貞は身を屈めて、教壇とその周囲を舐めるように調べる。足跡は残されておらず、床に落ちたチョークの粉も綺麗に掃除されている。足跡を消したのだと推測できる。
そして、探貞は教壇から教室を見回した。理事長像以外に違和感はない。
しかし、彼は教室の椅子と机を一つずつ確認し始めた。それを見て、圭二も反対側から椅子と机を調べ始める。
「探貞、あったぞ」
すぐに圭二が探貞を呼んだ。
二人は前列にあった椅子の裏を確認すると頷いた。
「犯人の身長は150センチ以下か?」
「いや、犯行の大胆さに対して、証拠を残さない慎重さがある。体が黒板に触れるのを避けたと考えれば、160後半よりは低い身長とまでしか絞り込めないよ」
「そうだな。この段階で外せるのは和也君と涼ちゃんくらいか」
「あん? どういうことだ?」
突然名前を呼ばれた和也、そして涼が近づく。
「φはこの椅子に乗って黒板消しを使ったんだよ。前列の椅子は黒板の高い位置を使うのに使われがちだけど、幸いにもこの前のミステリーサークルで椅子が移動したばかりだから、椅子の裏にこんなにチョークが付着している可能性は低い。まだこすれた跡もないし、昨晩φが使用したと考えるのが自然だよ。それで和也や涼みたいな身長の高い生徒は容疑者から消える。僕はギリギリ容疑者かな?」
「なるほど」
「さて、問題は理事長像だな。……と言っても、探貞には興味がなさそうだな?」
「ん? そんなことないよ」
「いや、いつものお前なら、とりあえずは理事長像を確認して、移動方法について調べるところだが、真っ先に黒板へ向かった。……やはりな」
圭二は理事長像の角などを見回して頷いた。
「探貞、この理事長像にトリックはないんだな?」
「そんなこと言った覚えはないよ?」
「前のミステリーサークルでは大量の椅子とテーブルを運んだという話だが、それもトリックとして考えられるものはなかったんだろう?」
「………」
「そして、この理事長像にもトリックが使われた形跡がない。……なら、それが結論だ。ミステリーサークルの椅子と机も、この理事長像も、ただ運ばれただけだ。つまり、トリックはない。φは理事長像を運べるほどの怪力の持ち主か、多数。ミステリーサークルのことを考えると、複数犯だろう。」
「……以上が僕らの調べたことだよ。事情があって、確信を持っている理由は話せないけど、犯人は人間技とは思えないようなことができる人物」
探貞はアールと中口麗子の幽霊、怪盗φの正体、未来人の存在についてを巧みに伏せて、可能な限り知り得たすべての情報を圭二と伝に説明した。
二人は腕を組んで目をつむり、ひたすら聴きに徹していたが、ついにその口を開いた。
「わかった。……探貞、よく調べたな。それで、探貞の推理を聞かせて貰えないのかな?」
「父さん、これ以上は確信が持てない」
「何を言っているんだ。犯人が人間技ではできないことができない人物という到底信じ難い結論を出しているんだ。まだあるのだろう? 恐らく、犯人がこの様な犯行方法を取っている目的が」
「探貞、名探偵の前で嘘は通じないぞ。話してしまえ」
伝に言われ、探貞は諦めたように肩を落とした。
「……わかった。犯人、φにはターゲットとする何者かがいる。トリックを使わずに、自分にしかできない方法で犯行に及んでいるのは、自分の存在をターゲットに伝えるメッセージそのものだと思うんだ。残念だけど、現段階ではっきりとターゲットが誰か、何故φがターゲットにメッセージを発しているのかわからない」
「正しくは、φは自分が犯人だというメッセージで、ターゲットに警告を発しているが、その警告がターゲットにとってどんな意味をなすかがわからないということか?」
「正解。……僕自身もまだ不明なことが多いけど、この事件は七不思議を模しているというだけのものじゃない。それこそが、教室に残された『未来を変えさせない』という言葉であり、警告なのだと思う」
「そうだな。すべてがターゲットに対する警告であると仮定すれば、七不思議を模した殺人予告という探貞の推理は間違いでないだろう。そうなると、一つの疑問が浮かぶ。そのターゲットへの警告が何故この様な大掛かりな事件を起こしたのか?」
「その理由は、一つしか考えられない。φもターゲットが誰かを知らないからだ。……そうだとすると、七不思議を模したのは、警告と同時に正体不明のターゲットをあぶり出す狙いもあると思う」
「後の推理は確信がないというところか。なるほど、確かにまだ現段階でターゲットがあぶり出せている様子はない。だからこそ、新たな犯行を行ったのだからな」
「うん」
探貞が頷くと、圭二は腕を再び組んで考え込みながら、ぼそりと言った。
「しかし、ミステリーサークルも、今回の銅像の移動と密室も、φという人物は妙だ」
「妙?」
「探貞もだ。妙だとは思わないのか? この七不思議事件は、正しい七つの出来事に沿って逆の順番で起こっている。そして、探貞の言葉の通りならば、ミステリーサークルには特別な意味があるというが、メッセージ以外にそんな特別な意味を持たせる必要があるのか? 偶々探貞は正しい7つの出来事を知っていたから不思議に思わないのかもしれないが、私には妙に感じる。女子トイレと階段の怪奇を除外する理由がわからない。順番を時系列で整理するなら、最初に階段とトイレを舞台にした何か事件を起こせばいいと思う。新校舎になってから起きた出来事だろう?」
「確かに。……いや、何も事件らしいことは起こっていないと思う」
「なぜ?」
「だって、あれらはただの噂で、実際には……!」
話している途中で、探貞の目が見開かれた。
「……そうか、わかった」
「解けたかい?」
「あぁ、父さんのおかげだよ。僕はとんでもない考え違いをしていた。そもそもの前提に疑問を持つべきだったんだ。……父さん、伝さん。この七不思議事件だけど、しばらく僕に預けて欲しい」
「あぁ。我々が下手に介入するよりも、探貞の方が上手い解決をすることができると私も思う。……ただし、くれぐれも危険は犯さないこと!」
「わかった」
探貞は圭二に力強く頷いた。
その日は、ミステリーサークルの時と同様に授業どころではなかった。理事長像は移動できず、探貞達が別の教室で過ごすこととなり、慌ただしいまま放課後を迎えた。
そして、風紀委員会の緊急召集がかかり、九十九は勿論、和也も拒否権なく七尾風紀委員長に連行されていった。
「迷君、君もしばらくは好奇心を抑えて、学校の指示通りに帰宅したまえ! 銅像が君の教室に置かれた理由をしっかり考えてみるんだな」
七尾は去り際に、探貞に釘をさして和也と共に教室を去った。
学校側から生徒達には単独での下校を禁ずる厳戒態勢が通達されており、クラブ活動も自粛が命じられていた。
「仕方ない。涼、数ちゃんと帰ろう」
「そうね」
教室に残された探貞の提案に涼も同意した。
そして、まもなく探貞、涼、数の三人は連れ立って下校をした。
「それじゃ、私はここで。数ちゃん、探貞、気をつけて」
昭文商店街で涼が二人と別れ、残された探貞と数は歩きなれた裏路地を歩いていた。
夕日にはまだ程遠い空を見上げ、日が随分と長くなったことに改めて夏が近づいていると探貞はしみじみと思う。
その時、数が突然立ち止まった。
「……迷さん、実はお話したいことがあります」
「ん? なんだい?」
探貞が振り向くと、そこに立つ数はいつもの数とは違った。
彼女の日本人形のように真っ直ぐの髪は変わらないものの、その黒い髪は銀色に染まっており、日の光に輝いていた。
「……それが君の本来の姿なんだね?」
「あまり驚いていないですね?」
「まぁね。……数ちゃん、いや江戸川数というのは偽名だよね? φと呼ぶべきかな?」
「やはり私の正体に見当をつけていたのですね? 私の本名は、シエル・睦海・シスというこの時代から数十年後の未来に生きる所謂サイボーグです」
数こと、シエル・睦海・シスは穏やかな口調で自己紹介をした。
探貞はそれを聞いて微笑む。
「未来人というだけじゃなくて、サイボーグだったんだね。流石にちょっと驚いた。……だけど、サイボーグというなら、ミステリーサークルも理事長像の移動も納得ができる」
「まぁ、あのくらいの重さや量を運ぶくらい造作もないことですので」
「なるほど。……えぇーと、シエル? 睦海?」
「呼び方はなんでも良いですよ。迷さんの呼びやすいもので」
「じゃぁ、申し訳ないけど、数ちゃんとさせてもらうね。君がこの時代に来たのは五月の連休中だね? 僕を含めて皆が君を和也の妹だと思ったのは何か催眠電波みたいなもので?」
「その通りです。本当に、迷さんには説明が楽に済んで助かります。私の中にある装置によるものです。催眠電波という解釈で相違ないので、特に訂正もしません。元々私の体は、とある計画で潜入、工作を目的として作られたものなので、その様な装置が搭載されているんです」
「つまり、スパイロボットなんだね。うん、実に未来人っぽいよ」
探貞は如何にも愉快気に笑顔で頷く。
そんな彼の反応にシエルは苦笑する。
「全く迷さんにはかないませんね。幾つになっても迷さんは迷さんだと、改めて思い知らされましたよ」
「未来の僕に会ったことがあるの?」
「えぇ。私が暗殺しようとしましたので。……でも、暗殺するどころか、仲間にされちゃいましたよ」
「なるほどね。それで、この時代に来たのは、黒板に書かれている通り、もう一人の未来人に未来を変えさせない為?」
「本当に、そこまでわかってたんですね」
「まぁ、数ちゃんがあれだけわかりやすいメッセージを発していれば気づくさ」
「そうですね。……ただ、本来のターゲットの特定には失敗してしまいました。迷さん、申し訳ないのですが、しばらく私に協力して頂けますか?」
「僕が第五の事件の被害者として、行方不明になり、ターゲットをあぶり出すという計画だね? 僕にそこまでの価値があるのかな?」
「それは間違いなく! あなたの生死次第で未来は全く違うものになるはずです。それほどのことをあなたは未来で行います。恐らく相手にとって、あなたは絶対に死なせる訳にはいかない切り札です。だから、未来人の私があなたを拉致すれば、相手も黙ってはいられないはずなんです」
「なるほど。それで、相手の正体がわかったら、君はその人を殺すの?」
探貞が問いかけると、シエルは静かに首を振った。
「その人物は恐らく未来でも迷さんと同じように重要な立場になる人物だという予想はできています。殺してしまえば、私が未来を変えてしまうことになります。私の目的はあくまでも未来を変えさせないように警告するためです」
「その口振りだと、数ちゃんは相手が誰かは知らなくても、その正体は知っているみたいだね?」
「はい。未来の世界では、所謂世界の存亡をかけた戦いというのが起こります。その際、迷さんは重要な役割を担います。そして、その世界では二つの勢力が存在しています。その一つに相手は関わっていると想像できます」
「その勢力とは?」
「コスモスといいます。……お兄ちゃんや九十九君の様な特殊な力を持つ存在を未来ではchaoticと呼んでいます。この世界の持つ混沌が生み出した存在で、超能力者や魔物、魔法道具といったものを想像して頂ければ、大凡合っています。それを私達は受け入れる立場にありますが、コスモスは否定し、排除する立場にあります」
「つまり、それが七不思議を模した動機なんだね? 中口麗子さんと同じ目的で自分は動いているということを示す為」
「はい」
シエルが頷くと、探貞は頭を掻いた。
「まぁ、概ね理解はできたよ。ただ、気になるのは今でこそ異能を受け入れる立場かもしれないけど、僕を暗殺しようとしたということは、数ちゃんは元々もう一つの勢力の人間だね? 排除する側の名が秩序を意味するコスモスというなら、異能によって世界を混沌とするまたは、異能を利用する勢力が対になると考えるのが妥当。それに君は所属していたけど、僕の仲間になった。違う?」
「その通りです」
「なるほど。これで納得ができた。確認するけど、数ちゃんは和也の力を利用したい?」
「今は必要ないと思っています。お兄ちゃんはお兄ちゃんの望む生き方をすればいいと思います。もっとも、平凡なサラリーマンはお兄ちゃんに向かないと思うけど」
シエルはクスリと笑った。
探貞もつられて笑う。
「そりゃそうだ。……いいよ。数ちゃんに協力しよう。僕らが」
「僕ら?」
その時、物影から和也、涼、九十九、三波、アールが現れた。
「全く誰がサラリーマンに向かないって? 世話が焼けるだけじゃなくて、口も悪い妹だぜ」
「むしろ和也の事をよくわかっている良い妹じゃないの」
「てゆうか、リアルで妹萌えができるシチュエーションじゃないの!」
「おいこら、今そんな話はしてないぞ!」
「てやんでぇ! 後で時空転移の情報を教えやがれ!」
「……なんか、後半の三人は自分勝手なことを言ってる気がする」
「ちょっと! 迷先輩! 俺は違うでしょ!」
各々の好き放題な言葉に、一瞬呆気にとられるシエルであったが、クスクスと笑い始めた。
「迷さん、私の完敗です。ここまでされて強攻策を取るほど、私は往生際が悪くありません」
「まぁ、それがわかってるから皆も姿を現したんだけどね」
「では、迷さん。つまり、これは元々私がφだとわかっていたということですよね? 理由を教えて下さい」
「よく考えれば、簡単なことだったんだよ。あのミステリーサークルを描いたということは、φがアールの存在を知っており、相手もアールの存在を知っている前提をもとに犯行に及んでいるってことだ。更に、七不思議事件が本来の七つの出来事で行ったということ自体が、僕らの動向や僕のことを熟知している前提で成立する一連の犯行なんだよ。つまり、僕達の仲間にφはいるとなる。僕でなく、和也と涼も黒板消しの為に椅子を使う必要がないから該当しない。九十九君と三波ちゃんはアールの目覚めに立ち合ったんだから、二人が未来人である可能性は低い。つまり、数ちゃんだから、この事件は成立していたんだよ。そして、数ちゃんが未来人でφならば、すべての辻褄があうんだ」
「なるほどね。脱帽よ」
シエルは肩を落とし、同時に元の黒髪の数の姿に戻り、両手を上げた。
「それで、どうします? 私をφとしてお父さん達に突き出しますか?」
「それでもいいけど、まだもう一人の未来人さんと話をつけてからでも遅くない」
「えっ? ……迷さん、相手が誰か知っているんですか?」
「まぁね。今の数ちゃんの話でやっと確信が持てたよ。……ただし、数ちゃん、僕達と約束をしてほしい」
「なんですか?」
首を傾げる数に探貞は不敵な笑みを浮かべた。