世界を震撼させるその報せが伝えられたのは、日本が新元号となったばかりの大型連休中であった。
 日本時間、2019(令和元)年5月3日早朝5時32分、米国ネバダ州にて戦術核兵器を使用したゴジラ亜種の駆逐作戦を成功させたというものであった。
 経済効果と風評被害の改善を狙った国内外向けの広報戦略として休暇中の釣りをする為に東京湾クルージングの準備をしていた赤坂官房長官は、血相をかいてメモを渡してきた秘書官の顔を二度見した。幸い報道陣の前には今朝から顔を出していない。日本再生を謳った平成最後の総選挙は与党の圧勝に終わり、新内閣の官房長官となった赤坂秀樹にとって、今回の報せは最悪と云えるものであった。
 そして、同時に秘書官から渡された無線イヤーマイクを彼は耳につける。既に電話は繋がっており、相手が誰であるかは声を聴かずともわかっていた。

「官房長官、こうも早くババを引くとは思わなかったよ。まさかこの件知っていて総裁選を計ったのかい?」

 この窮地で第一声から毒味のあるジョークを言える饒舌さ。改めて本人の希望を無視して総裁へ押し上げたことが正解だったと赤坂は思った。
 与党総裁、則ち内閣総理大臣の泉修一は電話の先で机の上に広げた秘書達がセッティングしたノートパソコンとテレビの画面のそれぞれに視線を素早く動かしながら身支度をしていた。虫の知らせかこの時、泉総理は別荘でなく官邸内で優秀過ぎる閣僚の持ち込んできた復興プランに伴う立法案の目通しをしていた。

「その先見性があれば、今頃木更津でなく対岸にいますよ」
「そりゃそうだ。そんな周囲の顔色を伺いながら奔走する面倒は対岸にいる奴に任せておこう」
「ん? まさかもういるのか?」
「そのまさかですよ。どうやら在日大使にお呼ばれされていたらしい」
「となると彼女の謀ですね。有難いと取るべきか……」
「少なくとも我々は内政に集中できると思いましょう」

 電話を終え、泉は窓の先に見える巨大過ぎるゴジラを見た。後に彼は追考する。天を仰ぎ沈黙するその巨影はまるでこの後に現れることになる災厄を知っていたかの様であったと。





 


 同時刻、横須賀に矢口蘭堂巨大不明生物災害復興兼同産業復興特命担当大臣は苛立ちを隠しきれずにいた。
 米軍基地内の執務室へ通されてまもなく先の報せを聞き、そのまま今に至る。
 そして間もなくノックもなく部屋へと入ってきた在日大使こと、カヨコ・パタースンは入口で人払いをし、彼の前のソファーに腰を下ろした。共にテーブルに置いた資料の山を見て矢口は彼女から必要とする情報を提供する意思を感じとり、一先ずの苛立ちを抑え込んだ。

「先に伝えておくわ、矢口。これはターニングポイントよ。この先の判断であなたの国の立場は大きく変化する」
「我が国と貴国との関係の間違いではないか?」
「そう言う捉え方もできるわね。でももっと端的な言い方ならば、私の立場とあなたとの関係といえるわ」
「……なるほど。つまり、この件は大使の、いや貴国の保守派と異なる意向が働いたと」
「随分ストレートな言い方をするわね。……そうよ。今回の核兵器使用は大統領の判断。つまり、ゴジラへの核使用を支持した勢力の意向で、私達保守派は完全に無視したものよ」
「君の復権はますます難しい状況という訳だな」
「……あなたの個人的な苛立ちを私にぶつけてもらっては困るわ。まぁ私としても同意件なのだけど」

 カヨコは嘆息し、話を戻す。矢口も自重し、背筋を正す。

「まずはこの資料よ。ネバダの施設で行われていた研究の検体が今回のゴジラ亜種になるわ」
「秘匿はなしか」
「秘匿できない状況になったから本国はゴジラ亜種の駆逐であると公表したのよ」
「リークか。ソースは?」
「それは私の口から明かせないわ」
「わかった」

 そして矢口は流し読みでその資料を確認した。
 どうやらネバダの廃放射性物質の研究施設内で極秘裏にゴジラの細胞を用いた実験を行っていたらしい。ヤシオリ作戦の際にゴジラの細胞膜内の共生細菌による物質の分解機構が世界に流出した損失を取り戻すために、生命倫理にも抵触しかねない実験も行っていたらしい。
 そして今回のゴジラ亜種は鳥類の卵に移植したゴジラの細菌が元で生まれたものという、先進国のしかも米国としては実にお粗末な内容であった。これは間違いなく国際社会から米国は糾弾される事実だろう。

「このラドンというのが、その亜種の固有名か?」
「そうよ。情報がまだ整理されていないから詳細はわからないけれど、鳥類型の巨大生物となっていたらしいわ。でもどうやら小型の個体の群集したものと現地からの目撃情報はきている」
「核で駆逐できたのは事実なのか?」
「目下調査中。でも、そうでなければ来週くらいに世界は滅亡よ」
「そうだな。それは希望的な見解だが、それを前提にしなければ議論も儘ならない」
「そういうこと。幸いにも今時点の国内世論は大統領に対して否定的よ」
「つまり、君の復権も希望的と」

 矢口の言葉にカヨコは苦笑した。
 カヨコは現在在日大使。つまり本国の政界から日本へ追放された立場にある飾りの人形だ。日本での核使用に反対した人物として日本国民の好感度の高い彼女だが、同時に主流派の意向に反った行動をした代償が今の地位ということだ。
 幸い以後ラドンは確認されず、矢口とカヨコの希望的な願望は叶うこととなった。
 核使用に対する評価は米国内外でも真っ二つに分かれ、以後国連の場で幾度となく争点となることになる。同時に凍結したゴジラを有する日本の取り合いに対しても二転三転し、泉を筆頭とする閣僚達は胃の痛む日々を過ごすことになった。
 そんなゴジラをめぐる国際社会の政治論争が終息しないまま年を越すことになる。
 そして翌令和2年冬、観測史上最高の暖冬の中、日本は、そして世界は更なる脅威に直面することになる。



 


 

 新しい年を迎えて最初の連休を翌日に控えた令和2年1月10日金曜日の夜。日本列島は観測史上最高気温を二日前に更新した記録的な暖冬になっており、冬の晩にも関わらずコートを着ていられない蒸し暑さを国民は感じていた。
 しかしながら、現在日本国内は成人式をまもなく迎える新成人の賑わいと正月明けの慌ただしさに加え、今夜は5000年に一度に地球へ接近する彗星による流星群の最盛期になる為、都市近郊地域でも星空観測に参加する人々で賑わっていた。
 そんな三連休前の成田国際空港へ向けて太平洋上を航行する小型飛行機があった。機体にある国籍はセルジナ公国。国土は日本の四国程度で人口もほぼ同程度であるが、地下資源が豊富であり、近年の近代化も相まって国民一人当たりの総資産が世界上位である世界有数の資源大国である。前世紀中に天然ガス資源によって経済的な発展が進んでいたが、近年は電子機器等で世界の需要が高まっているレアメタルの地中含有量の高さが注目されている。
 王政を執っている国家ではあるが、21世紀初頭の内政改革によって司法、行政、国会の三権が独立しており、国王は行政の長に該当し、王族は国会への参加特権を持つものの二院政に近い形式で民主政治を意識した国家運営を行っている。
 しかし王族やその恩恵を受けていた一部の勢力は現在もこの改革を快く思ってはおらず、改革の立役者であるマアス・ドオリナ・サルノ王女の身辺は現在も尚、安全と呼べるものではなかった。
 その為、今回の来日に際して日本側も通常の要人警護以上にリスクを想定し、担当各所へ警護計画を要請していた。
 しかし、流星の降り注ぐ夜空の中で突然の消失は彼らも想定外であった。





 
 

「はい。今、管制塔です。……それは貴方の仕事であって、俺の仕事はこっちです! ……兎に角、外務省へはそちらから。担当者へは直接自分から連絡を取ります」

 刺すような視線を感じて早々に通話を終えてスマートフォンをポケットにしまう。いくら緊急事態でもここでの通話は良くなかったと自重する。
 しかし、要人を乗せた機が突如領空内でロストしたのだ。そこから派生するリスクは計り知れない。電話口での相手の言葉が脳裏に甦る。
 いくらかつての現場での功績があろうと国家公安委員も所詮は政治家の仲間なのだろう。この段階で自分達の進退を恐れた発言が出てきたのは我が父ながら落ちぶれたと思ってしまう。
 今は現場での判断が想定されるリスクを最小限に抑える最善策となる。そう判断した彼、進藤正義警察庁警備局外事情報課外事課警部は部下の現場警察官に周辺海域の捜索協力を海上保安庁に要請するように指示を出し、管制塔に入るまで自分達の対応をしていた責任者に、本件は自分達に一旦任せて事件と事故共に想定される二次災害の発生防止に務めるように頼んだ。
 仮にセルジナ関係者による王女暗殺の為の爆発物が原因であれば、自分の領分となるだろう。また、機体トラブルが原因であれば、当事国としての最低限の義務として事務的な対応が必要となり、この場合はここでの対応で自分の仕事は恐らく終わるだろう。精々後日の再発防止委員会への立ち会いだ。
 しかし、万が一隕石の接触等が原因の場合、日本側の責任が非常に重くなり、担当以外の仕事も含めて様々な調整が待っている。警察官僚として致し方ないが、警視庁警備部での数年間に渡る研修時代、そして三ヶ月前までの外務省への出向中の経験から自分自身は現場に居心地の良さを感じており、警部昇進もレールの上で渋々受けたものであった。
 それ故に、官僚仕事となる後者の場合を考えると憂鬱な気分になる。
 表情にこそ表さない程度の人生経験を積んでいるが、どうしても現場指揮中は活き活きとしてしまう。
 今度は管制室から扉一つ出たところで、スマートフォンのSNSを起動させて旧知の外務省担当者に連絡をした。
 情報そのものは既に共有されているが現時点では使えるネットワークは全て使う。進藤正義は利用できるものなら全て活用する男であった。脳裏に大学生の妹が「そういうところが女の人が遠ざかって三十後半なのにまだ独身なんだよ」と先日言っていた描写が浮かぶ。
 SNSにメッセージを入れると直ぐに既読されて返事が帰ってきた。

『隕石堕ちた。ニュース見よ』

 直ぐにインターネットの速報を確認すると、確かに富山県に隕石の速報がトピックに上がっていた。
 管制室に入ると、先の担当者を含めて騒然としていた。次々に航路変更の連絡をし、国内の各空港間で連絡がおこなわれていた。どうやら彼の一番望まない方向へ事態は向かっているらしい。
 この分だと海上保安庁からの報告が先になりそうだ。その夜、進藤は徹夜を覚悟した。






 

 同時刻、官邸内も慌ただしくなっていた。
 執務室にて残務を行っていた矢口も今期も引き続き指名し、大臣秘書官となった志村祐介と共に泉の待つレク室へと向かった。
 連休前の夜の為、比較的官僚は多く霞ヶ関に残っていたが、大臣や政務担当の多くは帰路についていた。
 矢口が入室した時点で泉と赤坂、有馬新太郎法務大臣が閣僚では集まっていた。
 隕石の案件となれば、まず国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構、通称JAXAの管轄になる。内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省が共同して所管する国立研究開発法人になるが、担当省庁の官僚の顔触れはいるが、担当大臣はまだ内閣府だけだ。
 関口悟郎文部科学大臣が今こちらに向かっているらしく、葉山達也経済産業大臣は露外遊中だ。国平学総務大臣は地元の北海道へ戻っている為、空の安全が確認されるまで飛行機は飛べないことが予測され、早くても明日になる。
 自然と矢口の視線は沖良郎気象庁長官に向く。沖は面長な顔に垂れる汗を拭きながら会釈してきた。

「関口さんの到着を待ちたいところだけど、とりあえず今確認できることを把握しよう。矢口、とりあえず確認だ」

 泉の言葉に矢口は頷く。
 主語はないが、ゴジラに変化はないかという確認だ。これまでも幾度となく、地震、台風等の事案が発生した際はまずそこを確認することが慣例となっていた。

「定点観察の外観、及び体内温度共に変化なし。ゴジラは依然として凍結した状態を維持しています」

 一同はその言葉に頷くが、安堵はない。何かがあった時点で日本は終焉を告げる。当然の反応であった。

「沖長官、気象観測衛星や富山の観測機に被害は?」

 赤坂が問いかけると、沖は頷く。

「はい。今のところ衛星に被害はありませんが、黒部の観測装置からの受信は途絶えていると報告が上がっています」

 このタイミングで汗を垂らしながら関口文部科学大臣が入室した。部屋にいる閣僚の顔触れを見て、顔をしかめた。恐らくババを引いたと思ったのだろう。

「総理、遅くなりました。状況は道中で報告を受けております」

 そして、汗を引くのを待たずに関口は官僚から渡されたメモを読み上げた。

「当該隕石は富山県黒部ダム付近へ堕ちた模様で、同時刻からダムの電力が止まり、こちらの因果関係は現在関西電力が確認中にあります。隕石については、周囲及びダム職員から隕石が落ちると共に大きな音がしたと富山県警への同様の通報があったと……」
「23時の時点で同様の通報が15件であります!」

 官僚の一人が報告する。

「はい。それで現在県警山岳警備隊が現場に向かっており、富山地方気象台の職員も同行している……ようです」

 関口の視線に気付き、沖長官は慌てて補足する。

「はい。同防災担当の職員が同行しております」
「総理、とりあえず現場の報告を待つとして、我々は領空内の安全の確認とその対応になります」

 赤坂の進言に泉も頷く。

「空港の状況は?」
「はい。国内線、国外線共に出発便は空港内で待機。上空の便も順次航路変更や空港を変更し着陸しておりますが」
「が?」

 矢口が問い返す。慌てて担当者が続ける。

「成田国際空港着陸予定であったセルジナ公国の機が現在ロストしており、調査中と報告が入っています」

 矢口が視線を移すと泉と赤坂も頷く。どうやら入室前にその話がされていたらしい。
 外務大臣と外務省担当者の姿が見えないのはその対応に追われている為らしい。

「その件に関しては既に済んでいる。現在大和田外務大臣が対応している」

 赤坂が矢口と関口に伝え、その後矢口に小声で「後でその件については話したいことがある」と耳打ちした。
 その後、各交通の情報、消防の報告、そしてまもなく黒部ダムへ向かったヘリコプターから現場の状況に関する報告が届いた。
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